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2012年1月 8日 (日)

米山駅(信越本線)

本日の駅紹介は信越本線・米山駅。

2017年2月24日記、画像入れ替え及び加筆修正しました。

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新潟県柏崎市の西端に所在する無人駅で、開業は明治30年(1897年)5月13日。
柏崎駅を発ち鯨波駅手前から続く峻険な山地と日本海に挟まれた地形=米山福浦八景を進んできた鉄路の視界も、この駅を境に急速に開けてまいります。
開業当時の駅名は当時の村名(中頚城郡鉢崎村)を採って「鉢崎」で、当駅は北越鉄道・春日新田駅(地名から察して、現在の直江津駅-黒井駅間に架かる関川の鉄橋東側に
設けられていたようです、あの鉄橋を架けるのに時間を要する為の暫定措置だったのでしょう)から東に伸びる鉄路の終端に位置していました。
それから約三ヶ月後の同年8月1日には当駅-柏崎駅間が延伸開通し、鉢崎駅は終着駅から幹線上の一ローカル駅にその身を落として現在に至ります。
鉢崎村はその後、明治34年に周辺諸村との合併で中頚城郡米山村となり、同村は戦後の昭和31年末に柏崎市に合併編入されて今日に至ります。
鉢崎駅から現在の米山駅に改称されたのは昭和36年3月20日ですが、これは当地域が柏崎市に編入されたのを機に起こった改称運動の結果だと聞きます。
しかし米山村が無くなった後の改称ですから、この二文字から誰もが連想するのは旧村名よりも日本百名山の一つに数えられる霊峰・米山。
しかしその米山の登山口までは当駅から徒歩一時間とかなりの距離があって、登山の玄関駅とは言いかねる感強し。
ウィキペディアによると、米山駅が駅舎との合築であるJAの委託を終了して無人化されたのは2002年10月との事です。
JR東日本のHPを見ると、当駅が「一日平均乗車人員」表に載っていたのは2001年度が最後で、それによると米山駅の一日平均乗車人員は83人で、当時のJR東日本新潟県内有人89駅中86位。
当駅より下位にあるのは只見線・入広瀬駅(56人・87駅)と大白川駅(9人・最下位)、羽越線越後寒川駅(31人・88位)に過ぎず、これら三駅も2009年度末までに無人化されています。
柏崎市統計要覧によると、当駅の平成20年度の乗車数は年間16,100人(一日平均44人)。
平成17年度は一日平均35人まで落ちていましたから、そこから幾分かの回復傾向にはあるものの、当駅利用が有人時代の約半分に減ってしまっているのは矢張り寂しい・・・。
実際、信越線を幾度と無く利用しても土日の米山駅は乗降ごく僅かで、かつて二面四線を誇った広い構内ゆえにその寂しさは近隣の笠島青海川、鯨波の各駅以上に強調されて映ります。

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米山駅駅舎の様子、2013年6月撮影。
JA柏崎の米山支所との合築で、建築財産票によると竣工は昭和61年11月。
合築のJA支所が閉鎖されて建物が遊休化している例は、新潟県内では他に磐越西線・日出谷駅がありましたが、あちらは最近建物が取り壊されております。
こちらの建物も今年で築26年であり、建物に入っている診療所(現在もやっているのかどうか?)の行き先が決まれば駅舎の解体も充分に予想出来るところ。
建物のメンテナンスをやっていないのか、2008年5月時点と比べて劣化が進んでいるようです。
なおトイレは画像左側の建物(跨線橋下)で、水洗なのが流石元有人駅です。

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駅前広場の先の道路から見た米山駅駅舎と駅前の様子、2013年6月撮影。

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米山駅前通りの様子、2013年6月撮影。
直進すると国道8号線に出ます。
通りに目立つのは郵便局のみの、静かな海辺の米山地区であります。

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米山駅駅舎内の様子、2013年6月撮影。
有人時代の面影を今に留める内部には自動券売機一台と一人掛けベンチが七脚。
2005年10月訪問時にはまだ券売機は未設置で、代わりに乗車証明発行機が置かれていました。

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駅舎内に掲げられた周辺の案内、2005年10月撮影。
当駅から米山山頂までは3時間30分、休憩を入れて4時間半あれば行けそうですな。
余談ですが、個人的に「米山」と聞いて真っ先に思い浮かべるのが「三階節」。
小学生の頃、80代とおぼしきしわくちゃの枯れた婆様から、それは見事ななまりの入ったダミ声で、
「よねやましゃんから~くもぉぉぉがぁぁぁぁでたぁぁぁ~♪」
と一節聞かされて、それが今日まで耳から離れないのですw。

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跨線橋に通じる通路から待合室を見る、2008年5月撮影。
駅舎はホームと直接繋がっておらず、この通路から跨線橋を通って上下ホームへ向かいます。

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米山駅跨線橋内部の様子、2013年6月撮影。
通路が広いのは、至近の「米山海水浴場」利用客で混みあうのを見越しての事でしょうか?
そのような事例は北陸本線・谷浜駅に見られます。

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跨線橋上から柿崎駅方面を望む、2008年5月撮影。

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同じく笠島駅方面を望む、2008年5月撮影。
こちら側からの景観は素晴らしいの一言。

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上りホーム(直江津方面)柿崎駅方から見た米山駅構内、2013年6月撮影。
前述のように、廃止された中線には架線柱がどーんと鎮座。
上越新幹線開業前の昭和55年10改正ダイヤを見ると、当駅での普通列車の優等退避は下りのみ三回ありました。
米山駅停車普通列車は上下合わせて22本という時代です。
(2011年3月改正ダイヤでは同25本)
それら普通列車をこの中線に待たせて本線を駆け抜けたのは急行「よねやま」上野行、特急「白鳥」青森行、特急「雷鳥13号」新潟行。
どの列車も皆遥か郷愁の彼方ですな・・・。
参考までに直江津-長岡間の他の駅(直江津駅と長岡駅は除く)を見ると、宮内駅で下り1本、来迎寺駅で下り1本上り2本、柿崎駅で下り1本、犀潟駅で上り1本の優等退避という具合。
ちなみに当時の同区間昼行優等列車は特急7往復(白鳥、北越、雷鳥3往復、はくたか2往復)と急行5往復(赤倉、しらゆき、よねやま、とがくし2往復)、他に柏崎-直江津間に
急行「ひめかわ」という面々。 上越東北新幹線上野開業時の昭和60年3月ダイヤを見ると、普通列車は基本的に優等列車に続行するダイヤパターンに変更されている為、米山駅での優等退避は無くなり直江津-長岡間でも安田駅で二回あるだけになりました。
その時点での同区間昼行優等列車は特急9往復(白鳥、雷鳥3往復、北越5往復)、急行3往復(南越後、とがくし2往復)です。
ほくほく線開業と特急「はくたか」運行開始に伴って、金沢-長岡間の特急「かがやき」が廃止され、安田駅での列車退避が無くなってからは、信越線長岡-直江津間の優等列車退避は柏崎駅と柿崎駅に集約されて今日に至っています。

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上りホームの端から柿崎駅方を見通す、2013年6月撮影。
廃止された中線には、「二度と甦らないようにトドメ刺しときましたっ♪」なノリの架線柱が。

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上りホームの左側には貨物用ホームらしき遺構が残っています、2013年6月撮影。

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上りホームの跨線橋出入り口と上屋辺り、2013年6月撮影。
日本海から吹き込む季節風から客を守るための遮風壁付き。
中線が健在だった頃からこういう形状なのか興味の湧くところです。
この時点ではベンチは設置されておらず、駅撮りで列車待ちの時は身の置き所がないのが辛いところ。

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上りホームの笠島駅方から見た米山駅構内、2013年6月撮影。
外から見ても堂々たる跨線橋が目を惹きます。

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上りホーム端から笠島駅方を見る、2013年6月撮影。
こちら側の旧中線にも、当然トドメ刺しの架線柱が無慈悲に屹立しているのです。

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下りホーム(長岡方面乗り場)の笠島駅方から見た米山駅構内、2013年6月撮影。
古い時代の駅の常として、当駅のホーム配置も千鳥型です。

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下りホーム端から笠島駅方を見通す、2013年6月撮影。
右隣の撤去された中線跡が物悲しいのです。

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下りホームの跨線橋と上屋周り、2013年6月撮影。
こちら側にもベンチは置かれていません。

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下りホームから見た米山駅構内の中心部、2013年6月撮影。

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下りホームの柿崎駅方から見た米山駅構内、2013年6月撮影。
駅の人気の無さとは対照的な、この時期の周辺の開放感とあっけらかんとした明るさが印象的。
しかし厳冬期の今はそれとは違った、灰色の空と雪と烈風と荒々しさを剥き出しにした日本海の白い波の牙が、旅人に苛烈な自然の本質の一端を見せつけているのでしょう。

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下りホーム端から柿崎駅方を見通す、2013年6月撮影。
ホームの先に構内通路があるのに注目。

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旧貨物用ホームらしきところが構内通路の出入り口のようです、2013年6月撮影。
手前には「ここは踏切ではありません 立ち入らないでください」の警告が。
ここは画像中央の機関車待機線?らしきものも要チェックです。

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もう一本の中線?跡、2005年10月撮影。
こちらはかなり前に廃止されたらしく、線路は撤去されております。
ホームの中線方には白線すら無く、ホームの形さえ崩れかけています。
当駅取材がひとまず終了した2008年5月以降、信越線の車中から当駅を見ると、この中線跡の柿崎方で工事が行われていたのですがアレは何の工事なのだろうと常々疑問に感じていたところ。
護岸工事なのかはたまた?

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柿崎方の丘の上から見下ろした米山駅全景、2005年10月撮影。
この画像は大きくしてあります。
季節柄、やたら赤トンボが多いのには閉口しました・・・
左上のヤツは交尾中だしw。
しかしこうして俯瞰で見ると、往時の駅の規模はかなりのものだったのがよくわかります。

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米山駅を出発する115系電車直江津行、2013年6月撮影。

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米山駅の旧貨物ホームから見た構内と発着する115系電車、2005年10月撮影。

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米山駅を通過する四両編成時代の485系電車快速「くびき野」新潟行、2005年10月撮影。

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米山駅を通過する485系電車T編成の上り金沢行特急「北越」、2013年6月撮影。

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米山駅を通過する485系R編成の下り新潟行特急「北越」、2013年6月撮影。

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米山駅を通過するEF81形電気機関車牽引の上り貨物列車、2013年6月撮影。

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米山駅を通過するEF510形電気機関車牽引の下り貨物列車、2005年10月撮影。

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駅前通りを進んで国道8号線に出る、2008年5月撮影。
画像左側にバス停がありますが、これはスクールバス用で、廃止された路線バスのものを転用しているようです。
かつては柿崎から当地域にバス路線があったようで、柿崎駅前通りのバス営業所の待合室に掲示してあるバス路線図は、米山方面への路線をテープで貼って消していました。
現在、柿崎駅-青海川駅間の公共交通機関は信越線のみになっています。
当地域は柏崎市の「交通空白地区・不便地区」とされており、2007年から地域住民主体の「乗合タクシー」の試行実験を始めたとの事です。
2016年時点では毎週火曜運行で事前予約制です。
旧柿崎町(現・上越市柿崎区)がずっと近いので、そちらへの交通利便性向上が必然だと思いますが、自治体またぎのコミュニティバス整備は難しそうですね・・・。
なお、この国道沿いも見通す限り、この時点でスーパーやコンビニはありません。

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信越線と並行する道路を笠島方に進むと行き当たるのが「鉢崎関所跡」、2013年6月撮影。
戦国時代から江戸時代にかけて、ここには関所が置かれて陸路の交通統制を行っていたのです。

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米山駅といえばここ、笠島方の米山第一トンネル直上の山の上、2008年5月撮影。
前述の鉢崎関所跡からさらに進んで小山を登って到着。
デジカメのデータによると、駅からこのポジションまで徒歩20分弱。
高所恐怖症の身にとっては相当にビビる高さですが、ご覧のように柿崎方面への眺めは最高!(画像三枚共大きくなります)

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同じ位置から笠島方を見る、2008年5月撮影。
前年7月に発生した中越沖地震によって土砂崩落が起きていて、下には降りれませんでした。

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地震の爪跡はまだ生々しく残っていて、ここまで来る道路も復旧工事の最中でクルマは通行止めでした、2008年5月撮影。

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米山福浦八景の西端・聖ヶ鼻観光用の駐車場?もご覧の通りの状態、2008年5月撮影。

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小山のふもとには信越線旧線の廃トンネルが残っています、2013年6月撮影。

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シーズン前の米山海水浴場の様子、2013年6月撮影。
ゴミが多い!この一言でしたなぁ・・・。

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