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2009年8月 8日 (土)

親不知駅(北陸本線)

本日の駅紹介は北陸本線・親不知駅。

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新潟県糸魚川市に所在する無人駅で、1912年(大正元年)10月15日の開業です。
開業当時は西頚城郡歌外波村の所在で、同村の玄関駅でした。
隣の市振村が著名な「親不知子不知」を有しているにも関わらず、村名をそのまま駅名としてしまった為、歌外波村がネーミングをゲットして村の駅に「親不知」の名を冠しました。
当時は観光よりも難所のイメージが強かったでしょうし、そこから生じるネガティブなイメージが市振村をして「親不知」の名を駅に命名するのを躊躇した向きもあるのでしょう。
それとは逆に自村のこれといった明確なイメージの湧かない名前よりも、「親不知」というインパクトの高い名前を取った歌外波村。
対照的な行き方を見せた両村の損得勘定はどうだったのでしょうか・・・。

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駅前の「親不知子不知」観光案内板、2006年10月撮影。

なお、歌外波村も市振村も戦後の昭和29年10月1日をもって青海町と合併、その青海町も平成17年3月19日に糸魚川市と合併し、現在に至ります。

さて親不知駅は南側から迫り出す山地と北側の日本海に囲まれた狭隅な立地条件にあります。
当地から旧青海町にかけての山地一帯は日本有数の石灰石の産地で、明治になると地元による石灰石採掘が始まり、1917年(大正6年)には「帝国石灰」(東海電極製造)が農業用石灰採取を開始、1927年(昭和2年)に「信越化学」が鉱業所を設置、1936年(昭和11年)には「大日本セルロイド」が進出し、「信越化学」と「大日本セルロイド」が石灰石を新井・直江津・富山・武生の各社関係工場に貨車輸送する事から、親不知駅は石灰石の集積出荷拠点として大いに賑わったそうです。
資料によると、1964年(昭和39年)には年間667万トンを取り扱い、当時の国鉄金沢鉄道管理局管内の貨物営業では、隣の青海駅と並ぶ稼ぎ頭で駅員も三十人を越えていたとの事!
しかし青海駅がその後も石灰石輸送で重きを成したのとは対照的に、当駅の貨物取り扱い量はその後急減・・・。
資料には触れられておりませんでしたが、従来の採掘場からの石灰石の枯渇と更なる採掘場の開発には、青海周辺と比べて峻険な地形が災いして採算ベースに乗らずに順次当地から撤退・・・というところなのでしょうか?
かくして石油ショック後の昭和52年(1977年)には貨物取り扱い量はたったの9000トン!(驚!)
この年の5月に貨物取り扱いを廃止しています。
ウイキペディアによるとこの時石灰採掘専用線も廃止されたとの事ですが、今日ではその痕跡を見出す事は出来ません。
(専用線の詳細をご存知の方、ぜひともご教授お願い致します)
その後は周辺人口に見合うローカル駅らしく、荷物廃止を経て無人化(ウィキペディアによれば1994年)され今日に至ります。

旧歌外波村の集落は山地にわずかに開けた谷間に沿っていて、周辺は新潟県下有数の地すべり警戒地域。
注意喚起の立て札も駅周辺に見られ、地元の方々の気苦労が察せられます。
駅前通りには糸魚川寄りに郵便局、市振寄りに旅館が一軒といったところで、スーパー・コンビニは勿論雑貨屋も無く、駅周辺での食料調達は出来ません。

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駅前通りの糸魚川方から親不知駅方を望む、2006年10月撮影。

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駅前通りの駅側から糸魚川方を望む、2006年10月撮影。

駅前通りを一旦糸魚川方向に進み、北陸線のトンネル手前を陸橋で乗り越えて国道8号線へ出て1kmほど富山方向に進むと道の駅「親不知ピアパーク」があります。

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国道から望む弥生三月の日本海、2004年3月撮影。

「親不知ピアパーク」にはレストランや休憩所がありますので、鉄道でこの地に降り立ち、撮影などで長時間滞在する場合はこちらで日本海を眺めながら休憩するのも良いでしょう。
また道の駅への道中左手には、北陸自動車道橋脚建設が影響したとされる消失したかつての砂浜とその向こうの親不知駅全景を望めます。

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国道から見た親不知駅全景、2009年6月撮影。

国道の歩道の幅は非常に狭い上に、高速で行き来するトラックやダンプの煽り風、そして日本海から吹きつける海風が複合して、風の強い日や悪天候の日の国道歩行は危険でお奨めできません。
そんな日は、体重の軽い人は大型車が通過する際、立ち止まって踏ん張らないと冗談抜きで車と接触しかねません・・・。

さて駅に戻りまして、親不知駅駅舎は建築財産票によれば大正元年6月の竣工。

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親不知駅駅舎の様子、2009年6月撮影。

駅開業の四ヶ月前には完成していた事になります。
駅舎に増築したような形で恐らくは当駅華やかかりし頃の駅員宿舎?が現在も残っております。
見たところテレビアンテナはなさそうですが、現在でも保線の休憩所として使用されているのでしょうか?
駅事務室同様に現在では不要なスペースに見え、建物自体の経年を考えれば六年後の北陸線第三セクター化前後には、待合室機能のみの簡素な建物に改築されてしまうのでしょうね・・・。

駅舎内は現在待合室の機能のみで、室内には自動券売機一台と分別ゴミ箱、木製のベンチが二脚に異常時連絡用?の黒電話が一台。
日中は照明が点灯しておらず、駅手前まで迫る山地の陰になっている事も相まって、室内は薄暗いです。
まぁ、そのおかげで光に集まる小虫の類は日中待合室内に不必要に入ってきませんので、虫が鬱陶しい向きには比較的過ごし易いのが利点と言えましょうか。

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2009年6月撮影、流石に夕暮れともなれば点灯します。

駅出入り口には飲料自販機とTELBOXが置かれております。
トイレは駅舎とは別棟にあり非水洗です。内部はこのクラスの駅のそれにしてはなかなか綺麗でした。

親不知駅構内は幅の狭い島式ホームが一本です。

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島式ホームの市振駅方から親不知駅構内を見る、2004年3月撮影。

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島式ホームの構内通路から市振駅方を見る、2009年6月撮影。

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ホーム上屋の様子、2009年6月撮影。
上屋は2両分程で、歴史の古い駅のそれとしては短めです。

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市振駅方に向かってゆるやかな曲線を描くホーム、2009年6月撮影。

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駅前通りから見た親不知駅全景、2014年5月撮影。

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駅前通りの青海駅方から見た親不知駅、2014年5月撮影。

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駅舎とホームを結ぶ構内踏切の様子、2009年6月撮影。

海岸側には北陸自動車道と国道8号線の高架群が絡み合いながら雄渾に屹立していて視界を遮り、ホームから日本海の大海原を望見する事は残念ながら出来ません。
予備知識のない方は「親不知」という名前に惹かれて下車なんて事もあるのかもしれませんが、この光景にはさぞやがっかりと心中お察し申し上げる次第であります。

海岸側にはかつての貨物用側線跡とおぼしきスペースがありますが、現在は保線用と思しき側線が一つ。
下り本線(糸魚川方面)とは繋がっておりますけれど、途中から俄かに草生していており、ホーム中ほどの位置で車止めです。

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弥生三月の朝、親不知駅に停車中の糸魚川行413系電車、2004年3月撮影。
ちらりと見える海の蒼さが印象的。

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親不知駅に停車中の419系電車直江津行、2004年3月撮影。
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親不知駅を出発する所謂「食パン顔」の419系電車富山行、2009年6月撮影。

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親不知駅に停車中の475系電車直江津行、2009年6月撮影。

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475系電車停車中に親不知駅を高速通過する485電車T編成の金沢行特急「北越」、2006年10月撮影。

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親不知駅を通過する金沢行特急「はくたか」を駅前通り富山方から見る、2006年10月撮影。

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同じく485系電車T編成の新潟行特急「北越」。

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親不知駅を通過する485系R編成金沢行特急「北越」、2004年3月撮影。





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日没直前の親不知駅を出発する475系電車国鉄交直流急行色の富山行、2009年6月撮影。

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親不知駅を出発した青一色の413系電車富山行2014年5月撮影。

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