« 2009年8月 | トップページ | 2009年12月 »

2009年11月の記事

2009年11月28日 (土)

浦佐駅(上越線/上越新幹線)

本日の駅紹介は上越線及び上越新幹線・浦佐駅。

2016年7月17日記、加筆修正及び画像追加しました。

Urasa1011004
Urasa1140916

新潟県南魚沼市に所在する有人駅で、開業は1923年(大正12年)9月1日。
開業当時の所在は南魚沼郡浦佐村です。
同村はその後、昭和31年に周辺3村と合併して新自治体の大和村になり、その6年後には町制を施行して大和町になりました。
大和町は42年間に渡る町制の後、平成の大合併の嵐の中で、平成16年11月1日をもって隣の六日町と合併し、新自治体の南魚沼市になって今日に至ります。

旧大和町は、かつては魚沼地方で最大の人口を誇る六日町と、鉄道道路の要衝である小出町に挟まれた地味な町でした。
鉄道においても六日町と湯沢町に挟まれた前述の塩沢町と同一の扱いで、町の玄関口である浦佐駅は特急は勿論急行さえ一本も停車しない時代が長く続きます。
貨物取り扱いも昭和45年12月に廃止で、六日町、小出両駅に比べるとずっと早い時期でした。
それが俄かに脚光を浴びたのが、上越新幹線停車駅に選定された事。書籍やネットで色々書かれ言われているように「政治駅」と疑念を持たれ揶揄されております。
天下の新幹線停車駅に在来線優等列車停車ゼロでは都合が悪いと思ったのか、新幹線停車相応の駅であるとのアリバイ作りなのか、まず急行「佐渡」が、次いで特急「とき」が昭和55年10月から停車するようになります。
ただし停車本数は、上越新幹線開業前の最後の体制であった昭和55年10月改正ダイヤ時点で「とき」14往復中1往復、「佐渡」4往復中1往復のみ。
他の昼行特急「はくたか」「いなほ」、急行「よねやま」は全便通過です。
六日町と小出は「とき」4往復、「佐渡」「よねやま」全便停車ですからその差は歴然です。
新幹線停車駅でなければ、似た立地条件の塩沢駅同様に特急・急行共に停車しなかったのは確実と思われ、もし新幹線が建設されず、在来線「とき」が今日まで走っていたとしても、恐らく停車駅には加えられなかったでしょう。
純粋に在来線の駅としての格はそのレベルです。

「とき」が定期上下併せて35本が停車する新幹線停車駅としての顔と、通学生がお得意様であるローカル駅としての顔。
この二面性が浦佐駅の特徴であり、これはは駅東口と西口にそれぞれ色濃く表れているのです。

JR東日本によると2015年度の当駅一日平均乗車人員は1,444人で、同年のJR東日本新潟支社管内新潟県内有人67駅中29位。
上越新幹線の駅である事が大きくモノをいってか、上越線の新潟県内諸駅の中では六日町、越後湯沢両駅に次ぐ数字であります。
ただ上越線としての駅の数字は、人口で旧大和町より五千人ほど多い旧塩沢町(現・南魚沼市)の玄関駅で、付近に高校が所在して通学生が集中する立地条件が浦佐駅と共通する塩沢駅の一日平均乗車人員が700人弱である事を考えると、当駅の在来線駅としてのそれは500人台かと推測しますがどうでしょうか?

ロータリーとバス乗り場のある東口は駅前を国道17号線が通る一見賑やか
な場所、しかし通過が多いのは新幹線と同じ。
Urasa01
浦佐駅東口の様子、2006年9月撮影。
こちら側は上越新幹線の駅としての顔です。

Urasa02
東口から見た浦佐駅前の様子、2006年9月撮影。
駅前ロータリーには南越後観光バス運行の路線バス乗り場があって、鉄道補完では国道17号経由の小出-六日町線と浦佐-八海山入口経由六日町線が乗り入れています。

Urasa1110916
新幹線ホームから俯瞰で見た浦佐駅東口ロータリーの様子、2016年9月撮影。

Urasa03
新幹線ホームから見た浦佐駅東口周辺の風景、2008年5月撮影。
南魚沼の象徴である後背の八海山は未だに冠雪。

Urasa04
浦佐駅東口の前を通る国道17号線の小出方を望む、2006年9月撮影。
ロータリーとバス乗り場のある東口は駅前を国道17号線が通る一見賑やかな場所、しかし通過が多いのは新幹線と同じです。
それでも駅周辺にはコンビニ、レストラン、ホームセンター、ホテルがまとまって進出していて、新幹線停車駅の体面を辛うじて守っているようです。


Urasa05
田中角栄氏の銅像、この屋根を巡っては架ける架けないで色々揉めましたっけw

Urasa06
浦佐駅西口の様子、2008年5月撮影。
こちら側が上越線の駅としての顔で、旧大和町本来の中心街に面しています。

Urasa07
浦佐駅西口から見た駅前通り、2008年5月撮影。

Urasa08
新幹線ホームから見た浦佐駅西口の風景、2008年5月撮影。
古くからの街並みなのは東口のそれと比べれば明らかです。

Urasa09
西口の駅前商店街、2008年5月撮影。
駅前通りを見渡せば、すぐ奥は小山と森。
通りには見栄えのする酒屋が目立つ程度で後は個人商店だけ。
地方ローカル駅前商店街同様、活気はありません・・・。

この寂れた商店街の中に入り口があるのが「浦佐毘沙門堂」。
毎年三月三日にここを舞台にして「裸押し合い大祭」が開かれます。

Urasa10
商店街の真ん中にある毘沙門堂への参道、2008年5月撮影。

Urasa11
Urasa12
堂々たる毘沙門堂山門、2008年5月撮影。

Urasa13
毘沙門堂の偉容、2008年5月撮影。

Urasa14
毘沙門堂内参道の様子、2008年5月撮影。

山門も毘沙門も、どーですこの風格!
見れば見るほど味のある、山門の彫刻など惚れ惚れしますなぁ。
ミニチュアにしてお持ち帰りしたいぐらいですよ本当に!
商店街の真ん中に何気に入り口があるのが、構えた尊大さが無くってまた良いのです。
浦佐駅で途中下車する機会がありましたら、ぜひともその目で!

Urasa15
東口から毘沙門堂を見学し、商店街を進んで上越線を越える陸橋へ、2008年5月撮影。

Urasa16
陸橋下の八色駅方踏切から見た浦佐駅構内、2008年5月撮影。

その先が国道17号線、国道を越えて更に進むと信濃川の支流・魚野川に行き着きます。

Urasa17
国道17号線に架かる歩道橋から浦佐駅方面を望む、2008年5月撮影。

Urasa18
同じく小出方を望む、2008年5月撮影。

Urasa19
信濃川の支流で魚沼の地の豊穣を約する魚野川の六日町方の風景、2008年5月撮影。

Urasa20
同じく小出方の風景、2008年5月撮影。
白く揺らぎを見せながら流れる魚野川、初夏に向かいつつある木々の緑、遠景の白い残雪。
冬の名残と夏の階の同居する風景もまた良いのです。

さて駅に戻って・・・
浦佐駅は、新幹線の駅らしく駅舎内は広大です。

Urasa1061013
Urasa21
浦佐駅駅舎内の様子、上は2013年10月、下は2008年5月撮影。
コンコースにはコンビニ「Newdays」の他、立ち食いそば屋が出店。
待合室は空調及びTV付きで快適です。
只見線及び上越線を取材していた2004年夏、生まれて初めて「熱中症」にかかり、激しい頭痛に苦しみながらこの待合室に転がり込んだ事があります。
冷房がばっちり効いたこの待合室で、スポーツドリンクを飲みながら小一時間休んだら先程までの頭痛が嘘のように復活(仙豆食べたみたいに)しましたっけ、あの時は本当に、この待合室にはお世話になりました。

Urasa22
自由通路から五日町駅方を望む、2006年9月撮影。

Urasa23
同じく八色駅方を望む、2006年9月撮影。

Urasa24
上りホーム(水上方面乗り場)の五日町駅方から見た浦佐駅構内、2006年9月撮影。
画像奥の橋上駅舎直下にホーム上の待合室があります。

Urasa25
同じく八色駅方から見た浦佐駅構内、2006年9月撮影。

Urasa26
上りホーム端から八色駅方を見る、2006年9月撮影。
画像右側にハイモの車庫があります。

Urasa1050906
浦佐駅在来線ホームの名所案内板、2006年9月撮影。

Urasa27
下りホーム(長岡方面乗り場)の八色駅方から見た浦佐駅構内、2006年9月撮影。

Urasa1031013
Urasa28
新幹線高架直下の下りホームの様子、上は2013年10月、下は2006年9月撮影。
こちらはてんで画になりません・・・。

Urasa29
浦佐駅四番線に停車中の115系電車越後湯沢行、2006年9月撮影。

Urasa1041013
新幹線高架直下の一番線に到着した115系電車長岡行、2013年10月撮影。

Urasa1100916
浦佐駅四番線を出発して加速するE129系電車水上行、2016年9月撮影。
2016年3月ダイヤ改正で上越線・長岡-水上間の普通列車は115系電車からE129系電車に全面更新されました。

浦佐駅において通常、普通列車は新幹線高架下の1番線(長岡方面)と4番線(六日町方面)に発着し、真ん中の2、3番線は遊休化している現状。
上越線の新潟県内区間は定期優等列車が全く走っておらず、普通列車も過疎ダイヤで貨物列車待避の必要性も異常時以外は無いのです。
まして近隣駅では小出、五日町、六日町に待避線があり、新幹線開業後を見据えての駅構内改良であったならば、この辺の無駄をどうにかできなかったものかと・・・。
聞くところによれば、新幹線接続で当駅から只見線に直通列車を走らせる構想があり、この二面二線もその為のものだったとか。
当駅発着の只見線列車は実際設定されていた事もあったのですが、小出駅での只見線-上越線間で直接乗り入れが出来ないという線路配線上の問題で小出駅でのロスタイムがかかり過ぎ、直通の意味を成さないと早々に廃止された経緯があります。
小出駅の配線上の問題は当時から周知の事なので、それを承知で乗り入れ用にとこんな無駄な構内にして・・・先見の明が無さ過ぎですなぁ。
もっとも構内をこのようにする事で、色々美味しい思いをしたお歴々がいらっしゃったのかもしれませんがね、なにしろ今太閤ともてはやされた土建エースの票田ですから。

Urasa30
新幹線駅構内の様子、2008年5月撮影。
一旦新幹線の改札を入ってしまうと飲料以外の買い物は出来ませんのでご注意を。
この辺も当駅の新幹線停車駅としての格を象徴しているようです。

Urasa31
ガランとした構内の新幹線待合室、2008年5月撮影。

上越新幹線浦佐駅構内は二面四線、上下の相対式ホームが待避線の形で、ホーム間の二線が通過線になります。

Urasa32
新幹線ホームも画一的かつ明暗の差が激しくて、私の腕では綺麗に写せず、2008年5月撮影。

Urasa1070514
朝陽の上越新幹線浦佐駅を出発するE4系電車の東京行「MAXとき」、2014年5月撮影。
個人的には新幹線ホームは新幹線電車とセットでないと触手が全く伸びないのです。

Urasa1130916
夜の上越新幹線浦佐駅に到着したE4系電車の新潟行「MAXとき」、2016年9月撮影。
新幹線電車の駅撮りは夜間撮影の方が画になるようです。

Urasa1120916
夜の上越新幹線浦佐駅に停車中のE2系電車東京行「とき」、2016年9月撮影。

最後に浦佐駅に関して資料を当たったこぼれ話としては、当駅から鉱石輸送用索道が伸びていた時期があったという事。
昭和18年、当駅から東方に約12kmの大倉鉱山(ニッケルの一種である硫砒ニッケル鉱・別名ゲルスドルフ鉱を主に産出し、このニッケル鉱は国内では珍しいのだそうです)の採掘を開始、鉱山から浦佐駅まで前述の索道が敷設され、最盛期には各種鉱石を一日100トン近く輸送していたそうです。
しかし大倉鉱山は昭和30年に操業停止、索道もその役目を終えました。

| | コメント (6)

2009年11月27日 (金)

鳩山政権、防衛予算削減ス

備忘録的に本日も一言・・・。

鳩山内閣が検討している来年度の防衛力整備方針案が25日、分かった。基本原則
として「マニフェスト財源捻出(ねんしゅつ)の必要性や中期防衛力整備計画策定
による経費総額の見積もりがなされていないことなどを踏まえ、新規後年度負担額
を厳しく抑制する」と明記。09年度まで7年連続で減少を続けている防衛予算の、
更なる削減を目指す。 →http://www.asahi.com/politics/update/1125/TKY200911250238.html

これまで防衛政策については不気味な程沈黙を守ってきた鳩山政権ですが、
とうとう本性を現し始めましたね。
所得制限無しでバラまく子供手当などの財源に、防衛力を更に切り崩すようです。
防衛力は外交と並んで国際社会で国家が相応の地位で立ち居振舞う上で、必要不
可欠なものです。
左向きの方はこう言うとすぐ軍国主義とか大砲かバターかの話をしますけれど、
国際社会の現実は、重力定数が不変なように昔も今もこれからもそうなのです。
確かに無駄を無くしていく事は必要な事ですが、明らかにそれ以上の領域に手を
突っ込もうとしているこの政府この政党、・・・これまでの言動行動から予想はつい
ておりましたけれど、実際の問題として浮かび上がってくると、慄然とした思いを
禁じ得ません。
再来年度からは新しい防衛計画に従って実行に移されるであろう防衛力の大削減、
リアリストである外国人投資家はドン引きになるでしょうね、現状でも危険領域に
入りつつあるというのに。
自分の国を自分で守ろうという気概を持たない国など危なくて投資できませんよ。

周辺各国が軍拡中にもかかわらず(しかも膨張主義や反日を隠そうともしない)、
標的になっている当事国は子供手当(親が使い込んだらハイそれまでよ)やバラ
マキその他の麻薬みたいな政策遂行の為に防衛力を率先大削減。
更に永住外国人への地方参政権付与(これまでうまく行った国は無し、韓国とは
相互主義というけれど、向こうは在韓永住日本人への参政権付与は高いハード
ル付き、中国人に対しては相互主義を取らないそうです・・・)や、
「外国人住民基本法」(不法滞在でも日本に三年以上居住していれば永住資格
を、五年以上なら日本国籍を付与)などという、日本国憲法の大原則「国民主権」
を完全に無視し踏みにじる事を(天皇制廃止や三権分立が無くなり特定の個人
政党の恣意的判断で立法司法可能になるのと同様の深刻な問題と言えば皆様
わかられるでしょうか?)、更には日本人の雇用促進を放り投げて移民による
労働力確保(これは民主党に限った話ではなく、自民党も同じ)などと、狂って
いるとしか思えない政策の積極推進。
国際経済のメジャープレイヤーの地位を下ろされ(自主的積極的に降りたがっ
ているとしか思えない)、米国との関係悪化で輸出産業は大打撃を受け、防衛
力大削減で外国人投資家の足はますます遠のき、技術立国の看板も技術関係
予算の大削減で机上の空論化、内需誘導に無為無策、加えて政治は特定外国
人とその背後にいる国家の強い干渉を受ける。
日本は無くなりますよこのままでは。

自衛隊の人員に関しては現状維持するそうですが、そうなると人件費には手を
突っ込めません。
となると、矛先は正面装備費と訓練修理運用費に行きます。
この両者を併せても、防衛関係費の40%弱にしかならず、仮に全部削ったとしても
大した額にはなりませんが、特に正面装備費に手を突っ込んで大砲かバターかの
論議を仕掛ければ、マスコミは大いに取り上げ(当然バター最優先で)、子供手当!
高速無料化!な有権者は飛びつくでしょう。

正面装備費については政治マターとして今回の「仕分け」では扱わないとの事です
けれど、防衛予算削減と正面装備費削減がイコールである限り、来年以降は調達
案件個々についてレンホー先生から魔女裁判の如き理不尽な追及がなされるや
もしれませんね。

また正面装備費を削る事は、部隊数削減に繋がり当然人員も減員になります。
自衛隊の場合、正面装備購入は軍拡ではなく既存装備の更新なのですから。
報道では「現有装備の改修による有効利用」を実施するそうです。
しかしこれとて限度があります。
例えば空自ではF-4戦闘機は物理的限界に近づいていて、延命は不可能に近
いのです。
先日書いたF-35導入の件はこの更新目的ですけれど、この導入が無くなれば、
F-4の退役=代替機無しに付き要撃飛行隊2個純減になるのです。
陸自、海自についても同じく。
それなのに人員は維持・・・、余剰人員は「友愛ボート」にでも乗せて、
「ぼくたちこんなにこくさいこーけんしてるょ!」なマスターベーションの道具として
丸腰でアフガンやらどこへやらと送り込む算段なのでは?と誇大妄想気味なのは
重々わかっているつもりでなお勘ぐってしまいます。

最後に・・・
私の専門?分野の海自で、仮に来年度及びそれ以降五年間の新たな防衛計画
(2011~15年度)下で護衛艦と潜水艦の新規調達がゼロだった場合、2020年
の護衛艦と潜水艦数はかくの如し。

護衛艦34隻:内訳:DDHx2隻(ひゅうが型2隻)、DDGx6隻(あたご型
2隻、こんごう型4隻)、DDx22隻(5000トン型x4隻、たかなみ型x5隻、
むらさめ型x8隻、あさぎり型x5隻)、DEx4隻(あぶくま型4隻)。
他にTVとしてむらさめ型1隻、あさぎり型2隻。
潜水艦12隻:内訳:そうりゅう型x5隻、おやしお型x7隻)。
他にTSSとしておやしお型2隻。

護衛艦は現大綱別表の定める47隻に比べ13隻、約28%減、潜水艦は同じく
16隻に比べ4隻、25%減になります。

いくらなんでもここまで極端な事はすまいと思いたいところですが、もしこうなった
場合、日本は潜水艦建造能力を失うかもしれません、護衛艦建造能力に関しても
かなり深刻な事態になるでしょう。
一度失った能力や技術はもう戻らないと考えた方がいいでしよう。
陸自、空自についても同様です。

| | コメント (0)

2009年11月26日 (木)

踊り子さんにはお触り禁止だそうです

これもまた備忘録的に一昨日の追加。

米国防総省が、開発中の次世代戦闘機F35に搭載されるソフトウェアについて、
同機を共同開発する英国などにプログラムを公開しない方針であることが分かった。
→http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-12621820091125

F-22ラプターはもしFMSで導入できても、ソフトウェアはお触り厳禁で国産
航空兵器の運用をしたかったら先方にインテグレーション丸投げ確実でしたけれど、
ラプターのレーダーFCSの空対空能力縮小対地攻撃追加版であるF-35につい
ても、お触り厳禁という事ですね・・・。
日本製の空対空ミサイル、AAM-4シリーズもAAM-5も対艦ミサイルも、米国
にインテグレーション丸投げ決定ですな。
ソースコードは全部向こうに知られます。
また国産航空兵器を搭載出来ない(ソースコード開示をしたくない)という事であれ
ば、米国製のAAMやASMをF-35用に併せて導入しなければならなくなります。
それじゃ搭載兵器も自国製を強要するフランスのラファールを笑えません。
もし航空兵器もライセンス生産不可FMSのみとなったら継戦能力の悪化は避けら
れず、なんだか日本詰んじゃったと閉塞感で嫌な話・・・。
これでF-15プレMSIP型の後継も同様の事態に見舞われたら、国産戦闘機開発
の目処が立たない現状で搭載可能機(F-15近代化型とF-2)が先細りでは、
スケールメリットが生かせずに費用対効果がすこぶる悪くなる国産航空兵器開発
から撤退という事になるでしょう。
そうなれば何から何まで米国頼りですよ。
これでも防衛省はF-35が良いのでしょうか、疑問です・・・。
民主党的にはF-35FMS導入でとりあえず米国のご機嫌をとりつつ、将来中国
サマや朝鮮サマの障害になりそうな日本の戦闘機や国産航空兵器開発能力を
撲滅出来るので美味しい話なのかもしれませんけどね。

| | コメント (0)

2009年11月25日 (水)

土底浜駅(信越本線)

本日の駅紹介は信越本線・土底浜駅。

2017年2月24日記、画像一部入れ替え及び加筆修正しました。

Dosokohama1010504

新潟県上越市に所在する無人駅で、昭和35年(1960年)3月15日の開業です。
開業当時の所在は中頚城郡大潟町で、大潟町はその後平成17年元日をもって上越市に編入されて今日に至ります。
駅名は当駅から1km弱北方の日本海に臨む土底浜から取られていますが、海への近さの割りに潮の匂いはあまり感じられません。
周辺は工場や事業所と民家が混在していていて色彩もどこかくすんで見えて海の青さを連想させるものがほとんど無く、海岸端の土地に見られるある種の孤愁感も無いのがその要因かと。

上越市統計要覧によると、土底浜駅の2007年度年間乗車人員は69,700人で、単純計算すると一日平均約191人。
隣の潟町駅と比べてもそれほど差は無く、味も素っ気もない駅の佇まいに反して、なかなか侮りがたい存在なのですよ。

Dosokohama1020913
土底浜駅至近の国道8号線、2013年9月撮影。
あらゆる種類のクルマがひっきりなしに往来しています。
路線バスはこの国道に並行する海岸方の県道に、頸城バス運行の上越妙高駅-鵜の浜線があります。
本数は比較的多く、潟町、土底浜、犀潟、直江津以遠の鉄道補完手段として機能しています。
土底浜駅と潟町駅の間の、国道と県道に挟まれたエリアが旧大潟町の中心街で、旧町役場、町に各一校の小中学校が集中しています。

Dosokohama01
土底浜駅下りホーム(長岡方面)待合室の様子、2004年9月撮影。
建築財産票によると昭和32年1月完成。
当駅の開業は前述したように昭和35年なので、それよりも3年も前に完成していたことになります。
裏付ける資料は何も無いので完全に私の妄想ですが、もしかしたらその三年間、仮乗降場として既に営業していたのではないでしょうか!?

Dosokohama1030913
下りホーム待合室内の様子、2013年9月撮影。
内部は昔ながらの壁に作りつけのベンチと自動券売機が一台。

Dosokohama1071006
以前の土底浜駅下り待合室前の様子、2006年10月撮影。
この日は後述のSLイベント列車見物客が多くて、ここに駐車している車もその人たちのもののようでした。
この当時、当駅のトイレは画像中央の待合室の右隣の青い壁の建物。
内部はその・・・男子のお小水用は小便器式でなく「壁」でしたのよ。
下に溝があって、壁にかかったお小水はそこに落ちていくというもの。
私もいい歳をしたおっさんですけど、あんなトイレを見たのは物心ついてから初めてで驚愕しましたよいやマジな話。
個室は恐ろしくて確認出来ませんでした。
汲み取りなのはまず間違いなく、内部は相当に汚いであろうと容易に想像がついたので。

Dosokohama1050913
Dosokohama1060913
2013年9月当時の土底浜駅下り待合室前の様子。
上屋付きの駐輪場が整備され、くだんのパンチ効き過ぎなトイレは撤去されていました。

Dosokohama07
下りホームの潟町駅方から見た土底浜駅構内、2004年5月撮影。
構内は上屋の無い対面式ホーム2本で、いたってシンプルな風情です。

Dosokohama1040913
下りホーム端から潟町駅方を見通す、2013年9月撮影。
この日は九月半ばの晴天の夕方で、とにかく光量過多で順光でも撮った画の大半はガビガビビカビカ。
これでも一番マシな部類の画だったのですよ。

Dosokohama08
潟町駅方の踏切から見た土底浜駅全景、2004年5月撮影。
画像左手に見える通路は道路と繋がっていて、この踏切が跨線橋も構内通路もない当駅のホーム間連絡路になっています。

Dosokohama06
上りホーム(直江津方面乗り場)の犀潟駅方から見た土底浜駅構内、2004年5月撮影。

Dosokohama05
上りホーム上の待合室内部、2006年10月撮影。
建築財産票によると昭和43年3月完成。
画像には映っていませんが、ここにも自動券売機が設置されています。
上越市東部近郊の当駅の場合、利用客の指向は圧倒的に直江津方面でしょうから券売機設置は妥当なところかと。

Dosokohama1010913
土底浜駅を出発する下り長岡行115系普通列車、2013年9月撮影。
当駅は潟町駅へ1.8km、犀潟駅には2.3km強の近さ。
恐らく機関車の加減速性能上の問題から、国鉄時代は普通客車列車が当駅を通過するケースがままありました。
今日は勿論普通列車全便が停車しています。

Dosokohama10
土底浜駅を通過する485系電車T編成の特急「北越」金沢行、2004年9月撮影。

Dosokohama11
C57形蒸気機関車牽引のイベント列車長岡行が土底浜駅を通過、周辺住民の見物人が凄い・・・、2006年10月撮影。

| | コメント (0)

2009年11月24日 (火)

空自FXはF-35で決定か!?

備忘録的に気になる事に一言・・・。

防衛省は航空自衛隊の次期主力戦闘機(FX)に次世代戦闘機F35採用をする
方向で調整に入った。
→http://news.nifty.com/cs/headline/detail/kyodo-2009112201000381/1.htm>

あれほど恋焦がれていたF-22ラプターは輸出不可と米国に事実上の引導を
渡され、結局選定作業を一年先延ばししたF-4の後継機問題ですが、防衛省
はこれで一応の方向性を決定した事になります。
しかしうーむ・・・F-35ですか、しかも当面の導入はたったの40機。
F-35プロジェクトが多国間開発である事から、我が国は武器輸出三原則の
見直し無しにこれに参加する事は困難で、それはすなわち導入手段がFMS
のみになります。
またF-35購入に当たっては、「お布施」のレベルの高さによって優先順位が
決められておりますので、それを額面通りに受け取るとかなりの「お布施」を
しない限り、後発の日本の購入の順番は後回しにされて差し迫ったF-4の
退役にはとても間に合わないのです。
ただ・・・、聞くところによると「お布施」支払済みの国々からも計画撤退や導入
機数の大幅削減の動きがあるとやらで(リーマンショック以来の財政危機に
加えて、開発計画の遅れや性能に比して安価と言われたコストの増大などで)、
購入の順番自体は速まりそうです。
米国としてもこういった不穏な動きがある中、日本が手を挙げて穴埋めしてくれ
るのは願ったり叶ったりでしょう。

このように導入手段がFMSだけという事は、当然これまでの空自主力戦闘機
装備の大前提だったライセンス生産が出来ず、現在生産中のF-2支援戦闘機
のラインが閉じる2011年度以降は日本国内での戦闘機生産基盤が失われる
という防衛政策上、実に由々しい事態に繋がります。
勿論F-4後継機を純外国機にした場合、ライセンス生産可能となっても2012
年度から即生産という訳にはいきません。
ラインが動き出すのはその数年後でしょう。
しかしこれから先生産の目処が全く立たないのと、数年先には確実に再開でき
るのとでは、同じ生産空白期間でも意味合いは全く異なります。
前者の場合、業界は戦闘機生産事業から完全撤退という事になるでしょう。
一度完全撤退した場合、再建には相当の期間と費用が必要と思われ、国産
戦闘機F-3の夢も事実上潰えることになります・・・。

米軍向け価格よりかなり高いFMS価格、それより更に高額を要するライセンス
生産を巡っては、各方面から色々な意見が出ていたところです。
確かに高額です、F-15のライセンス生産末期の価格は一機120億円もした
のですから。
FMS導入なら100億程度で買えたでしょう。
しかしライセンス生産は高い稼働率を維持する為には必要不可欠です。
ブラックボックス以外の部品は国内で容易に入手出来るのですから。
FMSでは部品も米国の都合待ち。
米軍優先で、悪く言えば海外ユーザー向けは「余裕があったら送るからね~♪」
ですよw
家電製品のアフターサービスとは訳が違うのです。
戦闘飛行隊が現在の2倍あるなら話は別ですが、防衛計画大綱別表で戦闘
飛行隊の数も戦闘機保有数もがっちり枠をはめられている空自は、必然的に
少数精鋭です。
それを支えるのがライセンス生産に裏打ちされた機体の高稼働率であり、
パイロットの高錬度なのです。
その前提を自ら崩そうとしている日本の空の守りはどうなるのか、周辺諸国
が軍拡に走る中で・・・。

それにそもそもF-35の性能自体が日本の戦略環境には合致しているとは
言い難いと思うのです。
有り体に申せば、F-35の位置付けは「自衛能力の高い中ステルス攻撃機」。
防衛政策を抜本的に変更し、要撃戦闘機を削減してその代わりに新たに敵地
侵攻能力を備えた戦闘攻撃機を導入するというのなら相応しい存在でしょう。
空中給油機の増勢とセットで北朝鮮のミサイル基地を爆撃するというのであれ
ばです。
そうでは無く純粋にあの機を迎撃戦闘機に、しかも戦闘機生産基盤喪失と
引き換えに導入する価値は果たしてあるのだろうかと甚だ疑問に感じるところです・・・。

F-2支援戦闘機の生産縮小は自公政権下で決定した事で、現政権にはそれを
反故にする上で何のしがらみも無いでしょう。
であるならば、焦ってF-35に手を出してドツボに嵌るよりは、F-2の改良型
(現在アップデートが進みつつある既存生産機の仕様ベースで)を生産したほうが
良いのではと考える次第です。
(私は以前はタイフーン導入派タイフーン万歳!でしたけれど、現在は違います
ので裏切ってごめんなさい)
F-2は米国との共同生産なので、生産縮小によりラインを閉じる先方のメーカー
担当分を日本で行う事になり、契約上色々と解決しなければならない問題も発生
するでしょう。
しかしそれを踏まえてもなお、F-2改良型生産の方が日本にとっては旨みが
多いと思うのです。
そしてF-35については、すぐにでも米国との協議の場を設けて日本仕様の
要撃型共同開発と出来うればライセンス生産(F-2同様の共同生産も止む無し)
について話し合うべきです。
F-22導入が不可能である以上、ステルス性と先進アビオニクスを持つ新世代機
の叩き台はF-35以外に無いのですから選択の余地は無い筈です。
共同開発機を新型機扱いにして別のナンバーを振ってしまえば、武器輸出三原則
のしがらみからも、F-35計画参加国のブーイングからも逃れる事も出来ます。
(多分・・・)
そして開発されたF-35ベースの新型機をF-15非近代化型の後継として導入
するのが、無い知恵を絞りきった末の私の出した最善の結論なのですが、如何に!?

・・・でもまぁ、身も蓋も無い話をしてしまえば「純減」でしょうけどね。
防衛計画見直しは来年度実施されますけど、そこで戦闘飛行隊2個以上の純減
が決まってしまえば、F-35もF-2改良型もハイサヨウナラ。
または来年の今頃、例の「仕分け作業」でF-X計画が槍玉に挙げられ、必死に
計画の妥当性、必要性を説く防衛官僚や空自制服組に対して豪腕・レンホー先生
が決して目が笑っていない笑顔で一言、

「諦めてください♪ 以上です」

| | コメント (0)

2009年11月23日 (月)

妙法寺駅(越後線)

本日の駅紹介は越後線・妙法寺駅。

2017年3月20日記、画像貼り替えと加筆修正を実施しました。

Myohoji1010604

新潟県長岡市に所在する無人駅で、臨時停留所時代に遡ればウイキペディアによると大正2年(1913年)5月27日の開業です。
開業当時は三島郡島田村の所在で、その後島田村は昭和30年3月に隣の桐島村と合併して和島村となり、平成18年元日をもって長岡市に編入されて今日に至ります。
和島村の中核になっていたのは旧桐島村で、村の玄関駅も旧桐島村域の小島谷駅。
2003年度までは有人駅で、現在も列車交換設備を有し越後線南部区間の運転上の要衝である小島谷駅とは対照的に、列車交換設備もかなり以前に撤去されて静かに佇む無人駅、それがここ妙法寺駅です。
当駅は海岸から2km弱内陸に入った地域にあって、越後線の諸駅の中では最も海に近いのです。
しかし遠くに小高い丘(山)や森を見るここに、海の気配は毛ほども漂っていません。


Myouhouji01
Myohoji1020613
妙法寺駅駅舎の様子、上は2004年6月、下は2013年6月撮影。
建築財産票によれば昭和55年12月28日の竣工で、許容積雪量は130cm。
厚みのある屋根が許容積雪量の多さを雄弁に物語っています。
建物は丸みのある窓が特徴的で、個人的には大きな公衆トイレを想起させられます。
同時期に改築された信越本線の上下浜駅なども似た印象で、1980年前後はこういうデザインがトレンドだったのでしょうな。
近年のローカル駅舎の傾向に漏れず、当駅の駅名表示も建物に立体文字を貼り付ける方式からJR東日本標準仕様の駅名板に変わっています。

Myohoji1050613
妙法寺駅駅前広場の様子、2013年6月撮影。
駅前広場?は周辺の生活道路の一部のような感じ。
画像左側の車が2台程停められそうな空間は未舗装です。
鉄道隆盛時代に生まれたかつての村の玄関駅としてはこじんまりしていますけれど、これは当駅の元々の出自が官営鉄道ではなく地方ローカル私鉄であったのが要因でしょうね。

Myohoji1060613
駅舎から見た妙法寺駅の駅前通り、2013年6月撮影。
駅周辺はごく普通の小集落で、特に目を惹くようなものはありません

Myohoji1140613
駅前通りを直進すること約300mで国道116号線に到達、2013年6月撮影。
歩行者信号機がボタン式なのが、いかに歩行者が少ないかの証であります。
この時点では駅周辺にもこの国道の見渡す限りにおいてもコンビニはありません。
食堂なども無いので、駅廻りでしばらく滞在する際は軽食持参が無難でしょう。
また鉄道以外の公共交通機関は、妙法寺駅から越後線と並走する県道を出雲崎方に1km程行くと「大寺」バス停に行き着きます。
大寺バス停は北越後観光バス運行の路線バス出雲崎駅経由出雲崎車庫線の起終点ですが、路線は平日1日3往復で土休日は全便運休です。

Myohoji1030613
Myohoji1040613
妙法寺駅駅舎内部の様子、2013年6月撮影。
待合室で前回訪問の2006年10月時と変わっていたのは、ベンチが以前の退色した朱色の長物からJR東日本定番型に更新されていたことぐらい。
上の画には窓口跡がはっきり残っていて、当駅は昭和55年末の駅舎改築からしばらくの間は有人駅であった事を暗示しています。
推測するに、少なくとも越後線電化完成の昭和59年4月まではそうだったのではないか? 果たして実際はどうなのでしょうか。
なお当駅の利用状況は、長岡市統計年鑑によると平成20年度の年間乗車人員は15,500人で、単純計算すると1日平均約40人。
隣の元有人駅の小島谷駅は1日平均約110人で、その隣の桐原駅は1日平均約50人。
残念ながら当駅は、出雲崎周辺ではおそらく最も乗車人員が少ないのではないかと思われます。
小木ノ城駅石地駅も、当駅前よりは集落も幾分大きいですしね。

Myohoji1070613
元々は島式だったホーム側から見た妙法寺駅駅舎、2013年6月撮影。
建物の右端のドアが開いているところがトイレですが、この時には以前と同じく男女共用であったものの洋式に改装されて見違えるように綺麗になっていました。
洋式化とはすなわちバリアフリー化であり、当駅のような過疎路線の小駅にもささやかながらその波が押し寄せたのです。

Myohoji1080613
ホームの出雲崎駅方から見た妙法寺駅構内、2013年10月撮影。
駅舎の左右に木々が茂っていて、ここからでは駅舎が見えず見通し悪し。

Myohoji1090613
ホーム端から出雲崎駅方を見通す、2013年10月撮影。


Myohoji1100613
ホームの小島谷駅方から見た妙法寺駅構内、2013年6月撮影。
ホームの有効長がそもそも短いからなのか、現在の有効長を示すべき黄色の太線はこの時点では描かれていません。
ホーム上の白線も両端部以外は消えているので、会社的には安全上の言い訳が立たず少々マズいのでは?と思うところです。

Myohoji1110613
ホーム端から小島谷駅方を見通す、2013年6月撮影。

Myouhouji11
駅裏から見た妙法寺駅の様子、2004年6月撮影。
ホーム端の基礎部分が他と違うのは後付の延長部だからなのかどうか。
2006年10月現在、駅裏での耕作は止められ一面に雑草が生え、測量が始まりショベルも入っていました。
何かの造成工事を始める様子でしたが、2013年6月再訪時には何も変わりなく拍子抜けだったのです。

Myouhouji12
出雲崎方踏切から見た妙法寺駅構内の様子、2004年6月撮影。

Myohoji1120613
Myohoji1130613
妙法寺駅を出発する115系電車吉田行、2013年6月撮影。
当駅に発着する定期列車は上下合計20本。
けして多いとは言えない本数の上、運行時間帯が偏っているので鉄道での訪問は少々難儀なのです。

Myouhouji05
妙法寺駅周辺で唯一の見所なのが、国道116号線を越えた先にある日蓮宗総本山・村田妙法寺です、2006年10月撮影。
妙法寺駅は恐らく地区名の「村田」よりも周辺で著名なこの妙法寺にあやかって命名されたのでしょう。

Myouhouji06
パッと見だけでしたが、案内立て札によると天和二年(1682年)に建てられた朱色の門が風格を感じさせて良いのです、2006年10月撮影。
無宗教の私でも、宗教宗派関係なく歴史ある建築物には圧倒させられます。

Myouhouji07
村田妙法寺の横にひっそりあった看板がコレ、「村岡城跡ハイキングコース」。
2006年10月撮影。

Myouhouji08
ハイキングコースの登り口の様子、2006年10月撮影。
この「村岡城」、南北朝時代に築城されたのだとか。
近年このような城跡に興味を持ち始めた身としてはぜひ一見を・・・、しかし案内では村岡城跡まで所要19分、次の電車まで残り20分、8時7分発吉田行に乗らねばならぬのです。
城跡を見聞したいのは山々なれど、次の吉田行は10時55分!
前述したように路線バスもありませんから、見聞すると丸二時間はこの地で立ち往生です。
両隣の小島谷、出雲崎両駅まではそれぞれ3km、5km。
時間がもったいないし、どちらかまで歩いてみてもいいだろうか・・・
うーむ、しかしこんな機会もそうは無いだろうし、この際だからもういっちゃえ!と覚悟を決めてハイキングコースを登り始めたものの、獣道に毛が生えたような下は足場が悪く傾斜も予想以上に急。
前途を見れば鬱蒼としていて、季節がスズメバチの活動最盛期なのを考えるとこのまま先に進むのは危険かもと弱気が頭をもたげてきて、結局心残りのまま駅へ引き返して今日まで未踏という仕儀でございます。

| | コメント (0)

2009年11月22日 (日)

岩船町駅(羽越本線)

本日の駅紹介は羽越本線・岩船町駅。

Iwafunemachi101

新潟県村上市に所在する無人駅で、大正3年(1914年)11月1日の開業です。
開業当時の所在は岩船郡西神納村ですが、それなのに隣の当時・岩船郡岩船町(現在は村上市の一部)の名を名乗っているのには、それなりの理由があります・・・。

この地域に駅を置く事は、鉄道敷設計画当初から決まっていた事でした。
海運で賑わう岩船港の最寄で、貨物輸送では相応の需要が見込めたからと推察されます。
当初計画では、駅設置は現在位置より1km強北方の岩船町八日市地区でした。
ここなら岩船港から1km強、専用線を引く事で海運との連絡もうまくいった事でしょう。
旅客についても人口集積地の岩船町中心部の至近で、地域の中心・城下町村上と直接結ばれる事のメリットも大きかったと思われます。
(この案が通っていたならば、平林駅-岩船町駅-村上駅間は現在の直線ではなく、岩船町駅を頂点とした二等辺三角形状になっていた事でしょうね)

しかし、いざ実地測量にかかってみると、駅設置予定地区周辺は海抜ゼロメートルの沼地で地盤の状態は最悪・・・。
港(つまり海岸)まで1km強しかない町の縦深性の無さでは他に代替地が無く、町は止む無く南隣の西神納村に駅用地斡旋を依頼したそうです。
当時の各地での鉄道誘致熱を考えると、話を持ってこられた村はコレ幸いと自分たちに都合のいい場所に置くように色々と画策しても不思議ではありません。
しかし西神納村はそんなえげつない事はしませんでした、村は岩船町に少しでも近い小口川地区の土地(現在の駅)を駅設置用に準備。
鉄道側はそれを受け、恐らくは駅名を巡って岩船と西神納が揉める事が無いように、土地の名前「小口川」をそのまま駅名にしようと考えます。
ところが岩船町、西神納村双方が駅名を「岩船町」にするように、当時の鉄道院総裁に直訴するまでして嘆願、結果駅名は現在の「岩船町」に落ち着いたとの由。
西神納側とすれば、この地域で村上に次ぐ力を持つ岩船と争うよりも、岩船の名前を利用した村造りが得策と考えたのかもしれません。
海運で既に潤っている岩船が、鉄道駅の名前による新たな効果をプラスしてますます発展すれば、その余禄を村が頂戴する事も有り得ます。
岩船は駅用地と駅名の件で村に借りがありますから、村への様々な配慮が欠かせないのも容易に想像のつく事です。
己の力量を知り、あえて名を捨てて実を取る・・・それが西神納村の生き方。
村の決算書は果たしてどのようになっていた事でしょう?
なお西神納村は昭和30年に近隣二村と合併して新村の岩船郡神林村の、岩船町は昭和29年に村上町他三町村と合併して、新自治体の村上市のそれぞれ一部になり、平成20年4月に村上市と神林村他三町村が合併して現在の「新」村上市へ至ります。

さて、こうして開業した岩船町駅は、岩船の海運とうまく連携して、昭和初期までは貨物取り扱いで村上駅を凌ぎ、その後次第に衰退しつつも海運との連携は太平洋戦争直前まで続いたとの事です。
戦後は海運の衰退とモータリセーションの波を受け、駅の機能は順次削減。
ウィキによれば貨物取り扱いは昭和47年(1972年)9月に廃止。
当時の国鉄新潟鉄道管理局の営業近代化施策の一環で、この時期に需要の小さい貨物取り扱いが一気に廃止されておりますけれど、当駅のそれもバッサリ斬っても構わないレベルにまで落ち込んでしまっていたのでしょうね。
一時の繁栄とその後の凋落の早さ・・・以前紹介した北陸本線・親不知駅のケースと重なります。

さて岩船町駅は単線上にあり、構内は一面三線。
ホームは島式で幅広なのが特徴です。
駅舎とホームは線路を隔てていて、跨線橋で連絡しております。
跨線橋のホーム側出入り口は平林方に偏って置かれており、ゆえに学生の登下校時には乗降の偏りが起こりそう。
ホーム上は跨線橋出入り口から村上方にわずかな上屋がかかっている以外、待合室もベンチも無い素っ気無い風情。
こののっぺり感は北陸本線・市振駅と相似。

Iwafunemachi05
岩船町駅構内の駅舎と跨線橋・ホームの位置関係、2004年8月撮影。

Iwafunemachi1080413
岩船町駅跨線橋内の様子、2013年4月撮影。
窓は左右共固定式なので俯瞰マニアにとっては残念無念。

Iwafunemachi1090413
跨線橋内の高所の窓に目一杯腕を伸ばして、村上方面を一枚。
2013年4月撮影。


Iwafunemachi09
跨線橋出入り口とホーム上屋付近の様子、2004年8月撮影。

Iwafunemachi06
島式ホームの村上駅方から見た岩船町駅構内、2004年8月撮影。


Iwafunemachi07
島式ホームの平林駅方から見た岩船町駅構内、2004年8月撮影。

Iwafunemachi08
平林駅方踏切から見た岩船町駅全景、2004年8月撮影。

Iwafunemachi1101015
村上方の陸橋上から見た岩船町駅構内、2015年10月撮影。

Iwafunemachi18
村上方へ向かって左側にある側線、2003年11月撮影。
当駅を取材目的で初めて訪問したこの時点では保線車両が止まっていて、この時点まだ「生きている」のがわかります。(本線村上方と繋がっています)
その後はこの側線に車両が止まっているのを見ていないので、現在も生きているのかどうかは不明・・・。

直線区間上にある駅なので、特に村上方への展望は開けているはずなのですが、そこは長編成の蒸機全盛時代に作られたホームゆえ、現在では遊休化が歴然。
遊休化した部分には雑草が生い茂り、近年村上方に出来た白い自動車跨線橋と相まって、本来なら直線区間をカッ飛ばす列車を眺められるはずのロケーションも残念色一色。
構内南側の線路は待避用で、ここにはホームはありません。
この区間は昔から何度と無く通っておりますけれど、この待避線に停車する列車を見た事が一度も無く、待避線剥がしに御執心の当局がよく手を付けないものだと呆れつつ関心しておった次第でした。
しかし長年のこの生温かい思いも昨年(2008年4月)氷解!
旧岩船町中心部を見て回った帰り、電車待ちをしていたら貨物列車が待避線に進入停車、村上行き普通列車を待避していました。

Iwafunemachi10
岩船町駅で通過待ち合わせ中の115系普通列車と通過する485系電車T編成の特急「いなほ」新潟行、2006年10月撮影。

Iwafunemachi11
岩船町駅を通過する485系電車R編成の「いなほ」新潟行、2004年8月撮影。

Iwafunemachi1021015
岩船町駅を通過するE653系電車の特急「いなほ」新潟行、2015年10月撮影。

Iwafunemachi1031015
岩船町駅を出発する115系電車普通列車村上行、2015年10月撮影。

Iwafunemachi1040913
岩船町駅で行き違う115系普通列車。
左は新潟行、右は村上行、2013年9月撮影。

Iwafunemachi1050913
当駅を含む新発田-村上間で日中見かける機会の少なかった、E127系電車普通列車新潟行、2013年9月撮影。


Iwafunemachi12
当駅には朝夜に姿を見せるキハ110系気動車普通列車酒田行、2003年11月撮影。

Iwafunemachi1061015
岩船町駅を出発するキハ40系気動車普通列車新津行、2015年10月撮影。

Iwafunemachi1070413
岩船町駅構内の待避線に進入するEF81形電気機関車牽引の下り貨物列車、2013年4月撮影。

Iwafunemachi13
岩船町駅待避線に停車中の貨物列車、2008年8月撮影

Iwafunemachi01
窓口跡が今も残る、元有人駅にしてはこじんまりとした岩船町駅駅舎は、建築財産票によれば昭和55年12月竣工で、許容積雪量は120cm。
海岸地域ゆえ、駅舎竣工当時でも積雪1m越えは滅多に無かったと考えられます。
かなり余裕を見ての設計ではないでしょうか。
2008年4月撮影。

Iwafunemachi02
駅舎内は自動券売機一台とベンチが一脚。
ベンチは2006年10月時点では無人駅定番の色落ちがかったいつもの冴えない朱色のモノ。
それが2008年4月訪問時には一人掛けX5人一列の垢抜けた新しいモノに交換されておりました。
トイレは駅舎ホーム側にありますが、内部は生憎未確認。
駅舎出入り口横に清涼飲料水自販機が一台あります。
駅前広場は広いものの、駐輪場に上屋が無く、駐車スペースは未舗装。
後者はともかく、前者の状態はあまり誉められる事ではありませんね。

駅前通りは古びた大きな農協倉庫が目立ちます。

Iwafunemachi04

前述の貨物栄光の時代にはさぞフル回転だった事でしょうね、兵どもが夢の跡。
村上と当地域を結ぶバス路線が設定されており、駅前至近にバス停があります。
しかし運行は一日二往復で、ダイヤパターンは通学流動と逆の特異なモノ。
部外者にはあまり意味の無い路線設定ではと疑問が残るところです・・・。
なお旧岩船町中心部と村上市中心部を結ぶ路線バスは相応の本数が確保されており、病院の前も通る事からお年寄りの使い勝手は良さそうです。

駅周辺は農協倉庫群の他は大半が民家で、駅前通りを左に進むと駅裏(南側)の国道7号線へ至る踏切があります。

Iwafunemachi03
岩船町駅前通りの様子、2008年4月撮影。

その周辺は旧神林村の行政・レクリエーション中心地区になっていて、旧村役場、野球場を含む総合運動公園と体育館があります。
駅前周辺には旅館兼結婚式場以外にこれといった店が無い岩船町駅ですけれど、この国道に出れば道沿いにラーメン店とコンビニがあって、一応の腹ごしらえや食料補充が行えます。
ただし踏切経由で距離はそれなりにあり、往復で1km強というところでしょうか。
駅ホームのすぐ南側に国道が通っているのに、そこへは直接出る事が出来ないのです。
前述の待避線にホームがあれば、そこに南口を作って国道にすぐ出れるのに・・・と部外者は思う事しきりなのでありますが、実際にはそんなもの作っても費用対効果が悪過ぎて無駄なのでしょうね。

前述のように、岩船町駅から北に2km強で旧岩船町中心部。
海岸に沿って伸びる国道345号線沿いに市街地が形成され、昔ながらの個人商店に加えてスーパーや銀行もあります。
生活必需品や用務はとりあえずこの界隈で済ませられるのが、かつての「町」の名残と言えましょう、駅から少々離れているとはいえ、凡百の幹線無人駅周辺の風景とは格が違います。
旧岩船町市街地の見所としては、石船神社と岩船港があります。

Iwafunemachi1141015
岩船中心地区の町並み、2015年10月撮影。

Iwafunemachi14
石船神社入り口、2008年4月撮影。

Iwafunemachi15
小高い丘状の地勢にある神社の参道途中から見た町並み、2008年4月撮影。

Iwafunemachi16
岩船港の様子、大きな建物は粟島汽船の乗り場。
2008年4月撮影。

Iwafunemachi17
Iwafunemachi19 
魚を食べに行くのならともかく、港ウォッチとしては地味な岩船港・・・
春なので海の色がまだくすんでいるので余計に地味さが目立つような。盛夏に行けばまた違う表情を見せてくれるのでしょうけれど。2008年4月撮影。

Iwafunemachi1111015
岩船港で待機中の粟島汽船フェリー「あわしま号」、2015年10月撮影。

Iwafunemachi1121015
岩船港に到着した粟島汽船高速船「きらら号」、2015年10月撮影。

Iwafunemachi1131015
フェリーと高速船が相対して停泊する汽船乗り場、2015年10月撮影。

| | コメント (0)

2009年11月21日 (土)

京ヶ瀬駅(羽越本線)

本日の駅紹介は羽越本線・京ヶ瀬駅。

2017年3月12日記、画像貼り替えと加筆修正を実施しました。

Kyogase101

新潟県阿賀野市に所在する無人駅で、昭和37年(1962年)4月1日に開業しました。
開業当時の所在は北蒲原郡京ヶ瀬村で、村内唯一の鉄道駅でした。
なお京ヶ瀬村は平成16年4月1日に近隣町村と合併して新たに誕生した阿賀野市の一部になって今日に至ります。

駅としての開業は比較的最近の京ヶ瀬駅ですが、信号場としての開業は昭和18年です。
時は戦時下、決戦輸送の叫ばれる緊迫した情勢。
とりあえず敵の空襲や艦砲射撃の心配の無い日本海側における輸送力増強の為の信号場だったのでしょう。
同時期には以前紹介した中浦駅神山駅もまず信号場として開業しており、輸送の逼迫ぶりが察せられるところです。
なにしろ羽越本線の新発田-新津間で戦前設置されていた駅は水原駅と月岡駅のたった2駅(いずれも列車交換可能)。
平時はそれでも輸送力に大きな不足は無かったのでしょう。
そこに一気にに3駅(信号場)が置かれたのですから。
なお信号場として開業したこれら3駅のうち、中浦、神山両駅は現在では交換設備を撤去され棒駅になっていて、この京ヶ瀬駅のみが信号場として生を受けた証である列車交換機能を今なお維持しているのです。 信号場から駅に昇格するのに二十年近くかかっているのは少々奇異に思えるところですけれど、その原因は当駅の位置関係にあったのかどうか。
旧京ヶ瀬村の中心は当駅から北方に約2.5km前後にあるので、駅の立地は「村の玄関駅」とは言い難い点があるのは確かです。
しかし当駅と同期の桜の神山駅は、所在する旧笹神村の中心から3km前後離れているにもかかわらず、昭和30年に駅として開業しています。
となると、地理的問題が信号場から駅昇格遅れの原因とは言い切れませんし・・・。
村の人口も、駅周辺の人口も大して違わなく見えますし、考えられる他の要因は神山駅至近の農協の大きな倉庫。
あそこから笹神村一体で採れた米その他農産物を鉄道で出荷していたとすれば、旅客ではなく貨物輸送の要請で神山駅先行開業、それが無さそうな京ヶ瀬駅は後回しと・・・。
実際のところはどうなのか、非常に興味をそそられる話なのであります。

Kyogase1020709
Kyogase1030505
京ヶ瀬駅駅舎の様子、上は2009年7月、下は2005年5月撮影。
コンクリート製のあっさりした造りの建物で、建築財産票によると竣工は昭和37年3月、許容積雪量は1.5m。
下の時点では駅舎の外壁は劣化が目立ち、これは改築も近いかと思ったものです。
その後2006年10月に訪問した時には、上の画の状態にお色直しされていました。
この時期に駅前広場の整備が行われているので、それに合わせての外壁改修だったようです。

Kyogase1040812
京ヶ瀬駅北口駅前広場の様子、2012年8月撮影。
相当数の駐車が可能なロータリーになっています。

Kyogase1050812
Kyogase1060812
京ヶ瀬駅駅舎内部の様子、2012年8月撮影。
ウィキペディアによると開業から十年半後の昭和47年9月に無人化されています。
当時の国鉄新潟鉄道管理局が進めていた営業近代化施策の一環と思われます。
羽越本線全線電化を一ヶ月後に控えた時期で、北陸本線の電化時同様、近代化とのバーターで行われた合理化なのでしょう。
こんなローカルな小駅にもsuicaの簡易改札機がつくしん坊のようにニョキリと屹立。
トイレは下の画の左側のドアがそれです。
この時点では男女兼用で内部はお察しください・・・でしたけれど、現在はあるいは見違えたように改装されているのかも。

Kyogase1070812
京ヶ瀬駅至近の国道460号線の様子。
周辺には理髪店が一軒あるきりで、国道に沿って小集落を形成しています。
国道の交通量はそれなりというところで、静かな農村の風情。
鉄道補完としてこの道に阿賀野市営バスが運行されていて、隣の水原駅への移動に利用できます。
ただし平日のみの運行なので、土休日の駅廻りには使えないのが痛い話。
また新津方面には新潟交通観光バス運行の路線があって、当駅から国道を新津方面に1km程の京ヶ瀬南部工業団地内にある京ヶ瀬営業所から出ています。
しかしこちらも平日のみの運行で極めて残念。
当駅から南に2.5km歩くと国道49号線に出ますが、そこだと新潟交通運行の路線バス新潟水原線が通っており、本数も多く便利です。
鉄道補完では水原、亀田(急行便は除く)、新潟の各駅に移動できます。
過疎ダイヤの京ヶ瀬駅でじっとしているよりは、そちらに移動した方が良い場合も多そうですな。

Kyogase1080812
Kyogase1090812
京ヶ瀬駅南口の様子、2012年8月撮影。
上屋の下にsuicaの簡易改札機が設置されていますけれど、冬の季節風はこの程度ではとても凌ぎきれず、機器の故障が多いのではと心配になるところです。
こちら側にも上屋付の駐輪場と車数台分の駐車スペースを有しています。

Kyogase1100812
京ヶ瀬駅南口から、田圃の緑の海の中を切り裂くがごとく伸びる道路、2012年8月撮影。

Kyogase1111013
1番ホームの水原駅方から見た京ヶ瀬駅構内、2013年10月撮影。
対面式ホーム2本で列車交換可能ですが、定期旅客列車は全て1番線発着になっています。

Kyogase1120812
1番ホームの中程から水原駅方を見通す、2012年8月撮影。
画像左に「3」の表示がありますけれど、羽越本線の新津-新発田間において3両編成以上の定期旅客列車はごく少数。

Kyogase1130812
1番ホームに接する駅舎と上屋廻りの様子、2012年8月撮影。

Kyogase1140812
1番ホームの新津駅方から見た京ヶ瀬駅構内、2012年8月撮影。
画像手前の黄色い太線が、この時点での当駅ホーム最大有効長の端です。
朝晩の115系電車6両編成に対応していました。

Kyogase1150812
1番ホーム端から新津駅方を見通す、2012年8月撮影。
長大編成の貨物列車に合わせてであろう当駅の構内有効長は大きくて、画像で見るとまるで複線区間のような印象。
ここから1km強進むと、昔は鉄道の橋梁で日本一の長さを誇った阿賀野川鉄橋です。

Kyogase1160812
京ヶ瀬駅跨線橋内部の様子、2012年8月撮影。
国鉄時代の小駅の跨線橋として標準的な造作です。
画像左下にスプレーで落書きがされているなど、少々荒れた感じ。

Kyogase1170709
跨線橋上から見た京ヶ瀬駅構内の新発田方、2009年7月撮影。

Kyogase1180812
同じく新津方を望む、2012年8月撮影。
京ヶ瀬駅のホーム配置は千鳥型ではなく、完全な平行対面式です。

Kyogase1190812
2番ホームから見た京ヶ瀬駅構内の中枢部、2012年8月撮影。

Kyogase1200812
2番ホームの水原駅方から見た京ヶ瀬駅構内、2012年8月撮影。
定期旅客列車の発着が無い2番ホームには上屋もベンチもありません。

Kyogase1210812
水原駅方の踏切から見た京ヶ瀬駅構内、2012年8月撮影。
駅の後方に見える薄緑色の橋は、羽越線の阿賀野川鉄橋と並行する国道橋です。

Kyogase1220812
新津駅方の踏切から見た京ヶ瀬駅構内、2012年8月撮影。
羽越本線の新津-新発田間はほぼ直線区間なので、その気になれば列車は相当にトバせるところです。
かつて、古くはキハ80系の気動車特急「白鳥」が、次いで485系電車特急「いなほ」と寝台特急「日本海」がこの線路を駆け抜けていったのです。

Kyogase1230812
Kyogase1240812
京ヶ瀬駅を出発するキハ110系気動車新発田行、2012年8月撮影。

Kyogase1250814
Kyogase1260814
京ヶ瀬駅を出発したキハ40系気動車酒田行、2014年8月撮影。
羽越線の新津-新発田間の普通列車の大半はキハ110系気動車化されていて、キハ40系は少数派です。
現実的に陽の下で撮影できるのは朝の鼠ヶ関発新津行と、午後の新津発酒田行(この画がそうです)だけでしょう。

Kyogase1271013
羽越線の新津-新発田間には朝晩のみ入っていた115系電車新津行、2013年10月撮影。

Kyogase1280407
轟音を響かせながら京ヶ瀬駅を通過するDD53形ディーゼル機関車牽引の団体列車「急行鳥海」、2007年4月撮影。
ディーゼル機関車が好きで好きでもう辛抱タマラン私としては、最高の光景にございました・・・。

Kyogase1291013
秋の朝の京ヶ瀬駅を通過するEF510形電気機関車牽引の下り貨物列車、2013年10月撮影。

Kyogase1300505
京ヶ瀬駅に進入するEF81形電気機関車牽引の下り貨物列車、2005年5月撮影。

Kyogase1381103
Kyogase1391103
新発田行普通列車と上り貨物列車が京ヶ瀬駅で列車交換、2003年11月撮影。

Kyogase1311006
Kyogase1321006
Kyogase1331006
京ヶ瀬駅2番線で運転停車中の寝台特急「トワイライトエクスプレス」大阪行、2006年10月撮影。
時刻は朝八時前で、所定よりも3時間遅れです。
秋の朝日は光量が大きく、しかも逆光なのでこんな画でも已む無し。
これは狙って行ったわけではなく、全くの偶然でした。
白新線で新発田駅まで来て羽越線新津行に乗り換えた時、ホームにトワイライトエクスプレスが停まっていたのでびっくり仰天。
京ヶ瀬駅で降りて構内をウロウロしつつ、もしかしたら・・・と思っていたら案の定入ってきたのです。

Kyogase1341006
水原駅方の踏切から見た、京ヶ瀬駅に運転停車中の「トワイライトエクスプレス」、2006年10月撮影。
電源車を含めると10両の長大編成はホームをはみ出しています。
結局、当駅には20分程停車していて、列車交換は無し。
踏切から駅へ戻る途中で出発していってしまいました。

Kyogase1360407
国道橋から羽越本線の京ヶ瀬-新津間に架かる全長1,240mの阿賀野川鉄橋を見る、2007年4月撮影。
画像右手が京ヶ瀬駅方になります。
河川敷の部分が実に広大で耕作地となっていて、個人的にはその上を往く鉄路が鉄道橋とは頭で理解できても、実感としてなかなか掴み辛い面があるのです。



Kyogase1350407
阿賀野川鉄橋で阿賀野川を直接渡っているのはトラス構造の部分のみです、2007年4月撮影。
同じ阿賀野川鉄橋でも、下流の白新線の大形-新崎間に架かるそれは大半がトラス構造で長さも6~700mあります。
全長はこちらが長いとはいえ、鉄橋としての迫力は白新線の方が上だなぁと個人的に思うところであります。

Kyogase1370407
新津方から見た、国道橋と羽越本線の阿賀野川鉄橋、2007年4月撮影。

| | コメント (0)

2009年11月20日 (金)

北長岡駅(信越本線)

本日の駅紹介は信越本線・北長岡駅。

2017年2月18日記、駅舎改築関連記事を加筆しました。

Kitanagaoka101

新潟県長岡市に所在する無人駅で、大正4年(1915年)11月1日の開業です。
当駅の所属する信越本線・長岡駅-一ノ木戸駅(現・東三条駅)間は明治31年(1898年)に開通しており、それから17年後、隣の押切駅に遅れる事14年でのようやくの開業でした。

鉄道がこの地に通った時、当駅一帯は一面の田畑で需要を見込めず、停車場の設置は検討さえされなかったそうです。
その後明治の末になって付近に鉄工所や製紙工場が進出、その従業員向けに宅地化も進められてようやく停車場設置の機運が高まり、駅設置にこぎつけたとの話。
まず工業地帯化、それに伴う人口増をテコに鉄道を呼び込む方式は、貨物の占める割合や重要度が今日とは比較にならない程高かった当時の鉄道にとって、さぞ駅設置請願の「殺し文句」だったのだろうと推察する次第。
隣の押切駅は駅誘致に当たって地域が色々と努力しておりますけれど、当駅に関してはそのような話には行き当たりませんでした。
貨物需要の爆発的増大で、自治体や住民主体ではなく鉄道主体で話が進んだのでしょう。
実体経済が強いと、足元を見られる事無く美味しい話が舞い込んでくるという訳です。

なお当駅開業当初の名称は「城岡駅」で、当駅周辺の地名から取っております。
戦後の昭和26年に現在の駅名に改称しましたけれど、個人的には「城岡」の方が情緒が感じられて良いんですけどねぇ。
長岡駅の威勢にあやかろうと改称したのかもしれませんけれど、外部から見ると、当駅のような立地の駅名に中心駅の名前プラス東西南北が付くと、それだけで付属物臭漂うというか市街地外れの寂しさ漂うというか・・・個人的にはあまり好ましい印象を持たないのは確かです。
北長岡駅はその後、昭和45年10月に当駅設置の主因となった製紙工場への専用線以外の貨物取り扱いを貨物専用の南長岡駅(長岡宮内間に所在)に移しております。
その後国鉄貨物輸送の合理化に伴い、専用線取り扱いは昭和60年3月に廃止、翌年11月には委託駅化、時期は不明ですが平成に入って無人化され、今日に至ります。
平成20年度の長岡市統計年鑑によると、平成19年度の北長岡駅年間乗車人員は167,400人で単純計算すると一日当たりは460人。
近年まで有人駅だった隣の押切駅よりも多く、現在も有人でかつての急行停車駅の来迎寺駅と同じ数字です。
新潟県高校野球の強豪校・中越高校の最寄り駅なのが大きくプラスしていると思われますね。

Kitanagaoka1521215
Kitanagaoka1511215
Kitanagaoka1531215
北長岡駅駅舎の様子、2015年12月撮影。
建築財産票によると平成26年10月4日の完成。
近年の県内改築駅舎に共通したデザインです。
実用本位の建物ですが、およそ観光には縁の無い日常の営みと地続きの当駅ゆえ、妙に気張ったモノよりもこの方が周囲の雰囲気に合っていると思います。
許容積雪量は250cmで、近年の小雪傾向からすると過剰なのではと感じるところですが、異常気象の今日、いつお天道様が牙を剥くかわかりませんしねぇ。
また駅舎の向こうに見える跨線橋の外装にも手が入れられていて、色も鮮やかに塗り直されています。

Kitanagaoka3011215
北長岡駅駅前通りの様子、2015年12月撮影。
駅舎は新しくなっても周囲は以前のままの工場と宅地が混在する風景。
駅前広場は広く、月極駐車場にもなっていてます。
タクシーが一台待機しておりました。
広場はなんとはなしにルーズな感じで、広大さゆえのとりとめの無さがあるのです。
駅舎改築と同時に広場をロータリーに改良すれば、もっと秩序立った印象になって見栄えもすると思うのですよ。
この通りをざっと300mも進めば、そこは国道352号線。
国道には、越後交通運行の長岡駅前-分水小島谷各駅前、寺泊駅経由寺泊中心街間のバス路線が設定されております。
新潟方面から鉄道で来てこれらバスに乗り換えの場合、在来線は北長岡駅下車、北長岡駅角バス停乗車の方が乗り換えの時間的余裕があったりするのはちょっとした豆知識です。
越後線南部区間は日中は過疎ダイヤで、正攻法で訪問するのはなかなか難しく、分水駅や寺泊駅訪問にはバス利用の方が利便性が高いのです。

Kitanagaoka1541215
北長岡駅駅舎内通路の様子、2015年12月撮影。
ご覧のように自動券売機と簡易suica改札機が鎮座。
画像奥が跨線橋出入り口、待合室は画像右側、男女別のトイレは画像左側です。

Kitanagaoka1551215
待合室内はベンチが15脚、2015年12月撮影。
今や無人駅でも、利用の多い駅はこういうモダンな待合室の時代なのですよ。
これを見ると、改築で待合室が無くなってしまった湯檜曽駅って、どんだけ利用が少ないねんと考え込んでしまいますなぁ

Kitanagaoka1561215
待合室の反対側の奥まったところがトイレと飲料自販機の空間です、2015年12月撮影。
旧駅舎時代は飲料とお菓子の自販機が三台置いてありましたけれど、今日では目立たない位置に飲料用が一台きり。

Kitanagaoka1020512
Kitanagaoka1030512
北長岡駅の旧駅舎、2012年5月撮影。
三角屋根と上屋がなかなかいい感じの建物でした。
建築財産票によると昭和21年3月完成でしたが、この駅舎は建築財産票がもう一つあるのが面妖でした。
二つ目のそれによると、竣工は昭和42年3月。
増築した部分があってそれの事を指しているのかはたまた・・・?
なお許容積雪量はどちらも80cm、こちらは非常に控え目で、現在はともかく開業当時の厳冬期は大丈夫だったのかと心配になるほどです。
戦後まもなくの竣工という事で、無駄を極力省いた節約設計の産物だったのでしょうか?
色々と謎の多い建物でした。
下の画の右側に建っている石碑は、駅開業記念碑です。
改築後の駅前からは撤去されてしまいました。
せっかく先達の建てた碑なのですから、そのままにしておけばいいのに。

Kitanagaoka1041006
Kitanagaoka1050512
北長岡駅旧駅舎内部の様子、上は2006年10月、下は2012年5月撮影。
広大な内部はガランとしていて少々荒れた感じ。
下の画の時点ではベンチも撤去されてしまって、いよいよ末期的だなぁと寂寥感が湧き上がりましたっけ。
当時、周辺にコンビニが無かった当駅、駅舎内のお菓子の自販機が女子諸君の御用達であったことは容易に想像できるところです。

Kitanagaoka1060514
旧駅舎末期の内部の様子、2014年5月撮影。
2006年10月訪問時には陶芸屋(陶芸教室と注文及び展示販売)が入っていた旧事務室が撤去されて新駅舎の工事が行われています。
間もなくここも解体という時期に、ようやくベンチが置かれていました。

Kitanagaoka1070905
旧駅舎の跨線橋出入り口側の様子、2005年9月撮影。
画像左側にトイレの出入り口が見えます。
水洗式で綺麗なトイレでした。
利用する学生諸君には、大便器をわざと詰まらせて茶色い水で床を水浸しにするような悪童はいなかったようですな。

Kitanagaoka1080514
Kitanagaoka1571215
駅舎と島式ホームを連絡する跨線橋内部の様子、上は2014年5月、下は2015年12月撮影。
駅舎改築に合わせてなのか、通路の駅舎側の壁のみがリニューアルされています。
今でもこの中途半端さのままなのか、それとも全面リニューアルをしたのか。
どうせなら当駅も橋上駅舎化してしまえば、駅舎とこの跨線橋の更新が一度に出来るのにと素人の私はく思うところです。
駅の反対側は宅地になっていますけれど、あの辺から駅まで来るには大回りで踏切を渡ってこなければならないのです。
まぁそうしなかったのは駅裏を流れる川の存在がネックになったのだろうとは思いますけれど。
橋上化すると線路と川を跨がなければならなくなって、その分おカネが要りますしね。

Kitanagaoka2011215
跨線橋上から見た北長岡駅構内の押切駅方、2015年12月撮影。
画像左側は上越新幹線の高架。
新幹線は長岡駅を出発後、当駅の少し先まで信越本線と並走しています。

Kitanagaoka2020512
同じく長岡駅方の様子、2012年5月撮影。

Kitanagaoka12
Kitanagaoka1581215
ホームから見た北長岡駅の駅舎、上は2005年9月、下は2015年12月撮影。
改築駅舎のコンパクトさがよくわかります。

Kitanagaoka2030512
島式ホームの跨線橋出入り口付近の様子、2012年5月撮影。
出入り口は長岡駅方に偏った配置なので、ホームの押切駅方の端までは200mほど歩かねばなりません。
新幹線高架の間からにょきっと突き出している、味のある昔ながらの跨線橋。
これが当駅構内最大の見所と言えましょうか。

Kitanagaoka2040512
跨線橋出入り口からホームを見通す、2012年5月撮影。

Kitanagaoka2080512
島式ホームの長岡駅方から見た北長岡駅構内、2012年5月撮影。
このホームは前後非対称になっていて、下り側(押切駅方面)は上り側(画像右側)が突き出している形です。

Kitanagaoka2090512
ホーム端から長岡駅方を見通す、2012年5月撮影。

Kitanagaoka2070512
ホームの上屋は長大で、ざっと列車五両分はあります、2012年5月撮影。
しかしその長さと新幹線の高架の為にコントラストがきつく、駅撮りに適しているとは申せません。

Kitanagaoka2101215
島式ホーム上の待合室内部の様子、2015年12月撮影。
建築財産票によると昭和48年11月の完成。
内部は広いものの、ご覧のようにベンチが少ないのは旧駅舎内と同じ。
学生諸君は若者らしく立って待ちなさいという教育的見地からでしょうかね。

Kitanagaoka2050512
島式ホームの押切駅方から見た北長岡駅構内、2012年5月撮影。
当駅の場合、駅撮りはこちら側でするのが望ましいでしょう。

Kitanagaoka2060512
同じく押切駅方を見通す、2012年5月撮影。

Kitanagaoka2510512
北長岡駅2番線に停車中の115系電車長岡行、2012年5月撮影。

Kitanagaoka2520514
北長岡駅2番線を通過する485系電車国鉄特急色の快速「くびき野」新井行、2014年5月撮影。
このような島式ホームで通過列車を撮影するのは少々危険で宜しくないのです。
運転士の方にも余計な気を使わせてしまいますしね。

| | コメント (0)

« 2009年8月 | トップページ | 2009年12月 »