« 2010年11月 | トップページ | 2011年1月 »

2010年12月の記事

2010年12月26日 (日)

安田駅(信越本線)

本日の駅紹介は信越本線・安田駅。

Yasuda1100805

新潟県柏崎市に所在する有人駅で、開業は明治32年(1899年)12月10日。
開業当時は刈羽郡安田村の所在で、同村はその約二年後に周辺諸村と合併して田尻村となり、戦後の昭和30年に柏崎市に編入され今日に至ります。 前回エントリーで触れたように、北条駅との熾烈な停車場誘致に敗れた安田村でしたが、停車場誘致の売り口上であった県道の結節点という地理的条件を当局が無視出来なかったのか、北条駅開業の2年後にこちらも目出度く停車場開業の運びとなりました。 JR東日本によれば2015年度の安田駅一日平均乗車人員は296人で、同社新潟県内有人67駅中57位です。
「柏崎市統計年鑑」によれば当駅の平成14年度一日平均乗車人員は約339人で、13年間で約13%減ですが、近年は微増レベルです。
当駅は駅至近に私立高校が一校、西南約2km強に私立大・短大があり、特に前者の学生の多くは当駅を利用していると思われ、通学生の集中がある為に大きな減少は無いのでしょうし、それゆえの有人維持なのでしょう。
何度か訪問しまた普通列車で通過した際の観察においては(全て土日)、一般客の乗降は北条駅と比べてもそう多いとは思えず、地元の方の日常的な交通手段としての利用頻度は大同小異とも感じられるところなのですけれと。 複線電化路線の有人駅ではありますが、さして利用客が多いわけでも無く付近に観光地があるわけでも無く、周辺人口が少なくてローカル色満点というわけでも無く、上越線の石打駅のように現在は地味でも過去に華やかな時期があったわけでも無い。
同じ信越本線の潟町駅塚山駅と並んで、新潟県内有人駅屈指の地味さを誇る?のがこの安田駅なのであります。

Yasuda16
Yasuda27
安田駅駅舎の様子、2008年4月撮影。
建築財産票によると昭和33年12月完成。
これといって特筆すべき点の無い平屋のごくシンプルな造りです。
駅前広場は有人駅前としては比較的手狭です。
駅前すぐに国道252号線が通っているので、縦深を取れず仕方が無いのですけれど。
また駅舎は国道から見て周辺の民家に埋没している感もあり、当駅の地味さを象徴しているよう。

Yasuda20
Yasuda17
Yasuda18
Yasuda19
安田駅駅舎内部の比較、上が2008年4月、その下の三枚が2010年5月の画像。
以前は待合スペースが仕切られておらず吹き抜けでしたが、現在はご覧の通り。
既に相応の経年の駅舎ですが、このような改修を行なうという事は当分の間この駅舎の改築は無しという事なのでしょう。
待合室の天井に空調設備らしきものが付いておりますので、利用客にとっては大いなる福音なのは間違いありません。
しかし待合室を仕切った為に通路はひどく手狭になりました・・・。
なお2010年5月現在の窓口営業時間は07:00~17:20です。
トイレは改札内にあるのでご利用の際は要注意です。

Yasuda1110613
下りホーム(長岡方面)の茨目駅方から見た安田駅構内、2013年8月撮影。
当駅も古い時代の駅の常として、ホーム配置は千鳥型です。

Yasuda10
同じく北条駅方から見た安田駅構内、2005年8月撮影。
古びた跨線橋は駅舎の素っ気無さとは対象的に、実に味わい深し。
TOMIXのNゲージの跨線橋のような緑の色合いがまた親近感を持たせるところです。

Yasuda11
安田駅駅舎下りホーム側の様子、2005年8月撮影。

Yasuda12
Yasuda13
下りホームの北条駅方にある旧貨物引込線跡、2005年8月撮影。
この時点で本線とは完全に切り離されておりました。
なお安田駅の貨物取扱いは昭和46年12月に廃止。

Yasuda08
跨線橋内部の様子、2010年5月撮影。
優等列車の定期停車実績はおそらく無いと思われる安田駅ですが、跨線橋の造りは急行停車駅のそれにひけを取らない立派なものです。

Yasuda14
跨線橋上から柏崎方を見る、2006年10月撮影。

Yasuda07
日曜夜の跨線橋周り、深閑としています・・・、2010年5月撮影。

Yasuda02
上りホームの北条駅方から見た安田駅構内、2005年8月撮影。
安田駅は現在1、3番線のみ機能していて、かつての待避線であった2番線は物理的に本線と繋がってはいるものの、構内信号は既にありませんでした。
古い時刻表を調べてみたところ、上越新幹線大宮暫定開業以前の昭和55年10月改正ダイヤでは当駅での普通列車の優等退避は無し。
(昼行特急7往復、昼行急行5往復の時代で、柏崎-宮内間中間駅における普通列車の優等退避は来迎寺駅に集約)
昭和60年3月改正ダイヤでは普通列車の優等退避集約は来迎寺駅から当駅に移って、下り普通列車二本が当駅で特急を退避しています。
(昼行特急9往復、昼行急行3往復の時代)
ウィキペディアによると、ほくほく線開業前までは退避機能は健在だったとの事です。
現在の信越本線・柏崎-宮内間の昼行優等列車は特急5往復で、普通列車は優等列車の後に続行的なダイヤを組んでいる場合が多い為、中間駅の待避線が不要になっているのです。
現在では柏崎-宮内間の中間駅に退避線を持つ駅は皆無です。(国鉄末期は当駅の他に越後広田、塚山、来迎寺の各駅に待避線有り)
平時はそれでも良いのですが、一度風雪でダイヤが乱れると待避線が無い為に調整が出来ずに長時間の抑止や運休という残念な結果に・・・。

Yasuda03
同じく茨目駅方から見た安田駅構内、2005年8月撮影。
駅舎ホーム側の上屋の様子がよくわかります。
特に積雪時には一点に荷重が集中しそうな構造に思えますが・・・?

Yasuda04
旧島式ホーム端から北条駅方を見る、2005年8月撮影。

Yasuda05
同じく茨目駅方を見る、2005年8月撮影。

Yasuda06
安田駅旧島式ホーム上の待合室内部、2010年5月撮影。

Yasuda1010613
安田駅に到着した下り長岡行115系電車、2013年6月撮影。

Yasuda1020514
安田駅を出発する上り直江津行115系電車、2014年5月撮影。

Yasuda01
日曜の夜、人影の無い安田駅に停車中の115系電車直江津行、2010年5月撮影。
Yasuda1030514
黄昏時の安田駅を通過する下り新潟行485系電車T編成の快速「くびき野」、2014年5月撮影。

Yasuda1040514
安田駅3番線に進入する上り新井行国鉄特急色485系電車快速「くびき野」、2014年5月撮影。

Yasuda1050514
初夏の夕闇迫る中、安田駅一番線を通過する下り札幌行寝台特急「トワイライトエクスプレス」、2014年5月撮影。

Yasuda1060514
三番線を通過する上りEF510形電気機関車牽引の貨物列車、2014年5月撮影。


Yasuda15
柏崎方の踏切から見た安田駅構内、2008年4月撮影。

Yasuda21
安田駅前の様子、2008年4月撮影。
前述したようにこの道路は国道252号線で、長岡方面に少し進むと旧高柳町方面へ通じる本道から旧小国町方面へ通じる国道291号線が分岐します。
安田駅前のこの辺りは高柳、小国-柏崎市街地を行き来する車が集中して通る為に、横断歩道の無いところでは横断困難な事しばしばです。
なおこの時点では柏崎寄りにスーパーが一軒、駅の真正面にラーメン店が一軒が目に付く商店/飲食店です。

Yasuda22
安田駅裏の様子、2008年4月撮影。
駅裏はご覧の通り、一面の田圃の海!
何かとガヤガヤガチャガチャした雰囲気の国道沿いとは全く異なる長閑な風景が広がります。

Yasuda26
Yasuda23
観光に縁の無い安田駅にとって、唯一の見所らしきものが「安田城跡」、2008年4月撮影。
新潟産業大学方面へ向かう県道の道すがらに城跡公園への入口があり、安田駅からその距離1kmといったところ。
車で来た場合はうっかり見過ごしてしまいそうな立地です・・・

Yasuda24
入口から進む事数分であっという間に公園に到着、2008年4月撮影。
ただ距離は短くても道中は急坂でしかも道はコンクリで着地の衝撃が地面に吸収されずにモロに足にきます・・・。。
運動不足な人にとっては決して侮れませんな。

Yasuda25
安田城本丸跡の様子、2008年4月撮影。
人の手はあまり入っていなさそうな印象です。
撤去された遊具の残骸があったりしてうーむ・・・。
地元で聞いたところによると、行政はこの公園に関わっていないんじゃないか?というお話も。
柏崎市も平成の大合併で市域が広がって、こういうところまでなかなか目が向かないんですかねぇ・・・。

| | コメント (0)

2010年12月24日 (金)

冥王星の海は完全自家発電!?

備忘録的に久々の宇宙についての話題を。

太陽系でも指折りの極寒の星である冥王星、その表面を覆う氷の下に海が存在
する可能性があるという最新の研究が発表されました。。

冥王星については、四年以上前のエントリーの最後で触れましたが・・・。
冥王星が準惑星に格下げされるかも!という寂しい話題でオチをつけ、事実
その直後に「水金地火木土天海冥~みんな仲間だぁ~」なゴッドシグマの
エンディングテーマを誇らしげに歌う事が出来なくなってしまいましたなぁ
・・・。
冥王星が準惑星になって以降は、宇宙戦艦ヤマトを見ても、冥王星にガミラス
太陽系方面軍の根拠地が置かれているとか、地球連邦宇宙軍第一外周艦隊
が根拠地にしているとか、そういうファンタジーもそのまま受取れなくなって
しまっていました・・・。
所詮人間の決めた事で冥王星に勿論変化など無いのはわかっていても、
やっぱりねぇ・・・。

しかし!今回の研究発表はヤマト的宇宙浪漫に想いをめぐらすモノにとっても
大変エキサイティングな内容なのであります。
冥王星の厚さ200km!の氷の層の下に深さ100~170kmに及ぶ海!
が存在する可能性と、海を維持する熱源はその深奥部に存在する岩石に
含まれる放射能核種カリウム40の崩壊によって生じている!

地球の大気圏が80~120kmとされており、また冥王星の赤道面での
直径が2,3~2,400kmほどで地球のそれの約18%に過ぎない事を
考え合わせると、冥王星の厚さ200kmの氷の層のスケールの大きさの
理解の一助になるでしょう。
また地球の海の最深部が11km弱に過ぎない事を考えると、冥王星のそれ
の途轍もない深さも理解できます。

太陽系において地球以外で「海」の存在が議論推測されている天体には
これまで木星の衛星エウロパやカリスト、土星の衛星エンケラドゥスが
ありますけれど、それらの衛星の地表の氷の下にもし「海」が広がっている
とすれば、その熱源供給源は木星や土星の強大な潮汐力が有力な仮説
とされています。
しかし太陽系の辺境にある冥王星には、周囲に強大な潮汐力を生じさせる
天体も無く、「海」が存在するとすればそれは完全なる「自家発電」であろう
という点で、その歪な公転軌道同様大変ユニークなものです。
また冥王星最深部の岩石にカリウム40が存在するとすれば、他の太陽系
外縁天体に同様の天体があるかもしれません。
これまで単なる大小の無数の氷の塊と捉えられがちなそれら諸天体も、
深宇宙探査の対象とされる日がもしかしてやって来るのかも!
もしそれらの「海」にまで「生命」の有無が真剣に議論されるようになる
ならば、これほど知的好奇心を掻き立てられる事もございますまい。

2015年7月に冥王星に再接近する予定の探査機「ニューホライズンズ」
によって、今回の仮説についてもある程度の答えが出る事を大いに期待
する次第です。
こんな世知辛い世の中だからこそ、人間のくだらない争いなどとは全く隔絶
した大宇宙の星々の神秘に想いを馳せたいクリスマスイブなのでありました。

蛇足的にヤマト的宇宙浪漫を一唸りさせていただくと・・・
放射能(ガミラシウム)が代謝に不可欠とされるガミラス人にとって、冥王星
のカリウム40の存在は好都合なのかもしれません。
また遊星爆弾の発射基地として、その歪な軌道は地球への爆弾投射にかえって
好都合だったとも言われておりますから、カリウム40の存在と併せて海王星
の衛星トリトンよりはガミラス軍の根拠地として適していたのでしょう。
またガミラス太陽系方面司令長官シュルツ閣下は、基地の最強兵器・反射衛星
砲について、「波動砲より威力は勝るが射程距離は短い」とおっしゃっておいで
でした。
これまではシュルツ司令もまさか偉大なるデスラー総統閣下のご配慮によって
下賜されたと思われる衛星砲が、最辺境の反乱蛮族ごときの作り上げた波動砲
なるピストルに完全に劣るとは口が裂けても言えないので、あのような事を内心
苦渋に満ちながら半ば虚勢でおっしゃられたのだろうと心中お察し申しあげて
おったところでしたが、冥王星の「海」の事を考えるとそれもあながち悲痛な
大言壮語と片付けられないなぁと、今回の研究発表を知って感じた次第。
反射衛星砲の発射施設が海中極浅深度にあるならば、発射されたエネルギー
は厚さ200kmの氷層をぶち割らなければならず、それに要するパワーは凄ま
じいものでしょう。
もしギガトン級融合爆弾を高指向性一転集中にして炸裂させても、貫通出来る
氷層は表面を少しかじったぐらいなのではないでしょうか?
まして衛星砲のエネルギーは海中で著しく減耗してしまうのです。

厚さ200kmの氷層をぶち割りエネルギーが海中で減耗してしまった上で、
ヤマトにあれだけのダメージを与えるのですから、発射時のエネルギーは
波動砲を遥かに凌ぐのではないでしょーか?
「冥王星の月」に反射衛星砲を設置しておけば、ヤマトの運命は硫酸の
壺に落ちたゴキブリ以下だったでしょうに、シュルツ司令もつくづく惜しい
事をしたものです。

| | コメント (0)

2010年12月23日 (木)

北条駅(信越本線)

本日の駅紹介は信越本線・北条駅。

2016年7月24日記、画像張替えを実施しました。

Kitajo0010805

新潟県柏崎市に所在する無人駅で、明治30年(1897年)11月20日に当時の北越鉄道の駅として開業しました。
当時の所在は刈羽郡北条村で、村はその後昭和32年に町制を施行した後、昭和46年に柏崎市に編入され今日に至ります。

「北条町史」によると、当駅は隣の安田村と激烈な停車場誘致合戦が繰り広げられたとの事で、事の顛末は下記の如し。
明治29年にまず安田村が北越鉄道に停車場設置の請願が出されます。
停車場設置誘致場所は柏崎小千谷間県道と柏崎岡野町(旧高柳町の中心地区)間県道の交差する地点で、安田村は交通の結節点であるこの地こそ停車場設置に適しており、県道から遠い北条村に停車場を設置するのはこの地方の利益を害し鉄道会社にも損失を招くと力説しました。
一方これを聞いて黙っていられないのが北条村。
安田村の提示した地はただ単に県道が交差するだけの何もないところで、かつての城下町で江戸時代には宿駅も置かれていた北条が地方の中心として停車場設置に相応しいと主張。
また安田村内に停車場を設置すると柏崎に近過ぎて次の停車場である塚山には遠すぎると、鉄道の実際の運転・営業の観点からも安田の主張に理が無い事をアピール。
更に停車場設置想定地点の用地も買収して「停車場の設置準備完了」の意見書を当局に送りました。
これら反論と恐らくは安田に先駆けて停車場用地を確保したのが功を奏して、停車場設置誘致合戦の軍配は北条に上がったのです。

このような経緯を経て誕生した北条駅ですが、柏崎市に編入される以前の北条町時代には、町の中心駅は当駅より20年以上後発の越後広田駅と見なされて、北条城下という戦国時代の威光も街道の宿駅という知名度もすっかり無くなってしまいました。
実際、越後広田駅との比較では、貨物取扱い廃止が昭和37年2月(北条)に対し昭和46年12月(越後広田)、無人化は前者が昭和60年3月(昭和46年2月に委託化)に対し後者は昭和61年11月。
国鉄も明らかに当駅よりも越後広田駅を重視しております、前述の「北条町史」によると、当駅と越後広田駅の乗降客数は北条駅がやや多いぐらいなのですが・・・。
また現在の「柏崎統計年鑑」の柏崎市内JR駅乗車人員表に載っているのは柏崎駅の他に東柏崎西山米山安田、そして越後広田の各駅。
いずれも柏崎市へ編入合併する以前の旧町村時代の玄関駅です。
柏崎市も旧北条町域の中心は越後広田周辺地区だと認識しているのでしょう。
現在の様子を見る限り、駅前に国道291号線が通る当駅の方が越後広田界隈より賑やかな印象を受けるのですが、実際に地域で暮らしてみればその差ははっきり有るのかもしれません。

Kitajo15
Kitajo10
北条駅駅舎の様子、2005年8月撮影。
建築財産票によると平成3年12月30日の竣工。
越後広田駅駅舎と同様のクラシカルな和風のデザインが城下という土地柄によくマッチしていてなかなか良しです。
ウィキペディアによると当駅が最終的に無人化されたのは2004年8月との事で、JR東日本によると当駅が通年に渡って有人駅であった最後の年度、2003年度の一日平均乗車人員は133人で、当時の同社新潟支社県内有人86駅中79位。
当駅の現在の乗車人員については前述の「柏崎統計年鑑」には載っておらず、正確なところは不明ですけれど、「北条町史」と「柏崎統計年鑑」に記載の越後広田駅の一日当たり乗車人員を比較すると、昭和43年に約430人だったものが平成18年度には約66人で、85%減。
昭和43年時点で当駅と越後広田駅とでは当駅がやや多い程度であり、また周辺に高校開校等の乗客増要因もありませんから、現在も越後広田駅とほぼ同レベルだと推測するところであります。

Kitajo13
Kitajo14
北条駅駅舎内の様子、2006年11月撮影。
室内には待合室内に券売機一台と無人駅定番ベンチ三脚とゴミ箱2つ。
2014年5月訪問時点でも、ベンチがJR定番型に置き換わっていた以外変わっていません。
トイレはホーム側にあって水洗・トイレットペーパー有り!という、改築時有人駅だった証を今に伝えておりました。

Kitajo08
駅舎に面した長岡方面乗り場の越後広田駅方から見た北条駅構内、2005年8月撮影。
当時、直江津方面乗り場には待合室がありました。

Kitajo0070613
同じ場所から見た2013年6月時点の駅構内。
直江津方面乗り場の待合室は撤去されて、代わりに跨線橋出入り口に上屋とベンチが設置されています。
またホームの定期列車停車範囲には黄線が引かれています。

Kitajo0050613
同じく越後広田駅方を見る、2013年6月撮影。

Kitajo0020613
長岡方面乗り場から見た構内中央部の様子、2013年6月撮影。
隣の乗り場の跨線橋出入り口が大きく手を入れられた場所です。

Kitajo0030613
長岡方面乗り場の安田駅方から見た北条駅構内、2013年6月撮影。

Kitajo0040613
同じくホーム端から安田駅方を見る、2013年6月撮影。

Kitajo0060613
北条駅跨線橋内部の様子、2013年6月撮影。
側面の造作など味も素っ気もないのですが、そこがローカル駅らしさを醸し出していて良いのです。

Kitajo06
跨線橋上から越後広田駅方面を見る、2006年11月撮影。
画像右側の直江津方面乗り場に待合室があった頃の様子です。
窓の高所に苦戦して傾いた画しか撮れず実に遺憾。
この当時は肉体改造を始める前で、身体が固かったのですよ。

Kitajo0080613
跨線橋上からホーム上の待合室撤去の構内越後広田駅方を見る、2013年6月撮影。
今回は肉体改造の成果で柔軟な身体と頑健な下半身を手に入れたのに加えて、少々気合を入れて脚立無しでもまずまずの画が撮れました。

Kitajo0090613
同じく構内安田駅方を見る、2013年6月撮影。

Kitajo0100613
直江津方面乗り場跨線橋出入り口前の上屋とベンチ、2013年6月撮影。

Kitajo020805
待合室があった頃の直江津方面乗り場の越後広田駅方から見た北条駅構内、2005年8月撮影。
待合室は元々島式であった幅広のホームに置かれていて、三番線が廃止されて対面式になった構内のこの位置からでは、待合室が少々邪魔に思えたものです。
最初から対面式のホームならば待合室はもっと左側に寄せて置かれて、ホーム上の見通しはずっと良いはずなのですから。

Kitajo04
昔の駅名標と名所案内板と待合室、2005年5月撮影。
現在ではどれも過去帳入りです。
当時は待合室の建築財産票チェックまではやっていなかったので、建物の完成年月が謎のまま終わってしまったのが今となっては痛恨事なのであります。

Kitajo0110613
待合室撤去後の2013年6月時点の駅構内、2013年6月撮影。
現在の構内の方が、すっきりした見通しで個人的には良いのです。

Kitajo0120613
直江津方面乗り場の安田駅方から見た北条駅構内、2013年6月撮影。

Kitajo0130613
完全に雑草に覆いつくされた三番線跡、2013年6月撮影。
ホームには白線さえ残っていないので、相当昔に撤去されたのでしょう。

Kitajo0140613
越後広田駅方の踏切から見た北条駅構内、2013年6月撮影。

Kitajo01
去り行く115系電車と古い駅名標と待合室、2005年8月撮影。

Kitajo0160514
北条駅を出発した115系電車直江津行、2014年6月撮影。

Kitajo0170514
北条駅に停車中の115系電車長野色の直江津行、2014年6月撮影。
E127系電車のえちごトキめき鉄道への転出とE129系の投入が本格化するまでの中継ぎ役として、直江津以東でその姿が見られるようになった長野色の電車ももう過去帳入りです。

Kitajo0180613
北条駅を出発し加速して遠ざかる115系電車長岡行、2013年6月撮影。

Kitajo12
ホーム上の待合室があった頃の北条駅を通過する、485系電車R編成の特急「北越」金沢行、2005年8月撮影。

Kitajo0190514
皐月の夕暮れ、北条駅を通過する485系電車T編成の特急「北越」金沢行、2014年5月撮影。

Kitajo0200514
北条駅を通過する485系電車国鉄色の快速「くびき野」新潟行、2014年5月撮影。

Kitajo0210514
機関の音も高らかに北条駅を通過する気動車快速「越乃Shu*Kura」、2014年5月撮影。
酒に強いあまりになかなか酔えずに面白くないので呑まない私にとっては無縁の列車ですな。

Kitajo11
北条駅を通過するEF64形電気機関車重連牽引の下り貨物列車、2005年8月撮影。
この機関車もこの界隈では過去帳入りです。

Kitajo16
北条駅前の様子、2006年11月撮影。
駅前広場はご覧のように広く、車十台分程の駐車スペースがあります。
画像左の先には上屋付きの大きな駐輪場も有り。
越後広田駅のそれらと比較すれば、当駅の方が通学生の利用も多いのではと感じるところですが・・・。

Kitajo17
北条駅前を信越線に並行する国道291号線、2006年11月撮影。
隣の安田駅前の辺りは交通量大で、信号機の無いところで横断するのになかなか難渋するのですが、この辺りまで来ると大分落ち着きます。
なお駅周辺には、駅前すぐにタバコ店がある以外、見通せる限りで目ぼしい商店はありませんでした。
2013年5月時点でも同様の状況です。
この道路には鉄道補完として北越後観光バス運行の路線バス柏崎駅前-杉平線が走っていて、茨目、安田、越後広田、バス停からは少々距離がありますが長鳥の各駅に行けます。
しかし平日上下9本、土休日7本と過疎ダイヤなので利用をお考えの際はダイヤをよく確認願います。

Kitajo18
北条城跡登り口、2006年11月撮影。
この界隈にはお寺が多く、信仰心に乏しい私も何となく背筋を伸ばしますです。
北条駅界隈の見所がここから登っていく北条城跡(柏崎市指定文化財記念物・史跡)。
築城時期は不明のようですが、有名な中国地方の雄・毛利氏と遠戚の越後毛利氏の居城だったそうです。
次の列車までの約一時間のインターバルを利用してパッと行ってみました。
駅近くという触れ込みだったのでそのつもりで行ってみたのですが・・・。

Kitajo19
ここからいよいよ登り始めるわけですが、折り悪く小雨が降ってきました・・・。

Kitajo20
登山道はこんな感じ。
道中は意外に険しく、枝や枯れ草、その下の小雨でぬかるんだ土に足を取られてなかなか侮れません。
運動不足の人がハイキングコースだからと舐めてかかると息切れするのは確実。

Kitajo21
頂上の北条城本丸跡。
デジカメの画像データによると、北条駅前を撮ってからここまで約20分。
道がぬかるんでいなければもっと早くこれるでしょう。
なお北条城跡は戦国時代の城跡なので、遺構はある程度の専門知識が無いと見極められなさそうな・・・。
私はその辺が疎いのでうーむ難しい・・・。

Kitajo22
北条城跡頂上からの眺望。
晴れた日ならもっと視界も開けて良い眺めなのでしょうけれど、晩秋の冷たい小雨の中ではこんな感じ・・・。

Kitajo0220613
2014年5月に北条駅に四回目の再訪をした際、北条城址にも再び登ってきました。
今回は駅から17分で到着。
前回は結構キツかったのですけれど、肉体改造後の今回は息が弾むこともなく楽勝でしたな。
人間、やはり日々の地道な鍛錬は必要なのですよ。

| | コメント (0)

2010年12月18日 (土)

長鳥駅(信越本線)

本日の駅紹介は信越本線・長鳥駅。

2016年7月24日記、画像張替えを実施しました。

Nagatori1011004

新潟県柏崎市の東端に所在する無人駅で、新潟県内の幹線系線区では屈指の秘境度と思われる山間の小駅です。
県内JR幹線系線区で当駅を上回る秘境駅は上越線・土樽駅ぐらいでしょう。
新潟福島県境の磐越西線・豊実駅も当駅周辺ほどには鄙びていませんしね。
当駅の正式な開業日は昭和28年(1953年)12月15日。
開業当時の所在は刈羽郡北条村の所在。
北条村はその後昭和32年に町制を施行し、昭和46年に柏崎市に編入され今日に至ります。

当駅の前身である「長鳥信号場」が開設されたのは戦時下の昭和19年9月1日。
決戦が叫ばれた切迫した時局における信越本線輸送力増強の為で、単なる列車交換場と
しての機能のみでした。
そんな「長鳥信号場」が「長鳥駅」へと格上げされた経緯については、県立図書館で閲覧する機会を得た「親たちの長鳥駅」(伊部武彦著、この方は長鳥駅昇格の請願委員会委員長の御子息です)という本に詳細が述べられておりますので、大約してご紹介致したく存じます。

「親たちの長鳥駅」によると、信号場の駅昇格への最初の動きがあったのは昭和21年春で、新潟鉄道管理局に駅昇格の為の現地総合調査請願が行なわれました。
実はそれ以前に信号場の仮乗降場化請願が認められて、昭和20年11月に一日上下各二本の旅客列車停車が始まっています。

さてこの「総合調査」とは、該当駅を建設工費全額を請願者(つまり駅周辺地区住民)が負担する前提で、駅の立地が営業・技術的に適地かどうかを当局に判断してもらいたいというものです。
これなくして長鳥信号場の駅昇格は有得ません。
しかし当局はなかなか調査に応じようとしませんでした。
その理由は駅予定地の勾配が10/1000と急でまた線形的に長編成の列車はカーブにかかってしまい、当時の蒸機の性能上あまり宜しく無い事と、駅周辺人口が少ない事、そして駅用地造成には山を削り谷を埋めるような大工事が必要で、その工費を地元が負担できるか疑問であるという三点だったそうです。
また地元住民は必ずしも一枚岩では無く、地元負担の問題や当地が農業地域で特に通勤者の絶対数が少なくて鉄道利用層に限りがある事もマイナスに働きました。

しかしそれでも請願委員会が粘り強く働きかけた努力が実って調査が実施され、昭和26年7月に長鳥信号場の駅昇格が新潟鉄道管理局長から請願委員長に通知されました。
しかし駅建設工費は実に680万円強、今日換算で一億6千万円以上の巨費で、到底地元が負担出来る金額ではありません。
しかしこの金額は、当時の国鉄駅標準のインフラ整備を基準としたもので、駅機能の縮小によって減額が可能でした。
そこで地元出身の新潟鉄道管理局員が知恵を絞って設計変更案を委員会に提案します。
それは

相対式ホーム2本を島式ホーム1本として、ホームも全鉄筋ではなく半分を木造としてホーム上の待合室は無し。(当時の幹線系線区新駅は相対式ホームが標準仕様でした)
既設信号場の建物を活用して事務室等に充て、更に物置なども無しとする。
駅用地の盛土を縮小する。

というもので、最終的に地元負担は約230万円まで圧縮出来、ようやく駅開業の日を迎えたのです。
実現に向けての一途な努力と地元負担を惜しまぬ(しかし住民負担は十二分に考慮して少しでも負担額を軽減しようと智謀をめぐらす)姿勢、これによって初めて長鳥駅はその産声をこの山峡にあげたのです。
以前紹介した北陸本線・浦本駅の事例同様、今日の新駅設置運動も大いに参考にするべき話だと思います。
ただ「新駅作ってクレクレ」とおねだり声を上げているだけでは何事も前に進まないのですからね。
新潟市の場合、越後線「上所」駅や信越・白新線「紫竹」駅はまさにそうです。

さてこのような経緯で誕生した長鳥駅ですが、昭和46年12月に無人化、昭和51年3月に現駅舎(待合室)が竣工して今日の姿になり現在に至っております。
「北条町史」によると、当駅の昭和43年一日当たり乗車人員は約260人。
同年と平成18年度比で隣の越後広田駅は85%減なので、それをそのまま当てはめれば当駅の推定一日当たり乗車人員は約40人という計算になりますが・・・。

さて、長鳥駅待合室は線路築堤の下にあって、室内は殺風景。

Nagatori08
築堤下に置かれている長鳥駅駅舎、2006年11月撮影。
建築財産票によると昭和51年3月の完成。
トイレは駅舎の向かって右側の白っぽい小屋ですが、この時点では非水洗で使用には少々勇気が必要なレベルでした。

Nagatori06
Nagatori07
長鳥駅駅舎内の様子、2006年11月撮影。
色彩の薄い内部は晩秋の空気も相まって、実に冷え冷えとしておりました・・・。
長鳥駅開業に際しての関係各位のご努力を知った今ではこの有様が空しい・・・。
室内には無人駅定番の朱色ベンチが三脚と飲料・可燃のゴミ箱が各一個。
この当時、券売機及び乗車証明発行機は無し。

Nagatori102613
待合室と島式ホームを結ぶ幅狭の地下道、2013年6月撮影。

駅舎は改築されていて開業当時を偲ぶ事は叶いませんけれど、地下道を進み階段を上って出たホームは昔ながらの極めて特徴的な佇まいです。
島式ホームのその幅は極めて狭く、当駅に停車する普通列車を待ち受けるのでさえ圧力を感じます。
まして通過列車などはホーム上ではとてもとても・・・。
親不知駅の島式ホームの狭さも通過列車に切迫した危険を感じたものですが、当駅のホーム幅から生じる危険度はそれを凌ぎます。
ホーム上での通過列車撮影は勿論、単に乗車待ちで通過列車をやり過ごすのでさえ危険なレベルですので、当駅訪問の際はくれぐれもご注意ください。

Nagatori15
その危険性を象徴するのが、ホーム上に設置された列車接近警告機です。

Nagatori1030613
長鳥駅島式ホーム側の地下道出入り口付近の様子、2013年6月撮影。
白線間の人が安全に立てる空間は人一人分です。

Nagatori1040613
地下道出入り口付近から塚山駅方を見る、2013年6月撮影。

Nagatori1050613
Nagatori1060613
塚山駅方から見た長鳥駅島式ホームの様子、2013年6月撮影。
前述のように建設費用低減の為にスペックを大幅に落として完成した当駅のホームは、現在に至っても実に簡素です。
上屋もベンチも一切ありません。
まぁホーム幅のこの狭さでは置くのは無理かもしれませんが。

Nagatori1070613
島式ホーム端から塚山駅方を見る、2013年6月撮影。
塚山-長鳥間は信越本線新潟-直江津間で、最も人口密度の小さい区間と言えましょう。

Nagatori1080613
塚山駅方の踏切から見た長鳥駅の様子、2013年6月撮影。

Nagatori1090613
長鳥駅を出発する115系電車長岡行、2013年6月撮影。

Nagatori1100514
長鳥駅に停車中の115系電車直江津行、2014年5月撮影。

Nagatori1110514
長鳥駅に進入する485系電車T編成の特急「北越」新潟行、2014年5月撮影。

Nagatori1120514
長鳥駅を通過する新潟行特急「北越」、2014年5月撮影。
前述したように幅の狭いホーム上で通過列車を撮るのは危険なので、出入り口で待機して去り行くところを一枚。

Nagatori1140514
高速で遠ざかる新潟行特急「北越」、2014年5月撮影。

Nagatori1130514
長鳥駅を通過する485系電車国鉄色の特急「北越」金沢行、2014年5月撮影。

Nagatori09
Nagatori10
待合室を出て左手に少し進むと踊り場のようなところに出ます、2006年11月撮影。
もしかしたらここにかつての駅舎が建っていたのかも?

Nagatori11
長鳥駅を通過するEF81形電気機関車牽引の上り貨物列車、2006年11月撮影。

Nagatori12
長鳥駅前通り(県道)の様子、2006年11月撮影。
画像右側に見える小さな黄色い案内表示の先を進んだところが駅舎になります。
駅前には酒屋がありましたが、訪問した日曜昼は閉まっていました。
駅至近の商店はここだけで、飲料自販機が一台設置されておりました。
長鳥地区は長岡市と柏崎市の狭間にあるエアポケットのような地域と言えましょうか。

Nagatori13
集落は県道沿いにあって、道路を外れるとやや寂れた里山になっており、
鄙びた農村小集落の雰囲気が満点。
長鳥駅最寄のバス停は、駅前通りの県道柏崎小国線を柏崎方面に1km弱進んで県道柏崎越路線と合流したところにある「中村十字路」のようです。
越後柏崎観光バス運行の路線バス柏崎駅前-杉平線のバス停で、この路線は柏崎から茨目安田北条越後広田の各駅付近を経由します。
ただし過疎ダイヤで平日上下9本、土休日上下7本ですので、ご利用の際はダイヤをあらかじめ確認するのが吉でしょう。

| | コメント (1)

2010年12月17日 (金)

外堀が、埋まりつつある中期防

昨日のエントリー「本気か画餅か護衛艦48隻体制」に関連して、次期中期防
正面装備調達規模が明らかになりました。
→http://www.mod.go.jp/j/approach/agenda/guideline/2011/chuuki.html

昨日のエントリーでは、次期中期防の期間を2012~16年としておきま
したが、来年度から中期防期間になりますので訂正させていただき
ます。

さて2011(平成23年度)~15年(平成27年度)における海上自衛隊
の建艦計画は次の通り。

護衛艦 3隻
潜水艦 5隻
その他 5隻
計  13隻(約5.1万トン)

この中身を推測するに、護衛艦3隻のうち1隻は24DDH(19,500
トン)でほぼ確定、潜水艦は「そうりゅう」型5隻として計1.45万
トン。
その他については補助艦で退役時期を迎える潜水艦救難艦「ちよだ」代艦
として「ちはや」の改良型6,000トン、海洋観測艦「すま」代艦として
(「わかさ」も代替時期ですが、代替措置繰り延べ?)「しょうなん」型二番艦
(2,900トン)、掃海艇「えのしま」型3隻(計0.171万トン)とすると残る
護衛艦2隻の排水量枠は約0.64万トン。
この2隻が噂の3,000トン台DDとすれば計算が合います。
または「ちよだ」代艦調達を繰り延べして掃海艇は4隻(0.228万トン)
で、護衛艦2隻の排水量枠は約1.2万トンとなって「あきづき」型(もしくは
この拡大改良型)2隻の調達が出来るでしょう。

護衛艦建造予算は3隻で最大2,500億円強というところで、「あたご」
型DDGのBMD能力付加改修(2隻で600億円以上?)と「あさぎり」型
「はつゆき」型DDの延命改修費用を加えても護衛艦関連予算は3,500
億に満たない規模に縮減された事になり、次々期中期防を考えると非常
に厳しい結果です。
財務省としては、次々期中期防はこの予算枠を既成事実として更なる削減
を要求するのは確実ですから。
次々期中期防では金喰い虫のDDG「はたかぜ」「しまかぜ」代艦調達が
まったなしで、例え次々期中期防の予算が今回規模であっても護衛艦48隻
体制どころか現在の海上防衛体制は抜本的に見直し縮減しなければやって
いけません。
その前兆としての、今回明記された地域配備護衛艦の機動運用化なのかも
しれません。
次々期中期防策定時には防衛計画大綱が再度改訂され、正面装備の大削減
は必至かと。
これは海自に限った話では無く陸自も空自もそうなるでしょう。
外堀は埋まりつつありますね。

陸自の重装備をざっくり削減して海空重視だの「動的防衛力」だのとカッコ
イイ言葉を並べてその実はこうですから、結局民主党は所詮「ミンスw」党
なのだと諦めるより他ありませんな。

| | コメント (3)

2010年12月16日 (木)

本気か画餅か護衛艦48隻体制

政府が来週にも閣議決定する2011年度からの新たな「防衛計画の大綱」
別表案が10日、判明しました。
→http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201012110092.html。

陸自部隊の南西諸島方面展開しかし定数は減とか海自潜水艦の増強など、
色々と話題豊富であった防衛計画大綱改定、その主要装備整備の数的目標
値がようやく具体化したわけですが・・・。

陸自定数については財務省から、現在の実員14万8千人以下と大幅な削減
を求められていましたが、現大綱定数から千人減の15万四千人に落ち着き
まずは何より。
一方戦車や重砲といった重装備はかなりの削減になっております・・・。
戦車については、これまでの調達予算規模が例え維持されても74式、90式
両戦車の退役ペースにはとても追いつかないので、嫌でも今回示された数
(約400両)に収斂していくという観測もありましたから、予算の現実を追認
したものと言えて止むを得ないと思います。
後は財務省が機動戦闘車を戦車枠に入れろなどと無茶を言い出さないように
祈るのみです。

空自については現在の戦闘機勢力(約260機)を維持するようですが、
そうなるとファントム後継のFX2個飛行隊は予定通り導入のようです。
F-35に対する米国政府への情報開示請求費用が来年度予算に計上されて
おりますので、FXはF-35で内定なのでしょう。
F-35は本来多国籍開発が前提の機ですから、ライセンス生産に当たって
は武器輸出三原則を緩和しなければならない機体なのですが、今回それは
社民党や公明党への配慮で見送りになった為にライセンス生産は現在の
ところ不可。
それでは日本国内の戦闘機開発生産基盤維持に果たしてどのような対策を
取るつもりなのか?
それが今後の焦点になるやに思われます。
武器輸出三原則の件をクリアしてF-15非改修機の退役を前倒しして、
早期にF-35ライセンス生産体制を確立する他無いと思いますが、能力的
に不足で改修も費用対効果が悪過ぎて不可、しかし飛行機としてはまだまだ
使用に耐えるF-15非改修機を早期退役させる事に財務省が何と言うのか?
これもまた難問で、当事者諸氏の頭の痛いところでしょう。

海自は護衛艦を現別表から1隻増の48隻、潜水艦は18隻から4隻増の22隻。
潜水艦については以前より、諸外国の通常型潜水艦と比較してかなり短い艦齢
16年で一律退役という措置(実戦配備用16隻という大綱別表による上限が
理由なのですが)に疑問の声が絶えなかったところであり、今回の定数増は
良い意味で実態に合ったものと言えましょう。
ただし潜水艦増に関しては、モノよりは人(高錬度の乗組員不足)がネックに
なるやもしれません。

さて本日の主題である護衛艦数ですが、調達予算削減の上で護衛艦数1隻
増となると・・・。
次期中期防が2012~16年度と考えた場合、現在の戦力構成を維持するの
であればDDH「くらま」代替の22DDH二番艦とDDG「はたかぜ」代替の
新型DDG調達は必須の調達案件になるでしょう。
問題ははたかぜ代替のDDGで、「軍事研究」今月号には一万トン型を
・・・という観測記事が載っておりました。
一万トンとなればこれもイージス艦なのでしょう、その建造予算はこれまでの
イージス艦「こんごう」型から「あたご」型へバージョンアップするのに25%
程度の上昇が見られた事を勘案するに、1,800億円を越える事が予想
されます。
レーダーのアクティブフェーズドアレイ化、新型化を行なうのであれば更なる
上昇も有得ます。
ただ、一方でMD能力を持つイージス艦を現状4隻から6隻に増勢すると
謳っており、それは「あたご」型2隻にMD能力を付与する事なのでしょう
から、深読みすればこれ以上の高価なイージス艦調達は止めて、「はた
かぜ」「しまかぜ」代替の新型DDGはとりあえずMD能力を一切持たない、
従来型経空脅威に対応するだけの比較的安価な艦、すなわちFCS-3型
とACDSのアップグレード型を搭載した艦にするとも受け取れそうなの
ですが・・・。
これなら「あきづき」型の発達型ですのでその建造予算も1,000億円
程度に収まるのではないか?と考えている次第ですが果たして?

DDH1隻1,100億円、DDG1隻1,000~1,800億円となると
、中期防五年間の護衛艦建造予算4,000億円弱として残りは
1,000~1,800億円程度になりましょう。
この枠内で新型DDを調達しなければなりませんが、聞くところによると
次期DDはこれまでの艦型拡大路線から一転して3,000トン台へ
小型化するとの事。
新型DDはMD任務群に配備して、長期の作戦航海を常態しては考慮
しない割切り方をすれば、必要な能力を維持しつつ小型化するのも
可能かもしれません
基準排水量を「あさぎり」型水準に下げてなんとか500億円程に収める
事が出来れば、2~3隻は調達出来そうです。
護衛艦48隻体制では所要のDD/DEは36隻。
「あさぎり」型に艦齢40年、後期「はつゆき」型に艦齢35年改修を実施
するとして、次期中期防完成の2021年時のそれは、これまでの私の
推測を当てはめるに以下の通り。

DDx28~29隻(新型DDx2~3隻、「あきづき」型x4隻、
「たかなみ」型x5隻、「むらさめ」型x9隻、「あさぎり」型
x6隻、「はつゆき」型x2隻)、
DEx6隻(あぶくま型x6隻)。
合計34ないし35隻で、1~2隻はどうしても不足する計算になります。
護衛艦の定数を「約47隻」とでもしておけば、これでも誤差の範囲で済む
話なのですが、わざわざ「1隻増」を謳うのは海上防衛重視を内外に示す
為の単なるパフォーマンスなのか、はたまた本気できっちりとその数字を
考えているのでしょうか?

次々期中期防(2017~21年を想定)ではDDG「しまかぜ」と
「はつゆき」型DDx2隻(更に練習艦「しまゆき」も)、DE「あぶくま」型
6隻が待ったなしの退役時期を迎えるので、「むらさめ」型のいずれか
の艦を「しまゆき」代艦として練習艦に転籍させる事を考えまた次期
中期防完成時の不足解消を図るとなると、DDGx1隻、DD/DEx
9~11隻の調達が必要になります。
旧地方隊所属護衛隊の不足分は安価なDE(1隻250億円程度)で埋める
としても、調達予算の大幅増は不可欠で、これから深刻化する一方の財政
状況を考えればそのような要求が通るわけがありません。
従って「護衛艦48隻体制」などとぶち上げてみても、それは所詮画餅に過ぎ
ないのです・・・。
予算の裏付けも無く虚勢を張るよりは、今後予測される予算規模の実態に
合った、従来の枠組みや慣習を白紙にしての新たな海上防衛のあり方を
早急に打ち出す方が賢明では?と外野のシロウトとしては愚考する次第
です。
無い袖はどうやっても振れないのですから。

| | コメント (0)

2010年12月15日 (水)

くびき駅(北越急行ほくほく線)

本日の駅紹介は、北越急行ほくほく線・くびき駅。

新潟県上越市に所在する無人駅で、開業はほくほく線開業と同日の1997年(平成9年)3月22日。
開業当時は中頚城郡頸城村の所在で、かつて旧頸城村を通っていたナローゲージの頸城鉄道が昭和43~46年に廃止されて以降、村内鉄道駅は信越本線・黒井駅しか無かった(しかも村の中心地区から直線距離で5km以上離れている)人口一万人弱の頸城村に
とって、ようやく「村の玄関駅」と言えそうな当駅の誕生でした。
但し、当駅も村の中心地区から直線距離約3kmなのですが・・・。
頸城鉄道線は村の中心地区に「百間町」駅があったのですけれど。
頸城村は平成17年元日をもって、周辺町村と共に上越市と合併して今日に至ります。

さてくびき駅は頸城平野の東端に位置する高架駅で、一面の田園の中に悠然と屹立するその姿は魁偉と言うべきか異形と言うべきか。
ホーム二本の高架駅という都会的且つ洗練されたイメージと、駅周辺のあまりに日本の田舎然な風景があまりにミスマッチで、そのギャップになかなか心惹かれるものがあります。
上り列車で犀潟駅を発ち、北陸道を越えて田圃の広大な海の中を
分け進むとやがて徐々に大きくなってくる当駅の姿はぜひとも一見を!の異様にして魅惑的な光景なのであります。
なお、「上越市統計年鑑」によると、平成19年度の当駅一日当たり乗車人員は約86人です。
上越市内のほくほく線駅は当駅の他に大池いこいの森うらがわら虫川大杉ほくほく大島の各駅がありますが、当駅の乗車人員は大池いこいの森の約4.7倍、ほくほく大島の約1.1倍、うらがわらの約0.64倍、虫川大杉の約0.62倍。
旧村の中心地区からやや遠い事が当駅のイマイチ振るわない理由でしょうか?

くびき駅は前述のように、対向式ホーム2本の列車交換可能駅。
当駅はほくほく線の前身である国鉄北越北線計画時から列車交換駅に指定されており、駅構内の有効長は大きいものの、ホームはほくほく線普通列車定番の二連対応です。

Kubiki02
1番ホームの大池いこいの森駅方から見たくびき駅構内、2006年11月撮影。

Kubiki05
犀潟方面はご覧のように広々とした田園地帯です、2006年11月撮影。

Kubiki03
Kubiki04
隣の大池いこいの森駅方は丘陵地帯に所在しています、2006年11月撮影。

Kubiki2030612
ホーム間を連絡する実用本位の地下道、2012年6月撮影。

Kubiki11
ホームから見たくびき駅裏手の様子、2006年11月撮影。

くびき駅では通常、普通列車は1番ホームに発着し、特急「はくたか」退避時のみ2番ホームを使用します。
私が当駅を訪れた2006年11月時点では、下り1本、上り4本が2番ホームに停車しておりました。

Kubiki14
2006年11月当時の2番ホーム発車時刻表。

Kubiki2010612
くびき駅に停車中のHK100形電車「ゆめぞら号」の直江津行、2012年6月撮影。

Kubiki2020612
くびき駅に到着するHK100形電車一般型の直江津行、2012年6月撮影。

ほくほく線内駅で通過列車を安全に撮影出来る駅は十日町、まつだい、虫川大杉、そして当駅になりますが、最もダイナミックな画を撮れそうなのはこのくびき駅でしょうか?
田圃の海に一直線に伸びる高架上を疾走する「はくたか」の姿は実に新幹線的であり迫力を感じさせます。

Kubiki1010612
Kubiki1020612
Kubiki1030612
くびき駅を通過する在りし日の特急「はくたか」の勇姿、2012年6月撮影。

Kubiki06
Kubiki07
くびき駅駅舎は地上にあって、待合室は広く未来的なイメージで纏められています。
前述のように周辺のロケーションが実に「古き良き田舎」なので、それとのギャップがまた何とも言えない味わいなのであります。
ここまで意匠を徹底貫徹されるとかえって小気味良くて個人的には二重丸を付けたい(笑)。
なお待合室内には自動券売機と飲料自販機が二台設置されておりました。
白いソファ状のベンチと木製の丸テーブルが印象的。
トイレは駅舎とは別棟になります。
またAM0:30~5:00は施錠されておりますので、駅寝は出来ません。
ちなみに当駅初電は06:12発快速越後湯沢行、終電は23:32発直江津行なので、待合室開放時間は長めだと思うべきなのでしょう。

Kubiki08
駅前広場から見たくびき駅駅舎外観、2006年11月撮影。

Kubiki09
Kubiki10
くびき駅駅舎裏手の様子、2006年11月撮影。

くびき駅駅舎は楕円形の建物で、特に裏手の画像を見たらこれが鉄道駅舎とはにわかに信じ難い、まるでまるで新手の美術館のような前衛的デザインです。
「目」のようなモノは「ともだち民主党」を連想させますな。
「ともだちランド」の別館じゃないのか?と怪しむ向きもあろうかと存じます(バカw)。

駅前にはバス停があり、2006年11月訪問時には鉄道関連では高田駅や柿崎駅との間に土休日運休の頸城バスのバス路線が設定されておりました。
頸城自動車は土日全便運休路線が多く、地方路線バスの需要の少なさ、特に学校や病院が休みでは公共交通機関利用の地域間交通流動が如何に少ないかを如実に表しておりましたな。

Kubiki13
駅前広場横の駐車場は広く、駐車スペースに事欠くことは無さそう、2006年11月撮影。
訪問したのは土曜昼でしたが、駐車場で休憩するトラックや営業車が多いのが目に付きます。
この辺は他に駐車休憩出来る場所が無さそうですし、まぁ仕方が無いと言えばそうなのですが・・・。
余談ですが画像左上に注目! 
鳥や飛行機ではないようです、合成でもないですよ・・・

Kubiki12
駅前すぐに県道が通っておりますけれど、見通したところでは
コンビニもスーパーも無く、農業集落の好典型のような様子です。
2006年11月撮影。

| | コメント (0)

2010年12月 4日 (土)

東柏崎駅(越後線)

本日の駅紹介は、越後線・東柏崎駅。

2017年3月20日記、画像貼り替えと加筆修正を実施しました。

Higashikashiwazaki1010505

新潟県柏崎市に所在する無人駅で、越後線国有化以前の1912年(大正元年)11月11日に越後鉄道の比角駅として開業し、昭和44年に現駅名に改称されました。
駅開業時は刈羽郡比角村の所在だったようで、比角の地名は今日でも当駅東側にその名を留めています。
なお、比角村は1926年(大正15年)9月に柏崎市に編入されて今日に至ります。
現在では柏崎駅と当駅間に市街地が連続して広がっていて、かつての市と村を隔てた境界はどこにあったのかも判然としません。 柏崎市の官公庁は柏崎駅よりもここ東柏崎駅の方がずっと近くにあって、新潟駅と白山駅、東三条駅三条北三条両駅の関係を彷彿とさせます。
官公庁が駅から近いからなのか、電化前の越後線唯一の優等列車であった気動車急行「ひめかわ」は、柏崎駅からたった1.6kmの当駅に停車していたのがこの駅最大のハイライトと言えます。
まぁ多分、お役人様の出張手当等のセコい事情もあったのかなぁと邪推するところではありますが(笑)。
平成19年度版柏崎市統計年鑑によると、平成18年度の東柏崎駅乗車人員は55,000人(一日平均約151人)。
無人駅の数値ゆえアバウトではあるのでしょうが、この数字は予想外に高いもので、越後線南部区間の拠点駅・出雲崎駅の6割、寺泊駅の7割です。
駅周辺に高校が三校あるゆえの事だと思われますが、過疎ローカル線の無人駅としてはなかなかの利用実績です。
ちなみに平成16年度の乗車人員は45,100人(一日平均約124人)で、二年間で実に一万人増。
新潟県の公立高校が全県一学区になったのは平成20年からなので、平成16~18年度では他地域からの広域通学流動はまだ生じていないはずで、それにもかかわらず二年間で乗車一万人増というのはその要因について少々首を捻るところなのであります。

Higashikashiwazaki1020613
東柏崎駅駅舎の様子、2013年6月撮影。
建築財産票によると昭和28年11月の完成です。
、遠目にも目立つ鮮やかな青色の屋根が特徴で、戦後のドライな建物の造りと戦前由来の屋根や出入り口の上屋の造りが合わさった、高度経済成長突入以前の過渡期の日本社会を象徴するようなその姿なのであります。
画像右側の跨線橋は自由通路で、構内を行き来するものではありません。
画像からは切れていますが、その右横には公衆トイレがあります。
しかしぶっちゃけ、汚かったです・・・。
大便器に軍手が詰め込まれている、そういう荒れ方なので後はお察しください。
私は当駅にこれまで2005年、2006年、2013年の3回訪問しましたが、いずれの時もそういう状態だったので、アレが常態なのかはたまた私が訪れた時はたまたまそうだったのかどうか。

Higashikashiwazaki1170613
東柏崎駅前通りの様子、2013年6月撮影。
駅前広場の手前向かって右側に派出所があるのですけれど、それにも関わらず治安面では少々不安に感じるのです。
原因は後述する、構内を渡る自由通路あたりです。

Higashikashiwazaki1180613
駅前通りを少し進むと県道に出ます、2013年6月撮影。
前回訪問の2006年11月と同様、典型的なシャッター通りです。
この道を1.5km進むと柏崎駅に行き着きますけれど、この辺りにそんな都会的?な匂いはしません。
この通りには「諏訪町三丁目」バス停があり、鉄道補完では北越後観光バス運行の柏崎市循環バス・半田方面先回り線(平日6本、土休日4本、柏崎駅前へ直行)と比角方面先回り線(平日5本、土休日4本で柏崎駅前から諏訪町三丁目に先回り、柏崎駅前に行くには遠回り)と出雲崎車庫線(出雲崎車庫へは平日のみで上下7本、途中の椎谷止まりは平日上下8本、土休日上下9本)、越後交通運行の曽地経由柏崎長岡線(平日上下17本、 土休日上下16本)が発着しています。
出雲崎車庫線は椎谷止まりも含めて柏崎、刈羽両駅への移動に利用できます。
曽地経由柏崎長岡線は柏崎、長岡両駅の他に西中通駅への移動に利用できます。
またここから300m程北の「裁判所前」バス停には、柏崎市循環バスの西本町先回り線(毎日6本で柏崎駅前へ直行)と東本町先回り線(柏崎駅前からの先回り、平日7本 土休日5本)が発着しています。
線路を跨ぐ自由通路で東柏崎駅東口に出て、そこから約1km南には「日吉町」バス停があって、西山経由柏崎長岡線が発着していて平日上下16本、土休日上下12本の運行。
こちらは柏崎、西中通、西山礼拝の各駅への移動に利用できます。
荒浜と刈羽両駅へは最寄バス停から駅までやや距離があるので利用の際はご注意ください。

Higashikashiwazaki1030613
Higashikashiwazaki1040613
Higashikashiwazaki1050613
東柏崎駅駅舎内部の様子、2013年6月撮影。
室内は吹き抜けで、窓口跡や改札周りなど、有人時代の面影を今なお留めています。
かつては有人であった駅舎内は現在待合室のみの機能ですが、その広さはかつて官公庁への用務や出張客で賑わいを見せていたであろう当駅華やかなりし時代を偲ばせます。
また高校が付近に集中する駅に付き物の、独特の荒れた感じもこの駅にはあるのです。
現在では遊休化著しい広い室内には、自動券売機とJR東日本定番型のベンチが15人分がポツンと置かれています。

Higashikashiwazaki1060613
駅舎のホーム側はこんな感じ、2013年6月撮影。
緑色の太い支柱は構内を跨ぐ自由通路のものです。
上屋あたりの造りは立派なもので、幹線の優等列車停車駅に準じます。
流石は柏崎市の官公庁最寄駅の貫禄と申せましょう。

Higashikashiwazaki1070613
ホームの柏崎駅方から見た東柏崎駅構内、2013年6月撮影。
画像右側の旧2番線はすっかり廃線の様相。
昔の時刻表を紐解くと、越後線電化後の昭和60年3月改正ダイヤでは、当駅で夜間に2回の列車交換が行なわれていました。
平成に入ってもダイヤが乱れた際の調整に使われていたという話を聞いた事がありますが、今日では無用の長物でしょうね。
ダイヤが乱れたら運休というのが昨今のトレンドですからね。

Higashikashiwazaki1080613
ホーム端から柏崎駅方を見る、2013年6月撮影。
この時点では出発信号機はまだ残っていますが、当駅が列車交換駅に返り咲くことはおそらく無いでしょう。

Higashikashiwazaki1090613
ホームの西中通駅方から見た東柏崎駅構内、2013年6月撮影。
ホームの現在の有効長を示す黄色い太線が既に引いてあります。
近隣の利用の少ない駅にはまだ未施行で、無人化され列車交換も無くなったとはいえ、越後線南部区間においては当駅の存在感はまだまだ大きいものがあるのです。

Higashikashiwazaki07

Higashikashiwazaki1100613
ホーム端から西中通駅方を見る、上は2005年5月、下は2013年6月撮影。
2005年5月時点ではかつての貨物用ホームと思われる遺構が残っていましたけれど、その8年後の再訪では建物の敷地に姿を変えていました。

Higashikashiwazaki1110613
東柏崎駅の東西を連絡する自由通路内部の様子、2013年6月撮影。
内部は荒廃していて、夜は通りたくないですな個人的には。
この時はゲロがあちこちにぶちまけられていましたよ。

Higashikashiwazaki1120613
自由通路上から東柏崎駅構内の西中通駅方を見る、2013年6月撮影。
2番線が健在だった頃の構内連絡はどうしていたのか、それが大きな疑問なのです。
画像右側の旧2番ホームに何かの基礎跡らしいものがありますが、あれは跨線橋のものなのかはたまたホーム待合室なのか、それとも他の何かなのか。

Higashikashiwazaki1130613
同じく柏崎駅方を見る、2013年6月撮影。
現在は使われていない画像左側の旧2番ホームの駅名標は撤去されています。
JR東日本定番型に更新しなかったということが、会社のこのホームに対する考えを無言のうちに表しているようです。

Higashikashiwazaki10Higashikashiwazaki17_2
Higashikashiwazaki1140613
東柏崎駅東口の様子、上は2005年5月、中は2006年11月、下は2013年6月撮影。
2013年6月時点でもそれ以前と変化は無く再整備は行われておらず、ルーズな印象。
ルーズなまま放置しておくと防犯上宜しくないのが常ですし、当駅周辺は住宅街なのでなおの事、もっと秩序だった形にすべきではと外野の野次馬は強く思うところです。

Higashikashiwazaki12
2005年5月時点では廃ホームへの立ち入り禁止の表示は無かったので、入って見物してみました。
これは旧2番ホームの西中通駅方から見た東柏崎駅構内の様子。
古い時代の駅の常として、当駅構内のホーム配置もやはり千鳥型です。


Higashikashiwazaki11
旧2番ホームから見た東柏崎駅駅舎の様子、2005年5月撮影。

Higashikashiwazaki13
東柏崎駅旧2番ホーム柏崎駅方に残存していたボロボロの駅名票、2005年5月撮影。
すっかり廃ホームの気配で来訪者の感傷を誘うのです・・・。
市街地の中の見捨てられたエアポケットのような風情は実に虚無的と言えましょうか。

Higashikashiwazaki14
旧2番ホームの柏崎駅方から見た東柏崎駅構内、2005年5月撮影。
2013年6月時点では雑草が蔓延り廃線跡の雰囲気漂う旧2番線も、この時点ではこの通り綺麗なものです。
右隣の本線と比べてもあまり違わないのです。
越後線南部区間はJRの電化路線中屈指の閑散区間で、当駅に発着する列車は当時も今も変わらず上下19本に過ぎません。
それにしてもこの旧2番ホーム、今後どのように処置するのか。
駅舎も2017年で築63年になりますから、そろそろ改築も考えなければならないでしょう。
その時に将来の方向性を打ち出すことになるのでしょうか。

Higashikashiwazaki18
柏崎駅方の踏切から見た東柏崎駅構内、2006年11月撮影。
現在使われている線路が分岐の副本線的で、事実上の廃線側が直線の本線的なのが面白いところです。

Higashikashiwazaki1150613
東柏崎駅に停車中の115系電車柏崎行、2013年6月撮影。

Higashikashiwazaki1160613
東柏崎駅を出発した115系電車柏崎行、2013年6月撮影。

| | コメント (2)

« 2010年11月 | トップページ | 2011年1月 »