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2010年5月の記事

2010年5月23日 (日)

越後須原駅(只見線)

本日の駅紹介は只見線・越後須原駅。

2016年2月27日記、画像追加しました。

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新潟県魚沼市に所在する無人駅で、昭和17年(1942年)11月1日の開業です。
開業当時の所在は北魚沼郡須原村で、駅名はここから取られました。
その後須原村は昭和31年に隣の上条村と合併して守門村となり、平成16年11月1日をもって周辺町村と広域合併して新自治体「魚沼市」の一部となって今日に至ります。
駅周辺には旧守門村役場と郵便局、小中学校、さらに後述の「目黒邸」と須原スキー場が所在し、旧村の行政・文教・観光が集中したエリアです。

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越後須原駅駅舎は昭和51年11月の竣工で、平屋の壁はブラウンで白のラインが入っているという、どことなくヨーロッパ風にも見えるシックなもの、2008年4月撮影。
昭和40年代までの鉄筋コンクリ丸出しの「国鉄標準型」とも、昨今の改築駅舎に見られる土地柄に似合わない派手さとも一線を画するシンプルながら良デザインでしょう。
屋根の厚みは当地が名にしおう豪雪地帯である証です。

JR東日本によれば、当駅の2008年度一日平均乗車人員は61人で、同社新潟県内有人77駅76位。
最下位は入広瀬駅なので、只見線内で一駅(上条駅)挟んで逆1位と2位。
2007年度まではダントツの最下位で大白川駅があったので、只見線内で逆金・銀・銅だったのです・・・。
当駅発着の列車は上下合わせて一日10本なので、単純計算では一列車当たり約6人。
資料によれば昭和50年代半ばの当駅一日旅客は約300人で、半分が乗車と考えると150人。
(昭和55年10月改正ダイヤでは上下併せて14本、うち2本は急行「奥只見」)
約30年で6割減ってしまっているのです・・・。
只見線の置かれた状況の厳しさがここにも表れています。
利用客だけを見ていればとうの昔に無人化されるレベルの当駅ですが、利用客の絶対数だけを見て単純に割り切ることが出来ないのがローカル線の有人駅。
人口4千人台と相応の人口規模の旧村の玄関駅でもありますし、学生の定期需要もそれなりに存在します(実際、土曜午後の列車は結構な数の学生が当駅で降りていたりもするのです)。
魚沼市は広域合併後も当駅や入広瀬駅を有人のまま維持したり、入広瀬地区の福祉バスの運行継続も行っていたりと、過疎地域の公共交通維持について相応の理解があるように見えます。
従って自治体が委託を維持出来ないほど財政に行き詰らない限り、旧守門村の玄関駅・越後須原駅の有人体制も暫く継続されるのではと思う次第です。
→2010年6月20日追記、越後須原駅は平成21年度限りで委託を終了し、無人駅になりました。
己の不明を恥じるばかりで、面目次第もございません・・・(汗)。

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有人時代の越後須原駅駅舎内部の様子、2009年7月撮影。
この時点では、駅窓口は平日06:30~17:30、土休日09:00~17:00の営業。
トイレは駅舎の駅前広場側にあり、水洗です。
待合室は仕切られておらず、無人駅定番のベンチが2脚置かれています。
見たところ空調設備は無いようで、冬はストーブを置くのでしょうか?
周りの壁には当駅や只見線に関する写真が展示してあり、その中には当駅が列車交換設備を有していた時代のものも。

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無人化後の越後須原駅駅舎内部の様子2013年5月撮影。
窓口が閉鎖されているのとベンチがJR東日本定番品に変わっている以外は、有人時代と変化無し。

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写真によれば、平成6年10月時点では越後須原駅での列車交換が行われていたのは確実で、駅舎側に側線も一本有していて、
後述する現在の駅構内の様子とはまるで違う賑々しさが、部外者の感傷を誘うのでありました・・・。
故人の在りし日の姿を見ているような感じなんてすよね、
今の構内はさしずめお墓か仏壇か。

そんな寂しい越後須原駅構内は一面一線の信号もない「停留所」。
駅舎からホームまではかつて「構内通路」と呼ばれていたであろう小道で連絡します。

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越後須原駅舎からホームへの構内通路の様子、2004年7月撮影。
駅舎から通路に置かれたプランターの花々の彩りが、構内を一色に覆いつつある雑草にせめてもの抵抗を試みるようで、何ともいじらしく。

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越後須原駅舎ホーム側全景、2005年7月撮影、。
待合室に空調なさそうなのに事務室には付いてるのねんw


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自然に帰りつつある構内の線路撤去跡、2009年7月撮影。
十数年前にはこの空間に線路が2本あったのです。


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駅舎側(魚沼田中駅方)から見た越後須原駅構内の様子、2009年7月撮影。

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上条駅方から見た越後須原駅構内の様子、2009年7月撮影。

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越後須原駅に進入する午前中の小出行キハ40系気動車、2005年7月撮影。
当駅の駅名票はこの時点では上越線・只見線特有の独特なスタイルでしたが、2009年7月に再訪した時にはJR東日本定番の何の変哲もないものに変わってしまっていました。

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越後須原駅前の様子、2009年7月撮影。
駅前広場は狭く、駐車スペースは僅少です。
タクシー待機はしていないようでした(一日五往復の列車待ちは流石に意味なしか・・・、歩いて数分で観光拠点の目黒邸だしね)。
駅から僅かに歩くと、南越後観光バス運行の小出-入広瀬・大白川間の路線バスが走っている国道252号線に出ます。
駅前にはAコープがあり、付近に食堂もあります。


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越後須原駅至近の国道252号線の様子、2009年7月撮影。

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画像左のバス停が小出行きの「須原駅角」バス停です、2009年7月撮影。

越後須原駅前から国道を横断し真っ直ぐ進むと行き着くのが国指定の重要文化財「目黒邸」。→HPはこちらへ
入口の左手にある「守門民俗文化財館」で入場券(¥500)を購入し、いざ見学!
越後下関駅エントリーで紹介した「渡辺邸」に比べると、屋敷そのものはやや小振りなのですが、昔の雪国の家屋の特徴を、見る者にヴィヴットに伝えるこの佇まい!
後背の山々という素朴なロケーションも相まって、個人的にツボですなここは。

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「目黒邸」正面の様子、2008年4月撮影。
この時は本格公開(GWから)に向け一部補修工事中でした。
邸の裏手にある目黒邸資料館とその先の「佐藤邸」は冬期休館中だったのが残念。

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土間では杉の木をくべて煙を天井へ。
見学者向けの実演の一種なのかなぁ~と、木をくべている女性にうかがってみましたら、煙を出しているのは藁葺屋根の維持の為に必要不可欠な事との由。
煙には防虫効果があり、年末年始の休館日以外は毎日やっているそうです。
文化財の維持には一見地味ながら絶え間無い努力が必要なのですね・・・。
一見の部外者が実に僭越ではございますが、こうしたものの維持に費用対効果などという俗な物差しを当てはめる事のないよう、関係各位にお願いするところであります・・・。
なお、防虫効果としては本当は桜の木が良いそうですが、杉は近くの山で沢山採れるのでそうしているとの事。

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囲炉裏のある21畳敷きの茶の間。

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大正2年からのものである配電盤。

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目黒邸の裏手は小さなダムが。
周辺は遊歩道、・・・しかしこの時期は残雪があって散策どころではありません。

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やはり目黒邸の裏手にある「須原スキー場」。
ご覧のように、既に営業は終えていました。
魚沼市は新市誕生から今日まで、旧町村運営のスキー場を引き継いで維持してきましたが、どのスキー場も経営状態は芳しくなく、また市の財政が逼迫している事から市営スキー場の再編を実施します。
5つあるスキー場のうち4つまでを廃止、引き続き経営を続けるのはこの須原スキー場だけとの事。
他のスキー場と比べて至近に観光資源が豊富なのが存続の決め手になったようです。
とはいえ、このスキー場は市内スキー場で利用客最大でかつ赤字額も最大なんだとか。
頭の痛い話です・・・。

無人化後の越後須原駅を2013年5月に再訪した際、春の須原スキー場をちょっと登ってみました。

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須原スキー場のリフトの乗降口周りの様子。

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高度が少しずつ上がってまいります。

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デジカメのデータによると、登り始めてここまで8分。
たった8分かと言うなかれ、結構キツかったですマジで。

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ここからの眺めはなかなかのものであります。

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2010年5月 5日 (水)

越後下関駅(米坂線)

本日の駅紹介は、米坂線・越後下関駅。

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新潟県岩船郡関川村に所在する有人駅で、昭和6年(1931年)8月10日の開業です。
かつて新潟-仙台(後に山形)間に二往復運行されていた急行「あさひ」(のち「べにばな」と改称)の停車駅でした。
開業当時は同郡関谷村の所在で、その後関谷村は昭和29年8月に荒川を越えた先の女川村と合併して関川村となって今日に至ります。
「下関」は駅の所在する地名で、合併を機に駅名も「関川」に変えてしまえば良かったのに・・・と、無責任な部外者は思うところでありますが。

関川村は粟島浦村と共に、平成の大合併において岩船郡内で村上市との合併に応じず独立独歩を貫く土地柄でありますけれど(岩船郡の他の町村・・・荒川町、神林村、朝日村、山北町は2008年4月1日をもって村上市と合併)、粟島浦村が合併によって島が埋没してしまうのを怖れた為などと言われているのと異なり、村上市との間に昔からの感情的なモノがあるやに、知人から聞いた事があります・・・。
また関川村は「平成の村八分」訴訟という、いささか不名誉な問題で全国にその名を知らしめたのは記憶に新しいところ。

越後下関駅は単線上の二面二線で列車交換可能駅です。
2008年あたりは交換設備撤去の噂がネット上で見られましたけれど、幸い2010年現在でも最終列車同士の列車交換が見られました。
ただ、米坂線・坂町-小国間32.4kmは一日六往復という新潟県内では只見線に次ぐ過疎ダイヤでありながら、中間の列車交換可能駅は当駅と越後金丸駅があります。
一日五往復運行の只見線・小出-大白川間26.0kmは列車交換可能な中間駅無し。
それを考えるといずれは当駅と越後金丸のどちらか、最悪の場合は両駅とも棒線化されても不思議ではありません。
実際、2016年3月改正では越後金丸駅での定期列車の交換は無くなり、小国-坂町間の交換は当駅に集約されました。
雪害時のダイヤ調整時の必要性についても、昨今ではダイヤを調整しなければならない程の降雪時は運休ですからね(困ったモンだまったく)。

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一番ホームの駅舎周り、2005年8月撮影。

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同じく、越後大島駅方から越後下関駅構内を見る。

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同じく、越後片貝駅方の旧貨物ホームから駅構内を見る。

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二番ホームの越後片貝駅方から越後下関構内を見る、2008年4月撮影
ホーム上には小さな待合室があります。

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二番ホーム上の待合室内部、2013年6月撮影。
建築財産票によると、完成は昭和12年5月。

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2005年8月撮影、二番ホーム越後大島駅方を望む。
二本のホームはご覧のように千鳥配置です。

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跨線橋内部の様子、2013年6月撮影。
米坂線では主要駅の一つに数えられる越後下関駅ですけれど、跨線橋内は凡百の無人駅と変わらない狭さです。

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2008年4月撮影、跨線橋から越後片貝方を望む。
坂町-越後下関間は平野部を進む米坂線は、当駅発車後すぐに勾配区間に入ります。

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同じく跨線橋から越後大島駅方を望む。
駅裏手は一面の田圃です。

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同じく越後片貝駅方の踏切から越後下関駅を望む。

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同じく踏切の先の陸橋から俯瞰で見た越後下関駅全景。

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2005年8月撮影、2009年春に引退したキハ52形気動車を先頭にした坂町行普通列車が二番線に進入。

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今では思い出の彼方のキハ58系気動車主体の坂町行快速「べにばな」、2003年11月撮影。

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越後下関駅一番線に到着したキハ110単行の米沢行、2013年6月撮影。

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越後下関駅二番線から出発するキハ110+キハE120二連の坂町行、2013年6月撮影。
このような単線上の交換駅では、列車交換時以外は乗降の便を図る為に上下共に駅舎に面したホームに入るケースがよくありますが、当駅の場合は上下の発着ホームが厳格に守られていました。


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越後下関駅駅舎の様子、2003年11月撮影。
建築財産票によれば昭和49年11月8日の竣工で、横長の長方形平屋です。
横長で駅前広場が狭く駅前通りも道幅狭の為、駅舎全体を画像一枚に収めるのは至難です。
なお駅前にはタクシーが待機しておりました。

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越後下関駅駅舎内部の様子、2008年4月撮影。
駅舎内は吹き抜けで、無人駅定番タイプのベンチが広い室内に3脚肩を寄せ合うように置かれております。
窓口営業時間は2008年4月現在で06:45~18:15。
券売機は設置されておりませんでした
また最終列車発着後の夜21時以降は駅舎内立ち入り禁止になるので駅寝は出来ません。
トイレは駅舎駅前広場側に男女共用の水洗式があります。

駅窓口は関川村の簡易委託という形で営業しているそうですが、一日六往復ではうーむ・・・、しかし村の玄関駅としての面子もあるでしょうし、
米坂線新潟県内区間で有人駅は当駅のみなので、周辺無人駅利用者の定期購入の需要もあるでしょうし・・・。
JR東日本によると当駅の2015年度一日平均乗車人員は98人で、同社新潟県内有人67駅中66位と振るいません。
しかし単に運行本数や利用客数で斬って捨てるわけにもいかない面があるのは確かでしょう。

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越後下関駅前通り、2008年4月撮影。
画像中央が駅舎です。

駅前通りには旅館の看板が一軒。
路線バスの通る村のメインストリートには郵便局と銀行、昔ながらの医薬品店がある程度で、2008年4月時点では坂町方面に少し歩いた新潟交通観光バス下関営業所の先にスーパーが一軒ありました。

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2008年4月撮影、駅前広場から見た駅前通り。

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同じく、バス営業所側から駅方面を望む。

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同じく、後述する「渡辺邸」に面するメインストリートの米沢方。

この営業所から国道290号線経由村上線、米坂線に並行する坂町線、米沢方面に4km程進む鷹ノ巣温泉線の新潟交通観光バスの路線バスが運行しています。

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新潟交通観光バスの下関営業所、2008年4月撮影。

村上線は三角形の二辺を往く鉄道の坂町経由と異なり、一辺をダイレクトに結ぶので利用価値が高いのですが(私は二回乗車しましたが、旧女川村域を進む山間路線でなかなか味があります)、残念な事に運行本数は少なく、2008年当時は平日4往復、土休日2往復。
坂町線もこの当時、土休日は2往復で2016年現在では全便土休日運休。
営業所構内も手持ち無沙汰の感強しです。

人口6千人強の村の中心街としては少々寂しくも感じられますが、駅から米沢方面に500mも歩けば国道113号線上の「道の駅関川」があり、食堂やみやげ物店、温泉が併設されて賑やかです。
国道は交通量が多く、過疎ダイヤの米坂線とは明暗くっきり・・・。

越後下関駅至近の観光スポットとして有名なのが「渡辺邸」(入場料¥500ナリ)。
岩船・村上に広く覇を唱えた豪農の館であります。→渡辺邸HPはこちら
映画「蔵」のロケ地なのがキャッチコピーですけれど、「蔵」といってももう随分昔の話・・・。
私がここを訪れたのは2008年4月末ののGW初日でしたが、朝イチ(AM0900)とはいえ、見学者は私の他に二名。

・・・ぶっちゃけて書いてしまうと、県内の他の豪農の館・笹川邸」や「目黒邸」に比べて見せ場がないというか何というか情緒に訴えるトコロが無いというか・・・。
笹川邸のような華やかさ(何しろ小大名に匹敵する経済力ですから)も、目黒邸の山間の素朴さも無いんですよねぇ・・・。
国道至近で道の駅も近く、温泉も車であればごく近いという立地条件には恵まれているので、邸公開に当たってのコンセプトを明確にすれば・・・とシロウトは感じるところ大なのです。

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上が渡辺邸の母屋、下が座敷。

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「荒川峡温泉郷」に至る橋から見た荒川の流れ。
この先蛇行しながら小国へ至ります。

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2010年5月 2日 (日)

岩室駅(越後線)

本日の駅紹介は越後線・岩室駅。

2017年4月15日記、画像の一部を貼り替え及び加筆修正を実施しました。

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新潟県新潟市西蒲区に所在する無人駅で、2017年現在新潟市最西端の駅であります。
また昭和57年11月まで越後線唯一の優等列車として運行されていた急行「ひめかわ」の停車駅でもあります。

駅開業は1912年(大正元年)8月25日で、当時は西蒲原郡和納村の所在。
その後和納村は昭和35年1月に岩室村の一部となり、さらに2005年3月に新潟市に編入合併し今日に至ります。
駅名も開業時は当時の村名「和納」でしたが、岩室村に合併後の昭和40年暮れに現駅名に改称されております。

新潟駅から当駅までのJR営業キロは30kmで、最東端の白新線・黒山駅からの距離は48km!
政令指定都市・新潟市の誕生がいかに広域合併によって成されたかがよくわかります。

岩室駅は2007年3月に無人化されていますが、2006年度の一日平均乗車人員は576人。
上越市の行政中心地に所在する信越本線・春日山駅より僅かに少ない程度。
長岡市近郊の旧越路町の玄関駅・来迎寺駅や旧堀之内町(現・魚沼市の一部)の玄関駅・越後堀之内駅よりも多いのです。
これらの駅はみどりの窓口込みの有人駅です。
それを考えると、当駅の無人化は少々首を捻るものがあるのですけれど、うーむ・・・
やはり広域合併の結果なのでしょうかねぇ・・・?
岩室村時代は村の玄関駅として、村が請け負っての「簡易委託」としての有人の意義も大いにあったと推察されますが、現在では新潟市西蒲区の外れの一駅に過ぎません。
また西蒲区の中心は旧巻町でありますから、その辺のいろんな大人の事情もあるのではないかと外部の野次馬は勘ぐるところ大なのでありまして・・・。

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岩室駅駅舎の様子、上はまだ有人駅だった頃の2004年5月、下は2013年9月撮影。
建築財産票によると昭和40年1月の竣工。
当時の国鉄ローカル線駅員配置駅としては標準的な大きさと言えましょうか。
トイレは建物の左側にあって水洗。
この辺りは流石元有人駅です。
駅前にはタクシーが一台常駐。
後述する岩室温泉の客向けでしょうか。

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岩室駅前通りの様子、上は2006年10月、下は2013年9月撮影。
この間、2008年4月に訪れた時には上の画左側の農業倉庫が解体されて更地になっており、その跡地を活用して下の画の真ん中に公園を挟んだロータリー状になりました。
2013年9月時点で付近にコンビニ等はありませんでしたけれど、向かって右側の食料品店は盛業中で、こちらでは購入した弁当を食べられるスペースがあるのが有り難いところでした。

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連絡地下道を渡って、岩室駅東口に出ます、2006年9月撮影。
こちら側は新興の宅地で、まだまだ発展途上。
当駅は新潟市の「にいがた交通戦略プラン重点プロジェクト」において、「地域生活を支援する生活拠点駅」として位置付けられて、パーク&ライドが謳われています。
この東口はまさにそれに沿った開発の余地を十二分に残していると言えましょう。

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ホーム上から見た岩室駅東口の様子、2013年9月撮影。

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岩室駅駅舎内部の様子、2008年4月撮影。
日中の訪問時は列車到着の20分前から利用客で賑わう状態で、撮影がはばかられる程です。
通学時間帯以外の無人駅でそのような状況に遭遇するのは稀で、その点からも当駅の無人化には少々異を唱えたくもなるのです。
ただ撮影を試みるに当たっては、かなり困った話なのであります。
従って誰も居なさそうな日曜の夜に出向く必要があったのです。
内部は吹き抜けで広々としていますが、今日ではやはり過剰な空間。
構内出入り口付近に自動券売機とsuika簡易改札機がポツンと置かれています。
これは日曜夜八時頃の様子ですが、蛍光灯の光が煌々と輝く岩室駅の広い駅舎内はガランとして人影無し。
上の画像右側のクリーム色の掲示板が窓口跡です。
この当時、室内に空調設備は無く、ストーブも無し。
この時期の夜はまだまだ冷え込んで、寒さに震えながら列車を待ったものです。

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北吉田駅方から見た岩室駅構内、2013年9月撮影。
当駅は昭和59年春の越後線電化以前は二面二線の列車交換可能な構内であったそうですけれど、現在かつての二番線跡は駅東口の用地に一部転用されたりしていて、昔日の面影を見出すのは困難です。

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ホーム端から北吉田駅方を見通す、2013年9月撮影。
この辺りは見通しの良い直線区間です。

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駅舎、駅名標、地下連絡道出入り口と主要インフラ三点セット揃い踏みの岩室駅構内中央部、2013年9月撮影。

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駅舎の構内側と上屋の様子、2013年9月撮影。
上屋は駅舎に架かるだけの短いものです。

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巻駅方から見た岩室駅構内、2013年9月撮影。
越後線の内野-吉田間は現在データイム毎時1本の運行頻度ですが、増発を考えるに当たってネックになりそうなのが、巻-吉田間に列車交換駅が無い事です。
そうなると当駅の交換設備が撤去されたのは痛い話なのでありますけれど、近年新潟市によって試みられた内野-吉田間の増発社会実験の結果は、甚だ宜しくない結果に終わっています。
よってこの区間に列車が増発される可能性はほぼ消えたと言ってよいでしょう。
私はかつて、駅前広場を潰して島式ホーム化して列車交換可能な構造に改造・・・などと妄想を廻らせておったものです。
しかしそれは全く実現性の無い完璧なる重妄想に成り果てたようです。

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ホーム端から巻駅方を見通す、2013年9月撮影。
「9」の停止位置表示が設置されていますけれど、そんな長編成の列車が越後線に入ることはもう無いんでしょうなぁ。

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岩室駅ホーム上の名所案内板、2006年10月撮影。
当駅は新潟界隈の奥座敷である「岩室温泉」の最寄り駅という事になっていて(駅名票の観光案内では当駅から温泉まで3.5kmになっていますが、実際には5km程あります)、駅前には温泉方面へのバス停があります。
マメ知識としては、実は岩室温泉との距離は弥彦線・弥彦駅からも約5km。
弥彦と言えば新潟県下越地方で最も著名な観光スポットの一つであります。
観光ルートを設定するならば、日中弥彦周辺を巡り、夕方岩室温泉へというルートが一般的で、鉄道利用であっても当駅下車でまっすぐ温泉へ・・・という人はあまりおられないのではないかと。

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かつての貨物引き込み線らしき跡、2004年5月撮影。
昭和48年に岩室駅の貨物取り扱いが廃止された後は、当地域の農産物はトラックによる出荷に切り替わったのでしょう。
しかし駅前の道路は狭く、大型車の出入りには難渋したことでしょうね。

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岩室駅を出発する新潟行115系電車、2013年9月撮影。

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岩室駅に到着した吉田行E127系電車、2013年9月撮影。

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