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2015年11月の記事

2015年11月29日 (日)

越後片貝駅(米坂線)

本日の駅紹介は、米坂線・越後片貝駅。

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越後片貝駅の駅名標


新潟県岩船郡関川村に所在する無人駅で、開業は昭和8年(1933年)11月30日。
開業当時の所在は岩船郡関谷村で、同村は昭和29年に隣接する女川村と合併して関川村となり、現在に至ります。

坂町駅を出発した米坂線の列車は、前方に控える山地に向かってまずは広大な越後平野の端の田園風景を駆け、越後大島、越後下関を経て、にわかに険しくなった鉄の細道で二つのトンネルを抜けて到着するのがこの越後片貝駅。
米坂線と並走し、駅前を通る国道113号線こそ交通量は多いのですけれど、歩く人影は見えず行き交うクルマの音だけが響く、そんなローカル線駅の典型のようなところです。
かつては駅の北側に小学校がありましたが、平成13年に統廃合によって廃校になってしまっています。
遡って見れば明治22年(1889年)に町村制が発足した時点で、既に独立した村ではなかった地域でしたからそれも当然と言われてしまえばそれまでなのですけれど。
...こう書くと悪口ばかりじゃないかとお叱りを受けそうなので、当駅の名誉の為に書いておきますと、ここ越後片貝駅は凡百の単なる棒駅では無く、越後大島駅同様に色々と曰くがありそうな雰囲気遺構があって中々に興味深く、周辺の山峡と河に挟まれた地形の鄙びたロケーションともマッチして、実にいい感じの駅なのであります。

越後片貝駅駅舎
越後片貝駅駅舎の様子、2005年8月撮影。
国道をクルマで通り過ぎる一見さんは、「こんな田舎になんて大きな駅なんだろう」と感慨を持たれる向きもあろうかと思いますが、建物の空間の大半は地元の「九ヶ谷地区ふるさと会館」になっています。
建設費の一部は簡易保険積立金還元融資を受けててものだそうで、その趣旨性格からすると最初にふるさと会館ありきで、次いでに老朽駅舎も取り込んだという形なのかもしれません。
建築財産票によると、完成は平成3年2月16日。
建設が決まったのは前年で、バブル末期の産物になりますな。

駅舎内部の様子
駅舎内部の様子、2013年6月撮影。
比較的広い空間ですけれど、ベンチの数はご覧の通り。
地域の通学生専用のような駅で、ベンチに座って待つなんて事も無いのでしょうしコレで十分なのでしょう。
当駅を最初に訪れたのは2003年11月でしたが、その当時から自動券売機、乗車証明書発行機共にありませんでした。
現在では米坂線の列車はワンマン運行なので、両方共設置の必要はこれからも無いでしょう。
なおこの時点ではトイレはくだんの会館の水洗トイレを使えました。
綺麗なトイレですけれどトイレットペーパーは無し。
今でもそうなのかはわかりませんが、大きな用足しの場合は水に流せるポケットティッシュ持参が無難でしょう。

越後片貝駅のホームその一
坂町方から見た越後片貝駅構内、2013年6月撮影。
当駅に停車する列車は二連が常態なのが、ホーム上の後方確認ミラーの位置からわかります。
ホームの有効長は四両といったところで、かつて9600形蒸機が旅客列車を牽引して活躍していた時代だと、これっぽっちの長さでは足りんのでは?と疑問に感じるところ。

越後片貝駅のホームその二
ホームの駅舎側から坂町方を見通す、2008年4月撮影。
ホームの先に小さく見えるのは歩行者専用の跨線橋です。
ちなみに当駅前後に踏切はありません。

越後片貝駅のホームその三
ホーム端の駅舎出入り口付近から小国方を見る、2003年11月撮影。
前述した遺構というのは、今(2015年)から12年前の時点でも、使われているのかどうか定かではない横取り線の存在。
駅前後の線形から見て、この横取り線はかつての副本線か貨物用側線の名残りだと思うのですが果たして?
またこれを見ると、構内の有効長はホーム長よりもかなり長いのがわかります。

越後片貝駅に到着したキハ52とキハ47気動車
到着した今は亡きキハ52形とキハ47形気動車の二連坂町行、2005年8月撮影。

越後片貝駅に到着したキハ47形とキハ52形気動車
到着したキハ47形とキハ52形気動車の二連米沢行、2005年8月撮影。

越後片貝駅に進入するキハ58系とキハ52形の快速「べにばな」
構内に進入する今は亡きキハ58系気動車と二両と多分キハ52形の三連からなる快速「べにばな」坂町行、2003年11月撮影。

越後片貝駅を出発したキハ110気動車
出発し遠ざかるキハ110形気動車単行の米沢行、2013年6月撮影。

越後片貝駅に到着するキハE120形気動車とキハ110形気動車
到着したキハE120形とキハ110形気動車坂町行、2013年6月撮影。

ホームから見た駅前
ホームから見た駅前の様子、2008年4月撮影。
この時点で、当駅周辺で飲料やお菓子を買えるのは駅前の雑貨屋さんのみ。
手前の広大な空き地が目を惹きます。
かつては鉄道関係の敷地だったのかどうか。
後背の小山がまたなんともいい形。

越後片貝駅前を通る国道113号線
駅前を通る国道113号線の様子、2003年11月撮影。
画像中央が越後片貝駅駅舎です。
当駅周辺で唯一集客力を持つのが、画像に案内板が見える「わかふな高原スキー場」です。
サイトはシーズン中のみなので、基本情報はこちらへ
当駅から歩いて行ける距離なのに、アクセスは「越後下関駅からバス」とはうーむ。
ちなみに当駅関連の路線バスについてですが、当駅最寄バス停は「鷹ノ巣」で、国道を越後下関方面に歩くこと約2.5km。
しかし一日一便で平日のみの運行なので、駅巡りには実質使えない路線です。
ダイヤはこちらへ

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2015年11月23日 (月)

北三条駅(弥彦線)

本日の駅紹介は弥彦線・北三条駅。

東三条駅はこちらへ← →燕三条駅はこちらへ

北三条駅の駅名標

新潟県三条市に所在する有人駅で、開業は大正14年(1925年)4月10日。
開業当時の所在については南蒲原郡三条町で、同町は昭和9年に新潟市、長岡市、高田市に次ぐ新潟県四番目の市制施行で三条市となり、その後も周辺町村を適宜合併編入して、今日では県央の中心都市として、県下でも新発田市と人口第4位を争う市として存在感を発揮しています。
北三条駅は近隣の東三条駅や三条駅と異なり市街地の只中にあり、三条市役所の最寄り駅でもあって、市役所へは北東に700m程です。
また駅が開業した当時は近くに南蒲原郡役所が置かれていて、北三条駅はやはりその最寄駅として計画設置されました。
駅計画当時の郡は今日我々が認識しているそれとは異なり、府県の次に位置する地方公共団体としての位置付けで、独自の議会(郡会)を持ち今日の市に近いイメージのものだったのです。
JR東日本によると、北三条駅の2014年度一日平均乗車人員は393人で、同社新潟支社管内有人67駅中55位。
三条市の人口集積地区に立地し行政機関の最寄であるにも関わらず振るわないと言っても過言ではない利用状況で、1.2kmほど南にある信越本線三条駅と比べても、乗車人員は約1/4。
県立三条高校の最寄駅である三条駅と異なり、当駅周辺には高校が無い事、東三条へ市街地を歩くこと約1.5kmの近さが災いしているのが不振の原因として考えられますが果たして?

北三条駅駅舎
北三条駅駅舎の様子、2012年5月撮影。
東三条-当駅間の高架化が完成した平成8年(1996年)9月に供用を開始。
傍から見るととても大きな駅だと錯覚するのです。
高架駅ならではのマジックなのですけれど。

北三条駅駅舎内部その1
北三条駅駅舎内部その2
駅舎内部の様子、2012年5月撮影。
小さいながらも待合室を有し、広めのコンコースを持つ開放感と清潔感を併せ持っています。
私的には、近年の改築駅舎の内部ではこの駅が最も好印象と言えます。

北三条駅の高架ホームその1
高架ホームの東三条方から見た構内、2012年5月撮影。
高架化前は二面三線の駅だったそうですが、私が弥彦線に初めて乗ったのは恥ずかしながら駅のリサーチを意識的に始めた2004年なので、旧駅時代は残念ながら全くの未見。
他の線区は乗り鉄時代に一度は乗っているんですけどね。

北三条駅の高架ホームその2
ホーム端からから東三条方を見る、2012年5月撮影。
背の低い建物が密集する市街地の高架なので、見るべきモノはなし。

北三条駅の高架ホームその3
高架ホーム中央部の様子、2012年5月撮影。

北三条駅の高架ホームその4
ホームの吉田方から見た構内、2012年5月撮影。

北三条駅の高架ホームその5
ホーム端から吉田方を見る、2012年5月撮影。
当駅の有効長は6両で、115系のL編成+S編成の六連が最長編成になります。

北三条駅を出発する115系電車Y編成
出発する115系電車Y編成吉田行、2012年5月撮影。

北三条駅を出発した115系電車のL編成+S編成
出発し燕三条駅に向けて加速する115系電車のL編成+S編成の六連吉田行、2012年5月撮影。

北三条駅前
駅前の様子、2012年5月撮影。
高架下には市街地を南北に通る道路が通っています。
前述したように、当駅から三条駅までは1.2km程しか離れていないので駅撮り短絡ルートとして使えるのです。
しかし駅至近は似た風景なので自分の進む方向を見失う恐れも。
私が最初にこの駅に降り立ち三条駅まで徒歩移動を試みた際は、見事に道に迷って初夏の日差しを浴びて汗だくになりながら周辺をぐるぐる回った挙句に、いつの間にか信濃川を渡る国道289号線まで出てしまいましたw
三条駅とは真逆の方向で、橋を渡ればすぐ燕三条駅です。
それ以来、歩きの場合はルートをしっかり確認するようになりましたな。

三条の本町地区の様子
本町を走る高速バスと路線バス越後交通の路線バス
北三条駅から三条駅に向かって北に500mばかり進むと、そこは三条の本町地区。
2012年5月撮影。
タイミング良く新潟-三条間の高速バスに越後交通の路線バスが続行していたので一枚。
鉄道関連での当駅周辺のバス事情は、帯織駅と行き来出来る東三条-栄庁舎線と燕駅と行き来できる東三条-燕線、燕三条、分水と行き来できる東三条-寺泊線、燕三条、東三条、保内加茂と行き来できる地場産センター-加茂線、東三条、長岡と行き来できる
東三条-長岡線が、この画の県道を通ります。
北三条駅の最寄バス停は「本町4丁目」。
栄庁舎線はこちらへ、燕線はこちらへ、分水寺泊線はこちらへ
加茂線はこちらへ、長岡線はこちらへ
三条市の循環バスは北三条駅前から乗れますが、一日たったの一便なので地元の方以外は使いどころがありません。

あるお寺の参道入り口
あるお寺の参道入り口にて、2008年3月撮影。
道すがらのビルにはクラブやら何やらが。
こんなんでええんの?と、ちょっと物申したくもなりますなw
まぁ日本らしいと言えばそれまでですが。

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2015年11月15日 (日)

見附駅(信越本線)

本日の駅紹介は、信越本線・見附駅。

押切駅はこちらへ← →帯織駅はこちらへ

見附駅の駅名標

新潟県見附市に所在する有人駅で、開業は明治31年(1898年)6月16日。
当時の北越鉄道が長岡と三条の間に鉄道敷設を計画した当初、この地域における鉄道駅は見附町に置く予定でした。
見附町は現在の市中心部で、現在の見附駅からの距離は南に2km強。
この町は織物の町として発展しており、駅を置けばそのあたりの貨物需要も期待できたのですけれど、明治期の鉄道忌避の御他聞に漏れず地元が駅設置に反対。
やむを得ず、北隣の今町との中間地点に駅を置くこととなりました。
今町は燕地域で信濃川に合流する刈谷田川河畔にあって、川駅が置かれ信濃川舟運の拠点の一つでした。
見附駅からの距離は北に2km弱。
見附町とすれば、後の鉄道隆盛期にあっては客貨共に時流から大きく取り残されてしまいましたが、今町としては原案通りに駅が置かれた場合、駅までの距離は約4kmになってしまい、舟運が鉄道に押されて立ち行かなくなるのは確実な事からして、時流から大きく
取り残されてしまうことになります。
しかし見附町の頑迷な態度のおかげで、鉄道駅までの距離は当初の半分にまで縮まりました。
この両町の駅に関する損得勘定、最終的にはどちらに利があったのか実に興味深いところです。

開業当時の駅が、見附町と今町のどちらに所在していたのかは明記された資料に行き当たらず、両町が合併する以前の地図を探して見る以外に判断が出来かねるのですけれど、ともかく昭和29年に市制施行した見附市は、昭和31年に南蒲原郡今町を編入して
現在の市域が確立し今日に至ります。
南隣には新潟県第二の都市で中越地方の中心である長岡市があり、平成の大合併においてはこの街も隣接する栃尾市同様に長岡市に編入されるのではと思ったものですが、大合併の嵐が吹き荒れた当時の市の財政状況が県内でもトップクラスだった故なのか、
今日に至るまで独立した存在として新潟平野南部において存在感を示しているのです。

JR東日本によれば、見附駅の2014年度一日平均乗車人員は2,023人で同社新潟支社管内有人67駅中第20位。
3位の六日町駅と6位の犀潟駅はほくほく線の通過旅客を含んだ実態に合わない数字なので、当駅は実質的に第18位と言えます。
観察した限りでは圧倒的に長岡志向で、土曜の朝に信越本線の上り普通列車に乗っていると三条駅で学生が下車し閑散とした車内が、当駅で学生の大量乗車により一気にけたたましくなるのです。

現在は特急「しらゆき」五往復全便が停車する見附駅ですけれど、国鉄時代の基準に照らせば特急が頻繁に停車するクラスの駅ではなく、国鉄末期までは大半が通過していたのです。
あやふやな記憶で恐縮ですけれど、上越特急「とき」が当駅に停車するようになったのは昭和50年前後ではなかったかと。
昭和55年10月ダイヤ改正では、当駅に停車する特急は上野発着の「とき」2往復と金沢発着の「北越」と大阪発着の「雷鳥」各1往復の計4往復。
残りの「とき」12往復と「雷鳥」2往復、青森・秋田方面への「白鳥」と「いなほ」三往復、寝台特急「つるぎ」の計19往復は通過していました。
昼行急行も「佐渡」や「とがくし」は全便停車するものの、長距離気動車急行「赤倉」「しらゆき」は通過。
「赤倉」や「しらゆき」の場合は車両の性能上、電車急行に伍して運転するには停車駅を絞らざるを得ない事情があったにせよ、通過しても営業上差し支えないと判断されるレベルの駅であったわけです。
「とき」や「佐渡」が鉄路を去った後の昭和60年3月改正ダイヤでは、特急停車は対金沢・福井の「北越」五往復全便と対大阪の「雷鳥」「つるぎ」各1往復に増大。
通過するのは残りの「雷鳥」2往復と老舗の「白鳥」1往復に。
2001年に「白鳥」「雷鳥」が「北越」や「いなほ」に系統分割される直前は、「白鳥」以外の特急は当駅に停車するようになっていて、それ以降は五往復の「北越」そして現在の「しらゆき」五往復全便停車に引き継がれていったのです。

見附駅駅舎
見附駅駅舎の様子、2011年6月撮影。
建築財産票を見つけられなかったので詳細は不明ですが、昭和33年12月に改築との事。
横長平屋の建物で、昭和30年代の国鉄地方中堅駅の典型的形態と申せましょう。

見附駅駅舎内部
駅舎内部の様子、2011年6月撮影。
個人的には昔ながらの「みどりの窓口」の表示板が良い感じ。

駅舎内部の待合室その1
駅舎内部の待合室その2
待合室内の様子、上は2008年4月、下は2011年6月撮影。
2008年4月時点では待合室内にキオスクが健在でした。
生憎日曜のこの日は定休日。
営業時間は0700~1100、1500~1800。
駅前通りにあるセブンイレブンへは少々歩くので、ちょっとした買い物には便利な存在でしたのに。
下の撮影時には跡形も無く撤去されていました。

駅舎のホーム側
1番ホームの上屋下の改札口付近とその先の跨線橋出入り口の様子、2011年6月撮影。
かなりの経年の駅舎ですけれど、近年バリアフリー対策を施してあることからして、改築はまだまだ先の話なのでしょう。

見附駅の1番ホームその1
1番ホーム(長岡方面乗り場)の新潟方から見た見附駅構内、2011年6月撮影。
あちこちに雑草が生え、一面茶色で枯れた感じのホームは比較的利用の多い駅なのに寂れたローカル駅の雰囲気を漂わせているのが、当駅構内の特徴と言えます。

見附駅の1番ホームその2
1番ホーム端から新潟方を見る、2011年6月撮影。
昔ながらの構内通路が残存しています。

見附駅の1番ホームその3
1番ホームの長岡方から見た構内、2011年6月撮影。
ホームの右隣は二階建ての駐輪場、学生の当駅利用の多さを窺える大規模な建物なのです。

見附駅の1番ホームその4
1番ホーム端から長岡方を見る、2011年6月撮影。
中線は本線と切断済み。
後述する私の妄想実現の為には、まず中線と上下線の接続復活を実施しなければなりますまい。

見附駅の跨線橋
跨線橋内部の様子、2012年6月撮影。
エレベーターは2008年4月時点では未設置。
2011年6月時点では設置されていたので、当駅のバリアフリー化が実施されたのはその間という事になります。

跨線橋上から見た構内その1
跨線橋上から構内の長岡方を見る、2011年6月撮影。

跨線橋上から見た構内その2
同じく構内の新潟方を見る、2011年6月撮影。
画像左下のエレベーターの設置空間捻出の為に、完全に分断された中線の様子がわかります。

見附駅の旧島式ホームその1
旧島式ホームの3番新潟方から見た構内、2011年6月撮影。
中線は分断されてしまいましたが、3番線右隣の側線は健在。

見附駅の旧島式ホームその2
ホーム端から新潟方を見通す、2011年6月撮影。
昭和55年10月改正ダイヤを紐解くと、当駅で優等退避が行われていたのは上りの急行佐渡4号と特急雷鳥28号、434M-特急いなほ4号の二回。
分断され再起不能になったあの中線に、長編成の電車急行が停まっていたなど、今日では想像すら難しい魅惑的な光景であります。
しかし昭和60年3月改正では無くなっていて、現在よりも優等列車の本数が多かった当時でさえこの状態では、当駅の中線廃止も止むを得ない事でしょう。
しかし見附-長岡間の乗客の多さを見るに、中線が健在であれば当駅折り返しの区間列車を社会実験として試行してみても良いのでは?と部外者は妄想するわけです。
飯山線の二連気動車をここまで引っ張って来れないかい?と。

見附駅の旧島式ホームその3
旧島式ホームの上屋部分の様子、2011年6月撮影。
ホーム上に待合室がある代わりに、ベンチは設置されていません。

島式ホーム上の待合室
島式ホーム上の待合室の様子、2011年6月撮影。
近年のJR東日本の標準型です。

跨線橋とエレベーター
昔ながらの跨線橋とその左側の真新しいエレベーターの様子、2011年6月撮影。
万事バリアフリーの時流に乗ったもので、体の不自由な方にとって素晴らしい事であることに間違いはありませんが、健常者がドヤ顔で使っているのにはなんだかなーと思うところなのです。

見附駅の旧島式ホームその4
旧島式ホーム3番の長岡方から見た構内、2011年6月撮影。
前述したように当駅は街の中心市街地からは外れていて、画像左側の駅裏は建物もまだまだまばらです。

見附駅の旧島式ホームその5
ホームから見た中線分断部の様子、2011年6月撮影。
しかし残った線路とそれにかかるホームは2両程度なら楽に収容出来るので、前述した短編成の飯山線気動車をこの駅まで延長してはという私の妄想はまだまだ消えてはいません。

見附駅の旧島式ホームその6
バリアフリー化以前の構内の様子、2005年8月撮影。
島式ホーム上の待合室はまだ昔ながらのものです。
2008年4月時点でも同じでしたから、待合室を跨線橋寄りに移設したのはバリアフリー化と連動してのものであったと推察されます。

見附駅を出発する115系電車その1
1番線から出発する長岡行115系電車、2011年6月撮影。

見附駅を出発する115系電車その2
3番線から出発する115系電車新潟行、2012年6月撮影。

見附駅に到着した485系電車特急「北越」
1番線に到着した485系電車R編成の特急「北越」金沢行、2012年6月撮影。
「北越」そして現在の「しらゆき」に乗っていると、新潟-見附間の利用客が散見されますが、これは県都新潟との往来需要がある割には上越新幹線、高速バスのいずれもやや不便なこの地域の事情ゆえなのかもしれません。

見附駅を出発する485系電車特急「北越」
3番線から出発する485系電車R編成の特急「北越」新潟行、2012年6月撮影。

見附駅に進入する485系電車快速「くびき野」
1番線に進入する485系電車T編成の快速「くびき野」新井行、2012年6月撮影。

見附駅に到着した583系電車急行「きたぐに」
3番線に到着した583系電車急行「きたぐに」新潟行、2011年6月撮影。
6両の短編成な「北越」「くびき野」に比べて、10両編成の「きたぐに」はやはりボリュームがあり編成の迫力が違います。
それが現在の「しらゆき」では普通列車と変わらぬレベルのたったの4両.....
他の駅にも共通する話ですが、12両対応の長いホーム一杯に停車する旅客列車など、特急普通問わず新潟にはもう現れないでしょうね.....。

見附駅前のバス乗り場
駅前のバス乗り場、2011年6月撮影。
現在、ここに乗り入れる路線バスは、今町と現在の市の中心街である見附本町を結ぶ市のコミュニティバスのみになっています。→詳細はこちらへ

見附駅前通りその1
駅前から見た駅前通りの様子、2011年6月撮影。
前述したように当駅は市街地外に作られたので、現在でも駅周辺には商店街は形成されず民家が建ち並んでいます。

見附駅前通りその2
駅前通りを少し歩いて駅方面を振り返る、2011年6月撮影。
特急停車駅とは思えない地味な雰囲気。
背の高い建物が無いので圧迫感が無く、道も広々と見えます。

見附市のコミュニティバス
駅から中心市街地へコミュニティバスで移動、2012年6月撮影。
直行便ならば10分もかからないのですけれど、この便はあちこち回り道をして行くので30分近くかかりました。
途中、中心街から外れた集落へ入っていくので、その鄙びた風景に「このバス、ホントに本町まで行くの?」とちょっぴり不安になる道行でしたな。

上見附車庫前の様子
コミュニティバスの終着、上見附車庫前。2012年6月撮影。
昭和50年まで走っていた越後交通栃尾線の上見附駅の跡地ですけれど、周辺は宅地化され当時の面影を偲ばせるものはありません。
予備知識が無ければ、ここが鉄道駅跡だとはわからないでしょう。
なお越後交通の路線バス長岡駅東口-上見附線もここに発着します。
→ダイヤはこちらへ

見附市街地の様子その1
見附市街地の様子その2
中心市街地の様子、2012年6月撮影。
比較的道幅の広い通りとアーケード街です。
しかしやはり御他聞に漏れず、商店街に活気はありませんな...
この界隈は路線バス長岡-栃尾線の経由地になっています。
栃尾線は概ね毎時一本のダイヤで利便性高し。→ダイヤはこちらへ
長岡-見附本町間の運賃は360円で所要時間は30分強。
一方、コミュニティバスの見附駅乗り換えで信越線を使う場合は、バスとJR込みの運賃340円で見附駅までの直行便利用の場合は乗り換え余裕も含めて所要30分弱。
乗り換えの手間を考えれば、この市街地界隈の方が長岡へ出るには越後交通のバスを使うのが当然の成り行きでしょう。
だからこそあれだけの運行本数を維持出来るのでしょうね。
路線バスが鉄道に対して優位に立てる、新潟県内では珍しい事例であります。

観音山公園から見た見附市街地後背の様子
市街地の外れにある観音山公園から見た市街地後背の様子、2012年6月撮影。
建物が建て込み、新潟県内自治体でも人口密度が新潟市、燕市に次ぐ第三位のこの街も中心街からちょっと離れると、風景は一変して後背には田圃とその先の鄙びた光景。
市街地とのギャップが大きいので、これを見た時はちょっとした衝撃を受けたものです。

見附市今町地区の上越新幹線高架
今度は市の中心街から駅を挟んで反対側の今町地区を観察に行きますが、バスダイヤの空白時間帯なので歩いた方が早いと判断し小雨模様な雲行きの中を、往復4km強の歩き。
駅から徒歩12分で、上越新幹線の高架前に到着。2012年6月撮影。
このあたりは長岡-燕三条間のちょうど中間に当たりますが、ここに新幹線の駅を作ってみたら...なんて妄想もチラリと頭をよぎりますです。
まぁ仮に駅を作るとなれば全額地元負担になるのでしょうし、多少の利便性向上の為に大金払うのは市民感情としてNO!なんでしょうけれどね。

見附市今町
かつての南蒲原郡今町中心街の様子、2012年6月撮影。
あちこちフラフラしながら、駅からの所要およそ35分。
この地域は新幹線と並行する国道8号線沿いのロードサイドショップに商業活動の核が移ってしまっているので、この旧市街地は全くと言っていいほど人気がありませんでしたな.....
人通りはもちろん行きかうクルマも僅か。
今町と長岡との間には越後交通の路線バスが運行されているものの、運行本数は僅かです→ダイヤはこちらへ
この地域からだと、長岡へ出るにはコミュニティバス見附駅乗り換えで鉄道利用の方が便利でしょう。

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2015年11月 8日 (日)

来迎寺駅(信越本線)

本日の駅紹介は、信越本線・来迎寺駅。

前川駅はこちらへ← →越後岩塚駅はこちらへ

2017年2月18日記、駅舎リニューアル関連の記事を加筆しました。

来迎寺駅の駅名標

新潟県長岡市に所在する有人駅で、開業は明治37年(1898年)12月27日。
開業当時は三島郡来迎寺村の所在で、駅名は村名にちなんだものです。
同村は戦後の昭和30年に周辺諸村と合併して新自治体の越路町になり、この地域は新たな町の中心地区となります。
越路町は私のような筋金入りの下越民から見ると、非常に地味な街で来迎寺駅やかつての魚沼線抜きでは忘れてしまいそうな町(出身の方が見られたら激怒されるでしょうね)でしたけれど、人口自体は柿崎町よりも少し多かったりするのです。
新潟第二の都市、長岡に隣接していて埋没した感強しで、ちょっと気の毒にも見える立ち位置だった越路町ですが、2005年に周辺市町村と共に長岡市に編入されて今日に至ります。

現在でこそ地方幹線の一有人駅として、二面二線の平凡な佇まいの駅ですけれど、かつては私鉄とのジャンクションであった時期もありました。
明治44年に国鉄魚沼線の前身である軽便鉄道の魚沼鉄道が開業、この鉄道はこの地域における行政上の中心であり、「小千谷ちぢみ」の産地として古くから有名であった小千谷の市街地に達していて、大正9年に上越線の小千谷駅が開業して駅周辺が発展を始めるまでの短い期間ながら、長岡-小千谷間を連絡する鉄道の重要な一翼を担っていました。
魚沼鉄道が上越線に需要を奪われ衰退する一方、大正10年には長岡鉄道が西長岡駅から来迎寺駅まで延伸され、来迎寺-寺泊間全線が開通。
しかしこちらは元々人口密度の低い地域を縦貫するために苦戦し、昭和26年にはテコ入れとして全線電化の後、栃尾鉄道と中越自動車との合併で現在の越後交通になるも昭和50年に路線の大半を廃止。
来迎寺口は貨物専用で辛うじて残ったものの、平成7年に廃止されてしまいました。
廃止の半年ほど前の秋の夕方に、一度だけ電機牽引の貨物列車と踏切で遭遇したことがあったのですけれど、あの頃はテツ趣味から一時足を洗っていた時期だったのでカメラも持ち歩いておらず、ゆっくりと目の前を通過する列車を無感動にボーッと見逃してしまったのが今となっては実に遺憾な限り(涙)。

JR東日本によれば、来迎寺駅の2015年度一日平均乗車人員は527人。
JR東日本新潟支社管内の有人67駅中54位で、飯山線・十日町駅と同レベルです。
新潟第二の都市・長岡から信越線を上って三駅目が当駅ですけれど、それでこの数字は少々寂しい.....
実際、乗り降りしても車窓から眺めても、学生の利用する時間帯以外は駅舎内もホームも人はまばらなのです。

リニューアル前の来迎寺駅駅舎
リニューアル後の来迎寺駅駅舎その1
来迎寺駅駅舎の様子、上は2004年8月、下はリニューアル後の2016年9月撮影。
建築財産票によると、竣工は昭和54年11月12日。
リニューアル前の佇まいは何とはなく只見線の越後須原駅を思わせます。
両駅舎は竣工時期も近似していて、それまでの画一的な国鉄標準形からデザイン性も考慮した建物に変わっていく過渡期の産物のように感じられます。
越後須原駅舎同様目を惹くのが頑丈この上無さそうな、重厚な屋根。
許容積雪量は250cmです。

リニューアル後の来迎寺駅駅舎その2
リニューアル後の駅舎出入り口周り、2016年9月撮影。
当駅駅舎のリニューアルは2016年2月に完成しました。

リニューアル前の駅舎内部その1
リニューアル後の駅舎内部
駅舎内部の様子、上は2012年5月、下は2016年9月撮影。
リニューアルによって国鉄時代からのビジネスライクな内装がシックな色調に改められて、落ち着いた雰囲気に変わっています。

リニューアル前の駅舎内部その2
待合室出入り口
駅舎待合室出入り口周りの様子、上は2008年5月、下は2016年9月撮影。
リニューアル後の下の画の待合室出入り口上部のデザインは「ホタルが舞う里」を表現しているとの事。
リニューアル前の待合室の開放時間は窓口営業時間と同一でしたが、リニューアル後は明示されていませんでした。

待合室内部の様子その一
待合室内部の様子その二
待合室内部の様子、2016年9月撮影。
待合室の内装もシックな色使いに変更されています。
広い室内ですが、ベンチの数はやや少なめ。

1番ホーム側の駅舎
1番ホーム側の駅舎の様子、2012年5月撮影。
駅舎正面や内部と異なり、こちら側はリニューアルされておらずこの撮影時と変わっていません。
「駅長事務室」の表示が国鉄時代を偲ばせます。
なかなかに良デザインの駅舎も、ホームに接する部分は国鉄標準形と変わるところはありません。

「越乃Shu*Kura」停車駅の駅名標
快速「越乃Shu*Kura」停車駅の証である駅名標、2016年9月撮影。
朝日酒造の最寄駅なのが、停車駅に選ばれた理由のようです。

来迎寺駅の1番ホームその1
1番ホームの長岡方から見た来迎寺駅構内、2012年5月撮影。
1番ホームは柏崎方面乗り場です
ホーム左側は昭和59年に廃止された魚沼線用の空間。
廃止後31年を経て、なおも残るホームの白線が印象的。

魚沼線用ホーム跡
同じ位置から長岡方を見る、2011年6月撮影。
冬枯れの晩秋から初冬なら魚沼線の痕跡を見れるのかもしれませんけれど、初夏のこの時期では雑草が生い茂っていて残念。

来迎寺駅の1番ホームその2
1番ホームの柏崎方から見た構内、2011年6月撮影。

旧貨物線
旧貨物側線周辺の様子、2011年6月撮影。
当駅の貨物取り扱いは昭和53年6月に廃止されました。
前述した越後交通長岡線の貨物輸送が健在な時期なので、国鉄との連絡輸送はどうなっていたのでしょうか?

来迎寺駅の1番ホームその3
1番ホームの柏崎方を見る、2016年9月撮影。
「柏崎方面」の表示板が懐古趣味者にはタマランところです。

来迎寺駅の跨線橋
跨線橋内部の様子、2011年6月撮影。
地方幹線の準急停車クラスの駅として標準の広さです。
画像奥の窓の上に張ってあるのは、急行「きたぐに」の乗車案内です。
新潟方面乗り場側に張ってあるということはすなわち、当駅の「きたぐに」利用客は圧倒的に新潟志向であった証と言えましょう。

急行「きたぐに」の乗車案内
急行「きたぐに」乗車案内のアップ
私は何度も乗車のチャンスがありながら、その都度「また今度」と見送って気がついたら列車廃止の有様。
583系に乗車したのは青函トンネル開通前年の冬に、最初で最後の青函連絡船乗船を果たした帰りに青森-盛岡間の特急「はつかり」に乗ったのが最初で最後。
しかも函館の居酒屋で悪友としこたま祝杯を上げ魚を食して、腹を壊して酷い有様でw
盛岡駅でトイレに駆け込んだことしか記憶にございません...

跨線橋上から見た構内その1
跨線橋上から構内の長岡方を見る、2011年6月撮影。
当駅辺りまでが長岡市の近郊区間と言えます。

跨線橋上から見た構内その2
同じく構内の柏崎方を見る、2008年5月撮影。
ここから先、信越本線は長岡市と柏崎市の境の人口密度の小さい地域に分け入ります。

来迎寺駅の2番ホームその1
2番ホームの長岡方から見た構内、2012年5月撮影。
2番ホームは長岡方面乗り場です。
かつては島式ホームでしたが、現在はその横の越後交通長岡線跡も含めて宅地化されており、当時の面影はありません。

来迎寺駅の2番ホームその2
2番ホーム端から長岡方を見る、2011年6月撮影。
古い時代の駅の常として、ご覧のようにホームは千鳥配置です。

旧島式ホームの待合室内部
旧島式ホーム上の待合室内部、2011年6月撮影。
ホーム幅一杯に近い広さです。
建築財産票によると昭和28年12月完成。

来迎寺駅の2番ホームその3
2番ホームの柏崎方から見た構内、2011年6月撮影。

道路に変わったかつての3番線跡
かつての3番線跡は道路になっています、2011年6月撮影。
魚沼線用のホーム同様、今も名残の白線が残存。
宅地の建て込み具合から見て、近い将来駅舎改築となればおそらく橋上化だと思います。
構外の連絡地下道もかなり年季が入っていましたしね。
しかし駅舎がああしてリニューアルされた以上、その時期は相当に遠のいたと言わねばなりますまい。

3番線跡の痕跡
3番線が存在したことを今にとどめる線路、2011年6月撮影。
ちなみに昭和55年10月改正ダイヤを見ると、この駅で普通列車の優等退避が行われたのは上り二回(長岡行1322レ-特急「雷鳥12号」大阪行、1332M直江津行-急行「よねやま」直江津行)、下り一回(521レ長岡行-特急「北越」新潟行))です。
昭和60年3月改正では皆無になっていました。
当駅の3番線が何時頃廃止されたのかは、越路町史にも関連資料にも記述が全く無かったので不明なのですけれど、少なくとも越後交通長岡線が廃止されるまでは形として残っていたのでしょう。

来迎寺駅を出発する115系電車
1番線から出発する信越線長岡口上り朝イチの直江津行115系電車普通列車、2012年5月撮影。
かつての急行「きたぐに」、現在の快速「おはよう信越」を当駅で駅撮りするには、この電車で降り立つのが絶対条件なのです。

来迎寺駅を出発するE129系電車
1番線から出発するE129系電車直江津行、2016年9月撮影。
上の画の115系列車がE129系に置き換えられました。
115系時代の三連がE129系への更新に伴い二連に編成短縮されてしまい、平日の柿崎以西は通学生ですし詰めになるのでないかと懸念するところであります。

来迎寺駅に停車中の485系電車快速「おはよう信越」
485系電車時代の全席指定快速新潟行「おはよう信越」が2番線に停車中、2012年5月撮影。
乗車券の他に料金が別途必要な当駅停車の列車は、朝の「おはよう信越」と夜の上り直江津行「らくらくトレイン信越」のみです。

来迎寺駅に到着したE653系電車快速「おはよう信越」
2番線に到着したE653系電車の全車指定快速「おはよう信越」新潟行、2016年9月撮影。
「おはよう信越」も485系からE653系に更新されています。
この日は土曜の朝、観察したところでは当駅からの乗車はカップル一組、降車は無し。
見る限りいつも空いていて、車内で指定券を求めるのは簡単に思えますが、早朝で当駅はまだ窓口が開いていない時間帯ゆえに、指定券を持たずに飛び乗りするのは少々勇気がいるかもしれません。

来迎寺駅を出発した「おはよう信越」
来迎寺駅を出発して長岡駅に向けて加速する快速「おはよう信越」、2016年9月撮影。
四連という短編成とこのカラーリング、JRというよりは関東大手私鉄の特急のような印象です。

来迎寺駅に停車中の583系電車急行「きたぐに」
2番線に停車中の583系電車新潟行急行「きたぐに」、2008年5月撮影。
昭和55年10月改正ダイヤでは、当駅に停車する優等列車は上野-直江津間の165系電車急行「よねやま」一往復のみ。
それが昭和60年3月改正では、当時長岡-直江津間を走る急行全列車(「とがくし」二往復、「南越後」、「きたぐに」)が当駅に停車するようになり、当時の特急停車駅拡大の趨勢、柿崎駅の例を考えればやがては急行廃止と引き換えに当駅にも特急が停車するようになるのだろうと当時思っていたのですが、その機会は今まで一度もありません。
快速「くびき野」なら当駅に停まっても何らおかしくなかったのですけれど、誕生から廃止まで完全スルーでしたからねぇ。
新潟県内広しと言えど、特急が走る路線のかつての急行停車駅で特急停車が一度も叶わなかったのは、信越線・潟町駅と北陸線・名立駅、そしてこの駅ぐらいです。

来迎寺駅を通過する485系電車特急「北越」
2番線を通過する下り485系電車T編成の特急「北越」新潟行、2004年8月撮影。

来迎寺駅を通過する485系電車快速「くびき野」
2番線を通過する下り485系電車T編成の快速「くびき野」新潟行、2011年6月撮影。
日曜の夕方、これがこの駅に停まってくれたら、撮ってすぐ乗り込んで帰宅出来るのにと少々恨めしい気がしましたっけ。

来迎寺駅を通過するEF81形電気機関車牽引の貨物列車
1番線を通過する上りEF81形電気機関車牽引の貨物列車、2011年6月撮影。
かつては新潟界隈を走っているのが当たり前だったこの電機も、最近は見る機会もめっきり減りました。

来迎寺駅を通過するEH200形電気機関車牽引の貨物列車
小雨模様の早朝の1番線を通過するEH200形電気機関車牽引の貨物列車、2016年9月撮影。

リニューアル前の来迎寺駅駅舎その2
駅前通りから見たリニューアル前の駅舎、2012年5月撮影。
駅前広場の広さがよくわかります。

来迎寺駅前通り
駅出入り口から見た駅前通り、2011年6月撮影。
駅至近には旅館の看板と郵便局、洋菓子店が目立つ程度。
当時はこの道をしばらく進んで十字路を左折したあたりにセブンイレブンがありました。
当駅から長岡、小千谷へは路線バスで移動出来ます。
→ダイヤはこちらへ
ただしバスは駅前広場までは入ってこないので注意。

陸橋上から見た構内
柏崎方の陸橋上から見た構内、2005年3月撮影。
私は基本的に積雪期はリサーチに行かないのですけれど、数少ない例外がこれ。
3月とはいえ、私の住まいでは積雪ゼロなので行っても大丈夫だろうとたかをくくって行ったらこんな状態。

踏切から見た来迎寺駅構内
長岡方の踏切から見た構内、2011年6月撮影。
画像右側手前に旧3番線のレールの残骸が見えます。

越後交通長岡線の遺構その1
越後交通長岡線の遺構その2
越後交通長岡線の遺構その3
越後交通長岡線の遺構の数々、2008年5月撮影。
廃止から13年後の様子です。
この日は来迎寺駅で「きたぐに」を撮影後、長岡線の遺構に並走する道を1km半歩いて国道404号線に出た後、路線バスで塚山駅に移動というスケジュール。
線路跡とはっきりわかる遺構が田圃の真ん中を突っ切っていました。
道中、川を渡るので鉄橋の橋脚がもしかしたら...と期待しておったのですけれど、残念ながら跡形も無く撤去済みでした。

越路橋の様子
長岡地域と来迎寺地域を分かつ信濃川に架かる県道の越路橋の長岡方面を見る。
2012年5月撮影。
この橋の来迎寺側のたもとの浦地区はかつて信濃川舟運の河港があって、鉄道駅誘致においても河港に近いことをセールスポイントにして来迎寺地区と激しく争った過去があります。
現在の越路橋は平成10年完成ですが、越路町史によるとそれ以前の越路橋は信越本線の鉄橋架け替えに伴い廃橋になった明治31年完成の鉄道橋を新潟県が購入し、道路橋に改造して使用していたそうで、改造完成は昭和34年11年21日。
驚くことに、昭和42年1月31日まで橋前後区間を含めた5km弱は有料だったそうです。
自動車だけでなく歩行者までも有料の道路は全国で二番目で、国が架橋予算を出し渋った為の窮余の策だったとの事。
通行料は歩行者10円、自転車20円から始まって、普通車230円、トラック250円、路線バス350円ナリ。
歩行者については長岡市と越路町で歩行者分の年間計71万5千円を負担していて実質無料だったものの、それ以外は料金所でガッチリ頂戴。
自動車の通行料金があまりにも割高な上に、冬季は降雪通行止めが続発して評判が悪く、赤字続きだったと言いますからなかなか難儀な話なのであります。
結局道路公団に引き取ってもらって、無料化に落ち着いたそうです。

来迎寺-前川間の信濃川鉄橋
信濃川鉄橋を走り抜けた特急「北越」
信濃川に架かる信越本線の鉄橋と、鉄橋を走りぬけ新潟に向かう特急「北越」、2012年5月撮影。

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2015年11月 7日 (土)

柿崎駅(信越本線)

本日の駅紹介は、信越本線・柿崎駅。

上下浜駅はこちらへ← →米山駅はこちらへ

柿崎駅の駅名標

新潟県上越市に所在する有人駅で、開業は明治30年(1897年)5月13日。
開業時の所在は中頸城郡柿崎村で、同村の玄関駅でした。
同村はその後周辺諸村と逐次合併して村勢を発展させ、昭和9年には町制を施行。
柏崎市と上越市に挟まれながらも個性を放ち続けておりましたが、平成の大合併の大合唱には抗えず、2005年に周辺町村と共に上越市に編入され、その東端地域として今日に至ります。
鉄道開業以前は直江津との間に馬車鉄道が通っていた時期もあるそうで、昔から上越市とは繋がりの深いのがこの地域。
現在も鉄道、路線バス共に圧倒的に直江津志向です。

JR東日本によると、2014年度の柿崎駅一日平均乗車人員は624人。
JR東日本新潟支社管内有人67駅中49位で、上越線・塩沢駅や磐越西線・北五泉駅よりもやや落ちるレベルです。
特急列車の停車駅としては物足りない数字ですけれど、合併前の人口一万一千人の町の玄関駅としては、今日ではこのレベルで概ね平均的な数字になってしまっています。

現在でこそ特急「しらゆき」全列車が停車する柿崎駅ですけれど、当駅に特急列車が停車するようになったのは比較的最近の事。
昭和57年11月ダイヤ改正で気動車急行「しらゆき」が格上げされて誕生した通称「福井白鳥」の停車が最初です。
当駅に特急が停車するのは町にとって非常に喜ばしい事であったようで、柿崎町史には昭和47年秋の急行「よねやま」停車(乗り換え無しで上京出来る)と共に、特急停車実現が記されていました。
「福井白鳥」が新潟で「北越」と「いなほ」に系統分離された昭和60年3月改正時では、当駅に停車する特急列車は一往復増えて「北越」五往復中二往復。
この時点では大阪発着の「白鳥」と「雷鳥」三往復は全て通過でした。
なお、昭和55年10月ダイヤ改正時で柿崎駅に停車する優等列車は、急行「きたぐに」「よねやま」「赤倉」「とがくし」二往復、「ひめかわ」の計6往復。
昭和60年3月改正では特急「北越」二往復、急行「きたぐに」「とがくし」二往復、「南越後」のやはり6往復。
現在は特急「しらゆき」五往復と、実質優等列車と言える朝晩の「おはよう信越」「らくらくトレイン信越」のこれまた6往復。
上越新幹線と北陸新幹線に挟まれた形で、且つ元々特急停車駅であった柏崎駅は、優等列車減少がそのまま停車列車の減少に直結してしまっていて少々寂れた印象を拭えませんけれど、当駅の場合は急行廃止の代わりに特急停車が増えて、トータルの停車本数は変化無しという焼け太りに似た状態なのが個人的には中々面白く感じるところです。

柿崎駅駅舎
改築後の柿崎駅駅舎、2011年6月撮影。
建築財産票によると竣工は2008年12月5日。
鉄道建築協会の2009年度推薦作品です。
サイトを拝見すると、新潟県内の駅舎で選ばれているのは当駅の他に2014年度佳作の磐越西線・咲花駅改築待合所と北陸本線・糸魚川駅の橋上化です。
コンパクトで機能的な駅舎であることは素人でもわかる建物ですけれど、後述するように旧駅舎のファンだった私からすると、随分と小さくなったなぁというのが正直な感想。

柿崎駅駅舎の内部その1
柿崎駅駅舎の内部その2
改築後の駅舎内部の様子、2010年5月撮影。
上の画像左手のドアを開けると、下の待合室になります。
機能的ではあるものの、コンクリそのものの内部は無機的且つ寒々しいのです。
観光とは無縁で利用者の大半は学生なので、これでも構わないのでしょうけれど.....
けして広くはない待合室内はベンチがぎっしり。
この時点での待合室開放時間は0700~1800でした。

柿崎駅の旧駅舎
柿崎駅旧駅舎の様子、2008年4月撮影。
建築財産票によると、竣工は昭和17年6月。
帝国海軍がミッドウェー海戦で大敗を喫したまさにその月の竣工でした。
駅舎の着工は大東亜戦争突入前だったのでしょうけれど、時局緊迫の折、よくもこのような立派な駅舎を建てられたものだと思います。

柿崎駅の旧駅舎内部その1
柿崎駅の旧駅舎内部その2
旧駅舎内部の様子、2008年4月撮影。
高い天井のコンコース、広い待合室。
高所の窓はステンドグラスになっていました。
当時は日本海縦貫線の急行が停まっていたかも定かではない地方幹線の地味な駅なのに、この豪華さは凄いの一言。
昔の鉄道駅の魅力が目一杯詰まっているような建物で、ホントに良い駅舎だったなぁと懐かしく思い起こすのであります。
ちなみに柿崎町史によると、昭和十年に理研製鋼の工場が当駅東方1kmほどの地点に建ち、駅は工場への通勤客と貨物輸送で大いに賑わったそうです。
駅舎内の広さはそれが関係しているのかもしれません。
工場は現在も健在で操業しておりますが、敗戦と共に規模は随分小さくなったそうで、当駅の利用は客貨共にかなり減ってしまったとの事です。

旧駅舎のホーム側
ホーム側の旧駅舎の様子、2008年4月撮影。

現駅舎のホーム側
現在の駅舎ホーム側の様子、2011年6月撮影。
トイレは改札内のみにあって、近年竣工の駅舎として当然の事ながら男女別水洗。

柿崎駅の1番ホームその1
1番線(直江津方面乗り場)の柏崎方から見た柿崎駅構内、2011年6月撮影。
ホームは古い時代の駅の定番で千鳥配置です。

柿崎駅の1番ホームその2
1番線の直江津方から見た構内、2011年6月撮影。
駅舎は新旧共に特徴のある建物ですけれど、構内はいたってノーマルで、私のような者にとっては少々退屈ですな。

柿崎駅の1番ホームその3
同じ位置から直江津方を見る、2011年6月撮影。
ホームの上屋が短いので、ここから見る風景は普通列車しか停車しない凡百の小駅のようです。

旧貨物ホーム
旧貨物ホーム周りの様子、2011年6月撮影。
戦前戦中は理研製鋼関連の貨物で賑わったという当駅の貨物取り扱いは、昭和46年12月に廃止されました。

柿崎駅の跨線橋
跨線橋内部の様子、2011年6月撮影。
幹線の優等列車停車駅らしく通路は広めです。
特急停車駅なのに壁に貼られたポスターが少ないのは少々寂しい。

跨線橋上から見た構内その1
跨線橋上から構内の直江津方面を望む、2010年5月撮影。

跨線橋上から見た構内その2
同じく構内の柏崎方面を望む、2010年5月撮影。
ホームからだと緑に遮られて実感できませんが、画像左上に見える日本海からも、海岸がごく近いのがわかります。

柿崎駅の島式ホームその1
旧駅舎時代の島式ホームの直江津方から見た構内、2004年10月撮影。

柿崎駅の島式ホームその2
島式ホームの3番線(長岡方面乗り場)の柏崎方から見た構内、2011年6月撮影。
2番は普通列車の退避用なので、ホーム長が長編成の優等列車に対応した本線の1、3番に比べて短いのが、平凡な当駅構内にあって最大の特徴でしょう。

柿崎駅の島式ホームその3
島式ホーム端から柏崎方を見る、2011年6月撮影。
直線で見通しの良い直江津方とは対照的に、構内外れで大きくカーブしている柏崎方は見栄えも悪し。

柿崎駅の島式ホームその4
柿崎駅の島式ホームその5
旧駅舎時代の跨線橋周りと駅舎の様子、2004年4月撮影。
これが私の当駅リサーチの最初の一歩でしたっけ。

柿崎駅の島式ホームその6
改築後の跨線橋周りと駅舎の位置関係、2011年6月撮影。
跨線橋は昔と変わり無いので、駅構内は古い皮袋に新しい酒と言った具合。
島式ホーム上の待合室は駅舎改築直後に跨線橋寄りに移設改築されたものです。
建築財産票によると竣工は2009年3月23日。

柿崎駅の島式ホームその7
島式ホーム端の2番線の直江津方から先を見る、2011年6月撮影。

柿崎駅に停車中の115系電車
1番線に停車中の上り直江津行115系電車普通列車、2012年6月撮影。

柿崎駅に到着した485系電車特急「北越」と退避中の115系電車
3番線に到着した下り新潟行485系電車T編成の特急「北越」と、特急退避の為に2番線に停車中の下り長岡行115系電車普通列車、2012年6月撮影。
この時間帯は上り新井行快速「くびき野」が1番線に到着直後に長岡行普通列車が2番線に入線し、「くびき野」発車後まもなく「北越」が入線するという、当時の柿崎駅にとって最も華やぐ一時でした。
2015年3月ダイヤ改正では当駅での特急退避は無くなり、朝イチの上り妙高高原行が出発するだけになりました。
いずれ2番線が廃止になってしまうのではないかと少々心配なところです。

柿崎駅を出発する485系電車快速「くびき野」と退避中の115系電車
1番線を出発する上り新井行485系電車T編成の快速「くびき野」と、下り特急「北越」退避停車中の下り115系電車普通列車、2012年6月撮影。

柿崎駅に進入する寝台特急「トワイライトエクスプレス」
2番線に普通列車を退避させ、3番線に進入する札幌行寝台特急「トワイライトエクスプレス」、2012年6月撮影。
6月ともなれば日も長くなり、曇天模様の18時過ぎに通過する列車でもなんとか収められます。

柿崎駅前その1
柿崎駅前その2
旧駅舎時代の駅前広場と駅前通り、上は2008年4月、下が2006年11月撮影。
駅前広場もまた実に広大なのがこの駅の特徴です。
余談ですがこの時点での月極の駅前駐車場は一ヶ月4,358円也。

柿崎駅前その3
柿崎駅前その4
駅舎改築後の駅前広場と駅前通りの様子、上が2010年5月、下は2011年6月撮影。
駅の利用実態を反映してか、駅前にタクシーの姿は見られませんでした。

頸城自動車の柿崎駅前バスターミナル
駅前通りにある頸城自動車の柿崎駅前バスターミナル、2010年5月撮影。
この時は本数は少ないながらもここから直江津まで頸城バスで直接行けましたが、2016年10月の改正で系統分離されてしまい、直江津方面への直通便は無くなりました。
2016年10月時点でこのバスターミナルを発着する鉄道補完のバス路線は柿崎-鵜の浜線(上下浜駅へ利用可能,鵜の浜から数百mで潟町駅へ利用可能)と柿崎-森本線(ほくほく線くびき駅へ利用可能、土休日全便運休)です。

バスターミナル待合室内の路線バス運行路線図
バスターミナルの待合室に掲示されている路線バス運行路線図、2010年5月撮影。
かつては柏崎方面への路線も設定されていたであろうことが、路線図の右側にテープが貼られていることで推察できます。

旧柿崎町の中心街
旧柿崎町の中心街、2010年5月撮影。
通りは銀行とセブンイレブンが目立つ程度で寂しい町並み。
車の通行も多くはありません。

柿崎海水浴場
駅周辺をブラブラしながら、約20分で行き着いた柿崎海水浴場の様子、2010年5月撮影。
大河ドラマ「天地人」のロケ地である旨の看板が立っていましたっけ。
釣り人が一人いるだけの静かで長閑な春の午後でした。

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2015年11月 3日 (火)

能生駅(北陸本線)

本日の駅紹介は、北陸本線・能生駅。

浦本駅はこちらへ← →筒石駅はこちらへ

能生駅の駅名標

新潟県糸魚川市に所在する有人駅で、現在はえちごトキめき鉄道・日本海ひすいラインの所属です。
開業は大正元年(1912年)12月16日で、開業当時の所在は西頸城郡能生町で、平成17年3月に糸魚川市と合併してその東部地域になって今日に至ります。

現在の能生駅は名立、筒石両駅と同じく、昭和44年10月1日の北陸本線糸魚川-直江津間の複線電化に伴い、それまでの海岸近くから山側に移転して今日に至っているわけですが、トンネル間の僅かな明かり区間に移転した名立、頸城トンネル内に移転せざるを得なかった筒石両駅と比べると谷あいの地形も緩やかで立地条件は悪くないように感じられます。
駅構内は二面四線という立派な造りで、本線たる通過線にホーの無い名立駅と比べても、移転当時のこの駅の地位を窺い知れるのです。
駅移転計画時点の日本経済は右肩上がりの高度成長下にあり、貨物輸送はまだまだ重要でしたから、当駅のこの豪勢な造りは普通列車の優等退避以外にも、急行貨物・荷物の退避も考えての事ではなかったかと推測している次第ですけれど、貨物の重要路線であり続けてはいるものの往時に比べてその輸送量は大幅に減り、優等列車は僅かな快速列車だけの今日にあっては、全てが過剰な設備になってしまっています。
当線区の斜陽化を最も象徴しているのがこの能生駅と申せましょうか。

糸魚川市統計要覧によると、平成19年度の能生駅年間乗車人員は159,428人で、単純計算では一日平均約437人。
上越線・越後堀之内駅と同水準で、合併前の能生町の人口が一万人強、広域合併して魚沼市になる前の堀之内町の人口が一万人弱ですから、人口一万人前後の自治体の玄関駅で期待できる利用はこのレベルに落ち着いてしまっているということなのでしょう。
能生町史によると、昭和55年度の当駅一日平均乗車人員は約1,160人で、それから27年間で六割強も減ってしまっているのです。

前述したように駅構内の造りは豪勢な当駅ですけれど、定期優等列車の停車実績は少なくて、手元の古い時刻表を紐解くと昭和55年10月改正ダイヤでは上野発金沢行の上り急行「能登」と新潟-青海間の気動車急行「ひめかわ」1往復。
「能登」の当駅発車時刻は早朝04:20なので、この停車は東京からの新聞輸送と思われます。
昭和57年11月改正では「ひめかわ」が廃止された救済措置として、青海駅と共に新潟-金沢間特急「北越」1往復が停車。
朝新潟に行き、夜帰ってくるパターンです。
昭和60年3月ダイヤ改正では長野経由になっていた「能登」が上下とも停車しており、特急、急行各1往復が停車していたこの時期が、この駅の優等列車停車史におけるピークと言えます。
しかし、明確な時期は遺憾ながら資料が無いものの、「能登」も「北越」も当駅停車を取り止めます。
夜行の「能登」はともかく、「北越」が通過になったのは青海駅共々余程利用が少なかったのでしょう。
一度特急の停車駅になったらそれが既得権化して、利用が少なくても慣例的に続いていくのが常なのにです。
かくてJR所属時代の晩年は、特急「はくたか」「北越」が高速で走り抜けていく一陣の疾風だけが広い構内を吹き荒れるだけの駅となってしまいました.....

能生駅駅舎その1
能生駅駅舎その2
能生駅駅舎の様子、上は2013年9月、下は2004年4月撮影。
二階建ての大きな建物、広大な駅前広場。
駅舎は一見すると無駄に大きいと思えますけれど、名立駅では駅舎とは別に構内にあった運転保守関係とおぼしき建物と駅舎の合築と考えれば、妥当な大きさなのかもしれません。

駅舎内部の待合室
能生駅駅舎内部
駅舎内部の様子、2008年5月撮影。
名立駅と異なり、出入り口のあるテレビ付き待合室があります。
この辺も移転当時の当駅の立ち居地を感じさせます。
撮影当時の窓口営業時間は07:00~17:30で待合室の開放時間は07:00~18:00まででした。
自動券売機も一台設置されていました。
昨年(2014年)の消費増税では、「増税に対応できないから」(要するに一年後には切り捨てる線区の特急も停まらないローカル駅には余計なコストをかけたくないってこと?w)という理由で券売機を撤去(これは糸魚川以外の近隣他駅も同様)してしまいましたが、えちごトキめき鉄道移管後は改めて設置されたそうでまずは目出度し。

能生駅の1-2番島式ホームその1
2番線の直江津方から見た能生駅構内、2005年10月撮影。

直江津方の頸城トンネル
同じ位置から直江津方の頸城トンネルを見る、2005年10月撮影。

能生駅の1-2番島式ホームその2
2番線の糸魚川方から見た構内、2005年10月撮影。
当駅構内の眺めはこの位置がベストだと個人的には思っています。

能生駅の1-2番島式ホームその3
同じ位置から糸魚川方を見る、2005年10月撮影。
JR西日本所属時代の当駅の乗り場は1、2番線が直江津方面、3、4番線が糸魚川方面になります。

能生駅の1-2番島式ホームその4
1番線の糸魚川方から見た構内、2014年5月撮影。

能生駅の1-2番島式ホームその5
3番線の直江津方から見た構内、2014年5月撮影。

能生駅の1-2番島式ホームその6
同じ位置から直江津方の頸城トンネルを見る、2014年5月撮影。
上下線共に横取り線が分岐しているのがわかります。

能生駅の3-4番島式ホームその1
3・4番島式ホームの駅舎との連絡地下道出入り口付近の様子、2014年5月撮影。

能生駅の3-4番島式ホームその2
3番線の糸魚川方から見た構内、2013年9月撮影。

能生駅の3-4番島式ホームその3
4番線の糸魚川方から先を見る、2014年5月撮影。
横長の架線柱から見るに、かつては四番線の横に側線があったのかもしれません。

構内地下道
構内地下道の様子、2008年5月撮影。
JR東日本なら壁にやたらとポスターを貼るところですが、JR西日本は商売気があまりないのかこのような感じ。

能生駅から出発する475系電車その1
秋雨降りしきる4番線から出発する北陸地域色の475系電車富山行、2013年10月撮影。
くもりのち晴れの天気予報が大外れの雨の日でしたなぁ。

能生駅から出発する475系電車その2
同じく4番線から出発する青一色の475系電車富山行、2013年9月撮影。
青一色の電車には最後まで馴染めなかったですな。

能生駅に停車中の475系電車
夕刻の下り特急「北越」退避の為に、1番線に停車中の国鉄急行交直流色の475系電車直江津行、2012年6月撮影。
幸運にも国鉄交直型急行色編成に乗り合わせて、「北越」通過撮影までの間くまなく撮影しようとホルホルしておりましたところ、予測より早く「北越」が来てしまって最適撮影位置に行けず、頸城トンネルに突入する後姿しか撮れなかったのは一生の不覚にございました.....
なおこの特急退避、確か翌年の改正で名立駅に変更になり、当駅での優等退避は無くなってしまいました。

能生駅を出発する413系電車
3番線から出発する北陸地域色の413系電車富山行、2013年9月撮影。
当駅の場合、当時は3番4番に特急退避の有無を問わず、適宜停車していました。

能生駅に停車中の419系電車
上り特急「北越」退避の為に4番線に停車中の、上り419系電車富山行、2005年10月撮影。

能生駅を通過する485系電車特急「北越」
3番線を通過する485系電車R編成の金沢行特急「北越」、2014年5月撮影。

能生駅を通過する特急「はくたか」その1
2番線を通過する下り越後湯沢行特急「はくたか」、2014年5月撮影。

能生駅を通過する特急「はくたか」その2
土砂降りの雨の中、2番線を通過する下り越後湯沢行特急「はくたか」、先頭車両は貫通型です、2013年10月撮影。

能生駅前通りの様子
駅から海岸沿いの国道8号線へ至る駅前通りの様子。
国道まではおよそ1km。
山側に少し進むと北陸自動車道のICに行き着きます。
この駅前通り沿いにはスーパー一軒、コンビニ二軒、ホームセンター一軒があって、日常の利便性は極めて高し。
なお、路線バスは糸魚川便と筒石便はこの道を通って駅前バス停に停車しますけれど(ダイヤはこちらへ)、直江津便は国道沿いの能生案内所止まりです(ダイヤはこちらへ)。
いずれの便も日祝は全休なので要注意。

旧能生町役場の様子
旧能生駅跡の記念碑
海岸近くの旧能生町役場、2013年9月撮影。
かつてはここに旧能生駅が所在していたのです。

旧能生町のメインストリート
旧町のメインストリート、2008年5月撮影。
国道8号線に並行して、筒石方に沿って昔からの個人商店街になっております。
しかし御他聞に漏れず、開いている店は僅かでひっそり。
近くのスーパーやホームセンターは駐車場に車が並び賑わっているというのに。

旧能生町の白山神社
メインストリートを抜けて白山神社へ到着、2008年5月撮影。
駅からここまで私の足でおよそ20分。
この白山神社、重要文化財として神社本殿と聖観音立像、重要無形民俗文化財として舞楽、重要有形民俗文化財として海上信仰資料97点、新潟県文化財として十一面観音立像と汐路の鐘と泰澄大師坐像と舞楽面五面などなど、周辺随一と言ってよい古来文化の集積地と言えます。
隣接して旧能生町の歴史民俗資料館もあって見学にかなり心が動いたのですけれど、この日はマリンドーム能生まで歩きそこから路線バスで筒石集落に移動というスケジュールでゆっくりしてもいられず、後ろ髪を引かれながら先を急いだ次第。

旧北陸本線跡サイクリングロードの白山トンネル
白山神社近くにある旧北陸本線跡サイクリングロードの白山トンネル、2008年5月撮影。

旧能生町海岸の弁天岩その一
旧能生町海岸の弁天岩その二
神社から海岸に出てすぐの弁天岩、2008年5月撮影。
話によるとここが「竜宮」への入り口なんだとか。
すぐ向こうにはロケットに跨ったツインテールの乙姫ちゃんが手を叩き風船ガムをぷーっと膨らませてゲヘヘと笑いながら待っておられるのでしょうかね?
それはさておき、大昔の海底火山の噴火による噴出物で構成されているというこの大岩は実に眼福です。
岩へ渡る橋とその下の浅海のコントラストも良し。

弁天岩の頂上から歩いてきた方向を望む
弁天岩の頂上から歩いてきた方向を望む、2008年5月撮影。

能生マリンパーク
能生マリンパーク内の海の資料館「越山丸」
白山神社と弁天岩に立ち寄りつつ、駅からプラプラ歩いておよそ50分で能生マリンパークに到着、2008年5月撮影。
距離にして3km弱、寄り道せずに直行していれば35分程で歩けたのに。
そのツケがこのフネ、「海の資料館越山丸」見学の時間を取れなかったこと。
能生にある海洋高校の実習船が、退役後の余生を浮かぶ資料館として送っているのです。
こういうフネを見学できる機会は他に無いので、こちらもかなり心が動きましたなぁ.....
しかし筒石行のバスの時間も極めて切迫しているし、前述の歴史民俗資料館同様に見学断念。

マリンパーク近くの国道上のバス停から見える旧北陸本線のトンネル
マリンパーク近くの国道上のバス停から一枚、2008年5月撮影。
少々わかりにくいですが、信号の左上に旧北陸本線のトンネルが見えます。
この地を再訪することがあったら、それは有間川-浦本間の旧線跡徒歩踏破の道草でということになるでしょう。

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2015年11月 1日 (日)

筒石駅(北陸本線)

本日の駅紹介は北陸本線・筒石駅。

能生駅はこちらへ← →名立駅はこちらへ

筒石駅の駅名標

新潟県糸魚川市に所在する有人駅で、名立-能生間を結ぶ全長11,353mの頸城トンネル内にあります。
現在はえちごトキめき鉄道・日本海ひすいラインの所属です。
開業は大正元年(1912年)12月16日で、名立-糸魚川間開通と共に開業しました。
当時の所在は西頸城郡磯部村で、当初は村の玄関駅であることから村名そのままの「磯部」としたかったそうです。
しかし「磯部」駅は群馬県下の信越本線に既に存在していたので已む無く断念、駅が所在する地名を取って「筒石」と命名したとの事です。
磯部村は昭和29年に周辺諸村と合併して新自治体・能生町となり、能生町は2005年に糸魚川市と合併してここ筒石の地は上越市と境を接する東端部になり、今日に至ります。

北陸本線・糸魚川-直江津間複線電化による新線建設に当たっては筒石駅も廃止の危機に見舞われて、この地区でも近隣駅地区と共に反対運動を展開、これにより国鉄当局も当初の長大トンネル案を撤回して現在のルートに落ち着いたのですけれど、当駅の
場合は頸城トンネルの必要上から明かり部分に駅を移転するのは不可能で、次善の策として全国的に極めて珍しいトンネル駅になったのは皆様ご存知の通り。

筒石駅駅舎
筒石駅駅舎の様子、2014年6月撮影。
駅移転時からの建物ですが、無骨な造りの名立駅舎に比べてあまり古さを感じさせません。
トイレは駅舎右側にあって男女別。

筒石駅駅舎内部その一
筒石駅駅舎内部その二
駅舎内部の様子、2014年6月撮影。
有人駅でかつこじんまりとしているだけに、清掃も行き届いています。
自動券売機はJR時代も設置されておらず、乗車券入場券は常に窓口で購入。

いささか古い数字で恐縮ですが、糸魚川市統計年鑑によると筒石駅の平成19年度年間乗車人員は20,739人で、単純計算すると一日平均約57人。
JR東日本の新潟県内区間と西日本区間の通算では、有人駅中最下位になってしまっていますけれど、当駅の場合有人なのは旅客営業上の必要性からではないので致し方ありません。
旧北陸線新潟県内区間の他駅との比較では、市振駅とほぼ同じで梶屋敷駅の約半分というところです。
能生町史によると、昭和55年度の当駅一日平均乗車人員は約171人で、27年間で2/3も減少してしてしまっています。

ちなみに上越、糸魚川両市の統計年鑑から算出した、旧北陸線新潟県内区間諸駅の平成19年度一日平均乗車ランキングは下記の通りです(直江津駅は除く)。

1位 糸魚川駅 1,123人(定期56% 非定期44%)
2位 能生駅     437人(定期77% 非定期23%)
3位 青海駅     221人(定期77% 非定期23%)
4位 名立駅     148人
5位 梶屋敷駅   107人(定期74% 非定期26%)
6位 筒石駅     57人(定期84% 非定期16%)
7位 市振駅     56人(定期80% 非定期20%)
8位 有間川駅    43人
9位 親不知駅    41人(定期63% 非定期37%)
10位 谷浜駅     32人
11位 浦本駅     19人(定期84% 非定期16%)

青春18きっぷで乗降する客をどのようにカウントしているのかはわかりませんが、この数字を見る限りにおいては、有名なトンネル駅というネームバリューも乗降の実数にはあまり反映されていないようです。
ただ当駅の場合、入場券やJR時代の赤い青春18きっぷの販売等があって、実収入は乗降の実数以上であったのは確実でしょう。

地上の駅舎と地下のホームを結ぶ階段
地下ホームへの通路
地上の駅舎と地下のホームを結ぶ階段と、ホームへの通路、2014年6月撮影。
旅番組では当駅に降り立ったタレントが、地上までの道中がキツいとしきりにこぼしていましたけれど、土合駅に比べればモノの数ではないと申せましょう。
ホーム出入り口から改札まで撮影しながら上がってきて所要4分というところです。
土合駅の場合はやはり撮影しながら登って10分はかかりますからね。

下りホームへの出入り口
地下の下り(直江津方面)ホームへの出入り口、2014年6月撮影。
風圧対策で引き戸は少々重いです。
ここで待っていると、列車が頸城トンネルに突入した轟音が早期に聞こえてきますから、撮影待ちのいい合図になったものです。

筒石駅構内の様子その一
筒石駅構内の様子その二
筒石駅構内の様子その三
筒石駅構内の様子その四
筒石駅構内の様子その五
頸城トンネル内の筒石駅構内、2014年6月撮影。
構内は典型的な千鳥配置ですが、撮影した画を見ると、駅名票無しではどっちがどっちやらさっぱりわからない始末(大汗)。
現在(2015年10月末)のところ、当駅に降り立った直近のこの日は通過する特急「はくたか」「北越」の動画撮影が目的で、入場券で構内に入り二時間ほど上下のホームを行ったり来たりしておりましたが、18きっぷオフシーズンの土曜日だからなのか、ご同業は皆無でしたなぁ。
この日に限らず私が当駅に降り立ったのは2004年から2014年の11年間で計6回のいずれも、18きっぷのオフシーズンの土日でご同業とは未遭遇。
新幹線や特急に揺られてはるばるここまで来る人は実は少数ってこと?

筒石駅に停車中の475系電車
筒石駅に停車中の413系電車その1
筒石駅に停車中の413系電車その2
いずれも過去帳入りの、筒石駅に停車する普通電車の面々。
上の国鉄交直流急行色475系電車は2012年6月、中の青一色の413系電車と下の北陸地域色413系電車は2014年6月撮影。
419系のマトモな画像を撮れず終いだったのが心残りです。

筒石駅を通過する特急「北越」
筒石駅を通過する特急「はくたか」
通過する特急「北越」と「はくたか」、2014年6月撮影。
私の機材と腕では闇の中を高速で通過する列車をマトモに捉えられるはずがなく、動画からのキャプチャ画像になります。

高台から見た筒石駅駅舎
地上に戻って高台から見た駅舎全景、2014年6月撮影。
ご覧のように、車数台の駐車スペースと駐輪場を有していますが、この日は車二台、自転車は無し。

筒石駅前の様子
海岸沿いの筒石集落へ至る道に足を踏み出しつつ、振り返って駅舎を撮影、2014年6月撮影。

筒石駅から海岸への道
駅から海岸への道中、2008年5月撮影。
当駅訪問の場合、何がキツいかと言ったらこの道の行き来です。
いい歳をしたオッサンの割にはそれなりの脚力を誇る私でも、この坂道は少々難敵。
距離は1km弱とさほどのものではないのですが、私の足では国道に下りるまでたっぷり10分はかかります。
日常的にジョギングや高速ウォーキングをして体脂肪率5%台の健常者のオッサンでもこんな調子ですから、年配の方は歩いて駅までなどかなり無理がありますな。

駅近くの北陸自動車道
海岸への道中で上に架かる北陸自動車道と切り立った山の壁面。
2008年5月撮影。
この地域の地形の峻険さがよくわかります。

海岸沿いの国道8号線と筒石漁港その一
海岸沿いの国道8号線と筒石漁港その二
海岸沿いの国道8号線と筒石漁港、2008年5月撮影。
集落の特に年配の方にとっては、鉄道よりも路線バスの方が遥かにバリアフリーで便利なのは確実で、事実、日祝運休の能生-直江津間の路線バスは労災病院発着で、年配者の通院の行き来に適したダイヤになっております。
→ダイヤはこちら
能生-筒石間に限っては仙納線も使えますけれど、こちらも日祝は運休なので駅巡りに使えるのは実質土曜日のみ。
→ダイヤはこちら

筒石地区の北陸本線旧線跡のサイクリングロード
北陸本線旧線跡のサイクリングロード、2008年5月撮影。
私が次に筒石駅を訪れるとしたら、このサイクリングロードを歩き通すついでにトキ鉄の気動車を撮影する時ぐらいでしょう。
私はウォーキングが趣味なので列車の待ち時間が長く他にする事も無い場合は駅間を積極的に歩くことにしているのですけれど、この旧線跡は谷浜-有間川間と能生界隈の一部しか歩いた事が無いのです。
機会を見て有間川-浦本間をぜひ歩き通してみたいところなのです。

筒石川橋梁跡その一
筒石川橋梁跡その二
旧線の遺構である、筒石川橋梁跡、2008年5月撮影。
この橋梁跡については予備知識無しで遭遇したので、まだこんなデカブツが残っていたのかと驚きましたなぁ。
周辺は整備されて遺構など残っていないので、古びた橋脚だけが鎮座ましましている光景は異様の一言。

筒石地区の日本海に沈む夕陽
初夏の夕暮れ、日本海に沈む夕日、2012年6月撮影。
昔の金曜ロードショーで流れていた、物寂しいトランペットの演奏が聞こえてくるようです。
これから盛夏を迎えるというのに、何故か晩秋のように感傷的になって夕映えの海をしばらく見てましたっけ。

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