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2011年5月の記事

2011年5月29日 (日)

土合駅(上越線)

本日の駅紹介は上越線・土合駅。

2017年4月15日記、旧記事を新記事に統合し画像追加と加筆修正を実施しました。

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群馬県利根郡みなかみ町に所在する無人駅で、1936年(昭和11年)12月19日の開業です。
土合駅は私が説明するまでもない、JRの無人駅中屈指の知名度を誇っています。
上越国境を越える清水トンネルの開通による上越線全通と同時の開業で、昭和42年(1967年)9月28日に新清水トンネル開通に伴う上越線全線複線化までは、深い山間の列車交換駅として運転上の要衝の一つでした。

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長い冬を脱してようやく春を迎えつつある土合駅駅舎とその周辺、2004年3月撮影。
私が取材目的で最初に当駅を訪れた時の画です。
広い駅前広場には一台のクルマの姿も無く、ひっそりと静まり返っていましたっけ。

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赤い三角屋根が天空に高々と屹立するが如き土合駅舎の威容、2005年6月撮影。
ドライブインか大きな山荘か山小屋か。
いずれにせよ、人里離れた山中だからこそ映えるこのデザインです。

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土合駅に三度目の訪問をした時は、駅舎はこんな有様に・・・、2011年5月撮影。
駅舎は工事中で、この時はトイレも使用中止。
駅前広場の傍らに仮トイレが設置されていました。
隣の湯檜曽駅のように、ひょっとして駅舎解体かコレは!?
工事は6月下旬までのようで、工期を見ても駅舎自体が無くなるわけではないのでしょう・・・と信じたい!と、訪問当時は強く願ったものでした。

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そして2016年9月、駅舎は健在で何より。
しかし駅前広場はとにかくクルマが多い!
駅を見物する人多数ですが、青春18きっぷの期限外になった九月の土曜日、列車で土合駅に降り立ったのは私一人きり。
ギャラリーは私以外全員クルマ利用。
この日は警察のパトカーも巡回に来ていました。

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土合駅駅舎内の様子、2004年3月撮影。
この頃は今のようなディープさに全く欠けていたので、画像奥の待合室内の画を撮っておかなかったのは痛恨の極みなのであります。
なお当駅は自動券売機も乗車証明発行機も未設置です。
待合室は広く、谷川岳一帯に挑む山男たちの仮眠の場として重宝されたのでしょう。

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2011年5月に三回目の訪問を果たした際の土合駅駅舎内部。
ベンチが新しくなった他、待合室内部でもなにやら工事中。
なお、この時点では乗車証明所発行機が設置されていました。

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四度目の訪問を果たした時の土合駅駅舎内部の様子、2016年9月撮影。
みなかみ町も当駅の知名度にあやかろうと思ったのか、商売っ気が出てきたような。

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駅舎内の待合室は閉鎖されて立ち入ることが出来ません、2016年9月撮影。
なんでもここで火を使う人がかなりいるようで、当局も看過できなくなったようです。
こんなところで火など使うなよと、常識で考えればわかりそうなものですけれど。
駅のような公共財と私有財の狭間にあるようなところだと、その辺の感覚が麻痺しちゃうんですかね。

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土合駅前を通る国道291号線、2004年3月撮影。
画像右側が土合駅入口、道路の上を往く陸橋のようなものは、新清水トンネル内の土合駅地下ホームへの通路です。
画像左手前の小さな建物は路線バスの「土合駅前」停留所の待合室です。

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土合駅前のバス停を通過する、谷川ローブウェイ発上毛高原駅行の路線バス、2011年5月撮影。
鉄道に比べて運賃はかなり割高ですが、運行本数が多いので鉄道補完として実に便利な存在です。
このバスには3回乗車していますけれど、いずれも混んでいました。
2004年3月に乗車した際には、乗車を躊躇するほどの立錐の余地無しな大混雑。
土合駅の先にある谷川岳の通年人気を物語っているようです。
谷川岳は一度ぜひ見聞したいところなんですが、ロープウェイ乗車に二時間待ちとかいう話を聞くと、ちょっとキツいなぁ・・・。

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土合駅前から国道を湯檜曽方に少し進むと行き着くドライブイン、2011年5月撮影。
このドライブインの存在と路線バスの頻発運転(上越線に比べて)が、私的に土合駅の「秘境駅」的印象を相当に薄めています。
秘境駅というからには、矢張り鉄道の運行本数僅少で路線バスも無しで周辺人口も希薄で周りには何も無いようなところでないとねぇ。
新潟県内で言えば米坂線の越後片貝駅や越後金丸駅はまさにそんな感じなのですよ。

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土合駅構内通路の様子、2005年6月撮影。
頑強な天井の梁や窓の覆いは流石豪雪地帯の建築物の面目躍如か。

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土合駅上りホームへの出入り口の様子、2005年6月撮影。

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2005年6月当時の土合駅上りホームの様子。
画像右側にはまだ白線がくっきり残っていて、新清水トンネル開通以前の雰囲気が残っているよう。

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ホーム端から清水トンネル方を見通す、2005年6月撮影。
本線の右側の線路は画像中央に見えるモーターカーの車庫に繋がっています。


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2016年9月時点の土合駅上りホームの様子。
現在のホーム有効長を示す黄色い太線が引かれ、ホームの右側には策が設けられています。
当駅の列車交換駅時代の記憶も薄れていってしまっていますなぁ。

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駅名標がまだ昔の国鉄型だった頃の土合駅上りホームの清水トンネル方を見通す、2005年6月撮影。
駅名標は2011年5月に再訪した時にはJR東日本の定番風に書き換えられていて、2016年9月の再訪時でも変化無し。
きょうびはローカル線の小さな駅の駅名標もJR東日本の定番型に置き換えられているのに、この扱いは実に珍しい。
まぁあのオサレな駅名標だと、当駅の風情には激しく合わないこと確実なのです。

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ホーム端から湯檜曽駅方を見通す、2005年6月撮影。

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上りホームの中程にある待合室、2005年6月撮影。
建築財産票によると昭和44年3月の完成。
鉄道ピクトリアル・アーカイブセレクションNo35に載っていた、昭和36年当時の土合駅の俯瞰写真を見ると、当時ホーム上に待合室は無かったようです。

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土合駅上りホーム待合室内部の様子、2011年5月撮影。
ここには幽霊が出るとかナントカ、そんなヨタ話を聞いたことがありますけれど、鈍感な私はそんな噂にはお構いなしで、ここでもそもそと昼ご飯を食しました。

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ホームのお色直しに合わせて、待合室もこのようにお化粧直し、2016年9月撮影。

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早春の土合駅上りホームに停車中の115系電車水上行、2004年3月撮影。

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土合駅上りホームに停車中のE129系電車水上行、2016年9月撮影。
上越線の長岡-水上間の定期普通列車は、2016年3月ダイヤ改正でE129系電車に全面更新されました。
115系電車のような激しい動揺も無く、乗って座る分には非常に良い電車です。
しかし編成は総じて短くなってしまった為、土日に乗った限りではどの列車も常に混んでいました。
東京から来たという御婦人が、この電車を「(地下鉄の)銀座線みたい!」と評しておられましたが、デザインや内装的には都会の方の目で見ても垢抜けている電車なのでしょうな。

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土樽駅方の踏切から清水トンネル出入り口を望む、2005年6月撮影。
一時は清水トンネル廃止と上越線県境区間の単線化が話題に上りましたが、そう遠くない将来にはトンネルの大規模改修か、トンネル廃止による単線化の二者択一を迫られるのは必至かと。

では駅舎に戻って地下トンネルの見学へ向かいます。

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地上から地下ホームへの連絡階段へ至る連絡通路、2011年5月撮影。

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いよいよ地下ホームへ向かいます、2011年5月撮影。
私のような高所恐怖症の人間にとっては多少の畏怖を感じるところです。

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少々きつい行程の階段を下りて、下まで到達、2011年5月撮影。
地上の旧改札からここまでコースタイムちょうどの10分。
途中、撮影で立ち止まりながらですので、無停止なら8分というところですかね。

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画像奥が土合駅の地下ホームです、2011年5月撮影。

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湯檜曽駅方から土合駅下り地下ホームを見る、2005年6月撮影。
時は6月の晴天、地上との気温差からくるものなのか、構内は霧でけむっています。

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土合駅地下ホーム出入り口付近から湯檜曽駅方を望む、2004年3月撮影。
霧はなく綺麗な構内です。

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構内改修前の土合駅地下ホームに到着した115系電車長岡行、2005年6月撮影。
ハイカーのおじさんおばさんが十人ほど乗り込み賑やかです。

ここからは構内改修後の土合駅地下ホームの様子です。
画像は特記以外は2011年5月撮影です。

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湯檜曽駅方から見た土合駅下り構内。
構内改修で副本線を廃して、通過線にホームを張り出したのは皆様ご存知の通り。

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湯檜曽方を振り返って見る。
こちら側は旧ホームの照明のアシストもあって光量が比較的多く、ISO400なら三脚無しでもさほどブレずに撮影できました。

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同じく湯檜曽方に延びる旧ホーム跡。
この時は東北大震災後の節電が叫ばれていた時期でしたけれど、旧ホーム跡の照明は消しても構わないよーな・・・?
配電の問題で個別の消灯は出来ない仕様なんでしょうか。

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土樽駅方から見た土合駅下り構内。
ホーム長は”4”の表示以上に余裕かありましたから、6両程度は収まるのでは?
近日ご紹介予定の新装土樽駅ホームに比べると、ホーム長は明らかに余裕があります。
臨時列車の停車も考慮しての事でしょうか。
・・・それでも以前に比べれば、矢張り随分短くなりました・・・。

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ホーム上の旧詰所(待合室及びトイレ)から土樽方に延びる旧ホームを観察。

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その旧詰所。トイレは一番奥になります。
建築財産票によると昭和42年7月の竣工。

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土合駅地下ホーム待合室内部の様子。
ベンチは相変わらず昔のまま。
テーブルが置いてありますけど、登山客の荷物置き場用?

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土合駅の下り新ホームと出口の位置関係。

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構内改修後の土合駅地下ホームに到着した115系電車長岡行。
前述のように当駅に停車する普通列車は2016年3月改正でE129系電車に置き換えられていますから、この光景も既に過去帳入りです。

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駅前の国道を谷川岳方面に歩き登って、俯瞰で見た土合駅の地上ホームとその周辺の様子。
土合駅からここまで10分強です。
2016年9月に再訪して同じ位置から見てみたのですが、茂る木々と葉に邪魔されてこういう画は撮れませんでした。
撮るのは春先が良いようです。
前述の鉄道ピクトリアルの俯瞰画を見ると、現在の駅舎のあたりは国鉄職員や関係者の官舎らしき建物が建っています。

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2011年5月22日 (日)

海賊戦隊ゴーカイジャー第14話「いまも交通安全」をヒロイン目当てで見る

ども。
最初のクールを終えてなおミスアメリカへのゴーカイチェンジが見られない
海賊戦隊ゴーカイジャーであります・・・。
変態紳士諸兄におかれましては、この放置じらしプレイにそろそろ忍耐も
限界に達しつつあるのではと実にもって同情申し上げる次第であります。

先回はゴーカイピンク主役回という事で、シークレットでミスアメリカ登場の
期待が高まっておったものですが・・・。

モモレンジャーにゴーカイチェンジ
モモレンジャーの首筋というそれは美味しい「をかず」を頂きはしましたけれど。

ギンガピンクにゴーカイチェンジ
実に残念実に遺憾ながらシークレットは無く、一瞬ゴセイピンクへのチェンジ
とギンガピンクへのチェンジ及び戦闘のみ。

そして本日の放送でございますが・・・
第14話「いまも交通安全」。
いや~、今日は面白かった!
私は戦隊で、作品として一番好きなのが「激走戦隊カーレンジャー」なので、
カーレンジャーメインライターの浦沢先生直筆による本日の放送は純粋に
話として楽しみにしておりました。

セーラー服姿のインサーン
自称永遠の17歳声のクールビューティーなインサーン姐さんにも、こんな
純情可憐なおぼこ娘の時代があったのです。
着ぐるみの上からコスプレとか凄いw
こんな画づらを見たのはテントリーナのコスプレ以来。

そしてゴーカイジャーの面々はカーレンジャーの元リーダーである、自称俳優な
猿顔の一般市民と邂逅を果たしたのであります。
ここでも浦沢節大炸裂で、「キミたち、大いなる力はいらないのかい!?」と
ゴーカイジャーの五人を何気に脅迫する彼の姿は、かつて暴走皇帝を倒した
栄光の激走戦隊カーレンジャーのリーダーというよりは、浦沢先生の手による
「忍たま乱太郎」でお約束の、
「唐突に道端に倒れている絶対に関わり合いになりたくない迷惑な人」
を想起させます。
そういえば彼がカーレンジャーになったのも、ヘンテコ宇宙人の子供の泣き脅しに
屈したからでしたなぁ・・・。

ターボレンジャーにゴーカイチェンジ
ゴーカイジャーの面々は高速戦隊ターボレンジャーにゴーカイチェンジ、
しかしすかさず猿顔の一般市民からツッコミ入りますた。
しかしこういうギャグシーンでも着替えが必要なんですよね。
スーツ担当の方々は大変ですよ。

カーレンジャーにゴーカイチェンジ
気を取り直して激走戦隊カーレンジャーにゴーカイチェンジ!
イエローレーサーは以前に登場しましたが、ピンクレーサーは今回が初めて。
ピンクレーサーは可愛くて好きだったなぁ。
私的に歴代ピンク変身後ではミスアメリカ、ピンクファイブ、チェンジマーメイド&
フェニックスに次ぐレベルであります。
中川素州さんの演技がプリティー過ぎて当時萌えまくりでした。
アレが戦隊ヒロイン女形初レギュラーだったとは、全くおそるべき御方です。
ゴーカイ版ピンクレーサーの決めポーズがちょい抑え目なのは、所詮本物では
ないのと中の人が本物の女性である二重のあかしでしょーか?

一輪車に乗るピンクレーサー
カーレンジャー本編にこんなのあったっけ!?
何ともフザけた戦闘突入であります。
ピンクレーサーの野川瑞穂さんは大変だなぁ、一輪車とかちょっこらちょいと
乗れんでしょうに。

大林勝さん演じるインサーン
一方、猿顔の一般市民に一目ぼれしたインサーン姐さんは、彼の貞操を奪うべく
執拗に追跡。
彼は昔から宇宙人の女にモテるのです、何故か。
しかしこれは最早子供番組としてはNGギリギリな描写といえましょうか。
・・・騎上位でうまい棒を収めて・・・したたるようなディープキスを・・・
ちなみにインサーン姐さんの中の人は、カーレンジャーで姉御肌のイエロー
レーサーを好演した大林勝さん。
そういえば昔は大林さん演じるイエローレーサーが、素州さん演じるピンクレー
サーと一緒に猿顔の一般市民に説教したりしてたっけ。

唖然とするゴーカイジャーたち
インサーン姐さんに恋焦がれるジェラシットさんは、倒されてもいないのに巨大化、
見苦しい男の嫉妬パワーで暴れまわります。
姐さん・猿顔・ジェラシットの複雑な三角関係人間曼荼羅がここに発現。
中の人は全員男というのがまた凄い。
ただただ唖然とするばかりのゴーカイジャーの面々。

カーレンジャーのポーズを決めるゴーカイジャー
お決まりの巨大化戦で痛めつけられたジェラシットさんはほうほうの体で帰還、
そんな彼をあっさりポイ捨てのインサーン姐さん、やっぱり怖い・・・。
なんとなく「大いなる力」を授かった感じのゴーカイジャーたちは、猿顔の一般
市民の紙芝居に付き合わされた挙句、カーレンジャーの決めポーズを。
変身後でやるところがシュールですな、周りにガキどもがわらわらと湧いてる中で。
最初から最後まで猿顔の一般市民と姐さんとジェラシットさんに喰われっ放しの
今回のゴーカイジャーでありました。

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猿和田駅(磐越西線)

本日の駅紹介は磐越西線・猿和田駅。

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新潟県五泉市に所在する無人駅で、開業は昭和30年(1955年)8月15日。
磐越西線新潟県内区間では最も新しい駅ですけれど、周辺のロケーションが適度に鄙びている為か、駅舎改築以前は当駅より先行して開業した磐越西線内の、元々は「ガスカー」(天然ガス気動車)用の停留所だった東新津駅や北五泉駅よりもずっと古典的な駅の雰囲気を今に留めていました。
なお猿和田駅は開業当時から五泉市の所在ですが、周辺地域は開業の前年まで中蒲原郡川東村の所在だったようです。
駅設置自体は当時の五泉町と合併する前に(合併協議会が設立される以前に)決まっていたのでしょうね。
明治43年に新津-馬下間が開通して以来、悲願であっただろう村の玄関駅の設置。
それから45年経ってようやく念願かなった時は村が無くなっていたのです・・・。

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旧・猿和田駅駅舎、2006年11月撮影。
建築財産票によると竣工は昭和30年8月。
有人仕様のしっかりした作りの小品でした、屋根は瓦葺です。
トイレは駅舎右側にありましたが、非水洗で手洗い水は出ませんでした。
お世辞にもキレイとは言えないトイレのすぐ脇に、飲料自販機を設置していたのは少々いただけない点でしたなぁ・・・。

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新・猿和田駅駅舎、2011年4月撮影。
建築財産票によると竣工は平成21年10月16日。
右側が待合室になります。
最初から無人仕様なので、随分と小さくなりました・・・。
その姿は機能的かつモダンで中々宜しいのですが、周囲の風景に溶け込んでいるかと言えば微妙かもしれません。
周囲との唐突間という点では米坂線の越後大島駅と似てます。
しかし外から内部がよく見える待合室と通路の明るさが、防犯上大いにプラスなのは間違いないでしょう。

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猿和田駅旧駅舎内の様子、2006年11月撮影。
ウィキペディアによると昭和60年無人化とされていますが、2003~4年頃に当駅を通ると駅員氏の姿と窓口が開いているのを何度か確認しました。
もしかすると国鉄駅としての無人化以降も、同じ五泉市内所在の北五泉駅同様に自治体委託で有人だったのかもしれません。
室内には券売機が一台。

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猿和田駅の現駅舎の待合室の様子、2011年4月撮影。
内部は素透しで悪童たちも容易に悪さを出来ませんな。
画像で死角になってる左側隅に券売機が一台。

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ホーム側から見た猿和田駅旧駅舎の古典的な佇まい、2003年8月撮影。

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線路向かい側の道路から見た猿和田駅旧駅舎、2003年8月撮影。
上屋を支える柱の形状など実に古典的で、昭和30年生まれとは思えない味わい深さでありました。
なお猿和田駅は開業時には荷物のみ取扱いで、貨物営業は行なっておりませんでした。

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ホーム側から見た猿和田駅現駅舎の様子、2011年4月撮影。
トイレは通路の反対側(画像右側)にあり、男女別水洗です。
ホーム側にはベンチか一つ。

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ホームの馬下駅方から見た猿和田駅構内、2004年12月撮影。
ホームは緩やかにカーブを描いていて、このあたりからの見通しは良くありません。

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同じく馬下駅方を見る、2004年12月撮影。
画像右手に見えるのは、当駅周辺唯一のランドマークである小中学校。
左手に見える小さな白い建物は地下道出入り口です。
踏切にやや距離がある為、歩行者はこの地下道で反対側へ。

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ホームの五泉駅方から見た猿和田駅構内、2004年12月撮影。
この位置からだと山々を背に進入する列車の画が撮れそうです。

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同じく五泉駅方を見る、2004年12月撮影。
画像左手は一面田畑が広がる昔ながらの風景。

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猿和田駅に停車中のキハ40系気動車、上は2003年8月、下は2011年4月撮影。

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猿和田駅前から駅前通りを見る、2006年11月撮影。
通り沿いは宅地が大半で、商店は菓子店と割烹食堂が各一軒ある程度です。

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駅前通りを進む事数分で行き着く県道、2006年11月撮影。
通りの左側にバス停がありますが、これは当時馬下-五泉間に設定されていたバス路線のものです。
昨年9月末をもってこのバス路線は廃止され、代わりに地域住民用の乗合タクシーが運行を開始しましたが、これは事前登録&予約制なので旅の一見さんが利用するのはまず無理かと。
このバス路線の廃止で、磐越西線三川-五泉間は事実上鉄路以外に公共交通機関の選択肢は無くなりました。

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2011年5月15日 (日)

西新発田駅(白新線)

本日の駅紹介は白新線・西新発田駅。

新潟県新発田市に所在する無人駅で、開業は昭和32年(1957年)4月1日。
現在の当駅は周辺が商業地区になり駅も移転されて列車交換可能になっておりますが、かつての当駅はそれはもうローカル色満点の凄いもので・・・。
私の祖父母や親戚の家が羽越線沿線にある事から、白新線は幼い頃からよく通っておりますけれど、その当時の西新発田駅といえば周辺の宅地化未だで近くの自動車教習所以外は一面田圃の海といったところでした。
茶色のホームは一本で短く、ホーム上の待合室は木造で山間のローカル線のそれと何ら変わらないものでした。
また当時(国鉄末期に導入された都市型ダイヤ以前)の白新線は、普通列車に関しては現在(データイム毎時1本)以下の過疎ダイヤでしたが、当駅はその少ない普通列車も一部通過するような有様で、県北部有数の都市・新発田市内に立地しながら(それも市街地
からそう離れてもいない)その寂れ方は子供心にも胸に染み入るものがあったと記憶しております・・・。

どのような経緯でこんな駅が造られたのか、以前から興味があったのですけれど、具体的な記述のある資料には未だ行き着かず残念!
「新発田市史」を見ても、”簡易駅として開業”の他は何も無し。
あの教習所絡みで、教習生通学の為であったのか?
はたまた都市計画に関連して宅地化・商業地区化の先行の意図があったのか?

そんなかつての姿を強烈に覚えておりますがゆえに、現在の西新発田駅周辺の賑やかさは、これがあの寂寥感溢れる「停留場」と同一のものとは俄かに信じがたいものが今もってあります。
まさに成り上がり度は燕三条駅に並び立つ勢い。
JR九州なら買い物客相手に特急停めちゃいそうですなこれは。
まぁ、前述したように駅自体は今から11年前に移転しておりますから、厳密に言えばかつての駅とは別物の「新駅」と呼んで差し支えないものなのではありますけれど。


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西新発田駅舎(北口)の様子、2007年2月撮影。
最初から無人駅として作られており、上屋と待合室(画像右側)のみの機能です。
建築財産票によると待合室の竣工は平成12年6月13日。
当駅は時折ホーム上で改札が行なわれており、乗降の多さを見てもいっその事自動改札を導入した方が・・・と強く感じるところ。
私見では西隣の佐々木駅よりもひょっとして乗降は多いのでは?と思わせますし。
自改と係員の詰所のスペースはなんとかなるでしょう。

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西新発田駅構内の待合室と跨線橋周りの様子、2003年11月撮影。

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1番ホーム新発田駅方から西新発田駅構内を見る、2003年11月撮影。
列車交換時以外は原則このホームの発着になります。
当駅に交換設備が整備された事で、白新線の単線区間の全ての駅で列車交換が可能になり、ダイヤ設定もより柔軟性が増した・・・はずなのですが、豊栄-新発田間普通列車は未だデータイム毎時1本のまま。
豊栄止まりの区間列車を一部延長して、せめてデータイム1本/30分にしてもバチは当たるまいにと無責任な利用者は思うところでありますけれど、会社としては新潟-新発田間直通客は「便利で快適な特急いなほ号」をご利用ください!」
なスタンスなのでしょうし。
中間の黒山、佐々木、そして当駅利用客はほったらかしですかなこれは。

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1番ホームの佐々木駅方から見た西新発田駅構内、2011年4月撮影。
今年は雪が多かったので、後背の山々もまだまだ白く輝いています。

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跨線橋上から新発田駅方を見る、2011年4月撮影。
画像左側の開発ぶりに比べ、右側は未開発エリアで昔そのままの風景です。

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同じく佐々木駅方を見る、2011年4月撮影。
「新駅」はとかくスペース切り詰めコストカットが常ではありますが、西新発田駅の場合は白新線の通勤通学需要の高さゆえかホーム長は充分に採られております。
しかし造りが合理的になった半面、鉄路の旅情を醸し出すものは何もない無味乾燥にもなってしまっていますなぁ・・・

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駅周辺開発以前の佐々木駅方の様子、2003年11月撮影。
西新発田駅移転新装3年後の様子で、駅前広場や周辺道路は概ね完成していたものの、区画整理は終わったところで大半の建物はまだ未着工でした。

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周辺が開発途上だった頃の西新発田駅を出発する、E127系電車新潟行、2003年11月撮影。

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2番線で特急退避中の115系電車湘南色の村上行、2013年3月撮影。

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西新発田駅を通過する485系電車R編成の酒田行特急「いなほ」、2013年3月撮影。

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西新発田駅1番ホームの待合室内の様子、2007年2月撮影。
2番ホームのそれも同じ作りになっていて、両方共に室内に券売機有り。

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西新発田駅南口とその後背の様子、2007年2月撮影。
前述のように、こちらは昔そのまま。
これが本来の西新発田駅の姿と言えましょうか。

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駅前通りから見た西新発田駅の様子、2007年2月撮影。
駅前広場はロータリーになっていて、新発田駅まで行ける新発田市コミュニティバスのバス停有り。
なおトイレは画像左側に駅舎とは別棟で設置。

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西新発田駅前通りの様子、2007年2月撮影。
昔はなーんも無かったところが今はこれこの通り、時代は変わった・・・(遠い目)。
新発田駅周辺商圏の寂れ方とは全てにおいて対照的。
現在、新発田市域商業拠点は当駅周辺とここから1.5km離れた国道周辺が中心になっております。

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駅前通り新発田方から西新発田駅方面を振り返って見る、2007年2月撮影。

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2011年5月 8日 (日)

海賊戦隊ゴーカイジャー、ミスアメリカには今回もチェンジしませんでした

ども。
海賊戦隊ゴーカイジャーも第一クールが終わろうとしているわけですが・・・
ホントに!ミスアメリカ!
どうなってんねん!!
あとピンクファイブとチェンジマーメイド&フェニックスも!
・・・ピンクファイブは映画に出るみたいですけど。
敵がレンジャーキーを奪って変身したとか?なんとかという話らしいですが。

ここ三回を振り返って見ても・・・
ジャッカーにゴーカイチェンジして、
ジャッカーにゴーカイチェンジ

ジュウレンジャーにゴーカイチェンジして、
ジュウレンジャーにゴーカイチェンジ

ダイナマンにゴーカイチェンジして、
ダイナマンにゴーカイチェンジ

イエローマスクからメガイエロー、アバレイエローにゴーカイチェンジして、
歴代イエローにゴーカイチェンジ

デンジピンクからピンクフラッシュ、タイムピンクにゴーカイチェンジして。
歴代ピンクにゴーカイチェンジ

初期戦隊ではゴレンジャー、ジャッカー、デンジマン、サンバルカン、ゴーグルV、
ダイナマンにゴーカイチェンジしていて、何故かバトルフィーバーのみ無し。
映画ではバトルフランスとケニアが敵として登場するらしいですが、ミスアメリカの
話題なぞ全く耳に入ってきませんな・・・。
来週はアイム主役回で、次回予告ではモモレンジャーに二度目のチェンジを
果たすようですが、ミスアメリカの出番は果たして・・・。

先週今週の前後編がシリアスかつ熱血展開だったので、箸休めにコメディ風
みたいですけど、それならアイムがミスアメリカにチェンジして、そのエロさに
敵兵たちが何故か股間を押さえて恥ずかしそうにモジモジし始めて、おぼこな
アイムがソレを見て「どうしたんですの?」と頭の中がハテナマークで一杯に
なるとか、
マーベラスがミスアメリカを見て、「その格好イカすじゃねーか」とスケベそうに
ニヤリとしたり、ハカセが「アイムそんな格好しちゃダメ!」とドキマギしながら
バスタオルをミスアメリカのお腰に巻こうとするとか、
アイムがようやく客観的に自分が今とてつもなくエロい格好しているのに気付いて
「もうお嫁にいけない~」とミスアメリカの格好のまま羞恥心に身悶えしながらその
場にしゃがみこむとか、
ジョーは興味無しをクールに装いつつ、横目で執拗にチラ見してるとか、
ルカがそれを見て、
「そんな格好どうって事ないじゃん、私が変わってあげようか?」
とミスアメリカのレンジャーキーでゴーカイチェンジしちゃうとか、そういう展開が
見たいですなw

・・・やはりあの格好では、エロかコメディかどちらかに振り切れるしか使い出が
無いように思えますな、ミスアメリカのレンジャーキーは。

本日の放送も予告に映らなかったデンジピンクにチェンジしていたので、
シークレットでモモレンジャーやギンガマン以外にもしかしたらチェンジ!?
いつ来るか予断を許さない今後のゴーカイジャーなのであります。

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北堀之内駅(上越線)

本日の駅紹介は上越線・北堀之内駅。

2016年7月17日記、加筆修正及び画像追加しました。

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新潟県魚沼市の北端に位置する無人駅で、開業は昭和25年(1950年)2月15日。
開業当時の所在は北魚沼郡堀之内町で、同町は平成16年11月に周辺町村と広域合併して新自治体・魚沼市の一部となって今日に至ります。

北堀之内駅の前身は昭和19年9月に開設された「越後下島信号場」で、この時期日本各地で設置された「決戦輸送」用でした。
堀之内町史によると、昭和21年4月に信号場の駅格上げ嘆願書が運輸大臣に提出されます。
信号場の設置された下島地区は明治期まで村だったところで、当時の地区人口は七千人弱と、北隣の川口町と比べても遜色ないものでした。
嘆願書は駅格上げの必要性としてまずこの駅勢人口の多さと冬期の交通不便、そして信号場付近に大量の亜炭が埋蔵されていて、これが貨物輸送にプラスに
働くとの客貨両方でアピールする念の入れ様。
古津駅のエントリーでも述べましたが、当時は戦時中に開設された信号場が合理化の為に整理廃止されてしまうのを恐れた自治体が、おらが信号場の駅昇格を求めて盛んに請願嘆願をおこなっていたのです。

新潟県内では、信越線古津田上両駅がその必要性を認められて国鉄発足直前に駅昇格を果たしましたが、下島信号場は周辺に前述したかなり大きな人口を抱えながらすんなりと昇格とはいかず、国鉄発足後八ヶ月後の昇格となりました。
請願駅扱いなので駅昇格工事費は全額地元負担となりその金額約54万5千円。
同時期に当駅同様信号場からの昇格を果たした信越線・長鳥駅の工事費の1/4以下で、平地の駅は山間の勾配区間の駅と比べていかに安価か良くわかる話なのであります。

・・・しかし駅名はねぇ・・・。
「北堀之内」って実にパッとしないネーミングですなぁ。
「越後下島」の方が語呂も語感もずっと良いんですけど。
駅昇格工費の半分を堀之内町費で賄ったそうなので(残りは下島地域一帯からの寄付金)、仕方ないって言えばそうなんですが。
駅昇格を言い出したのは下島地域で堀之内町じゃなかったわけですし。
それをお金半分出してもらったんですからねぇ・・・。

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北堀之内駅駅舎、2008年4月撮影。
建築財産票によると、竣工は平成10年12月14日。

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ホーム側のホーム出入り口、2008年4月撮影。
画像左側が待合室、画像中央の通路上に立っているのは乗車証明発行機です。
これを見るに、利用客のほとんどは通学生なのでしょう。
この時点で自動券売機は未設置でしたが、2013年5月に再訪した時には狭い待合室内に押し込むようにして設置してありました。
なおトイレは駅舎内にあって男女共用、水洗ですがトイレットペーパーはありませんでした。

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ホームから見た北堀之内駅舎、2005年5月撮影。
駅舎右側は倉庫になっていて、除雪用具が置かれているのでしょうね。

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一番ホーム(小出方面)越後堀之内駅方から見た北堀之内駅構内、2004年7月撮影。
ご覧のように上下のホームは非対称です。
前述したように名前はパッとしない当駅ですが、この古びた佇まいと後背すぐに山というロケーションはなかなか良い味を出しています。
個人的には好きな駅の一つ。

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同じく越後川口駅方から見た駅構内、2004年7月撮影。
私事で恐縮ですが、これを撮っている時は生まれて始めて熱中症になって、酷い頭痛を我慢していましたなぁ・・・。
非常に蒸し暑く不快な初夏の一日でした。

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ホーム中央部と跨線橋の様子、2004年7月撮影。

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2013年5月時点の北堀之内駅構内中央部。
長岡方面乗り場の待合室は撤去されて、JR東日本定番の駅名標が設置されています。
待合室の撤去はかなりの経年でもありましょうし、仕方のない事なのかもしれません。
しかしやはり近年ホーム上の待合室を撤去した信越本線・北条駅のように跨線橋の出入り口に上屋とベンチを設置する方法も・・・しかし当駅の場合、架線柱が邪魔をして出来ないのでしょうね。

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北堀之内駅跨線橋内部の様子、2013年5月撮影。

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跨線橋上から駅構内越後堀之内駅方を見る、2013年5月撮影。

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同じく駅構内越後川口駅方を見る、2005年5月撮影。
長岡方面乗り場の待合室が健在だった頃です。

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長岡方面乗り場の待合室撤去後の構内、2013年5月撮影。
架線柱も更新されているのがよくわかります。

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二番ホーム(長岡方面)越後川口駅方から見た北堀之内駅構内、2004年7月撮影。
ホーム後ろの雪崩対策用?鉄柵がいかにも雪深い土地柄を象徴。

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同じく越後堀之内駅方から見た駅構内、2004年7月撮影。

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現在は撤去されている長岡方面乗り場の待合室、2004年7月撮影。
建築財産票未確認に付き竣工年月は不明ですが、屋根の形状などからかなり古いものと推察されます。
これも郷愁の小品でなかなかに通好みでした。

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北堀之内駅に停車中の115系電車越後中里行、2013年5月撮影。

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北堀之内駅に進入する115系電車越後湯沢行、2013年5月撮影。
先日、運用を離脱したS編成です。

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北堀之内駅に到着した115系電車長岡行、2013年5月撮影。


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北堀之内駅とその周辺、2008年4月撮影。
越後川口駅同様、後背の山々に圧せられた駅舎が印象的です。
駅前通りには数戸の民家、いずれも冬期の豪雪に備えた背の高さです。

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駅前広場から見た駅前通り、2008年4月撮影。
少し歩くと国道17号に行き着きます。

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国道17号川口方面を見る、2008年4月撮影。
国道には小千谷本町-小出間のバス路線が設定されています。

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同じく堀之内方面を見る、2008年4月撮影。
この辺りは両方向共に至近に信号機がありません(堀之内方面に数百m進むとようやく一基、川口方面には見通せる限り無し)。
しかも行き交う車は切れ目無く多くて、横断するには相当の時間を必要とします。
私はこの時、横断に五分かかりました。
前述の路線バス小出方面をご利用の際は、時間に余裕を見るのをお勧めします。
ギリギリに行くと道路横断が出来ず、目の前をバスが通過するのを呆然と見送るという実にイヤな目に容易く遭いそうですのでw。
画像中央左側の薄茶色の建物はたこ焼き屋で、たこ焼きの他にたいやきも有り。
当駅至近で食べ物にありつけるのはそこだけでした。
ちょうど小腹が空いた夕方の事で、あの店でたいやきを買いはむはむと食しながら車中の人となった次第。

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2011年5月 4日 (水)

昭和55年10月改正ダイヤにおける越後川口駅時刻表

越後川口駅のエントリーの別表として、上越新幹線開業前最後の
ダイヤ改正となった昭和55年10月改正ダイヤから越後川口駅
時刻表を作成しました。

特急の停車は無い代わりに昼行急行が全列車停車する、当駅の
最後の輝きを放っていたまさにその時のものです。
飯山線は急行一往復を含む12往復で、長野直通が存在するの
が現在と異なるところ。
現在の飯山線越後川口口は10往復の運行で、当時に比べ普通
列車一往復減に留まっているのが意外な健闘ぶりと言えなくもあり
ません。
しかしこの当時は二連以上が常態なのに対し現在は単行ワンマン
がメインで、輸送力は四半世紀前の約半分です。

越後川口駅時刻表
昭和55年10月改正ダイヤより作成  
青色は急行列車 
上越線
下り
列車名 始発 発車時刻 終着 備考
佐渡7号 上野 03:48 新潟
733M 上野 04:19 長岡
461M 越後湯沢  07:07 長岡
431M 六日町 07:44 新潟 六日町-長岡間休日運休 
433M 水上 08:12 新潟 長岡-新潟間快速
467M 小出 09:01 新潟 小出-長岡間休日運休
うおの 十日町 09:36 新潟 十日町-越後川口間普通 
721M 高崎 10:04 長岡
723M 上野 11:06 長岡
佐渡1号 上野 11:14 新潟
よねやま  上野 12:25 直江津 
725M 高崎 14:35 長岡
727M 高崎 17:07 長岡
佐渡3号 上野 17:14 新潟
469M 越後湯沢 18:03 長岡
729M 上野 19:01 長岡
野沢 長野 19:13 長岡 飯山線経由
731M 高崎 21:49 長岡
佐渡5号 上野 21:58 新潟
上り
列車名 始発 発車時刻 終着 備考
佐渡8号 新潟 00:55 上野
460M 長岡 06:30 六日町 休日運休
724M 長岡 07:32 上野
野沢 長岡 07:57 長野 飯山線経由
佐渡2号 新潟 08:15 上野
462M 長岡 08:25 小出 休日運休
422M 新潟 10:06 上野
よねやま 直江津 10:59 上野
424M 新潟 11:05 越後湯沢 
728M 長岡 13:39 高崎
佐渡4号 新潟 14:57 上野
730M 長岡 15:40 高崎
732M 長岡 17:10 上野
佐渡6号 新潟 17:33 上野
440M 新潟 18:15 越後湯沢 新潟-長岡間快速
734M 長岡 19:34 高崎
うおの 新潟 20:40 十日町 越後川口-十日町間普通列車  
468M 長岡 21:02 水上
470M 長岡 23:05 石打
飯山線
越後川口発
列車名 始発 発車時刻 終着 備考
128D 当駅 07:37 十日町
野沢 長岡 07:57 長野
130D 当駅 08:29 十日町
136D 当駅 10:09 十日町
140D 当駅 11:40 長野
142D 当駅 13:47 十日町
148D 当駅 15:46 十日町
156D 当駅 17:26 十日町
160D 当駅 18:17 森宮野原 
162D 当駅 19:54 十日町
2124D 新潟 20:40 十日町 新潟-越後川口間急行うおの 
164D 当駅 22:00 十日町
越後川口着
列車名 始発 到着時刻 終着 備考
121D 十日町 06:46 当駅
125D 津南 07:27 当駅
127D 森宮野原 08:57 当駅
2121D 十日町 09:30 新潟 越後川口-新潟間急行うおの
133D 十日町 10:53 当駅
137D 長野 13:35 当駅
141D 十日町 15:36 当駅
143D 長野 16:55 当駅
145D 十日町 17:55 当駅
野沢 長野 19:11 長岡
149D 十日町 19:31 当駅
151D 長野 20:23 当駅

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越後川口駅(上越線/飯山線)

本日の駅紹介は、上越線/飯山線・越後川口駅。

2017年2月18日記、駅舎リニューアル関連の記事を加筆しました。

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新潟県長岡市の南端に所在する有人駅で、開業は大正10年8月5日。
開業当時の所在は北魚沼郡川口村で、当時既に東北本線・川口駅が存在した為に村名に「越後」を冠して現駅名となりました。
同村は昭和32年8月に町制を施行して川口町となり、さらに平成22年3月末日をもって長岡市に合併編入され今日に至ります。
その間、平成16年10月23日に発生した新潟県中越地震は川口町内が震源で震度7を記録し大きな被害を出したのは、新潟県民にとって未だ記憶に生々しいところです。
また北隣の小千谷市が長岡市と合併していない為、長岡市の飛び地になっているのが異色の地域でもあります。

越後川口駅開業前年の大正9年時点での村の人口は4千人弱で、近隣の小千谷や堀之内と比べて半分以下、村内には金融機関も電話もゼロと近代化の時流から取り残された感の強かった川口村でしたが、上越線延伸に伴う駅開業、そして昭和2年6月には当駅を起点とする飯山線が越後岩沢駅まで、11月に十日町駅まで開通し、その十日町駅に飯山鉄道が乗り入れるようになると客貨の中継地として賑わいを見せるようになって、当駅にもついには急行列車の停車が実現。
人口も農商工業の生産出荷数もずっと格上の堀之内町への急行停車が見送られたのを尻目に、村の規模からすれば破格の待遇を受けたのです。

戦後も急行停車駅及び飯山線接続駅として上越線内でも重きを成しておりましたが、特急「とき」の停車が実現しないまま上越新幹線が開業。
更に昭和60年春の新幹線上野延伸で昼行電車急行「佐渡」「よねやま」が廃止されて東京直通ルートを失い、国鉄最後のダイヤ改正となった昭和61年11月改正で当駅停車の唯一の優等列車・急行「野沢」が廃止。
かくして当駅から優等列車停車の華やいだ空気は消え完全に過去のものになって現在に至っています。
JR東日本によると2015年度の越後川口駅一日平均乗車人員は208人で、同社新潟県内有人67駅中60位、上越線の新潟県内区間有人9駅(宮内駅を除く)中8位。
自治体の玄関駅としての役割も長岡市への合併でその意義は大きく失われ、飯山線の接続駅でなければ無人化も絵空事では無い数字です。
旧町の人口が五千人弱とけして多いとは言えない事に加えて旧町内に高校が無い為に、通学生のまとまった流入が無いのが不振の要因でしょう。


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越後川口駅駅舎の様子、上は2008年4月、下は2016年9月撮影。
この駅舎は2016年3月にリニューアルが完成しています。
建築財産票によれば昭和44年11月の竣工。
上越線と飯山線の分岐点という運転上の要衝である事を象徴する二階建て。

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リニューアル後の越後川口駅駅舎出入り口の様子、2016年9月撮影。
出入り口上屋下の装飾は、駅近くを流れる魚野川のアユをデザインしたものなんだとか。

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越後川口駅駅舎内部の様子、上は2008年4月、下はリニューアル後の2016年9月撮影。
最近の改装駅舎(宮内駅、来迎寺駅など)と同様、内装がシックな色使いに変わって落ち着いた雰囲気になりました。

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駅舎待合室の様子、上二枚は2008年4月、一番下はリニューアル後の2016年9月撮影。
なお、待合室開放時間は明記されていませんでした。
二枚目の画像の右側、ベンチの後ろの辺りがキオスク跡のようです。
2008年4月の時点で空調はありましたが冷房専用なのか、まだまだ肌寒い4月中旬のこの日はストーブを使用中。
ベンチの配列を変更して、ストーブが置かれていたあたりもベンチが占有していますが、
これはストーブを置くのをやめたということなのでしょうか?

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駅舎からホームへの地下道の様子、上は改札口方から見た2008年4月撮影。
下は上越線乗り場方から見た2016年9月撮影。
中越地震で大きなダメージを受けていたこの通路も、震災後三年半後の上の画像の段階ではこのように完全に修復済み。
トイレは下の画像で見ると左奥(改札を入ってすぐ横)に男女別であります。

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越後川口駅の飯山線専用の1番ホーム、2005年6月撮影。
震災八ヶ月後の撮影ですが、ホームも完全に修復済み。
「のりかえ」の、特に「上野」の二文字が郷愁を誘いますなぁ・・・。
当駅に上野直通の電車急行「佐渡」「よねやま」が停車していたのも、もう30年以上も昔の話になってしまいました・・・。

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1番ホーム内ヶ巻駅方から見た越後川口駅構内、2005年6月撮影。
上越線との間に線路が一本存置。
この線路は2016年9月訪問現在でも残っていましたが、雑草に半ば覆われて相当長期に渡り使われていない感じでした。

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1番ホーム小千谷駅方から見た越後川口駅構内、2005年6月撮影。
飯山線列車はせいぜい二連が今日の姿なので、このホームも大半は遊休化しています。
上越線から飯山線への優等乗り入れはかつて「うおの」「野沢」がありましたけれど、それももはや歴史上の話に。
現在は一日二往復の上越飯山直通列車が設定されております。

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1番ホーム中ほどから小千谷駅方面を見る、2005年9月撮影。
左側の旧貨物引込線?は保線用として活用。なお当駅の貨物取扱いは昭和45年12月に廃止されていて、この時点で飯山線への貨物中継点としての役目は終了したのでしょう。

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1番ホームのかつての駅名標、2004年11月撮影。
盲腸線の終着駅の趣きです。
この当時は朝の上越線直通列車があったかどうか、うーむ思い出せない・・・。
直通列車が無いのなら、この表示でも構わないんですけどね。
現在の駅名標は内ヶ巻-小千谷と表記されていて、朝に設定されている上越線直通列車に対応したものになっています。

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上越線用島式ホーム(2-3番線)の小千谷駅方から見た越後川口駅構内、上は中越地震発生一週間前の2004年10月、下は2016年9月撮影。
緩やかな右曲線の長大なホームはかつての上越線全盛時代を今に伝えています。
この12年の間の構内の変化は、駅名標がJR東日本定番型に変わったことと島式ホームに待合室が新設された事、ホームの国鉄式の白線が黄色いラインに変わったこと、上越線と飯山線の線路の間の中線?がすっすり草に埋もれてしまったことです。

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島式ホーム端から小千谷駅方を見る、上は2004年10月、下は2016年7月撮影。
下の画では上越線上り線の右側の側線?も草に埋もれてしまっています。

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島式ホームの北堀之内駅方から見た越後川口駅構内、上は2004年10月、下は2016年9月撮影。
かつての急行列車停車駅らしく、上屋は長大で今日の短編成列車には有り余るモノです。
上下どちらの方向から見ても、ゆるやかに弧を描く当駅のホームと広い構内の佇まいは実に見映えがして良いのです。

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島式ホーム端から北堀之内駅方を見る、上は2004年10月、下は2016年9月撮影。
この先、上越線はすぐトンネルに入り、右側の飯山線は信濃川から分流直後の魚野川を渡河する好対照ぶり。

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飯山線ホームと折り返し待機中のキハ110系気動車を上越線ホームから見る、2010年5月撮影。
休日の夜七時半ともなると、山峡のこの駅構内は早や深閑として人影はありません・・・。

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上越線用島式ホーム上屋辺りの様子、2016年9月撮影。
前述のようにホームに待合室が新設されていました(下の画像中央)。
今までは上屋があるとはいえ、風雨風雪の強い日にホームで列車を待つのは難儀な事でしたけれど、待合室が出来たことでそれも解消されたのは利用者にとって大いなる福音でしょう。

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快速「越乃Shu*Kura」停車駅の証である駅名標。
当駅周辺にはこれといった酒蔵はないようなので、停車駅に選ばれたのは「川口ヤナ場」の存在ゆえでしょうか。

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越後川口駅2番線を出発するE129系電車長岡行、2016年9月撮影。
上越線の長岡-水上間普通列車は、2016年3月ダイヤ改正で全列車が115系からE129系に更新されました。
ワンマン運転も常態化して、かつての重要幹線も完全にローカル化した感強し。
また115系時代の三連がE129系化で二連に編成短縮しています。
この日(日曜日)は長岡から越後湯沢-越後中里-五日町-越後川口-浦佐と回りましたけれど、どの列車も混んでいました。
18きっぷの使用期限は過ぎている時期にも関わらずあの混みよう、期限内の混み方は相当なものではないかと思われますな。

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越後川口駅3番線に進入するE129系電車水上行、2016年9月撮影。

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越後川口駅3番線に停車する115系電車越後中里行、2005年6月撮影。
中越地震の復旧工事で修復されたホームの床面や線路のバラストがまだ真新しい頃です。

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夕刻の秋雨の中、越後川口3番線を出発する115系電車越後中里行、2013年10月撮影。
上の画と同じ列車ですが、梅雨入り直後の晴天の6月中旬と紅葉の10月下旬ではやはり空気感の違いが歴然です。

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越後川口駅1番線に進入するキハ110系気動車、2016年9月撮影。

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越後川口駅1番線で折り返し待機中のキハ110系気動車、2016年9月撮影。
幼少の頃、上越線の急行「佐渡」車中から見た、夕闇迫る1番線に停まっているキハ55系(だったよーな・・・)とサボの「森宮野原」。
それが私のこの駅の最も強烈な記憶でした。

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まだ宵の口だというのに深閑とした越後川口駅と折り返し待機中のキハ110系気動車、2010年5月撮影。

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駅前から見た越後川口駅駅前通り、2016年9月撮影。
駅周辺をフラフラするのは2008年4月以来でしたが、以前とほとんど変わっていない街の風情でした。
画像中央に見える、中越地震後の営業再開が町復興の第一歩として大きく報道された、旧川口町内唯一のスーパー「安田屋」も盛業のようでまずは何より。

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駅前通りを少し進み、振り返って越後川口駅を一枚、2016年9月撮影。
駅舎を圧する後背の山々がダイナミックです。
駅構内からではこの山の大きさを中々実感できないのです。
ちなみに駅裏の杉林には、昭和22年から32年まで国鉄の雪害研究所が置かれていたそうです。

Echigokawaguchi2210916
越後川口駅から徒歩五分で国道17号線に到達、2016年9月撮影。
国道には2008年4月当時には無かったセブンイレブンが出店しています。
この国道には南越後観光バス運行の路線バス小出-小千谷線が設定されていて、北堀之内、越後堀之内駅前を経由しており、上越線の補完路として使えます。
この路線は某ローカル路線バスふれあい旅東京-新潟の回でも、一行が乗車していましたっけ。
また飯山線内ヶ巻駅方面には、北越後観光バス運行の小千谷本町西-南小中学校線が内ヶ巻駅近くを経由しており、飯山線補完機能を持っています。
ただし一日四本、しかし土休日もその本数が確保されているのは訪問者にとって有り難いところ。

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国道17号線側から見た、越後川口駅の駅前通り、2008年4月撮影。
2016年9月時点でも特段の変化は無い街並みです。

Echigokawaguchi20
かつて魚野川に架かっていた県道の「川口橋」、2008年4月撮影。
右側に見えるのが飯山線の鉄橋です。
この県道を道なりに進むと内ヶ巻駅に到着。
なお、昭和29年に完成して震災も乗り越えた古強者のこの橋も、新しい橋の完成によって、2009年6月にその役目を終えています。

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こちらは上の画の橋に代わって架けられた新たな川口橋、2016年9月撮影。

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新たな橋から見た飯山線の魚野川鉄橋、2016年9月撮影。
その向こうには関越自動車道の橋が見えます。

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2011年5月 1日 (日)

昭和55年10月改正ダイヤにおける六日町駅時刻表

六日町駅エントリーの別表として、上越新幹線開業前最後のダイヤ改正と
なった昭和55年10月改正ダイヤから六日町駅時刻表を作成しました。
今から31年前のものですが、普通列車は昔も今も変わらず115系というのが
またなんとも・・・。

六日町駅時刻表
昭和55年10月改正ダイヤから作成。赤字は特急、青字は急行。
下り
列車名 始発駅 発車時刻 終着駅 備考
急行 佐渡7号 上野 03:19 新潟
733M 上野 03:44 長岡
461M 越後湯沢 06:32 長岡
431M 当駅始発 07:10 新潟 六日町-長岡間休日運休
433M 水上 07:37 新潟 長岡-新潟間快速
721M 高崎 09:24 長岡
特急 とき1号 上野 09:34 新潟
723M 上野 10:27 長岡
急行 佐渡1号 上野 10:49 新潟
急行 よねやま 上野 11:59 直江津
特急 とき9号 上野 13:33 新潟
725M 高崎 13:51 長岡
727M 高崎 16:27 長岡
特急 とき17号 上野 16:35 新潟
急行 佐渡3号 上野 16:50 新潟
469M 越後湯沢 17:21 長岡
729M 上野 18:20 長岡
特急 とき23号 上野 19:35 新潟
特急 とき25号 上野 21:03 新潟
731M 高崎 21:17 長岡
急行 佐渡5号 上野 21:31 新潟
特急 とき27号 上野 22:04 新潟
上り
列車名 始発駅 発車時刻 終着駅 備考
急行 佐渡8号 新潟 01:27 上野
急行 鳥海 秋田 02:48 上野
460M 長岡 07:04 当駅終着 休日運休
特急 とき2号 新潟 07:45 上野
724M 長岡 08:05 上野
急行 佐渡2号 新潟 08:41 上野
422M 新潟 10:39 高崎
急行 よねやま 直江津 11:23 上野
424M 新潟 11:49 越後湯沢 特急いなほ2号を待避
特急 とき12号 新潟 12:12 上野
728M 長岡 14:19 高崎
急行 佐渡4号 新潟 15:21 上野
特急 とき20号 新潟 16:14 上野
730M 長岡 16:20 高崎
732M 長岡 17:44 上野
急行 佐渡6号 新潟 17:57 上野
440M 新潟 17:44 越後湯沢 新潟-長岡間快速
特急 とき26号 新潟 19:12 上野
734M 長岡 20:06 高崎
468M 長岡 21:36 水上
470M 長岡 23:38 石打

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六日町駅(上越線・北越急行ほくほく線)

本日の駅紹介は上越線/北越急行ほくほく線・六日町駅。

2016年7月17日記、加筆修正及び画像追加しました。

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新潟県南魚沼市に所在し、同市の玄関駅です。
上越線の駅としての開業は1923年(大正12年)11月18日、ほくほく線の駅としてのそれは平成9年(1997年)3月22日。
開業当時の所在は南魚沼郡六日町で、戦国時代には上杉氏の大規模な山城として有名な坂戸城があり、三国街道の宿場でありまた魚野川舟運の起点でもあって、鉄道開業以前から同郡の中心地区でした。

なお舟運の場合、六日町の船着場を出発すると途中浦佐、小出、小千谷を経由して9時間もあれば長岡に到着したそうで、鉄道開業が遅れた川筋の町々では大正になってもなお重要な存在でした。
しかし上越線が長岡駅から順次延伸してくると、所要時間で圧倒的な劣勢に立たされた舟運は大打撃を受け、鉄道よりも安価な運賃をもってしても如何ともし難く大正末期、すなわち当駅が開業したすぐ後には姿を消してしまいました・・・。

さてかつての六日町は、平成の大合併以前は中蒲原郡・亀田町(現・新潟市南区)、西蒲原郡・巻町(現・新潟市西蒲区)に次ぐ県内町村第三位の人口を誇っておりましたが(平成16年4月の人口は2万8千人強)、平成16年11月に北隣の大和町と合併して新自治体の南魚沼市になりました。
しかし六日町地区が周辺地域の中心なのは今なお不変です。
なお、その後南隣の塩沢町も合併して今日に至る南魚沼市の人口は6万一千人強で、新潟県内30市町村中第10位です。

上越新幹線開業前の六日町駅は、電車特急「とき」の停車駅で14往復中4往復が停車していました。
他には電車急行「佐渡」4往復(内1往復は夜行)と「よねやま」1往復、夜行客車急行「鳥海」が上りのみ停車していて、昼行優等列車7往復が朱色とクリーム色と緑と橙で構内を華やかに彩っていたのです。
私は幼い頃、一時期この町に住んでいたことがあり、夏休みは新潟までよく「とき」や「佐渡」に乗ったものです。
「とき」はいつも混んでいて長岡まで立ちんぼが常、「佐渡」は六日町から座っていけるか半々といったところでしたっけ。

JR東日本によると2015年度の六日町駅一日平均乗車人員は1,924人で、同社新潟支社県内有人67駅中22位。
特急「はくたか」の通過客がカウントされていた2014年度は5,647人で、新潟駅、長岡駅に次ぐ県内第三位でした。
つまり「はくたか」の通過旅客は一日4,000人近くもいたわけです。
このエントリーを最初に書いた時、「はくたか」通過旅客以外の数字は最大1,800人と推定しておったのですけれど、それよりも高い数字で多少この駅を見くびっていましたなぁ、目利きが悪くて実に遺憾です。
ほくほく線の乗り換え、通過旅客はカウントされているでしようから、純粋な実数はもう少し下がるのでしょうけれど、それでも新幹線を擁する浦佐駅の約三割増しですから、南魚沼市の中心駅としての面目は立っていると申せましょう。

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六日町駅舎、2006年9月撮影。
建築財産票は見当たりませんでしたが、ウィキペディアによれば現駅舎の完成は平成8年12月。
周辺の諸駅と比較しても際立ってモダンなデザインで、上越新幹線駅を誘致出来なかった地元の無念と執念の結晶のようであります。
駅舎としての機能は二階部分で、一階は観光協会と小さな美術館になっています。
昔の駅舎は木造だった事ぐらいしか覚えていないのが実に遺憾。
何しろ当時から鉄オタだった幼児にとって、電車に乗るのは「ハレの日」で舞い上がっていたのですよ。
夏休みは祖父母の家に遊びに行くのに前述のように「とき」や「佐渡」。
日常生活では、地元で手に入りにくいモノを買うために長岡のデパートへ115系でよく行きましたけれど、当時は115系に乗る事でさえ心躍る事だったのです。
そんな状態の幼児に、駅舎の様子を観察する余力なぞあるわけもなし。

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駅舎二階部分より駅前を見下ろす、2008年4月撮影。

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同じく右側にあるバス乗り場とショッピングセンター「RARA」を見る。
この乗り場からは南越後観光バスの湯沢、小出方面への路線バスが発着しており、上越線の補完機能を有しております。
当駅を最後に訪問した2008年4月時点において、スーパーはこのショッピングセンター内、コンビニは後述西口のセブンイレブンのみ。

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六日町駅舎内の様子、2008年4月撮影。
当駅舎は橋上型で、駅の東西は自由通路で連絡。(他に地下道も有り)
取材目的で当駅を最初に訪れた2004年3月時点では、待合室内にキオスクが出店していました。
最後の訪問時にはキオスク跡はデッドスペース化していて、室内には飲料自販機が三台。

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六日町駅西口、2008年4月撮影。
コンビニはこちら側にあります。
こちら側は市街地化されておらず未だ発展途上の趣。

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自由通路から五日町・魚沼丘陵駅方面を見る、2008年4月撮影。
窓越しなので画質はいつにも増して汚く恐縮ですが(汗)。

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同じく塩沢方面を見る、2008年4月撮影。
後背の山々はいまだ雪深し。

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1番ホーム(越後湯沢方面)の塩沢駅方から六日町駅構内を見る、2004年10月撮影。
この撮影日のちょうど一週間後、新潟県中越地震が発生しました。


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1番ホーム端から塩沢駅方を見通す、2004年10月撮影。

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1番ホーム五日町駅方から構内を見る、2004年10月撮影。
新幹線駅と見まごう威容の橋上駅舎を仰ぎ見ます。
上越新幹線の開業で在来線の「とき」が廃止されてから約14年半ぶりに、ほくほく線開業で運転を開始した「はくたか」が停車するようになって優等列車停車が復活した当駅でしたが、その18年後には北陸新幹線開業で「はくたか」が廃止。
構内から優等列車の姿は絶えて、恐らく復活することはないでしょう。
上越線・ほくほく線の純然たるローカル輸送がメインになる今後の駅に、この豪華な駅舎のアンバランスさ・・・。
駅舎改築時には北陸新幹線のフル規格での延伸は不透明な状態でしたから、東京と北陸を結ぶ主要ルートとしてのほくほく線の存続発展に期待もあったのでしょう。
しかし今となっては・・・。

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同じく五日町駅方を見る、2004年10月撮影。
当駅の待避線は未だ健在でしたが、2014年春以降は遊休化が心配されます。
ちなみに上越新幹線開業前の昭和55年10月改正ダイヤでは、当駅での普通列車の特急待避が一日一回設定されていました。
なおこの当時、上越線新潟県内区間では当駅の他に越後滝谷小千谷、越後堀之内、小出、浦佐五日町石打、土樽の各駅で優等待避が行なわれています。

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1番ホーム塩沢駅方に残る旧貨物線?跡、現在は保線車両の待機に使用。
2004年10月撮影。

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島式ホームk塩沢駅方から六日町駅構内を見る、2004年10月撮影。
近代的な橋上駅舎と昔ながらの古びたホームが極めて対照的です。

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島式ホームの3番線を塩沢駅方から見る、2004年10月撮影。
画像左側の線路がほくほく線です。

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島式ホーム中央部の様子、2005年5月撮影。
屋根の形状や”2”の素っ気無い番線表示が郷愁を誘うところ。

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島式ホームの五日町駅方から構内を見る、2005年5月撮影。
2番ホームの有効長は3番ホーム(長岡方面)より短いのですが、普通列車が単編成化された今日ではこれでも問題無いのでしょう。
なお現在、2番線に定期列車発着は設定されておりません。

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六日町駅ほくほく線ホームの様子、2008年4月撮影。
ホーム中央部に待合室有り。
何度か乗り降りした経験では、上越線ホームよりもこのホームの方が常に人がいる印象です。

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六日町駅1番線を出発する115系電車越後湯沢行、2012年5月撮影。

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六日町駅2番線に停車中の115系電車、2004年3月撮影。
定期列車ではなく、スキー客向けの臨時列車だったように記憶しています。

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六日町3番線に停車中の115系電車長岡行、2012年5月撮影。

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六日町駅五番線から出発するHK100形電車「ゆめぞら号」の直江津行、2014年5月撮影。

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ほくほく線ホームから見た特急「はくたか」通過三態。
いずれも2003年3月撮影。
2011年3月改正ダイヤでは、「はくたか」13往復中1往復のみ当駅に停車。

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六日町駅前通り、2008年4月撮影。
画像中央が駅になります。
豪雪に耐えるアーケードが印象的。
昔はもっと人通りが多かったのに、今ではシャッター街に近い感じに。

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駅前通りを抜けて出る国道17号線、2008年4月撮影。
通行量は極めて多し。
幼少のみぎりに住んでいたのはこの道を塩沢方に少し歩いたあたりで、そこにも行ってみたのですが昔とは何もかも違っていて、国道に架かる歩道橋だけが昔のままでした。
そりゃまぁ、当時の幼児がいい歳をしたおっさんになる程、時は流れていますしねぇ。

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駅前通りと国道の交差点から町の旧中心部方面を見る。
六日町旧来の中心部は国道17号とこの先の国道291号線に挟まれた一帯周辺です。
この道を直進すると坂戸橋で魚野川を渡り、後背の坂戸山へ向かえます。
坂戸山登山は私の念願とするものなのですが、日々一応の足腰鍛錬を行なって同年代諸兄よりは脚力にいささかの自信がある私にとっても、この山はヘビーで骨が折れそう。
取材の片手間に行けるところじゃないですからね、行くからには一日がかりで腰を据えてかからねばなりますまい。

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