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2012年3月25日 (日)

関山駅(信越本線)

本日の駅紹介は信越本線・関山駅。

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新潟県妙高市に所在する有人駅で、開業は明治19年(1886年)8月15日。
開業当時は中頸城郡関山村の所在で、同村は昭和30年3月に周辺諸村と合併して妙高村となり、関山村・妙高村時代を通じて唯一の鉄道駅が関山駅でした。
妙高村は平成17年4月に近隣の新井市・妙高高原町と合併して新自治体・妙高市の一部となり現在に至ります。

新潟県内初の鉄道の南側起点はこの駅で(北側は直江津駅)、新潟県鉄道発祥の地として本来注目されるべき存在なのですけれど、開業当時と現在とでは駅の立地が違う事もあり、また南隣の観光・レジャーの一大玄関駅であった妙高高原駅の陰に隠れてしまって、新潟県の鉄道史上に名を残す駅の一つでありながら、際立って地味な存在です。

当地は昔から山越えの関所が置かれていて、地名はそれに由来するそうです。
江戸時代は北国街道の宿場町として栄えました。
南隣の妙高高原駅(旧駅名は田口駅)は、駅設置に当たって宿場町が猛反対した為に、街の中心から外れた土地に駅を置かざるをえませんでしたけれど、当駅についてはそのような話に行き当たらなかったので、その設置は比較的スムーズに事が運んだのかもしれません。
戦前は田口駅よりは関山駅の方が観光レジャーの玄関駅としての機能が高かったようで、また妙高山麓の陸軍演習地の最寄駅としての機能も併せ持っていました。
戦後は田口駅周辺地域のレジャー開発が進み、昭和44年には現駅名の「妙高高原」に改名して特急も停車。
名実共に妙高一帯の玄関駅として全盛期を迎える一方で、当駅はローカル急行が僅かに停車するだけの寂しい状況に。
昭和60年10月には開業以来の旧駅から長野方に移設してスイッチバックを解消し、新潟県内最古の鉄道駅の一つという勲章も完全に過去の物になってしまいました。
当駅悲願の特急停車は、1997年10月の北陸新幹線長野開業時にそれまでの急行「赤倉」を格上げした特急「みのり」停車でようやく実現したものの、「みのり」の新潟-長野便は2001年12月改正で廃止されてしまったので、当駅に定期特急列車が停車したのは結局僅か4年と二ヶ月でした・・・。

JR東日本のHPによると、2010年度の関山駅一日平均乗車人員は190人で、同社新潟県内有人75駅中67位。
上越線・越後川口駅や磐越西線・津川駅と同レベルです。
当駅のライバルである妙高高原駅は、北陸新幹線長野開業によって上野からの直通列車が廃止され、定期優等列車自体が現在では全廃されてしまってすっかり寂しくなってしまいましたが、それでも一日平均乗車人員は390人で当駅の約2倍です。

関山駅駅舎全景
関山駅駅舎の様子、2009年7月撮影。
前述の駅移転(昭和60年10月)に伴い新築されました。
ヨーロッパ風のメルヘンチックな建物で、観光拠点としてのイメージアップを!という関係者の意気込みが感じられます。
妙高高原駅の駅舎のような平屋の国鉄定番型よりも、このデザインの方が妙高一帯のリゾートとしてのイメージにはよく合っていると思うのですけれど。

駅舎内改札口周りの様子
駅舎内待合室出入り口周りの様子
関山駅駅舎内部の様子、2009年7月撮影。
駅舎内は小奇麗で、駅舎デザインと相まって好感度高し。
待合室(下の画像中央のドアが出入り口)は観光案内所併設で、この時点での開放時間は07:00~18:00。
これを撮影したのは土曜日の午前11時頃でしたが、肝心の観光案内所は閉まっていました。
役所がやっているので土曜は休みなのでしょうが、「観光」と銘打っている以上、土日こそ開いて地域のアピールに励んでいただきたいところです

妙高高原方から見た駅構内
妙高高原駅方から見た関山駅構内、2004年9月撮影。
単線上の島式ホームです。
駅舎とは正反対に、あまり面白味はありませんな・・・。

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妙高高原駅方を見る、2009年7月撮影。
線路は右側にカーブしていて、ホームからの見通しはイマイチ。

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跨線橋出入り口付近の様子、2009年7月撮影。
ホーム上に上屋がかかっているのはこの辺りだけです。

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島式ホーム二本木方から見た関山駅構内、2009年7月撮影。
直江津方面側のみ突出しているという少々不思議な造りのホームです。

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ホーム端から見た二本木方の線路配置、2009年7月撮影。
右側が本線、左側がスイッチバック時代の旧線です。

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跨線橋出入り口から妙高高原駅方を見通す、2009年7月撮影。
上屋は電車一両分ほどしか無いので、豪雪地帯にある関山駅の冬季の乗降は特定の車両に嫌でも集中しそうです。

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信越線・直江津-長野間の華である189系電車「妙高」号、2009年7月撮影。

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跨線橋上から妙高高原駅方を見る、2009年7月撮影。

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関山駅前の様子、2009年7月撮影。
駅周辺には雑貨店、信金、酒屋、蕎麦屋という按配。
民家と商店の混在した通りです。
なお関山駅前発着のバス路線は旧妙高村内連絡用で、新井駅至近の新井バスターミナルと当地を結ぶ頸南バス関山線は駅前まで入ってきませんのでご注意ください(土休日全便運休)→ダイヤはこちら

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駅前通りの陸橋から見た関山駅構内、2004年9月撮影。
構内跨線橋と駅舎の位置関係がよくわかります。

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同じく二本木駅方を見る、2009年7月撮影。

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跨線橋から見た線路の方角を頼りに進み、何度か行きつ戻りつして辿り着いたのが関山旧駅跡、2004年9月撮影。
廃駅後19年目の様子です。
線路は保線用としてまだ生きているようなので、構内に入るのは断念して旧1番ホーム?跡から観察しました。
1番線の線路は撤去されていましたが、島式ホームの2、3番線は健在。
ただ1番ホームから観察した限り、2番線は途中で車止めが置いてありました。
旧駅舎跡は畑などになっていて、周辺はすっかり住宅街。
そんな中の小道を入るとこんな光景に出くわすのです。
朽ち果てて雑草に埋もれつつある駅名標が印象的です。

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関山駅から500mほど西方に進むと国道18号線に出ます、2009年7月撮影。
付近にはコンビ二とスーパーが各一軒有り。

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交通量の多い国道を横断してなお500m程進むと到着するのが、
関山駅周辺最大の見どころである関山神社、2009年7月撮影。
第四十三代天皇であられる元明天皇在位の頃と言いますから、西暦700年代初めの開基だそうです。
木曽義仲公や上杉謙信公の信仰厚かったという、神社でありながら平安時代からの石仏が史跡として現存しているように仏教の色濃いところであります。
現在の本殿は文政元年(1818年)建立との事。

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個人的に最も目を惹いたのがコレ、帝国海軍一等巡洋艦「妙高」の20サンチ主砲弾(中央の大きな砲弾)とその四方に置かれた12サンチ高角砲弾、2009年7月撮影。
「妙高」の艦内神社に関山神社の御神体の分身(一部)を奉祀した由縁です。
拝殿には「妙高」の軍艦旗なども奉納されているそうですが、そちらは残念ながら未見。
重巡洋艦「妙高」は関山神社の御加護か、僚艦が次々と戦没する中を生き延び、敵潜の雷撃で艦尾を吹き飛ばされて航行不能ではありましたが、シンガポールで無事終戦を迎えました。
「妙高」が雷撃を受けたのは、レイテ沖海戦後に日本本土に帰る途中の事で、もし雷撃を受けずに本土に帰還していたら、燃料不足で軍港に係留されたまま敵機動部隊の空襲に晒されて沈められていたでしょう。
なのでこの雷撃損傷も不幸中の幸いというべきか
やはり神の御加護があったからというべきでしょうか。

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