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2009年8月14日 (金)

市振駅(北陸本線)

本日の駅紹介は、北陸本線・市振駅。

2017年4月15日記、旧記事を新記事に統合し、画像を一部貼り替え加筆修正しました。

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新潟県糸魚川市の西端・・・というよりは、我が県最西端の駅であります。
開業は大正元年(1912年)10月15日で、開業時の所在は西頚城郡市振村。
市振村はその後、昭和29年(1954年)10月1日に隣接する青海町に編入、さらに平成17年(2005年)3月19日に糸魚川市と合併して今日に至っています。

富山県泊駅から青海駅まで北陸本線を東へ延伸するに当たって、泊駅-親不知駅間に設置する駅については沿線の富山県宮崎、境両村と新潟県市振村が名乗りを上げたそうです。
しかし折り悪く当時コレラが流行していた事から、病気の伝染を助長する糞便を撒き散らす汽車はノー!という事で境村が誘致合戦から撤退。
残る宮崎村と市振村の争いの末、極めて弁のたったという市振村長の活躍で、立地条件にさしたる利点があるわけでもない市振村が勝ち残り、目出度く市振駅誕生の運びとなりました。
(敗北した隣の宮崎村には、昭和32年10月15日に越中宮崎駅が新設されています)
ただ、村にとってちょっと痛かったのは、村名を駅名とする事にこだわったばかりに、全国的な知名度のある「親不知」の名前を使わなかった事です。
日本海と山地に挟まれた急峻な難所である親不知は、市振駅と親不知駅(駅間8.6km)の中間にあります。
現在の親不知駅の駅名(当時の所在は西頚城郡歌外波村)ははっきりと決まっていなかったので、その気があれば市振駅を親不知駅と命名する事も可能でした。
当時は所在自治体名や地名を駅名とするのが常識でしたので、親不知という名前の持つネームバリュー(当時は「難所」というネガティブイメージが先行していて、新駅の名前にはふさわしくないと考えられたのかもしれませんが)を村の振興に活用するという発想はなかったのでしょうけれど・・・。
市振村が新駅の村名命名にこだわったおかげで、隣の歌外波村は村の駅に村名を使わずに知名度の高い「親不知」と命名、これが現在の親不知駅であります。

古い資料で恐縮ですが、糸魚川市統計要覧によると市振駅の平成19年度(2007年度)の年間乗車人員は20,435人で、定期利用者率は約80%。
単純計算すると1日平均約56人になります。
この数字はトンネル駅として知名度の高い筒石駅とほぼ同等で、旧糸魚川市近郊の梶屋敷駅の約半分になります。
駅周辺の鄙びた風情を考えると、中々に健闘しているように思われる数字ですけれど、
この数字は2005年度比で約22%の減。
一年で二桁の減少率ですから、10年後の現在(2017年)は単純計算すると20人前後まで落ち込んでいる可能性も無いとは言えないのです。

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市振駅駅舎の様子、2013年10月撮影。
建築財産票によれば、竣工は明治41年(1908年)10月。
明治大正の駅舎特有の上屋とその支柱の造作がこの建物にもしっかりあります。
当駅開業は北陸本線・泊-青海間開通の大正元年(1912年)10月なので、建築財産票の表記が正しいのであれば、駅開業の4年も前に完成していた事になります。
泊-青海間の開通が遅れた為にこのような差が生じたのでしょうか?
建物の経年から考えて改築を考えるべきでしょうけれど、もしそうなったら待合室のみの小さな建物になってしまうのでしょう。
いやもしかするとホームに待合室を建ててそれで終了かも。
駅の敷地は国道を往くドライバー向けの休憩所に転用するのもあり得ますな。

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市振駅前広場の様子、2009年6月撮影。
駅前を通る国道8号線出入り口に派出所があります。
私が最初に当駅を訪れた2004年3月には市振-泊間の路線バスが乗り入れていましたが、その直後に廃止されてしまいました。
2017年3月時点では、富山県朝日町運営のあさひまちバスと糸魚川市の青海地域コミニュティバスが乗り入れています。
あさひまちバスは平日のみの運行で市振-泊間に上下9本が設定されていて、市振駅から国道を約1km西に進んで富山県に入ってすぐの「境東」バス停からは市振便に加えて泊との間に上下17本が走っています。
平日限定とはいえ、本数は比較的多く利便性は中々のものです。
このバスだと越中宮崎駅、泊駅への移動に使えます。
一方、青海地域コミニュティバスは市振-親不知-青海間に運行されていますけれど、金曜日のみの運行でしかも要予約です。
来訪者が簡単に旅程に組み込めるものではなく、事実上当地域の方専用になっています。
市振地域は、行政上は糸魚川市になっていますが地域の方の移動実態としては富山県側ということなのでしょうね。
まぁここから青海までは約14km、糸魚川市中心部までは約21km。
対して泊までは約9kmですからそれも已む無しでしょう。

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市振駅前の国道8号線の様子、上は2009年6月、下は2013年10月撮影。
駅前のお菓子屋さんが、当駅付近唯一のお店です。
上の画像右側の建物は駐輪場です。
親不知駅付近では大型車がびゅんびゅん走っている国道も、この辺りでは交通量も落ち着いて見えるのが不思議なところ。
親不知ICから北陸自動車道に入るクルマがそれだけ多いということなのでしょうか。

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市振駅から国道を東に進み、市振集落へ向かう県道の分岐付近から振り返って一枚、2009年6月撮影。
空も一面曇って、ひどく蒸し暑い梅雨只中の日でしっけ。
当駅を訪れたのは2004年、2005年、2009年、2013年の四回ですけれど、どの訪問もこんな曇りか小雨模様で青空が見えたことはほとんど無かったですなぁそう言えば。

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国道から分かれて市振集落に向かう県道の陸橋上から市振駅構内を俯瞰で見る、2013年10月撮影。
電圧の高い交流電化区間だけあって、素人にもよくわかる物々しい重装備の架線柱です。
直流区間なら架線柱ももっとスッキリしていて、駅構内の様子もよくわかるのですけれど。

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市振駅駅舎内部の様子、2013年10月撮影。
有人時代の面影の残る吹き抜けの室内です。
隣の親不知駅駅舎と異なって構内出入り口に遮風板が設置されていません。
戸を閉めておかないと、特に冬は大変ですなこれは。

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島式ホームから見た市振駅駅舎と構内通路、2013年10月撮影。
構内踏切は新潟県内の駅では旧信越本線の脇野田駅と直江津以西の有間川、親不知、そして当駅のみ。
とりわけ直江津以西のモノの雰囲気はバリバリの下越人である私にとっては独特というより異質感満載で、越後というよりは最早越中の気配。
それもそのはず、ここ市振駅は新潟駅から約200kmの彼方なのです。
東京からだと郡山や掛川の手前まで、大阪からだと倉敷あたりというスケールなのですよ。

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市振駅島式ホームと駅舎の位置関係、2013年10月撮影。
上屋は一両分ほどで、その下にベンチが左右4脚ずつ設置されています。
上屋とベンチは親不知駅方に大きく偏った配置なので、列車撮影で待機している時は身の置き所に少々迷うのです。
構図的には列車と上屋と駅舎がセットになっているのが望ましいと個人的に思っているので、撮影の際は富山県側に立たなければなりませんが、列車が近づく毎にここからホーム端まで移動するのは面倒くさいのですよ。

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構内通路から親不知駅方を見る、2013年10月撮影。

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島式ホームの越中宮崎駅方から見た市振駅構内、2013年10月撮影。
はるか彼方の上屋と架線柱以外に遮るものがない幅広のホームは、のっぺりと平板な印象が強くて個人的にはあまり意欲が湧かないのです、
画像左側の遮風板も少々無骨に過ぎるかなぁ。
後背の親不知子不知の天険の風情は良いのですけれど。

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上の画の立ち位置から振り返って越中宮崎駅方を見る、2013年10月撮影。
画像左の横取り線は、ご覧のように富山県側の本線とは繋がっていません。

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少々退屈な構内でアクセントになっているのが、明治期以来の煉瓦積みの小屋です、2012年10月撮影。

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市振駅を出発する475系電車富山行、2013年10月撮影。

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市振駅で行き違う上下の475系電車、2009年6月撮影。

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市振駅を出発して加速する413系電車、2013年10月撮影。


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市振駅に停車中の419系電車直江津行、上は2005年6月、下は2009年6月撮影。

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市振駅を通過する下り485系電車T編成の特急「北越」新潟行、2013年10月撮影。

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市振駅を通過する485系電車R編成の特急「北越」金沢行、2013年10月撮影。

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金沢行特急「はくたか」が市振駅を通過、2013年10月撮影。

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市振駅を通過する越後湯沢行特急「はくたか」、2013年6月撮影。

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市振漁港の様子、2009年6月撮影。
市振駅から東に500m程進むと市振集落に入ります。
市振集落はかの松尾芭蕉が宿泊した旧宿場町であります。

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市振小学校校庭前に立つ「市振関所跡」、2009年6月撮影。
江戸時代の全国五十三関所中重要二十三関所の一つで、陸路と海上両方の監視拠点でした。
駅から集落への入り口に小学校があり、土曜の午後とあって子供達がそこかしこで歓声奇声を上げて遊んでおり、賑々しい印象。

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市振集落を通る県道の様子、2009年6月撮影。
集落内には美容院と、営業しているのか定かでない雑貨店。
この辺は、駅のイメージとリンクした鄙びたものです。

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市振集落の終端にあるのが、画面右側にある糸魚川市文化財の「海道の松」、2009年6月撮影。
その樹齢は200年以上だとか。
昔の北陸道は、この松から海岸に下りて、悪天候時や冬場はまさに命がけで天下の険・親不知子不知を越えて東へと向かったのです。

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