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2012年2月の記事

2012年2月26日 (日)

やっぱり地味な特命戦隊ゴーバスターズ

ゴーカイチェンジとOB出演で一年間楽しませてくれた海賊戦隊ゴーカイジャーに
代わって、本日からスタートした「特命戦隊ゴーバスターズ」。
放送開始前から、スーツデザインや素材に不安を抱いていたところですが・・・。

OPのブルーバスターとイエローバスター
オープニングクレジットから。
かつてヒロイン変身後を演じた人見早苗、神尾直子、橋本恵子各女史の名前がありますな。
更に次世代の戦隊ヒロイン女形のホープと注目の藤田慧さんの名前も。
今日は戦闘員の数は少なかったので、大半は逃げ惑う市民役や基地のデッキ
クルー役ですかね?

イエローバスターの初変身
イエローバスター初の変身シーン。
ゴーグルオープンはCGなのかはたまた実写か?
このシーンの直前は既にスーツ装着状態なんですが。

蜂須賀祐一さん演じるイエローバスター
イエローバスター変身後はこんな感じ。
撫肩のイエローバスターのショットもあったので、場面によっては人見さんあたりが代役に
入っていたのでは?と思わせます。
蜂須賀祐一さんはゴーカイジャー終盤とゴーバスターズ序盤は掛け持ちで忙しい
でしょうからねー。
しかし・・・リアル志向って言われればそうなんですけど、やはりデザインは地味・・・。
変身後のシーンはボウケンジャー第一話を思い起こす長さでしたけれど、
蜂須賀さんの演技もまだ手探り状態みたいですな。

さて前作のゴーカイチェンジに代わるヒロイン萌えの目玉がマスクオフ。
日常的にマスクオフの芝居パートがあるのはゴーオンジャー以来ですが、
あちらに比べてもやはり地味・・・。
変身前のヨーコは声もよく張っていて、アクションもなかなかのもの。
東映公式では蜂須賀さんが付いて練習している画像が載っています。
前作のルカ同様、この時点では言う事無しの戦うヒロインぶりですから、
スーツが地味なのは余計に残念。
スーツは蜂須賀さんと同じサイズではなさそうです。
バンクシーンだけでなく、撮影で頻繁に着るのですから本人の体型に合わせて
作るのは当然というところでしょうか。
変身前の俳優用にスーツを作っても、前作のスーツ関連の予算に比べれば
ずっと少なくて済むのでしょうし。

結論から言うと・・・視聴するのはイエローバスター主役回のみですかねぇ・・・。
マスクオフ、ゴーグルオープンでの芝居は見たいので。

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昭和55年10月及び昭和60年3月改正ダイヤにおける新井駅時刻表

信越線・新井駅新エントリーに関連して、新井駅華やかかりし頃の時刻表
をご紹介します。
上は上越新幹線大宮暫定開業前の昭和55年10月改正ダイヤ、下は上越
新幹線上野開業の昭和60年3月改正ダイヤです。

鉄道ジャーナル社「国鉄の花形列車1981」によると、昭和55年10月
改正ダイヤにおいて新井駅に停車する優等列車の編成は次の通りです。

特急「あさま」6・15号
189系12両編成:グリーン2両・指定8両・自由3両。

急行「妙高」1・2・5・6号
169系8両編成:グリーン2両・指定2両・自由4両。

2321レ・2322レ(長野-上野間急行妙高9・10号)
旧型客車5両+10系寝台車3両+郵便車1両。
A寝台1両・B寝台2両・自由5両。

急行「赤倉」
キハ58系10両:グリーン2両・指定2両・自由6両。
キハは全てダブルエンジン車なので、冷房電源不足により普通車冷房は不可
能でした。
鉄道ピクトリアル801号によると、夏季の旅客サービス上、「赤倉」の普
通車冷房無しは流石に問題とされて、電車化(昭和57年11月改正ダイヤ
から)直前の時期にはシングルエンジンのキハ28冷房改造車が編成に組み
込まれて冷房電源を確保したそうです。
しかしそれではパワー不足で急勾配区間の走行に支障をきたしかねず、今度
はそれが問題になったとの事です。
ハイパワー&冷房電源付きのキハ65を編成に組み込めれば、冷房化とパワ
ーアップが一気に達成出来るのですが、あれは東日本地区に配置されません
でしたからねぇ・・・。
そもそも全線電化区間なのに、国鉄側の車両運用の都合で気動車のまま据え
置かれたのが、今の視点で見れば理不尽な話です。
高価な交直車が必要だというのならまだしも、新潟-名古屋間は全線直流電
化なのですから尚更の話です。
気動車時代の「赤倉」には、昭和55年夏に新潟-長野間の自由席に乗車し
た事がありましたけれど、真夏なのに冷房無しで窓全開で涼みながら車窓を
眺めていたのをよく覚えています。
当時、電車急行は全て冷房化していたので、同じ料金を取ってこれかい!と
子供心に釈然としない思いを抱いたものです。

急行「とがくし」
165系7両:指定1両・自由6両。

急行「越前」
旧型客車(普通車・グリーン車)6両+10系寝台車3両+郵便車1両:
A寝台1両・B寝台2両・グリーン1両・自由5両。

325レ(名古屋-長野間急行きそ7号)
旧型客車8両。

昭和57年11月改正ダイヤでは急行「妙高」の昼行便が特急に格上げされ、
新井駅の特急停車本数も増えて、長野新幹線開業の平成9年10月改正まで
の15年間は新井駅の最盛期になったのです。

新井駅時刻表
昭和55年10月改正ダイヤから作成
赤は特急、緑は急行列車
下り
列車名 始発駅 発車時刻 終着駅 備考
越前 上野 02:23 福井
2321レ 上野 06:50 直江津 上野-長野間急行妙高9号 
1329M  新井 07:00 長岡 当駅始発
325レ 名古屋 07:48 直江津 名古屋-長野間急行きそ7号 
とがくし1号  上田 08:09 新潟 上田-長野間普通列車
1331M 二本木  08:37 直江津 
333M 小諸 09:14 直江津 
1333M 二本木  09:54 直江津 
337M 高崎 10:54 直江津 
妙高1号 上野 11:15 直江津
341M 長野 13:13 直江津
赤倉 名古屋 15:48 新潟 気動車列車
343M 小諸 15:57 直江津
1343M 二本木  17:03 新潟
とがくし3号  上田 17:21 新潟
323レ 長野 17:53 新潟
1345M 新井 19:06 直江津
347M 小諸 19:30 柿崎
妙高5号 上野 20:14 直江津
あさま15号 上野 20:58 直江津
349M 高崎 21:06 直江津
353M 長野 23:37 直江津
上り
列車名 始発駅 発車時刻 終着駅 備考
越前 福井 01:10 上野
332M 直江津 06:00 高崎
1322M 直江津 (06:48)  新井 当駅終着
334M 直江津 07:18 長野
あさま6号 直江津 07:43 上野
1324M 柿崎 08:10 二本木 
1326M 長岡 09:13 二本木 
338M 直江津 09:53 長野
妙高2号 直江津 10:55 上野
赤倉 新潟 11:37 名古屋 気動車列車
322レ 直江津 11:59 長野
とがくし2号 新潟 13:14 上田
344M 直江津 14:21 長野
1334M 直江津 16:22 二本木 
妙高6号 直江津 16:52 上野
350M 直江津 17:02 長野
324レ 直江津 18:20 長野
1338M 新潟 (18:57) 新井 当駅終着
356M 直江津 19:38 小諸
1342M 直江津 20:40 妙高高原 
とがくし4号 新潟 21:48 上田 長野-上田間普通列車
2322レ 直江津 22:04 上野 長野-上野間急行妙高10号 
新井駅時刻表
昭和60年3月改正ダイヤから作成
赤は特急、緑は急行列車
下り
列車名 始発駅 発車時刻 終着駅 備考
能登 上野 02:17 金沢
1329M  新井 06:42 直江津  当駅始発 
321M 上野 07:12 直江津 上野-長野間急行妙高 
323M 長野 07:48 直江津
とがくし1号  長野 08:37 新潟
1333M 二本木  08:44 長岡
325M 上田 09:20 直江津
1335M 二本木  10:05 直江津
329M 長野 10:40 直江津
あさま1号 上野 11:05 直江津
白山1号 上野 13:24 金沢
333M 長野 13:28 直江津
とがくし3号  上田 14:26 新潟 上田-長野間普通列車 
あさま11号 上野 15:00 直江津
337M 高崎 15:44 直江津
南越後 松本 16:39 新潟 松本-長野間普通列車
1345M 二本木  17:11 長岡
341M 上田 18:07 直江津
白山3号 上野 18:59 金沢
1347M 新井 19:07 新潟 当駅始発
351M 長野 21:00 直江津
あさま25号 上野 21:55 直江津
1353M 妙高高原  22:34 直江津
355M 長野 23:21 直江津
上り
列車名 始発駅 発車時刻 終着駅 備考
能登 金沢 01:10 上野
324M 直江津 06:07 上田
1320M 直江津 (06:33)  新井 当駅終着
326M 直江津 07:27 高崎
1324M 柏崎 08:04 二本木 
あさま6号 直江津 08:11 上野
とがくし2号  新潟 09:19 上田 長野-上田間普通列車 
1328M 長岡 09:23 二本木 
328M 直江津 10:00 長野
あさま12号 直江津 10:40 上野
南越後 新潟 11:06 松本 長野-松本間普通列車
334M 直江津 12:18 長野
白山2号 金沢 13:45 上野
340M 直江津 14:40 長野
あさま24号 直江津 15:43 上野
1336M 長岡 16:20 二本木 
346M 直江津 17:11 小諸
白山4号 金沢 17:45 上野
350M 直江津 18:06 長野
1340M 長岡 (18:59) 新井 当駅終着
352M 直江津 19:30 長野
とがくし4号  新潟 20:21 長野
1346M 直江津 21:19 妙高高原 
356M 直江津 21:56 上野 長野-上野間急行妙高 

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2012年2月25日 (土)

新井駅(えちごトキめき鉄道)

本日の駅紹介はえちごトキめき鉄道・新井駅。

2017年3月12日記、旧記事と統合してリニューアルを実施しました。

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Arai2020916

新潟県妙高市に所在する有人駅で、同市の玄関駅です。
開業は明治19年(1886年)8月15日で、直江津、高田関山の各駅と共に新潟県内最古の駅という、新潟の鉄道史において特筆すべき歴史的存在です。
開業以来、永らく信越本線の中堅駅として歩んできましたけれど、2015年3月の北陸新幹線金沢開業に伴って、信越本線の直江津-妙高高原間は第三セクター鉄道の「えちごトキめき鉄道」の妙高はねうまラインに移管されました。
新井駅は開業当時、中頸城郡大崎村の所在だったようですが、程なくして同村から分離した新井村の所在となり、明治25年に町制を施行して新井町となった後も周辺諸村を合併編入して逐次町勢を拡大。
昭和29年に更なる合併編入によって、市制を施行して新井市へ成長します。
町勢拡大においては、特に当駅北方至近のダイセル新井工場の誘致成功(昭和10年)が大きく貢献したようで、新井駅から工場へは専用線が敷かれて近年まで貨物輸送が行われていました。
その後、新井市は周辺町村を合併編入して新自治体・妙高市の中心地域となり今日に至ります。
なお妙高市の人口は、2016年10月現在で約3万3千人。
新潟県内30自治体中18位の人口規模です。 JR東日本によると、新井駅がJR所属時代に最後に記載されていた2013年度の一日平均乗車人員は1,196人で、同社新潟県内有人75駅中38位。
3位の六日町駅と6位の犀潟駅はほくほく線直通旅客を含む数字なので、新井駅の順位は実質36位ということになります。
同年度で在来線の自動改札化が成されていない駅としては、越後線・越後曽根駅に次ぐ第二位の堂々たるものなのです。
当駅と一日平均乗車人員がほぼ同じ羽越線・中条駅(胎内市の玄関駅)や、やや少ない磐越西線・五泉駅(五泉市の玄関駅)が自動改札化されていますから、利用状況から言えば当駅が自動改札化されても全く不思議ではありませんでした。
しかし、近い将来にJRから切り離されることが確定している駅に新規投資はなかなか出来かねるのは、民間企業としては当たり前の話。
ただ新井駅同様にJRから切り離される運命の高田駅の場合は、一日平均乗車人員が2,000人を優に超えて当駅の倍の数字ですので、駅業務の省力化を考えると自動改札化しても差し支えなかったのでしょうね。

さて自動改札無しで利用客が多いここ新井駅、駅構内を余すところ無く撮りたい私のような人種にとっては最大の鬼門なのでございまして・・・。
有人駅でも利用客が少ない委託駅の場合は、駅員氏に声を掛けて少し早く入れてもらえたりもしますが、当駅は国鉄時代さながらの厳格な「改札」を行いますから、声を掛けて早めに入れてもらう手は通用しそうにありません。
改札開始から列車到着まで10分を切った僅かな間に、二面の長大なホームを端から端まで撮り切るのはまず不可能でありますから、何度か再訪する必要があるのです。

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新井駅駅舎の様子、2016年9月撮影。
建築財産票によると竣工は昭和37年10月。
当時の国鉄地方中堅駅の標準的な横長平屋の建物です。
建物はJR時代と変化は無く、駅出入り口の看板がえちごトキめき鉄道型に変わっただけです。
ただJR時代には賑々しく色々と貼られていた企画きっぷやキャンペーンの宣伝類が無くなってしまったので、受ける印象は無味乾燥になってしまいました。
また、これは新潟発当駅止まりの特急「しらゆき」が到着して間もない時間の撮影なのですが、駅前広場で待機するタクシーはこんな感じ。
JR時代に比べて少なくなった印象です。

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JR東日本所属時代の新井駅駅舎内部の様子、2009年7月撮影。
改札時以外はチェーンでしっかり閉鎖されたホーム出入り口、昔ながらの「みどりの窓口」の表示、キオスク・・・全て国鉄時代のままで、私が子供の頃の駅は皆こんな感じだったなぁと、ノスタルジーにしばし浸った次第。
この時点でのキオスク営業時間は0730~1800、待合室開放時間は0510~2330。
当駅の待合室は私が当駅を訪れたいずれも賑やかで、列車到着30分前からベンチに座れないほどの人の数。
部活帰りの学生だけでなく一般客も多数です。
なお、このキオスクはウィキペディアによると、えちごトキめき鉄道に移管直前の2015年1月に撤退したそうです。
新井駅周辺にはコンビニが無いので、このキオスクは貴重な買い物空間でしたのに。
止むを得ないこととは言え残念です。

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えちごトキめき鉄道に移管後の新井駅駅舎内部の様子、2016年9月撮影。
内部も窓口や自動券売機がトキ鉄仕様になったのとキオスク撤退以外はJR時代と変わりません。
改札が厳格なのもJR時代と同様です。
下の画は待合室内のキオスク撤去跡です。
ベンチが増設されることもなく、完全に遊休空間になってしまっています。

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1番ホーム(直江津方面乗り場)の二本木駅方から見た新井駅構内、2011年6月撮影。
駅構内は駅名標がJR東日本型からえちごトキめき鉄道型に変わった以外、変化はありません。

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1番ホーム端から二本木駅方を見る、2011年6月撮影。
直江津駅から人口の集積した平野部を南下してきた鉄路も、新井駅から先は俄かにローカル色が濃くなってまいります。

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1番ホームの北新井駅方から見た新井駅構内、2011年6月撮影。

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1番ホーム端から北新井駅方面を見る、2011年6月撮影。
画像中央やや左にちらりと見えるプラントが、前述のダイセル新井工場です。

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新井駅跨線橋内部の様子、2016年9月撮影。
こちらも基本的に国鉄時代そのままで、天井の造りが何ともクラシカルで懐かしい。
駅舎内外と同様に、JR時代はびっしりと貼られていた宣伝類が無くなったので活気が無くなった印象を拭えないのですよ。



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跨線橋上から北新井駅方面を見る、2011年6月撮影。
貨物用とおぼしき中線が残っていました。

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同じく二本木駅方を見る、2011年6月撮影。
北新井方とは対照的に、行く手には山々が広がります。

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2番ホーム(妙高高原方面乗り場)の二本木駅方から見た新井駅構内、2011年6月撮影。
当駅の本線は一、二番線なので、待避・折り返し用の三番ホームよりも二番ホームの方が有効長が大です。
長野新幹線開業までは、このホームに長編成の上野行電車特急「あさま」「白山」が停車していたのです。→新井駅全盛期の時刻表はこちらのエントリーへ

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2番ホーム端から二本木駅方を見る、2016年9月撮影。

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2番ホームから見た新井駅構内中央部の様子、2016年9月撮影。

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2番ホーム上から見た新井駅駅舎ホーム側の様子、2004年9月撮影。

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2番ホーム端から北新井駅方を見る、2011年6月撮影。

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島式ホーム上屋部の様子、2011年6月撮影。
2016年9月現在でも、島式ホーム上に待合室はありません。
改札開始から列車到着まで僅かな時間しかありませんから、待合室の有無どころかベンチで座って待つ余裕すらあまり無いかもしれません。
ちなみに2004年4月訪問時点では、島式ホームの北新井方端手前に相当の経年と思われるもう一つの上屋がありました。

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JR時代の新井駅2番線から出発する長野色115系電車の長野行、2009年7月撮影。

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JR時代の新井駅の夕刻、3番線で折り返し待機中の115系電車直江津行、2004年4月撮影。

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JR時代末期の新井駅2番線に停車中の湘南色115系電車長野行、2014年5月撮影。
JR東日本の115系電車はえちごトキめき鉄道に乗り入れを行っていて、現在は新潟-新井間の快速列車として運行されています。

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新井駅1番線から出発する189電車使用の普通列車「妙高」直江津行、2004年9月撮影。

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新井駅2番線に停車中の189系電車「妙高」を跨線橋上から一枚、2011年6月撮影。

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新井駅2番線に停車中の189系電車「妙高」長野行、2013年10月撮影。
「妙高」は料金不要の列車としては、快速「くびき野」と共に破格の列車でした。
しかし115系電車三連はいつも混んでいて大抵は座れなかったのに、六連の「妙高」は概ねガラガラでしたなぁ。

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新井駅1番線に到着した189系電車国鉄特急色の「妙高」直江津行、2014年5月撮影。
塗装もちょっとハゲかかってきていました。

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夕刻の新井駅3番線で折り返し待機中の485系電車快速「くびき野」新潟行。
上は2009年7月、下は2004年9月撮影。
上越界隈からの帰宅の足として、新井駅を夕方に出発する「くびき野5号」は私の愛用する列車でありました。
指定席車が連結されるようになってからはそっちによく乗りました。
18きっぷとは関係ない普通の土日の指定席はいつもガラガラ。
直江津から新潟まで客は私ひとりなんてこともありましたっけ。
自由席は満員で立ち客もいるのに、誰もガラ空きの指定に移ってこないのです。
500円ちょっとの投資で大名気分を味わえるというのに。

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えちごトキめき鉄道移管後の新井駅2番線に進入するET127系電車妙高高原行、2016年9月撮影。
かつての115系電車と189系電車に変わる、新井駅に出入りする新たな顔です。

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新井駅で列車交換するET127系電車の妙高高原行と直江津行、2016年9月撮影。
上越都市圏の直江津-新井間にはJR時代同様に、区間列車が設定されています。


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新井駅1番線に停車中のET127系電車直江津行、2016年9月撮影。

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新井駅を出発したET127系電車直江津行、2016年9月撮影。
片側三扉の電車と背景のプラント、大都市圏の工場地帯を走る電車の趣です。

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新井駅1番線に停車中のET127系電車直江津行と、3番線で折り返し待機中の北越急行ほくほく線直通のHK100形電車、2016年9月撮影。

Arai2130916
新井駅3番線で待機中のHK100形電車越後湯沢行、2016年9月撮影。
えちごトキめき鉄道への移管後は、ほくほく線電車が新井駅まで乗り入れるようになりました。

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新井駅3番線で折り返し待機中のE653系電車特急「しらゆき」、2016年9月撮影。
新潟-長野間の「みのり」が2001年12月改正で廃止されてから、定期特急列車の発着が無かったここ新井駅。
しかしJRから切り離されると同時に運行を開始した「しらゆき」5往復のうち2往復が当駅発着になって、13年ぶりに特急停車駅の座に返り咲いたのです。
考えようによってはひどく皮肉な話なんでありますが。
さて、新井駅構内でこのアングルから撮影する場合、順光は本来午後なのです。
しかし新井発着の「しらゆき」は朝イチと午前中と夜遅くなのです。
現地で一泊しない限り、撮影のチャンスは午前中の折り返ししかありません。
しかし午前中はこのアングルだと逆光に・・・。
これを撮るためには天気が曇りであることが必須条件で、土日でそういう日をずっと待っておったのですけれど、9月下旬のこの日まで中々好機が廻ってこなかったのですよ。

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新井駅の「駅前通り」と言える道は二つあって、こちらが駅舎から見て左側の道です。
2016年9月撮影。

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新井駅から向かって左側の通りを少し進むと頸南バスの営業所があります、2009年7月撮影。
この地域の路線バスは、新井駅前広場ではなくこちらに発着しますので利用の際はご注意ください。
鉄道補完としては、新井-中央病院間の「上越大通り線」が運行されていて、北新井、上越妙高、南高田、高田各駅への足として使えます。
2017年3月現在は平日12往復、土休日9往復の運転です。
二本木駅へのバス路線は廃止されてしまい、現在は代わりに乗合タクシーが運行されています。
予約制なので来訪者はちょっと使えませんな。


Arai2210916
新井駅から向かって右側の通りの様子、2016年9月撮影。
駅前通り周辺の各所には北国街道「新井宿」の説明板が設置されていて、かつての宿場街の賑わいを今に伝えています。
通りには新井駅周辺唯一のスーパーが営業中です。
2011年6月にぶらぶら歩いた時には、通りにポール・モーリア風の音楽が流れていて、時折「ジェットストリーム」の英語版といった感じの小洒落たナレーションが人気の少ないアーケードに響いておったものです。
しかしこの日は音無しの構え。
あの音楽とナレーションは止めてしまったのか否か。

さて新井駅に関する歴史的資料を探して行き当たった興味深い話が、新井-飯山間の鉄道敷設提案の件。
飯山鉄道(現・JR飯山線)豊野-飯山間が開通する大正10年(1921年)10月までは、飯山地方の人は日本海側に出るのに、新潟長野県境の富倉峠を越えて新井に出ていたそうです(現在の国道292号線経由)。
当地域の地理に詳しくない方は今ひとつピンと来ない話だと思いますが、この富倉峠経由の場合、飯山から新井までは30kmに満たない近さなのです。
(飯山線豊野乗り換えの場合は約67km)
戦後、富倉峠経由で飯山-新井間に鉄道路線建設の話が新潟、長野両県の国会議員から提起された事もあったそうですが、資金の問題から具体化には至らなかったとの事です。
国鉄線として建設させるつもりだったのか、それとも私鉄線としてだったのかは資料に明記されておらず不明ですけれど、もし開通していたらどんな歴史を辿っていただろうかと妄想してみるのもまた楽しいもの。
国鉄線であれば、小編成の気動車列車が山間の小道をガタゴトと走り、直江津まで直通運転していたかもしれません。
特定地方交通線としてJRに継承される事なく廃止になっていたでしょうけれど。
なにしろ現在、新井から国道292号線を走るバス路線は富倉峠から6km以上手前までしか運行されておらず、運行本数も非常に少ないのですから。
自家用車が広く普及してからは、バスですらその程度の需要しか無いという事なのです。

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2012年2月19日 (日)

海賊戦隊ゴーカイジャー最終回「さよなら宇宙海賊」、祭りの後の寂しさよ・・・

とうとう終わっちゃいましたなぁ、海賊戦隊ゴーカイジャー・・・。
一年間ほぼ全話を視聴しましたけど、これほどハマって見た
戦隊は轟轟戦隊ボウケンジャー以来。
ゴーカイチェンジやOB出演というネタ以外にも、
「結果として地球を守ったことになっている」
というシチュエーションが、私のようなヒネたおっさんのツボに
嵌った結果でございました・・・。
年を取ると、「緑の地球の為にわるものたちとたたかうぞー!!!」とか、
「素晴らしい人間たちの為にいのちかけるぞー!!!」と最初から力んで
戦うというノリは、もうシンどくてついていけないんですよねぇ~。

女シンケンレッドとマジマザー
閑話休題、最終回「さよなら宇宙海賊」のAパートのヒロインゴーカイチェンジは、
ルカが女シンケンレッドに、アイムがマジマザーに。
女シンケンレッドはシンケンジャー本編で蜂須賀祐一さんが着たのと同じブツなので
しょうから、全身にぴったりフィットです。
一方マジマザーは、これまたマジレンジャー本編で蜂須賀さんが着たものでしょう
から、野川瑞穂さん(多分)には流石に少々大きいスーツですな。

ゴーカイイエローのマスクオフ
ゴーカイピンクのマスクオフ
ゴーカイイエローとゴーカイピンクのマスクオフ名乗りシーン、全編通じて白眉の
シーンでございます!
下のマスクオンもルカとアイムがやっているのかは、うーむ違うようなそうで
もあるような・・・、上半身だけだと判別が難しい。
全身映れば下半身の筋肉の付き方ですぐわかるんですが。
なお、この後は蜂須賀さんと野川さん(多分)でしょう。
流石にルカ&アイムがそのまま立ち回りもというわけにはいきませんでした。
せめて芝居パートがあればねぇ・・・二人がマスクを着けて会話するシーンが
見たかったっす。

この後は皇帝アクドス・ギル相手に連続ゴーカイチェンジのオンパレード。
皇帝陛下もただ打たれ強いだけのなんだかなーな悪役になってしまいました。
バスコの方が強敵として遥かに印象度大。

デンジピンクにゴーカイチェンジ
ゴーカイピンクはデンジピンクにゴーカイチェンジ。

イエローマスクにゴーカイチェンジ
ゴーカイイエローはイエローマスクにゴーカイチェンジ。
マスクマン本編のイエローマスクは、戦隊ヒロイン女形だというのに変身前に
比べて印象が薄いのですが、ゴーカイチェンジ版イエローマスクは艶かしくて
いい感じです。

ニンジャホワイトにゴーカイチェンジ
ゴーカイピンクは更にニンジャホワイトにチェンジ。

ゴーグルピンクとファイブイエローにゴーカイチェンジ
最後の最後になってリボンを得物とするヒロインの揃い踏み。
アイムのゴーグルピンクとルカのファイブイエロー。
ゴーグルピンクのスーツの色が以前よりもオリジナルに近くなっています。
女性のピンクと女形イエローのリボンで亀甲縛りされてトドメを刺されるのは、
まさしくヘンタイ男子の本懐と申せましょう。
ゴーカイTV本編でゴーグルピンクの登場は確か二度目ですが、単独での
活躍を見たかったですな。
見たかったと言えばピンクファイブ!
アップで映ったカットはとうとう全く無し!
紅顔の美少年のみぎり(おほほほほほほほほほっ!)に、竹田道弘さん演じる
ピンクファイブを見てもう辛抱たまらんかった身にとっては、ヒジョーに残念!
というしか他に言葉無し。

めまぐるしいゴーカイチェンジ
めまぐるしくゴーカイチェンジするイエローとピンク。
ルカはアバレイエロー~女イエローライオン~ゲキイエローに、
アイムはプテラレンジャー~タイムピンク~マジピンクにチェンジ。

最後のトドメは、皇帝にゴーカイガレオンバスターをブッ刺しての
ゼロ距離オーバーチャージ攻撃。
皇帝の死後、ザンギャックは内部崩壊を起こしてその勢力は弱体化。
ゴーカイジャーの面々は修理を完了したゴーカイガレオンで、「宇宙二番目の
お宝」getの為に地球を後に。
目指すはザンギャック本星との事。
その道行だけで映画が一本撮れそうです。
最後にレンジャーキーを地球に放出したので、これからは彼らに元々備わって
いた力のみで戦う事になるのでしょうが、自ら「35番目のスーパー戦隊」と
名乗るまでに成長した彼らの事ですから、それでも立派にやっていけるので
しょうね。

・・・ゴーカイジャーが終わってしまって、来週からはつまらない日曜日に戻りそう
だなぁ。
次はどのヒロインにチェンジするんだろう?とドキドキしながら迎えた日曜の朝は
もうこないのですよ皆様orz。
今の気分は祭りの後の寂しさよ・・・。

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2012年2月18日 (土)

出雲崎駅(越後線)

本日の駅紹介は越後線・出雲崎駅。

Izumozaki2010505

2017年3月12日記、出雲崎駅の旧記事版をこの新記事版に統合し、加筆修正しました。

当駅は新潟県三島群出雲崎町に所在する有人駅で、開業は大正元年(1912年)12月28日。
当時の越後鉄道の停車場としての開業で、開業当時は柏崎駅から東に順次延伸する鉄路の終端駅でした。
翌大正二年四月に当駅-地蔵堂駅(現・分水駅)間の開通によって、越後鉄道・白山駅-柏崎駅間が全通しています。 ここ出雲崎の地は江戸時代の天領で、北前舟の寄港地としてまた佐渡との中継点として栄えた土地で、周辺地域随一の人口と経済力を誇っており、出雲崎停車場開業当時は既に「町」でした。
当時の「町」は現在の凡百の「市」と同等かそれ以上の存在であり、大正初期においても当地のかつての威光がまだまだ残っていたことを窺えます。
明治22年の町発足以来、周辺町村を合併しながら今日に至っていますが、2016年10月現在の人口は4500人弱。
周辺町村の大半は平成の大合併の号令下で長岡市や柏崎市に合併編入されており、残っているのは原発城下の刈羽村と出雲崎町だけです。
柏崎刈羽原発が再稼動すれば潤う刈羽村と異なり、出雲崎町は人口分布から見ても今後長く単独でやっていくには厳しいのではと部外者は思うところでありまして、長期的には長岡市との合併編入もあり得るかと考えるところなのです。

なお越後鉄道の創立当初は、鉄路は町の中心である海岸地区を通る計画で、駅も尼瀬地区(道の駅越後出雲崎天領の里が所在する地区)に設置が考えられていたそうです。
しかし明治44年ごろには鉄路は現在の内陸ルートに変更し、現在の小木ノ城駅と、現駅から1km程新潟寄りに位置する沢田地区の競争になりましたけれど、結局両地区の中間地点で、町の中心に最も近い現所在地に決定したそうです。

もしも海岸沿いを通るルートがそのまま建設されていたら、寺泊、出雲崎両町は鉄道が中心街を通る事になり、また車窓が少々退屈な現ルートに比べれば、日本海を間近に望む、遥かに風光明媚なロケーションになっていたでしょう。
そうなれば観光には全く無縁な越後線の現行ルートと異なり、現在の五能線のようなビューポイントとしての売り出し方も出来たのにと、ちょっと惜しまれるルートの変更でした。
ちなみに前述の尼瀬地区は日石創業の地だそうで、明治14~15年頃にはまず手堀りで石油ブームが到来、24年には日石によって我が国初の油田の機械堀りに成功、27年には年産6100キロリットルを達成したそうです。
しかしそれをピークに以後減産の一途をたどり、出雲崎駅開業の頃には最早見る影も無しだったとの事・・・。
田中角栄氏の生地で、隣接する西山町が、昭和初期まで石油で大いに潤ったのと比べて、まさに明と暗なのでした。 Izumozaki102
出雲崎駅駅舎の様子、2011年6月撮影。
建築財産票によると、竣工は昭和56年11月29日。
三角屋根にシックな色使いの建物で、駅舎向かって左側は駐車場になっています。
駅舎向かって右側のベンチの少し先がバス停、その奥の小さな建物がトイレです。

出雲崎駅前バス停からは出雲崎車庫行(海岸の出雲崎町中心部)、大寺行、長岡駅前行が発着しています。
出雲崎駅前-出雲崎車庫間のバス所要時間は約10分です。
大寺は妙法寺駅から県道を出雲崎方に1km弱なので、越後線南部区間の駅巡りに活用可能です。

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Izumozaki105
出雲崎駅駅舎内部の様子、2011年6月撮影。
この時点では仕切りのない吹き抜けの待合空間です。
撮影したのは日曜の午後2時前ですが、JRの電化区間で屈指の過疎線区である越後線南部区間ゆえ、上下共にあと二時間列車が来ません・・・。 JR東日本によると2015年度の当駅一日平均乗車人員は215人で、同社新潟県内有人67駅中59位。
出雲崎町史記載のデータを基に計算すると、出雲崎駅一日平均乗車人員の変遷は下記の通りです。

大正2年(1913年) :   41人 
大正12年(1923年):  115人
昭和13年(1938年):  229人
昭和24年(1949年):  705人
昭和34年(1959年):1,484人
昭和44年(1969年):1,450人
昭和54年(1979年):1,021人

乗車人員は36年前比で実に79%減。
しかし平日上下22本という列車本数なので、輸送効率を考えれば中々に健闘しているとも思わせる利用状況なのです。
この健闘の要因は駅付近に所在する出雲崎高校の存在が大きいと思われます。
学生が周辺地域から集中する駅である為か、当駅の乗車人員に占める定期客すなわち学生の占める割合は実に92%になります。
定期外の乗車人員に占める割合は僅か8%で、私が当駅を訪問した休日の駅構内は人影もまばら。
列車間隔の空く午後はほぼ無人でガランとしています。

Izumozaki2021013
1番ホームの小木ノ城駅方から見た出雲崎駅構内、2013年10月撮影。
対向式ホーム2本に跨線橋という、ごくごくシンプルな造りです。
列車交換の無い場合、列車発着は1番線になっています。

Izumozaki107
1番ホーム端から小木ノ城駅方を見る、2011年6月撮影。

Izumozaki108
1番ホーム駅舎側の様子、2004年5月撮影。
この時改札が開いたのは列車到着一分前!
私は機会を捉えてまた再訪出来るのでまだよいものの、遠来の人が駅構内を撮ろうとしてこれでは洒落になりません・・・。
何しろ、改札抜けたら列車がホームに入りかかっているんですからね。
この時は雨が降っていたからなのか少々極端でしたけれど、この後3度の訪問いずれも改札は列車到着10分未満で、駆け足でホーム一面を撮るのが精一杯です。

Izumozaki109
1番ホームの妙法寺方から見た出雲崎駅構内、2011年6月撮影。
当駅三度目の訪問になった2004年10月時点では、駅名標は昔ながらのものでしたが、今回訪問では全てJR東日本標準型に代わっていました。
2番ホームのそれも取り替えたということは、当駅の列車交換設備は安泰という事でしょうか。

Izumozaki110
1番ホーム端から妙法寺駅方を見る、2011年6月撮影。
左側にモーターカーの車庫が見えます。

Izumozaki111
列車到着まで切迫していた為に、跨線橋を全力で駆け上がってとりあえず跨線橋内の様子、2011年6月撮影。
手ブレと光量不足で、画像を修正してもご覧の有様。

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跨線橋上から小木ノ城駅方面を望む、2004年10月撮影。
画像左の2番ホームの隣に横取り線が見えます。

Izumozaki113
同じく妙法寺駅方面を望む、2011年6月撮影。
画像右の2番ホーム隣にすっかり草生した横取り線が僅かに見えます。
この旧横取り線本線妙法寺方とは繋がっておらず、車止めが置かれています。

Izumozaki114
2番ホームの小木ノ城駅方から見た出雲崎駅構内、2004年10月撮影。
前述のように駅名標はこの時点では古いまま。
ホームの黄色いラインもまだ引かれておりません(現在は引かれています)ので、全てが国鉄時代のままのようです。

Izumozaki115
2番ホーム端から小木ノ城駅方を見る、2004年10月撮影。
出雲崎駅のホーム配置は古い駅の例に漏れず千鳥型ですが、同時期に作られた国有鉄道の駅とは異なり顕著なものではありません。
このホームの有効長が6両なのを見てもわかるように、開業当時は比較的大きな町の玄関駅なのに関わらず、構内は小さめです。
この辺は当駅の元々の出自を偲ばせるのです。

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2番ホームの妙法寺駅方から見た出雲崎駅構内、2004年10月撮影。
画像左側に車庫が見えますが、2011年6月訪問時には解体されていました。

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2番ホーム端から妙法寺駅方を見る、2004年10月撮影。

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2番ホーム待合室内の様子、2011年6月撮影。
2017年3月改正ダイヤでは、この2番ホームに停車する列車は19:16発柏崎行164Mのみ。

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出雲崎駅1番ホームに到着した115系電車吉田行、2013年10月撮影。

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小木ノ城駅方の踏切から見た出雲崎駅構内、2011年6月撮影。
なお、ここから下の画像は全て同日の撮影になります。

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妙法寺駅方の踏切から見た出雲崎駅構内。

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Izumozaki122 
出雲崎駅前通りの様子。
駅前にはスーパーのフランチャイズ店?が一軒。
周辺に店が無い為か、来店客は意外と言っては失礼ですが多いです。

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駅前通りから小木ノ城方の踏切を渡ると、国道116号線に出ます。
こちらにはコンビニが一軒。
コンビニも周辺に無い為か、こちらの入りも上々のよう。

Izumozaki124
出雲崎駅前に到着する出雲崎車庫行バス。
内陸の出雲崎駅と海岸沿いの出雲崎中心街との連絡は駅開業時からの課題で、当初は次の四案が検討されたそうです。
1.軽便鉄道 2.人力鉄道 3.ケーブルカー 4.自動車
ヲタ的には1か3が実現していれば、もう辛抱たまらん萌え具合だったのですが、結論は残念ながら4の自動車に。
出雲崎駅開業から約9年半後の大正11年7月に連絡自動車が運行を開始します。
なおこの自動車は町営ではなく、駅前の旅館が経営したとの事です。

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出雲崎駅前から10分で、海岸沿いの国道402号線に出て終点・出雲崎車庫に到着。
出雲崎駅前-出雲崎車庫間の運賃は200円です。

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車庫前から国道402号線寺泊方面を見る。
画像左側は「いずもざき海遊広場」。トイレも設置されております。

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車庫前からこれから進む柏崎方面を見る。
出雲崎町の市街地は東西に長く、折り返し地点の旧北国街道入り口までここから2km以上歩く事になりました。

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出雲崎車庫から約1.5km歩いて、「越後出雲崎天領の里」(画像右側)に到着。
時代館(入場料500円)とレストランが併設されており、出雲崎の観光拠点として賑わっていました。

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「越後出雲崎天領の里」併設の「夕凪の橋」から見た柏崎方面の様子。
この頃から小雨がパラつくようになって、海も空もパッとしない色合いなのが残念。

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「越後出雲崎天領の里」の向かい側にある石油記念公園。
当地の石油に関する資料は前述の時代館で見る事が出来ます。
こちらには露天で掘削機や石油蒸留釜などを展示。
・・・しかしぶっちゃけ、新津の「石油の里」に比べると、展示品の質量共に見劣りしますな・・・。

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天領の里から柏崎方向に少し進んで一枚。
手前のバス停「尼瀬2区」は柏崎駅前-出雲崎車庫線のみのバス停ですのでご注意。
土日は途中の椎谷止まりになりますが、椎谷から天領の里までの距離は約9kmなので、出雲崎市街見学に使うのはちょっと無理ですね・・・。

Izumozaki132
「夕凪の橋」から見えた立派な国道橋の頂点から天領の里方面を振り返り一枚。
画像左側に見える海に伸びる橋が「夕凪の橋」です。

Izumozaki133
この辺まで来ると、周辺は俄かにローカル色に。

Izumozaki134
夕凪の橋から徒歩約15分で、折り返し地点の旧北国街道へ。
ここから先の道は「妻入りの街並み」と呼ばれていて、北国街道の名残を今に伝えております。
ちなみに「妻入り」とは、道の解説板によると、
「切妻側面の三角形の側面方向に出入り口を設け、これを正面とする建築様
式」の事だそうです。
ちなみに江戸時代にはここ出雲崎が越後で最も人口密度が高かったとの事。
佐渡との交易中継地として大いに栄えていたのです。
今の静かな佇まいからは想像出来ない話なのであります・・・。

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旧街道入り口の「獄門跡」。
その名の通り、罪人を極刑に処し斬首した場です。
看板の字体が実におどろおどろしい。

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街並みの中に高々と屹立する「綱掘式削井機2号井」。
明治30年5月から昭和60年末まで使用されていたそうです。
この辺りから少し進んで右折すると「代官所跡」に出るはずだったのですが、ここまで来るのに道草を食いすぎて予定を大幅にオーバーしてしまい、帰りのバスの時間が切迫し始めたので已む無く今回の見学は断念。
二時間あれば街を一通り見て回れるだろうとスケジュール立てをして来たのですけれど、全く甘い見通しでした・・・。
最低、後一時間は必要でしたな。

Izumozaki137
良寛さまが18歳で剃髪後、四年間を過ごした光照寺。
周辺にはこの他にも趣きのあるお寺が幾つかあります。

Izumozaki138
内陸の出雲崎駅方面へ進む国道352号線付近まで戻ってきて、「妻入りの街並み」を振り返って一枚。
画像右側の店は、見たところ出雲崎市街地界隈唯一のスーパーのようです。

Izumozaki139
「良寛堂前」バス停に近づく帰路の長岡駅前行バス。

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出雲崎市街地は日本海と山地に挟まれた狭隘な立地。
内陸に向かう国道352号は一気に高度を上げます。
バス車中から眼下の街並みを一枚。
画像中央に見えるのが前述の「いずもざき海遊広場」。

せっかくの機会ですので、電化前の出雲崎駅時刻表をご紹介。
昭和55年10月改正ダイヤから作成しました。
この当時は急行を含め上下25本で、新潟直通便は急行を含め上下23本。
2011年3月改正ダイヤでは上下20本で新潟直通便は5本。
2016年3月改正ダイヤでは上下20本で新潟直通便は僅か2本。
新潟市から当駅を訪れる場合、電化前よりもずっと不便になっているのが現状です。
高速のICからは距離があり、高速バスの利用もバス停まで相当の距離があり現実的な選択肢とは言えません。
上越新幹線か高速バスで長岡まで行き、路線バスに乗り換えるのが最も妥当な選択と言えましょうか。

出雲崎駅時刻表
昭和55年10月改正ダイヤから作成
緑は急行列車

下り
列車名 始発駅  発車時刻  終着駅  備考
125D 柏崎 05:41 新潟
131D 柏崎 06:47 村上
135D 柏崎 08:29 新潟
ひめかわ  青海 08:52 新潟 全車自由席 
137D 柏崎 10:10 新潟
141D 柏崎 11:53 新潟
143D 柏崎 13:22 新潟
147D 柏崎 15:29 馬下
153D 柏崎 17:12 新潟
155D 柏崎 18:40 新潟
157D 柏崎 20:19 新潟
161D 柏崎 22:23 吉田
上り
列車名 始発駅 発車時刻  終着駅  備考
124D 吉田 06:08 柏崎
126D 新潟 06:42 柏崎
128D 新潟 07:39 柏崎
130D 新潟 08:53 柏崎
138D 新潟 11:04 柏崎
142D 新潟 14:04 柏崎
144D 新潟 15:30 柏崎
146D 新潟 16:50 柏崎
148D 新潟 18:11 柏崎
ひめかわ  新潟 18:41 青海 全車自由席 
152D 新潟 19:34 柏崎
154D 新潟 (20:11)  出雲崎  当駅終着
156D 新潟 21:01 柏崎

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2012年2月12日 (日)

海賊戦隊ゴーカイジャー第50話「決戦の日」をヒロイン目当てで見る

最終回まで残すところあと二回の海賊戦隊ゴーカイジャー、第50話
「決戦の日」であります。
前回のラストに登場した、空を埋め尽くさんばかりのザンギャックの
大艦隊に、ロボの大いなる力を総動員して戦うゴーカイジャー。
彼らのあまりの無双ぶりに、あの大艦隊がこれで全滅か!?とザンギャック
の見掛け倒しのヘタレっぷりと予定調和っぷりに失望しかけましたが、流石は
全宇宙支配を目論む連中です、その戦力は無尽蔵でしたな。

地球最大の危機を前に、「宇宙最大のお宝」の力で全てをリセットするのでは
なく、自分達の力で敵を倒す、地球を守ってみせると決意した若者たち。

ゴーカイジャーの6人
最終回前のクライマックスで、彼らは正真正銘「スーパー戦隊」を
名乗るに相応しい存在になったわけです。

戦うゴーカイイエローとゴーカイピンク
本日はヒロイン二人のチェンジは無し。
代わりにルカの「うっさいバーカ!」が、万感の想いがこもっているようで
よかったですなぁ。
・・・しかし来週で終わりだなんて何だか信じられませんなぁ・・・。

OPのゴーカイイエローとゴーカイピンク
オープニングのこういう画も、本日で最後かもしれません。
最終回はラストカットで主題歌が流れそう。

さて来週は、何と言っても変身前の6人がマスクオフ姿で名乗りポーズを
決めている?のが最大の見所かと。
他にもアカレンジャーの誠直也氏他、ゲスト多数との事でこちらも楽しみ。

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足滝駅(飯山線)

本日の駅紹介は飯山線・足滝駅。

Ashidaki2010505

足滝駅は新潟県中魚沼郡津南町に所在する新潟長野県境の無人駅で、開業は昭和35年7月15日。
開業時点で津南町に所在していました。

足滝駅の国鉄駅としての開業は前述の通りですけれど、飯山線の前身である飯山鉄道時代に、信濃川流域電源開発工事に関連して昭和11年12月に足滝仮停車場が設けられていたのが、当駅の意外な歴史です。
あくまで電源開発工事に伴う資材搬入等が主目的でしたけれど、便宜的に旅客扱いも行っていたとの事で、山深く交通不便この地にとっては、この仮停車場は大いなる福音であっただろうと思われます。
昭和14年11月に工事が終了した後も、引き続き仮停車場として使用されておりましたが、昭和19年6月に飯山鉄道が国有化されると、足滝停車場は廃止。
戦後の昭和26年に駅復活の陳情書が地元から当局に提出されて、昭和35年春に復活が決定。但し請願駅として諸費用合計155万円を負担するという条件付きでした。
地元負担と言えば、昭和25年に開業した上越線・北堀之内駅は54万5千円、昭和28年に開業した信越線・長鳥駅は約230万円。
両駅共に幹線の駅であり、特に長鳥駅は相当の設備圧縮・簡素化を図ったとはいえ、簡易線規格の足滝駅とはそもそもグレードが違います。
しかし駅設置地元負担は平地の北堀之内駅の三倍近い金額、勾配区間に設けられて駅設置に相当の苦心をした長鳥駅の約7割というかなりの金額です。
当駅は画像をも見ればお分かりのように山深く極めて狭隘な立地ではありますけれど、この金額が果たして妥当であったのかどうかは非常に興味深いところです。

十日町市史によると、足滝駅の昭和40年度の一日平均乗車人数は49人、平成4年度は7人で、27年間で約86%の減少。
現在は更に少なくなっているでしょうね。
駅復活を切望しての大金負担も既に忘却の彼方という感じの利用実態です。
周辺人口を考えれば仕方のないのではありますが・・・。
また、昭和50年度から55年度にかけて36人から11人へ大幅に減少しておりますが、これは飯山線に並行する国道117号線の整備進捗と関連しているのかもしれません。
なお当駅は復活開業当初より「停留所」で恐らくは無人駅、貨物・手荷物取り扱いはありませんでした。

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越後田中駅方から見た足滝駅構内、2011年5月撮影。
なお画像は全て同日の撮影です。
駅は山地と信濃川に挟まれた狭隘な立地です。

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ホーム端から越後田中駅駅方を見る。
山深くレールも細く・・・森林鉄道のような趣であります。

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足滝駅ホーム上の待合室周りの様子。
豪雪地帯ゆえに、待合室の側窓はしっかりとガードしていますな。

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足滝駅待合室内部の様子。
建築財産票によると、昭和35年12月の竣工。
駅開業の五ヶ月後に完成した事になります。
室内には壁に作り付けのベンチとゴミ箱。
スコップ等が置かれていて、冬季の除雪待機所としても使われているようです。

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森宮野原駅方から見た足滝駅構内。

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ホーム端から森宮野原駅方を見る。
画像右が下へ降りる通路です。

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足滝駅に停車中のキハ110系気動車戸狩野沢温泉行。
降車は私ひとり、乗車はゼロ。

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森宮野原駅方のトンネル。

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線路を横断する通路。
200近い新潟県の鉄道駅でも、ここまでローカルなモノは足滝駅だけですな。

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線路上の通路から見た足滝駅。

Ashidaki111 Ashidaki112
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下へ降りる通路。
ほとんど登山道のようなノリであります。
以前のエントリーでも書きましたが、バリアフリーもへったくれも無いアクセシビリティへの無配慮ぶりは凄すぎますな・・・。
階段にするだけでもかなりの改善を見ると思いますけれどね。
飯山鉄道由来であろう通路壁面の仰々しい造りは中々に興味深い。

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下ってきて県道に出て振り返って一枚。
真ん中の道がホームに至る通路へ通じています。
画像真ん中右寄りの人家の屋根の少し上に足滝駅のホームがチラリと見えます。

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県道津南方の様子。
道沿いに人家がポツポツ。
行き交うクルマも無く、信濃川の流れる音に支配された閑寂なところです。
この道を進み、信濃川に架かる上郷橋を渡ると国道117号線に出ます。
その距離は約1km。
国道には越後湯沢・津南-森宮野原間の路線バスが走っています。
私は今回の取材時に、当駅東隣の越後田中駅から国道に出て津南まで路線バスを利用しましたが、津南-森宮野原便は小型のバスでした。
津南を見て回った後に飯山線で森宮野原に行き、津南まで引き返して行く形になる越後湯沢行に乗車して石打まで行きましたけれど、その便は古びた普通の路線バスです。
どちらにしてもガラガラでしたけどね・・・。

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Ashidaki118 
足滝駅への通路は途中で二股になっていて、先ほどの道とは違って人があまり通っていなさそうな方を進むと、先ほどの駅入り口から森宮野原方に進んだ地点に出ます。
画像真ん中はそこから森宮野原方面を見た画。左側の川が信濃川です。
森宮野原まで歩いて行くのであれば、距離的には前述の上郷橋~国道経由よりもこの道を進む方が近いです、距離は約3km。
ただロケーション的には野生動物さんとの不意遭遇に注意したいところではあります。
下の画像は津南方の様子。

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2012年2月11日 (土)

昭和55年10月改正ダイヤの石打駅時刻表

本日、石打駅エントリーに加筆と画像大幅更新を行いました。
そのついでといっては何ですが、かつての石打駅華やかかりし頃の時刻表を
作成しました。
石打駅の場合、華といえば往年のスキー列車群が咲き乱れる冬季ダイヤなの
ですけれど、残念ながら手元にある時刻表は春のもので冬の華の競演を載せ
られないのが残念です・・・。

この当時の普通列車停車本数は上下21本。
早朝の下り長岡行は特殊ですから実質20本。
平成23年3月改正ダイヤでは上下30本で、土休日には2本プラスの32
本です。
本数的には五割増しですけれど、昭和55年当時は六連は当たり前。
現在は二~四連というところ。
115系電車の定員換算だと、本数五割増ほどには増えていないのではと
思われます。

石打駅時刻表
昭和55年10月改正ダイヤより作成
赤字は急行列車
下り
列車名 始発 発車時刻 終着 備考
733M 上野 03:29 長岡
461M 越後湯沢 06:18 新潟
433M 水上 07:23 新潟 長岡-新潟間快速
721M 高崎 09:11 新潟
723M 上野 10:14 長岡
佐渡1号 上野 10:38 新潟
よねやま 上野 11:50 直江津
725M 高崎 13:38 新潟
727M 高崎 16:14 長岡
469M 越後湯沢 17:08 長岡
729M 上野 18:07 長岡
731M 高崎 21:04 長岡
上り
列車名 始発 発車時刻 終着
722M 石打 06:17 高崎 当駅始発
724M 長岡 08:25 上野
422M 新潟 10:52 高崎
よねやま 直江津 11:32 上野
424M 新潟 12:03 越後湯沢
728M 長岡 14:33 高崎
730M 長岡 16:33 高崎
732M 長岡 17:58 上野
佐渡6号 新潟 18:06 上野
440M 新潟 19:13 越後湯沢  新潟-長岡間快速 
734M 長岡 20:26 高崎
468M 長岡 21:49 水上
470M 長岡 23:52 石打 当駅終着

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2012年2月 5日 (日)

海賊戦隊ゴーカイジャー第49話「宇宙最大の宝」をヒロイン目当てで見る

前回、宿敵バスコを倒して、レンジャーキーを全て手に入れたゴーカイジャーたち。
果たして「宇宙最大のお宝」の真実とは!?
海賊戦隊ゴーカイジャー第49話「宇宙最大の宝」であります。

ゲスト出演のファイブイエロー・星川レミ
海賊戦隊ゴーカイジャーの本日放送分は五人のレジェンドが出演、
その紅一点がファイブイエロー・星川レミ。
演じる成嶋涼さんがファイブイエローのスーツを身に着けて撮影したのが
よくわかるショット。
・・・ても出番はほんのちょこっとorz。
出来れば単独でゲスト出演して、ファイブマンの大いなる力を後輩たちに
授けてほしかったですな。
彼女ならまだアクションもバリバリ出来るでしょうし。

女版グリーンフラッシュにゴーカイチェンジ
本日のヒロイン変身その一、アイムはフラッシュマンの大いなる力で女性版
グリーンフラッシュに変身。
一番上の画像、ゴーカイピンクのゴーグルに人が一杯映ってますな。
シャットゴーグルは勿論合成ですけれど、コレに激萌えの方は多数おられる
のでしょう。
私は生憎CGや合成には萌えないので・・・。
やはり人肌恋しい年頃なのねん。

ファイブイエローにゴーカイチェンジ
本日のヒロイン変身その二、ルカはファイブマンの大いなる力を使って
ファイブイエローに変身。
ゴーカイピンク同様に、ゴーグルに人が一杯映ってます。
蜂須賀祐一さんは以前にファイブイエローを再演していますが、前回よりも
今回の方が体型が整っていて、ぴっちりとした黄色の光沢が何とも艶かしい。

レジェンド戦隊にゴーカイチェンジ
勢ぞろいしたレジェンド変身。
今回、鎧クンはロボ戦に専念です。

女グリーンフラッシュのアクション
野川瑞穂さん演じる女性版グリーンフラッシュの力感溢れるアクション。

ファイブイエローのアクション
蜂須賀ファイブイエローの華麗なアクション。
最早トドメを刺されても本望ですよ私は!

今回が最後の出番のインサーン
インサーン姐さんも本日で最期を迎えられました。
散り際の言葉は「アクドスギルさまぁ~!」
自称永遠の17歳声のなんとも色っぽい叫びでございましたな。
悪者の典型的なラストワードですが、彼女の場合はもっと別の生かし方も
あったんじゃないかなぁと。
割と組織と一線引いてる雰囲気があったし・・・、私は彼女が最後にザンギャック
を見限る(ジェラシットたんとの絡み付きで)と思っておったところでしたが。
インサーン姐さんが本格的に前線で戦ったのは今回が最初で最後?でした
けれど、アクション用のマスクには、あの肉厚でエロい唇にスリットが入っている
んですね。
普段の芝居用にはスリット入っていなかったよーな・・・?
これなら、猿顔の一般市民に一目ぼれした時に、カレのくちびるを奪って思うさま
唾を飲ませるのも可能ですなw。

空を埋め尽くすザンギャック艦隊
空を覆いつくすザンギャックの大艦隊。
ゴーカイジャーばかり戦わせて、NORADやロシア宇宙軍は一体何をしとん
ねんと小一時間。
SF小説「降伏の儀式」で、ウゴウゴルーガの桃色ぞうさんみたいなエイリアンと
ワーストコンタクトした時は、地球軌道上の連中の航宙船群を米軍がICBMで
迎え撃っていましたぞ!
しかしこの数は・・・地球防衛艦隊の拡散波動砲編隊射撃でも殲滅は無理でしょう。
皇帝の旗艦にマクロスアタック的な攻撃を仕掛けるか、キャプテンハーロックの
ように敵旗艦のブリッジにチューブを直接撃ち込んで乗り移って白兵戦を挑む
他ないですな。

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粟生津駅(越後線)

本日の駅紹介は越後線・粟生津駅。

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新潟県燕市に所在する無人駅で、開業は大正3年(1914年)7月10日。
開業当時は西蒲原郡粟生津村の所在で、同村の玄関駅でした。
粟生津村はその後昭和29年に周辺町村と合併して吉田町となり、平成18年3月に広域合併で燕市の一部となり今日に至ります。

JR越後線の前身である越後鉄道は、大正2年4月に白山-柏崎間の全通を見ましたけれど、その当時から沿線自治体からは「停車場が少ない」との不満の声が少なからず聞こえたようで、会社側もそれを受けて新駅を二つ新設する事を決定します。
一つは関屋-内野間に寺尾駅、もう一つが西吉田(現・吉田駅)-地蔵堂(現・分水駅)間の当駅・粟生津でした。
しかしそれは「乗客や貨物がある時のみ停車」!の「停留場」扱いで(バス停並みですなコレでは・・・)、これに大不満の粟生津村は村議会が粟生津停留場の「停車場」(列車交換設備と貨物扱いを擁する)への格上げを会社側に働き掛けます。
その甲斐あってか大正5年に目出度く停車場への昇格が実現しました。
資料には働き掛けの中身について触れられておれませんでしたが、当時の他駅の誘致状況を考えるに、駅拡張の為の土地の無償提供などはあったのでは?と推察するところですが実際は果たして?

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粟生津駅舎の様子、上が2011年4月、下が2005年9月撮影。
建築財産票によると竣工は昭和45年9月(同年12月の別表記も有り)。
トイレは建物右側に設置されていて男女共用で水洗、しかしぶっちゃけ汚かったですな・・・。
駅前広場は相応の広さで、この辺は流石元「停車場」です。
なおこの広場には燕市が運営する路線バスの粟生津バス停が設置されていて、分水-間の「スワロー号」と吉田地区巡回の「バーベナ号」が発着します。
但しこれらの運行はいずれも平日月曜-金曜のみで、土休日の駅巡りには一切活用出来ないのが残念なところです。
・・・まぁ当駅の場合、近隣駅にはいずれも近距離なので歩いてみるのもまた一興と思いますが(私だけかこんな事思うのは!?)。
分水駅まではおよそ4.5km、南吉田駅までおよそ1.6kmで、私は2011年4月に吉田駅から南吉田駅経由で当駅まで歩いて来ましたけれど、デジカメのデータを見ると、吉田駅を出発して当駅到着まで一時間ジャスト。
日頃の運動不足を自覚されている諸氏には丁度良いウォーキングになるのではと思われますです。

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粟生津駅駅舎内の様子、2011年4月撮影。
室内には券売機一台とベンチが一脚とゴミ箱のみで、元有人駅らしい広めの空間はただただ殺風景。
旧窓口跡は板で塞がれて掲示板になっております。

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ホームから見た粟生津駅駅舎、2005年9月撮影。
元島式のホームから駅舎へは構内通路で連絡。

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南吉田駅方から見た粟生津駅構内、2011年4月撮影。
画像左手は比較的新しい住宅街になっております。
しかし住民の方々は学生諸君以外、当駅は利用しないのでしょうなぁ・・・。

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ホーム端から南吉田駅方を見通す、2011年4月撮影。
線路は一直線に伸びていて線形は良いのですが、簡易電化故に電車のスピードはイマイチ。

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粟生津駅ホーム中央部の様子、2011年4月撮影。
ホーム上にベンチはありません。

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分水駅方から見た粟生津駅構内、2005年8月撮影。
越後鉄道時代は路線自体に大きな需要があったわけではなく、国鉄時代も簡易線規格で旅客貨物共に幹線のような長編成は無かったにしては、当駅のホームは意外を通り越して驚異に感じる程長大に見えます。

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ホーム端から分水駅方を見る、2005年8月撮影。
ホームのすぐ先の踏切を左に進むとすぐに国道116号線に出ます。

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撤去された線路跡の様子、2005年8月撮影。
南吉田側は既に売却されており、分水側は草木が生えたまま放置状態。
昭和57年のCTC化時、遅くとも越後線電化(昭和59年)時には粟生津駅の列車交換設備は撤去され棒線化されたものと推察する次第ですが?

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分水方踏切から見た粟生津駅駅構内、2011年4月撮影。
正攻法に真っ直ぐなホームの形状ゆえ、ぶっちゃけ面白味はありません。

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南吉田方踏切から見た駅遠景、2011年4月撮影。
駅から少々距離がある分、旧分岐跡の観察も出来るのですが確認出来ません・・・、電化工事の際に線形改修でもしたのでしょうか?

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粟生津駅に到着した柏崎行115系電車、2011年4月撮影。


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駅前通り分水方面を見る、2011年4月撮影。
駅前通り周辺は昔ながらの集落で、JAと美容院が目立つ程度です。
画像手前左に見えるのが、前述のバス停です。

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粟生津駅至近の国道116号線吉田方面を見る、2011年4月撮影。
この時点では画像左のセブンイレブンの他に食堂が一軒ありました。

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