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2011年7月の記事

2011年7月31日 (日)

海賊戦隊ゴーカイジャー第23話「人の命は地球の未来」をヒロイン目当てで見る

ろども。
放送以来、いつミスアメリカに!ピンクファイブに!チェンジマーメイド&
フェニックスにゴーカイチェンジしてくれるのだろうかと、海賊戦隊ゴーカイジャー
のエアチェックを毎回欠かさず一日千秋の思いで待ち続けて早半年・・・。

その間正しく一度たりとも、ミスアメリカその他へのチェンジはありませんでしたっ!
ただ来週公開の映画では、ゴーカイチェンジ版バトルフィーバーJがペンタフォース
を使うなど見せ場がある模様で、先週のEDでペンタフォース発射態勢のミスアメ
リカがバッチシ映ったんだよね~。
気を抜いてEDの前に録画終了しちゃってたのでキャプできず、マニアとしては実
に遺憾!
中の人が男版のミスアメリカ調の白タイツでしたけど、中の人は間違いなく女性
でしたな。

しかし・・・なんだかもうね、テレビではここまで狙い撃ちされたようなハブられっ
ぷりですと、流石に辛抱強い私もいい加減空しくなってもまいりまして、いい歳
をして戦隊ヒロイン変身後ゲヘヘヘヘなぞというやましい趣味もいっそ放擲して
しまおうかとしばしば考えるトコロなのであります。
しかし私の中の因業な血はそれを断じて許さず、今日も今日とてヴィラ星人の
毒電波に洗脳されたユシマ博士のごとく、休日の朝もはよからもぞもぞと起き出
してテレビジョンのスイッチを入れる悪しき習慣なのでございます。

・・・などとひとしきり愚痴を聞いてもらえたところで、本日のゴーカイジャー第23話は
「人の命は地球の未来」。
メインゲストは「救急戦隊ゴーゴーファイブ」のゴーピンクこと巽マツリ。
しかし私はゴーゴーファイブは全くの未見ですので残念ながら思い入れの方は・・・。

ファイブイエローとファイブピンクにゴーカイチェンジ
本日はWヒロインメイン回という事で、二人は早速ゴーカイチェンジして戦闘開始。
選択は何故か「地球戦隊ファイブマン」のファイブイエロー&ピンク。
オリジナルも蜂須賀祐一さんが演じておられるので、21年ぶりの再演という
事になります。

ファイブイエローとファイブピンクの背中
フェチ的な視点で見て最も眼福であったのがこの一連のシーン。
背中のファスナーが二人ともばっちり丸見え!
このファスナーこそ、現実と虚構を分かつ萌えのラインなのでありまして、
特に戦隊ヒロイン女形の場合は生身の男の体と虚構の女の体の境界がこの
フェティッシュな細いライン一本であると考えるだけでゾクゾクするのであります。
二枚目のファイブピンクのスーツがダブダブなのが目に付きますが、以前ウィキ
にちらっと書いてあったところでは、レジェンド大戦ではオリジナルを演じた
蜂須賀昭二さんが入っておられたとか!?
ウィキは噴飯物のウソも平気で書かれていたりするので、鵜呑みにするのは
少々アレなのですけれど、このスーツのダブつき具合を見るに、レジェンド大戦
のファイブピンクは男性が入っていたのでは?と推測できなくもないですな。
それを感じつつ再見するとまた別の楽しみ方もあろうかと(どんな?w)。

・・・しかし場面によってはピンクのスーツのダブつきが無いようにも見え、また
イエローとの体格差も無いようにも思えるので、ひょっとしたらアクションシーン
では昭二さんがファイブピンクに入って兄弟でWヒロインの再演なのかも!?
OPクレジットには昭二さんの名前が大きく出ていましたから、そんな妄想の
補強材料にもなるのです。
一度蜂須賀兄弟対談で戦隊ヒロイン女形について熱く語っていただきたいところ。

生身の女性二人とゴーカイピンク
生身の女性二人とスーツヒロインたるゴーカイピンク。
現実と虚構が融合したこういう世界もまたなかなか美味しい。
女形の場合はもっと萌えますけどね、女形ヒロインがイケメンや美女を身を挺して
助けるシーンとか特に。

ゴーゴーファイブにゴーカイチェンジ
ゴーゴーファイブにゴーカイチェンジ。
上の画像のマスクのゴーグル部分が合成なのが丸バレですが、ゴーゴー
ファイブのウリであった「透け面」を表現してくれたのは、ファンにとっては
素晴らしい事でありましょう。
このシーンもイエローとピンクの体格差が無いように思えるので、シーンに
よってはピンクに男性が入っているのではと、また妄想を廻らせたくなりますな。
しかしねぇ・・・やはり男性キャラの女体化は無理がありますなぁ。
ゴーグルイエローといいゴーイエローといい、女性に見えませぬ・・・。
勿論見ているこちらの先入観念も多分に影響してはいるのでしょうが、それで
もねぇ・・・。
一見没個性なスーツも性別分けには、スカート以上にデザインの果たす役割
が極めて大きいのだと再確認した次第。
ファイブイエローはスカート無しの全身タイツ状スーツでお股が少し膨らんで
いても、ちゃんと女性に見えるもんね。

さて次回はあの見苦しい男の嫉妬に狂って暴れた挙句、ザンギャックにポイ捨
てされたジェラシット大先生再登場。
地球のタコ焼き屋で再起を期すお考えの模様です。
脚本は浦沢先生再登板との事で、また敵味方共に呆れ果てるシュールな世界
が描かれるのでしょう、次回は話として必見!
・・・ヒロイン的には新味は無さそうですけどね・・・

しかしこれでますますカーレンジャーの世界に近づいてきたなぁ、ジェラシットたんは。
そのうち「チーキュの焼肉業界を征服する!」と宣言していた宇宙暴走族ボーゾ
ックの旧総長ガイナモ御大のところに流れていくんじゃないすか?
焼肉チェーンガイナモの雇われ店長就任とか、オマエはチーキュの焼肉の真髄
が解っていない!とガイナモオーナーにこんこんと説教されるとか。

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2011年7月30日 (土)

阿賀野川もはんらん危険

水曜夜より降り始めて以来、信濃川水系を中心に新潟・福島両県で猛威を
振るう豪雨と決壊氾濫する河川・・・。
各地で避難指示が出されるなど、2004年以来の水害に見舞われており
ます。
避難されている方々、また被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

私の住まいは阿賀野川に近いのですが、こちらは信濃川水系ほどの重篤な
状態には幸いにして立ち至っておりません。
13年前に起きた8.4水害では我が家も床下浸水するなど、新潟市内は
終日完全マヒ状態になってしまいましたが、今回は幸い鉄道以外大きな問題
は生じておりません。

しかし私の住まいの地域にも本日早朝「避難勧告」が発令されて、コレを
書いている現在も解除されておりません。
テレビのデータ放送の河川水位情報を見ると、我が地域に一番近い「満願寺」
は水位が下がりつつあるものの依然「はんらん危険水位」であります。
阿賀野川が氾濫寸前で避難勧告が出されたのは、私がこの地に住み始めて
以来恐らく初めての事で、今回の豪雨が特に上流で凄まじいものであったか
よくわかります。
雨が止み久しぶりに太陽が顔を出した本日午後、阿賀野川の状況を見に
行って参りましたけれど、いや全くもって凄い有様・・・。


0730suigai01
堤防道路と河川敷。

0730suigai02
県道泰平橋方向を見る。
手前は本来河川敷公園です。


0730suigai03
JR白新線阿賀野川橋梁。

0730suigai012
これが平時の様子。

0730suigai04
泰平橋と阿賀野川鉄橋。

0730suigai05
泰平橋の中間地点から上流方向を見る。
増水した茶色い水が轟々と音を立てて流れており、下を見ると恐怖を覚える
ほど。
流木多数も確認。

0730suigai011
これが平時の様子。

0730suigai06
泰平橋中間地点から北区新崎方面を見る。

0730suigai09
これが平時の様子。

0730suigai07
泰平橋中間地点から東区大形方面を見る。

0730suigai010
これが平時の様子。

0730suigai08
下流を見る、茶色く流量の大きい様子は南米の大河を連想させます。

・・・しかしこの水害にあっても、民主党政権から何のシグナルも聞こえて
こないのは実に遺憾な限り。
大震災や原発対応でもああですから、それに比べれば取るに足らない水害
など歯牙にもかけないのかもしれませんが。
我が県の衆院小選挙区は全て民主党ですが、被災地域が選挙区のセンセイ
方は復旧や今後の水害対策に動いてくれるんでしょうね?
特に4区のインドネシアエステの黄色いおなご先生と5区の大先生令嬢様!
当然地元の為に骨を折り汗をかいてくれるのでしょうね?
選挙民はよーく見ていると思いますよ!

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2011年7月23日 (土)

土市駅(飯山線)

本日の駅紹介は飯山線・土市駅。

十日町駅はこちらへ← →越後水沢駅はこちらへ

土市駅の駅名標

新潟県十日町市に所在する無人駅で、開業は昭和4年(1929年)9月1日。
開業当時の所在は中魚沼郡水沢村で、同村は昭和37年4月に十日町市に合併編入されて今日に至ります。

当駅は飯山鉄道の駅として、越後田沢-十日町間延伸と同時開業です。
しかし駅設置に当たっては、水沢村内で様々な動きがありました。
中里村史(現在は十日町市の一部)によると、飯山鉄道延伸計画時に会社側が中間駅として設置を考えていたのは当駅のみ。
しかし村側は当駅の両隣の地域にそれぞれ駅を設けて土市停車場設置は取り止めを主張。
当地域においては土市駅から十日町方に約1kmの伊達地区に駅を作るべしという要求でした。
この辺の詳しい経緯は生憎触れられておりませんでしたが、想像するに村内集落の発言力の差や有力者の介入など、お決まりのお家騒動だったのでしょう。
前述の資料によると、会社側はあくまで水沢村内1駅という方針だったようで、土市停車場を現在位置から伊達地区側に移動するという妥協案を示したそう
ですが、村側はこれに納得せず問題の解決には至らなかったとの事。
その後の土市、水沢両停車場設置最終決定までの顛末は残念ながら記述が無かったので、現在の土市駅が会社当初案の位置なのかそれとも妥協案を反映したもの(結局水沢停車場即ち越後水沢駅も設置したので、最早妥協では無く村側に押し切られた形なのですけれど)なのか、その辺は実に興味の湧くところであります。

現在の土市駅の利用状況については残念ながら資料が無かったのですが、十日町市史によると1992年の一日平均乗車人員は32人。
同年の十日町駅のそれが616人で、2010年度のそれは591人。
減少率約5%をそのまま当てはめると当駅の現状推定は30人という事になります。
一日八往復が停車する駅としてこの数字が多いのか少ないのか、中々判断に迷うところではありますが・・・。

土市駅駅舎
土市駅駅舎の様子、2011年5月撮影。
建築財産票によると、竣工は平成12年12月。
これまでも度々述べたように、飯山線新潟県内区間の改築駅舎(内ヶ巻下条
魚沼中条、越後水沢、越後田中、そして当駅)は皆同じ基本デザイン。

ホームから見た駅舎
ホームから見た駅舎、2011年5月撮影。
トイレは設置されていません。
周囲にトイレを借りられる店もないので、運悪く特に大きい方をもよおした時はかなりキツいのです・・・。

土市駅待合室内部
待合室内部の様子、2011年5月撮影。
飯山線の改築駅舎定番の一人掛けベンチが三脚。
券売機、乗車証明発行機共にありません。

土市駅の旧島式ホームその1
旧島式ホーム端から十日町方を見る、2011年5月撮影。
元々は島式ホームだったので、駅舎とホームは通路で連絡。

土市駅の旧島式ホームその2
ホームの十日町方から見た土市駅構内、2011年5月撮影。
ホーム中央部に比較的新しい上屋がかかり、その下にベンチが三脚。

土市駅の旧島式ホームその3
ホームの森宮野原方から見た構内、2011年5月撮影。
駅裏手は田畑になっています。


土市駅の旧島式ホームその4
ホーム端から森宮野原方を見通す、2011年5月撮影。
線路が不自然に屈曲しているのが、当駅がかつては列車交換可能だった名残です。

旧貨物ホーム跡
旧貨物ホーム跡?の様子、2011年5月撮影。
駅舎の向こう側(十日町方)にも不自然な空間が広がっているので、かつては十日町、長野両方向にスルーの形で引込線が引かれていたのでは?と想像させられるのですが、実際は果たして!?
なお土市駅の貨物取扱いは昭和45年12月に廃止、手小荷物取扱いについては昭和55年に一日平均7個の記録がありますので、その時点では当駅が有人駅であったと判断できそうです。

土市駅の旧島式ホームその5
ホーム中央部の上屋周り、2011年5月撮影。
上屋は近年の定番型です。

線路の撤去された旧構内
前述の十日町方に広がる空間、2011年5月撮影。
これを見ると、構内の規模は元地方私鉄のローカル駅のそれとしては結構なものかと思います。

踏切から見た土市駅構内
十日町方踏切から見た土市駅構内、2011年5月撮影。

土市駅に到着したキハ110系気動車
土市駅に到着したキハ110系気動車戸狩野沢温泉行、2011年5月撮影。

土市駅前通りその1
駅前から国道117号線へと至る短い駅前通りを見る、2011年5月撮影。
駅前広場は場違いな程広大で、隣の越後水沢駅とは好対照。
駅前広場の隅には派出所があって防犯上中々良い立地です。

土市駅前通りその2
同じく国道側から駅を振り返る、2011年5月撮影。
画面中央の道路の左側に見える建物が土市駅駅舎です。

土市駅付近の国道117号線その1
土市駅付近の国道117号線その2
土市駅付近の国道117号線の様子、2011年5月撮影。
上が津南方、下が十日町方です。
すっきりとした直線道路で交通量は多いのですが、周辺には寿司屋が一軒ある程度でスーパー・コンビニ等無し。
開けている印象が強いのに関わらず、生活の便はあまり良さそうには見えません・・・。
まぁクルマで少々トバして十日町のジャスコ界隈に行けば買い物はあらかた済んでしまうわけで、不便と感じるのは一見のヨソ者だけなのかもしれませんが。
なお当駅付近には南越後観光のバス路線が二系統設定されております。
国道117号線経由の十日町津南線は飯山線と相互補完の関係で、且つ飯山線より遥かに本数が多く駅巡りには便利です(越後鹿渡駅のみ最寄バス停から2km程ありますけれど)。
もう一系統の十日町田代線は、JRの不正取水で有名な宮中ダム経由で越後田沢駅前を通ります。
しかし土市駅前を経由する便は、特に土休日は僅少なので要注意。

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2011年7月16日 (土)

勝木駅(羽越本線)

本日の駅紹介は羽越本線・勝木駅。

越後寒川駅はこちらへ← →府屋駅はこちらへ

勝木駅の駅名標

新潟県村上市の東部に所在する無人駅で、有名な海岸景勝地の「笹川流れ」の東端になります。
駅開業は1924年(大正13年)7月31日。
開業時の所在は岩船郡八幡村で、勝木駅はこの村の玄関駅でした。
八幡村はその後昭和30年3月末に周辺諸村と合併して山北村となり、昭和40年11月に町制を施行、平成19年4月に岩船郡の荒川町や神林村、朝日村と共に村上市と広域合併してその東部地域となり今日に至ります。
府屋駅から鼠ヶ関駅へのエントリーでも触れましたが、村上市周辺の平成の大合併は地理的にスケールの大きいもので、村上駅から当駅までの距離実に約33km。
市域は更にその先の、当駅から7km先の鼠ヶ関駅の手前まで広がっているのです。

電化区間にもかかわらず、普通列車は全て気動車で運行本数も往年の特定地方交通線に近い一日八往復。
電化幹線中全国でも指折りの普通列車過疎空白区間ともいうべき羽越本線の村上-鼠ヶ関間は、特急停車駅の府屋駅を除くと(その府屋駅にしても2010年度一日平均乗車人員は121人で、JR東日本新潟県内有人75駅中73位で特急停車駅中最小なのですが)、その運行密度もさもありなんと思われるローカルな佇まいなのです
けれど、当駅は笹川流れの観光拠点である桑川駅と並んで駅周辺もそこそこに賑やか?です。
それを裏付けていると言えなくもないのが、当駅が2002年度まで有人駅であった事実で、前述の過疎空白区間で当時有人駅だったのは、特急停車駅の村上と府屋両駅を除けば鼠ヶ関駅と越後寒川駅、そして当駅だけです。
JR東日本によれば、2002年度の勝木駅一日平均乗車人員は92人で、当時のJR東日本新潟県内有人87駅中83位でした。

勝木駅駅舎の様子
勝木駅駅舎の様子、2010年6月撮影。
建築財産票によると竣工は昭和63年3月11日、JR発足後に完成したまだまだ新しい駅舎です。
駅前には新潟交通観光バス運行のバス停があり、当駅から府屋駅までバス移動が可能です。
羽越線の普通列車よりも本数が多く、当駅周辺の撮影の行き帰りの使い勝手も中々宜しいかと思います。
しかし去年6月に当駅前から府屋まで乗車した際は、客は終始私一人・・・
日曜日12:09発の便でした。
平日は病院通いのお年寄りでそこそこ乗っていると信じたいところでありますが・・・。

駅舎内部の様子その一
駅舎内部の様子その二
駅舎内部の様子、上が2010年6月、下が2006年11月撮影。
内部は一見すると少々クラシカルな雰囲気を感じさせますけれど、
前述のように駅舎自体は比較的近年の竣工なので、この懐古調の内装はレトロな演出を狙ってのものなのでしょうか?
下の画像撮影時点で無人化から3年半、旧窓口周りはまだまだ綺麗です。
待合室内は比較的狭いのですが、通路とは仕切られていて特に冬は過ごし易そうなのは元有人駅の面目躍如。
待合室内には券売機一台と公衆電話、ゴミ箱といった按配。
2010年6月訪問時にはベンチが通路のものと同じ一人掛け用に変わっていました。
トイレは駅前広場側にあり非水洗でトイレットペーパーはありませんでした。

勝木駅の1番ホームその一
ホーム側から見た駅舎の様子、2010年6月撮影。
定期優等列車の停車実績は恐らく無い当駅ですが、現在は土日中心に運行される全席指定の快速「きらきらうえつ」が停車します。
笹川流れの東端という地理的条件からの停車なのでしょう。
しかし当駅から笹川流れ東端観光スポットの寝屋漁港界隈までは1kmほど離れているので、鉄道利用で行くのはやや辛いところかも。
それを考えると、「きらきらうえつ」の当駅停車に意義がどこまであるのか少々考えたくなるところではあります。

勝木駅の1番ホームその二
1番線の村上方から見た勝木駅構内、2010年6月撮影。
1番ホームは村上方面乗り場になります。
当駅に停車する旅客列車は最大で4両であり、大正期の蒸機牽引長大客貨停車前提のホームはその意味を失って久しいのが現実。

勝木駅の1番ホームその三
1番線端から村上方を見る、2010年6月撮影。
電化複線区間でも、後付け別線が目立って信越線や上越線と大きく雰囲気が異なるのが、当駅に限らず羽越本線村上以北の特徴です。


勝木駅の1番ホームその四
1番ホーム中央部の様子、2004年8月撮影。
当駅が村上市では無く岩船郡山北町であった頃の一枚。

勝木駅の1番ホームその五
1番線の鶴岡方から見た構内、2010年6月撮影。

勝木駅の1番ホームその六
1番線端から鶴岡方を見る。
概成していながら活用の目処無く放置中のトンネル(画像右側)が虚しい・・・。
あのトンネルと小岩川-あつみ温泉間の放置トンネルを活用できれば、越後寒川-羽前大山間約46kmの複線運行が可能になるのです。
以前書いた羽越線高速化に当たっての大きなポイントだと思うのですが、当局はこれらトンネルに手を付けるつもりは全く無いようで。
お金をケチって、「なんちゃって高速化」なんてやっても、効果の程は知れてますよきっと。
本気で羽越本線高速化=沿線活性化を考えるなら、概成設備の活用ぐらいはやらないとねぇ。

勝木駅の跨線橋
白塗りで無味乾燥な印象の跨線橋内部、2010年6月撮影。

跨線橋上から見た村上方面
跨線橋上から構内の村上方を見る、2010年6月撮影。
定期列車の停車範囲内外でホームの様子が全く異なるのがよくわかります。

跨線橋上から見た鶴岡方面
同じく構内の鶴岡方を見る、2010年6月撮影。
手前の陸橋は国道345号線で、国道を左に進むと寝屋漁港へ行き着きます。

勝木駅の2番ホームの様子その一
2番線の村上方から見た構内、2010年6月撮影。
2番ホームは酒田方面乗り場になります。
ホームのカーブ具合が実感出来る一枚。

勝木駅の2番ホームの様子その二
2番線端から村上方を見る、2010年6月撮影。
ホーム末端は降り立つ乗客も無く廃ホームの気配も。

勝木駅の2番ホームの様子その三
2番ホーム中央部の様子、2010年6月撮影。
待合室は建築財産票によると大正14年6月の完成。

勝木駅の2番ホームの様子その四
2番線の跨線橋下の鶴岡方から見た構内、2010年6月撮影。
二本のホームに発着する列車は上下別にきっちり使い分けされています。
なお2011年3月改正ダイヤで、定期旅客列車の当駅での列車交換や優等待避はありません。

勝木駅の2番ホームの様子その五
2番線端から鶴岡方を見る、2010年6月撮影。

2番ホーム横の旧引込線
2番ホーム横の旧引込線の様子、2010年6月撮影。
ウィキペディアによると、当駅の貨物及び荷物取扱いは昭和47年9月に廃止。
羽越本線全線電化直前の事で、この時期行なわれた電化と引き換えの合理化ゆえなのでしょう。

勝木駅を通過する485系電車特急「いなほ」その一
1番線を通過する485系電車R編成の新潟行特急「いなほ」、2010年6月撮影。
この日は午前中に発生した人身事故(加治金塚間、この辺りはよくあるんです・・・農家の人の線路横断とか徘徊老人とか・・・)の影響でダイヤが乱れ、各駅での特急通過撮影を目的の一つとしていた私は涙目。
これを撮った時も、本来の狙いは酒田行未リニューアル編成のいなほだったのにorz。

勝木駅を通過する485系電車特急「いなほ」その二
仕切り直しで再度勝木駅に赴き撮影した、2番線を通過する485系電車T編成の秋田行特急「いなほ」、2013年9月撮影。

勝木駅に到着した快速「きらきらうえつ」
1番線に到着した全席指定の快速「きらきらうえつ」新潟行、2013年5月撮影。
当駅に定期停車する実質唯一の優等列車であります。

勝木駅を出発するキハ40系気動車
2番線を出発するキハ40系気動車酒田行普通列車、2010年6月撮影。


勝木駅に停車中のキハ110系気動車
2番線に停車中の酒田行キハ110系気動車、2004年8月撮影。
加速鈍く乗り心地の良くない主力のキハ40系とは雲泥の差の快適さです。
しかしこの車両の当駅停車が見られるのは、当時も今も朝の酒田行と夕方の新津行の一往復のみ。

勝木駅前の様子
駅前の様子、2010年6月撮影。
画像奥の国道7号へと行き着く数百mの駅前通りには旅館の看板が二つ。
民家はこの駅前通り沿いに集中しております。
前述したように当地域は比較的近年(約56年前)まで独立した村でしたけれど、旧村の中心がこの駅前界隈だったのかそれとも後述する漁港界隈だったのかは興味あるところです。

国道7号の駅入口周りの様子
国道7号の駅入口周りの様子、2010年6月撮影。
周囲には0600~2400営業のヤマザキショップとホームセンターが各一軒。
なお国道7号はこの界隈から内陸部に針路を転じて村上に向かいます。
海沿いの道は前述の国道345号線ですので、地理に疎い外来の方は要注意。

2番ホーム側の駅出入り口
2番ホーム側の駅出入り口、2010年6月撮影。
寝屋漁港方面へはこちらが近道です。
正面の建物は山北徳洲会病院、山北地域最大規模の病院です。
平日、当駅利用の通院者はどれほどおられるのか興味の湧くところ。
羽越本線のダイヤは必ずしも通院客に便利なものではないのですが・・・。
なお2番ホーム側には券売機も乗車証明発行機も未設置です。
府屋方面への需要がそれだけ少ない事の証でしょうか。

陸橋上から見た勝木駅構内
国道345号線の陸橋上から見た構内全景、2010年6月撮影。
画像右側が日本海でしかも目と鼻の先なのですが、予備知識無しにそれを指摘出来る人は少なかろうかと。
海岸からすぐ山間へ、この差の激しさが本州日本海沿岸、とりわけ羽越及び北陸本線海岸区間の特徴です。

寝屋漁港方面の様子
前述の陸橋を渡って,寝屋漁港方面(村上方面)を見る、2010年6月撮影。
画像中央に雄渾に屹立するは当地最大のランドマーク「鉾立岩」。

寝屋漁港手前の国道345号線
寝屋漁港手前の国道345号線の様子、2010年6月撮影。
勝木駅周辺よりも賑やかで交通量多し。

寝屋漁港
寝屋漁港の様子、2010年6月撮影。
デジカメの撮影データを見ると、勝木駅2番ホーム出入り口からここまで徒歩12分です。

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2011年7月10日 (日)

燕駅(弥彦線)

本日の駅紹介は弥彦線・燕駅。

燕三条駅はこちらへ← →西燕駅はこちらへ

燕駅の駅名標
新潟県燕市に所在する有人駅で、同市の玄関駅になります・・・しかし実際は南隣の燕三条駅にその座を奪われて久しい上に、商圏まであちらに移ってしまい地盤沈下の著しい、新幹線マンセーとロードサイドショップ全盛というダブルパンチに見舞われる地方小都市駅の典型と言える状況下にあります。

駅開業は大正11年(1922年)4月20日で、当時の所在は西蒲原郡燕町。
その後、昭和8年(1933年)8月には新潟電鉄(後の新潟交通電車線)が白根駅から当駅まで延伸して乗り入れます。
そして町は昭和29年3月に市制を施行して燕市となり、平成18年3月には周辺の吉田町や分水町と広域合併してその市域を大幅に拡大して、新潟県30自治体中第7位(平成23年4月現在)、人口8万1千人強の市として今日に至ります。
なお前述の燕三条駅は南隣の三条市との境界線上にあり、商圏も重なっている事から三条市と合併すれば県央地域に人口約18万4千人の新潟県第四の都市誕生となるのです。
・・・しかしこの両都市は実に仲が悪いのでまぁ・・・。
平成の大合併の嵐の中で両市の合併も模索されましたが、結局破談になりました。
私はこの界隈にその辺の話を突っ込んで聞ける知り合いがいないので、市民の素の声がどうなのかはわからないのですが、仲の悪さは今に始まった事では無く相当に根の深いもののようです。

JR東日本によれば、燕駅の2009年度一日平均乗車人員は1,099人で同社新潟県内有人75駅中38位。
三条、燕、吉田と比較的狭いエリアに高校が多いその真っ只中に位置するので、学生の利用はかなりのものと思われます。
新潟県内の自動改札設置駅の一日平均乗車人員下限は、「周りの駅が設置するからついでに」の信越線さつき野駅を除けば磐越西線五泉駅で(1,181人)です。
当駅はJR東日本新潟支社で次に自動改札化事業が行なわれるとすれば、越後線・越後曽根駅や上越線・小千谷駅と共に、その候補となるかもしれません。

燕駅駅舎
燕駅駅舎の様子、2006年11月撮影。
建築財産票によると完成は昭和43年3月26日。
国鉄地方小都市駅の典型的スタイルです。
改築の話題が上るのもそれほど遠い話ではないでしょうけれど、駅裏が宅地化されている事を考えれば橋上駅舎化が妥当なところでしょうか。

燕駅駅舎内部その1
燕駅駅舎内部その2
駅舎内部の様子、2010年5月撮影。
駅舎内はゆったりとした造りで、コンコース・待合室共にこのクラスの駅としては極めて広大です。
駅舎改築時は新潟交通電車線が当駅に乗り入れ、燕市の代表的産業である洋食器製造をはじめとする金属加工業が元気で、その従業員の通勤用に駅にも相応のキャパシティが必要とされたのだろうと推測しますが果たして?
この時点での待合室開放時間は07:30~17:50で、日曜定休のキオスクも営業していて(営業時間は待合室開放時間と同一)、至近にコンビニの無い当駅利用客にとって貴重な存在だったかと思われますが、残念ながら2010年10月に撤退したとの事です。
最近は羽越本線坂町・中条両駅や信越本線見附駅から撤退するなどキオスクの勢力が急速に衰えていて、昭和の余韻が県内駅からまた一つ消え去ってしまいそうです・・・。

1番ホームから見た駅舎その1
1番ホームから見た駅舎その2
1番ホームから見た上屋下と改札周りの様子、2010年5月撮影。
今ではもう使われる事のない改札の柵がかつての駅隆盛の生き証人です。
上屋の造りが豪壮なのが目を惹くところ。
跨線橋の出入り口も幅広でこれもまた通勤客のかつての多さの生き証人。

燕駅の1番ホームその1
1番ホームの東三条方から見た燕駅構内、2010年5月撮影。
トミックスの跨線橋を彷彿とさせる色と造りの良い味出してる跨線橋です。
夕方でこの位置からは逆光なのは遺憾です。

燕駅の1番ホームその2
1番ホーム端から東三条方を見通す、2010年5月撮影。

燕駅の1番ホームその3
1番ホームの吉田方から見た構内、2010年5月撮影。
ホーム配置の顕著な千鳥配置、それゆえに実際以上に広く見えるのが当駅構内の一大特徴です。
画像右側は旧貨物線。

燕駅の1番ホームその4
1番ホーム端から吉田方を見通す、2010年5月撮影。

旧引込線
旧引込線の様子、2010年5月撮影。

燕駅の跨線橋
跨線橋内部の様子、2010年5月撮影。
当駅がかつて隆盛を極めた証がこの跨線橋です。
通路は幹線の優等列車停車駅並みに広く、古典的な天井の造作が実に良いのです。
しかし壁にポスターが全く貼られていないのは無人駅並みで、栄光の過去と現在の衰退が同居しているところなのです。

跨線橋上から見た構内その1
跨線橋上から構内の吉田方を見る、2010年5月撮影。
本線と副本線の間にはかつて中線が2本ほどあったのでしょうか。

跨線橋上から見た構内その2
同じく構内の東三条方を見る、2010年5月撮影。


燕駅の2番ホームその1
2番ホームの東三条方から見た構内、2010年5月撮影。
何度か訪問して観察した限り、当駅の改札開始は列車到着のせいぜい七~八分前といったところで、日中一度の訪問で二番ホームまでくまなく撮影するのは非常に厳しいかと思います。
同好の士が一度の訪問で全て済まそうとお考えなのならば、駅窓口営業時間外の早朝もしくは夕方を強くお勧めします。
5~8月の特に薄曇の日を狙えば、夕方でも西日をあまり気にする事無く且つ光量充分な中で撮影できるでしょう。

燕駅の2番ホームその2
2番ホームの吉田方から見た構内、2010年5月撮影。
越後線東三条-吉田間で唯一列車交換が行なわれるのが当駅ですが、朝夕以外は過疎ダイヤゆえに活用の機会は少ないのが現状です。
平成23年改正ダイヤにおいて当駅で列車交換が行なわれるのは三回。
つまり二番ホームが乗客で賑わうのは一日三回のみ。

燕駅に到着した115系電車Y編成
1番線に到着した吉田行115系Y編成電車、2013年9月撮影。

燕駅に停車中の115系電車Y編成
2番線に停車中の東三条行115系Y編成電車、2013年9月撮影。

燕駅を出発した115系電車
1番線を出発する吉田行115系電車L編成+S編成六連、2013年9月撮影。
弥彦線ではおそらくこれが最長編成でしょう。
日曜の朝とあって見事なまでのガラガラでした。


踏切から見た燕駅構内
東三条方の踏切から見た構内、2010年5月撮影。

歩道橋上から見た燕駅構内その1
歩道橋上から見た燕駅構内その2
吉田方の歩道橋から見た構内、2010年5月撮影。
かつて当駅から新潟市内の県庁前まで運行されていた新潟交通電車線は、当時島式になっていた2番ホームの隣(3番ホーム)から発着していました。
現在は再開発により跡地は生活道路と宅地に変わってしまい、当時の面影はほぼ皆無なのが非常に残念!・・・
なお、新潟交通電車線の駅舎は現在の駅前交番の場所に建っていたとの事です。

燕駅前
駅前の様子、2006年11月撮影。
駅前広場はロータリーになっていて、路線バスが乗り入れタクシー数台が常駐しています。
駅舎改築に併せてそれまでの約5.5倍に拡張されたそうです。
しかし植樹などで視界が遮られている感覚的印象もあって、さほど広大なものには見えません。

駅前に乗り入れるバスは高速バス新潟燕線と越後交通東三条燕線、市営バス燕駅-分水間が主なところで、新潟交通電車線の代替バス燕-月潟線は、私が当駅前から月潟駅前まで利用した2008年3月現在で日中はわずか1便だけでした。
現在も運行されているか否か、またダイヤは残念ながら確認出来ませんでしたが、2008年秋には廃止話が持ち上がった路線でもあり、その存続については予断を許さないのは確かです。

燕市の中心商店街その1
燕市の中心商店街その2
燕市旧来の中心商店街の様子、2006年11月撮影。
「サンロード宮町」という立派なアーケード商店街で、大半の店は営業していたもののやはり人影は少なくその大半は交通弱者の高齢者。
クルマで2~3Kmも走れば燕三条駅周辺の一大商業集積地ですから仕方の無い事なのですが、この地の金属加工業全盛時はさぞ賑わっていたであろうと思うと、燕駅の現在の姿同様に時代の流れもののあわれを強く感ぜずにはおれません・・・。

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