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2015年9月の記事

2015年9月22日 (火)

脇野田駅(信越本線)

本日の駅紹介は信越本線・脇野田駅。

旧タイプの脇野田駅名票


皆様ご存知のように、脇野田駅は昨年10月に北陸新幹線開業に先駆けて、在来線駅を新幹線駅側に移転の上「上越妙高」駅に改称し、今年3月には新幹線開業に伴う第三セクター「えちごトキめき鉄道」に移行して在来線駅はその所属となりました。
旧駅と「上越妙高」駅とでは、所属会社の違い以前に在来線の駅としては全く異なるものになってしまいましたので、新駅については後日取り上げることとして、今回はかつての脇野田駅について偲んでまいろうと思います。

脇野田駅は旧信越本線の新井-直江津間が開業した明治19年(1886年)時点では存在せず、大正7年にまず信号場として開設された後に、この地へ鉄路が敷かれてから35年後の大正10年(1921年)8月15日にようやく開業の日を迎えました。
文献によると、当初の駅開設予定位置は現在位置から約1km新井寄りの石沢地区だったそうですが、脇野田地区の大地主が土地を寄付するなどの誘致活動を熱心に行った結果、脇野田地区への設置に決定したそうです。
前述の信号場との関連は書かれていなかったのですけれど、信号場を設置する際に、近い将来の駅昇格の約束を当局と取り付けていたのか、はたまた新駅は脇野田信号場とは別の案件として検討されていたのを、地元の誘致活動で既設の信号場格上げに変更したのか、興味のあるところです。

脇野田駅は新潟県上越市に所在する有人駅で、駅設置当時の所在については明確に記述している資料に行き当たらなかったのですが、推測するに中頚城郡和田村であったのではないかと考えています。
和田村の前身である大和村は、明治22年に脇野田村を含む周辺の村々が合併して誕生したそうですので。
和田村はその後昭和30年に分割され、脇野田地区を含む地域は高田市に編入されて、さらに昭和46年に直江津市と合併して新潟、長岡に次ぐ県下第三の都市「上越」市になり現在に至ります。

JR東日本によると、2013年度の脇野田駅一日当たり乗車人員は139人で、JR東日本新潟支社管内の有人74駅中71位。
当駅よりも下位にいるのは、飯山線・津南駅、羽越本線・府屋駅、そして最下位の米坂線・越後下関駅だけです。
地域の玄関駅である下位3駅と異なり、脇野田駅は近隣に高田駅と新井駅という比較的大きな駅に挟まれていてそれぞれへの距離も近く、無人化しても特に差し支えはないように思われたのですけれど、早い時期に新幹線の駅の設置が決定していたことが、有人維持に多分に影響していたのでしょうか。

脇野田駅舎
脇野田駅駅舎の様子、2014年6月撮影。
建築財産票によると、駅舎完成は大正10年7月。
駅開業以来、移転までこの駅舎が時代の移り変わりを見守ってきたわけですな。
出入り口の上の屋根がいい味を出してます。

駅舎内の様子・窓口周り
駅舎内の様子・待合室周り
脇野田駅駅舎内部の様子、2009年7月撮影。
近年、古い駅舎でも内部に手が加えられて、狭い駅舎内に仕切りを入れて待合室の冷房化を図った例が散見されますけれど、当駅の場合は最後まで無粋な仕切りは入れずに昔のままの佇まいを保っていました。
信越線と共に第三セクターに移行する北陸線の県内区間の諸駅は、「消費増税に対応できないから」(車掌氏から直接聞いた話)という理由で、主要駅の糸魚川以外はことごとく券売機が撤去されてしまっていましたけれど、JR東日本に所属する信越線の諸駅の場合、当駅のような小駅でもしっかり券売機を維持していたのは流石天下の東日本と感心したものでした。

ホーム側から見た駅舎
ホーム側から見た脇野田駅駅舎の様子、2005年9月撮影。
駅舎からホームへは、構内踏切付きの通路で連絡します。
特急列車が通過する、または通過していた駅でこのような形態の駅は、新潟県下では他に旧北陸本線の有間川、親不知、市振の各駅のみです。

構内通路から見た駅舎
構内通路から駅舎とその後方を見る、2005年9月撮影。

ホーム直江津方から直江津方面を見る
ホームの南高田駅方から先を見通す、2005年9月撮影。

ホーム直江津方から見た脇野田駅構内
同じ位置から北新井駅方を望む、2005年9月撮影。
駅舎とホームを結ぶ構内通路は直江津方に偏っています。

ホーム新井方から見た脇野田駅構内
ホームの北新井駅方から見た脇野田駅構内、2005年9月撮影。
島式のホームは待合室以外のアクセントに乏しく、駅舎や構内通路とは対照的に魅力を感じられないものでした。

ホーム新井方から新井方を見る
ホームの北新井駅方から先を見通す、2005年9月撮影。
まだ北陸新幹線の高架建設未着手の頃です。

ホーム上の待合室
待合室内部の様子
ホーム上の待合室の様子、2012年6月撮影。
建築財産票によると昭和10年7月の完成。
許容積雪量は駅舎同様250cmで、冬季の厳しさを感じさせます。
なお脇野田駅の列車発着は通常2番を使用していて、1番は列車交換時
のみに使用していました。
昨年6月に最後に訪れた時点では、1番ホームが使用されるのは一日四回で、夕方以降の新井方面の列車が停車。

停車中の485系快速「くびき野」
脇野田駅に停車中の新井行485系電車快速「くびき野」、2012年6月撮影。

停車中の189系国鉄色「妙高」
脇野田駅に停車中の直江津行189系電車国鉄特急色の「妙高」、2014年6月撮影。

脇野田駅に進入する189系「妙高」
脇野田駅に進入する189系電車直江津行「妙高」、2012年6月撮影。
国鉄時代は当駅に特急型電車が定期停車するなど考えられなかったことでしょうね。
なにしろ急行も一切停車しない小駅だったのですから。

停車中の115系長野色
脇野田駅に停車中の115系電車長野色の直江津行、2012年6月撮影。

停車中の115系新潟色
晩秋の夕暮れの脇野田駅に停車中の115系電車直江津行、2006年11月撮影。
11月末の降雪直前の時期ともなると、16時ちょい過ぎでもこの情景なのであります。

踏切から見た駅構内2006年11月
踏切から見た駅構内2009年7月
踏切から見た駅構内2014年6月
南高田駅方の踏切から見た脇野田駅構内の様子。
上が2006年11月、中が2009年7月、下が2014年6月の様子です。

踏切から見た直江津方面の様子
同じく直江津方面を見る、2014年6月撮影。

上越妙高駅建設の様子2006年11月
上越妙高駅建設の様子2008年5月
ホーム上から見た北陸新幹線・上越妙高駅建設の様子。
上が2006年11月。
この時点では高架の建設は未着手で、駅予定地の整地が始まったばかりでした。
下は2008年5月。
高架が立ち上がり始めていますけれど、駅についてはまだこれからという状態です。

上越妙高駅予定地の様子2008年5月
上越妙高駅予定地の2008年5月時点の様子。

上越妙高駅建設進捗状況2012年6月
上越妙高駅建設進捗状況2013年5月
上越妙高駅建設進捗状況2014年6月
北陸新幹線・上越妙高駅建設進捗の観測。
上は2012年6月、中は2013年5月、下が2014年6月の状況です。
2013年初夏の時点で、駅の外観は概成していました。

建設中の在来線新駅
直江津方の踏切から見た、建設中の在来線駅。2014年6月撮影。

脇野田駅前広場から見た駅前通り
脇野田駅前広場から駅前通りを見通す。2009年7月撮影。
新幹線の駅が置かれるとは、俄かには信じ難いローカルなロケーションです。
失礼ながら、場違い感という点では上越新幹線の浦佐駅を遥かに凌ぎますです...

駅至近の県道の様子
信越線と並走する県道の様子、2012年6月撮影。
この時点では、付近には高田方に少し歩くとコンビニがある程度。
民家が立ち並んでいるので、駅の利用者も周辺の店ももっとあってもよいのではと感じたものですが、買い物については隣の北新井駅付近の国道沿いにロードサイドショップが軒を連ねているので、大抵のことはそっちで済んでしまうのでしょうね。

大正生まれの古びて味わい深い駅舎、ホームへ行くには構内通路。
そんな古典的な構内配置で、新潟県下では最後の有人駅であった脇野田駅も、今では解体されて完全に過去帳入りしてしまいました。
信越線から第三セクターに移行する象徴のような駅。
島式でのっぺりとしたその姿は、私的にはあまり惹かれるものではありませんでしたけれど、新幹線の建設が始まる直前の晩秋にホームから見た夕焼けの美しさ、あの情景を忘れることはないでしょう。

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2015年9月 6日 (日)

大白川駅(只見線)

本日の駅紹介は只見線・大白川駅。

入広瀬村時代の大白川駅名票

新潟県魚沼市に所在する無人駅で、開業は戦時下の昭和17年(1942年)11月1日。
只見線の終着駅としての開業で、当時の所在は北魚沼郡入広瀬村です。
入広瀬村はその後2004年11月に周辺町村と広域合併して新自治体「魚沼市」となり今日に至ります。

只見線が当駅まで開業したのは、既に前年夏に「金属類回収令」が公布されてローカル線を「不要不急線」として整理する施策が実行に移されようとしている時期でありました。
実際、新潟県内でも魚沼線と弥彦線の一部はこれにより休止に追い込まれています。
それにも関わらず、この行き止まりのローカル線が開業できた背景には、鉄道ピクトリアル2010年10月号によると、製鉄炉の耐火煉瓦用の原料である珪石の採掘場が大白川地域に存在する為、軍需上の要請として大白川までの開業が必要であったとの事です。
大白川駅の貨物取り扱いは戦後もパルプ原料のチップや道床用砕石の輸送で賑わい、当駅での貨物輸送が最終的に終了したのは昭和55年9月であったとの事です。
現在の当駅の深閑なる佇まいを見るに、まさに「兵どもが夢のあと」なのであります。
なお、大白川駅は列車交換にタブレットを使用する古典的な業務形態で、それゆえの有人配置が永らく続いていましたが、2009年3月にCTC化によるタブレット交換廃止で無人化されました。
旅客駅としてはJR東日本新潟県内区間の有人駅中、一日平均乗車人員は常にダントツの最下位で、二桁がやっとという驚愕の数字なのでありました。
まぁ、周辺のロケーションを考えるに、無理もない話ではあるのですけれど...。

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国道252号線の小出方から見た大白川駅舎。
2009年7月撮影。
魚沼市入広瀬自然活用センターとの合築で、手打ちそば屋が入っているのはご承知の通り。
私が訪問したこの日は土曜日でそば屋は休業日でした。

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大白川駅駅舎内の様子、2009年7月撮影。
無人化後約四ヶ月後の訪問でした。
まさしく「通路」だけで圧迫感があり、ベンチもありません。
窓口脇には券売機が一台置いてありましたけれど、只見線小出-只見間において、起点の小出を別にすれば券売機が設置されていたのはこの時点では大白川駅だけでした。
この後当駅には行っておりませんので、現在も置いてあるかどうかはわかりませんけれど、ここに置くのなら元有人駅の越後須原か入広瀬にすればいいのにと素人は疑問に感じるところであります。

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駅舎構内方から見た大白川駅構内の様子、2009年7月撮影。
駅舎とホームは構内通路で連絡。

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同じアングルから見た停車中の小出行キハ40系気動車、2004年7月撮影。
ホームは気動車三両がはみ出してしまいそうな短さです。

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柿ノ木駅方から見た大白川駅構内全景、2009年7月撮影。
線路右側に流れているのが破間川です。

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田子倉駅方から見た大白川駅構内、2009年7月撮影。

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ホーム端から柿ノ木駅方を見通す、2009年7月撮影。
右側奥にちょこっと映っているバスは、小出駅前-大白川本村間の路線バス。
この日の帰路は本村から折り返してくるこのバスで小出駅まで。

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ホーム只見方の構内通路から先を見通す、2009年7月撮影。
ここから先が昭和46年開通の新線区間になります。
線路の左側には、かつての貨物駅としての当駅繁栄の生き証人である蒸機の茶色い給水塔が現存。
しかし正直蒸機にあまり興味の無い私にとって、只見線全通直前の冬季以外はDD13型ディーゼル機関車牽引の客車列車がここまで運行されていたという話の方に激しく惹かれるわけです。

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大白川駅に停車中の小出行キハ40系気動車、2009年7月撮影。

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大白川駅で交換するキハ40系気動車の小出行と会津若松行、2009年7月撮影。
水害で只見線が不通になる約二年前の風景です。
当駅に会津若松行列車が停車することは、多分もう二度と無いのでしょう...

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国道上から見た大白川駅全景、2009年7月撮影。
鉄骨を組んだそのままの下回りが、「貨物が本業で旅客は片手間」的な駅のかつての姿を今にとどめているようです。

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国道をもう少し進んで一枚、2009年7月撮影。
こうして見ると、迫る山並みと破間川に挟まれた当駅の立地条件はかなり厳しいものがあったように感じます。

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国道上から見た給水塔とその周辺、2009年7月撮影。

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この日はせっかくだからと、物見遊山で小出駅から大白川本村行の南越後観光バス運行の路線バスに乗って終点まで行き、折り返して越後須原-只見-大白川というコースでした、2009年7月撮影。

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大白川駅方面から見たバスとその先の様子、2009年7月撮影。
二十年ほど前の地図には、この先約6kmの「大自然館」まで路線バスの表記がありましたけれど、私が駅周りを始めた2003年時点では穴沢(入広瀬)-大白川本村間の入広瀬村営通学福祉バスになっていて、その後2005年か6年頃に路線バスが復活して今日に至ります。
おかげでこの日のように帰路はパスという行程を組むことが可能になりました。
何しろ通学福祉バスのままでは、学休日は最悪全便運休もあり得るので、駅歩きをする身としては甚だ不便なのです。

この先辺りが大昔の「大白川村」の中心地区だと思いますが、実に鄙びていましたな...
民家はそこここにあるのですが、人もクルマも全く見当たらず静まりかえっていました。
このバスに終点まで乗り通したのは私一人。
運転手氏に「折り返して乗ります」と一言かけておかないと、こんな何もないところに置き去りにされるのではと少々怖くありましたw



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バスで来た道を振り返って一枚、2009年7月撮影。

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大白川駅取材の帰路、やって来た小出行バス、2009年7月撮影。
バスは無人で私が最初のお客さま。
バスダイヤはこちらを。

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