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2009年12月10日 (木)

小千谷駅(上越線)

本日の駅紹介は上越線・小千谷駅。

2016年7月16日記、加筆修正及び画像追加しました。

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新潟県小千谷市に所在する有人駅で、1920年(大正9年)11月1日の開業です。
開業当時の所在は北魚沼郡薭生村で、開業当時の駅名は東小千谷。
当駅が小千谷中心地区から信濃川を渡った東側にあることを表しています。
現在の小千谷市の古くからの中心地区である旧小千谷町には、上越線開通に先行して明治44年(1911年)に開業した魚沼鉄道(後の国鉄魚沼線)の小千谷駅が置かれていました。
しかし信濃川を渡河出来ずに行き止まりの駅だった「小千谷」駅に対して、新潟、長岡、魚沼地方へ、やがては東京に至る上越線の「東小千谷」駅の方が利便性は高く、開業当初は一面の桑畑だったという東小千谷駅界隈には当地特産の小千谷ちぢみの問屋などが進出してきて賑わいを見せるようになったそうです。
当駅周辺の状況が大きく変わる中で、昭和4年(1929年)に薭生村の当駅周辺地区は小千谷町に合併編入されます。
これによって当駅が名実共に小千谷町の玄関駅で、昭和7年(1932年)7月に魚沼線の小千谷駅は「西小千谷」に改称、そして上越線全通の約一年後の同年8月に東小千谷駅は現在の駅名「小千谷」に晴れて改称したのです。
小千谷町はその後周辺諸村を編入して町勢を逐次拡大し、昭和29年(1954年)に市制を施行して小千谷市になって今日に至ります。
平成の大合併の嵐の中で、周辺諸市町村の大半が中越地方の中心にして新潟県第二の都市である長岡市の傘下に入った中で、小千谷市は孤高の道を選んでいます。
当初は長岡市との合併編入に加わらなかった当市南隣の川口町(中越地震で甚大な被害を受けた事で有名)が2010年に長岡市へ合併編入されたので、小千谷市は長岡市に周囲をぐるりと囲まれる形となりました。
今後も独立独歩の道を歩むのか、それとも近い将来長岡市への合併編入の道を選ぶのか、その去就が注目されるのです。

JR東日本によると、小千谷駅の2015年度一日平均乗車人員は1,274人。
同社新潟支社管内新潟県内有人67駅中32位です。
新潟支社新潟県内駅の自動改札導入の下限は一日平均1,000人なので、当駅もその資格はあるのです。
実際、新潟都市圏以外で当駅よりも数字の低い羽越本線・中条駅や磐越西線・五泉駅には自動改札がだいぶ前に導入済みです。
もし自動改札化計画が再推進されるとすれば、信越本線・矢代田駅、弥彦線・燕駅、越後線・越後曽根駅と共に当駅もその列に加わるのでしょう。
しかし今日までそのような話はとんと聞きません。
利用はそこそこあっても列車の発着本数が一日20往復に満たない過疎ダイヤの駅なので、入れてもコスパは悪いのでしょうなぁ。
また上越線の新潟県内区間に限ると、有人8駅中、越後湯沢六日町浦佐に次ぐ第四位。
新幹線を擁する浦佐駅に比べても約200人少ないだけで、定期客では逆に上回っているのは元々の人口が大きい事に加えて市内に高校を二校有し、学生の集中が相当の規模であること、さらに長岡都市圏の一員であることが要員と言えましょうか。
以前、某鉄道雑誌で「寂れた」旨の記事を書かれていて、実際駅前通りはシャッター通り化しているのですけれど、近年の当駅の利用状況それ自体は堅調と表現して宜しいのではないかと思うところです。
しかし上越線全盛期に比べれば相当に落ち込んでいるのも確かでしょう。
上越新幹線開業直前には、特急「とき」(上野-新潟間)が四往復、急行「佐渡」四往復(上野-新潟間)、「よねやま」(上野-直江津間)、飯山線直通の「野沢」(長野-長岡間)、うおの(新潟-十日町間)、寝台急行「天の川」(上野-秋田間)、夜行急行「能登」(上野-金沢間、下りのみ)が停車して、当駅は幹線上の重要駅の一つとして重きを成していました。
昭和47、8年頃には上野と上越線沿線を結ぶスキーシーズン運行の電車特急「新雪」の一部が当駅発着になっていた事もあります。
しかし昭和57年11月の上越新幹線大宮暫定開業で「とき」と夜行「佐渡」が廃止、「能登」が信越線経由に変更、「うおの」が快速化(後廃止)。
昭和60年3月上越新幹線上野開業で昼間「佐渡」と「よねやま」、寝台急行「天の川」が廃止されて上野直通列車の停車が消滅してしまいます。
その後も当駅に停車した唯一の定期急行「野沢」もJR移行を半年後に控えた国鉄最後の昭和61年11月ダイヤ改正で廃止され、小千谷駅から優等定期列車が停車する光景を見る事は出来なくなりました。
優等列車の姿がホームから消えて30年、現在の小千谷駅は上越線の普通電車が平日15往復(土休日は1往復増発)と飯山線直通の気動車列車が2往復行き来する、実用本位で華の無い姿です。

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小千谷駅駅舎の様子、2013年10月撮影。
建築財産票を見つけられなかったので竣工年月は不明。
昭和30年代に多く建てられた国鉄標準型の平屋の駅舎なので、当駅の駅舎もその時期の建物だと思われます。
後述するように駅舎内部には大きく手が入れられましたけれど、駅舎の外観には目立った変化はありません。

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かつての駅舎内部の様子、2008年4月撮影。
広々としていて待合室も仕切られています。
この辺はかつての特急停車駅としての面影を偲ばせるところでありますね。
当時のコンコースには自動券売機2台とタバコ自販機(構内禁煙が当たり前になったのによくもまぁ・・・)、コインロッカーといったところ。
待合室の開放時間は06:50~19:50で空調は冷房のみで、冬季はストーブで対処していました。
この当時は待合室内にキオスクも健在でしたが写真を撮った日曜日は生憎定休日。
営業時間は07:00~12:00、13:00~18:00でした。

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内部改装後の様子、2012年5月撮影。
内部のレイアウトは完全に変更されて、窓口の位置も以前の反対側になっています。
ここまで手を入れたということは、築半世紀に達しているであろうこの駅舎を相当先まで使うということなのでしょう。
地方の駅舎改築は費用の大半が自治体持ちになるので、そうおいそれと実施するわけにはいかない事情は理解できますが・・・。
車中から見たところ、この前年の5月頃には工事もたけなわといったところで、ウィキペディアによると2011年7月に終了したようで、キオスクは工事着手に伴い同年1月に閉店との事。
駅周辺にはセブンイレブンがありますが、少々歩くのでこのキオスクは便利な存在でした。
小さくてもいいからNewDaysが進出すればよかったのにと、外来の無責任者は感じるところです。

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待合室内部の様子、2012年5月撮影。
開放時間は明記されていませんでしたが、おそらく窓口の営業時間と同一と思われます。

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一番ホーム(長岡方面乗り場)に面した駅舎構内側とその先の幅広の跨線橋、2005年8月撮影。

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一番ホームの越後川口駅方から見た小千谷駅構内、2005年5月撮影。
かつてはこのホームを目一杯使って12連の特急「とき」が停車していたのです。
現在の列車停車は黄色い線の範囲内・・・。
現在、旧二番ホームに取り付けられている無粋な白い柵はこの時点ではまだ未設置ですが、線路は撤去済み。

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同じく越後滝谷駅方から見た構内、2005年5月撮影。
ホームはゆるやかに左カーブしていて、ここからの見通しは中々良し。

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跨線橋内部の様子、2012年5月撮影。
特急列車停車駅に相応しい幅広のゆとりある空間です。

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跨線橋上から駅構内長岡方を見る、2012年5月撮影。
旧二番線のこちら側は残存していました。
画像左側の一番ホームの隣がかつての貨物線跡でしょうか。

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同じく駅構内水上方を見る、2012年5月撮影。
旧二番線のこちら側は撤去済みです。

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島式ホーム中央部の上屋とその先の跨線橋出入り口、2012年5月撮影。

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今では変則片面式になってしまった旧島式ホーム三番線越後滝谷駅方から見た小千谷駅構内、2012年5月撮影。
こちら側もほど良く左カーブして見通しは中々良し。
やはり多少の曲線があった方が、アクセントがついて構内の見映えがいいですな。
画像左側の側線は上り本線と両方向共繋がっていました。

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旧島式ホーム端から越後滝谷駅方を見る、2012年5月撮影。

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島式ホームの越後川口駅方から見た小千谷駅構内、2012年5月撮影。
市の玄関駅でかつての特急停車駅としては、このホームの上屋はかなり短く感じられます。
画像右側の側線からはハイモの車庫らしきもの?に横取り線が分岐しているのですが、草に埋もれていて使われている形跡がありません。
2005年5月に当駅を訪問した時に、既にそうでしたなぁ。

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島式ホーム端から越後川口駅方を見る、2012年5月撮影。

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駅の裏手に建つ小千谷市の観光案内板、2006年9月撮影。
車窓からこういう看板を見て、その土地に対する好奇心を掻き立てられるのです。
そして知らない街中をフラフラさ迷うわけです。
しかし警官に職質された事は一度も無いのが自慢の一つです。
まぁその代わり、車の人に道はよく聞かれますな。
いやオバサン、そんなローカルな事を聞かれたってアタクシは地元の者じゃないので知りませんがなとココロの中で困惑するのもしばしば。

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越後川口駅方の踏切から見た小千谷駅構内、2013年10月撮影。
画像右側の側線もこちら側は草ぼうぼうで、もう使われていないようですな。

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踏切を渡って裏手から見た小千谷駅構内の様子、2005年8月撮影。

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小千谷駅に到着した115系電車越後湯沢行、2012年5月撮影。
上屋は短めですが出入りする電車も短編成なので、実態としてはこれでバランスが取れているのです。

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小千谷駅に停車中の115系電車長岡行、2013年10月撮影。
「沼津」の幕はご愛嬌と言っていいのかそれとも実にけしからんなのか。
しかし沼津のあたりは113系電車の縄張りではなかったっけか?

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小千谷駅を出発するキハ110系気動車十日町行、2005年5月撮影。
部外者の目からは、長岡-小千谷間の利用はかなりあるように上越線乗車毎に強く感じるところなのですけれど、現在のダイヤはデータイム一時間半に一本という低頻度。
低頻度だからこそ一列車当たりの乗降が多いとも言えますが、あの乗り具合を見るにつけ、小千谷-長岡間はもう少し増発してもバチは当たるまいと感じるのです。
当駅の二番線はもう使えないので区間列車の設定は不可能ですから、次善の策としては飯山線の越後川口駅止まりの列車を長岡駅まで延伸することでしょう。


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小千谷駅を出発する165系電車の臨時「快速こころ」長岡行。
かつては急行「佐渡」「よねやま」として、庶民の身近な足として上越国境を駆け抜けた165系急行型電車のJRにおける最末期の運用です。
お盆でしたが車内はガラ空き、今考えると乗っておけばよかったなぁと激しく後悔・・・、
この後只見線田子倉駅に行っちゃったのねん。
あんな恐ろしい目に遭うとは夢にも思わず(笑)

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小千谷駅前の様子、2008年4月撮影。
駅前広場はロータリーになっていてタクシーも数台常駐。
越後交通及び南越後観光バス運行の路線バスも乗り入れています。
鉄道補完としては前者は十日町-長岡間、後者は小千谷-小出間の路線バスが設定されています。

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信濃川東岸の小千谷駅前通りの様子、2013年10月撮影。
画像奥が駅になります。
地方都市の駅前に漏れず、当駅前のアーケード商店街も残念ながらシャッターを下ろしている店が多いのです。
通りのクルマの交通量自体は多いのです、しかし皆素通り。
疾走するクルマの風切りに震えて侘しく音を立てるシャッター街の辛さといったら・・・。
ただでさえ上越線斜陽化で廃れていたところに中越地震による大打撃。
地域の方々は様々な手を打っておられるようですけれど、何分中核となる店も施設も無し。
ご苦労お察し致しますけれど、将来展望はなかなか拓き難いかと・・・。
また地形的にも駅から橋向こうの中心街への上り勾配になっていて、こういった通りの主な顧客となるべきお年寄りが歩くのには少々辛いのも、過疎化に輪をかけているようにも見えます。

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信濃川に架かり、街の東西を結ぶ旭橋を渡って小千谷駅方面を振り返り一枚、2013年10月撮影。

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旭橋上から見た秋の夕暮れの信濃川上流側、2013年10月撮影。

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信濃川西岸の小千谷市中心街、2013年10月撮影。
画像では人影がありませんが、それでも東岸に比べればずっと人気はあります。
小千谷駅からこの中心市街地までは約1.2km。
あっちへフラフラこっちでフラフラの私の足で約15分でした。
昭和59年3月、第一次特定地方交通線に指定され廃止された国鉄魚沼線
の終点・西小千谷駅は前述したようにこの市街地に立地していました。

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信濃川西岸の小千谷市中心部に佇む国鉄魚沼線の西小千谷駅跡、2012年5月撮影。
駅跡は2000年11月に「ぽっぽの里公園」として整備されています。
人口三万六千人の市の中心地区に終着駅が立地していながら、実にあっさりと廃止された魚沼線。
それだけ交通流動と乖離していたということなのでしょう。

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