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2008年12月 1日 (月)

「時代の子」永遠の旅路へ

>「夢の超特急」といわれた初代新幹線0系が30日、44年間の営業運転を
終えた。
「団子っ鼻」を思わせる独特の先頭車両で親しまれ、日本の高度経済成長を支
えたが、より速い車両の登場と老朽化で引退が決まった。0系のとまる新大阪
―博多の各駅や車内は、別れを惜しむ鉄道ファンらであふれかえった。
→http://www.asahi.com/national/update/1130/OSK200811300015.html

高度成長時代の只中に生を受け、昭和元禄、オイルショック、バブル景気とその
崩壊、平成不況・・・。
昔ながらの日本からグロスタに染め上げられ無国籍な拝金主義に人も社会も国
の在り方も変転し変質していく時代を見つめながら駆け抜けた、まさに
「時代の子」新幹線0系電車がとうとう引退の日を迎えました。
ただひたすら上を向いて頑張って生きていけば何かしらの夢が叶った、今の世
の中の閉塞感とは対極にあったであろう高度経済成長時代を共に走ったキハ82
系特急型気動車、151/181系特急型電車、151/165系急行型電車、
元祖ブルトレ20系客車、また旅客機ではYS-11も鬼籍に入って久しく、
以前のエントリーでも書きましたが本当に、「昭和は遠くなりにけり」になってしま
いました。
鉄道車両で定期列車として、かつては車内を仕事人たちの熱気でむせ返らせて
いたであろう、高度成長時代の香りを辛うじて今に伝えるのは、583系、485
系、381系の特急型電車とキハ181系特急型気動車、二代目ブルトレ14系
客車ぐらいですね・・・。
その彼らにしても食堂車はトウの昔にはずされ、編成は縮小されてかつての10
連以上に乗客を満載して幹線を突っ走っていた面影はなく・・・。
まだ確定情報ではありませんが、来春のダイヤ改正では東京口からブルトレ撤退
(九州から定期寝台列車が消える事になります)が既定方針との噂がもっぱら
・・・。
我が県では幸いな事に、583系急行「きたぐに」やブルトレ「日本海」
「北陸」、485系運用列車(特急「いなほ」「北越」、快速「くびき野」
など)が未だ健在、暫くはその活躍が見れそうですが、これらの車両群、列車群
も2014年北陸新幹線金沢延伸時には大鉈が振るわれる事確実・・・。
浦本駅のエントリーでも冗談まじりに書きましたが、まだまだ時間はあると思っ
て油断していると、その日はあっという間にやって来ます。
乗るなり記録するなり、日常の平穏な空気が支配している間に各人なりの別れ
を告げておく必要がありますね・・・。

48501_3
485系特急型電車、新潟駅にて

58301
583系特急型電車、長岡駅にて

かようのように0系電車引退は古きよき日本の一時代が完全に終わりを告げた
その象徴として、誠に感慨深いものがあるのですが、個人的な0系との接点と
なると、非常に薄かったというのが正直なところです、まぁ住んでいる街が街な
だけに。
0系に初めて乗ったのは高校の修学旅行で広島へ行った時。
上越新幹線から東海道新幹線への乗り継ぎで、その時広島まで乗車したのが
0系でした。
当時はまだ真新しかった上越新幹線200系電車との比較で、なんとなく冴えな
い車両だなぁ~と、今から考えれば甚だバチ当たりな感想しか持ちませんでした。
実際、車中での出来事や車窓もよく覚えていませんしね、東京-新横浜間で思
った程スピードが乗らない事が意外だったり、はしゃぎ疲れて爆睡する悪友たち
をよそに、トンネルが連続する山陽区間を疲れた頭と目でぼーっと見ていた事
ぐらいしか。

次に乗ったのが大学生の時、小田原-東京間で。
当時私は神奈川県中部の小田急沿線に住んでおりまして、帰省の際にはヲタ心
を満たすべく毎回ヘンな経路を辿って帰っていました。
上野からは平や郡山まで出て磐越東・西線周りだったり山形まで出て米坂線周り
だったり、はたまた長野周り飯山線経由などと色々でしたが、神奈川県人から新潟
県人に戻る為の毎回の儀式にしていたのが、小田急線でまず小田原まで出て、
そこから改めて上野までどう出るか考えるというもの。
小田原という街は観光地としては熱海や箱根に食われて地味、駅前のみやげ物
屋も垢抜けなく、街並みも古びていたのですが、おしゃれなイメージの湘南の一角
に名を連ねているにも関わらず(江ノ島や茅ヶ崎とのイメージの差を考えれば解る
でしょう)、そうした姿を貫き通しているあたりにそのころからエキセントリックな感覚
の持ち主だった私は強く惹かれ、神奈川の真の姿だと自分の中で規定していたこの
街、この駅から新潟県人へのチェンジを始めるんだ!などと思い詰めておった若き
日々だったのであります(笑)。

おっと閑話休題、
小田原から都心に至る選択肢は3つ。
一つ目は小田急のロマンスカーに乗り、シートサービスの紅茶でも啜りつつ新宿
まで。
しかし学生の休みはすなわち繁忙期でもありますので、全席指定のロマンスカー
に乗りはぐれる事も珍しくなく。
二つ目は東海道線の普通電車で東京まで。ただし混みこみの普通車なんぞには
断じて乗らないw。故郷に錦を飾るハレの日なのですから、奮発?して自由席
グリーン車に乗り、空いた車内でリクライニングシートにふんぞり返り、小田原-
平塚間で車窓に見える太平洋を眺めながら気分はつかの間お大尽w。
当時健在だった急行「東海」は時間帯の関係で残念ながら考慮外、特急「踊り
子」は興味ないので眼中になし。
三つ目が東海道新幹線こだま号で東京まで。
当時はこだまといえば100%0系でした。
流石にこの距離や乗車時間でグリーンや指定という選択肢は勿体無く思えたので
自由席で我慢、着席出来ずにデッキで立ちんぼも珍しくなく。
0系が稀少になった時期ならば立ちんぼもいとわず乗ったでしょうけれど、当時
は0系などそれこそ「掃いて捨てるほど」走っていましたから、趣味的にもまる
で魅力を感じていませんでしたからねぇ・・・。

やはり人情としては座っていけるのが一番なので、こだまを選んだのは片手で数
えられほどで圧倒的多数はまず確実に好みの席に座れる東海道グリーン車、
指定が取れた場合はぷちリッチな気分でロマンスカー。
お陰で東海道グリーンは特急や急行から格下げ転用されてきたグリーン車に行き
当たって小躍りしたとか、今は亡きロマンスカーNSEも存分に楽しめたとか美味
しい思いも多々あったのですが、その代償として0系経験は言うなれば素人童貞
レベルのまま終わってしまいました・・・(涙)

何事も時代の先を読むのは至難な話なのでありまして、先々後悔しないように
よくよく時代の流れを読んで行動すべし。
私にとっての「さらば0系」は、そうした人生訓をも考えさせられる、単なる
ヲタ趣味の範疇にとどまらない話でもあるのです。

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