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2015年10月31日 (土)

名立駅(北陸本線)

本日の駅紹介は北陸本線・名立駅。

名立駅の駅名標


新潟県上越市に所在する無人駅で、現在はえちごトキめき鉄道・日本海ひすいラインの所属です。
開業は明治44年(1911年)7月1日で、当時の所在は西頸城郡名立町でした。
名立町はその後2005年に上越市に編入されて、上越市名立区となって現在に至ります。
開業当時は北陸本線が全通に至っておらず、名立駅は暫定的に直江津方からの終着駅になり、翌大正元年に本来の中間駅の姿に落ち着きました。

名立駅は名立町の玄関としての旅客機能に加えて、名立漁港から長野・富山方面への鮮魚の発送拠点として大きな役割を果たしていました。
名立町史によると、昭和40年度の当駅一日平均貨物発着トン数は約44トン。
発着といっても出荷超過で、その大半は鮮魚です。
それが僅か五年後の昭和45年度には、貨物は実に75%減の約11トンに激減。
漁獲量の減少もあったのかもしれませんが、これに大いに関係していると思われるのが、昭和44年10月1日に北陸本線複線電化に伴う内陸への駅移転です。
当初、国鉄は輸送力増強と合理化を兼ねて、浦本-直江津間を長大トンネルで直接結ぶことを計画していたそうで、そうなれば能生筒石、名立、有間川谷浜、郷津の各駅は廃止されることになります。
当然のことながら、こんなラジカルな計画を沿線住民が受け入れるはずもなく、名立町を含め各自治体で激しい反対運動を展開。
国鉄当局はこれに折れて、昭和39年に折衷案として海岸沿いの旧線から1km弱内陸の現ルートを提示。
反対派がこの案で妥協したことで、駅廃止は郷津駅のみにとどまり、駅の存続と移転が決定して今日の名立駅となったのです。
しかしこれまでは漁港至近に駅があって利便性が高かったのに、漁港からだと新駅まで1km以上ありますから相当な不便さを感じたことでしょう。
国道8号線は漁港の前を通っておりますので、国道の整備が進めばモータリゼーションが進展しつつあった当時にあっては、手間のかかる鉄道発送よりもトラック発送に切り替えるのは当然の成り行きと言えます。
かくて名立駅の一日平均貨物発着トン数は、オイルショック下の昭和49年にはたった6トン弱にまで減少。
翌年にはとうとう貨物取り扱いが廃止されてしまいました。

一方旅客はと言えば、貨物ほどの劇的な減少はないものの、昭和40年度の一日平均乗車人員700人弱から駅移転後の同45年には500人弱に減少。
その後もジリジリと減少を続け、当駅に停車する唯一の優等列車であった急行「ひめかわ」が廃止された昭和57年には300人台半ば。
上越市統計要覧からの推定では平成19年度のそれは150人弱。翌年には無人化されてしまいました。
特急電車が華やかに頻発運転される地方幹線のもうひとつの裏の顔の小典型と言えるのが、この名立駅の凋落ぶりなのです...。

名立駅駅舎
名立駅駅舎の様子、2005年6月撮影。
この時点ではまだ有人駅でした。
新駅移転時からの建物で、今年(2015年)現在で築46年。
トキ鉄の駅舎は年季が入ったモノが多いのですけれど、当駅を含めて改築をどのように行うかが自治体にとって頭の痛い問題になりそう。
トイレは駅舎の奥(画像右側)にあって水洗。
駅前広場は車5~6台が優に駐車できるスペースが確保されていて、往時はタクシーの常駐もあったのではと想像を逞しくするところ。
駅前の県道にはバス停があって、直江津駅南口と行き来できますが、残念ながら本数は少ないです→ダイヤはこちらへ
なお路線バスで筒石、能生へ行きたい場合は、海岸沿いの国道8号線まで歩く必要があります。

名立駅駅舎内の様子
名立駅駅舎内の様子、2008年5月撮影。
無人化直後の様子です。
有人時代の窓口営業は07:00~18:00で、窓口営業中は自動券売機の稼動を停止していました。
有人時代は駅員氏の物腰がソフトかつ丁寧で、好感が持てましたっけ。
直江津までのきっぷを求めたら、こちらが恐縮してしまうぐらいの接客態度で、某羽越線の現在は無人化された某駅の、客に最初からケンカ腰なオイコラ駅員とはエラい違いですw

名立駅無人化のお知らせの掲示
上の画像撮影時に張ってあった、名立駅無人化のお知らせ。

改札内から見た名立駅駅舎内の様子
こちらは駅舎内を改札側から見た様子、2012年6月撮影。
駅舎内は吹き抜けで、広い空間を確保しておりますけれどベンチの数は少なめ。
今となっては無意味な大きさになってしまっていますな.....

ホームへの地下通路から見た改札口周り
ホームへの地下通路から見た名立駅駅舎の改札口周り、2012年6月撮影。

下りホーム有間川方から見た名立駅構内
下り(直江津方面)ホーム有間川駅方から見た名立駅構内、2005年6月撮影。
名立駅構内は上下両方向ともトンネルで似た風景なので、駅名票が映り込んでいない画像だと方向がわからなくなってしまうのです。

下りホーム有間川方先端から先を見る
下りホーム有間川駅方先端から先を見る、2005年6月撮影。
画像右側に上りホームが映っていますが、筒石方はこれとは反対に下りホームがトンネル直前まであります。

下りホーム中央部から直江津方面を見る
名立駅の下りホーム中央部から直江津方面を見る、2012年6月撮影。

下りホーム筒石方から見た名立駅構内
下りホーム筒石駅方から見た名立駅構内全景、2005年6月撮影。
トンネルに挟まれた立地で長大な旅客ホームと通過線を有している様子は、どことなく山陽新幹線のローカル駅を想起させます。
優等列車が廃止されて今後設定される事もおそらく無く、完全に遊休化した当駅の通過線ですけれど、将来的にはポイントを撤去して使用不可にするのかはたまた上越線の土樽駅のように、ホームを通過線まで張り出して使用するようにするのか?

下りホーム筒石方から見た頸城トンネルと接近する電車
名立駅の下りホーム筒石駅方から全長11,353mの頸城トンネルと、接近する電車を見通す、2012年6月撮影。

上りホーム有間川方から見た名立駅構内
上り(糸魚川方面)ホーム有間川駅方から見た名立駅構内全景、2005年6月撮影。
ホームのこの辺りは遊休化されて久しいのでしょう。
かつてはEF81型電気機関車牽引の長編成旧型客車列車がこのホームに停車していたのです。
「新・ドキュメント列車追跡No5」(鉄道ジャーナル社)を見ると、昭和57年2月時点の米原発長岡行523レは客車10両と荷物車1両でした。
通過線を有する名立駅ですが、当時の時刻表から推測するにこの時点での普通列車の優等退避は無く、せっかくの設備も宝の持ち腐れ気味。
まぁダイヤが乱れた際には活用されたのでしょうけれど。
近年ではJR時代の最末期に、それまで能生駅で新潟行「北越」を退避していた夕方の下り普通列車が当駅で退避するように変更されていました。

それにしても、長大編成の客車列車が幅を利かせていた当時、日中ワンマン単行の気動車が行き来している現在の姿を、当時一体誰が想像できたでしょうか.....

上りホーム直江津方から先を見る
名立駅上りホーム直江津方から先を見る、2010年5月撮影。

上りホーム糸魚川方から見た名立駅構内
上りホーム糸魚川方から見た名立駅構内、2012年6月撮影。

上りホーム糸魚川方から頸城トンネルを見る
名立駅上りホーム糸魚川方から頸城トンネルを見る、2012年6月撮影。

名立駅を通過する特急「はくたか」その一
名立駅を通過する北越急行所属車の越後湯沢行特急「はくたか」、2012年6月撮影。
私は鉄道車両、特にJR化後のソレについては疎いので、恥ずかしながら681系と683系の区別がつきません(大汗)。

名立駅を通過する特急「はくたか」その二
名立駅を通過するJR西日本所属車の金沢行特急「はくたか」、2012年6月撮影。

名立駅を通過する485系電車T編成の特急「北越」
名立駅を通過する485系電車T編成の金沢行特急「北越」、2012年6月撮影。
R編成も撮影したかったのですけれど、この日の二度の撮影機会はいずれもT編成で残念無念。
来年(2016年)3月ダイヤ改正で廃止されるのではと噂の、名無しの快速(新潟-糸魚川間)はR編成でしかも当駅に停車するので、マニアとしてはかなりグラリと来るのですけれど、私の住まいからでは現地で一泊しないと無理。
その為だけに泊まりでここまで来るのもアレですし、これまた残念無念かなぁ。
先日、名立駅が所属する「えちごトキめき鉄道」ひすいラインに初めて乗車する機会があったのですけれど、国鉄仕様の長大なホームに単行の新ピカ気動車が停まる画は触手が全然伸びませんでしたし。
駅とその周辺はくまなく歩き回っているので、列車が行ってしまった後は何もする事なく暇過ぎる時間を持て余すのも確実。

名立駅に停車中の475系上り普通電車
名立駅に停車中の475系上り普通電車、2012年6月撮影。
455・475系電車の引退で、急行型車両も完全に過去帳入り。

名立駅に停車中の413系上り普通電車
名立駅に停車中の上り413系普通電車、2010年5月撮影。
私が駅巡りを本格的に始めて名立駅に降り立った2004年当時は、413系は朝晩の糸魚川止まりで当駅にはまだ顔を出していませんでしたっけ。
引退した419系電車の後任として直江津口でもその姿を見れるようになってたったの五年程で、これまた過去帳入りです。

名立駅に停車中の上り419系普通電車その一"
名立駅に停車中の上り419系普通電車直江津行、2005年6月撮影。

名立停車中の上り419系普通電車その二
雨の名立駅に停車中の下り419系普通電車、2004年4月撮影。
私が名立駅に初めて降り立った時の画です。
特急車時代そのままのシートピッチで快適だった419系でしたが、車内にゴミがやたら多いのには閉口しましたなぁ。
車内にあんなにゴミが散らかっているのは、JR東日本区間では三条・加茂界隈で高校生が乗降した後ぐらいです。

下りホーム上から見た名立川と北陸自動車道
名立駅の下りホームから日本海へ注ぐ名立川と北陸自動車道の高架を見る、2010年5月撮影。
駅から海岸沿いの国道8号線までは1km弱といったところ。

上りホーム上かに見た名立川上流
名立駅上りホームから名立川上流を見る、2010年5月撮影。
こちら側はすっかり山間の風情。

海岸沿いの国道8号の様子
海岸沿いの国道8号の様子、2008年5月撮影。
名立町の中心街はこれといった店もなく、来訪者にとっては「うみてらす名立」を除けば画像左手のセプンイレブンが貴重な存在です。

うみてらす名立に立つ風車
名立地区の一大集客拠点「うみてらす名立」にニョッキリと屹立する風車、2008年5月撮影。
上越市は風力発電用の風車が多いのですけれど、落雷で頻繁に故障するのであまりうまくないという話を聞きます。
欧州でうまくいっている事例を取り上げて安易に「我が国も風力を盛んにしよう!」という論調は、その辺の気象条件もよくよく考えなければいけませんな。

名立崩れの痕跡
国道8号線を直江津方面に進むと、目的地の鳥ヶ首岬灯台が右手に見えてきます、2012年6月撮影。
灯台周辺の切り立った地形はは江戸時代寛延年間に起きた宝暦高田地震によって引き起こされた大規模な崩落「名立崩れ」の痕跡であります。
今から260年程昔の話です。

鳥ヶ首岬灯台の様子
鳥ヶ首岬灯台の様子、2012年6月撮影。

鳥ヶ首灯台直下から見た旧名立町の様子
鳥ヶ首灯台直下から見た旧名立町の様子、2012年6月撮影。
当地域が日本海と山地に挟まれた極めて狭隘な地勢なのが実感できます。

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コメント

こんばんは。
記事楽しませて頂きました。
昭和40年台は、各地の鉄道が近代化され、蒸気機関車が駆逐され、線路設備も大規模な改良が続けられた時代でした。一方で貨物・荷物輸送はトラックに奪われて、せっかくの近代化された設備があっという間に無用の長物になってしまいました。
北陸本線を旅していて感じるのは、この時代のエネルギー、こちらの名立駅も、通過線まで持つ大規模な構造になっており、今の時代では考えられないことです。
北陸新幹線の開業後には、私はまだここを訪ねていませんが、単行列車が走る様子を見たくないような気もしています。
北陸本線の近代化が進んだ時代の国鉄のパワーのようなものが失われた姿を見たくない、正直な気持ちです。
いつか旅することもあると思いますが、どんな気持ちになるのか、自分でも分からないでいます。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/?pc

投稿: 風旅記 | 2015年12月26日 (土) 23時05分

風旅記さん、はじめまして。
この名立駅を含む区間は、輸送近代化の為に多額の投資でこんな立派な諸施設を作り上げたというのに、それから半世紀も経たずに旅客需要はワンマン単行気動車で何の問題もない区間に成り果ててしまって、もののあわれ、諸行無常を痛切に感じてしまいます。
私は10月の糸魚川の新幹線駅取材の帰路に直江津まで単行気動車に初乗車しましたが、長大編成対応のホームに一両きりでちょこんと停車する様子はやはり寂しいものでした。

投稿: みさっち | 2016年1月 2日 (土) 15時56分

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