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2011年2月の記事

2011年2月27日 (日)

海賊戦隊ゴーカイジャー第3話「勇気を魔法に変えて」をヒロイン目当てで見る

ども。
本日の「海賊戦隊ゴーカイジャー」第3話「勇気を魔法に変えて
〜マージ・マジ・ゴー・ゴーカイ〜」です。
マジレンジャーを見ていた諸君は、「魔法を忘れた魔法使い」の登場にさぞや
胸熱だったと思われますが、私はマジレンジャーをほとんど見ていなかったの
で残念ながら感慨は無し。
(マジレンジャーというよりはライブマン以降の戦隊で熱心に見ていたのは、
ジェットマンの途中からとカーレンジャー、ボウケンジャー、飛び飛びでカクレン
ジャーとデカレンジャーぐらいのものなんで・・・)

我的本日の見所その一、ゴーカイイエロー姐さんのこの演技!

蜂須賀祐一さん演じるゴーカイイエローの可愛らしさ
珍しく!?いいとこ見せたゴーカイグリーンに、ゴーカイイエロー姐さんの
「やるじゃん!ハカセ♪」。
グリーンに声をかけてから定位置で内股膝しなっとして小首を傾げるこの
可愛らしさったらアナタ!!
こういうのがあるから、仮面ヒロイン女形萌えはやめられませんのよ。
しかし変身前後が序盤からしっかりシンクロしていて良いですな。
やはり変身前のキャラが明快だと、変身後の蜂須賀祐一さんも演じやすいので
しょう。

我的本日の見所その二、歴代変身より。

その場のノリで適当にゴーカイチェンジ
その場のノリでテキトーに変身しちゃうブルー、イエロー、ピンクの三人。
ゴーカイブルーはアバレブラックからビッグワンへ、ゴーカイイエローは
ニンジャブラックからガオホワイトへ、ゴーカイピンクはゴーオンブラックから
ホワイトスワンへという脈絡の無さw
ガオホワイトは蜂須賀さんの再演で流石堂に入っています。
・・・しかし、ゴーカイイエローの時は女性らしいシルエットなのに、ニンジャブラッ
クやガオホワイトだと正直うーむ・・・ですな。
ニンジャブラックはスカート付いて性別チェンジなだけなので、マスク等のデザイン
的に女性化には少々無理があるのは確かなんですけど。
またガオホワイトのシルエットに難有りの点については、原典の放映当初から
色々言われていたところであります。
両者に共通するのはスーツの立体的装飾物の少なさでしょうか。
特に肩周りは何かついていないと、肩幅の広さに目がいってしまって女と見るに
はやや苦しくなるのですよ。

蜂須賀さん演じるガオホワイト
Aパートのラストカット。
後一歩まで敵を追い込みながら逃してしまって、「あとちょっとだったのにぃ・・・」
と小首を傾げつつ悔しがるガオホワイト姐さん。
原典のガオホワイトは、こんなはすっぱな口調や仕草じゃ無かったと思いますがw
姿は変わっても中身はそのまんまという好例と言えましょう。

キャラの掴みはOKです
変身後のキャラの掴みがOKな事を代表する一枚。
他人とやや線を引きたがるような腕組みのゴーカイブルー、正面で賑々しい
姐さんキャラのゴーカイイエロー、出身が高貴なのを伺わせるおしとやかな
ゴーカイピンク。

本日の決戦はマジレンジャーへの変身。

マジピンクの内面の首筋
内面フェチさんへのサービスカットと言えそうなマジピンクの首筋のシワ。
ちなみに歴代変身のマスクはアクション用のパッチン型。
マジレンジャーあたりだとまだ最近の作品なので、原典撮影時のアクション用
マスクをそのまま使用でしょうか。

番組開始から指折り数えて待っているミスアメリカやピンクファイブやチェンジ
マーメイドの出番は本日も無し!残念!!
次回はデカレンジャーとゲキレンジャーへの変身のようです。
番組はまだ始まったばかりで、まずは近年の戦隊を出して現役視聴者である
子供たちの目を惹きつけようという狙いかと存じますが・・・
あとどのぐらい待ったら、かつてオジサンたちがおぼこな股間を膨らませながら
画面に食い入った懐かしのお姉さまたちに会えるのでしょうか・・・?

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佐々木駅(白新線)

本日の駅紹介は白新線・佐々木駅。

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新潟県新発田市の西端に位置する有人駅で、昭和27年(1952年)12月23日の開業です。
開業当時は北蒲原郡佐々木村の所在で村の玄関駅でした。
同村はその後昭和34年4月に新発田市へ編入合併されて今日に至ります。

人口10万強で新潟県下20市中第4位と、新潟県の各地域の三大中心都市(新潟、長岡、上越)以外の自治体では最多の人口規模を持つ新発田市ですが、その市域拡大も新発田駅から6km強の佐々木地区にはまだあまり及んでおらず、駅裏に新興住宅地が造成されている以外に年毎の変化はあまり見られません。
まだまだ発展途上の当地域の土地柄を象徴するかのように、佐々木駅の一日平均乗車人員は796人(2009年度)でJR東日本新潟県内有人75駅中48位。
白新線内中間有人6駅中最下位。対新潟、対新発田両方の旅客流動がある駅としては今一つの感です。
白新線にかつて設定されていた快速列車は当駅停車が多かったものですが、現在ではその設定も米坂線直通の「べにばな」や有料の「らくらくトレイン村上」を除けば、早朝の村上行一本のみ。
その快速は当駅通過で現在停車するのは普通列車のみです。

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佐々木駅舎の様子、2007年3月撮影。
建築財産票によると平成15年3月23日の竣工。
屋根のデザインを筆頭に建物の内外共に独特のデザインセンスが光る小品であります。
この日は駅前にタクシーが一台待機していましたが、数回訪れた限りにおいて常駐しているわけではなさそう。

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佐々木駅駅舎内の様子。2008年4月撮影。
近年改築されたローカル駅舎内では随一と言って良い小奇麗さと待ちスペースとしての快適性を併せ持っているよう。
中央にはテーブル状のベンチ(と表現すべきなのか?)、窓側はバーのカウンター状の作りに。
この時点での窓口営業は0710~1830でした。
また当駅は新潟都市圏で自動改札化されていない数少ない有人駅の一つであり(他には越後曽根駅や矢代田駅、水原駅)、またみどりの窓口未設置という特異な存在です。

・・・この撮影は日曜の夜に行なったもので、日中は毎時1本の運転間隔に関わらず待合室には常に人が少なからずいる当駅駅舎内撮影のチャンスは、最も人気の少ないであろうこの時間帯を狙わざるを得ないのです。
しかしこの時には、高校生カップルが待合室内で逢引きしておりまして困りましたw。
今時の高校生にしては珍しく二人とも落ち着いた真面目な感じで、いかにも「これぞ青春!」という雰囲気を微笑ましくチラ見していましたが、その逢引きが長いといったら貴方!
二人が駅を去り駅舎内を撮影するまでかれこれ二時間はかかりましたっけ。

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佐々木駅駅舎ホーム側からの様子、2008年4月撮影。

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駅舎ホーム側の様子、2008年4月撮影。
トイレは画像奥に男女別で設置されております。
改札内のここにしかトイレはありませんので当駅訪問の際はご注意ください。

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1番ホームの黒山駅方から見た佐々木駅構内。2004年5月撮影。
ホーム上の上屋は西新発田方の跨線橋側にあるのみです。


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同じく西新発田駅方から見た佐々木駅構内。2004年5月撮影。
画像左手に見える家並が駅裏の新興住宅地ですが、駅からそこへ至るには踏切を渡る必要があり、私が確認してきた西新発田方のそれは駅から200~300m程あります。
この住宅地と駅裏の将来の発展性を考えれば、駅舎改築の際に橋上駅舎化した方がよかったのでは・・・と外部の野次馬は思うところなんですが。
実際、あそこに住んでいて目の前の駅へ行くのに500m前後もの迂回を強いられるのはかなり不便に感じるでしょうに・・・。

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佐々木駅1番ホーム西新発田駅方の旧貨物線跡と思しき場所、2004年5月撮影。
ウィキペディアによると、かつて当駅から黒山方の北興化学の工場まで専用線が存在したとの事ですが、方向的に真逆のここを使っていたとは思えず、島式ホーム側三番線に隣接した空間がそれ臭いような・・・。
架線柱の無意味に横長な建て方からしてそのように見えるのです。

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佐々木駅跨線橋内部の様子、2013年3月撮影。
有人駅のそれとしては通路は狭小です。

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跨線橋上から佐々木駅構内の黒山駅方面を見る、2007年2月撮影。

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同じく西新発田駅方面を見る、2007年2月撮影。
二つ上の画像では草生して確認出来ませんでしたが、画像左側の側線はこの時点では一応健在であった事がわかります。

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同じく駅舎方を見る、2007年2月撮影。

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佐々木駅島式ホーム2番線中央辺りの様子、2007年2月撮影。
ホーム上には古びた待合室があってその佇まいはモダンで小奇麗な駅舎待合室と対照的。

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佐々木駅島式ホーム待合室内部の様子、2013年3月撮影。
島式ホームに列車が入るのは列車交換及び退避時だけなので、この待合室の利用は稀なのでしょうな。

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島式ホーム西新発田駅方から見た佐々木駅構内、2004年5月撮影。

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島式ホーム2番線中央から黒山駅方を見る、2004年5月撮影。
ウィキペディアによれば、この2番線は現在定期旅客列車の発着は無いようです。


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島式ホーム黒山駅方端から先を見通す、2004年5月撮影。
この先線路は左に大きくカーブしており、白新線内で最も人気の撮影スポットになっているのは皆様よくご存知の通り。

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人気の無い日曜夜の佐々木駅構内、2008年4月撮影。

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西新発田駅方の踏切から見た佐々木駅構内、2007年2月撮影。

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佐々木駅3番線で特急退避中の115系電車村上行。
2016年3月改正ダイヤでは、当駅での普通列車の特急退避及び交換は4回、普通列車同士の交換は1回です。
白新線の単線区間の駅は全て列車交換可能なので、程よく分散して実施されています。

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佐々木駅1番線に停車中の、白新線と羽越本線では過去帳入りのE127系電車村上行、2013年3月撮影。
当駅では列車退避や交換の無い場合は、このホームに列車が発着/通過します。

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佐々木駅1番線を通過する485系電車R編成の特急「いなほ」新潟行、2013年3月撮影。
当駅は有人駅なので構内立ち入りにはおのずと制限があるので、特急通過を撮影するのは普通列車の退避中がベストです。

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3番線に115系電車を待たせて佐々木駅一番線を通過する485系電車T編成の特急「いなほ」酒田行、2013年4月撮影。

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佐々木駅前通りを県道側から見る、2007年3月撮影。
画像奥手が駅になります。
駅から県道まではざっと300m程でしょうか、周辺は昔ながらの集落で長閑なものです。ちなみにこの通りには喫茶店と食堂が有り。

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県道の様子、2007年3月撮影。
沿道にはコンビニ有り。画像奥手が新発田方面です。
この道には新潟交通の路線バス新潟-新発田線が設定されており、データイム毎時一本の運行頻度です。
県道は特に新潟方面へは白新線より海岸側を通っていて、線路と距離が開いております。
ゆえにこのバスを利用して移動できる白新線内駅は当駅の他に新潟、新崎、新発田の四駅のみ。
他の駅は最短1km、最長で3km近く歩く事になりますのでご利用の際は要注意。

駅とは直接関係無いのですが何か面妖だった事。

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黒山駅から佐々木駅にてくてく歩く道中で見つけた「北谷内稲荷大神」。
2007年2月撮影。
竹林の中の小さな赤い鳥居が私の感性をびびびっ!と刺激しまして、本能の赴くままいざ中へ。
参道を進むと何故か民家の庭先のようなところに出ました。
帰宅後調べましたら社殿があるとの事でしたが、私が出たあそこは一体・・・
おキツネ様の悪ふざけに引っ掛けられたのかなぁ?

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くだんの稲荷に「奥の院」があるという表示。
こちらも案内に誘われたかのようにふらふらと進んで参ったものですが、私の目に映るは晩冬の北蒲原の寒風吹きすさぶ荒涼とした風景・・・奥の院なんて見渡す限り無かったっす・・・
思わず某右京さんばりの「はい~!?」が口を突いて出ましたな。

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2011年2月23日 (水)

英国海軍・SDSRに至る21世紀最初の十年

1960年から十年毎に区切って英国海軍主要勢力の消長を概観して参りましたが、今回はその最終回です。
破断界を越えつつあるか英国海軍?」で述べた昨秋発表のSDSRに至る、今世紀に入ってからの道程です。

2001~2010年の英国海軍主要トピックスは下記の通り。

2001年
新型SSN一番艦「アスチュート」起工。
元々はスイフトシュア級の後継であったはずが、計画遅延で結果的にトラファルガー級の代替になってしまいました。

2002年
シーハリアーF/A.2の退役を発表。
前回エントリーに書き忘れてしまったのですが、英海空軍は2000年に「ハリアー統合部隊」を発足させています。
これは海軍のシーハリアーと空軍のハリアーGR.7/9を統合運用化して、空軍所属ハリアーを軽空母への随時展開を制度的に担保するものでした。
レーダー誘導AAMを運用可能で防空/制空能力に長けたシーハリアーと、搭載量大で対地精密誘導兵器を運用可能なハリアーGR.7/9の組み合わせによって、軽空母は従来よりもより自己完結的な航空打撃力を付与されたはずでしたが・・・。
しかし英国海軍軽空母が運用される実戦環境は、米国と組んでの湾岸・イラク戦争型とアフリカの旧植民地の内戦等に対する人道的介入の二つ。
双方共に必要なのは空軍のハリアー運用能力(対地攻撃能力)であって、艦隊防空能力も制空能力も必要とされないのです。
前者は米軍の圧倒的な航空優勢の元で戦いますから、シーハリアーの出る幕は無し。
後者は相手にまともな航空戦力など存在しませんから、こちらでもシーハリアーの出番は無し。
一方対地攻撃能力においては、第一世代のシーハリアーよりも第二世代のハリアーGR.7/9が確実に勝っています。
国防予算が依然として削減されている現状ではせっかくのハリアー統合部隊も企画倒れで両手に花は無理、ならばより実効性、必要性の高い空軍ハリアーを残すという内幕ではなかったかと推測しますが実際は果たして?

計画中の新空母搭載機に米国と共同開発のF-35Bを選定。
超音速ステルスV/STOL戦闘攻撃機F-35B計画は絶賛大炎上で、昨秋発表のSDSRで英国海軍がF-35Bから米海軍型F-35Cに鞍替えを明記したのは皆様ご存知の通り。

本年限りで22型フリゲイトバッチ2が全艦退役、6隻中3隻を海外売却
(ルーマニア2隻、チリ1隻)。

フォークランド戦勝の立役者であるドック型揚陸艦「フィアレス」退役。

2003年
新型DDG一番艦「デアリング」起工。
仏伊との防空艦共同開発計画から脱退した英国独自の新世代艦隊防空艦がようやく起工です。
しかしその調達数は当初の12隻から8隻へ、最終的に6隻にまで切り下げられてしまいます。
独自設計とはいえ艦隊防空システム自体は共同開発計画のものを引き継いでいて、VLSも米国のMk41ではなくシルヴァー。
従ってトマホークやSM-3は現状では物理的に運用不能であり(シルヴァーA70型はトマホークを運用可能と言われておりますが、米国が他国開発の武器システムでトマホークが運用されるのを黙って見ているのかちょっと疑問)、この辺を今後どうしていくのか要注目。
新空母の去就如何では、英国海軍水上戦闘艦へのトマホーク装備もあり得ると思うのですが、その際は米国製VLSを追加装備するのか(艦の発達余裕はどの程度を見込んでいるのか)、それともシルヴァーを撤去してVLSを米国製に全面換装するのか?

新型ドック型揚陸艦一番艦「アルビオン」就役。
1998年に就役したヘリコプター揚陸艦「オーシャン」とコンビを組む新世代の揚陸艦です。

2004年
特記事項無し

2005年
軽空母「インヴィンシブル」退役、2010年まで予備艦として保持。
有事の際には現役復帰可能なようにモスボール保存されておりましたが、その期限は延長される事なくオークションで売却という、これまたフォークランド戦勝の立役者にとって寂しい末路でした。

2006年
シー・ハリアーF/A.2退役。
これで英海軍航空隊から艦載用固定翼機は一旦全廃です。
F-35C導入で復活の予定ですけれど、これは新空母の去就如何。
英国の今後の財政状況と次期総選挙の結果次第でどう転ぶか知れたものではありません。
何しろ我が国と異なり、冷徹にあっさり切り捨てるのが英国流ですので。
またこれで軽空母搭載ハリアーは空軍機のみとなりましたが、その空軍ハリアーも昨年末に退役してしまって、現在ただ一隻残る軽空母「イラストリアス」はその存在価値を事実上失った形に。
2014年までに退役とされておりますが、存在意義の無くなった艦をあのドライな英国政府があと3年も就役させておくとは思えず、実際には相当に前倒しされて今年の年末にはイラストリアス退役という外電に接する事になるやもしれませんね。

前年及び本年に23型フリゲート計3隻が退役、チリに売却。
古い艦で艦齢16年、新しい艦で艦齢9年での退役売却です。
この3隻の早期退役は御多聞にもれず国防予算削減によるもののようですが、本級よりも22型バッチ3を退役売却したほうが・・・
なんですけれど。
チリに売却するにしても、かの海軍は既にバッチ2を1隻購入して運用していますから要員訓練や補給面で都合が良いと素人は思うところです。
艦齢だってこの時点でまだ20年未満ですし。
この3隻の艦の状態が特別悪くて修理が高く付き、費用対効果が宜しくなかったなどの裏事情の故なのでしょうか?

2007年
特記事項無し。

2008年
特記事項無し。

2009年
新空母一番艦「クイーンエリザベス」起工。
新型DDG一番艦「デアリング」就役。

2010年
新型SSN一番艦「アスチュート」就役。
軽空母「インヴィンシブル」除籍、同「アークロイヤル」退役。
スイフトシュア級SSN最後の現役艦「セプター」退役。

そして本年(2011年)には、4月末までに22型バッチ3全艦(4隻)
が退役。
トラファルガー級SSNは2009年末に退役した「トラファルガー」に続き「タービュレント」が退役予定。
このエントリーの翌日(2月24日)に42型DDGバッチ3の「マンチェスター」が退役予定。
バッチ2最後の現役艦「リバプール」は来年まで現役に留まるようで、マンチェスターが去りリバプールが残るのは艦のオーバーホール時期の差異によるものなのかもしれません。
一方就役艦(予定)は45型DDG2隻のみ。

これからの10年間、果たして英国海軍はどのような消長の途を辿っていくのか。
前述のように財政状況の更なる悪化と次期総選挙の結果次第では、空母計画の完全中止(2隻共海外売却)と次期新型ミサイル原潜の建造数切り下げ(例えば常時戦略パトロール実施を放棄して、場合によっては母港内からSLBMを発射する態勢をとるとか・・・それなら2~3隻建造でもなんとかなるかも!?)すら絵空事では無いように思えます。
その前段としては空母の英仏共同運用の可能性もあり(噂レベルでは色々囁かれておりますけれど)、また任務部隊に空母不在時の対地攻撃火力維持の為に上述した水上戦闘艦へのトマホーク搭載が考えられるところでしょう。

英国海軍の動静には興味が尽きないところであり、今後も個人的に目を惹くトピックスがあれば、随時書いてまいりたく存じます。

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2011年2月20日 (日)

海賊戦隊ゴーカイジャー第2話「この星の価値」をヒロイン目当てで見る

ども。
「海賊戦隊ゴーカイジャー」第2話「この星の価値」です。
本日の見所その一・少年シンケンレッド登場!

神尾直子さん演じる少年シンケンレッド
青年、姫に続き第三のシンケンレッドであります。
演じるは巷の噂では神尾直子さんだとか。
ハードなアクションがありましたから、子役が入るのはちょっと無理ですしね。
しかしそうだとすれば神尾さんの演技もかなりのレベルです。
演者が女性だなんてパッと見では全然わかりませんよ。
そして今回で戦えるかどうかはともかく普通の人間でも、レンジャーキーを
使っての変身は一応可能な事が判明しました。
うーむ、それならば第1話に登場した解説保母さんにぜひ変身していただきたい。
矢張りミスアメリカが宜しいでしょうw

デカレンジャーにゴーカイチェンジ
本日の見所その二・デカレンジャーにゴーカイチェンジ。
デカレンジャーは近年の作品ですから、スーツは当時のものかもしれません。
蜂須賀祐一さん演じるデカイエローはヒップが少々緩んでいるよーな?
原典では橋本恵子さんが演じていましたし、そこは男女のヒップのボリューム差の
成せる業!?

スーツがシワシワのピンクレーサー
本日のED。
前回はゴレンジャーからライブマンまででしたが、今回はターボレンジャーから
タイムレンジャーまで。
ほぼ引きの画面でしたが唯一寄りだったのがピンクレーサー!
私は中川素州さん演じるピンクレーサーのきゃぴきゃぴぶりに萌えまくっており
ましたから、これにはおおっと目が釘付け。
演じているのは野川瑞穂さんでしょう(多分)、スーツの上半身はシワシワ。
これも当時のスーツなんですかねぇ? 
素州さんは小柄ながら結構マッチョだったので、それを女性が着ればシワシワ
なのは道理です。

そして次回予告、この並びは!?

ガオホワイトとホワイトスワンにゴーカイチェンジ
ビッグワンはブルーが変身した姿らしいのですが、ガオホワイトとホワイト
スワンはどっちがどっちなのか!?
また次回はマジレッドこと小津魁がゲスト出演!
巷では色々囁かれていた変身前俳優の客演がいよいよ現実のものに。
私はマジレンジャーを第一話で見切って以後全く見なかったので思い入れは
無いのですが、ファンにとってはたまらないんでしょうな。
私が子供の頃、歴代ライダー変身前の客演にテレビの前で狂喜乱舞していた
みたいに。
また次回はカクレンジャー・アバレンジャー・ゴーオンジャー・マジレンジャーに
変身の模様。
前述の白い戦士三人はそれぞれ個別に変身のようです。
こういうイレギュラーな形で変身されると、私が見たいと熱望するミスアメリカ・
ピンクファイブ・チェンジマーメイドにいつ変身するかわかったもんじゃない!
当分の間、録画を続ける必要がありますなこれは。

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十日町駅(飯山線・北越急行ほくほく線)

本日の駅紹介は飯山線/北越急行ほくほく線・十日町駅。

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新潟県十日町市に所在する有人駅で、飯山線の駅としては昭和2年(1927年)11月15日、ほくほく線の駅としては平成9年(1997年)3月22日の開業です。
飯山線の駅としての開業時は中魚沼郡十日町の所在で、同町はその後昭和29年に近隣諸村と合併して市制を施行し、平成17年に中魚沼郡及び東頸城郡の近隣町村と合併して市域を大幅に拡大し現在に至ります。

十日町駅はまず越後川口駅からの国鉄線の行き止まりの駅として開業した後、昭和4年に当時の飯山鉄道が全通して当駅に乗り入れ、更に昭和19年に飯山鉄道が国有化されるという経緯があり、駅構内は国鉄ローカル線と地方私鉄の折衷型とも言うべき独特の佇まいです。
そんなどこか懐かしさを覚える、小さく纏まった地上駅西側には新幹線のそれと見まごうようなほくほく線の立派な高架駅が置かれていて、双方の駅のギャップが大きいのも当駅の特徴であり異様なところであります。
また現在こそ特急「はくたか」が頻発運転されているほくほく線も、2014年3月以降はローカル輸送用の普通列車しか走らなくなる定め・・・。
鉄道駅としては新人同然でありながらこれから「長い余生」を送らねばならない若隠居の寂しさを強く感じさせるのです。
なお、新潟県内20市の内、新潟市と鉄道の無い佐渡市以外の18市中、市内駅と新潟駅との間に直通列車が無いのは魚沼市と十日町市のみ。
魚沼市は上越新幹線浦佐駅がごく至近にありますから、対新潟駅直通列車が事実上皆無なのは十日町駅のみなのであります。
飯山線が非電化の為に車両面で直通列車運行が難しい事、直通列車を設定するよりは新幹線長岡乗り継ぎの方が会社に美味しいであろう事、またそもそも県都-十日町地域の公共交通直通需要がさほど大きくはない事(高速バスは一日五往復)、そして当然の事ながら鉄道やバスよりはクルマの方が便利などなど、色々な事情が絡んでの事だと推測しますけれど、直通は無理でも新幹線接続で長岡-十日町間に快速を走らせてもいいんじゃない?(数時間に一本でもいいから)と外野席から見ていて思うところ大なのですが・・・。

JR東日本によると、2009年度の十日町駅一日平均乗車人員は624人で同社新潟県内有人75駅中51位。
信越線・羽生田駅より幾らか少ないレベルで、人口6万人弱の都市の中心駅のそれとしては少々寂しく・・・。
しかしよくよく考えてみれば現在の飯山線の過疎に過ぎるダイヤ(越後川口-当駅間一日10往復、当駅-長野方間同8往復)の割には・・・と思えなくも無し、がしかし・・・。
十日町市史によると昭和40年の当駅一日平均乗車人員は2,346人で、貨物取扱い量は一日平均194トン。今日とは隔世の感!
気動車準急「野沢」(長野-長岡間)と「うおの」(当駅-新潟間)が好評を博していた頃の話です。
あのこじんまりとした駅構内がそれだけの人とモノ、そして優等列車で賑わっていたと思うと、今の駅の平日朝夕以外の人気の無さはやはり寂しい・・・。
なお、ほくほく線駅の乗車人員は資料に行き当たる事が出来なかったので不明ですが、JRと合わせれば一日平均乗車人員は四桁に届いているのでは?と期待しつつ推測する次第。

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十日町駅舎(東口)の様子、2010年5月撮影。
建築財産票は見当たらなかったのですが、資料によれば昭和40年12月改築との事。
昭和30~40年代改築の地方中堅駅の標準的スタイルですが、線内有数の都市玄関駅にして飯山駅と並び旅客・運転共に拠点駅である為か一部二階建てです。
撮影は日曜の朝でしたが、タクシーは7台待機中で飯山線とほくほく線沿線以外は公共交通機関が不便な当地域の事情を反映しているよう。
なお十日町駅前バス停は画像右側にあり、越後交通の飯山線並行(津南行)路線は毎時ほぼ1本が運行されていて飯山線より遥かに利便性大。
飯山線駅巡りはこのバス路線と絡めたスケジュール作りが何より肝要です。
また本数は少ないもののほくほく線まつだい方面行もあります。
小千谷本町経由長岡行きは後述の国道側に発着ですので利用の際は要注意。
駅から国道までは徒歩5分程です。

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十日町駅駅舎内の様子、2010年5月撮影。
日曜の朝9時前はこんなガランとした様子、私以外に人影は無し。
それもその筈で飯山線の次発戸狩野沢行きは11:19発、越後川口行きは12:24発なのです。
あと二時間以上も定期列車の出発が無い・・・。
下の画は待合室内。以前訪問した時はキオスクがあり、人も多くて撮影を断念したものでしたが今はこんな感じに・・・。
時間帯は明記されていませんでしたが夜間は締め切りとの表示。
画像右奥にあるのは「ペレットストープ」で、十日町市の施策としてこのストーブの普及を市の助成金付きで図っているとの事。
不用木を原料とした木質ペレットを燃料として使い、灯油型よりCO2排出が少なく地球に優しいのだとか。
なおトイレは駅構内外にあり、両方共に水洗です。

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十日町駅駅舎ホーム側の様子、2010年5月撮影。
画像右側の旧精算所が目を惹きます。今は精算も改札でやれますからね、利用客が少ないから・・・。

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1番ホームの魚沼中条駅方から見た十日町駅構内、2005年5月撮影。
このホームは多分国鉄線として開業当時からのものなのではないかと推測しますが果たして?
駅掲示の時刻表をよく見てこなかったのが今となっては慙愧の極みなのですが、うろ覚えではこの1番ホーム発着の列車はかなり少なかったような?
留置線を兼用している印象です。

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同じくホーム端から魚沼中条駅方を見通す、2005年5月撮影。
画像左側に保線車両の車庫が見えます。

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1番ホームk跨線橋手前から土市駅方を見る、2010年5月撮影。
隣の島式ホームにはキハ110系気動車の戸狩野沢行と越後川口行が発車待ち。
時刻は8:12。
平日ならば構内は学生多数で、飯山線十日町駅が最も賑やかな時間帯でしょう。

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十日町駅跨線橋内の様子、2011年5月撮影。
線区の中心駅、市の玄関駅のそれとしては手狭な印象。

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跨線橋上から土市駅方を見る、2005年5月撮影。

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同じく魚沼中条駅方を見る、2005年5月撮影。
2本のホームは千鳥配置。

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島式ホームの土市駅方から見た十日町駅構内、2005年5月撮影。
どことなく歪さを感じさせる島式ホームの形状は、当駅構内の地方私鉄と国鉄ローカル型の折衷型の証と申せましょうか。

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島式ホーム端から土市駅方を見通す、2005年5月撮影。
ここから見ると島式ホームの歪さがよくわかります。

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飯山線・十日町駅島式ホームに立つ名所案内板、2004年9月撮影。

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島式ホーム端から魚沼中条駅方を見通す、2005年5月撮影。

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島式ホームから1番ホームを見る、2005年5月撮影。
十日町駅地上ホームの有効長は長い一、三番線でも気動車がせいぜい4~5両という短さですが、大半の列車は単行/二連なのでこれでも充分。

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飯山線・十日町駅島式ホーム上の待合室内の様子、2011年5月撮影。

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土市駅方の踏切から見た十日町駅構内、2011年5月撮影。
一番、三番、留置線にキハ110系気動車が集結中。

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魚沼中条駅方の踏切から見た十日町駅構内、2011年5月撮影。

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十日町駅東口駅前通りを国道側から見る、2010年5月撮影。
画像奥が駅です。豪雪地帯らしく雁木造りの通りは地方都市の常でシャッター通りの感。
駅至近は駅から向かって左側にスーパーが有り(営業時間09:00~22:00)。
この時点では付近にコンビニはありませんでした。

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駅前通りを進むと行き着く国道117号線。
十日町市のメインストリートですが、こちらも正直活気はありません。
地元の方は駅西口から約1.5kmの信濃川手前のジャスコや家電量販店を中核とした商業ゾーンに車でGO!なんでしょうなぁ。
十数年前に車で行った事がありますが、品揃えの良い書店もあってその当時から既に充実していたもんなぁ・・・。

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十日町駅西口(ほくほく線駅舎)の様子、2010年5月撮影。
こちら側は新幹線駅のミニチュア版の趣。
東口からこちらへは地下道で連絡。
駅前はロータリーになっていて、タクシーが数台待機しておりました。
また駅前には公衆トイレも有り。

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十日町駅西口駅前通りの様子、2010年5月撮影。
こちら側はまだまだ発展途上のようです。

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十日町駅西口駅舎内部の様子、2010年5月撮影。
上の画像奥に青いベンチが並ぶ待合室が見えますが、少々狭苦しく手前のベンチでまったり待つのが吉かも。
こちらには立ち食いそば店が出店していますが、日曜朝は生憎開店前。

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十日町駅西口改札口、2010年5月撮影。

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しんざ駅方から見たほくほく線十日町駅構内、2010年5月撮影。
ホームは最長9連の特急「はくたか」をギリギリ収容出来る長さです。
現在、当駅には定期「はくたか」が一日7往復停車しておりますけれど、2014年春の北陸新幹線金沢延伸開業以後は遊休化必至。
なにしろローカル輸送は二連で充分なのですからね。

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十日町駅ほくほく線用高架ホームのしんざ駅方から先を見る、2010年5月撮影。

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十日町駅ほくほく線用高架ホーム中央部からしんざ駅方を見る、2010年5月撮影。
こちら側の見通しはすこぶる悪し。

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十日町駅ほくほく線用高架ホームのまつだい駅方を見る、2010年5月撮影。

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十日町駅高架ホームに停車中のほくほく線HK100型電車、2010年5月撮影。
普段、乗り心地が悪く狭苦しい旧式の115系やオールロングのE127系に乗り慣れた身にとって、この電車はトイレが無い事を除けば「神電車」認定ですな。
シートはゆったりしていて、高規格線路の威力もあって乗り心地も上々。
これの転換クロス車にトイレが付いていれば、普通列車用電車として完璧でしょう。

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ほくほく線・十日町駅を出発した特急「はくたか」金沢行、2012年5月撮影。
十日町駅はほくほく線内唯一の「はくたか」停車駅でした。

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ほくほく線・十日町駅に到着した特急「はくたか」越後湯沢行、2012年5月撮影。

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2011年2月16日 (水)

2000年の英国海軍

前回エントリー「1990年のロイヤル・ネイビー」の続きで、今回はミレニアム
2000年時点の英国海軍勢力を振り返ってみます。

まず1991~2000年の英国海軍関係主要トピックスは下記の如し。

1991年
湾岸戦争(1月17日~3月3日)。
イラク沿岸の敵陣地砲撃に当たる米海軍戦艦「ウィスコンシン」の対空直衛
任務中のミサイル駆逐艦「グロスター」が、飛来したイラク軍シルクワーム
SSMをシーダートSAMで撃墜。
これは実戦で艦載SAMがSSMを撃墜した最初の事例。

ミサイル駆逐艦「ブリストル」退役(以後停泊練習艦として使用)。

1992年
特記事項無し。

1993年
本年限りでリアンダー級フリゲイトとオベロン級通常型潜水艦が英海軍
から退役。
新型SSBN一番艦「ヴァンガード」就役。

1994年
本年限りでアマゾン級フリゲイトが英海軍から退役(パキスタン海軍に売却)。
トマホーク巡航ミサイル調達計画スタート。

1995年
本年限りでアップホルダー級通常型潜水艦退役(カナダ海軍に売却)。
これにより英海軍から通常型潜水艦が姿を消す。
シーハリアーF/A.2がNATOによるボスニア紛争飛行禁止空域監視
作戦で実戦初参加。

1996年
本年限りでレゾリューション級SSBN&ポラリスSLBMが退役。
「準戦略型」トライデントⅡSLBMをSSBN「ヴィクトリアス」に配備。
これは英空軍運用の戦術核爆弾退役に伴う措置で、比較的低威力の核弾頭
1発だけをトライデントⅡSLBMに搭載して戦術/戦域核兵器としての役割を
持たせる事。
これによって英軍の核兵器は全てトライデントⅡに集約されました。

1997年
本年限りで22型バッチ1フリゲイトが英海軍から退役(ブラジル海軍に
売却)。

1998年
新型ヘリコプター揚陸艦「オーシャン」就役。
原潜「スプレンディド」がトマホーク発射試験を実施。

1999年
ドック型揚陸艦「イントレピッド」退役。
ユーゴ空爆作戦において原潜「スプレンディド」が英海軍最初のトマホーク
攻撃を実施。
仏伊と共同開発していた次期防空艦開発「ホライズン」計画から離脱。

2000年
特記事項無し。

冷戦終結、そして湾岸戦争と旧ユーゴスラビアでの一連の紛争介入によって、
英国海軍は冷戦型の対潜最重視から地域紛争介入(一度放棄したはずのNATO
域外への戦力投射)重視へ急激に変身を遂げます。
軽空母インヴィンシブル級は1990年代後半から順次改装を受けて航空機
運用能力を拡大(代わりにシーダートSAMを撤去)して、より対地攻撃力の高い
空軍のハリアーを本格的に受け入れ可能となって潜在的航空打撃力を増大さ
せ、またハリアー/シーハリアーよりも攻撃レンジの大きいトマホーク巡航ミサ
イルを米国から導入して攻撃型原潜に順次搭載し、陸上への火力投射を軽空
母とのダブルトラックで実施可能になりました。
さらに海外への戦力投射に欠かせないコマンド部隊の新たなる移動基地として
ヘリコプター揚陸艦「オーシャン」が就役して、かつてのコマンド空母退役に伴い
永らく失っていた本格的な立体揚陸作戦能力を再獲得し、これで米海軍に比べ
れば遥かに小規模であるとはいえ、自己完結的な地域紛争介入能力確保に
成功したのは流石ロイヤルネイビー、腐っても鯛(ちょっと失礼か)と言える
でしょう。

勿論、冷戦後の国防予算の削減が続く中でこのような施策を実行するから
には、この原資を生み出す為に冷徹に切り捨てられる要素もあるわけで・・・。
それが対潜任務です。

浅海域での対潜戦の主役となる筈であった最新鋭通常型潜水艦アップホルダ
ー級は、元々12隻建造予定だったのが4隻にまで切り下げられ、その4隻も
就役後数年で全艦退役という、我が国ではとても考えられない(国会で金の無駄
使いと追及されて防衛相は辞任に追い込まれるでしょうね)思い切った措置を
とられてカナダ海軍に売却。
従来の主力オベロン級は艦齢に達して退役し、これで水中での対潜戦全般は
SSNが全てを引き受ける事に。しかしそのSSNもトマホークキャリアーとして
の新たな役割を与えられていますから、冷戦中のように対潜専従とはいきま
せん。

対潜水上艦についても退役売却の大盤振る舞いで、艦齢に達しつつあった
リアンダー級の退役は、何分主機が手間のかかる蒸気タービンであります
から仕方無い話なのではありますが、より新しい21型、さらに22型バッチ1
まで海外売却という、こちらも我が国では考えられない割り切り方です・・・。

そうして迎えたミレニアム2000年の英国海軍主要戦力は以下の通り。

戦略ミサイル原潜:4隻:ヴァンガード級。戦略/準戦略核任務兼務。

攻撃型原潜:12隻:トラファルガー級7隻、スイフトシュア級5隻。トマ
ホーク運用能力を順次付加中。

軽空母:3隻:インヴィンシブル級。航空機運用能力拡大改装を順次
実施中。

ミサイル駆逐艦:11隻:42型。

フリゲイト:20隻:23型14隻、22型6隻(バッチ3x4隻、バッチ2x
2隻)。

ヘリコプター揚陸艦:1隻:オーシャン。

ドック型揚陸艦:1隻:フィアレス。

1990年と比較して量的に現状維持なのは戦略ミサイル原潜と軽空母、
揚陸艦。攻撃/哨戒潜水艦は総数で約45%、攻撃型原潜に限って
みても2割減。
通常型潜水艦全廃は浅海域での水中対潜能力を切り捨てたのですから
止む無し。
攻撃型原潜は隻数を減らした代わりに、トマホーク運用能力を付与して
対陸上火力投射能力を獲得させ質的に向上を見せましたからイーブン
といったところ。
水上戦闘艦は約35%減で、1998年に発表された”SDR”(Stra
tegicDefence Review)で水上戦闘艦に対する評価基準が
従来とは変化して優先順位が低下した(恐らく対潜能力の重要度大幅
低下と対陸上火力投射力不足)事を裏付けていると言えましょう。
何しろまだまだ若く使い出のある22型が8隻も退役しているのです。
これら主要戦力合計は52隻、満載ベースの排水量合計は約36万
トン。
トンベースでは1990年比10%強減。

一方海自はバブル崩壊とデフレで経済が疲弊しながら着々と質的向上
が続きました。
その勢力は、

DDH: 4隻:しらね型2隻、はるな型2隻。
DDG: 9隻:こんごう型4隻、はたかぜ型2隻、たちかぜ型3隻。
 DD:28隻:むらさめ型6隻、あさぎり型8隻、はつゆき型11隻、
FRAMたかつき型2隻、やまぐも型1隻。
 DE:12隻:あぶくま型6隻、ゆうばり型2隻、いしかり、ちくご型3隻。
 SS:15隻:おやしお(Ⅱ)型3隻、はるしお型6隻、ゆうしお型6隻。
LPD: 1隻:おおすみ型1隻。

護衛艦総数は53隻で、対潜ヘリ搭載(搭載可能)率約55%、アスロック
搭載率約94%、SAM搭載率約75%、SSM搭載率約81%。
何より目を惹くのはイージスDDGの就役。
潜水艦は全艦ハープーンSSMを搭載し、海自史上初のドック型揚陸艦が
就役。
主要勢力の隻数自体は微減しましたが満載ベースの排水量合計は約32
万トンで、1990年比で約25%増。
それだけ個艦の規模(すなわち能力)が大きくなった事を如実に表しております。
英海軍との比較でも隻数では上回り排水量合計は9割近くまで接近。
対陸上投射火力では比較にならないほど劣弱(そもそもそういう能力付与は
考慮外なので比較の対象にする事自体ナンセンスなのですが)ではある
ものの、洋上対潜/対空能力では互角もしくは上回るレベルに到達して
います。

さて次回は英国海軍の趨勢一応の最終回、21世紀の最初の10年間
の英海軍の動静について。

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2011年2月13日 (日)

海賊戦隊ゴーカイジャー第1話「宇宙海賊現る」をヒロイン目当てで見る

昨年末以来、各方面で物議を醸し果たしてその設定は、世界観はホンマでっか
!?と私もここで色々推測妄想を逞しくしておった、
「海賊戦隊ゴーカイジャー」!
いよいよ本日よりスタートです。

第1話「宇宙海賊現る」、本編はのっけから「レジェンド大戦」の激闘!
誠直也氏御本人声のアカレンジャー指揮で、歴代戦隊が地球に侵攻した宇宙
帝国ザンギャックと死闘を繰り広げます。
そんな中で私が目を皿のようにしてサーチングするのは勿論、ミスアメリカの御麗姿
にございますっ!

マスクだけちっちゃく映っているミスアメリカ
ミスアメリカはえーと・・・いたっ!
ハリケンレッドの上にマスクだけちっちゃく映ってる!
録画を見直しても、この後本編にミスアメリカは全然出てきません(涙)。
デカピンクなどを見ると、突っ立っているシーンと立ち回りのシーンでは体型が
あからさまに異なっていたりするので、立ち回れる女性は思いの他少ないような
気がします。
女戦士のかなりの数の中の人は男性ですかね。
ですのでミスアメリカのように「女性しか演じられない」?キャラはカメラに
映るようなポジションでの目立つ立ち回りは無しなのかもしれませぬ。
全てはあのハイレグコスチュームの成せる業、つくづく業深いおなごさまです、
だがそれがいいっ!

ザンギャックと戦うチェンジマーメイドとチェンジフェニックス
ザンギャックと戦うチェンジフェニックスとマーメイド。
チェンジマーメイドはお尻の大きさと丸みからして、中の人はおねいさん!?

ファイブイエローとファイブピンク
ゴーグルピンク、ダイナピンク、デカイエロー&ピンクと並んでお股の
ふくらみが心配なファイブイエロー&ピンク。

そして時は流れて、海賊戦隊ゴーカイジャー変身!

ゴーカイジャーの初変身場面
ゴーカイジャーは黒タイツに海賊ジャケットが装着されて変身。
変身後のスーツはジャケット一体型だと思われるので、黒タイツはタイム
レンジャー同様に変身シーンのみでしょうか?
個人的には変身不能になって黒タイツのまま退却とか見たいw

ゴーカイイエローは変身前がボーイッシュな男前なので、変身後の蜂須賀
祐一さんと合わせてダブル姐さんと尊称たてまつりたいです。
しかし蜂須賀さんは相変わらず凄いなぁ・・・
体型も遠目で見れば女性に見えるしねぇ~。
なんか気だるそうに斜に構えちゃって、演技もゴセイピンクとは全然違う!
まさしく仮面ヒロイン女形の本領発揮と申せましょう。
演じる方としては、変身前がああいうキャラ立ちした男前の姐さんの方が演じ
やすい気がしますなぁ。
ゴーカイピンクは・・・番宣ポスターの「おっほほほほほほっ」な仕草と全然
違うYO!
第一話を見た限りにおいては、野川瑞穂さんは天然お嬢様よりもゴセイイエロー
のような無手勝流突貫娘の方が似合う気がします・・・。
でも変身前のあのキャラだと、おすまし顔で何か凄い事をやらかしそうなアブナイ
雰囲気もするのよね。

モモレンジャーにゴーカイチェンジ
最初は新戦隊顔見世興行で歴代変身はせずこのままトドメか・・・と思って
おりましたら、早くも秘密戦隊ゴレンジャーに変身!
野川さん演じるモモレンジャーでありますっ! 
しかし小奇麗なモモレンジャーだなぁ・・・。

シンケンイエローの背中に見えるブラジャー
本日の何気にフェティッシュな一枚。
ゴーカイジャーが変身したシンケンジャー、シンケンイエローの背中にブラジャー見ゆ!
なおシンケンジャーもマジレンジャーも、マスクはアクション用のパッチン型の模様。

EDに登場するミスアメリカ
エンディングからミスアメリカの麗姿再び!
フェチ者にとって最大の注目点である下半身は・・・、やはりベージュの厚手
タイツでしょうか?
ミスアメリカがセンターポジションなのは、お父さん世代を意識してでしょうか!?
次回予告を見る限り、バトルフィーバー隊への変身はなさそうですが・・・。
しかし今回、「ゴレンジャーハリケーン」までも再現してくれたのですから、
いずれバトルフィーバー隊として立ち回りからペンタフォースまで再現してくれる
だろうと期待に胸膨らむところ。
ピンクが主役回でミスアメリカに変身してそのセクシーな姿に敵兵メロメロで、
男三人がミスアメリカをガン見して顔を赤らめてドキマギして、アイム=野川さん
がそこで初めて自分のえろえろしい格好に気がついて恥ずかしがるという描写
なら、迷う事なく神認定です。

EDに登場するフラッシュマンとマスクマン
フラッシュマンとマスクマン。
エンディングの歴代戦隊は性別チェンジは無くオリジナル設定のようです。
イエローフラッシュの蜂須賀さん(多分)が実に可愛らしいですなぁ。
また原典と違って華奢な体型のピンクマスクが新鮮です。

次回はデカレンジャーに変身するのは確定ですが、他への変身は果たして?
でも初回でゴレンジャー、シンケンジャー、マジレンジャーと三つも出しちゃったし、
大盤振る舞いはしばらくしないような気も。
今後はバトルフィーバーは当然として、ゴーグルV、バイオマン、チェンジマン、
フラッシュマン、ファイブマンへの変身が個人的に楽しみです。
ゴーカイジャーのキャラ設定も、イエロー姐さんの他にも自信家で常に不敵な
笑みを浮かべるカトリくん似のレッドと挙動不審で強いんだか弱いんだかよく
わからないグリーンが中々良い味出してます。
ブルーとピンクのキャラ立ちはこれからといったところでしょうか。
敵の殺り方も海賊刀で一斉に切り刻む容赦の無さが中々良し。
残酷だなんだとアレな筋からイチャモンを付けられませんように。

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三川駅(磐越西線)

本日の駅紹介は磐越西線・三川駅。

2016年2月28日記、画像を追加しました。

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新潟県東蒲原郡阿賀町に所在する無人駅で、開業は大正2年(1913年)6月1日。
開業当時の駅名は白崎で、北隣の五十島駅同様、磐越西線馬下-津川間延伸開業時からの歴史ある駅です(現駅名への改称は昭和60年)。
なお駅開業当時既に三川村の所在で、同村は昭和35年10月に下条村を合併編入して村域を拡大。
しかし平成の大合併により平成17年4月1日をもって東蒲原郡内諸町村と合併して新自治体・阿賀町の一部となり今日に至ります。

白崎駅時代は急行「いいで」「あがの」共に停車せず、東蒲原郡内の津川町の玄関・津川駅や鹿瀬町の玄関・鹿瀬駅に急行が停車する事もあって、自治体の玄関駅として格落ち感が否めなかった当駅ですが、現駅名に改称後の国鉄末期には急行格下げの快速「あがの」の不定期停車駅に加えられ、やがて定期の停車駅に格上げされます。
さらに近隣の三川温泉の威力からか「ばんえつ物語号」の停車駅にも加えられて、「ばん物」の停車しない鹿瀬駅とは線内における知名度や立場を見事に逆転した感がありました。
また当駅は近年まで簡易委託の有人駅でもありましたが、平成18年度末(平成19年3月末日)をもって無人化されております。
有人最後の年度の一日平均乗車人員は93人でJR東日本新潟県内有人82駅中78位。
平成12年度が125人ですから、6年間で1/4の大幅な減少率になってしまっております。
なお平成18年度における一日平均乗車人員で、当駅より下位の越後須原(只見線)、入広瀬(只見線)、越後寒川(羽越本線)、大白川(只見線)の各駅はいずれも現在無人化されており、新潟県内における委託有人維持に最低限必要な一日平均乗車人員は100人であろうかと強く感じられるところです。
(2009年度における最下位は脇野田駅(信越本線)の116人)
この減少率に加えて、合併によって自治体の玄関駅では無くなってしまったのも無人化に当たっての判断材料になったのではと推測しますが・・・。
元々財政的にけして豊かでない自治体同士が合併するのですから、コストカットは仕方の無い事ではありますけれど。

このように現在は無人化され通学時間帯以外は人気もなく、「ばん物」運行シーズンの土休日の一時華やぎを見せる以外は地味な毎日を送る三川駅ですが、それほど遠くない昔には活況を呈した栄光の日々もありました。
近隣の三川鉱山からの送鉱拠点として当駅が利用され、またベントナイト(鉱物粘土)を扱う企業の進出もあって、戦後の三川駅は貨物出荷で賑わいを見せたそうです。
(最盛期の一日取扱い量は60トン近くだったとか)
三川鉱山は昭和36年に閉山してしまいましたが、入れ替わりに三川駅から直線距離で南方1km強の阿賀野川・揚川発電所の建設工事が始まった事で当駅は建設資材搬入拠点として機能し、発着貨物は一日平均200トンと更なる賑わいを見せたそうです。
しかしそれはまさに超新星爆発寸前の恒星の輝きにも似たもので、発電所は昭和38年に完成して当駅の資材搬入拠点としての役割は終わり、ベントナイト企業も昭和42年8月の水害で大打撃を受けてしまい事業縮小のやむなきに至り、当駅の貨物取扱いは昭和48年12月をもって終了。
以後当駅が脚光を浴びる事はありませんでした・・・。

また三川駅に関する実に興味深い話として「新白線」構想があります。
これは羽越本線・新発田駅から赤谷線を延長する形で、白崎(三川)駅まで新線を建設しよう!というもので、戦前にも当局に陳情したものの反応はさっぱり・・・。
戦後、昭和30年代後半から40年代半ばにかけて再び陳情がなされ、当時自民党の有力者になって総裁総理への階段を駆け上る日の出の勢いの田中角栄氏の元にも行ったそうですが、流石の角サンも難色を示して動かなかったのだとか(笑)。
・・・そりゃそうですよねぇ、沿線は山中の人口希薄地域で、羽越線と磐越西線のバイパスルートといっても・・・
関東から南東北日本海側への予備ルートにでもしますか?
・・・予備ルートは他に幾つもあるし、わざわざこんなところに新線を引っ張る合理性はどこにもないですがな。
しかし架空路線マニアにとっては実際に走っていたらどうなっていただろうかと妄想してみるのもまた一興。
新線を県道新発田津川線沿いに建設して赤谷駅で赤谷線に接続するとして、その距離およそ14.5km。
白崎駅を新津方に発車して国道陸橋手前で分岐して最初の駅は「三川温泉」、白崎駅から約2km地点です。
次は「三川温泉」駅から約4.5kmで「古岐新谷」駅。
さらに約3km進んで「綱木」駅、そこから山中を5km進んで赤谷線・赤谷駅へ。
列車交換は赤谷駅の未使用ホーム及び線路を活用し、線内には「古岐新谷」駅を二面二線の列車交換駅(運転要員のみ配置)とし、「三川温泉」駅と「綱木」駅は一面一線で村委託の有人駅に。
ちなみに三駅共に三川村内の所在になるでしょう。
当然非電化でキハ52と58のコンビが、山間に分け入る単線ながら立派な線路上をのんびり走って、全列車が赤谷線に乗り入れ新発田まで直通して朝2・昼1・夕2・夜1の6往復ほどの過疎ダイヤで、大半の列車は赤谷駅で東赤谷行と分割併合になるでしょう。
ひょっとしたら並行道路の冬期通行の件やらなにやらで特定地方交通線廃止の荒波を乗り越えて、現在も只見線や岩泉線と並ぶJR東日本屈指の秘境路線として運行され有名になっていたりしてw
そうなったらキハ110系とキハ40系が走り、合理化で「古岐新谷」駅は棒線化されて「三川温泉」「綱木」両駅も無人化されているでしょうね。
三川-新発田間約33.4kmで有人駅ゼロ、列車交換駅は赤谷駅のみで赤谷駅-東赤谷駅間は部分廃止となっているでしょう。

・・・とまぁ、こんな愚にもつかない事を妄想して独りニヤニヤするのもまた楽しからずやなのです。
ちなみに現在の「新白線」並行バス路線は平成22年現在で、新発田-赤谷経由-新谷間が平日のみ運行で一日3往復、三川-古岐間に7往復(通年運行)、三川-三川温泉の区間便が一日一往復(通年運行)。
三川口の本数が多いのに驚かされます、やはり三川温泉の威力は大きいようですね。

さて閑話休題、話を現実に戻しまして・・・

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三川駅駅舎の様子、2010年5月撮影。
駅舎は「三川地域産業振興センター」との合築ですが、センターが
現在も機能しているのかは不明。
建築財産票によると竣工は昭和60年12月25日。

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三川駅駅舎内部の様子、2010年5月撮影。
上の画像左側の白いボードで塞がれているところが旧窓口です。
有人駅時代にあった公民館図書室は閉鎖され、阿賀町教育文化センターに移転されていました。
室内には券売機が一台と茶色一人掛けベンチ。
比較的新しい建物だけあって採光もまずまず、無人駅としては内部も綺麗で過ごし易いところです。
その辺は腐っても鯛流石は近年まで有人駅だった気品の高さとでも申せましょうか。
なおトイレは駅舎とは別棟にあり男女共用で水洗です。
また撮影時にはゴミ箱は駅舎内、ホーム待合室共にありませんでした。
撤去理由は「家庭ゴミの持ち込みがあった」為と「火災防止」の観点からとの事、どこぞの不心得者がゴミ箱に火を着けてボヤ騒ぎでも起こしたのでしょうか?
これは新津管理駅長通達で、県内の磐越西線無人駅に共通していました。

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駅舎とホームの連絡通路、2010年5月撮影。
三川駅はかつては列車交換可能な一面二線でしたが、現在はこのように棒線化

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ホームの津川駅方から見た三川駅構内、2010年5月撮影。
ホーム上に書かれた数字を見るに、当駅ホームの有効長は7両か。

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ホームの五十島駅方から見た三川駅構内、2010年5月撮影。

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ホームの五十島駅方端から先を見通す、2010年5月撮影。
画像奥の陸橋は国道49号線です。
右側の建物は三川中学校。

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かつての副本線と引込線跡地、2010年5月撮影。
駅舎側の茶色い柵までがかつての構内でしょうか。
側線を4~5本引けそうな広さです。
俯瞰で観察できればその広大さをより実感できるだけに、跨線橋が無いのは残念。

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三川駅ホーム上の待合室内部、2010年5月撮影。
建築財産票によると竣工は平成3年11月11日。

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三川駅を出発するキハ40系気動車新潟行、2007年7月撮影。

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三川駅に到着した新潟行快速「あがの」、2012年7月撮影。
キハE120一両とキハ110二両の三両編成です。
キハ40系とはまるで違う素晴らしい乗り心地ですけれど、磐越西線・馬下-会津若松間では少数派なのが残念。

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三川駅駅舎から駅前通りを見る、2010年5月撮影。
駅前広場はバスが余裕で入れるほど広々としたものです。



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国道49号線を渡り振り返って三川駅を撮影、2010年5月撮影。
ご覧の通り交差点脇にはヤマザキショップがあり食料調達が可能で、品揃えもまずまず。
磐越西線新潟県内駅至近で食料調達が可能なのは当駅と新関駅(コンビニ有り)、あとはスーパーの小さなフランチャイズ店があり少し歩くとコンビニのあるのある東新津駅ぐらいで、このお店は実に貴重な存在なのです

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国道陸橋上から三川駅方面を望む、2007年7月撮影


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Mikawa16
同じく五十島方面を望む、2007年7月撮影。
小さなトンネルをくぐるとすぐに鉄橋をゴトゴトと渡る画はNゲージのレイアウトのようであります。


Mikawa17
国道と並行する県道、2007年7月撮影。
旧三川村本来のメインストリートはこの通りです・・・
しかし沿道で目立つのは郵便局ぐらい。
なお三川温泉・古岐方面路線バスはここを通ります。
丁度バスがやってきたので撮れてラッキー。


Mikawa18
阿賀野川ライン舟下りのりば、2007年7月撮影。
国道を津川方面に500mほど進むと到着。
未踏の揚川ダム見物とセットで食指が大いにそそられるところです。

その後、2012年7月に揚川ダムまで行ってみました。

Mikawa1030712
道中にある揚川発電所。
前述したように昭和38年の完成。
この発電所完成が三川駅衰退の第一歩でした。

Mikawa1040712
途中、道を間違えて4kmほどの道のりに50分もかかってようやく揚川ダムに到着。

Mikawa1050712
揚川ダム側面の様子。

Mikawa1060712
ダム上の橋から歩いてきた道のりを振り返る。
大きな橋は磐越自動車道。
左手に見える小道をてくてく歩いてきたのです。
阿賀野川を渡って対岸から回りこんで来たので、三川駅からは遠回りになったのですよ。

Mikawa1070712
ダム上の橋を渡って振り返り一枚。
ここから三川駅までは2km強。
ただし道中の大半を占める国道49号線は大型車が頻繁に行き来する路肩を歩かねばならないので要注意です。

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2011年2月 9日 (水)

1990年の英国海軍

回エントリー「1980年の英国海軍」の続きで、今回は1990年時点の英国海軍
勢力を振りかえってみます。

まず1981~90年の英国海軍関係主要トピックスは下記の如し。

1981年
1979年に再就役していたコマンド空母「ブルワーク」退役。

サッチャー保守党政権の財政再建政策に伴う海軍削減計画が公表
される。
その主な内容は下記の通り。
1.軽空母は2隻体制に削減、完成間もない「インヴィンシブル」はオース
トラリア売却。
2.ドック型揚陸艦「フィアレス」「イントレピッド」廃棄。これにより英
海兵隊は事実上揚陸作戦能力を喪失。
3.駆逐艦/フリゲイトの総数を50隻に削減(1980年時点で62隻)。

1982年
フォークランド紛争(3月~6月)
英海軍主要艦艇喪失は下記の通り。
ミサイル駆逐艦「シェフィールド」:エグゾセ空対艦ミサイルによる。
同      「コヴェントリー」:アルゼンチン軍機の爆撃による。
フリゲイト  「アーデント」  :同上。
同      「アンテロープ」 :同上。

一方、攻撃型原潜「コンカラー」がアルゼンチン海軍巡洋艦「ヘネラル・
ベルグラーノ」を撃沈し、史上初の原潜による実戦での艦船撃沈を記録。

また、ウィキペディア英語版によると、予備艦として保管されていたコマン
ド空母「ブルワーク」と対潜ヘリ巡洋艦「タイガー」「ブレイク」について、紛争
勃発後に再就役の可否について調査が実施されたとの事です。
巡洋艦は主に陸上への6インチ主砲による艦砲射撃の為、ブルワークは明記
されておりませんでしたが、艦の性格から見て当然ヘリによる着上陸支援の為
でしょう。
ブルワークは退役間もない事から早期の再就役が期待されたようですが、
艦の状態が予想外に悪く見送り、タイガーとブレイクも紛争が比較的短期間で
終結した事で再就役はキャンセルに。
その後ブルワークは1984年に解体、ブレイクは紛争終結直後の8月に解体
されましたが、タイガーはその後も保管され1986年に解体。
タイガーはフォークランドをアルゼンチン軍が再占領した場合の奪還作戦に
その主砲が有用であると考えられた故の1986年までの保持と推測しますが
実際のところは如何に?

フォークランド紛争終結直後に軽空母二番艦「イラストリアス」就役。
次期SSBN(ヴァンガード級)計画開始、米国からトライデントⅡSLBM導入決定

1983年
オーストラリアに対して売却撤回したインヴィンシブルの代替としてハーミ
ーズをシーハリアーとセットで売却提案するも拒否される(そりゃそうだよ
なぁ・・・w)。
トラファルガー級攻撃型原潜一番艦「トラファルガー」就役。

1984年
英国海軍初のガスタービン推進戦闘艦であるトライバル級フリゲイト最後の
現役艦「タルタル」「ズールー」退役。
なおこの両艦共に1980年に退役後保管中にフォークランド紛争勃発の為
再就役という経緯がありました。
両艦の退役(インドネシアに売却)後に英国海軍に残るトライバル級は81年
以来停泊訓練艦として使用されている「アシャンティ」のみに(1988年標的
処分)。

1985年
インヴィンシブル級軽空母三番艦「アークロイヤル」就役。
英国海軍最後の中型空母「ハーミーズ」退役。
英国海軍戦後計画のフリゲイト第一号・ホイットビィ級最後の現役艦
「トーキー」退役。


1986年
「ハーミーズ」インドに売却。インド海軍空母「ヴィラード」として就役。
次期SSBN一番艦「ヴァンガード」起工。
英国海軍最後の巡洋艦「タイガー」解体。

1987年
英国海軍最初のミサイル駆逐艦・カウンティ級最後の現役艦「ファイフ」
「グラモーガン」退役(両艦共チリに売却)。

1988年
シーハリアーF/A.2の1号機(FRS.1の改修)初飛行。

1989年
マルタ島での米ソ首脳会談で「冷戦終結」宣言(12月)。

1990年
23型フリゲイト一番艦「ノーフォーク」就役。
アップホルダー級通常型潜水艦一番艦「アップホルダー」就役。

イラク軍がクウェートに侵攻、湾岸危機勃発(8月~)。

70年代半ば以降、主に北大西洋での対潜能力充実に専心していた英海軍
でしたが、実際に直面した二度の危機はいずれも冷戦構造とは無関係の
領土奪回と地域紛争への介入だったのは皮肉な話です。
広大な大洋での原潜相手の高度な対潜能力は出る幕も無し。
財政難から切り捨てられた能力が実際には必要なものだった・・・勿論
対ソ抑止力の一環としての対潜能力はそれなりに有用だったとは思います
が・・・。

私如きが今更述べるまでもなく、フォークランド紛争については艦隊空母と
コマンド空母、巡洋艦を有する10年前の艦隊が健在であれば生起しなかった
のでは?と思わずにはおれません。
無い袖は振れないのはわかりますが、遠隔の地に海外領土を有し、且つその
領土返還を主張する国が近代的軍事力を備えているとなれば最小限の備えは
必要でしょうに。貧すれば鈍す・・・全てコレに尽きますかな。

フォークランドでの勝利とそれを踏まえての海軍力削減計画見直し、冷戦
緩和から終結へ、そしてポスト冷戦時代の新しい危機。
危機勃発当時1990年時点での英国海軍主要戦力は以下の通り。

戦略ミサイル原潜:4隻:レゾリューション級。後継の次期SSBN計画
進行中。

攻撃型原潜:15隻:トラファルガー級6隻、スイフトシュア級6隻、
チャーチル級2隻、ヴァリアント級1隻。

通常型潜:7隻:アップホルダー級1隻、オベロン級6隻。

軽空母:3隻:インヴィンシブル級3隻。

ミサイル駆逐艦:13隻:42型12隻、ブリストル。

フリゲイト:35隻:23型1隻、22型14隻、21型6隻、
リアンダー級14隻。

ドック型揚陸艦:2隻:フィアレス級。

ミサイル駆逐艦とフリゲイトは合計48隻で、81年に公表された削減計画の
数値目標50隻を割り込んでしまっています。
勿論質的には、戦後第一世代が完全に姿を消し、第二世代も漸減して第三
世代が戦力の中核となり、エリアディフェンスはシーダートSAMで統一され、
フリゲイトは全艦対潜ヘリを搭載し、対艦ミサイル防御力の高いシー・ウルフ
短SAMも35隻中20隻に搭載されるなど強化充実は間断なく進められては
おりますけれど・・・。
一方攻撃型原潜の増強は、対潜能力を海上哨戒機と潜水艦(特に原潜)で
強化するという81年の方針に即したものになっていますが、大陸棚など浅
海域での対潜戦の主役となるべき新型通常潜アップホルダー級は当初12隻
整備の予定が4隻に値切られてしまっています。
結局削減計画で見直されたのは軽空母とドック型揚陸艦の削減廃棄の
撤回のみ。
主要戦闘艦総数は79隻で満載排水量ベースで41万トン弱。
トンベースでは1980年比10%弱減になります。

英国海軍はこのように80年代も長期低落傾向が続きましたが、それと対照的
なのが海自戦力の充実ぶり。
1990年時点の勢力は下記の如し。

DDH: 4隻:しらね型2隻、はるな型2隻(FRAM済み)。
DDG: 6隻:はたかぜ型2隻、たちかぜ型3隻、あまつかぜ。
DD :32隻:あさぎり型7隻、はつゆき型12隻、みねぐも型3隻、
たかつき型4
隻(2隻FRAM済み)、やまぐも型6隻。
DE :16隻:あぶくま型2隻、ゆうばり型2隻、いしかり、ちくご型11隻。
SS :14隻:はるしお型1隻、ゆうしお型10隻、うずしお型3隻。

護衛艦総数は58隻で、対潜ヘリ搭載率約40%、アスロック搭載率約95%、
SAM搭載率約53%、SSM搭載率50%。
旧式艦の更新が順調に進んで量的に漸増、質的には大幅な向上が見られます。
無論当時は兎に角対潜能力の強化、それに付随する形で(西側スタンダード
仕様に忠実に従っただけですが)対空、対艦能力の向上であって、英海軍に
未だ健在な海外への戦力投射能力などは影も形も存在しませんしそもそも思考
の埒外なわけですが。
(海外への戦力投射即ち外交や国益追求のツールとしての軍事力など論じる
事さえ憚られる空気でしたからね当時は。一応政治学部でそんな話を少しした
だけで右翼!軍国ナショナリスト!戦争狂!のレッテルを貼られ、腐敗臭漂う
ユーロコミュニズムを説きレーニンの教えに還れ!と言えばカッコイイ!進歩的!
護憲平和派!と賞賛され先生の受けも良くAを付けてもらえる、まだまだそんな
時代でした・・・それってウチの学校だけ?)

おっと閑話休題。
単純に満載排水量ベースで言えば、海自の前述72隻は26万トン弱で、10年
前比で約50%強の増。対英国海軍比は約6割。
10年前の対英国海軍比は4割でしたから、英国海軍の勢力低下以上にこの10年間
の海自の増強ぶりが相当のペースだった事がよく理解できます。
もっとも、この時期にご主人様(米国)に誉められようと全力で頑張っちゃった
お陰で、財政難が深刻化する一方の今日その更新が間々ならないというツケが
回ってきてしまっているのは諸兄よくご存じの通り。

さて次回はミレニアム2000年英国海軍の回顧です。

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2011年2月 6日 (日)

東下条駅(磐越西線)

本日の駅紹介は磐越西線・東下条駅。

Higashigejo120803

新潟県東蒲原郡阿賀町の北端に所在する無人駅で、開業は昭和28年(1953年)1月10日。
開業当時は東蒲原郡下条村の所在で、同村はその後昭和35年10月に南隣の三川村に合併編入されてその一部となり、その三川村も平成17年4月1日をもって東蒲原郡内諸町村と合併して誕生した阿賀町の一部となって今日に至ります。
当駅南隣の五十島駅も下条村の所在でしたが、そちらの開業は大正2年(1913年)6月1日と当駅開業に先んじる事40年。
銅の一大産出地であった持倉鉱山絡みの貨物需要の為に設置された五十島駅とそうした需要が一切無い当駅との差なのですが、下条村中心集落至近の当地に戦後まで駅が設置されなかったのは今日的な視点に立てば奇異に感じるところです。
ましてこの地域は五泉側へも津川側へも阿賀野川を越えて行かねばならず、道路橋完成までは渡し舟無しに外界と連絡出来ない交通不便な条件下だったのですから。
そんな東下条駅は元々は保線基地だったのを地元の請願で旅客駅化したとの事で、ウィキペディアに記述されている「熊渡仮乗降場」(昭和26年4月開設)は旅客駅化に向けての最初の一歩だったのかもしれません。

Higashigejo02
東下条駅舎の様子、2007年8月撮影。
建築財産票によると竣工は平成7年3月10日。
新潟県内駅では他に例を見ない独特のデザイン。
冬期降雪時を考えてか屋根の傾斜は急です。
なお、画像向かって右側が待合室、左側が倉庫とトイレです。
トイレはホーム側にあって非水洗。

Higashigejo03
東下条駅待合室内の様子、2007年8月撮影。
当時の無人駅定番ベンチと自動券売機が一台。
自動券売機は2004年12月の初訪問の際にはまだ無く、乗車証明発行機を設置。

Higashigejo04
ホーム側から待合室を見る、2004年12月撮影。
くだんの乗車証明発行機が見えます。

Higashigejo05
ホームの五十島駅方から見た東下条駅構内、2007年8月撮影。
ホーム長は気動車5~6両分といったところ。
往時の客車列車はホーム一杯に停車し、機関車はきっとはみ出していたでしょうな。

Higashigejo06
ホームの咲花駅方から見た東下条駅構内、2007年8月撮影。
手前の茶色い柵が鄙びたロケーションにマッチして渋く良い味出してます。
また少々解り難いのですが、画像右側の築堤のようなものが磐越道です。

Higashigejo07
ホーム端から五十島駅方を見通す、2004年12月撮影。

Higashigejo08
同じく咲花駅方の端から先を見通す、2004年12月撮影。
東下条駅は阿賀野川の谷筋にわずかに開けた平地の南端にあり、前後区間は川にせり出す山々の為に小さなトンネルが続きます。

Higashigejo09
Higashigejo01
東下条駅を行き交うキハ40系気動車、上は2004年12月、下は2007年8月撮影。

Higashigejo10 
国道49号線から見た東下条駅舎、2007年8月撮影。

Higashigejo11
東下条駅前の様子、2007年8月撮影。
駅前には派出所と食料品が一軒(飲料自販機4台設置)。
車の往来は多いのですが、日曜夕暮れとあっては歩行者の姿は極僅か。
まぁ、静かな集落の一家団欒の夕食どきにそこいらを夢中で撮り回っている酔狂な人間は根無し草の私ぐらいでしょうw。
かつての下条村中心地区は画像右手にあり、線路&国道と阿賀野川に挟まれて500mに満たない縦深の小ささで、昔は水害の脅威が深刻だったのだろうと思わせる地勢です。
画像にバス停が映っていますが、これは三川駅-石間(当駅前から国道を咲花方に1.5km進んだ辺りで道の駅があるところ)間バス路線のものです。
2002年9月に廃止された後、2005年4月に復活しましたが、この当時バス停には時刻表が無く再度廃止された後だったのかもしれません。
ちなみに2010年5月に三川駅を訪れて駅前バス停を見たところ、三川駅前0710発石間行き無料送迎(福祉)バスが運行されていました。

豆知識として・・・東下条駅から鉄道営業キロで五十島駅へは3.9km、
咲花駅へは3.1kmと両駅どちらにも比較的短距離の為、私と同じような趣味の方は歩いて行こうと単純に考えがちでしょう。
日中の列車は概ね2~3時間おきですし、並行する路線バスは事実上ありませんから。
しかし実際に国道を歩いていく場合、五十島駅へは5km強、咲花駅へは6km程あるので要注意です。
国道49号線と磐越西線が並走するのは当駅前後と三川駅-津川駅間のみで、他は阿賀野川の両岸に分かれて通っており、必然的に道路と線路(駅)は橋を渡らねばならない為です。

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2011年2月 2日 (水)

1980年の英国海軍

前回エントリー「1970年の英国海軍」の続きで、今回は1980
年時点の英国海軍勢力を振り返ってみます。

まず1971~80年の英国海軍関係主要トピックスは下記の如し。

1971年
最後の中型空母「ハーミーズ」のコマンド空母化改装開始。
シンガポールを根拠地とした英国海軍唯一の海外派遣艦隊である極東
艦隊解散。

1972年
空母「イーグル」、コマンド空母「アルビオン」、対空巡洋艦「ライオン」退役。
対空巡洋艦「タイガー」、対潜ヘリ巡洋艦への改装を終え再就役。
イーグル退役に伴い、遷音速全天候艦戦シーヴィクセン退役。

1973年
空母「ハーミーズ」、コマンド空母への改装を終え再就役。
新型SAM・シーダートを装備した大型ミサイル駆逐艦「ブリストル」就役。
英国海軍第二世代の攻撃型原潜「スイフトシュア」級一番艦「スイフトシュア」
就役。

1974年
英国海軍初のオールガスタービン推進フリゲイト21型一番艦「アマゾン」就役。
最後の戦時計画型潜水艦「アンドリュー」(A級)退役。

1975年
シーダートSAMを装備する42型ミサイル駆逐艦一番艦「シェフィールド」
就役。

1976年
コマンド空母「ブルワーク」退役。

1978
英国海軍唯一の艦隊空母「アークロイヤル」、地中海ラストクルーズを終える
(11月)。
英国海軍最後のファントム飛行隊No.892sqnとバッカニア飛行隊No.
892sqn閉隊(12月)。
対潜ヘリ巡洋艦「タイガー」退役。
V/STOL戦闘攻撃機シーハリアー量産型1号機初飛行。

1979年
「アークロイヤル」退役(2月)。
22型フリゲイト一番艦「ブロードソード」就役。
コマンド空母「ブルワーク」再就役。
英国海軍最後の対潜ヘリ巡洋艦「ブレイク」退役。

1980年
軽空母「インヴィンシブル」就役。
初のシーハリアー実戦飛行隊No.800sqn編成される。


2隻の艦隊空母イーグルとアークロイヤルの退役、スエズ以東からの軍事力
撤退実行によって大英帝国時代の最後の残光も消え、ソビエト原潜を仮想敵
として対潜戦にその役割を完全にシフトした時代の英国海軍。
この10年間の変遷はまさにドラスティックの一言。
オールドネイビーの殻を脱ぎ捨て脱皮したニューネイビーはシーハリアーや
シーダートSAM、シーウルフ短SAM、スキージャンプ甲板を備えた軽空母や
強力な対潜フリゲイトや新型攻撃原潜と、より軽快なフットワークが身上でしょうか。
この辺りの割り切り方は我々日本人にはなかなか真似の出来ない英国人気質
の真骨頂であります、両国民共に基本は保守的で伝統墨守だと思うのですがね。

そんな英国海軍1980年時点での主要戦力は下記の通り。

戦略ミサイル原潜4隻:レゾソリューション級。

攻撃型原潜:12隻:スイフトシュア級6隻、チャーチル級3隻、
ヴァリアント級2隻、ドレッドノート。

ディーゼル潜:17隻:オベロン級13隻、ポーパス級4隻。

軽空母:2隻:インヴィンシブル、ハーミーズ。

コマンド空母:1隻:ブルワーク。

ウィキペディア英語版によると、1976年に退役し予備艦になっていたブル
ワークはペルーとの売却商談が進められたものの結局破談。
その後インヴィンシブルの就役遅延に伴いピンチヒッターとして1979年
初頭に再就役。インヴィンシブルが戦力化した1981年春に再び退役し予備
艦になったそうです。
南米といえばABC三大国と言われるブラジルとアルゼンチンは当時各1隻
ずつ英国製マジェスティック級軽空母を保有し、アルゼンチンとチリは米国製
ブルックリン級大型軽巡を保有。
それら三国に次ぐ南米第四の国・ペルーも、オランダ海軍から購入した一万
トン級巡洋艦アルミランテ・グラウとアギレを保有しておりましたが、更なる国威
発揚に役立つ大型軍艦が欲しかったのでしょうか?
しかし、ブルワークの売却商談が行なわれていたと思われる1976~78年当時の
ペルーは軍政下そして経済不振で、中古とはいえあのような大型軍艦を購入
する余裕は無かったと推察されますが・・・やはり国威発揚の先走りなんですかねぇ。
ただ純粋に想像してみれば、売却されペルー軍艦となったブルワークがどの
ような使われ方をされたのか実に興味深いのです。
素直にヘリコプタ強襲艦として周辺諸国への戦力投射の睨みを効かせたのか、
はたまたカタパルトとアレスティングギアの再装備を行い、米国から中古の
A-4を購入して空母として運用するつもりだったのか?
元々ブラジルやアルゼンチンの空母に比べてより艦隊空母に近い性能・大きさ
の艦ですから、実際に空母として運用を始めたら特に同じ太平洋岸のアルゼン
チンは焦ったかもしれませんね。

ミサイル駆逐艦:13隻:42型(バッチ1)7隻、ブリストル、カウンティ級5隻。

英国海軍初の本格的艦隊防空ミサイル艦として鳴り物入りでデビューしたカウ
ンティ級も、主兵装シースラグSAMの性能不足と乗組員の多さやCOSAGの
維持コストの高さなどから費用対効果に乏しく、国防予算削減に伴ってバッチ1
に属する艦が早くも3隻退役を余儀なくされています。

フリゲイト:49隻:22型(バッチ1)2隻、アマゾン級8隻、
リアンダー級26隻、ロスシー級8隻、トライバル級3隻、
ホイットビィ級2隻。

1950年代にはいくつかのタイプが同時に建造され任務の相互補完に当たっ
た英国海軍フリゲイト群も、リアンダー級において一応の収斂が成されて以後は
この路線で整備が進められております。
アマゾン級は抗堪性の低さや発達余裕の無さからリアンダー級ほどの評価は
得られませんでしたが、当時最新の22型はアマゾン級で不評だった点を克服
した高性能の対潜フリゲイトに仕上がっていました。

ドック型揚陸艦:2隻:フィアレス級。

この他に予備艦として対潜ヘリ巡洋艦タイガーとブレイクを維持。

この時点での英国海軍主要戦闘艦艇(空母、潜水艦、水上戦闘艦、ドック型
揚陸艦)は合計100隻で満載排水量は約45万トン。10年前と比較して16
~19隻、約7万トン減で、以外と削減幅が小さいのです。
艦隊空母や巡洋艦は姿を消してしまったものの、潜水艦は大して数を減ら
しておらずまた原潜増により排水量ベースではむしろ増加、駆逐艦/フリゲ
イトに関しては数こそ10隻以上減らしているものの新造艦は退役艦に比べ
て排水量がかなり大きく、こちらも排水量ベースでは大きな減少になっていな
いのが大きな要因でしょう。

さてこの時期の我が海自の勢力は下記の如し。

DDH:3隻:しらね型1隻、はるな型2隻。
DDG:3隻:たちかぜ型2隻、あまつかぜ。
アスロック搭載DD/DE:24隻:やまぐも型6隻、みねぐも型3隻、
たかつき型4隻、DEちくご型11隻。
アスロック非搭載DD/DE:16隻:あきづき型2隻、むらさめ型3隻、
あやなみ型7隻、DEいすず型4隻。
SS:13隻:涙滴型8隻(ゆうしお型1隻、うずしお型7隻)、在来船型
5隻(あさしお型4隻、おおしお)。

護衛艦はアスロック搭載率が6割を越え、大型対潜ヘリHSS-2ヘリを3機
搭載するDDHと涙滴型潜水艦は10年前には全く無かった新装備。
DDGはSAMシステムをターターDシステムにアップグレードして経空脅威
に対する対処能力が大幅に向上。
対空、対潜に限れば10年前と比べれて大きな進歩です。
英国海軍との比較でも、主要戦闘艦艇に限定すれば隻数で100対59、満載
トン数で約45万トン対約17万トン。
英国海軍は10年前には海自の概ね4倍以上の勢力でしたが、この時点では
2.5倍程度でその差は確実に縮まっているのが実感出来ます。
勿論これは単なる隻数と排水量ベースの話であって、攻撃型原潜とシーハリ
アー搭載軽空母及びコマンド空母/ドック型揚陸艦による戦力投射能力、
艦隊の長期の洋上展開を支える補給艦など後方支援艦艇はなお隔絶した
差があって、トータルでの彼我の戦闘実力に大差があるのは皆様ご存じの
通りです。

そして80年代に入ってすぐに打ち出された更なる海軍力削減方針、その只中
で生起したフォークランド紛争を経て冷戦終結を見た1990年は次回にて。

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