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2015年10月の記事

2015年10月31日 (土)

名立駅(北陸本線)

本日の駅紹介は北陸本線・名立駅。

名立駅の駅名標


新潟県上越市に所在する無人駅で、現在はえちごトキめき鉄道・日本海ひすいラインの所属です。
開業は明治44年(1911年)7月1日で、当時の所在は西頸城郡名立町でした。
名立町はその後2005年に上越市に編入されて、上越市名立区となって現在に至ります。
開業当時は北陸本線が全通に至っておらず、名立駅は暫定的に直江津方からの終着駅になり、翌大正元年に本来の中間駅の姿に落ち着きました。

名立駅は名立町の玄関としての旅客機能に加えて、名立漁港から長野・富山方面への鮮魚の発送拠点として大きな役割を果たしていました。
名立町史によると、昭和40年度の当駅一日平均貨物発着トン数は約44トン。
発着といっても出荷超過で、その大半は鮮魚です。
それが僅か五年後の昭和45年度には、貨物は実に75%減の約11トンに激減。
漁獲量の減少もあったのかもしれませんが、これに大いに関係していると思われるのが、昭和44年10月1日に北陸本線複線電化に伴う内陸への駅移転です。
当初、国鉄は輸送力増強と合理化を兼ねて、浦本-直江津間を長大トンネルで直接結ぶことを計画していたそうで、そうなれば能生筒石、名立、有間川谷浜、郷津の各駅は廃止されることになります。
当然のことながら、こんなラジカルな計画を沿線住民が受け入れるはずもなく、名立町を含め各自治体で激しい反対運動を展開。
国鉄当局はこれに折れて、昭和39年に折衷案として海岸沿いの旧線から1km弱内陸の現ルートを提示。
反対派がこの案で妥協したことで、駅廃止は郷津駅のみにとどまり、駅の存続と移転が決定して今日の名立駅となったのです。
しかしこれまでは漁港至近に駅があって利便性が高かったのに、漁港からだと新駅まで1km以上ありますから相当な不便さを感じたことでしょう。
国道8号線は漁港の前を通っておりますので、国道の整備が進めばモータリゼーションが進展しつつあった当時にあっては、手間のかかる鉄道発送よりもトラック発送に切り替えるのは当然の成り行きと言えます。
かくて名立駅の一日平均貨物発着トン数は、オイルショック下の昭和49年にはたった6トン弱にまで減少。
翌年にはとうとう貨物取り扱いが廃止されてしまいました。

一方旅客はと言えば、貨物ほどの劇的な減少はないものの、昭和40年度の一日平均乗車人員700人弱から駅移転後の同45年には500人弱に減少。
その後もジリジリと減少を続け、当駅に停車する唯一の優等列車であった急行「ひめかわ」が廃止された昭和57年には300人台半ば。
上越市統計要覧からの推定では平成19年度のそれは150人弱。翌年には無人化されてしまいました。
特急電車が華やかに頻発運転される地方幹線のもうひとつの裏の顔の小典型と言えるのが、この名立駅の凋落ぶりなのです...。

名立駅駅舎
名立駅駅舎の様子、2005年6月撮影。
この時点ではまだ有人駅でした。
新駅移転時からの建物で、今年(2015年)現在で築46年。
トキ鉄の駅舎は年季が入ったモノが多いのですけれど、当駅を含めて改築をどのように行うかが自治体にとって頭の痛い問題になりそう。
トイレは駅舎の奥(画像右側)にあって水洗。
駅前広場は車5~6台が優に駐車できるスペースが確保されていて、往時はタクシーの常駐もあったのではと想像を逞しくするところ。
駅前の県道にはバス停があって、直江津駅南口と行き来できますが、残念ながら本数は少ないです→ダイヤはこちらへ
なお路線バスで筒石、能生へ行きたい場合は、海岸沿いの国道8号線まで歩く必要があります。

名立駅駅舎内の様子
名立駅駅舎内の様子、2008年5月撮影。
無人化直後の様子です。
有人時代の窓口営業は07:00~18:00で、窓口営業中は自動券売機の稼動を停止していました。
有人時代は駅員氏の物腰がソフトかつ丁寧で、好感が持てましたっけ。
直江津までのきっぷを求めたら、こちらが恐縮してしまうぐらいの接客態度で、某羽越線の現在は無人化された某駅の、客に最初からケンカ腰なオイコラ駅員とはエラい違いですw

名立駅無人化のお知らせの掲示
上の画像撮影時に張ってあった、名立駅無人化のお知らせ。

改札内から見た名立駅駅舎内の様子
こちらは駅舎内を改札側から見た様子、2012年6月撮影。
駅舎内は吹き抜けで、広い空間を確保しておりますけれどベンチの数は少なめ。
今となっては無意味な大きさになってしまっていますな.....

ホームへの地下通路から見た改札口周り
ホームへの地下通路から見た名立駅駅舎の改札口周り、2012年6月撮影。

下りホーム有間川方から見た名立駅構内
下り(直江津方面)ホーム有間川駅方から見た名立駅構内、2005年6月撮影。
名立駅構内は上下両方向ともトンネルで似た風景なので、駅名票が映り込んでいない画像だと方向がわからなくなってしまうのです。

下りホーム有間川方先端から先を見る
下りホーム有間川駅方先端から先を見る、2005年6月撮影。
画像右側に上りホームが映っていますが、筒石方はこれとは反対に下りホームがトンネル直前まであります。

下りホーム中央部から直江津方面を見る
名立駅の下りホーム中央部から直江津方面を見る、2012年6月撮影。

下りホーム筒石方から見た名立駅構内
下りホーム筒石駅方から見た名立駅構内全景、2005年6月撮影。
トンネルに挟まれた立地で長大な旅客ホームと通過線を有している様子は、どことなく山陽新幹線のローカル駅を想起させます。
優等列車が廃止されて今後設定される事もおそらく無く、完全に遊休化した当駅の通過線ですけれど、将来的にはポイントを撤去して使用不可にするのかはたまた上越線の土樽駅のように、ホームを通過線まで張り出して使用するようにするのか?

下りホーム筒石方から見た頸城トンネルと接近する電車
名立駅の下りホーム筒石駅方から全長11,353mの頸城トンネルと、接近する電車を見通す、2012年6月撮影。

上りホーム有間川方から見た名立駅構内
上り(糸魚川方面)ホーム有間川駅方から見た名立駅構内全景、2005年6月撮影。
ホームのこの辺りは遊休化されて久しいのでしょう。
かつてはEF81型電気機関車牽引の長編成旧型客車列車がこのホームに停車していたのです。
「新・ドキュメント列車追跡No5」(鉄道ジャーナル社)を見ると、昭和57年2月時点の米原発長岡行523レは客車10両と荷物車1両でした。
通過線を有する名立駅ですが、当時の時刻表から推測するにこの時点での普通列車の優等退避は無く、せっかくの設備も宝の持ち腐れ気味。
まぁダイヤが乱れた際には活用されたのでしょうけれど。
近年ではJR時代の最末期に、それまで能生駅で新潟行「北越」を退避していた夕方の下り普通列車が当駅で退避するように変更されていました。

それにしても、長大編成の客車列車が幅を利かせていた当時、日中ワンマン単行の気動車が行き来している現在の姿を、当時一体誰が想像できたでしょうか.....

上りホーム直江津方から先を見る
名立駅上りホーム直江津方から先を見る、2010年5月撮影。

上りホーム糸魚川方から見た名立駅構内
上りホーム糸魚川方から見た名立駅構内、2012年6月撮影。

上りホーム糸魚川方から頸城トンネルを見る
名立駅上りホーム糸魚川方から頸城トンネルを見る、2012年6月撮影。

名立駅を通過する特急「はくたか」その一
名立駅を通過する北越急行所属車の越後湯沢行特急「はくたか」、2012年6月撮影。
私は鉄道車両、特にJR化後のソレについては疎いので、恥ずかしながら681系と683系の区別がつきません(大汗)。

名立駅を通過する特急「はくたか」その二
名立駅を通過するJR西日本所属車の金沢行特急「はくたか」、2012年6月撮影。

名立駅を通過する485系電車T編成の特急「北越」
名立駅を通過する485系電車T編成の金沢行特急「北越」、2012年6月撮影。
R編成も撮影したかったのですけれど、この日の二度の撮影機会はいずれもT編成で残念無念。
来年(2016年)3月ダイヤ改正で廃止されるのではと噂の、名無しの快速(新潟-糸魚川間)はR編成でしかも当駅に停車するので、マニアとしてはかなりグラリと来るのですけれど、私の住まいからでは現地で一泊しないと無理。
その為だけに泊まりでここまで来るのもアレですし、これまた残念無念かなぁ。
先日、名立駅が所属する「えちごトキめき鉄道」ひすいラインに初めて乗車する機会があったのですけれど、国鉄仕様の長大なホームに単行の新ピカ気動車が停まる画は触手が全然伸びませんでしたし。
駅とその周辺はくまなく歩き回っているので、列車が行ってしまった後は何もする事なく暇過ぎる時間を持て余すのも確実。

名立駅に停車中の475系上り普通電車
名立駅に停車中の475系上り普通電車、2012年6月撮影。
455・475系電車の引退で、急行型車両も完全に過去帳入り。

名立駅に停車中の413系上り普通電車
名立駅に停車中の上り413系普通電車、2010年5月撮影。
私が駅巡りを本格的に始めて名立駅に降り立った2004年当時は、413系は朝晩の糸魚川止まりで当駅にはまだ顔を出していませんでしたっけ。
引退した419系電車の後任として直江津口でもその姿を見れるようになってたったの五年程で、これまた過去帳入りです。

名立駅に停車中の上り419系普通電車その一"
名立駅に停車中の上り419系普通電車直江津行、2005年6月撮影。

名立停車中の上り419系普通電車その二
雨の名立駅に停車中の下り419系普通電車、2004年4月撮影。
私が名立駅に初めて降り立った時の画です。
特急車時代そのままのシートピッチで快適だった419系でしたが、車内にゴミがやたら多いのには閉口しましたなぁ。
車内にあんなにゴミが散らかっているのは、JR東日本区間では三条・加茂界隈で高校生が乗降した後ぐらいです。

下りホーム上から見た名立川と北陸自動車道
名立駅の下りホームから日本海へ注ぐ名立川と北陸自動車道の高架を見る、2010年5月撮影。
駅から海岸沿いの国道8号線までは1km弱といったところ。

上りホーム上かに見た名立川上流
名立駅上りホームから名立川上流を見る、2010年5月撮影。
こちら側はすっかり山間の風情。

海岸沿いの国道8号の様子
海岸沿いの国道8号の様子、2008年5月撮影。
名立町の中心街はこれといった店もなく、来訪者にとっては「うみてらす名立」を除けば画像左手のセプンイレブンが貴重な存在です。

うみてらす名立に立つ風車
名立地区の一大集客拠点「うみてらす名立」にニョッキリと屹立する風車、2008年5月撮影。
上越市は風力発電用の風車が多いのですけれど、落雷で頻繁に故障するのであまりうまくないという話を聞きます。
欧州でうまくいっている事例を取り上げて安易に「我が国も風力を盛んにしよう!」という論調は、その辺の気象条件もよくよく考えなければいけませんな。

名立崩れの痕跡
国道8号線を直江津方面に進むと、目的地の鳥ヶ首岬灯台が右手に見えてきます、2012年6月撮影。
灯台周辺の切り立った地形はは江戸時代寛延年間に起きた宝暦高田地震によって引き起こされた大規模な崩落「名立崩れ」の痕跡であります。
今から260年程昔の話です。

鳥ヶ首岬灯台の様子
鳥ヶ首岬灯台の様子、2012年6月撮影。

鳥ヶ首灯台直下から見た旧名立町の様子
鳥ヶ首灯台直下から見た旧名立町の様子、2012年6月撮影。
当地域が日本海と山地に挟まれた極めて狭隘な地勢なのが実感できます。

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2015年10月25日 (日)

上越妙高駅(北陸新幹線・えちこトキめき鉄道)

本日の駅紹介は、北陸新幹線及びえちごトキめき鉄道・上越妙高駅。

上越妙高駅の駅名標

北陸新幹線の駅としては2015年3月14日に開業、在来線駅としては2014年10月19日に旧脇野田駅から移転して、北陸新幹線開業と同時にえちごトキめき鉄道に移管されて、同社妙高はねうまラインの「上越妙高」駅と改称して今日に至ります。

上越妙高駅東側駅舎の様子
上越妙高駅東側駅舎の様子、2015年10月撮影。
なお以後の画像の撮影日は全て同日であります。
あのクラシカルで郷愁を誘った脇野田駅舎に比べて、何と豪勢な造りでしょうか。
事実上の新駅ではありますが、日本広しといえど旧駅からここまでヴァージョンアップした駅もそうは無いのでは?

上越妙高駅前通りの様子
上越妙高駅前通りの様子。
旧駅時代同様、こちら側がメインストリートと呼べます。

上越妙高駅前の県道の様子
線路と平行する県道の様子。
旧駅時代からあった昔ながらのくすり屋さんが健在でした。
他は変わりすぎて浦島太郎の気分。
去年の訪問から一年と四ヶ月しか経ってないのに。

上杉謙信公の像
東口の外れのイベント広場に置かれていた、上杉謙信公の像。
うっかりしてると見落としてしまいそうな場所にあります。
謙信公といえば、ここ上越の地が生んだ最高最強の偉人。
もっと目立つ場所に置けばいいのにと、部外者の一見さんは感じるところであります。

上越妙高駅西口の様子
上越妙高駅西口の様子。
駅名は東西とも「JR」表示でした。
旧来の駅前であった東口と異なり、こちらは駅建設までは一面の田圃だったところです。
こちら側にもタクシー待機はあるものの、メインはバスも乗り入れる東口で、西口は新幹線駅とは思えないほど閑散としておりま
した。
なおバスのダイヤはこちらへ
トキ鉄よりも便数はかなり少ないものの、高田公園へ行くにはバスの方が便利です。

上越妙高駅西口全景
上越妙高駅西口全景。
未だ各種工事をやっていて雑然とした東口界隈よりも、まだ未開発でスッキリしたこちら側からの方が、新駅の威容を把握できます。

上越妙高駅西口駅前通り
上越妙高駅西口駅前通り。
ご覧のようにまだまだこれから。

踏切から見たえちごトキめき鉄道上越妙高駅構内
駅の東西を渡る踏切から見たえちごトキめき鉄道上越妙高駅構内。
当駅止まりのE653系特急「しらゆき」とET127系が揃い踏み。
「しらゆき」はかつての「北越」から二両減車の四両になったので、かなり混むのではないかと思い念のため指定席で来ましたが、乗車率は50%ほどで快適な車内でした。
糸魚川を挟みつつ、直江津-妙高高原間を行き来したこの日は210円を払って自由席にも乗りましたけれど、余裕で窓側に座れたのでちょっと拍子抜け。
繁忙期で無い限り乗り具合はこんなものなのかな?
新潟-上越地区間には2015年3月ダイヤ改正まで、「北越」自由席往復プラス新潟-長岡間は上越新幹線自由席利用も可という「えちご往復きっぷ」が発売されておりましたけれど、ダイヤ改正後は新幹線利用不可で値段四割増しの「しらゆきWきっぷ」に、あえて言うと改悪。
「くびき野」も廃止されてしまったので、新幹線に関係ない層は本数が少なく運行時間帯が偏っている「しらゆき」よりも、毎時一本運行の高速バスの利用なんですかね?

旧脇野田駅付近の旧線跡?
踏切を渡って少し歩いたこの辺りが、脇野田駅移転に伴い撤去された、高田方面に伸びる信越本線の旧線跡ではないかと思うのですが?
近くには商業施設建設予定地の看板が立っておりましたけれど、確か上越市の方針で当駅周辺には大規模な商業施設は出店させないはずではなかったかと。
上越妙高駅周辺が、上越新幹線の燕三条駅界隈のような商業集積地になってしまったら、直江津や高田は完全に沈んでしまいますものね。
ひょっとして方針が変わったのでしょうか?

上越妙高駅の東西自由通路
駅周辺を一回りして、再び駅に戻ってきて自由通路へ。
新幹線が発着しない時間帯はこんな感じですが、ひとたび列車の出入りがあれば相応の人の行き来があります。

「光のテラス」から見た周囲の風景
西口にある「光のテラス」から見た周囲の風景。
ウィキペディアには冬に撮影した画がありますけれど、冬の方が画になりますなやはり。

えちごトキめき鉄道・上越妙高駅改札口
自由通路から見た、えちごトキめき鉄道・上越妙高駅改札口。
閑散としていた旧駅と異なり、特に新幹線到着前後は賑わっておりました。

改札内から見た様子
改札内から見た様子。

ホームへの階段と待合室
ホームへの階段と待合室。

新井方から見た上越妙高駅構内の様子
新井方から見た上越妙高駅構内の様子。
島式ホームでこれといった特徴は無し。

ホーム新井方先端から先を見る
同じ位置から新井方を見る。

ホーム直江津方から見た上越妙高駅構内
ホーム直江津方から見た上越妙高駅構内。
駅舎直下なのでこちら側からの見通しはすこぶる悪し。

ホーム直江津方先端から先を見る
同じ位置から直江津方を見る。
一番線の一線スルーがよくわかります。

夕刻のホーム中央部
夕刻のホーム中央部。

上越妙高駅から出発する特急「しらゆき」
上越妙高駅一番線から出発する、JR東日本から乗り入れの新井行E653系特急「しらゆき」と、二番線で客待ち顔の臨時快速「越乃Shu*Kura」。

上越妙高駅で待機中の快速「越乃Shu*Kura」
北陸新幹線からの乗り継ぎ客はあまりおらず、首都圏や北陸での知名度はイマイチなのかもしれない「越乃Shu*Kura」でした。

上越妙高駅に入線した特急「しらゆき」
直江津方から入線した、上越妙高駅始発の特急「しらゆき」。
当駅終着の「しらゆき」は、到着後折り返すまでホームに据えつけておくのか?でもダイヤを見るとその間に普通列車の交換もあるし...と疑問に思っていたわけですが、何のことはない清掃要員が乗り込んだ後、直江津方面に回送されておりました。

上越妙高駅に到着したET127系電車
上越妙高駅に到着したえちごトキめき鉄道・はねうまラインの直江津行ET127系電車普通列車。
新幹線からの乗り継ぎ客で相応の混み具合です。
ラインカラーが青なのに少々驚き。
トキ鉄のET127系って、トキ鉄カラーとJR時代の緑ラインの二種類じゃなかったっけか?

上越妙高駅で交換する上下のET127系電車
JRカラーのえちごトキめき鉄道所属ET127系電車二連同士の交換。
当駅の乗り場については、新井方面は全便一番からになります。
直江津方面も基本的に一番ですが、列車交換時は二番になります。

上越妙高駅で交換する特急「しらゆき」と115系電車
上越妙高駅に停車中の115系電車快速
上越妙高駅二番線で出発を待つ新潟行特急「しらゆき」と、JRから乗り入れてくる新潟発新井行の115系快速。
この快速は2015年3月まで走っていた485系快速「くびき野」の後身ですけれど、快適だった「くびき野」とは何もかもが違いすぎます...
JR東日本の115系運用もいよいよ終末段階に入ろうかというこの時期になって、150kmを越える長距離快速運用で一部のコアな方々を喜ばせたこの快速、二番線の「しらゆき」のすぐ後に新井折り返しで新潟行が来ますけれど、私はとてもソレに乗って新潟まで帰る根性はありませぬ。

上越妙高駅の自由通路から見た新幹線改札口の様子
ここからは北陸新幹線の上越妙高駅としてのご紹介。
自由通路から見た新幹線改札口の様子。
画像左側には「NEW DAYS」があります。
旧駅時代はコンビニ空白地帯だったこの地にも、ようやくコンビニが進出したのです。

改札内から見た改札口の様子
改札内から見た改札口の様子。
こういう事を書くと、シャベツニダ謝罪汁とか粘着されそうですけど、このハングル表記はどーにかならんのかと。
何故そこまで彼らに阿る必要があるのかと、ホントに違和感バリバリ。
ハングルよりもフランス語やスペイン語の方が余程良いんじゃないの?

改札側からホームへの入り口を見る
改札側からホームへの入り口を見る。

北陸新幹線・上越妙高駅構内の様子その一
北陸新幹線・上越妙高駅構内の様子その二
北陸新幹線・上越妙高駅の二面四線のホームの様子。
新幹線の駅は規格化されていて面白味に欠けますが、ホームドアがあるとますますその感強し。
特に新幹線は安全対策上ホームドアの設置は必要不可欠だと思うものの、駅マニアとしてはうーむと思ってしまいますなぁ。

上越妙高駅に到着したE7系・W7系新幹線電車
面白味の無い駅構内に比べて、やはりE7系・W7系はカッコいいの一言!
上越妙高駅から隣の糸魚川駅まで一駅乗車してみましたが、「しらゆき」同様予想よりもずっと空いていていささか拍子抜けでした。
乗車したのは「しらゆき」から接続していない便だからなのか、それなりの乗車がある東京行と違って金沢行は当駅からの乗車数名。

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2015年10月20日 (火)

黒山駅(白新線)

本日の駅紹介は、白新線・黒山駅。

2017年3月12日記、旧駅舎時代の記事と統合して加筆修正しました。

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新潟市北区(旧豊栄市)の東端に所在する無人駅で、ここから1kmほど東に進むと隣の新発田市市域に入ります。
大合併後の新潟市の西端に位置する越後線・岩室駅と当駅の距離は実に48km。
日本海側初の政令指定都市になる為の合併がいかに広範囲に渡るものであったことか。
果たしてそれが良かったのかどうか。

黒山駅の開業は1957年(昭和32年)2月11日で、昭和27年12月に白新線・新発田-葛塚(現・豊栄)間が開通した際には駅設置は見送られています。
黒山駅周辺は後述するように半農半住の大変静かな地域、現在でもそうなのですから白新線開通時はさぞや・・・と思われます。
新発田-葛塚間の部分開業では、その需要は地域のローカル輸送のみで列車の運行本数も少なく、駅としての旅客需要も見込まれず、信号場としての列車交換設備もそれが必要とされるほどの列車本数がなく、隣の佐々木駅にその機能があれば充分なレベルに過ぎなかったのでしょう。
黒山駅開業の前年4月には葛塚-沼垂間が延長して、(沼垂-旧・新潟駅間は信越線に乗り入れ、なお沼垂駅は昭和33年4月に現・新潟駅開業により旅客輸送を廃止。
日本海縦貫線の一翼を担う路線に生まれ変わった事で列車本数も増え、(とはいえ、当時は信越線・新津駅から水原経由で秋田方面に抜けるのがメインルート。昭和36年にデビューした日本海縦貫特急「白鳥」も当初は新潟駅に立ち寄らなかったほどです)列車交換設備の増強に迫られたゆえの当駅開業であったのかなぁと推察する次第です。

少々古い資料で恐縮ですが、新潟市統計年鑑によると、黒山駅の2008年度年間乗車人員は75,000人。
日割りで単純計算すると一日当たり約205人になります。
無人駅のデータは実態と相違する場合ありという但し書き付きではありますけれど、2016年現在で黒山駅の2008年度と同じレベルあるいはそれ以下の新潟県内有人駅は越後川口、寺泊、潟町、津川、石打、津南、越後下関、府屋の8駅を数えます。
それを考えれば、流石は政令指定都市・新潟市中心部の至近にある駅、待合室は後述のローカル然としたものであってもなかなかどうして侮れないのだなぁと、認識を新たにするわけであります。

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かつての黒山駅駅舎(待合室)の様子、上は2007年3月、下は2013年3月撮影。
待合室機能のみの簡素な建物です。
建築財産票が見当たらなかった為に、竣工日が不明のままだったのが残念でした。
2007年3月時点では、駅名板も国鉄時代のようなひらがな表記でローカル色が濃いものでしたけれど、6年後にはJR東日本正規のものへ取り替えられていました。
建物の外観は全く変化が無いのですけれど、駅名板が変わっただけで印象が随分変わります。
ああ、やっとこの子もパパに認知してもらえたのねという感じですかね。

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黒山駅から徒歩数分で行き着く、白新線と並走する県道、2013年4月撮影。
駅周辺の沿道は静かな住宅地です。
黒山地区に路線バスは運行されておらず、公共交通機関は白新線のみです。
北側にしばらく歩くと新潟交通運行の路線バス新潟新発田線が運行されている県道に出ますが、直線距離で1.5km近くあります。

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かつての黒山駅待合室内の様子、2007年3月撮影。
壁に作りつけのベンチがあるきりでひどく狭い室内です。
そこにまず自動券売機を置いたので、ただでさえ少ないベンチの着席人数が実質一人分減ってしまっています。
こんなところにsuicaの簡易改札機を置くのは、本来はかなりいただけない話だと思うのですよ。
しかしまぁ、この待合室で列車を待つ人もあまりいないのでしょうし、これはこれで仕方無い事と申せましょうか。

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1番ホーム側からみた、かつての黒山駅待合室の様子、2013年3月撮影。
せめて待合室と跨線橋の間だけでも、上屋があればいいのにと思うところでした。
なお当駅にはトイレは無く、待合室から向かって右側の公衆トイレを使用します。
休憩所と駐輪場を併設しています。

正面から見た黒山駅の新駅舎
黒山駅の新駅舎の様子、2015年10月撮影。
私は白新線には2014年夏からご無沙汰だったので、当駅駅舎改築の話は聞いていたものの、どんな状況になっているのかは把握しておりませんでした。
それが10月17日、朝の白新線普通列車に乗車していたら、新駅舎が既に完成しているのを見て驚愕。
帰りに早速降り立って、出来立てホヤホヤの黒山駅新駅舎を見てきました。
撮影当日の17日初電より使用開始との事でした。
この時点では駅前はまだ工事中でしたが、駅舎本体は完工しています。
個人的にはデザインも奇をてらわず、実用性とデザイン性を程よく合わせた建物で好感を持てました。
画像左手の公衆トイレは健在です。
黒山駅新駅舎にもやはりトイレは設置されておりませんので、用足しは引き続きそちらでどうぞ。

斜めから見た黒山駅の新駅舎
正面からでは収まりきれないので、斜めから黒山駅新駅舎全景を一枚、2015年10月撮影。
旧駅舎に比べると、建物は巨大化しているのですが、これには理由があります。

車椅子用のスロープ
その理由がこれ、車椅子用のスロープがあるのです。2015年10月撮影。
こんな田舎の駅でも、世はすべからくバリアフリーなのですな。

黒山駅新駅舎内の様子その一
黒山駅新駅舎内の様子その二
黒山駅新駅舎内部の様子、2015年10月撮影。
ベンチは窓に沿って配置され、着席人数も以前の倍というところ。
採光も上々で、居心地は旧待合室に比べても断然上です。
自動券売機とSuicaの改札機も新型化されていました。
その配置も旧待合室時代と違って無理のない形です。

ホーム側から見た黒山駅新駅舎の様子
ホーム側から見た黒山駅新駅舎の様子、2015年10月撮影。
前述したように私は白新線ご無沙汰だったので断言できないのですが、左側に見える建物が新駅舎完成まで使われていた仮待合室だったのでしょうか?

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1番線の佐々木駅方から見た黒山駅構内、2013年3月撮影。
駅舎改築後も駅構内に変化はありません。
戦後生まれの比較的新しい当駅ですが、2面2線のホーム配置は顕著な千鳥型です。

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1番線の豊栄駅方から見た黒山駅構内、2013年3月撮影。
列車交換以外はこの1番線に列車が発着します。

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1番線端から豊栄駅方を見通す、2013年3月撮影。

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黒山駅跨線橋内部の様子、2013年3月撮影。
国鉄時代の小駅の標準型です。
窓が高所では無いのが俯瞰フェチにとっては良い事なのです。

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跨線橋上から黒山駅構内の豊栄方を見る、2013年3月撮影。

跨線橋上から見た様子
駅舎改築後の黒山駅構内新発田方を跨線橋上から見る、2015年10月撮影。
画像右下が新駅舎です。
駅舎は変わっても周辺は相変わらず宅地と農地の混在した長閑な風景。
画像左側の線路は当駅から分岐して新潟東港方面に延びる貨物線用の黒山駅分岐新潟東港専用線です。

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黒山駅2番ホームの跨線橋出入り口の様子、2013年3月撮影。
当駅ホームの幅がいかに狭いかを認識できる象徴的な画と申せましょう。

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跨線橋出入り口から2番ホームを豊栄駅方に見通す、2013年3月撮影。
ホーム上には待合室も上屋もベンチさえも無いので、視線の目標がホーム先端に向かっていきます。
それゆえにホームの長大さは実際以上に見えるのです。

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2番ホームの豊栄駅方から見た黒山駅構内全景、2013年3月撮影。
単線上にある黒山駅では、列車交換がしばしば行われます。
2015年10月時点でこの2番線に発着する普通列車は、上り新潟方面が29本中5本、下り新発田方面が28本中6本でした。

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豊栄方の陸橋上から俯瞰で見た黒山駅構内全景、2013年4月撮影。

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同じく陸橋上から豊栄方を見る、2013年4月撮影。
貨物線の側線は随分先まで伸びているのです。

黒山駅で交換するE129系電車と115系電車
黒山駅で離合する、新潟のこれからの主役・E129系電車と去り行く115系電車、2015年10月撮影。
115系電車がごく近い将来にいなくなるなど、未だに信じられないのです。

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朝の黒山駅で列車交換する115系電車の村上行と新潟行、2007年3月撮影。

黒山駅に停車中の湘南色115系電車
黒山駅1番線に停車中の湘南色115系電車、2013年3月撮影。

黒山駅を出発する115系電車
黒山駅を出発する115系電車新潟行、2013年4月撮影。

黒山駅に停車中のE127系電車
黒山駅に顔を見せることは少ないまま、大半がえちごトキめき鉄道に移籍したE127系電車、2013年4月撮影。
今まで当たり前に乗っていた電車で撮影意欲もあまり湧かなかった存在ですけれど、いざいなくなると寂しいですな。

黒山駅を通過する485系電車T編成の特急「いなほ」
黒山駅1番線を通過する485系電車T編成の特急「いなほ」酒田行、2013年9月撮影。
これも既に思い出の彼方。

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黒山駅1番線を通過するEF510形電気機関車牽引の貨物列車、2013年3月撮影。

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黒山駅1番線を通過するD51形蒸気機関車牽引の「SL村上ひな街道号」、2007年3月撮影。
客車は青のオリジナルな12系客車。
「ばんえつ物語号」用の客車には全然魅力を感じないのですけれど、原型の12系客車は萌え!の一言。
子供の頃は急行「きたぐに」でよくお世話になりました。
気動車の「羽越」とスピードは変わらず揺れず冷房完備で車内も煤けておらず綺麗。
最後に乗ってからもう30年以上経つなぁ。
その後乗った夜行の客車急行座席車は、「八甲田」も「津軽」も14系客車化された後だったもんなぁ。

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黒山駅2番線で列車交換の為に運転停車した「なつかしの急行羽越号」、2004年7月撮影。
この時期、新潟県内で度々運転された「なつかしのキハ58系気動車急行」シリーズであります。
往年の「羽越」は最短でも3両編成だったので、実際によく乗って現役時代を覚えている世代にとっては、2連の姿は少々寂しいものでした。
「羽越」は新潟駅発が朝と夕方という時間帯ゆえか、新潟駅を昼過ぎに出る「しらゆき」と比べていつも空いていて、夏休み中でも余裕で座れたものでした。

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黒山駅から新潟東港方面に延びる黒山駅分岐新潟東港専用線、2013年4月撮影。
線路にはご覧のように棒で締め切り扱い。
列車運行時以外はこうしておくんですかね。

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2015年10月19日 (月)

南高田駅(えちごトキめき鉄道)

本日の駅紹介は、信越本線・南高田駅。

JR時代の南高田駅駅名標
Minamitakada1010916

新潟県上越市に所在する無人駅で、現在はえちごトキめき鉄道・妙高はねうまラインの所属です。
開業は昭和36年(1961年)12月10日で、えちごトキめき鉄道の駅としては、上越妙高駅を脇野田駅の改称として捉えれば、最も新しい駅になります。
開業当時の所在は高田市で、高田市は昭和46年4月に直江津市と合併して県内第三の都市・上越市となって今日に至ります。

南高田駅に関しては北新井駅同様に、駅設置の経緯についての資料が皆無でしたので推測の域を出ませんが、北新井駅同様に区間運転の気動車列車用としてではないかと思います。
当駅は高田駅との距離は僅か2km、脇野田駅へは1.7km。
客車列車を牽引する蒸機の加減速性能では、当駅に停車していては運転時分が伸びてしまって、かつ単線区間とあっては優等列車のダイヤにも影響を及ぼしかねませんしね。
高田-新井間の平坦直線区間に気動車が走るのであれば、その点も相当に緩和されるでしょう。

上越市統計要覧によると、平成19年度の南高田駅年間乗車人員は26万9900人。
単純計算すると一日平均約740人です。
上越市内所在19駅中、直江津、高田両駅に次ぐ第三位で上越市の官庁最寄りの春日山駅や、旧柿崎町の玄関口で特急停車駅の柿崎駅よりも多いのです。
無人駅の場合は発券データが正確に計上されない為に実態と相違する場合アリとの但し書き付きですけれど、あの駅の佇まいを見るに信じられない利用状況なのです。
この利用の多さは、至近にある高田商業高校の学生利用が効いているのは明らかで、土曜の午後に学生たちがホームにずらりと座り込んでいるのを見た時は驚きましたw。
あんな(行儀の悪い)列車待ちはそうそうお目にかかれるものではありません。
いわゆるDQ・・・もといヤンチャ系の学生が多いと壷の某スレでその名を轟かす加茂駅や中条駅でもあそこまで酷くないですな。

南高田駅駅舎の様子その二

南高田駅駅舎の様子その一

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南高田駅駅舎の様子、上は2013年5月、上は2004年9月、中は2013年5月、下は2016年9月撮影。
駅名板の昔の型からJR東日本定番型、そして現在のえちごトキめき鉄道型に移り変わっている以外は変わっていません。
開業以来の実用本位な建物です。
駅前の駐輪スペースには自転車が鈴なりで、当駅の利用状況を物語っています。

南高田駅駅舎内の様子
JR時代の南高田駅駅舎内の様子、2012年6月撮影。
画像奥には窓口跡らしきものがあるので、有人だった時期があったのではないかと推測するところです。
えちごトキめき鉄道移管後も、自動券売機が変わった以外は変化ありません。

駅舎ホーム側の様子
南高田駅駅舎ホーム側の様子、2004年9月撮影。
建物右端には男女兼用のトイレがあります。
内部は未確認なのですが、この時は故障に付き使用不可でした。

ホーム直江津方から見た南高田駅全景
棒ホームの高田駅方から見た南高田駅全景、2013年5月撮影。
えちごトキめき鉄道移管後も駅名標が変わった以外は変わっていません。
駅舎は道路に近い直江津方に偏った位置にあります。

ホーム直江津方先端から先を見る
同じ位置から高田駅方を望む、2013年5月撮影。
JRというよりは私鉄のような雰囲気です。

ホーム新井方から見た南高田駅全景
ホームの上越妙高駅方から見た南高田駅全景、2013年5月撮影。
ホームの有効長は6両です。
2006年11月時点ではホーム上に駅名標が設置されていましたが、2010年5月に再訪した時には撤去されていて、えちごトキめき鉄道移管後もそのままです。

ホーム新井方先端から先を見る
同じ位置から上越妙高駅方を望む、2013年6月撮影。
駅の両側は宅地です。

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南高田駅に停車中のET127系電車直江津行、2016年9月撮影。
直江津-妙高高原間において、JR時代の115系電車や189系電車に変わる鉄路の新たな主役です。

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南高田駅を出発して、上越妙高駅に向けて加速するET127系電車妙高高原行、2016年9月撮影。

南高田駅を出発する485系電車T編成の快速「くびき野」
南高田駅を出発する485系電車T編成の新潟行快速「くびき野」、2012年6月撮影。
「くびき野」や「妙高」は当駅のホーム有効長一杯に停車するので、撮影のチャンスは停車直前もしくは発車直後。
しかし485系にしろ189系にしろ、快速や普通列車としてこの小駅に停車するなど、国鉄時代は考えられない話ですな。

南高田駅を発車する189系電車「妙高」
南高田駅を発車する189系電車長野行「妙高」、2013年5月撮影。
この時は日曜の午前中なのでホームに人気はありませんでしたが、最初に撮影を試みた土曜の午後は学生が鈴なりでとても撮影出来る状態ではありませんでしたな...

南高田駅に停車中の115系電車
南高田駅に停車中の115系電車直江津行、2013年5月撮影。
このカラーの電車が当駅に停車する光景も、「くびき野」「妙高」共々過去帳入りになりました。

南高田駅を出発する115系電車
南高田駅を出発する新潟色の115系電車、2006年11月撮影。

南高田駅至近の道路の様子
南高田駅至近の道路の様子、2013年5月撮影。
この道を1km弱真っ直ぐ進むと、高田市街地へ至る県道に出ま
す。

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2015年10月18日 (日)

高田駅(えちごトキめき鉄道)

本日の駅紹介は、信越本線・高田駅。

高田駅の駅名標
Takada0401015

新潟県上越市に所在する有人駅で、現在はえちごトキめき鉄道・妙高はねうまラインに所属しています。
開業は明治19年(1886年)8月15日。
新潟県内初の鉄道が関山-直江津間開通と同時の開業で、関山、新井、直江津の各駅と共に新潟県内最初の鉄道駅であります。

高田駅の開業は明治憲法下での町村制が施行される以前の話なので、高田藩15万石の城下町であった高田地域は多数の自治体に細分化されていて、高田駅の当時の所在は地元民ではない私には判断しかねるのですけれど、ともかく高田地域は明治22年の
町村制施行により中頚城郡高田町になります。
市制を施行したのは明治44年で、新潟県では新潟市、長岡市に続く三番目という流石は譜代藩の後身というべきでしょう。
高田市は戦後に至るまで県内第三の都市として、上越地方の中心的存在でしたが昭和46年に隣接する直江津市と合併して新自治体「上越市」となり今日に至ります。
ウィキペディアを見ると合併当時の両市の人口は直江津約四万五千に対して高田は約七万五千。
直江津駅と高田駅周辺を歩くと、元々の人口規模の差は現在でも明らかで、駅前商店街の規模は後者が圧倒しています。

JR東日本によると、高田駅がJR所属時代の2013年度一日平均乗車人員は2,410人でJR東日本新潟支社管内有人75駅中18位。
越後線・巻駅と同レベルになります。
3位の六日町駅と6位の犀潟駅は北越急行ほくほく線の通過旅客もカウントした大幅水増しなので、実質的に高田駅は16位ということになります。
この利用状況ゆえか、えちごトキめき鉄道に移管される駅の中では起点の直江津駅を除けば唯一自動改札機が設置されていたのが当駅でしたけれど、移管に伴って撤去されてしまい、有人改札に逆戻りしてしまったのです。

高田城をモチーフにした高田駅駅舎
高田城をモチーフにした高田駅駅舎、2010年5月撮影。
建築財産票を見つけられなかったので、完成年月日は不明なのが実に遺憾でした...。
資料を色々当たると、高田駅舎は昭和27年に県内初の鉄筋コンクリート製駅舎として完成とあったので、その駅舎をリニューアルしたのが今日の姿ということなのでしょうか?

雁木通りをモチーフにした高田駅前の様子
雁木通りをモチーフにした高田駅前の様子、2010年5月撮影。
実際の駅の規模は地方中規模都市のそれで特段大きいわけではないのですが、ここを見た限りでは大駅と錯覚しそうな威容です。

一番ホームから見たJR時代の駅舎内の様子
1番ホームから見たJR時代の高田駅駅舎内の様子、2010年5月撮影。
向かって左手に待合室とNEWDAYSがあります。
訪問時には駅至近にコンビニやスーパーはありませんでしたから、駅ナカのNEWDAYSが唯一の買い物スポットでした。
待合室内のベンチは16脚で、訪問したいずれの日もお年寄りで満席といった具合。

えちごトキめき鉄道移管後の高田駅駅舎内の様子
現在の高田駅駅舎内の様子、2015年10月撮影。
えちごトキめき鉄道移管に伴い撤去された自動改札撤去跡には、昔の改札風の木製の柵が設置されています。
それ以外は大きな変化無し。

一番ホームの駅舎と跨線橋周り
高田駅1番ホーム(妙高高原方面乗り場)の駅舎と跨線橋周り、2012年6月撮影。
以前の跨線橋はホーム直江津方の端に設置されていましたが、駅設備のバリアフリー化事業に伴って改札口近くにエレベーター併設の新跨線橋が2010年に作られました。
それに伴い古びて味のある旧跨線橋は解体されています。

一番ホーム春日山方から見た高田駅構内
1番ホームの春日山駅方から見た高田駅構内、2012年6月竣工。
189系「妙高」の指定席車乗車案内板に注目。

一番ホーム春日山方先端から先を見る
同じく春日山駅方を望む、2012年6月。

一番ホーム南高田方から見た高田駅構内
1番ホームの南高田駅方から見た高田駅構内、2012年6月撮影。
画像右手に貨物ホーム跡が見えます。
当駅の貨物取り扱いは国鉄末期の昭和59年に廃止されました。

一番ホーム南高田方から先を見る
同じ位置から南高田駅方を望む、2012年6月撮影。

高田駅の新跨線橋上から長野方を望む
新跨線橋上から長野方を望む、2014年6月撮影。

高田駅の新跨線橋上から直江津方を望む
同じく直江津方を望む、2014年6月撮影。

高田駅の旧跨線橋上から直江津方を望む
旧跨線橋上から直江津方を望む、2010年5月撮影。
駅構内の広さを把握するのには、こちらの方が良かったですな。

二番ホーム長野方から見た高田駅構内
2番ホーム(直江津方面乗り場)の長野方から見た高田駅構内、2010年5月撮影。
画面奥に旧跨線橋がチラリと映っています。

高田駅三番ホームの様子その一
高田駅三番ホームの様子その二
高田駅3番ホームの様子、2010年5月撮影。
高田駅では定期列車は1、2番線を使用していて、三番線は当駅折り返し用になっておりますけれど使用されるのは稀です。
かつて当駅発着だった特急「みのり」はこのホームで折り返していたのでしょう。

高田駅島式ホームの新跨線橋近くの様子
高田駅島式ホームの新跨線橋近くの様子、2012年6月撮影。
ベンチは三番線に背を向けているあたり、三番ホームの使用頻度を当局がどのように考えているのか推察できそうです。

高田駅島式ホーム直江津方の様子
高田駅島式ホーム直江津方の様子、2012年6月撮影。
今は更地になっているホーム先端に旧跨線橋は置かれてありました。

特急「しらゆき」の乗車口案内板
特急「しらゆき」の乗車口案内板、2015年10月撮影。
皮肉にも、えちごトキめき鉄道移管に伴って高田駅発着の特急列車が12年と三ヶ月ぶりに復活することになりました。

春日山方踏切から見た旧跨線橋時代の高田駅構内
春日山駅方踏切から見た旧跨線橋時代の高田駅構内、2010年5月撮影。
ホームと旧跨線橋の位置関係がよくわかります。

春日山方踏切から見た新跨線橋完成後の高田駅構内
同じ位置から新跨線橋完成後の高田駅構内を見る、2013年5月撮影。

長野方踏切から見た高田駅構内の様子
南高田駅方の踏切から見た高田駅構内の様子、2010年5月撮影。

高田駅を出発する485系電車T編成の快速「くびき野」
高田駅2番線から出発する485系電車T編成の新潟行快速「くびき野」、2014年6月撮影。
上越地区から帰宅する際は、繁忙期以外はガラガラの「くびき野」指定席でマッタリと殿様気分が私のささやかな楽しみでしたけれど、これも思い出の彼方。
現在の特急「しらゆき」は特に帰路、時間帯が偏っていて不便なのよね。
その点高速バスだと新潟まで2000円で特急料金よりも安いし本数も多いから、「くびき野」が走っていた時には全くノーマークだったのが俄かに帰宅の有力選択肢になっているのです。

高田駅に到着した国鉄特急色の189系電車「妙高」
高田駅に到着した国鉄特急色の189系電車直江津行「妙高」、2014年6月撮影。
最後に「妙高」を撮ったのがこの日で、この後赴いた関山二本木新井脇野田各駅でもやはり国鉄特急色の「妙高」でした。

高田駅で交換する189系電車「妙高」と115系電車
高田駅で交換する直江津行189系電車「妙高」と115系電車長野行、2013年5月撮影。

高田駅で交換する115系電車
高田駅で交換する115系電車の長野行と直江津行、2012年6月撮影。
この光景も過去帳入りになりました。

高田駅を出発する「くびき野」送り込みの485系電車
高田駅を出発する「くびき野」送り込みの485系電車T編成普通列車新井行、2014年6月撮影。
指定席とグリーンは締め切り扱いでした。

高田駅に入線する快速「越乃Shu*Kura」
使用頻度の少ない高田駅三番線に発着する、快速「越乃Shu*Kura」の入線の様子。
2014年6月撮影
酒には強いものの日本酒は苦手な私は悪酔いしそうですが、車中で地酒を振舞われるという金土休日運転の気動車列車です。
しかし私はこの手の列車には全く興味ナシ。
磐越西線の「ばんえつ物語号」や羽越線の「きらきらうえつ」もそうなのですけれど、列車に乗る事そのものがコンセプトのような、日常活動に立脚していない列車には魅力を感じないのです。
北陸新幹線開業のダイヤ改正で、この列車は上越妙高駅発着に変更になったので、当駅3番線が運用されることもまた稀になったのでしょうね。

ほくほく線からの直通列車と交換するE653系電車特急「しらゆき」
ほくほく線からの直通列車と交換するE653系電車新潟行特急「しらゆき」、2015年10月撮影。
秋の快晴の逆光気味がツライです...

高田駅を出発するE653系電車特急「しらゆき」
高田駅を出発するE653系電車特急新潟行「しらゆき」、2015年10月撮影。
午前中の撮影は、ホーム新井方にポジションを取る方が良いです。

高田駅に到着したE653系電車特急「しらゆき」
高田駅1番線に到着した午後の上越妙高行E653系電車特急「しらゆき」、2015年10月撮影。

高田駅で交換するET127系電車
高田駅で交換する、えちごトキめき鉄道・妙高はねうまラインの主力車両ET127系電車の普通列車、2015年10月撮影。
この三月まで私の住まいの駅では当たり前の存在だったこの電車。
走っていた頃は空気みたいな存在でしたけれど、半月強経ってこの上越の地で再会すると懐かしさがこみ上げてまいりました。
ちなみに二連の場合は乗り降りに便利なように跨線橋近くに停車するので、撮影の際はホーム直江津方先端部に位置するのがベストかと思います。
そうなると順光で撮影出来る時間は限られてしまうのですが。

高田駅前通りの様子
高田駅前通りの様子、2010年5月撮影。
前述したように当時駅至近にはスーパーもコンビニも無く、唯一集客力のあったデパート「大和」もこの撮影日の前月に閉店してしまいました。

高田城三重櫓
高田駅から2kmほど東にある観光スポット「高田公園」。
かつての高田城跡に作られた公園で、日本三大夜桜に数えられる桜の名所でもあります。
花見の時期には新潟-高田間に特急車両使用の臨時快速列車が運行されております。
画像は復元された高田城三重櫓、2010年5月撮影。

高田城三重櫓上から見た風景
高田城三重櫓上から見た風景、2010年5月撮影。
実はもっと雄大な景観を期待していたので、この見通しの悪さは少々残念。

高田公園内の堀とその先の山々
高田公園内の堀とその先の山々、2010年5月撮影
三重櫓上よりはこちらの風景の方が、私的には良いですな。

旧帝国陸軍第13師団師団長官舎その一
旧帝国陸軍第13師団師団長官舎その二
旧帝国陸軍第13師団師団長官舎その三
高田公園から少々遠回りして駅に戻る道すがらにある、
旧帝国陸軍第13師団師団長官舎、2010年5月撮影。
見学は無料で、訪問時の開館時間は午前9時から午後4時半。
明治時代のモダンな建築を仔細に観察できます。
師団関連の資料を充実させて有料にすればいいのにと、部外者は思うところであります。

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2015年10月13日 (火)

北新井駅(信越本線)

本日の駅紹介は、信越本線・北新井駅。

JR時代の北新井駅の駅名標


新潟県妙高市に所在する無人駅で、現在は第三セクター「えちごトキめき鉄道」の所属です。
開業は昭和30年(1955年)7月15日で、当時の所在は新井市でした。
新井市は2005年4月1日をもって周辺町村を編入し、新自治体「妙高市」となって現在に至ります。

北新井駅の場合、駅設置に関する資料が文字通り皆無でしたので、私の全く個人的な推測になってしまうのですが、当駅開業には多分に「ガスカー」(気動車)の本格的運行開始との関係が大きいのではと思っております。
鉄道ピクトリアル・アーカイブセレクション13を見ると、当駅が開業した昭和30年当時は、信越線柿崎-新井間が気動車の区間運転になっています。
旅客列車が客車列車の場合、特に蒸機牽引の場合は機関車の加減速性能の関係で短い駅間距離は不得手です。
それが気動車列車となれば随分と緩和されるので、それまでは営業的には多少の需要はあっても運転上の問題で設置を見送っていた小駅設置も可能になったのではと。
新潟県内では磐越西線の東新津駅や北五泉駅が、気動車列車の区間運行進展に伴う停留所として新設されていますし、北新井駅や当駅より後発の南高田駅もそれと同じ事象ではないかと推論を立てています。
両者とも都市近郊という点で共通してもおりますし。

北新井駅駅舎
北新井駅駅舎、2009年7月撮影。
駅開業以来の建物です。
トイレは画像右側の別棟で、男女兼用の模様。
確認はしていませんが、佇まい的にかなりアレそうでした。
近年はトイレの改善が進み、こんな駅にこんな綺麗なトイレが!と驚くことがしばしばあるのですけれど、当駅の場合はどうでしょうか...?
最後に訪問した2012年6月段階ではその点を確認しなかったのが我ながら残念無念。

北新井駅駅舎内の様子その一
北新井駅駅舎内の様子その二
北新井駅駅舎内の様子、2009年7月撮影。
内部は純粋に待合室のみの機能で、かなり年季が入っています。

駅舎のホーム側の様子
北新井駅駅舎のホーム側の様子、2004年9月撮影。
この薄緑の配色はどういう経緯だったのか?
厳冬期の視認性を考えると、もっと派手な色使いにした方が良いのではとシロウトは考える次第。
屋根の許容積雪量は250cmで、剛健そのものであります。

ホーム新井方から見た北新井駅全景
ホームの新井駅方から見た北新井駅全景、2012年6月撮影。
6両対応の短いホームです。

ホーム新井方から先を見る
同じ位置から新井駅方面を望む、2012年6月撮影。

ホーム直江津方から見た北新井駅全景
ホームの上越妙高(脇野田)駅方から見た北新井駅全景、2004年9月撮影。
駅舎の位置は直江津方に偏っているのがわかります。

ホーム上越妙高方から先を見る
同じ位置から上越妙高(脇野田)駅方面を望む、2012年6月撮影。
当駅前後は直線区間になっていて、見通しは良好です。

上越妙高方踏切から見た北新井駅
上越妙高駅方踏切から見た北新井駅、2012年6月撮影。

北新井駅に到着する485系電車T編成の快速「くびき野」、
北新井駅に到着する485系電車T編成の新潟行快速「くびき野」、2012年6月撮影。
「くびき野」は2010年に大半の列車がそれまで通過していた当駅と南高田駅に停車、189系「妙高」と共に乗車券や定期券だけで日常的に特急車両を利用できるようになりました。
普通列車と言えば115系電車やキハ40系気動車が大半の身にとっては、実に羨ましい話なんでありました。

北新井駅を出発する189系電車の「妙高」、
北新井駅を出発する189系電車の直江津行「妙高」、2009年7月撮影。

北新井駅に到着した115系電車の普通列車
北新井駅に到着した115系電車の上り普通列車、2012年6月撮影。
かつては当たり前だった115系普通列車が当駅に停車する光景も、えちごトキめき鉄道移管後は新潟-新井間の名無し快速が一日二往復だけになりました。

北新井駅前の様子
北新井駅前の様子、2008年5月撮影。
駅周辺は宅地と農地が混在する長閑な風景。
鉄道の利便性は比較的高く、また国道も通っていることから宅地としての発展性は大きいと思うのですけれど、妙高市新井地区の人口規模から見てあえて開発するだけの需要は無いのかもしれません。

北新井駅至近の国道292号線の様子
北新井駅至近の国道292号線の様子、2009年7月撮影。
駅からくだんの踏切を渡り300m程進むと行き当たる国道沿いにはロードサイドショップがそこかしこにあって、寂れて人通りも少ない新井駅前商店街とは比較にならない賑わいよう。
地方においては最早駅前では無く道沿いが完全に商業の中心になってしまっている小典型であります。

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2015年10月12日 (月)

妙高高原駅(えちごトキめき鉄道)

本日の駅紹介は信越本線・妙高高原駅。

Myokokogen001
Myokokogen0281015

新潟県妙高市に所在する有人駅で、現在は第三セクター「えちごトキめき鉄道」の管轄で「しなの鉄道」が乗り入れています。
開業は明治21年(1888年)5月1日で、当時の駅名は「田口」。
現駅名に改称したのは昭和44年(1969年)10月1日。
当駅は新潟県内の鉄道駅では上越線・土樽駅に次ぐ標高の高さ(510m)を誇り、高原の名に相応しい立地であります。 開業時の田口という駅名は、当時の駅所在地が中頚城郡妙高村田口であったことに由来しています。
なお、こちらの妙高村は、隣の関山駅が所在していた妙高村とは異なり、明治34年に周辺諸村と合併して「名香山村」となり、戦後の昭和30年に「妙高々原」村に改称。
さらに隣接村と合併して町制を施行、昭和44年に「妙高高原町」に改称という経緯を辿ります。
妙高高原町は温泉と冬季レジャーでその名を広く知られる存在でしたけれど、平成の大合併では新井市に編入される形で新自治体「妙高市」の南部地域となって今日に至ります。 さてこの地に鉄道を敷設するにあたって、当局は駅予定地として北国街道の宿場がある関川地区を考えていたのですが、鉄道が敷設されては街道の機能が低下し宿場が廃れるという極めて保守的な理由から地元の反対に遭い、已む無く現在地で開業という成り行きに。
しかし鉄道が開業すると、客貨共に輸送は全面的にシフト。
宿場が廃れるからと反対して駅設置を阻止したというのに、逆に駅が置かれなかったせいで一気に廃れてしまったそうです。
鉄道の有用性がまだまだ認知されていない山間地域であったとはいえ、時流に乗らない代償は極めて高くついたわけです。 こうした経緯で開業した田口駅でしたが、周辺人口が少ないのと観光も赤倉温泉以外はまだまだ未開発だったこともあり、戦前は温泉に加えて陸軍の演習場が近くにある隣の関山駅の方が賑わっていたそうです。
しかし戦後の周辺リゾート・レジャー開発でそれも逆転。
上野からの優等列車が続々停車する信越本線の主要駅へと変貌していったのです。
手元にある昭和55年10月改正ダイヤの時刻表を見ると、妙高高原駅発着対上野の優等列車の時刻は下記の通り。

下り
急行越前     福井行  01:58
2321レ    直江津行 06:19
(長野まで急行妙高6号)
急行妙高1号   直江津行 10:55
急行妙高3号   当駅終着 12:43
特急白山1号   金沢行  13:13
特急白山3号   金沢行  15:11
特急白山5号   金沢行  18:42
急行妙高5号   直江津行 19:54
特急あさま15号 直江津行 20:40

上り(全列車上野行)
急行越前    福井発  01:35
特急あさま6号 直江津発 08:02
特急白山2号  金沢発  09:55
急行妙高2号  直江津発 11:31
特急白山4号  金沢発  12:55
急行妙高4号  当駅始発 13:25
特急白山6号  金沢発  16:54
急行妙高6号  直江津発 17:14
2322レ   直江津発 22:38
(長野から急行妙高10号)

優等列車はその他に、新潟-名古屋間の急行赤倉1往復、新潟-上田間に急行とがくし2往復が停車していて、実質21往復。
信越本線長野-直江津間の優等列車全てが停車する駅は、高田駅とここ妙高高原駅。
特急白山は通過する新井駅よりも、当駅の方がランクは高かったのです。
なお当駅発着の普通列車は上下18本で、普通よりも優等の方が運転本数の多い地方幹線の小典型でもありました。

JR東日本によると、妙高高原駅がJR所属時の2013年度一日平均乗車人員は373人。
JR東日本新潟支社管内有人75駅中59位で、信越本線・安田駅と同レベル。
至近の高校の通学生メインで観光要素皆無の安田駅と同等の数字は、周辺人口が少ない事に加えて観光需要の大幅減退ぶりを冷徹に物語っているようです。
ウィキペディアによれば、2000年度は644人。
長野新幹線開業後でもこの数字ですから、開業以前に上野から特急「白山」「あさま」で直接来れた頃はさらに多かったのは確実なのです。

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妙高高原駅駅舎全景、2009年7月撮影。
平屋の横長な駅舎は昭和38年12月の完成。
現在の利用実態では無意味に大き過ぎます。
築半世紀を越えてもおり、近い将来に改築になるのでしょうけれど、その時はずっとこじんまりした建物になるのは必至かと。

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妙高高原駅駅舎出入り口の様子 2004年4月撮影。
名にしおう豪雪地帯の駅ゆえに、屋根の厚さが目を引きます。
出入り口の佇まいは正調国鉄型。
タクシー数台が常に待機しているのは、かつて栄えた観光拠点駅の確かな余韻であります。

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妙高高原駅駅舎内部の様子、2009年7月撮影。
昔懐かしい「みどりの窓口」の案内板も、えちごトキめき鉄道に移管と同時に無くなってしまったようです。
下の画像撮影の時点ではキオスクが健在でしたけれど、一昨年(2013年10月)に訪れた際には撤退してしまっていました。

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1番線の黒姫駅方から見た妙高高原駅構内、2013年10月撮影。
かつてはこのホーム長一杯に、食堂車付きの12連「白山」が停車していたのです。
上越線の越後湯沢駅と並ぶ、実に寂寥感溢れる眺めなのであります、兵どもが夢の後...。

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同じ位置から黒姫駅方を見る、2013年10月撮影。
この先の急勾配が一見してわかります。

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妙高高原駅1番ホームの駅舎部分、2013年10月撮影。
日曜の昼下がり、間もなく列車が到着するというのに客の影もありません。

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1番ホームの関山駅方から見た妙高高原駅構内、2013年10月撮影。
右側に貨物ホームと側線が見えますが、当駅の貨物取り扱いは昭和53年6月に廃止。
観光拠点駅として賑わってはいても、地元の物流量は町の規模(人口一万人未満)に相応しいレベルでしかなかった証なのでしょう。

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同じ位置から関山駅方を見る、2013年10月撮影。

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妙高高原駅跨線橋内部の様子、2013年10月撮影。
当駅のかつての賑わいの生き証人が、この通路の広さと言えましょうか。
中央に見える案内板は、かつての優等列車の残照であった189系電車使用の普通列車「妙高」の乗車案内です。

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跨線橋上から長野方を見る、2013年10月撮影。
駅舎の屋根同様に、ホーム上屋も頑丈な造りなのが観察できます。

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同じく直江津方を見る、2013年10月撮影。

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2番ホームの直江津方から先を見る、2013年10月撮影。
随分前に廃止された「シュプール号」の名残が未だ残存。
三セク化された今でも残っているでしょうか?...
なお2番ホームはJR所属当時は当駅折り返し用で、2013年10月時点では長野行が三本、直江津行が一本発着しておりました。
三セク移管後はしなの鉄道・北しなの線用になっているとの事。

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3番ホームの関山駅方から見た妙高高原駅構内、2013年10月撮影。
JR時代は長野方面行だった3番線は、三セク移管後えちごトキめき鉄道・妙高はねうまライン用になっているとの事。

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3番ホームの黒姫駅方から見た妙高高原駅構内、2013年10月撮影。

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島式ホーム跨線橋出入り口付近の様子、2013年10月撮影。
妙高高原駅では、現在は2番に長野方面、3番に直江津方面の列車が発着して乗り換えの手間を極力廃して、、しなの鉄道とえちごトキめき鉄道が相互乗り入れを実施していない現状を出来る範囲でカバーしています。

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妙高高原駅3番ホームの「妙高」指定席車乗車表示板、2004年4月撮影。
私は「妙高」の指定席乗車体験が無いのですが、いつ覗いても見事なまでにガーラガラでしたな...
繁忙期のピーク時以外はそれが常態だったようです。
長野駅で新幹線から乗り継ぐ人も、指定料金は乗り継ぎ割引の適用外ですから有り難味も無いでしょうし。
自由席からして、私の乗車経験では概ね乗車率五割切ってる感じでしたしね。
三連115系が常に混んでいて、途中駅からの乗車ではまず座れなかったのとは好対照でしたっけ。
2013年10月に直江津駅から当駅まで乗車した際は、新幹線開業以前にここまで来る事は無いだろうからと、最後に一度指定に乗ってみたかったのですけれど、直江津駅の指定券自動券売機では「妙高」の指定券が買えない!
窓口はジジババが旅行センター代わりにベチャクチャしていていつ買えるか判らないし、まぁええわと断念してそれっきりでしたなぁ。

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かつては観光客で賑わった妙高高原駅のかつての賑やかさの余韻の一つか? 臨時改札口?の跡。2013年10月撮影。
団体さんはここから外に出て送迎バスに乗り込んでいたのでしょうか?
上部の白紙の案内板っぽいのは、旅館やホテルの案内掲示跡?

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妙高高原駅1番線に到着した189系電車の直江津行「妙高」、2009年7月撮影。

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3番ホームを出発した189系電車の長野行「妙高」、2013年10月撮影。

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3番線に到着した115系電車長野行、2004年4月撮影。

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妙高高原駅1番線に到着した115系電車直江津行 2013年10月撮影。

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妙高高原駅前の様子、2009年7月撮影。
撮影時点では駅前にみやげ物店が三軒と食堂二軒と喫茶店一軒という具合。
付近にはさらにヤマザキショップと食堂が各一軒。
駅は周辺観光地へ向かうバスやタクシーと鉄道の結節点としての役割です。
当駅から赤倉、池の平方面へのバスダイヤはこちらへ→ 頸南バス(株)

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妙高高原駅前通りの様子、2009年7月撮影。
画像中央に小さく映っているのが妙高高原駅です。
駅から6分ほど歩いた先がこんな感じです。
民家と小さな個人商店が混在していて、集客力のある店舗は皆無でした。

えちごトキめき鉄道移管後は直江津-長野間直通運転も無くなり、観光客は恐らく新幹線長野駅からバスで現地へ直行。
長野県側のしなの鉄道との乗り換え・運行拠点としての機能しか見出せなくなってしまいそうなこの妙高高原駅。
新幹線金沢延伸の陰で寂れる並行在来線の象徴のような駅ですが、時間があればぜひ一度降り立って、過去の栄光の日々に思いを馳せていただきたく存じます。
どう頑張っても後ろ向きの事しか言えないのが遺憾なのですが、他にどうしようもないじゃないの...

2015年10月18日追記
先日、えちごトキめき鉄道移管後の妙高高原駅を実見してきました。

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第三セクター「えちごトキめき鉄道」移管後の妙高高原駅駅舎正面の様子。
駅名板は当然のことながら、えちごトキめき鉄道のそれに変更。

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えちごトキめき鉄道移管後の妙高高原駅駅舎内の様子。
みどりの窓口表示が無くなった以外は、JR時代とさしたる変化は無し。
土曜夕刻ですが、人気無くガランとしてました。

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妙高高原駅3番線に折り返し待機中の、えちごトキめき鉄道所属ET127系電車。
前述したように当駅の乗り場はJR時代と異なっていて、2番がしなの鉄道専用、1番と3番がえちごトキめき鉄道専用です。
ただし、1番が使用されるのは一日四回のみ。
2015年12月訪問時点では、発車時刻は07:11、09:33、18:34、20:33です。

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妙高高原駅2番線に到着したしなの鉄道北しなの線所属の115系電車。
こちらは三連ですが、ガラガラなのはえちごトキめき鉄道ET127系と同様。

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跨線橋上から見た、折り返し待機中のしなの鉄道所属115系電車。

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