« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »

2011年3月の記事

2011年3月28日 (月)

文理残念八強入りならず!

平成23年センバツ大会第六日目第二試合、我が県から出場し県勢二度目の
センバツベスト8を狙う日本文理高校は、福岡県・九州国際大付と対戦し2-4
で敗れました!
残念!

初回に1点先制され、その後も明らかに押されていましたが四回に同点に追い
つき、さぁ勝負はこれから!と喜び意気込んだのもつかの間、その裏に集中
打で3点を取られてここで勝負あったという感じ。
四回途中からエースの田村君と交代して甲子園初マウンドの波多野君は力感
溢れるフォームで威力のあるストレートをびゅんびゅん投げ込み、適度に荒れ球
なのも幸いして九州国際大付打線に踏み込んだ打撃をさせずに追加点を許しま
せんでしたが、文理打線は七回八回と好機を作るものの決定打を欠き、九回に
1点返すのが精一杯。
初戦の香川西戦で8点を奪い、一冬越して懸念材料だった打線も一皮剥けた
か!?と思われましたが、野球はそんなにうまくはいかないという事ですな。
期待の三番湯本、四番村上がノーヒットだったのも痛かった・・・特に湯本君は
なまじ打撃に自信があるからなのか、大振りが目立ちます(今日2三振、文理
は本日12個の三振)。
向こうの監督さんは投打共自分達の野球が出来た旨おっしゃっていましたし、
こちらは継投を余儀なくされた時点で今のチームの野球では無くなっていまし
たから、今日は完敗ですね。投打とも向こうの方が一枚上手。
こちらはミスもなく、単に打たれて打てずに負けたのですから仕方ありません。

しかし夏に向けての収穫もあって、二番手の波多野君の好投で夏は田村君との
二枚看板で継投を勝ちパターンにしてもよいのでは?
また打線も五番南場君のようにコンパクトに振ってきっちり結果を残したりもして
いましたから、上位下位関係なくそうした打撃の徹底を図るのが吉でしょう。
二年前の夏も大振りではなくコンパクトなハードヒッティングで全国を驚かす打棒
を発揮できたのですから。

四ヶ月後には夏の甲子園行きキップもどこかのチームが手中に収めているわけ
ですが、果たしてそれは文理かはたまた昨夏甲子園ベスト8の新潟明訓か、
今や公立校の雄佐渡が甲子園での経験を糧にどこまで成長するか、新潟高校
野球中興の祖中越の復活はあるのか。今年の夏も今から楽しみです。

| | コメント (0)

2011年3月27日 (日)

日出谷駅(磐越西線)

本日の駅紹介は磐越西線・日出谷駅。

豊実駅はこちらへ← →鹿瀬駅はこちらへ

2016年7月31日記、駅舎解体後の画像追加及び加筆修正を実施しました。

日出谷駅の駅名標

新潟県東蒲原郡阿賀町に所在する無人駅で、開業は大正3年11月11日。
開業当時は東蒲原郡日出谷村の所在で、同村はその後南隣の豊実村と共に昭和30年に北隣の鹿瀬村と合併して新自治体・鹿瀬町の一部となり、その鹿瀬町も2005年4月1日に近隣町村と合併して阿賀町の一部となり今日に至ります。

日出谷駅は磐越西線新津-会津若松間のちょうど中間に位置するのと、駅周辺が平地であったのが幸いして、蒸機の給水炭場という運転上の要衝として永らく重きを成してきました。
また区間列車の起終点としても使われて、さらに駅弁「とりめし」が販売されていた事もあり、急行「いいで」「あがの」が停車しないにも関わらずその知名度は高いものがありました。
区間列車の件で言えば上越・東北新幹線大宮暫定開業前の昭和55年10月改正ダイヤでは当駅から新津へ2往復、郡山に1往復が設定されております(いずれもDL牽引の客車列車)。
昭和60年3月ダイヤ改正でもなお新津、会津若松に各1往復の客車区間列車が設定されていて、蒸機時代の運転上の要衝であったのを慣例化しているが如きダイヤ設定が生き残っていたわけですが、その後は区間列車の気動車化に伴いまた利用実態に合わせてか区間列車の起終点は津川駅と野沢駅に移り、当駅を含む津川-野沢間はすっかり過疎区間と化してしまい・・・。
まさに栄枯盛衰、諸行無常の歴史です。

日出谷駅の旧駅舎その1
日出谷駅の旧駅舎その2
日出谷駅旧駅舎の様子、2007年7月撮影。
建物はJA東蒲原日出谷支所との合築でした。
建築財産票が見当たらなかったので竣工年は残念ながら不明。
支所も閉鎖されて久しい様子で、建物の存在意義も見出せない状況ですが、それとは対象的に駅舎の隣には「当麻公民館」が新築されていました。
私が当駅を最初に訪れた2003年11月には汲み取り式の便所などがあったスペースに、2007年7月に再訪した時にはこのような立派な建物があって驚愕!
トイレを貸していただいたのですが、ピカピカに綺麗で勿論水洗、バリアフリーです。
公民館内は新築の木造家屋の清々しい匂いがそれは心地良いものでした。
後述する待合室内部と比べるとその差は甚だし。

日出谷駅旧駅舎内部その1
日出谷駅旧駅舎内部そのふ
旧駅舎内部の様子、2007年7月撮影。
それなりに大きな建物でありながら、今日有効活用されているのはこの待合室兼通路のみ。
室内にはJR定番のものでは無い、どこかの公園から持ってきたようなベンチ一脚。
室内は薄汚さが否めず、前述の公民館内とのギャップが強烈で色々考えさせられます。
それに輪をかけたのがベンチ下に置かれた蚊取線香の缶。
ここでタバコを吸う人がいるようで、灰皿代わりになっていました。
成人喫煙者はわざわざ駅まで来て吸わないでしょうし、やはり高校生の仕業でしょうかねぇ・・・、ここなら人目に付きにくいですし。
何しろ過疎ダイヤなので人の出入りも少なく、白昼の死角のような建物ですから。


ホーム側から見た旧駅舎
構内通路ホーム側から見た旧駅舎と公民館の位置関係、2007年7月撮影。


車中から見た構内通路
車中から見た構内通路周り、2003年11月撮影。

日出谷駅の上屋付きの出入り口その1
日出谷駅の上屋付きの出入り口その2
五年ぶりに日出谷駅に降り立った時には、遊休化著しかった駅舎は解体されて、代わりに最早駅舎でも待合室でもない上屋付きの出入り口が建ちました、2012年7月撮影。
建築財産票によると平成22年(2010年)10月4日の竣工。
シャッターの向こうは除雪器具などの倉庫になっているのかもしれません。
何しろ建物の許容積雪量は200cmで、地味ながら雪深い土地なのです。

日出谷駅の旧島式ホームその1
旧島式ホームの野沢方から見た日出谷駅構内、2003年11月撮影。

日出谷駅の旧島式ホームその2
同じく津川方から見た構内、2007年7月撮影。
側線はこの時点では駅構内中程から豊実方に伸びる一本のみが残置。
当駅はSLばんえつ物語号の停車駅で、長時間停車のせいなのかホーム上には石炭と煙の残り香が。

日出谷駅の旧島式ホームその3
駅舎解体後の駅構内を津川方から見る、2012年7月撮影。
五年経ってもホームや周辺には変化がありません。
駅舎の有無だけが画像撮影時期の判断材料になりましょうか。

日出谷駅の旧島式ホームその4
撤去された線路跡、2007年7月撮影。
現在は棒線化されている日出谷駅も、往時は蒸機運転上の要衝であると同時に列車交換駅でもありました。


日出谷駅の旧島式ホームその5
ホーム端から津川方を見る、2007年7月撮影。
SLの停車位置標がホーム先端に設置されています。

日出谷駅の旧島式ホームその6
ホーム端から野沢方を見る、2007年7月撮影。
くだんの側線が本線と繋がっているのがわかります。

ホーム上の待合室その1
ホーム上の待合室その2
ホーム上の待合室内部、2007年7月撮影。
待合室は建築財産標によると昭和58年5月竣工。
待合室内には無人駅定番ベンチ二脚と券売機一台とゴミ箱。
駅舎は解体されてしまいましたが、元々向こうよりもこちらの方が居心地はずっと良いので、駅舎解体も利用者に大した影響は無いと思います。

ホーム上の待合室その3
駅舎解体後の待合室内、2012年7月撮影。
ベンチがJR定番型に換わった以外、変化無しです。

日出谷駅の旧島式ホームその7
旧駅舎時代の待合室手前の様子、2003年11月撮影。
大正浪漫風のベンチと独特の駅名標こそは、当駅がばんえつ物語号停車駅であることの証であります。

日出谷駅の旧島式ホームその8
現在のホーム待合室とその先の駅舎跡、2012年7月撮影。
JAと合築の駅舎は大きな建物だったので、そっくり撤去されてしまうと駅前はこのようにガラガラの空間と化してしまいました。
4年前の画ですけれど、私はこの後磐越西線には鹿瀬までしか行っていないので、現在この更地がどのようになっているのかはわかりません。
駐車場にする・・・といっても、周辺人口は少ないし観光地も近くに無いし、あえて作る意味はないよなぁ。
でも更地のまま放置では、地区の印象が宜しくないでしょうしねぇ。

構内の線路撤去跡
線路撤去跡を豊実駅方から観察、2003年11月撮影。
対向式ホーム跡らしきものが見えます。
なお日出谷駅は、開業後昭和初期まで阿賀野川流域のダムや発電所建設拠点の一つとして機能し、また薪炭や木材の出荷拠点としても相応の賑わいを見せていたそうですが、貨物取扱いは昭和48年12月に廃止されております。

駅舎反対側の道路から見た日出谷駅全景
駅舎反対側の道路から見た日出谷駅全景、2003年11月撮影。
晩秋朝の光景で、おりからそぼ降る秋雨に煙った背景の山々が印象的であります。

日出谷駅を出発するキハ40系気動車
旧駅舎時代の日出谷駅を出発する朝のキハ40系気動車会津若松行、2003年11月撮影。

日出谷駅を出発したキハ40系気動車
駅舎解体後の日出谷駅を出発したキハ40系気動車会津若松行、2012年7月撮影。
当駅に停車するキハ110系気動車列車はごく少数で、大半は昔ながらのキハ40系です。
当ブログの趣旨から言えば、定期運用されている車両の駅停車画像はフォローしておきたいところなのですけれど、当駅の場合はキハ110系を撮るのがなかなか難しいのが悩みどころ。
ただ当駅の場合、本数はごく僅かながら日中に路線バスが津川まで走っているのでまだ良いのです。
これが隣の豊実駅になると、バスは走っていないのでキハ110系の停車画像撮影はクルマで追っかけるしか現実的な方法がありません。
列車で行くと待ち時間が五時間もあるので、せっかちな私は身を持て余してしまうこと確実。



日出谷駅前その1
旧駅舎から見た駅前の様子、2007年7月撮影。
画像右手にある建物は「朝陽館」で、日出谷名物「とりめし」はこちらで調製販売。
しかしウィキペディアによると2006年に「とりめし」の調製販売はやめてしまわれたそうです・・・。
当駅隆盛の生き証人もこれで消えてしまって、実に寂しい話ですな。

日出谷駅前その2
駅舎解体後の駅前の様子、2012年7月撮影。
ただでさえ広大に過ぎた駅前広場は、駅舎解体によって寂寥感が濃厚に漂う風情に。

日出谷駅前通り
駅前通り側から見た旧駅舎周りの様子、2007年7月撮影。
かつての村の中心地らしく、当時は駅前通りとその左右に伸びる小道では郵便局の他に雑貨店、食料品店、理容店が営業しており、電器店と酒屋の看板もありました(この時にはシャッターを降ろしていましたが)。
駅前から鹿瀬方に少し歩き磐越西線をくぐると半ば廃墟化した元GS有り。
駅前は明確に集落を形成していて相応の規模でもあるのですが、この日は路上に人影もクルマも少なくひっそりとしていました。

日出谷駅前その3
駅舎解体後の駅前広場から見た日出谷駅、2012年7月撮影。
右側がホーム出入り口、左側がホーム上の待合室です。
かつての運転上の要衝が、何の変哲もない過疎ローカル線の小駅に成り果ててしまったのです。

日出谷駅前で待機中の路線バスその1
前述の公民館前で発車待ちの津川行きバス、2007年7月撮影。
日出谷駅前-津川駅間には、新潟交通観光バス運行の路線バス日出谷-津川線が走っています。
この時はここから鹿瀬駅最寄の電工前バス停まで乗車してみました。
所要時間は当駅から電工前まで20分強。
磐越西線では日出谷-鹿瀬駅間は途中の山をトンネルで真っ直ぐ抜けて5.2km。
それに対してバスの走る国道459号線は、山を大きく迂回する為に倍以上の距離がある為、それだけの時間がかかるのです。
私は13:20発の便に乗車しましたが、出発時の乗客は私を含めて5人。
角神温泉までに私以外の4人は下車し、乗車は電工前までゼロという乗り具合。
最近は過疎地域のバス路線整理が深化しており、この路線あたりも鉄道と競合している事もあって安泰とは言えない感じですね・・・。
しかしこの路線の車窓はなかなかに味わい深いものがあります。
発車後しばらくは鄙びた農村近郊を走り、やがて山を大きく迂回する隘路へ。
道幅は狭く生活道路に毛の生えたか如きものですが、行き交う車が少ないのでこれでも良しなのか。
小さなトンネルやシェルターが連続し、その壁面は素堀りそのままのような荒々しさ。
途中には行き違い用の信号が設置。
そんな山間の細道を抜けると角神温泉、そして巨大な角神ダムの偉容を望見出来ます。

日出谷駅前で待機中の路線バスその2
夕刻の駅前で出発待ちの路線バス津川行、2012年7月撮影。
2007年7月乗車の感想としては、なかなか将来は厳しいと思われた路線バス津川日出谷線ですが、2016年3月改正ダイヤでは一日三往復が運行されています。
ただし平日と土休日ではダイヤが異なるので、ご利用の際は新潟交通観光バスのHPでダイヤをご確認ください。

| | コメント (12)

2011年3月26日 (土)

佐渡の山河に凱歌は届かず・・・

平成23年センバツ大会第四日目第一試合、我が県から21世紀枠で出場の
佐渡高校は、和歌山県・智弁和歌山と対戦して1-8で敗れ、センバツ史上
初の県勢二校白星はかないませんでした・・・残念!

五回までは1-2と、劣勢ながら何とか試合を作れていたのでこれから一、二
回はチャンスがあるかも・・・と思い始めたのもつかの間、智弁の攻撃六回
二死ランナー無しから四球絡みで4点取られてあぁ・・・、ミスにつけこまれて
大量失点という少し前までの県勢の悪いパターンそのままで、デジャブ満点
の展開でした・・・。
エラーは記録上は一個だけでしたけれど、見ているとファウルフライを取れな
いとかその他色々細かいミスが多々あって、攻撃は結局4安打で長打は四回
のタイムリー二塁打一本きり。
八、九回はスコアリングポジションにランナーを送ったものの決定打が出ず。
得点差以上に地力の差は如何ともし難いものでした、向こうの選手はオーラ
が凄いし。

試合勘もイマイチの印象があって、離島の公立校というハンデが出てしまって
いましたなぁ・・・地理的条件から、県内外の有名校や強豪校と練習試合は
おいそれとは出来ませんからね。
しかし佐渡の高校野球の歴史上、佐渡高校が甲子園で自分達よりずっと良い
環境で鍛えられた歴戦の学校と対戦して敗北はしたものの壊乱壊滅的なそれ
には至らなかったというのは画期的な事だと言えましょう。
幸いセンバツは夏に向けての前哨戦でもあり、この試合で選手諸君がその
身をもって得た教訓は得がたいものであって、夏を勝ち抜くのに当たって力に
なるのは間違いありません。
四ヶ月後、甲子園で戦い一回り成長した佐渡高ナインが夏の県大会準決勝、
決勝で甲子園行きのキップを賭けて懸命に戦う姿をぜひとも見たいもので
す。
文理、明訓という名だたる私学の争いに割って入る公立校の下克上を大い
に期待しております!

| | コメント (0)

2011年3月23日 (水)

一勝は、固いと思う今のしあわせ

東北関東大震災の被害の大きさに鑑み、開催の是非が議論されたセンバツです
が、本日予定通り開幕。
大会初日第一試合で我が県から出場の日本文理高校は、2006年夏に対戦
して敗れた因縁の相手・香川県香川西高校に8-1で勝利しました!
震災の被害の余りの酷さと福島第一原発の深刻な状況と、我が街でも少なか
らず起きている「買占め」等の人心の荒廃・・・心が折れてしまいそうな報道に
接する日々にあって、震災発生以来初めて笑顔になれた今日でした!

いや~、文理は強いねぇ・・・! 今のチームは投手と守りにかけては充分に
全国レベルであるものの、打線はあまり振るわずそれが不安のタネだったの
ですが、今日の文理打線の鋭いスイングは二年前夏の強打を彷彿とさせる
ものでした。
少し前まではセンバツに新潟県勢が出るのも稀、稀に出た時は実に残念
な結果で、せめて一点は取ってくれ、頼むからノーヒットノーランとかされない
でくれと祈っていたものですが、ここ最近は一勝は出来るんじゃない?と余裕
で見られるようになりましたからねぇ~、つくづく時代は変わった・・・。
次の対戦相手は28日、福岡県・九州国際大付。がっぷり四つの好ゲームを
大いに期待するところであります。

さて今年のセンバツは新潟県高校野球史上初の快挙として県勢2校が出場。
文理と共に県民の期待を背に戦うは佐渡高校、21世紀枠での出場です。
佐渡島の高校としては春夏通じて初の甲子園出場なのであります。
こちらは26日の第一試合で初陣を飾る・・・のですが、佐渡の方に怒られ
るのは重々承知の上で正直相手が悪過ぎます・・・だってよりによって智弁
和歌山なんだもん。
壷の高校野球板の今大会最弱校スレでは、実に遺憾ながら最弱本命に
挙げられている佐渡と歴戦の猛者智弁和歌山・・・、文理でも勝てるかどうか
わからない相手に、昨秋県大会決勝で文理と戦い1-6で敗れた学校です
から・・・籤運が悪いとしか言いようがないですなコレは。
・・・しかし思わぬ金星が珍しくないのが高校野球です。
一昨年の文理だって、新潟の誰もがベスト8まで行ければ上々、決勝に進出
してあんな伝説的な試合をするなんて夢にも思っていませんでしたからね。
同じ高校生同士、勝負はゲタを履くまでわかりません。
ぜひとも智弁和歌山に一泡吹かせる試合をと心から願う次第です、もし勝っ
たら一昨年夏に次ぐ快挙、センバツで県勢二校が白星なんですから!

| | コメント (0)

2011年3月21日 (月)

東北関東大震災

去る11日に発生した東北関東大震災において被災された方々に、心より
お見舞い申し上げます。

ここ新潟市では震度4~5弱ほどで、中越地震の時よりは揺れ自体は幾分
緩やかではあったものの、五分ほど大きな横揺れが続き、これは尋常な
地震ではないなと感じました。
帰宅後、被災地の惨状、特に津波被害の甚大さには声を失いました・・・。
余りの酷さに思考停止してしまいそうな・・・。
実際にあのような体験をした方にとってあの恐怖がいかばかりのものか、
それを思うと・・・とても言葉に出来ません。
私の住まいも某大河の川岸にあって河口からの距離もさほど離れてはいな
いので、今回同様の津波に襲われその時家にいたら逃げきれるかどうか
わかりません。
それを考えるとなおの事です。

またその後原発の問題、これは新潟にも多大な影響をもたらす可能性が
あって、福島第一原発と新潟市は直線距離で180km、福島県境の阿賀
町だと120~30kmしか離れていないのです。
東京よりもずっと近いのです。
最悪の事態が生じた場合は、少なからず被爆の可能性がある距離です。
またそうなってしまったら日本は一体どうなってしまうのか。
地震発生後、最初の数日は津波被害の悲惨な状況と頻発する余震
(宮城や茨城で震度5級だとこちらの震度は3です)、その後は原発の毎日
が綱渡りな危機的状況に、とてもブログを書く心境ではありませんでした。

原発については関係各位の決死的な作業によって、最悪の事態だけは
避けられそうな気配なので、こうしてブログを書く余裕も出来たのですが、
避難を余儀なくされた方々のご苦労を思うと(新潟はお隣という事もあり福島
から避難された方を最も多く受け入れています)・・・。
放射性物質の完全な封じ込めに成功しない限り、原発周辺地域にお住まい
の方が帰郷されるのは正直かなり難しい事でしょう。

東北電力管内でも計画停電は予定されており(これまでは電力需要が予測
を下回り実施されませんでしたが)、太平洋岸の被災火力発電所が復旧する
までは、こちらも綱渡りの状況が続きそうです。

| | コメント (0)

2011年3月 6日 (日)

有間川駅(北陸本線)

本日の駅紹介は北陸本線・有間川駅。
2015年3月の北陸新幹線開業に伴い、現在はえちごトキめき鉄道・日本海ひすいラインに所属しています。

名立駅はこちらへ← →谷浜駅はこちらへ

有間川駅の駅名標

有間川駅の開業は戦後間もない昭和22年7月1日。
開業当時の所在は中頚城郡谷浜村で、東隣の谷浜駅に次ぐ同村二つ目の駅でした。
谷浜村はその後昭和30年に直江津市に編入されて、有間川地区は同市の西端となり、次いで昭和46年に高田市と合併して上越市に、更に平成17年元日をもって周辺町村を編入してその市域を大幅に拡大して今日に至ります。
なお平成17年の大合併では西隣の名立町も上越市に編入された為、上越市西端の駅は当駅から名立駅に移っています。

有間川駅駅舎その1
有間川駅駅舎その2
有間川駅駅舎その3
有間川駅駅舎の様子、2006年10月撮影。
建築財産票が見当たらなかったのですが、駅舎は恐らくその当時からのものでしょう。
谷浜駅に比べると、駅舎正面はあっさりとした造りですが、ホーム側のそれは上屋を支える支柱の造作など、昭和30年代以降の駅には見られないクラシカルな実に良い味があります。
・・・しかし谷浜駅(更には浦本梶屋敷親不知市振各駅も)同様に、建物の経年を考えれば第三セクター移行後に改築されるのは避けられない事かと。
改築となれば、ロケーションに全く似合わない「オシャレ」なものになるか、実用本位の無味乾燥なものになってしまうかのいずれか。
どちらにしろ古びたままのホームとはあまりにミスマッチで、これら諸駅が現在有する海辺の鄙びた情緒も無くなってしまうのでしょうなぁ。
これからは最後の活躍を見せる475系や、三セク後は廃止が決定的な「はくたか」、同じく廃止濃厚な「北越」を撮りに当駅周辺を訪れる人が増えていくのでしょう。
その際は電車だけではなく、この駅(並びに前述の鄙びた諸駅)の風情もぜひ記録に留めておいていただきたいところです。

有間川駅駅舎内部
駅舎内部の様子、2010年5月撮影。
相変わらずベンチも無く券売機も乗車証明発行機も無いガランとした室内。
上越市統計年鑑によると、平成19年度の有間川駅年間乗車人員は15,630人(一日平均約43人)。
北陸本線県内駅で券売機未設置なのは浦本駅と当駅のみです。
一般利用客がいかに少ないかの表れと言えそうです。
しかし谷浜駅エントリーでも触れたように、現在ではかつての村の玄関駅であった谷浜駅(一日平均乗車人員約32人で券売機も設置)よりも当駅の方が利用状況は良いのです。
しかし当駅も平成15年度比では約17%減。北陸本線県内駅はいずれも同様の利用状況で、第三セクター移行後はこの実態に合わせるべく、場合によっては気動車化、単行化も考慮しているとの事です。

有間川駅の1番ホームその1
1番ホームの糸魚川方から見た有間川駅構内、2010年5月撮影。
下の国道に抜ける場合、画像中央左側の通路を降りていった方が、駅舎から行くより遥かに近道です。

有間川駅の1番ホームその2
1番ホームの直江津方から見た構内、2010年6月撮影。
ホームはこの位置から見ると糸魚川方に緩やかな左カーブを描いております。

有間川駅の2番ホームその1
2番ホームの中央から糸魚川方を見る、2010年5月撮影。

有間川駅の2番ホームその2
2番ホームの糸魚川方から見た構内、2005年10月撮影。

構内通路
直江津方の端にある構内通路、2005年10月撮影。
列車接近時の警報音が個人的に好きですなぁ。
昨今の電子音ではなくこれぞアナログっ!という音色が郷愁を誘い、古びた普通列車にぴったりハマるのです。

2番ホームから見た駅舎
2番ホームから見た古びた駅舎、2005年10月撮影。

俯瞰で見た有間川駅構内その1
駅の山側にある小道脇の展望?スペースから構内の直江津方を見る、2005年10月撮影。

俯瞰で見た有間川駅構内その2
同じく糸魚川方を見る、2005年10月撮影。

有間川駅に停車中の475系電車その1
2番ホームに停車中の青一色の475系電車富山行、2010年5月撮影。

有間川駅に停車中の475系電車その2
1番ホームに停車中の青一色の475系電車直江津行、2010年5月撮影。
往年の交直流型急行形電車も、最末期はお色直しの経費節減とやらでこのような青坊主に。


有間川駅に停車中の475系電車その3
1番ホームに停車中の北陸地域色475系電車直江津行、2010年6月撮影。
私のような生粋の下越民は国鉄交直流急行色には馴染みが無いので、475系といったらやはりこの色です。

有間川駅を出発する475系電車その1
2番線を出発する475系電車富山行、2010年6月撮影。

有間川駅に停車中の419系電車
2番線に停車中の419系電車富山行、2005年5月撮影。
この位置からだと視界が開けずあまり冴えない画。

有間川駅に進入する419系電車
1番線に進入する419系電車直江津行、2010年6月撮影。

有間川駅に停車中のクハ419
上の画の編成の最後部はお目当てのクハ419。
この日は475系電車とこれを撮るのを主な目的にしていたのです。
しかし運用がわからないので、勝負は出たとこ勝負。
ワンチャンスでクハ419を撮れたのはラッキーという他無しでした。

有間川駅に到着した413系電車
JR時代末期になって、直江津-糸魚川間で運用を開始した413系電車の直江津行が1番線に到着、2013年10月撮影。

有間川駅を通過する485系電車特急「北越」その1
有間川駅を通過する485系電車特急「北越」その2
2番線を通過する485系電車R編成の特急「北越」金沢行、2010年6月撮影。

有間川駅を通過する485系電車特急「北越」その3
1番線を通過する485系電車T編成の特急「北越」新潟行、2010年6月撮影。
「北越」撮影は国鉄色を狙っていたのですがこの日は空振り。
「北越」の車両運用が少々難しくて、私レベルでは特定が不可能です。
よって極めてアバウトにアタリをつけて後は天に運を任せるのみ。

有間川駅を通過する特急「はくたか」その1
有間川駅を通過する特急「はくたか」その2
有間川駅を通過する特急「はくたか」その3
有間川駅を通過する特急「はくたか」その4
有間川駅を通過する特急「はくたか」
上二枚が金沢行(2010年6月撮影)、下二枚が越後湯沢行(2005年10月撮影)。

駅から国道に出る道
駅前から国道8号線に出る正規の小道、2010年5月撮影。
ご覧のような道幅で、車で駅前に進入するのは無理です。

有間川駅至近の国道8号線その1
有間川駅至近の国道8号線その2
駅至近の国道8号線の様子、2010年5月撮影。
上は谷浜方、下は名立方です。
駅周辺にコンビニやスーパーはありません。
上の画像の道路の左右にバス停が確認出来ます(待合所有り)が、このバス停は頸城バス名立線/能生線のもので、直江津駅南口と谷浜、有間川、名立駅をダイレクトに結んでいて、北陸線の補完として使えます。
なお、当駅付近には桑取線も設定されていて、当駅へは「新有間川」もしくは「有間川橋」バス停から西へ約1km。

有間川フィッシャリーナその1
有間川フィッシャリーナその2
駅の谷浜方至近にある「有間川フィッシャリーナ」(有間川
漁港)、2010年6月撮影。
私は釣りに全く興味が無いのですが、釣りスポットとして知名度は高いようです。

2010年6月上旬、一応撮るべきものを撮り、漁港も見物して
この日の目的は一応終了。
しかし次の直江津行まで一時間以上あります。
天気がかなり怪しくなってはまいりましたが、せっかくの機会でもあり谷浜駅まで旧北陸線の廃線跡を活用したサイクリングロードを歩いてみる事に。

有間川橋と旧線橋脚跡その1
有間川橋と旧線橋脚跡その2 
有間川橋とその先の北陸本線旧線橋脚跡?

北陸本線旧線跡の自転車道
国道8号線と現北陸線の狭間の細道を淡々と進みます。

旧長浜トンネルその1
旧長浜トンネル有間川方入口。
鉄道トンネルをそのまま活用しています。
長さ467m、通過時間2分との由・・・という事は時速14km!
この辺の人はそんなに歩くのが速いのか!? 
私なぞは時速8kmで4kmも歩くとかなりキツいゆーとるのに!!
・・・などとこんなところで何故か憤ってふと考えてみれば、ここはサイクリングロードでしたな、成る程納得。

旧長浜トンネルその2
トンネル内の様子、緩やかにカーブしているのが少々怖いw
向こう側から怖い人が急に飛び出してきたら目も当てられませんな。

旧長浜トンネルその3
旧長浜トンネル谷浜方出口。

国道沿いの谷浜地区
トンネルを抜けた頃から空が明るくなり、心配していた雨に降ら
れる事無く無事に谷浜地区に到着です。

| | コメント (0)

« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »