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2010年5月の記事

2010年5月23日 (日)

越後須原駅(只見線)

本日の駅紹介は只見線・越後須原駅。

上条駅はこちらへ← →魚沼田中駅はこちらへ

2016年2月27日記、画像追加しました。

越後須原駅の駅名標

新潟県魚沼市に所在する無人駅で、昭和17年(1942年)11月1日の開業です。
開業当時の所在は北魚沼郡須原村で、駅名はここから取られました。
その後、村は昭和31年に隣の上条村と合併して守門村となり、平成16年11月1日をもって周辺町村と広域合併して新自治体「魚沼市」の一部となって今日に至ります。
駅周辺には旧守門村役場と郵便局、小中学校、さらに後述の「目黒邸」と須原スキー場が所在し、旧村の行政・文教・観光が集中したエリアです。

越後須原駅駅舎
越後須原駅駅舎は昭和51年11月の竣工で、平屋の壁はブラウンで白のラインが入っているという、どことなくヨーロッパ風にも見えるシックなもの、2008年4月撮影。
昭和40年代までの鉄筋コンクリ丸出しの「国鉄標準型」とも、昨今の改築駅舎に見られる土地柄に似合わない派手さとも一線を画するシンプルながら良デザインでしょう。
屋根の厚みは当地が名にしおう豪雪地帯である証です。

JR東日本によれば、当駅の2008年度一日平均乗車人員は61人で、同社新潟県内有人77駅76位。
最下位は入広瀬駅なので、只見線内で一駅(上条駅)挟んで逆1位と2位。
2007年度まではダントツの最下位で大白川駅があったので、只見線内で逆金・銀・銅だったのです・・・。
当駅発着の列車は上下合わせて一日10本なので、単純計算では一列車当たり約6人。
資料によれば昭和50年代半ばの当駅一日旅客は約300人で、半分が乗車と考えると150人。
(昭和55年10月改正ダイヤでは上下併せて14本、うち2本は急行「奥只見」)
約30年で6割減ってしまっているのです・・・。
只見線の置かれた状況の厳しさがここにも表れています。
利用客だけを見ていればとうの昔に無人化されるレベルの当駅ですが、利用客の絶対数だけを見て単純に割り切ることが出来ないのがローカル線の有人駅。
人口4千人台と相応の人口規模の旧村の玄関駅でもありますし、学生の定期需要もそれなりに存在します(実際、土曜午後の列車は結構な数の学生が当駅で降りていたりもするのです)。
魚沼市は広域合併後も当駅や入広瀬駅を有人のまま維持したり、入広瀬地区の福祉バスの運行継続も行っていたりと、過疎地域の公共交通維持について相応の理解があるように見えます。
従って自治体が委託を維持出来ないほど財政に行き詰らない限り、旧守門村の玄関駅・越後須原駅の有人体制も暫く継続されるのではと思う次第です。
→2010年6月20日追記、当駅は平成21年度限りで委託を終了し、無人駅になりました。
己の不明を恥じるばかりで、面目次第もございません・・・(汗)。

越後須原駅駅舎内部その1
越後須原駅駅舎内部その2
有人時代の駅舎内部の様子、2009年7月撮影。
この時点では、駅窓口は平日06:30~17:30、土休日09:00~17:00の営業。
トイレは駅舎の駅前広場側にあり、水洗です。
待合室は仕切られておらず、無人駅定番のベンチが2脚置かれています。
見たところ空調設備は無いようで、冬はストーブを置くのでしょうか?
周りの壁には当駅や只見線に関する写真が展示してあり、その中には当駅が列車交換設備を有していた時代のものも。

越後須原駅駅舎内部その3
無人化後の駅舎内部の様子2013年5月撮影。
窓口が閉鎖されているのとベンチがJR東日本定番品に変わっている以外は、有人時代と変化無し。

待合室に掲げられた昔の駅の写真
写真によれば、平成6年10月時点では当駅での列車交換が行われていたのは確実で、駅舎側に側線も一本有していて、
後述する現在の駅構内の様子とはまるで違う賑々しさが、部外者の感傷を誘うのでありました・・・。
故人の在りし日の姿を見ているような感じなんてすよね、
今の構内はさしずめお墓か仏壇か。

そんな寂しい越後須原駅構内は一面一線の信号もない「停留所」。
駅舎からホームまではかつて「構内通路」と呼ばれていたであろう小道で連絡します。

ホームへの構内通路
駅舎から旧島式ホームへの構内通路の様子、2004年7月撮影。
駅舎から通路に置かれたプランターの花々の彩りが、構内を一色に覆いつつある雑草にせめてもの抵抗を試みるようで、何ともいじらしく。

ホームから見た駅舎
ホームから見た駅舎、2005年7月撮影、。
待合室に空調なさそうなのに事務室には付いてるのねんw


構内の線路撤去跡
自然に帰りつつある構内の線路撤去跡、2009年7月撮影。
十数年前にはこの空間に線路が2本あったのです。


越後須原駅の旧島式ホームその1
駅舎側(小出方)から見た構内の様子、2009年7月撮影。
只見線の新潟県内区間では入広瀬駅と共に主要駅の位置を占めている当駅ですが、ホームに上屋はありません。

越後須原駅の旧島式ホームその2
只見方から見た構内の様子、2009年7月撮影。
かつては島式ホームとして機能して列車交換が実施され、急行「奥只見」が停車していたのです。
今となっては全て忘却の彼方か。

越後須原駅に進入するキハ40系気動車
越後須原駅に進入する午前中の小出行キハ40系気動車、2005年7月撮影。
当駅の駅名票はこの時点では上越線・只見線特有の独特なスタイルでしたが、2009年7月に再訪した時にはJR東日本定番の何の変哲もないものに変わってしまっていました。

越後須原駅前
駅前の様子、2009年7月撮影。
駅前広場は狭く、駐車スペースは僅少です。
タクシー待機はしていないようでした(一日五往復の列車待ちは流石に意味なしか・・・、歩いて数分で観光拠点の目黒邸だしね)。
駅から僅かに歩くと、南越後観光バス運行の小出-入広瀬・大白川間の路線バスが走っている国道252号線に出ます。
駅前にはAコープがあり、付近に食堂もあります。


越後須原駅至近の国道252号線その1
駅至近の国道252号線の様子、2009年7月撮影。

越後須原駅至近の国道252号線その2
画像左のバス停が越後須原駅最寄のバス停の「須原駅角」です、2009年7月撮影。

駅前から国道を横断し真っ直ぐ進むと行き着くのが国指定の重要文化財「目黒邸」。→HPはこちらへ
入口の左手にある「守門民俗文化財館」で入場券(¥500)を購入し、いざ見学!
越後下関駅エントリーで紹介した「渡辺邸」に比べると、屋敷そのものはやや小振りなのですが、昔の雪国の家屋の特徴を、見る者にヴィヴットに伝えるこの佇まい!
後背の山々という素朴なロケーションも相まって、個人的にツボですなここは。

目黒邸
「目黒邸」正面の様子、2008年4月撮影。
この時は本格公開(GWから)に向け一部補修工事中でした。
邸の裏手にある目黒邸資料館とその先の「佐藤邸」は冬期休館中だったのが残念。

目黒邸内その1
土間では杉の木をくべて煙を天井へ。
見学者向けの実演の一種なのかなぁ~と、木をくべている女性にうかがってみましたら、煙を出しているのは藁葺屋根の維持の為に必要不可欠な事との由。
煙には防虫効果があり、年末年始の休館日以外は毎日やっているそうです。
文化財の維持には一見地味ながら絶え間無い努力が必要なのですね・・・。
一見の部外者が実に僭越ではございますが、こうしたものの維持に費用対効果などという俗な物差しを当てはめる事のないよう、関係各位にお願いするところであります・・・。
なお、防虫効果としては本当は桜の木が良いそうですが、杉は近くの山で沢山採れるのでそうしているとの事。

目黒邸内その2
囲炉裏のある21畳敷きの茶の間。

目黒邸内その3
大正2年からのものである配電盤。

目黒邸内その4
目黒邸の裏手は小さなダムが。
周辺は遊歩道、・・・しかしこの時期は残雪があって散策どころではありません。

須原スキー場その1
やはり目黒邸の裏手にある「須原スキー場」。
ご覧のように、既に営業は終えていました。
魚沼市は新市誕生から今日まで、旧町村運営のスキー場を引き継いで維持してきましたが、どのスキー場も経営状態は芳しくなく、また市の財政が逼迫している事から市営スキー場の再編を実施します。
5つあるスキー場のうち4つまでを廃止、引き続き経営を続けるのはこのスキー場だけとの事。
他のスキー場と比べて至近に観光資源が豊富なのが存続の決め手になったようです。
とはいえ、このスキー場は市内スキー場で利用客最大でかつ赤字額も最大なんだとか。
頭の痛い話です・・・。

無人化後の越後須原駅を2013年5月に再訪した際、春の須原スキー場をちょっと登ってみました。

須原スキー場その2
スキー場のリフトの乗降口周りの様子。

須原スキー場その3
高度が少しずつ上がってまいります。

須原スキー場その4
デジカメのデータによると、登り始めてここまで8分。
たった8分かと言うなかれ、結構キツかったですマジで。

須原スキー場から見た北魚沼の眺め
ここからの眺めはなかなかのものであります。
五月下旬の画ですが、後背の山々にはまだ残雪が見えます。

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2010年5月 5日 (水)

越後下関駅(米坂線)

本日の駅紹介は、米坂線・越後下関駅。

越後大島駅はこちらへ← →越後片貝駅はこちらへ

2018年6月24日記、画像の入れ替えと加筆修正を実施しました。

越後下関駅の駅名標

越後下関駅は新潟県岩船郡関川村に所在する有人駅で、昭和6年(1931年)8月10日の開業です。
かつて新潟-仙台(後に山形)間に米坂、仙山線経由で二往復運行されていた急行「あさひ」(のち「べにばな」と改称)の停車駅でした。
開業当時は同郡関谷村の所在で、その後関谷村は昭和29年8月に荒川を越えた先の女川村と合併して関川村となって今日に至ります。
「下関」は駅の所在する地名で、合併を機に駅名も「関川」に変えてしまえば良かったのに・・・と、無責任な部外者は思うところでありますが。

関川村は粟島浦村と共に、平成の大合併において岩船郡内で村上市との合併に応じず独立独歩を貫く土地柄でありますけれど(岩船郡の他の町村・・・荒川町、神林村、朝日村、山北町は2008年4月1日をもって村上市と合併)、粟島浦村が合併によって島が埋没してしまうのを怖れた為などと言われているのと異なり、村上市との間に昔からの感情的なモノがあるやに、知人から聞いた事があります・・・。
また関川村は「平成の村八分」訴訟という、いささか不名誉な問題で全国にその名を知らしめたのは記憶に新しいところ。

越後下関駅駅舎その1
越後下関駅駅舎その2
越後下関駅駅舎の様子、2017年5月撮影。
建築財産票によれば昭和49年11月8日の竣工で、横長の長方形平屋です。
建物が横長なのに駅前広場が狭く駅前通りも道幅が狭い為、駅舎全体を画像一枚に収めるのは至難の技です。

越後下関駅前広場
駅前広場の米沢方の様子、2017年5月撮影。
画像奥手には上屋付きの駐輪場があります。
画像左には関川村の観光案内板を設置していますが、米坂線を使ってこの村に観光に来る人は果たしてどれほどいるのやら。

越後下関駅前通りその一
米坂線と並走する国道113号線側から見た駅前通りの様子、2008年4月撮影。
画像中央が駅舎です。

越後下関駅舎の内部その1
越後下関駅舎の内部その2
駅舎内部の窓口と出入り口の様子、2017年5月撮影。
窓口営業時間は6時45分から18時20分まで。
その間、上下合わせて10本の列車が当駅に停車します。
なお自動券売機は未設置です。
駅舎は夜9時に閉鎖されて、「早っ!」と思わず口を突いて出てしまうところなのですけれど当駅の最終列車は20時21分に列車交換で行き違う坂町行と小国行。
私の住まいの地域の路線バスよりも二時間も早仕舞なのです。
なお、トイレは駅舎駅前広場側に男女共用の水洗式があります。

駅窓口は関川村の簡易委託という形で営業しているそうですが、一日六往復ではうーむ・・・、しかし村の玄関駅としての面子もあるでしょうし。
米坂線新潟県内区間で有人駅は当駅のみなので、周辺無人駅利用者の定期購入の需要もあるでしょうし・・・。
JR東日本によると当駅の2016年度一日平均乗車人員は92人で、同社新潟県内有人67駅中最下位と振るいません。
しかし単に運行本数や利用客数で斬って捨てるわけにもいかない面があるのは確かでしょう。

越後下関駅舎の内部その3
越後下関駅舎の内部その4
駅舎内部において、約9年間で唯一目立った変化が見られたのがここです。
上は2008年4月、下は2017年5月撮影。
ベンチがかつての無人駅仕様の長椅子型から、JR東日本の現在の定番型である一人掛け型に変わっています。
下の画像の左端に飲料の自動販売機がチラリと映っていますが、これも2008年当時には無かったものです。

越後下関駅の1番ホームその1
越後下関駅の1番ホームその2
1番ホームの坂町方から見た越後下関駅構内、上は2004年8月、下は2017年5月撮影。
1番ホームは米沢方面乗り場です。
2004年当時は昔ながらの駅名標が健在でしたが、2017年時点ではこちら側に駅名標自体設置されていません。
駅名標の数も減らして経費節減というところでしょうか。
まぁ米坂線の場合は、そのように判断されても仕方ない状況なのですけれど。
またホーム上の国鉄以来の白線は消されて、黄色の太線が代わりに引かれています。

越後下関駅の1番ホームその3
1番ホームに接する駅舎周りの様子、2005年8月撮影。
このホームの上屋は駅舎全幅と跨線橋間に架かっています。

1番ホーム脇の旧貨物引込み線跡その1
1番ホーム横に今も残る頭端式の旧貨物引込み線跡、2017年5月撮影。

1番ホーム脇の旧貨物引込み線跡その2
旧貨物引込み線は米沢方の本線と接続していました、2017年5月撮影。

越後下関駅の1番ホームその4
1番ホームの跨線橋手前から米沢方を見通す、2017年5月撮影。
跨線橋出入り口の幅は近隣の越後金丸駅にかつて設置されていたのと同じレベル。
当駅はかつての急行列車停車駅で米坂線内では今泉、小国両駅に次ぐ大駅なのですが、跨線橋を見る限り凡百の無人駅と変わらないのです。

越後下関駅の跨線橋内部
跨線橋内部の様子、2013年6月撮影。
内部も出入り口同様に無人駅レベルの狭さです。
壁にポスターが貼られているのが唯一有人駅としての格を感じさせます。

跨線橋上から見た構内の坂町方面
跨線橋上から構内の坂町方を見る、2017年5月撮影。
2番ホームの裏手(画像左側)は一面の田圃。
古き良き日本の田舎の風景は今も変わりません。

跨線橋上から見た構内の米沢方面
跨線橋上から構内の米沢方を見る、2017年5月撮影。
坂町駅から越後平野の東端を進んできた米坂線は、当駅発車後すぐに勾配区間に入ります。

越後下関駅の2番ホームその1
2番ホームの坂町方から見た構内、2017年5月撮影。
跨線橋からこちら側は列車が停車せず完全に遊休化しています。
ホームの黄色い太線と後方確認用のミラーがそれを厳然と物語っています。
かつての米沢線の王様であった気動車急行「べにばな」(「あさひ」)の全盛期は5両編成で、この短いホームにクリームと朱色の車体を余すところ無く乗付けていたことを想像してみると、今日の列車の姿はやはり寂しい・・・。

越後下関駅の2番ホームその2
跨線橋下から構内の坂町方を見る、2005年8月撮影。
米坂線の列車がワンマン運行になる以前の頃で、後方確認用のミラーはホーム上に未設置です。
典型的千鳥配置の2本のホーム、構内の外れにポツンと置かれた場内信号機、裏手の田圃の海。
明治から昭和初期の鉄道絵葉書に描かれた「停車場」そのままの情景です。
なお、現地で伺ったところによると跨線橋が置かれる以前はホーム間を構内通路で連絡していたそうで、2番ホームの坂町方端部はスロープ状になっていてその面影が今も残っています。

越後下関駅の2番ホームその3
2番線の小国方から構内を見る、2008年4月撮影。
このホームは坂町方面乗り場です。
こちら側には上屋は無いのですが、旅客流動的にはこちらで列車を待つ客が多いでしょうに。
冬は結構な降雪のある地域なのですし、跨線橋出入り口から待合室までの上屋は架かっていた方が旅客サービス上良いのは間違いないところ。
さらに言えば、列車交換以外は駅舎に接する1番線に列車を発着させるようにすればよいのですが、当駅の場合は2018年6月現在でも上下でホームを厳密に分けて使用しています。

2番ホーム脇の遺構らしきもの
2番ホーム脇の遺構らしきもの、2017年5月撮影。
現地で伺ったところによると、昔はここにも貨物の引込み線が引かれていたとの事。
以前から何やら匂う空間だなぁと思っていましたが、やはりそうだったのですな。
しかしこの凹形の遺構は一体何なのだろう?

2番ホーム上の待合室内部
2番ホーム上の待合室内部、2013年6月撮影。
建築財産票によると、完成は昭和12年5月です。

踏切から見た越後下関駅構内
米沢方の踏切から見た駅構内の様子、2008年4月撮影。
信号機の存在は当駅の列車交換設備が健在であることを無言の内に示しています。
平成30年3月改正ダイヤでは、当駅で一日三回の列車交換が実施されています。
当駅での列車交換は10年前の時点では一日一回で、当時ネット上で当駅の列車交換廃止の噂が立ったものでした。
米坂線の列車密度や大雪が降った時は運休という実態から見て、坂町-小国間で列車交換駅が当駅と越後金丸駅、小国駅の3駅というのは過剰であるのは疑いようも無く、近いうちに当駅か越後金丸駅のどちらかの交換設備が撤去されるのだろうと私も当時思っていたところです。
列車本数が一日8本の只見線・小出-大白川間26.0kmにおいて列車交換駅が大白川駅のみで差し支えないのであれば、一日12本の米坂線・坂町-小国間32.4kmでは列車交換駅は小国駅ともう一駅あればまだお釣りが来るというものです。
そして当局が出した結論は、越後金丸駅の棒線化だったのです。
越後金丸駅で行っていた一日2回の列車交換が当駅に振り向けられる形になって、現在の列車交換回数に至ったというわけです。

陸橋から見た越後下関駅全景
同じく踏切の先の陸橋から俯瞰で見た越後下関駅全景、2008年4月撮影。
かつての亜幹線の拠点駅の全容を一望できるところであります。

越後下関駅に進入するキハ52形気動車
2009年春に引退したキハ52形気動車を先頭にした坂町行普通列車が2番線に到着、2005年8月撮影。

越後下関駅に進入するキハ58系気動車
今では思い出の彼方のキハ58系気動車主体の坂町行快速「べにばな」が2番線に進入、2003年11月撮影。
ここで昔の時刻表を紐解いてみると、昭和55年10月改正ダイヤにおける越後下関駅時刻表は下記の如し。

下り(坂町方面)
1121D 小国発坂町行 06:23発
1123D 越後金丸発坂町行 07:28発
121D 米沢発坂町行 08:29発
123D 米沢発坂町行 10:47発
急行べにばな1号 仙台発新潟行 11:34発
125D 米沢発坂町行 14:09発
127D 米沢発坂町行 16:42発
129D 米沢発坂町行 19:01発
急行べにばな3号 仙台発新潟行 19:57発

上り(米沢方面)
124D 坂町発米沢行 07:24発
急行べにばな2号 新潟発仙台行 08:26発
126D 坂町発米沢行 09:44発
128D 坂町発米沢行 12:58発
130D 坂町発米沢行 15:21発
急行べにばな4号 新潟発仙台行 16:41発
132D 坂町発米沢行 17:59発
9134D 坂町発越後下関行 19:39着(休日運休)
1132D 坂町発小国行 20:55発

一日上下18本の定期旅客列車が発着し、他に貨物列車も数本走っていたことでしょう。
一方、2018年3月改正ダイヤでは上下12本で最大編成は2両のワンマン運行、単行運行さえあります。
急行列車も貨物列車も遠い忘却の彼方。
かつての東北地方横断亜幹線の寂しく厳しい現実なのです。
JR東日本によると、米坂線の坂町-小国間の2014年度平均通過人員は191人。
JRの発足初年度の1987年度は864人だったので、約四半世紀で実に78%もの減少です。
只見線の小出-只見間はこの間に70%減で2014年度の平均通過人員は109人。
かつては只見線の三倍近い利用があった米坂線も、現在では二倍を切っている状態なのです。

越後下関駅に到着したキハ110形気動車
1番線に到着したキハ110形気動車単行の米沢行、2013年6月撮影。

越後下関駅から出発するキハ110+キハE120
2番線から出発するキハ110+キハE120二連の坂町行、2013年6月撮影。
2018年現在の米坂線用気動車はこの形式で統一されているので、飯山線同様に車両面での面白味はあまりありません。
しかし来年度から新潟地区には電気式気動車が導入開始予定で、米坂線の気動車にも大きな変革の波が押し寄せるかもしれません。

新潟交通観光バスの下関営業所の様子
新潟交通観光バスの下関営業所の様子、2017年5月撮影。
鉄道補完関係では、この営業所から路線バスの村上線と坂町線が出ています。
村上線は三角形の二辺を往く鉄道の坂町経由と異なり、山間の一辺をダイレクトに結ぶので利用価値が高いのですが(私は下関営業所-村上駅前間に二回乗車しましたが、旧女川村域を進む山間路線でなかなか味があります)、残念な事に運行本数は少なく、2018年6月現在は平日上下8本、土休日上下5本です。
坂町線は2018年6月現在で平日4往復、土休日は全便運休になっています。
小国方面へは鷹ノ巣線が設定されていて、越後片貝駅の手前3kmまで行けますが一日1往復で土休日運休。
それ以外の路線も本数は極く少ない過疎ダイヤで、それゆえか営業所構内も手持ち無沙汰の感強しです。

関川村のメインストリートの様子その1
関川村のメインストリートの様子その2
関川村のメインストリートの様子、2017年5月撮影。
コンビニも無く、人口6千人強の村の中心街としては少々寂しくも感じられますが、駅から米沢方面に500mも歩けば国道113号線上の「道の駅関川」があり、食堂やみやげ物店、温泉が併設されて賑やかです。
国道は交通量が多く、過疎ダイヤの米坂線とは明暗くっきり・・・。

渡辺邸の母屋
渡辺邸の座敷
「渡辺邸」の母屋と座敷、2008年4月撮影。
越後下関駅至近の観光スポットとして有名なのがこの「渡辺邸」。
岩船・村上に広く覇を唱えた豪農の館であります。
映画「蔵」のロケ地なのがキャッチコピーですけれど、「蔵」といってももう随分昔の話・・・。
私がここを訪れたのは2008年4月末のGW初日でしたが、朝イチ(AM0900)とはいえ、見学者は私の他に2名きり。

・・・ぶっちゃけて書いてしまうと、県内の他の豪農の館・笹川邸」や「目黒邸」に比べて見せ場がないというか何というか情緒に訴えるトコロが無いというか・・・。
笹川邸のような華やかさ(何しろ小大名に匹敵する経済力ですから)も、目黒邸の山間の素朴さも無いんですよねぇ・・・。
国道至近で道の駅も近く、温泉も車であればごく近いという立地条件には恵まれているので、邸公開に当たってのコンセプトを明確にすれば・・・とシロウトは感じるところ大なのです。

「荒川峡温泉郷」に至る橋から見た荒川
「荒川峡温泉郷」に至る橋から見た荒川の流れ、2008年4月撮影。
川はこの先蛇行しながら小国へ至ります。

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2010年5月 2日 (日)

岩室駅(越後線)

本日の駅紹介は越後線・岩室駅。

北吉田駅はこちらへ← →巻駅はこちらへ

2017年4月15日記、画像の一部を貼り替え及び加筆修正を実施しました。

岩室駅の駅名標

新潟県新潟市西蒲区に所在する無人駅で、2017年現在新潟市最西端の駅であります。
また昭和57年11月まで越後線唯一の優等列車として運行されていた急行「ひめかわ」の停車駅でもあります。

駅開業は1912年(大正元年)8月25日で、当時は西蒲原郡和納村の所在。
その後和納村は昭和35年1月に岩室村の一部となり、さらに2005年3月に新潟市に編入合併し今日に至ります。
駅名も開業時は当時の村名「和納」でしたが、岩室村に合併後の昭和40年暮れに現駅名に改称されております。

新潟駅から当駅までのJR営業キロは30kmで、最東端の白新線・黒山駅からの距離は48km!
政令指定都市・新潟市の誕生がいかに広域合併によって成されたかがよくわかります。

岩室駅は2007年3月に無人化されていますが、2006年度の一日平均乗車人員は576人。
上越市の行政中心地に所在する信越本線・春日山駅より僅かに少ない程度。
長岡市近郊の旧越路町の玄関駅・来迎寺駅や旧堀之内町(現・魚沼市の一部)の玄関駅・越後堀之内駅よりも多いのです。
これらの駅はみどりの窓口込みの有人駅です。
それを考えると、当駅の無人化は少々首を捻るものがあるのですけれど、うーむ・・・
やはり広域合併の結果なのでしょうかねぇ・・・?
旧村時代は村の玄関駅として、村が請け負っての「簡易委託」としての有人の意義も大いにあったと推察されますが、現在では新潟市西蒲区の外れの一駅に過ぎません。
また西蒲区の中心は旧巻町でありますから、その辺のいろんな大人の事情もあるのではないかと外部の野次馬は勘ぐるところ大なのでありまして・・・。

岩室駅駅舎その1
岩室駅駅舎その2
岩室駅駅舎の様子、上はまだ有人駅だった頃の2004年5月、下は2013年9月撮影。
建築財産票によると昭和40年1月の竣工。
当時の国鉄ローカル線駅員配置駅としては標準的な大きさと言えましょうか。
トイレは建物の左側にあって水洗。
この辺りは流石元有人駅です。
駅前にはタクシーが一台常駐。
後述する岩室温泉の客向けでしょうか。

岩室駅前通りその1
岩室駅前通りその2
駅前通りの様子、上は2006年10月、下は2013年9月撮影。
この間、2008年4月に訪れた時には上の画左側の農業倉庫が解体されて更地になっており、その跡地を活用して下の画の真ん中に公園を挟んだロータリー状になりました。
2013年9月時点で付近にコンビニ等はありませんでしたけれど、向かって右側の食料品店は盛業中で、こちらでは購入した弁当を食べられるスペースがあるのが有り難いところでした。

岩室駅東口その1
連絡地下道を渡って、駅東口に出ます、2006年9月撮影。
こちら側は新興の宅地で、まだまだ発展途上。
当駅は新潟市の「にいがた交通戦略プラン重点プロジェクト」において、「地域生活を支援する生活拠点駅」として位置付けられて、パーク&ライドが謳われています。
この東口はまさにそれに沿った開発の余地を十二分に残していると言えましょう。

岩室駅東口その2
ホーム上から見た駅東口の様子、2013年9月撮影。

岩室駅駅舎内部その1
岩室駅駅舎内部その2
駅舎内部の様子、2008年4月撮影。
日中の訪問時は列車到着の20分前から利用客で賑わう状態で、撮影がはばかられる程です。
通学時間帯以外の無人駅でそのような状況に遭遇するのは稀で、その点からも当駅の無人化には少々異を唱えたくもなるのです。
ただ撮影を試みるに当たっては、かなり困った話なのであります。
従って誰も居なさそうな日曜の夜に出向く必要があったのです。
内部は広々としていますが、今日ではやはり過剰な空間。
構内出入り口付近に自動券売機とsuika簡易改札機がポツンと置かれています。
これは日曜夜八時頃の様子ですが、蛍光灯の光が煌々と輝く広い駅舎内はガランとして人影無し。
上の画像右側のクリーム色の掲示板が窓口跡です。
この当時、室内に空調設備は無く、ストーブも無し。
この時期の夜はまだまだ冷え込んで、寒さに震えながら列車を待ったものです。

岩室駅のホームその1
吉田方から見た岩室駅構内、2013年9月撮影。
当駅は昭和59年春の越後線電化以前は二面二線の列車交換可能な構内であったそうですけれど、現在かつての2番線跡は駅東口の用地に一部転用されたりしていて、昔日の面影を見出すのは困難です。

岩室駅のホームその2
ホーム端から吉田方を見通す、2013年9月撮影。
この辺りは見通しの良い直線区間です。

岩室駅のホームその3
駅舎、駅名標、地下連絡道出入り口と主要インフラ三点セット揃い踏みの構内中央部、2013年9月撮影。

岩室駅のホームその4
駅舎の構内側と上屋下の様子、2013年9月撮影。
上屋は駅舎に架かるだけの短いものです。

岩室駅のホームその5
内野方から見た構内、2013年9月撮影。
越後線の内野-吉田間は現在データイム毎時1本の運行頻度ですが、増発を考えるに当たってネックになりそうなのが、巻-吉田間に列車交換駅が無い事です。
そうなると当駅の交換設備が撤去されたのは痛い話なのでありますけれど、近年新潟市によって試みられた内野-吉田間の増発社会実験の結果は、甚だ宜しくない結果に終わっています。
よってこの区間に列車が増発される可能性はほぼ消えたと言ってよいでしょう。
私はかつて、駅前広場を潰して島式ホーム化して列車交換可能な構造に改造・・・などと妄想を廻らせておったものです。
しかしそれは全く実現性の無い完璧なる重妄想に成り果てたようです。

岩室駅のホームその6
ホーム端から内野方を見通す、2013年9月撮影。
「9」の停止位置表示が設置されていますけれど、そんな長編成の列車が越後線に入ることはもう無いんでしょうなぁ。

ホーム上の名所案内板
ホーム上の名所案内板、2006年10月撮影。
当駅は新潟界隈の奥座敷である「岩室温泉」の最寄り駅という事になっていて(駅名票の観光案内では当駅から温泉まで3.5kmになっていますが、実際には5km程あります)、駅前には温泉方面へのバス停があります。
マメ知識としては、実は岩室温泉との距離は弥彦線・弥彦駅からも約5km。
弥彦と言えば新潟県下越地方で最も著名な観光スポットの一つであります。
観光ルートを設定するならば、日中弥彦周辺を巡り、夕方岩室温泉へというルートが一般的で、鉄道利用であっても当駅下車でまっすぐ温泉へ・・・という人はあまりおられないのではないかと。

貨物引き込み線らしき跡
かつての貨物引き込み線らしき跡、2004年5月撮影。
昭和48年に当駅の貨物取り扱いが廃止された後は、当地域の農産物はトラックによる出荷に切り替わったのでしょう。
しかし駅前の道路は狭く、大型車の出入りには難渋したことでしょうね。

岩室駅を出発する115系電車
出発する新潟行115系電車、2013年9月撮影。

岩室駅に到着したE127系電車
到着した吉田行E127系電車、2013年9月撮影。

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