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2009年11月28日 (土)

浦佐駅(上越線/上越新幹線)

本日の駅紹介は上越線及び上越新幹線・浦佐駅。

2016年7月17日記、加筆修正及び画像追加しました。

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新潟県南魚沼市に所在する有人駅で、開業は1923年(大正12年)9月1日。
開業当時の所在は南魚沼郡浦佐村です。
同村はその後、昭和31年に周辺3村と合併して新自治体の大和村になり、その6年後には町制を施行して大和町になりました。
大和町は42年間に渡る町制の後、平成の大合併の嵐の中で、平成16年11月1日をもって隣の六日町と合併し、新自治体の南魚沼市になって今日に至ります。

旧大和町は、かつては魚沼地方で最大の人口を誇る六日町と、鉄道道路の要衝である小出町に挟まれた地味な町でした。
鉄道においても六日町と湯沢町に挟まれた前述の塩沢町と同一の扱いで、町の玄関口である浦佐駅は特急は勿論急行さえ一本も停車しない時代が長く続きます。
貨物取り扱いも昭和45年12月に廃止で、六日町、小出両駅に比べるとずっと早い時期でした。
それが俄かに脚光を浴びたのが、上越新幹線停車駅に選定された事。書籍やネットで色々書かれ言われているように「政治駅」と疑念を持たれ揶揄されております。
天下の新幹線停車駅に在来線優等列車停車ゼロでは都合が悪いと思ったのか、新幹線停車相応の駅であるとのアリバイ作りなのか、まず急行「佐渡」が、次いで特急「とき」が昭和55年10月から停車するようになります。
ただし停車本数は、上越新幹線開業前の最後の体制であった昭和55年10月改正ダイヤ時点で「とき」14往復中1往復、「佐渡」4往復中1往復のみ。
他の昼行特急「はくたか」「いなほ」、急行「よねやま」は全便通過です。
六日町と小出は「とき」4往復、「佐渡」「よねやま」全便停車ですからその差は歴然です。
新幹線停車駅でなければ、似た立地条件の塩沢駅同様に特急・急行共に停車しなかったのは確実と思われ、もし新幹線が建設されず、在来線「とき」が今日まで走っていたとしても、恐らく停車駅には加えられなかったでしょう。
純粋に在来線の駅としての格はそのレベルです。

「とき」が定期上下併せて35本が停車する新幹線停車駅としての顔と、通学生がお得意様であるローカル駅としての顔。
この二面性が浦佐駅の特徴であり、これはは駅東口と西口にそれぞれ色濃く表れているのです。

JR東日本によると2015年度の当駅一日平均乗車人員は1,444人で、同年のJR東日本新潟支社管内新潟県内有人67駅中29位。
上越新幹線の駅である事が大きくモノをいってか、上越線の新潟県内諸駅の中では六日町、越後湯沢両駅に次ぐ数字であります。
ただ上越線としての駅の数字は、人口で旧大和町より五千人ほど多い旧塩沢町(現・南魚沼市)の玄関駅で、付近に高校が所在して通学生が集中する立地条件が浦佐駅と共通する塩沢駅の一日平均乗車人員が700人弱である事を考えると、当駅の在来線駅としてのそれは500人台かと推測しますがどうでしょうか?

ロータリーとバス乗り場のある東口は駅前を国道17号線が通る一見賑やか
な場所、しかし通過が多いのは新幹線と同じ。
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浦佐駅東口の様子、2006年9月撮影。
こちら側は上越新幹線の駅としての顔です。

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東口から見た浦佐駅前の様子、2006年9月撮影。
駅前ロータリーには南越後観光バス運行の路線バス乗り場があって、鉄道補完では国道17号経由の小出-六日町線と浦佐-八海山入口経由六日町線が乗り入れています。

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新幹線ホームから俯瞰で見た浦佐駅東口ロータリーの様子、2016年9月撮影。

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新幹線ホームから見た浦佐駅東口周辺の風景、2008年5月撮影。
南魚沼の象徴である後背の八海山は未だに冠雪。

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浦佐駅東口の前を通る国道17号線の小出方を望む、2006年9月撮影。
ロータリーとバス乗り場のある東口は駅前を国道17号線が通る一見賑やかな場所、しかし通過が多いのは新幹線と同じです。
それでも駅周辺にはコンビニ、レストラン、ホームセンター、ホテルがまとまって進出していて、新幹線停車駅の体面を辛うじて守っているようです。


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田中角栄氏の銅像、この屋根を巡っては架ける架けないで色々揉めましたっけw

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浦佐駅西口の様子、2008年5月撮影。
こちら側が上越線の駅としての顔で、旧大和町本来の中心街に面しています。

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浦佐駅西口から見た駅前通り、2008年5月撮影。

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新幹線ホームから見た浦佐駅西口の風景、2008年5月撮影。
古くからの街並みなのは東口のそれと比べれば明らかです。

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西口の駅前商店街、2008年5月撮影。
駅前通りを見渡せば、すぐ奥は小山と森。
通りには見栄えのする酒屋が目立つ程度で後は個人商店だけ。
地方ローカル駅前商店街同様、活気はありません・・・。

この寂れた商店街の中に入り口があるのが「浦佐毘沙門堂」。
毎年三月三日にここを舞台にして「裸押し合い大祭」が開かれます。

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商店街の真ん中にある毘沙門堂への参道、2008年5月撮影。

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堂々たる毘沙門堂山門、2008年5月撮影。

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毘沙門堂の偉容、2008年5月撮影。

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毘沙門堂内参道の様子、2008年5月撮影。

山門も毘沙門も、どーですこの風格!
見れば見るほど味のある、山門の彫刻など惚れ惚れしますなぁ。
ミニチュアにしてお持ち帰りしたいぐらいですよ本当に!
商店街の真ん中に何気に入り口があるのが、構えた尊大さが無くってまた良いのです。
浦佐駅で途中下車する機会がありましたら、ぜひともその目で!

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東口から毘沙門堂を見学し、商店街を進んで上越線を越える陸橋へ、2008年5月撮影。

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陸橋下の八色駅方踏切から見た浦佐駅構内、2008年5月撮影。

その先が国道17号線、国道を越えて更に進むと信濃川の支流・魚野川に行き着きます。

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国道17号線に架かる歩道橋から浦佐駅方面を望む、2008年5月撮影。

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同じく小出方を望む、2008年5月撮影。

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信濃川の支流で魚沼の地の豊穣を約する魚野川の六日町方の風景、2008年5月撮影。

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同じく小出方の風景、2008年5月撮影。
白く揺らぎを見せながら流れる魚野川、初夏に向かいつつある木々の緑、遠景の白い残雪。
冬の名残と夏の階の同居する風景もまた良いのです。

さて駅に戻って・・・
浦佐駅は、新幹線の駅らしく駅舎内は広大です。

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浦佐駅駅舎内の様子、上は2013年10月、下は2008年5月撮影。
コンコースにはコンビニ「Newdays」の他、立ち食いそば屋が出店。
待合室は空調及びTV付きで快適です。
只見線及び上越線を取材していた2004年夏、生まれて初めて「熱中症」にかかり、激しい頭痛に苦しみながらこの待合室に転がり込んだ事があります。
冷房がばっちり効いたこの待合室で、スポーツドリンクを飲みながら小一時間休んだら先程までの頭痛が嘘のように復活(仙豆食べたみたいに)しましたっけ、あの時は本当に、この待合室にはお世話になりました。

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自由通路から五日町駅方を望む、2006年9月撮影。

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同じく八色駅方を望む、2006年9月撮影。

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上りホーム(水上方面乗り場)の五日町駅方から見た浦佐駅構内、2006年9月撮影。
画像奥の橋上駅舎直下にホーム上の待合室があります。

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同じく八色駅方から見た浦佐駅構内、2006年9月撮影。

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上りホーム端から八色駅方を見る、2006年9月撮影。
画像右側にハイモの車庫があります。

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浦佐駅在来線ホームの名所案内板、2006年9月撮影。

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下りホーム(長岡方面乗り場)の八色駅方から見た浦佐駅構内、2006年9月撮影。

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新幹線高架直下の下りホームの様子、上は2013年10月、下は2006年9月撮影。
こちらはてんで画になりません・・・。

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浦佐駅四番線に停車中の115系電車越後湯沢行、2006年9月撮影。

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新幹線高架直下の一番線に到着した115系電車長岡行、2013年10月撮影。

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浦佐駅四番線を出発して加速するE129系電車水上行、2016年9月撮影。
2016年3月ダイヤ改正で上越線・長岡-水上間の普通列車は115系電車からE129系電車に全面更新されました。

浦佐駅において通常、普通列車は新幹線高架下の1番線(長岡方面)と4番線(六日町方面)に発着し、真ん中の2、3番線は遊休化している現状。
上越線の新潟県内区間は定期優等列車が全く走っておらず、普通列車も過疎ダイヤで貨物列車待避の必要性も異常時以外は無いのです。
まして近隣駅では小出、五日町、六日町に待避線があり、新幹線開業後を見据えての駅構内改良であったならば、この辺の無駄をどうにかできなかったものかと・・・。
聞くところによれば、新幹線接続で当駅から只見線に直通列車を走らせる構想があり、この二面二線もその為のものだったとか。
当駅発着の只見線列車は実際設定されていた事もあったのですが、小出駅での只見線-上越線間で直接乗り入れが出来ないという線路配線上の問題で小出駅でのロスタイムがかかり過ぎ、直通の意味を成さないと早々に廃止された経緯があります。
小出駅の配線上の問題は当時から周知の事なので、それを承知で乗り入れ用にとこんな無駄な構内にして・・・先見の明が無さ過ぎですなぁ。
もっとも構内をこのようにする事で、色々美味しい思いをしたお歴々がいらっしゃったのかもしれませんがね、なにしろ今太閤ともてはやされた土建エースの票田ですから。

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新幹線駅構内の様子、2008年5月撮影。
一旦新幹線の改札を入ってしまうと飲料以外の買い物は出来ませんのでご注意を。
この辺も当駅の新幹線停車駅としての格を象徴しているようです。

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ガランとした構内の新幹線待合室、2008年5月撮影。

上越新幹線浦佐駅構内は二面四線、上下の相対式ホームが待避線の形で、ホーム間の二線が通過線になります。

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新幹線ホームも画一的かつ明暗の差が激しくて、私の腕では綺麗に写せず、2008年5月撮影。

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朝陽の上越新幹線浦佐駅を出発するE4系電車の東京行「MAXとき」、2014年5月撮影。
個人的には新幹線ホームは新幹線電車とセットでないと触手が全く伸びないのです。

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夜の上越新幹線浦佐駅に到着したE4系電車の新潟行「MAXとき」、2016年9月撮影。
新幹線電車の駅撮りは夜間撮影の方が画になるようです。

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夜の上越新幹線浦佐駅に停車中のE2系電車東京行「とき」、2016年9月撮影。

最後に浦佐駅に関して資料を当たったこぼれ話としては、当駅から鉱石輸送用索道が伸びていた時期があったという事。
昭和18年、当駅から東方に約12kmの大倉鉱山(ニッケルの一種である硫砒ニッケル鉱・別名ゲルスドルフ鉱を主に産出し、このニッケル鉱は国内では珍しいのだそうです)の採掘を開始、鉱山から浦佐駅まで前述の索道が敷設され、最盛期には各種鉱石を一日100トン近く輸送していたそうです。
しかし大倉鉱山は昭和30年に操業停止、索道もその役目を終えました。

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コメント

別の方のページにも書かせていただきましたが、一度新幹線開業前の浦佐駅の写真を見てみたいと思っています。

投稿: 旭川の自称美女 | 2010年6月 4日 (金) 14時58分

旧浦佐駅の写真は県立図書館の蔵書でモノクロの
ものを一度見た事がありますが、木造のクラシカルな
いたってありきたりの造りだったように記憶しています。
浦佐駅の旧駅舎時代は優等列車は全て通過のいたって
平凡なローカル駅で、電化路線ですから蒸機も走って
おらずSLブームとは全く無縁、また駅前後の区間は
平坦で見せ場に乏しくて、旧型電機や旧型電車の撮影
にはロケーションが宜しくないので、記録している人
は少ないでしょうねぇ。
現在のように、デジカメで記録の為に軽く一枚なんて
時代では無いですし。

投稿: みさっち | 2010年6月12日 (土) 12時59分

地元民です。確かに何もない駅です。広いコンコースは、地元のお年寄りにゲートボール練習に開放されています。新幹線開業前の駅舎の写真は、南魚沼市公民館の大和分館に問い合わせてみてはいかがでしょうか? 大和町時代の、町制何周年だかの町の広報に載っていた気がします。

投稿: びあんか | 2011年4月24日 (日) 22時28分

びあんかさん、はじめまして。
新幹線開業前の駅舎写真、町の広報誌に載ってましたか・・・。
県立図書館で閲覧できればよいのですが、あそこは県立の割に近年・最近の郷土史関係は貧弱なので置いてないでしょうね・・・、自治体の統計書もあまり置いてない始末ですし。
南魚沼市の統計書も置いていませんでした。

投稿: みさっち | 2011年4月25日 (月) 22時36分

地元民です。
まあ地元でなければ「政治駅」「いらない駅」と言うかもしれませんが、地元民としては必要な駅です。確かに派手さはありませんが、それなりに役に立ってるし全国有数の首都圏へのアクセスの良さです。一本で90分あれば東京に行けちゃうのだから・・感謝です。
あと、お気づきかもしれませんが新幹線待合室を見てください。・・他の駅にはあまりないものがあります。
机です。浦佐に「国際情報高校」があり県内でもレベルの高い高校で新幹線通学が多く、待っている時間を利用しそこで勉強できるようになってます。

投稿: こめつぶ | 2011年12月14日 (水) 17時16分

新幹線待合室は駅構内撮影の折に、エントリー
本文に載せてあるように画像を一枚撮ったきり
なので、遠目から見ると「待合室」の表示が
国鉄時代を思い起こさせて、懐かしく感じた
ものですが、そう言われれば確かに机が置いて
ある待合室は、少なくとも新潟県内駅の待合室
では他に見た記憶がありませんね。
しかし待合室でも寸暇を惜しんで勉強とは・・・
上越線だと六日町乗降の高校生たちが車内で
騒いでかなりアレだったりするのですが、
それとは真逆ですね。

投稿: みさっち | 2011年12月31日 (土) 17時33分

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