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2011年5月 4日 (水)

越後川口駅(上越線/飯山線)

本日の駅紹介は、上越線/飯山線・越後川口駅。

2017年2月18日記、駅舎リニューアル関連の記事を加筆しました。

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新潟県長岡市の南端に所在する有人駅で、開業は大正10年8月5日。
開業当時の所在は北魚沼郡川口村で、当時既に東北本線・川口駅が存在した為に村名に「越後」を冠して現駅名となりました。
同村は昭和32年8月に町制を施行して川口町となり、さらに平成22年3月末日をもって長岡市に合併編入され今日に至ります。
その間、平成16年10月23日に発生した新潟県中越地震は川口町内が震源で震度7を記録し大きな被害を出したのは、新潟県民にとって未だ記憶に生々しいところです。
また北隣の小千谷市が長岡市と合併していない為、長岡市の飛び地になっているのが異色の地域でもあります。

越後川口駅開業前年の大正9年時点での村の人口は4千人弱で、近隣の小千谷や堀之内と比べて半分以下、村内には金融機関も電話もゼロと近代化の時流から取り残された感の強かった川口村でしたが、上越線延伸に伴う駅開業、そして昭和2年6月には当駅を起点とする飯山線が越後岩沢駅まで、11月に十日町駅まで開通し、その十日町駅に飯山鉄道が乗り入れるようになると客貨の中継地として賑わいを見せるようになって、当駅にもついには急行列車の停車が実現。
人口も農商工業の生産出荷数もずっと格上の堀之内町への急行停車が見送られたのを尻目に、村の規模からすれば破格の待遇を受けたのです。

戦後も急行停車駅及び飯山線接続駅として上越線内でも重きを成しておりましたが、特急「とき」の停車が実現しないまま上越新幹線が開業。
更に昭和60年春の新幹線上野延伸で昼行電車急行「佐渡」「よねやま」が廃止されて東京直通ルートを失い、国鉄最後のダイヤ改正となった昭和61年11月改正で当駅停車の唯一の優等列車・急行「野沢」が廃止。
かくして当駅から優等列車停車の華やいだ空気は消え完全に過去のものになって現在に至っています。
JR東日本によると2015年度の越後川口駅一日平均乗車人員は208人で、同社新潟県内有人67駅中60位、上越線の新潟県内区間有人9駅(宮内駅を除く)中8位。
自治体の玄関駅としての役割も長岡市への合併でその意義は大きく失われ、飯山線の接続駅でなければ無人化も絵空事では無い数字です。
旧町の人口が五千人弱とけして多いとは言えない事に加えて旧町内に高校が無い為に、通学生のまとまった流入が無いのが不振の要因でしょう。


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越後川口駅駅舎の様子、上は2008年4月、下は2016年9月撮影。
この駅舎は2016年3月にリニューアルが完成しています。
建築財産票によれば昭和44年11月の竣工。
上越線と飯山線の分岐点という運転上の要衝である事を象徴する二階建て。

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リニューアル後の越後川口駅駅舎出入り口の様子、2016年9月撮影。
出入り口上屋下の装飾は、駅近くを流れる魚野川のアユをデザインしたものなんだとか。

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越後川口駅駅舎内部の様子、上は2008年4月、下はリニューアル後の2016年9月撮影。
最近の改装駅舎(宮内駅、来迎寺駅など)と同様、内装がシックな色使いに変わって落ち着いた雰囲気になりました。

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駅舎待合室の様子、上二枚は2008年4月、一番下はリニューアル後の2016年9月撮影。
なお、待合室開放時間は明記されていませんでした。
二枚目の画像の右側、ベンチの後ろの辺りがキオスク跡のようです。
2008年4月の時点で空調はありましたが冷房専用なのか、まだまだ肌寒い4月中旬のこの日はストーブを使用中。
ベンチの配列を変更して、ストーブが置かれていたあたりもベンチが占有していますが、
これはストーブを置くのをやめたということなのでしょうか?

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駅舎からホームへの地下道の様子、上は改札口方から見た2008年4月撮影。
下は上越線乗り場方から見た2016年9月撮影。
中越地震で大きなダメージを受けていたこの通路も、震災後三年半後の上の画像の段階ではこのように完全に修復済み。
トイレは下の画像で見ると左奥(改札を入ってすぐ横)に男女別であります。

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越後川口駅の飯山線専用の1番ホーム、2005年6月撮影。
震災八ヶ月後の撮影ですが、ホームも完全に修復済み。
「のりかえ」の、特に「上野」の二文字が郷愁を誘いますなぁ・・・。
当駅に上野直通の電車急行「佐渡」「よねやま」が停車していたのも、もう30年以上も昔の話になってしまいました・・・。

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1番ホーム内ヶ巻駅方から見た越後川口駅構内、2005年6月撮影。
上越線との間に線路が一本存置。
この線路は2016年9月訪問現在でも残っていましたが、雑草に半ば覆われて相当長期に渡り使われていない感じでした。

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1番ホーム小千谷駅方から見た越後川口駅構内、2005年6月撮影。
飯山線列車はせいぜい二連が今日の姿なので、このホームも大半は遊休化しています。
上越線から飯山線への優等乗り入れはかつて「うおの」「野沢」がありましたけれど、それももはや歴史上の話に。
現在は一日二往復の上越飯山直通列車が設定されております。

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1番ホーム中ほどから小千谷駅方面を見る、2005年9月撮影。
左側の旧貨物引込線?は保線用として活用。なお当駅の貨物取扱いは昭和45年12月に廃止されていて、この時点で飯山線への貨物中継点としての役目は終了したのでしょう。

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1番ホームのかつての駅名標、2004年11月撮影。
盲腸線の終着駅の趣きです。
この当時は朝の上越線直通列車があったかどうか、うーむ思い出せない・・・。
直通列車が無いのなら、この表示でも構わないんですけどね。
現在の駅名標は内ヶ巻-小千谷と表記されていて、朝に設定されている上越線直通列車に対応したものになっています。

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上越線用島式ホーム(2-3番線)の小千谷駅方から見た越後川口駅構内、上は中越地震発生一週間前の2004年10月、下は2016年9月撮影。
緩やかな右曲線の長大なホームはかつての上越線全盛時代を今に伝えています。
この12年の間の構内の変化は、駅名標がJR東日本定番型に変わったことと島式ホームに待合室が新設された事、ホームの国鉄式の白線が黄色いラインに変わったこと、上越線と飯山線の線路の間の中線?がすっすり草に埋もれてしまったことです。

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島式ホーム端から小千谷駅方を見る、上は2004年10月、下は2016年7月撮影。
下の画では上越線上り線の右側の側線?も草に埋もれてしまっています。

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島式ホームの北堀之内駅方から見た越後川口駅構内、上は2004年10月、下は2016年9月撮影。
かつての急行列車停車駅らしく、上屋は長大で今日の短編成列車には有り余るモノです。
上下どちらの方向から見ても、ゆるやかに弧を描く当駅のホームと広い構内の佇まいは実に見映えがして良いのです。

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島式ホーム端から北堀之内駅方を見る、上は2004年10月、下は2016年9月撮影。
この先、上越線はすぐトンネルに入り、右側の飯山線は信濃川から分流直後の魚野川を渡河する好対照ぶり。

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飯山線ホームと折り返し待機中のキハ110系気動車を上越線ホームから見る、2010年5月撮影。
休日の夜七時半ともなると、山峡のこの駅構内は早や深閑として人影はありません・・・。

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上越線用島式ホーム上屋辺りの様子、2016年9月撮影。
前述のようにホームに待合室が新設されていました(下の画像中央)。
今までは上屋があるとはいえ、風雨風雪の強い日にホームで列車を待つのは難儀な事でしたけれど、待合室が出来たことでそれも解消されたのは利用者にとって大いなる福音でしょう。

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快速「越乃Shu*Kura」停車駅の証である駅名標。
当駅周辺にはこれといった酒蔵はないようなので、停車駅に選ばれたのは「川口ヤナ場」の存在ゆえでしょうか。

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越後川口駅2番線を出発するE129系電車長岡行、2016年9月撮影。
上越線の長岡-水上間普通列車は、2016年3月ダイヤ改正で全列車が115系からE129系に更新されました。
ワンマン運転も常態化して、かつての重要幹線も完全にローカル化した感強し。
また115系時代の三連がE129系化で二連に編成短縮しています。
この日(日曜日)は長岡から越後湯沢-越後中里-五日町-越後川口-浦佐と回りましたけれど、どの列車も混んでいました。
18きっぷの使用期限は過ぎている時期にも関わらずあの混みよう、期限内の混み方は相当なものではないかと思われますな。

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越後川口駅3番線に進入するE129系電車水上行、2016年9月撮影。

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越後川口駅3番線に停車する115系電車越後中里行、2005年6月撮影。
中越地震の復旧工事で修復されたホームの床面や線路のバラストがまだ真新しい頃です。

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夕刻の秋雨の中、越後川口3番線を出発する115系電車越後中里行、2013年10月撮影。
上の画と同じ列車ですが、梅雨入り直後の晴天の6月中旬と紅葉の10月下旬ではやはり空気感の違いが歴然です。

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越後川口駅1番線に進入するキハ110系気動車、2016年9月撮影。

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越後川口駅1番線で折り返し待機中のキハ110系気動車、2016年9月撮影。
幼少の頃、上越線の急行「佐渡」車中から見た、夕闇迫る1番線に停まっているキハ55系(だったよーな・・・)とサボの「森宮野原」。
それが私のこの駅の最も強烈な記憶でした。

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まだ宵の口だというのに深閑とした越後川口駅と折り返し待機中のキハ110系気動車、2010年5月撮影。

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駅前から見た越後川口駅駅前通り、2016年9月撮影。
駅周辺をフラフラするのは2008年4月以来でしたが、以前とほとんど変わっていない街の風情でした。
画像中央に見える、中越地震後の営業再開が町復興の第一歩として大きく報道された、旧川口町内唯一のスーパー「安田屋」も盛業のようでまずは何より。

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駅前通りを少し進み、振り返って越後川口駅を一枚、2016年9月撮影。
駅舎を圧する後背の山々がダイナミックです。
駅構内からではこの山の大きさを中々実感できないのです。
ちなみに駅裏の杉林には、昭和22年から32年まで国鉄の雪害研究所が置かれていたそうです。

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越後川口駅から徒歩五分で国道17号線に到達、2016年9月撮影。
国道には2008年4月当時には無かったセブンイレブンが出店しています。
この国道には南越後観光バス運行の路線バス小出-小千谷線が設定されていて、北堀之内、越後堀之内駅前を経由しており、上越線の補完路として使えます。
この路線は某ローカル路線バスふれあい旅東京-新潟の回でも、一行が乗車していましたっけ。
また飯山線内ヶ巻駅方面には、北越後観光バス運行の小千谷本町西-南小中学校線が内ヶ巻駅近くを経由しており、飯山線補完機能を持っています。
ただし一日四本、しかし土休日もその本数が確保されているのは訪問者にとって有り難いところ。

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国道17号線側から見た、越後川口駅の駅前通り、2008年4月撮影。
2016年9月時点でも特段の変化は無い街並みです。

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かつて魚野川に架かっていた県道の「川口橋」、2008年4月撮影。
右側に見えるのが飯山線の鉄橋です。
この県道を道なりに進むと内ヶ巻駅に到着。
なお、昭和29年に完成して震災も乗り越えた古強者のこの橋も、新しい橋の完成によって、2009年6月にその役目を終えています。

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こちらは上の画の橋に代わって架けられた新たな川口橋、2016年9月撮影。

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新たな橋から見た飯山線の魚野川鉄橋、2016年9月撮影。
その向こうには関越自動車道の橋が見えます。

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コメント

このまえ初めて行きましたが、支線が駅舎側で本線が裏側といった珍しい構造にはビックリしました。

投稿: まー イサムン くん | 2015年11月 2日 (月) 23時38分

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