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2011年5月 8日 (日)

北堀之内駅(上越線)

本日の駅紹介は上越線・北堀之内駅。

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2016年7月17日記、加筆修正及び画像追加しました。

北堀之内駅の駅名標

新潟県魚沼市の北端に位置する無人駅で、開業は昭和25年(1950年)2月15日。
開業当時の所在は北魚沼郡堀之内町で、同町は平成16年11月に周辺町村と広域合併して新自治体・魚沼市の一部となって今日に至ります。

北堀之内駅の前身は昭和19年9月に開設された「越後下島信号場」で、この時期日本各地で設置された「決戦輸送」用でした。
堀之内町史によると、昭和21年4月に信号場の駅格上げ嘆願書が運輸大臣に提出されます。
信号場の設置された下島地区は明治期まで村だったところで、当時の地区人口は七千人弱と、北隣の川口町と比べても遜色ないものでした。
嘆願書は駅格上げの必要性としてまずこの駅勢人口の多さと冬期の交通不便、そして信号場付近に大量の亜炭が埋蔵されていて、これが貨物輸送にプラスに
働くとの客貨両方でアピールする念の入れ様。
古津駅のエントリーでも述べましたが、当時は戦時中に開設された信号場が合理化の為に整理廃止されてしまうのを恐れた自治体が、おらが信号場の駅昇格を求めて盛んに請願嘆願をおこなっていたのです。

新潟県内では、信越線古津田上両駅がその必要性を認められて国鉄発足直前に駅昇格を果たしましたが、下島信号場は周辺に前述したかなり大きな人口を抱えながらすんなりと昇格とはいかず、国鉄発足後八ヶ月後の昇格となりました。
請願駅扱いなので駅昇格工事費は全額地元負担となりその金額約54万5千円。
同時期に当駅同様信号場からの昇格を果たした信越線・長鳥駅の工事費の1/4以下で、平地の駅は山間の勾配区間の駅と比べていかに安価か良くわかる話なのであります。

・・・しかし駅名はねぇ・・・。
「北堀之内」って実にパッとしないネーミングですなぁ。
「越後下島」の方が語呂も語感もずっと良いんですけど。
駅昇格工費の半分を堀之内町費で賄ったそうなので(残りは下島地域一帯からの寄付金)、仕方ないって言えばそうなんですが。
駅昇格を言い出したのは下島地域で堀之内町じゃなかったわけですし。
それをお金半分出してもらったんですからねぇ・・・。

北堀之内駅駅舎
北堀之内駅駅舎の様子、2008年4月撮影。
建築財産票によると、竣工は平成10年12月14日。

ホームへの出入り口
ホーム側のホーム出入り口、2008年4月撮影。
画像左側が待合室、画像中央の通路上に立っているのは乗車証明発行機です。
これを見るに、利用客のほとんどは通学生なのでしょう。
この時点で自動券売機は未設置でしたが、2013年5月に再訪した時には狭い待合室内に押し込むようにして設置してありました。
なおトイレは駅舎内にあって男女共用、水洗ですがトイレットペーパーはありませんでした。

ホームから見た駅舎
上りホームから見た駅舎、2005年5月撮影。
駅舎右側は倉庫になっていて、除雪用具が置かれているのでしょうね。

北堀之内駅の上りホームその1
上りホーム(小出方面乗り場)の水上方から見た北堀之内駅構内、2004年7月撮影。
ご覧のように上下のホームは非対称です。
前述したように名前はパッとしない当駅ですが、この古びた佇まいと後背すぐに山というロケーションはなかなか良い味を出しています。
個人的には好きな駅の一つ。

北堀之内駅の上りホームその2
上りホームの長岡方から見た構内、2004年7月撮影。
複線上の2面2線という味気ない姿ですが、上越線の複線化前は列車交換駅であったのかどうか。
私事で恐縮ですが、これを撮っている時は生まれて始めて熱中症になって、酷い頭痛を我慢していましたなぁ・・・。
非常に蒸し暑く不快な初夏の一日でした。

北堀之内駅の上りホームその3
ホーム中央部と跨線橋の様子、2004年7月撮影。
画像右側の待合室に注目。
昔はこのクラスの駅にもこのような大きさの待合室が置かれていたのです。

北堀之内駅の上りホームその4
2013年5月時点の構内中央部。
画像右側の下りホームの待合室は撤去されて、JR東日本定番の駅名標が設置されています。
待合室の撤去はかなりの経年でもありましょうし、仕方のない事なのかもしれません。
しかしやはり近年ホーム上の待合室を撤去した信越本線・北条駅のように跨線橋の出入り口に上屋とベンチを設置する方法も・・・しかし当駅の場合、架線柱が邪魔をして出来ないのでしょうね。

北堀之内駅の跨線橋
跨線橋内部の様子、2013年5月撮影。
このクラスの駅としては標準的な形です。

跨線橋上から見た構内その1
跨線橋上から構内の水上方を見る、2013年5月撮影。

跨線橋上から見た構内その2
同じく構内の長岡方を見る、2005年5月撮影。
画像左側の下りホーム(長岡方面乗り場)の待合室がまだ健在だった頃です。

跨線橋上から見た構内その3
下りホームの待合室撤去後の構内、2013年5月撮影。
架線柱も更新されているのがよくわかります。

北堀之内駅の下りホームその1
下りホームの長岡方から見た構内、2004年7月撮影。
ホーム後ろの雪崩対策用?鉄柵がいかにも雪深い土地柄を象徴。

北堀之内駅の下りホームその2
下りホームの水上方から見た構内、2004年7月撮影。

下りホームにかつて存在した待合室
現在は撤去されている下りホームの待合室、2004年7月撮影。
建築財産票未確認に付き竣工年月は不明ですが、屋根の形状などからかなり古いものと推察されます。
これも郷愁の小品でなかなかに通好みでした。

北堀之内駅に停車中の115系電車
上りホームに停車中の115系電車越後中里行、2013年5月撮影。

北堀之内駅に進入する115系電車
上りホームに進入する115系電車越後湯沢行、2013年5月撮影。
先日、運用を離脱したS編成です。

北堀之内駅に到着した115系電車
下りホームに到着した115系電車長岡行、2013年5月撮影。


北堀之内駅前
駅前とその周辺の様子、2008年4月撮影。
越後川口駅同様、後背の山々に圧せられた駅舎が印象的です。
駅前通りには数戸の民家、いずれも冬期の豪雪に備えた背の高さです。

北堀之内駅前通り
駅前広場から見た駅前通り、2008年4月撮影。
少し歩くと国道17号に行き着きます。

北堀之内駅付近の国道17号線その1
国道17号の川口方面を見る、2008年4月撮影。
国道には小千谷本町-小出間のバス路線が設定されています。

北堀之内駅付近の国道17号線その2
国道17号線の堀之内方面を見る、2008年4月撮影。
この辺りは両方向共に至近に信号機がありません(堀之内方面に数百m進むとようやく一基、川口方面には見通せる限り無し)。
しかも行き交う車は切れ目無く多くて、横断するには相当の時間を必要とします。
私はこの時、横断に五分かかりました。
前述の路線バス小出方面をご利用の際は、時間に余裕を見るのをお勧めします。
ギリギリに行くと道路横断が出来ず、目の前をバスが通過するのを呆然と見送るという実にイヤな目に容易く遭いそうですのでw。
画像中央左側の薄茶色の建物はたこ焼き屋で、たこ焼きの他にたいやきも有り。
当駅至近で食べ物にありつけるのはそこだけでした。
ちょうど小腹が空いた夕方の事で、あの店でたいやきを買いはむはむと食しながら車中の人となった次第。

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