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2009年12月 3日 (木)

越後岩塚駅(信越本線)

本日の駅紹介は信越本線・越後岩塚駅。

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2016年7月24日記、画像張替えと加筆修正を実施しました。

越後岩塚駅の駅名標

新潟県長岡市に所在する無人駅で、昭和20年(1945年)6月1日の開業です。
資料によると無人化されたのは昭和60年3月、それが完全な無人化を指しているのか、国鉄職員が配置されないという意味での無人化で、その後も委託駅として有人だったのか・・・後述の駅舎改築後の窓口の存在を考えると後者なのかも知れません。
なお開業当時の所在は三島郡岩塚村で、村はその後昭和30年3月に近隣2村と合併して越路町として再出発し、平成17年4月1日をもって長岡市に編入され今日に至ります。
駅の開業は太平洋戦争末期、旅客も貨物もさして需要も必要性も無さそうなこの地にあの時期新駅として開業というのはどうにも解せません・・・?
信号場としての必要性ならわかりますけれど、それなら京ヶ瀬駅などのような扱いにすれば良いわけで。
それとも長岡辺りの軍需工場への通勤の便も意図して「駅」を名乗らせたのでしょうか?
はたまた後述の「宝徳山稲荷神社」が関係しているのか・・・。
謎です。

越後岩塚駅駅舎その1
越後岩塚駅駅舎その2
越後岩塚駅駅舎の様子、2013年6月撮影。
建築財産票によると平成12年(2000年)12月28日の竣工。
後述の宝徳山稲荷神社を意識したようなデザインです。
駅舎は駅前の道路と水平面にはなく、わざわざ一段高くしてスロープを付けています。
旧駅舎時代からこういう仕様だったのか?
ともあれ、とりあえず当駅のバリアフリー工事は当面必要無しですな。

越後岩塚駅駅舎内部その1
越後岩塚駅駅舎内部そのふ
駅舎内部の様子。
室内には自動券売機一台とベンチが三脚。
この時はゴミ箱が設置されていません。
駅舎が改築された2000年度は当駅もまだ有人駅で、現在はカーテンで閉じられている窓口も機能していたのです。
JR東日本によると、当駅が有人であった最終年の2001年度一日平均乗車人員は209人で、同社新潟支社新潟県内有人89駅中75位。
信越本線内の駅では二本木駅と同水準でした。
ちなみにこの当時、当駅よりも下位であった駅で2016年7月現在も有人体制を維持しているJR東日本及びえちごトキめき鉄道・妙高はねうまライン(旧信越本線)の駅は、上越線・石打駅、羽越本線・府屋駅、米坂線・越後下関駅、トキ鉄・上越妙高駅(旧脇野田駅)、
飯山線・津南駅の5駅のみになりました。
残りの下位9駅は2008年度までに無人化されています。
また当駅よりも上位であった駅も8駅、またJR西日本の管轄である北陸本線・名立駅も無人化されているので、ここ15年ほどの間に当駅を含めて18駅が無人化されているのです。
なお長岡市の統計によると、無人化7年後の平成20年度における越後岩塚駅一日平均乗車人員は約160人です。

下りホームから見た駅舎
下りホーム(長岡方面乗り場)に面した駅舎の様子、2004年8月撮影。
トイレは建物の向かって右側にあって、近年の改築駅舎とあって男女別です。
上屋は駅舎から跨線橋出入り口までカバーしています。

越後岩塚駅の下りホームその1
下りホームの長岡方から見た越後岩塚駅構内、2013年6月撮影。

越後岩塚駅の下りホームその2
下りホーム端から長岡方を見る、2013年6月撮影。
当駅での列車撮影では、カーブしながら高速で進入する特急列車をこちら側で待ち受けるのがベストであろうと感じるところです。

越後岩塚駅の下りホームその3
下りホームの柏崎方から見た構内、2013年6月撮影。
跨線橋が幅狭のホームにどっしりと腰を落ち着けています。
ホームの幅との比較で、大きく堅牢に見えますな。

越後岩塚駅の下りホームその4
下りホーム端から柏崎方を見る、2013年6月撮影。
上下のホーム共に、白い柵の向こうには嵩上げされていないホームが延びています。
昔は十両編成の客車列車も収容可能なホーム長だったのです。
現在では四両分あれば充分。

越後岩塚駅の跨線橋
跨線橋内部の様子、2013年6月撮影。
幹線系の駅で優等列車が停車しない駅の標準型で、竣工は昭和46年1月。
窓は高所にありしかも固定されているので、私の大好きな駅構内俯瞰撮影は断念。
たとい脚立を持っていったとしても、虫の死骸だらけのあの窓の汚さではいい画は撮れないでしょうなぁ。

跨線橋上から見た構内その1
上りホーム(直江津方面乗り場)の柏崎方から見た構内、2013年6月撮影。
駅裏は田圃です。

跨線橋上から見た構内その2
上りホーム端から柏崎方を見る、2013年6月撮影。

越後岩塚駅の上りホームその1
上りホームから見た構内中枢部の様子、2004年8月撮影。

上りホームの待合室
上りホームの待合室内部、2013年6月撮影。
建築財産票によると昭和35年11月の完成。
ご覧のように昭和の時代そのままのベンチです。

越後岩塚駅の上りホームその2
上りホームの長岡方から見た構内、2013年6月撮影。

越後岩塚駅に停車中の115系電車
下りホームに停車中の115系電車長野色長岡行、2014年5月撮影。
E127電車のえちごトキめき鉄道への転出とE129系電車充足までのショートリリーフ役として新潟支社に転属し、中越、下越地方にも足跡を記したこの電車とももうお別れです。

越後岩塚駅を出発した115系電車
下りホームを出発した115系電車長野色の長岡行、2014年5月撮影。

越後岩塚駅を出発する115系電車
上りホームを出発する115系電車直江津行、2014年5月撮影。

越後岩塚駅を通過する485系電車特急「北越」
下りホームを通過する485系電車R編成の特急「北越」新潟行、2014年5月撮影。

越後岩塚駅を通過するEF510形電気機関車牽引の貨物列車
下りホームを通過するEF510形電気機関車牽引の貨物列車、2014年5月撮影。

越後岩塚駅を通過するEF64形電気機関車牽引の貨物列車
下りホームを通過するEF64形電気機関車牽引の貨物列車、2004年8月撮影。
当駅に取材目的で降り立ち、最初に撮影したのがこれでしたなぁ。

踏切から見た構内
柏崎方踏切から見た構内、2004年8月撮影。
駅としては面白味の無い平凡な電化幹線上の二面二線です。

下りホームから見た宝徳山稲荷大社の社殿
下りホームから見た宝徳山稲荷大社の社殿、2004年8月撮影。
こう見ると社殿は目と鼻の先のように見えますが、実際は長岡方面に歩いて信越線を地下道で越えて、大きく迂回して行きます。

越後岩塚駅前通り
駅前通りの様子、2013年6月撮影。
画像右下の駐輪場の上屋は今にも倒れそうな危なさ。
駅前は生活道路で、駅設置が戦時下と後発のためか商店街の形成もありません。
駅前通りには自転車店と理容店がある程度ですが、通りが行き着く橋の手前を右に曲がって少し行くと、ヤマザキデイリーと小さなレストランがあります。
くだんの橋で渋海川を渡ってなおも少し進めば国道404号線に出ます。
駅から国道までの距離は約500m。
国道には長岡駅と塚山駅方面を結ぶ越後交通運行のバス路線が走っていて、平日上下19本、土休日12本。
当駅最寄は「飯塚」バス停になります。

越後岩塚駅周辺その1
前述したように信越本線を地下道でくぐり、駅裏手に出て宝徳山稲荷大社を目指します、2008年4月撮影。

越後岩塚駅周辺その2
大きく迂回して行くので、ホームからはあんなに近く見えた社殿からは一時的に遠ざかるのです、2008年4月撮影。

宝徳山稲荷大社その1
こうして宝徳山稲荷大社に到着、2008年4月撮影。
駅からここまで私の足で約6分でした。

宝徳山稲荷大社その2
宝徳山稲荷大社その3
実際に見てみるとそのデカい事といったら!
お金はかかってますなコレは・・・。
訪れたのは日曜日でしたが、参拝者がひきもきらずという按配。
広大な駐車場にもひっきり無しに車が動いています。
信心深い人が多いんですねぇ~・・・、葬式仏教を越える宗教は全く興味が無い私は参拝神頼みの心理が今ひとつ理解出来ません・・・。
私は「神様がいるとすればそれは人間一人一人から始まって自然物のあらゆるモノの中に至るまで」というアニミズムめいた考え方なので、ヒトが作ったこのように豪奢な建物を有難がって神頼みするっていう意識がうーむ・・・。
ただ一方では建築物を建築物として愛でる意識も強く持ち合わせておりますので、宗教信仰を離れてそういう視点で見れば、この大社の建物群の迫力はなかなかぐっとくるものがあります。

宝徳山稲荷大社その4
なかなか商魂逞しくみえますなw
しかし私はこういう風情は嫌いではありません。

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