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2011年2月13日 (日)

三川駅(磐越西線)

本日の駅紹介は磐越西線・三川駅。

2016年2月28日記、画像を追加しました。

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新潟県東蒲原郡阿賀町に所在する無人駅で、開業は大正2年(1913年)6月1日。
開業当時の駅名は白崎で、北隣の五十島駅同様、磐越西線馬下-津川間延伸開業時からの歴史ある駅です(現駅名への改称は昭和60年)。
なお駅開業当時既に三川村の所在で、同村は昭和35年10月に下条村を合併編入して村域を拡大。
しかし平成の大合併により平成17年4月1日をもって東蒲原郡内諸町村と合併して新自治体・阿賀町の一部となり今日に至ります。

白崎駅時代は急行「いいで」「あがの」共に停車せず、東蒲原郡内の津川町の玄関・津川駅や鹿瀬町の玄関・鹿瀬駅に急行が停車する事もあって、自治体の玄関駅として格落ち感が否めなかった当駅ですが、現駅名に改称後の国鉄末期には急行格下げの快速「あがの」の不定期停車駅に加えられ、やがて定期の停車駅に格上げされます。
さらに近隣の三川温泉の威力からか「ばんえつ物語号」の停車駅にも加えられて、「ばん物」の停車しない鹿瀬駅とは線内における知名度や立場を見事に逆転した感がありました。
また当駅は近年まで簡易委託の有人駅でもありましたが、平成18年度末(平成19年3月末日)をもって無人化されております。
有人最後の年度の一日平均乗車人員は93人でJR東日本新潟県内有人82駅中78位。
平成12年度が125人ですから、6年間で1/4の大幅な減少率になってしまっております。
なお平成18年度における一日平均乗車人員で、当駅より下位の越後須原(只見線)、入広瀬(只見線)、越後寒川(羽越本線)、大白川(只見線)の各駅はいずれも現在無人化されており、新潟県内における委託有人維持に最低限必要な一日平均乗車人員は100人であろうかと強く感じられるところです。
(2009年度における最下位は脇野田駅(信越本線)の116人)
この減少率に加えて、合併によって自治体の玄関駅では無くなってしまったのも無人化に当たっての判断材料になったのではと推測しますが・・・。
元々財政的にけして豊かでない自治体同士が合併するのですから、コストカットは仕方の無い事ではありますけれど。

このように現在は無人化され通学時間帯以外は人気もなく、「ばん物」運行シーズンの土休日の一時華やぎを見せる以外は地味な毎日を送る三川駅ですが、それほど遠くない昔には活況を呈した栄光の日々もありました。
近隣の三川鉱山からの送鉱拠点として当駅が利用され、またベントナイト(鉱物粘土)を扱う企業の進出もあって、戦後の三川駅は貨物出荷で賑わいを見せたそうです。
(最盛期の一日取扱い量は60トン近くだったとか)
三川鉱山は昭和36年に閉山してしまいましたが、入れ替わりに三川駅から直線距離で南方1km強の阿賀野川・揚川発電所の建設工事が始まった事で当駅は建設資材搬入拠点として機能し、発着貨物は一日平均200トンと更なる賑わいを見せたそうです。
しかしそれはまさに超新星爆発寸前の恒星の輝きにも似たもので、発電所は昭和38年に完成して当駅の資材搬入拠点としての役割は終わり、ベントナイト企業も昭和42年8月の水害で大打撃を受けてしまい事業縮小のやむなきに至り、当駅の貨物取扱いは昭和48年12月をもって終了。
以後当駅が脚光を浴びる事はありませんでした・・・。

また三川駅に関する実に興味深い話として「新白線」構想があります。
これは羽越本線・新発田駅から赤谷線を延長する形で、白崎(三川)駅まで新線を建設しよう!というもので、戦前にも当局に陳情したものの反応はさっぱり・・・。
戦後、昭和30年代後半から40年代半ばにかけて再び陳情がなされ、当時自民党の有力者になって総裁総理への階段を駆け上る日の出の勢いの田中角栄氏の元にも行ったそうですが、流石の角サンも難色を示して動かなかったのだとか(笑)。
・・・そりゃそうですよねぇ、沿線は山中の人口希薄地域で、羽越線と磐越西線のバイパスルートといっても・・・
関東から南東北日本海側への予備ルートにでもしますか?
・・・予備ルートは他に幾つもあるし、わざわざこんなところに新線を引っ張る合理性はどこにもないですがな。
しかし架空路線マニアにとっては実際に走っていたらどうなっていただろうかと妄想してみるのもまた一興。
新線を県道新発田津川線沿いに建設して赤谷駅で赤谷線に接続するとして、その距離およそ14.5km。
白崎駅を新津方に発車して国道陸橋手前で分岐して最初の駅は「三川温泉」、白崎駅から約2km地点です。
次は「三川温泉」駅から約4.5kmで「古岐新谷」駅。
さらに約3km進んで「綱木」駅、そこから山中を5km進んで赤谷線・赤谷駅へ。
列車交換は赤谷駅の未使用ホーム及び線路を活用し、線内には「古岐新谷」駅を二面二線の列車交換駅(運転要員のみ配置)とし、「三川温泉」駅と「綱木」駅は一面一線で村委託の有人駅に。
ちなみに三駅共に三川村内の所在になるでしょう。
当然非電化でキハ52と58のコンビが、山間に分け入る単線ながら立派な線路上をのんびり走って、全列車が赤谷線に乗り入れ新発田まで直通して朝2・昼1・夕2・夜1の6往復ほどの過疎ダイヤで、大半の列車は赤谷駅で東赤谷行と分割併合になるでしょう。
ひょっとしたら並行道路の冬期通行の件やらなにやらで特定地方交通線廃止の荒波を乗り越えて、現在も只見線や岩泉線と並ぶJR東日本屈指の秘境路線として運行され有名になっていたりしてw
そうなったらキハ110系とキハ40系が走り、合理化で「古岐新谷」駅は棒線化されて「三川温泉」「綱木」両駅も無人化されているでしょうね。
三川-新発田間約33.4kmで有人駅ゼロ、列車交換駅は赤谷駅のみで赤谷駅-東赤谷駅間は部分廃止となっているでしょう。

・・・とまぁ、こんな愚にもつかない事を妄想して独りニヤニヤするのもまた楽しからずやなのです。
ちなみに現在の「新白線」並行バス路線は平成22年現在で、新発田-赤谷経由-新谷間が平日のみ運行で一日3往復、三川-古岐間に7往復(通年運行)、三川-三川温泉の区間便が一日一往復(通年運行)。
三川口の本数が多いのに驚かされます、やはり三川温泉の威力は大きいようですね。

さて閑話休題、話を現実に戻しまして・・・

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三川駅駅舎の様子、2010年5月撮影。
駅舎は「三川地域産業振興センター」との合築ですが、センターが
現在も機能しているのかは不明。
建築財産票によると竣工は昭和60年12月25日。

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三川駅駅舎内部の様子、2010年5月撮影。
上の画像左側の白いボードで塞がれているところが旧窓口です。
有人駅時代にあった公民館図書室は閉鎖され、阿賀町教育文化センターに移転されていました。
室内には券売機が一台と茶色一人掛けベンチ。
比較的新しい建物だけあって採光もまずまず、無人駅としては内部も綺麗で過ごし易いところです。
その辺は腐っても鯛流石は近年まで有人駅だった気品の高さとでも申せましょうか。
なおトイレは駅舎とは別棟にあり男女共用で水洗です。
また撮影時にはゴミ箱は駅舎内、ホーム待合室共にありませんでした。
撤去理由は「家庭ゴミの持ち込みがあった」為と「火災防止」の観点からとの事、どこぞの不心得者がゴミ箱に火を着けてボヤ騒ぎでも起こしたのでしょうか?
これは新津管理駅長通達で、県内の磐越西線無人駅に共通していました。

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駅舎とホームの連絡通路、2010年5月撮影。
三川駅はかつては列車交換可能な一面二線でしたが、現在はこのように棒線化

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ホームの津川駅方から見た三川駅構内、2010年5月撮影。
ホーム上に書かれた数字を見るに、当駅ホームの有効長は7両か。

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ホームの五十島駅方から見た三川駅構内、2010年5月撮影。

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ホームの五十島駅方端から先を見通す、2010年5月撮影。
画像奥の陸橋は国道49号線です。
右側の建物は三川中学校。

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かつての副本線と引込線跡地、2010年5月撮影。
駅舎側の茶色い柵までがかつての構内でしょうか。
側線を4~5本引けそうな広さです。
俯瞰で観察できればその広大さをより実感できるだけに、跨線橋が無いのは残念。

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三川駅ホーム上の待合室内部、2010年5月撮影。
建築財産票によると竣工は平成3年11月11日。

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三川駅を出発するキハ40系気動車新潟行、2007年7月撮影。

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三川駅に到着した新潟行快速「あがの」、2012年7月撮影。
キハE120一両とキハ110二両の三両編成です。
キハ40系とはまるで違う素晴らしい乗り心地ですけれど、磐越西線・馬下-会津若松間では少数派なのが残念。

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三川駅駅舎から駅前通りを見る、2010年5月撮影。
駅前広場はバスが余裕で入れるほど広々としたものです。



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国道49号線を渡り振り返って三川駅を撮影、2010年5月撮影。
ご覧の通り交差点脇にはヤマザキショップがあり食料調達が可能で、品揃えもまずまず。
磐越西線新潟県内駅至近で食料調達が可能なのは当駅と新関駅(コンビニ有り)、あとはスーパーの小さなフランチャイズ店があり少し歩くとコンビニのあるのある東新津駅ぐらいで、このお店は実に貴重な存在なのです

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国道陸橋上から三川駅方面を望む、2007年7月撮影


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同じく五十島方面を望む、2007年7月撮影。
小さなトンネルをくぐるとすぐに鉄橋をゴトゴトと渡る画はNゲージのレイアウトのようであります。


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国道と並行する県道、2007年7月撮影。
旧三川村本来のメインストリートはこの通りです・・・
しかし沿道で目立つのは郵便局ぐらい。
なお三川温泉・古岐方面路線バスはここを通ります。
丁度バスがやってきたので撮れてラッキー。


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阿賀野川ライン舟下りのりば、2007年7月撮影。
国道を津川方面に500mほど進むと到着。
未踏の揚川ダム見物とセットで食指が大いにそそられるところです。

その後、2012年7月に揚川ダムまで行ってみました。

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道中にある揚川発電所。
前述したように昭和38年の完成。
この発電所完成が三川駅衰退の第一歩でした。

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途中、道を間違えて4kmほどの道のりに50分もかかってようやく揚川ダムに到着。

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揚川ダム側面の様子。

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ダム上の橋から歩いてきた道のりを振り返る。
大きな橋は磐越自動車道。
左手に見える小道をてくてく歩いてきたのです。
阿賀野川を渡って対岸から回りこんで来たので、三川駅からは遠回りになったのですよ。

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ダム上の橋を渡って振り返り一枚。
ここから三川駅までは2km強。
ただし道中の大半を占める国道49号線は大型車が頻繁に行き来する路肩を歩かねばならないので要注意です。

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