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2008年12月の記事

2008年12月27日 (土)

空自FXは高価な旧式機F-15の再導入か純減か

政府は27日、次期主力戦闘機(FX)選定で米国製最新鋭ステルス戦闘機
「F22ラプター」を最有力機とする対応を見直し、再検討する方針を固めた
そうです
→http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20081227-OYT1T00380.htm

空自はおそらく今でも

「らぷたーがほしいっていったらほしいほしいんだよぉぅ・・・!」

なのでしょうけれど、政府の方はラプターを諦めるように引導を渡すつもりのよう
です。
ラプターに関しては、よしんば米国が対日輸出を認めたとしてもライセンス生産は
NG、向こうの言い値、恐らくは1機200億円をくだらない価格でのFMS購入に
なったでしょう。
そうなれば空自の他の事業は大きな圧迫を受け、特にF-15の近代化改修計画
はラプター導入の引き換えに中止という事になりかねず、高性能だが少数でFMS
導入ゆえに稼働率の低下も懸念されるラプターと旧式化が急速に進む多数の
F-15という、結果として非常に由々しい事態を招きかねませんでした。

従って、最強戦闘機日の丸ラプターは見果てぬ夢として潔く諦めるとして、問題
はその代わりにどの機種を選ぶのか?
前述の報道では、その候補として絞られたのは次の三機種。

ボーイングF-15FXイーグル
ロッキードF-35ライトニングⅡ
ユーロファイター・タイフーン

これまで候補の一角を占めていたボーイングF/A-18E/Fスーパーホーネット
採用の目は、これで消滅したという事でしょうか・・・。
ボーイング社は既に生産終了目前で出がらしのイーグルよりも、新鋭機で先の長い
スーパーホーネットを優先して販売したい意向と聞き及んでおりましたけれど。

私はこのブログで三年近く前から次期F-X問題については記事を書いておりまして、

参照
「タイフーンJはいかが?」

「いらない子でもえふえーっくす!」


「おまいの余命はマジあと何年?」

改めてくどくどと書く事もないのですが、かいつまんで私の推察を述べさせていた
だくと・・・、

F-35は多国間開発が建前で、比較的早期に導入を開始しようとするのなら、
現在導入の順番待ちをしている諸国同様「お布施」が必要になります。
また現在日本は米国以外の国との兵器共同開発はNGです。
従ってF-35計画参入には単に予算上の問題ではなく、FMS導入にしろライセ
ンス生産にしろ、「高度な政治判断」が求められる事になるでしょう。
昨今の国会事情で果たしてそんな事が出来るのか? 民主党が政争の具にし、
提灯マスコミも一騒ぎしかねません。
・・・もっとも、F-X機種決定時には間違いなく衆院選が実施され、自民党が一旦
下野するのはまず確実な情勢ですので余計な心配かもしれませんね(苦笑)。

そういう生臭い話を置いておいて純粋に機体の能力として考えても、なるほどステ
ルス性は優れていても、空自の求める要撃戦闘機としての飛行性能にF-35が
合致するかと言われれば、識者の方々が色々言われているように少々疑問を差し
挟みたくなるのも確か。
国産の空対空、空対艦ミサイルとのマッチングを行うにしても、その作業は全て米国
で行う事を強要され、虎の子のそれらミサイルの技術開示を泣く泣く・・・という事もあ
りえます。

タイフーンはかつて私が一押しの機体で、ありがたい事に先方もかなり自由に
(ブラックボックスも無しとか!?)弄らせてくれるとかなんとか。
日本が特に欲しいエンジンの技術移転もかなりの範囲で認めるようです。
また肝心の要撃戦闘機としての飛行性能も、F-35に比べればステルス性以外は
勝っており、価格もこの際F-15pre-MSIP型の一部をも代替する事で採用機数
を百機にまで増やせれば、日本独自の改修を加えてのライセンス生産もスケール
メリットが働いて相応の低下を見込めます。
建前として「共同開発」の形を取らない玉虫色で押し通せば、(F-35にその手は
無理そうかなぁ)、政治絡みの生臭い話に足を引っ張られずにすみます。
・・・問題は米国の意向。

つい先日も、タイフーンのサウジアラビアへの輸出に対して、
「米国製の部品が使われているからナントカ」
と大人気ない難癖を付けておりました。
米国としては、将来F-15の後継として日本が国産主力戦闘機を開発するに際し
て一番のネックである高性能エンジンのノウハウをタイフーン導入による技術移転
でモノにするのは、政治上も商売上も甚だ面白くないでしょうから、色々言ってくる
でしょうね。
最強の殺し文句は

「タイフーン採用により、その互換性の問題から日米両軍の共同作戦に支障が
生じる恐れがあり、それはひいては日米同盟の将来にも悪影響を及ぼす」・・・。

こう言われれば自民政権はシッポを巻くより他になし、民主政権にしても現実問題
として日米安保をただちに解消して中国に全てを委ねるなんてバカな事は出来ま
せんから、米国の意向に当面は従っておく必要があります。
ゆえに残念ながらタイフーン導入の目は・・・。
米国がそれを認めるとすれば、日本がF-15後継機に国産機を充てる目論見を
完全放棄して、F-35発達型をそれに充て、日米共同開発として(建前上は新型
機開発として武器輸出三原則に抵触しないようにして)、多額の資金と技術を日本
が拠出するという条件の元だろうと私は推察しますが果たして?

三候補のうち二つまでが難しい条件付きとなれば、選択肢は二つ。

一つはいくら改良型とはいえ、基本設計が1960年代後半のF-15FXの導入。
まだ試作さえされていない架空の機を(原型のF-15KやSGがあるとはいえ)、
たかだか数十機これから開発して採用しようというのですから、開発費用はその
少ない機数に上乗せされ、結果性能の割にとてつもなく高い買い物になりかねません。
導入後、早期の陳腐化は確実ですが、耐用寿命が従来のイーグルよりも格段に長い
FX(機体強度の高い戦闘爆撃機型のE型をベースにしている為)は、空自に類例の
ない長期に渡る運用を強いられる(途中で捨てるなんて言ったらあの財務省が何と
言うか・・・)ので、その辺の問題をどうクリアしていくのかが課題です。

二つ目の選択肢は言わずとしれた「純減」。
民主党政権になれば、この選択が最も可能性大でしょうね。
F-35は武器輸出三原則がクリア出来ないので駄目、タイフーンは対米関係に
悪影響を及ぼす可能性があるので駄目、F-15のような高価な旧式機に国民
の税金は使えないので駄目。

ファントム後継は、周辺各国との友好と融和の促進で補います!
従って純減でいいのです純減純減!
軍備増強よりも経済対策! 安心安全な社会保障! 定住外国人の皆様への充実
した生活保障!

結論
ファントム後継は無し、周辺各国が軍拡を続けようが日本は率先して一方的に
防衛力削減!

残念ながらこのように立ち至るでしよう・・・。

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2008年12月22日 (月)

スイスの話がいつの間にやら

先日のミリタリーカテゴリで、スイス空軍の次期戦闘機選定について書いてみました
が、それに関連してこのような動画を見つけました。

その道の通な方には

「何をいまさら・・・」

な動画なのでしょうが、コレはなかなかに格好良い動画です!

今世紀初頭のスイス空軍戦闘機、主翼のコニカルキャンバーが明瞭にわかるミラー
ジュⅢS、F-5タイガーⅡ、F/A-18Cホーネットのエンジンの轟音がこちらに伝わ
ってくるかのような迫力の離陸シーンから始まって、低空を緩降下から引き起こし
急上昇に移る、近代化改修により追加したカナードによって精悍さを増したミラージュ
ⅢS、軽快な横転機動を見せるタイガーⅡ、アルプスの山々の谷間深くで激しい
編隊機動を繰り広げるホーネット。

ミラージュⅢは低速域での機動性発揮にやや難のあるデルタ翼に加えて、エンジン
推力がアンダーパワー気味という欠点がありますが、この画を見る限りなかなか
機敏な機動を見せております。

スイス空軍・ミラージュⅢSの麗姿

第三次中東戦争時のイスラエル空軍ミラージュⅢもこのような飛びっぷりだったの
だろうかと想像させますね。
ホーネットは米海軍空母からの発着艦や、果てしなく広がる水平線をバックに海面
上を飛ぶ映像を見慣れているだけに、この雪化粧のアルプス山中での激しい機動
シーンは非常に新鮮に映りました。

こんな画を見ていると、久しぶりにヒコーキのプラモでも・・・、スイス空軍戦闘機ト
リオのコンプリートがよいかなぁなどと思うのですが、タイガーⅡとミラージュⅢは
1/72も1/48でも日本のメーカーでは扱っていないですもんね。
タイガーⅡは以前タミヤのウォーバードシリーズの定番商品で、私も作った事がある
のですが(今秋、掃除中に誤って棚から落とし、メインギアが折れてどこかへ飛んで
いってしまい修理不能)、しばらく前に在庫リストから外されて現在もそのまま、ミラー
ジュⅢにいたってはあの悪夢いまだ冷め遣らず。
ミラージュⅢあたりは日本のメーカーで出してもそこそこ売れそうなもんだけど。
一部マニアには涎が垂れて来そうなイスラエル空軍とスイス空軍、更にフォークラン
ド紛争の敵役アルゼンチン空軍で使用されて、実戦での逸話も多々の有名機なん
ですから。

ミリタリーカテの次のお題予定「世界の傑作機に物申ーす!(仮)」でも関連して書こ
うと思っていた事ですが、日本の飛行機、戦闘機ファンはあまりにもミラージュⅢの
ような欧州機に冷たすぎると思います!(怒)。
その冷たさが、飛行機プラモの国産品で欧州機(除く独逸機)僅少に繋がっていると
常々思うんですよね・・・。
第二次大戦後の欧州機で現在定番商品(1/72及び1/48)なのは、英国グロスタ
ー・ミーティアとハリアー/シーハリアー、BAe・ライトニング、仏ダッソー・ミラー
ジュF.1、及び英仏共同開発のジャギュアぐらい。
しかもミーティア以外の商品はとっくに減価償却を終えているような、大昔に発売され
たモノばかり・・・。
バブル全盛の頃にリリースされたJ34ドラゲンやトーネードなどはアッという間に
定番落ち、今ではたまに個数限定で再販される程度だもんねぇ・・・。

・・・バンパイア、ヴェノム、シーヴェノム、ジャベリン、ハンター、シーホーク、
シミター、シーヴィクセン、バッカニア、キャンベラの高品質国産キットが欲しいよぉ!
ライトニングも完全リニューアルでF.1からF.6まで完全網羅、複座型も出してよ
ぉ! 「イッテQ!」でオセロ松嶋嬢が南アフリカまで行って体張って搭乗したアレで
すよっ!!


見よ! ライトニングのこのカッコよさを! 出腹にもつらい歴史があるんだぜぃ!
ファイアストリークAAMの搭載シーンなんて、初めて見たお宝画像だヨ・・・
(興奮!)

・・・全然興味のない方は

「ハァ? 何言ってんだコイツ???」

とお思いでしょう、けれども第二次大戦後英国ジェットファイターヲタの私にとっては
、もう是が非でも!な話なのであります。
もし出れば、特にライトニングとハンターは脊髄反射即買い必至なんですけどね。

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2008年12月21日 (日)

加治駅(羽越本線)

本日の駅紹介は羽越本線・加治駅。

2017年2月12日記、大幅リニューアルを実施しました。

Kaji001

新潟県新発田市に所在する無人駅で、開業は1914年(大正3年)6月12日。
羽越本線(当時は村上線と呼称)・新発田-中条間開通と同時の開業でした。
開業当時は北蒲原郡加治村の玄関駅であり、加治村はその後周辺村と合併して加治川村となり、2005年5月1日に新発田市に編入され、今日に至ります。
加治川村は旧加治村を中核として誕生したようで、その意味において当駅が旧加治川村の玄関駅と言えるのですけれど(朝の新潟方面快速が、村上-新発田間で特急停車駅以外では唯一当駅に停車するのはその名残りと申せましょうか)、旧加治川村役場は当駅と東隣の金塚駅との中間にあります。
人口集積においても重心となるべき地域が無く、加治川村発足以前の旧村にそれぞれ分散しているようにも見てとれますから、なかなか微妙なところではありますね・・・。

加治駅は2004年10月まで委託の有人駅で、当駅が通年で有人体制であった最後の年、2003年度の一日平均乗車人員はJR東日本によると318人。
当時の同社新潟支社県内有人86駅中62駅です。
この数字は羽越本線新潟県内区間の特急停車駅である府屋駅の約五割増で、比較的著名な弥彦線・弥彦駅やかつての急行列車の停車駅であった上越線・越後川口駅よりも多いのです。
額面的にはなかなかに侮れない利用状況だったのですけれど、土休日に何度か行ってみた限り、日中の一列車当たりの乗降は両手で数えられるレベル。
学生の通学需要に相当偏った利用実態のようですな。

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加治駅駅舎の様子、2004年10月撮影。
建築財産票によると、昭和58年12月の竣工。

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加治駅駅舎内部の様子、2013年3月撮影。
上の画像左側奥(自動券売機の向かい側)が旧窓口です。
トイレは下の画像左側奥にあり、当時は非水洗式でした。
当駅はホーム上に待合室はおろかベンチも無い代わりなのか、駅舎内のベンチが多いのが特徴。

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駅舎から跨線橋への通路、2013年3月撮影。

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加治駅跨線橋内部の様子、2013年3月撮影。
通路幅はローカル無人駅のそれよりもやや大きい感じ。
この構造の跨線橋だと窓は高所でさらに固定式だったりするのですけれど、当駅の場合は程好い高さに開閉可能な窓があります。
コレを見て俯瞰マニア歓喜の一瞬であります。

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跨線橋上から金塚駅方を見る、2013年3月撮影。
当駅の跨線橋は金塚方に偏って設置されています。
画像左側の本線の横に横取り線が見えます。

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同じく新発田駅方を見る、2013年3月撮影。
画像左手の駅構外にある上屋は駐輪場です。

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新発田駅方から見た加治駅構内の様子、2013年3月撮影。
当駅のホームは幅広の島式ホームですが、非常にのっぺりした印象で正直あまり画にはなりませんです・・・。

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ホーム端から新発田駅方を見る、2013年3月撮影。

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加治駅構内中枢部の様子、2013年3月撮影。
上屋は跨線橋出入り口に架かる部分だけです。
前述したようにホーム上にはベンチが皆無なので、ここで列車撮影をする時はそれなりの忍耐を必要とします。
駅舎との間をいちいち往復するのはメンド臭いけれど、かといってここで待つのも疲れるのですよ。
お目当ての列車が来るまで立っているのは流石に疲れるので、仕方なく画像手前下の石に座ったりするのです。

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新潟方面乗り場から新発田駅方を見通す、2013年3月撮影。
不自然な空き地の広がり具合から見て、画像左側の線路がかつての貨物側線ではないかと思うのですが。
なお、当駅の貨物取扱は昭和47年9月に廃止されました。
羽越本線全線電化完成に伴う合理化施策の犠牲になったのです。

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村上方面乗り場から新発田駅方を見通す、2013年3月撮影。
ホーム上にこのような木が植えられているのは珍しいですな。
周辺も含め、これといった特徴の無い加治駅にとって唯一目を惹くところかもしれません。
しかし列車撮影の際には、この木が少々邪魔に感じるところでもあります。

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島式ホームの端から金塚駅方を見る、2013年3月撮影。

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金塚駅方の踏切から見た加治駅構内、2013年3月撮影。

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新発田駅方の陸橋上から俯瞰で見た加治駅構内の様子、2013年3月撮影。

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加治駅に停車中の115系電車新潟行、2013年3月撮影。
ホーム上の黄線は6両編成が収まる範囲を示しています。

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加治駅を出発して加速する115系電車新潟行、2013年6月撮影。

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加治駅を出発する115系電車村上行、2013年3月撮影。

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加治駅を出発して加速する湘南色115系電車村上行、2013年3月撮影。

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加治駅に停車中のE127系電車新潟行、2013年3月撮影。
E127系電車のこの界隈での撮影機会は、日中では1往復のみでした。

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加治駅構内に進入するキハ110系気動車坂町行、2013年6月撮影。
この車両もかつてのE127系電車同様に、この界隈での日中の撮影機会は限られていて、当駅を通過する快速「べにばな」を別にすれば、朝イチの新津発酒田行と夕方のこの列車のみです。
しかもこの列車は秋ともなれば日没間近、冬なら完全に日没後の時間帯なのです。

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加治駅を出発するキハ40系気動車酒田行、2013年3月撮影。
この界隈におけるキハ40系気動車の日中における撮影チャンスは、通年だと朝の鼠ヶ関発新津行と、午後のこの列車(新津発酒田行)です。
この列車の後に上下各一本が走っていますが、季節によっては日没後になります。

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加治駅を通過する485系電車R編成の特急「いなほ」新潟行、2013年3月撮影。
近隣の平木田駅やかつての北陸本線・市振駅もそうなのですが、幅広の島式ホームを通過する列車撮影はどうにも疾走感が無いのですよ。
私の撮り方も悪いのでしょうけれど。

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列車を待つ暇を持て余して、よるべなくホーム上をウロついていたら進入してきたEF510形電気機関車牽引の下り貨物列車、2013年3月撮影。

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駅前通り(と呼んでよいのかどうか)から見た加治駅前の様子、2013年3月撮影。
ご覧のように駐車空間は広大で、子女の車での送迎も滞りなく行えます。
近年は田舎でも何かと物騒なので、自宅と駅の間を車で送迎という女子生徒が多いのです。
路線バスについては、約20年前の道路地図では当駅付近にバス路線の設定は無く、バス空白地域になっていました。
現在は新発田市のコミュニティバスが新発田市街から加治川を越えて設定されています。
便数は比較的多いのですが、ほとんどの便は加治駅の手前でより交通不便な南側の地域に向かいます。
まぁ最寄のバス停から当駅まではざっと800m程なので、多少の不便さはあっても鉄道補完ルートとして使えるでしょう。

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加治駅前通りの様子、2013年3月撮影。
駅周辺は集落になっていて、民家もそこそこに立ち並んではいますが、土日の
日中夕方と歩いてみた限りにおいて人気はあまり感じられません。
商店も駅周辺には存在せず、郵便局と駅村上側に建つ農業倉庫が目を引くのみ。
国道8号線は駅から直線距離で200mほどにありますけれど、道は直線ではなくやや入りくんでおりますので、順路を間違えると予想外に歩くことになり、少々焦ります。
国道は通行量は多いものの、商店の類は村上方面に向かって500m以上進んだ地点にあるコンビニ一軒のみです。
新発田方面に1km強進んで旧新発田市域に入ると、スーパーや信金が出店していますから、地域の方々の日常の買い物はそこで済ますのでしょう。
駅裏手は、新発田側が宅地になっているものの駅裏直近は民家が僅かにある程度。
そこを抜ければ日本海へ向かって北蒲原の田圃の海が広がります。

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2008年12月16日 (火)

興味深々なスイス空軍の新型戦闘機選定

>スイス国防省はF-5E/Fの代替機として中古の
F/A-18C/Dを購入する案が出ていると報じられた件に
ついて、これを否定する声明を出したそうです。
→ソースはこちら。
ttp://www.kojii.net/news/news081212.html

スイス空軍は現在、2010年から退役開始予定の米国製
F-5E/FタイガーⅡ戦闘機(現有54機を2個飛行隊と
アクロバットチーム「バトルイユ・スイス」に配備中)の後継機選定
作業を行っております。
冷戦も終わりスイスに敵対的な周辺国も皆無、軍事、安全保障
環境としてはまことに羨ましい現在のスイスですが、武装中立
を全うする為の国民皆兵制に変更はなく、軍の規模も冷戦時代
に比べれば縮小したとはいえ、その質的向上におさおさ怠り
はなく、空軍においても現在の主力戦闘機である米国製F/A-18
C/Dホーネットは冷戦終結後の1990年代後半に配備されています。
そして今また、新たな戦闘機の選定作業。
我が国では、社民党の党首センセイを筆頭に、

「スイスは平和な非武装中立国!日本も見習って自衛隊も日米安保も
解消して非武装中立、万が一には国連に助けてもらうか潔く降伏して
皆平和に暮らしましょう~♪」

とおっしゃる方々がまたまだ少なからずいらっしゃいますが、スイスは
「平和な非武装中立国」どころか、日本の「シンポミンシュジンケン
ゴケン派」の方々が目を剥いて怒りだしそうな重武装と、特に戦時中の
えげつない行動でその名を轟かす、いい意味でも悪い意味でも
「食わせ者」な国なので(戦前戦中戦後を通じて、日本国及び日本人には
同じ事をやれと言われても恐らく無理)、その辺をよく認識されて、
かの国へのお花畑な理想境の妄想をお持ちになりませぬよう、
衷心よりご忠告申し上げる次第です。

さて話を戻しまして、記事中の候補3機種というのは、

ユーロファイター・タイフーン(英国、ドイツ、イタリア、スペイン共同開発)
ダッソー・ラファール(フランス)
の各機なのであります。

つい先日まで、これら各機をスイスに持ち込んで、実際に飛ばして
選定の為のデータを収集したとの事で、新戦闘機選定作業も
いよいよ佳境に入りました。
この各機のどれを導入するのか?
それはスイス空軍が現在防空の主柱と頼むF/A-18(現在33機
を保有し、3個飛行隊に配備)の今後の戦力としての位置付けに
かかっていると考えます。

まずF/A-18を今後も引き続き防空の主力と位置づけると
すると、(この場合はF/A-18に相当規模のアップグレード
改修が必要でしょう)新戦闘機の性格は代替対象のF-5同様、
主力戦闘機を補佐する従の関係になります。
そうであるならば、性能も価格もそこそこ、加えて運用コストが
ライバル各機に比べて低いJAS39グリペンになります。
先述のスイス国内での飛行テストでは騒音の計測も実施された
との事で、空軍当局も環境問題から騒音問題に神経を使っている
と推測されますが、この点も単発機のグリペンには有利に働く
かもしれません。

それとは逆に、F/A-18を今後戦力として従の立場に置くの
であれば、新戦闘機にまず求められるのは防空の主力としての
高性能であり、F/A-18のそれを凌ぐものが不可欠になります。
そうであるならばグリペンでは能力的に不足で、タイフーンか
ラファールという事になります。
タイフーンとラファールの比較でいえば、共に双発機で機体規模も同等。
エンジン出力の差で飛行性能全般はタイフーンがやや有利、アビオニ
クスにおいては互角、ステルス性では鼻の差ながらラファール有利
と言われております。

また両機とも海外販売はすこぶる芳しくありませんので、
(タイフーンは何故?のオーストリアと王室への賄賂攻勢でモノにした
サウジアラビアのみ、ラファールはゼロ。一時モロッコが導入決定と
いうニュースが流れましたが、その後具体的な話については寡聞
にして耳にしません)
両機関係各国は水面下でスイス空軍及びスイス航空産業、ひいては
スイス政財界に対して相当な値引きや生産・技術移転合戦を繰り
広げているものと推察されます。
その点では、戦前からスイス航空産業と繋がりがあり、戦前戦中は
モラヌソルニエMS
406戦闘機シリーズのライセンス及び独自改良型生産、戦後は
F/A-18の先代主力戦闘機ダッソー・ミラージュⅢのノックダウン
生産(これについては予算の大幅超過でかなり問題になったようです
→ソースはこちら)の実績があるフランス製ラファールがやや有利と
いうところでしょうか。

この三機種いずれかになるにせよ、来年夏には結論が出るとの事。
果たして結果は如何に? 大いに注目して待つことにしましょう。

・・・とこれで綺麗に終われれば言うことなし、私の文章量も少なくて
済むのですが、そうは問屋が卸さないのがスイス流(笑)。
ここでトップ記事の「中古機導入」という第四のファクターが絡んでまいる
のです。

スイスは戦闘機(攻撃機)選定に対して、戦後少なくとも二回、
なんだかなぁ~と思わせる事をやった前科があります。
最初は1950年代半ば、冷戦の激化に対応すべく、それまでの主力戦闘機
ヴァンパイア(共に英国製)に代わる新戦闘機として、一旦はフランス製
ダッソ
ー・ミステールⅣの採用を決めます。
しかしそれはなんだかよくわからないうちに白紙とされ、改めて
コンペを開いて比較検討した結果、くだんのミステールⅣとは性能的
に五十歩百歩な英国製ホーカー・ハンタ
ーの採用を決めます。
ハンターは頑丈で長期の運用に耐え得るのが最大の特徴で、スイス
空軍では独自改良を実施しつつ1994年まで運用されましたから、
これはこれで正解だったのでしょう。
しかし一度内定したのをすぐ白紙にしてしまって、信義という点では
大いに問題がある行動に思われます。
なお、その埋め合わせの意味もあったのか、1960年代初めの超音速
全天候迎撃戦闘機選定では、スウェーデン製のサーブJ-35ドラゲン
を破り、前述のミラージュⅢが選定されております。

二度目が1960年代末、ヴェノム戦闘爆撃機の後継機として米国製
LTV・A-7Gの採用を一旦は決定しますが、今度は「予算の都合が
つきません」でアッという間にキャンセル。
かといって東洋の某列島国のように
「予算ないなら純減純減! 周辺国とのヘイワ共存の為に純減軍縮!!」
とおっしゃる奇特な方はあの国では例えいたとしても極少数、
ヴェノムの旧式化は待ったなしであり、このままでは侵略者の地上軍を
空から叩く阻止能力の低下は免れず、中立国にとって重要な抑止力も
低下してしまいます。
そこでスイス空軍が打った手は、既にスイス空軍で数の上では主力を
成しているハンター戦闘機の増勢。
ハンターはとっくの昔に生産を終えていましたが、その頑丈な機体ゆえ
に英国や先進各国空軍を退役した機が、手を少し入れればなお長期の
運用に耐える状態で相当に残っていたのです。
その余剰ハンターに戦闘攻撃機化改修を加えて、ヴェノムの後継に
当てようというのです。
何分中古機ですので価格も安く、国の財布にもやさしい買い物です。
また既に運用中でしっかり手の内に入っている機体ですから、要員訓練
のコストも最小限で済みます。

無論ハンターも当時でさえ半ば旧式化していましたが、遷音速飛行能力
を持ちその能力はヴェノムよりも一段上、長期に渡り攻撃機の主力と
頼むのでなければ、当面の運用には差し支えなく予算の都合がつきしだい
導入する新型機までのストップギャップにもなります。

こうしてハンター中古機は各型合計52機が1971~75年に引き渡され、
現在新型機への代替選定中のF-5E/Fが1970年代末から導入を
開始するまでのリリーフ役として、アルプスの空を飛ぶことになりました。

いつもの如く前振りが長くなってしまい恐縮ですが、この「白紙撤回」と
「中古機導入」の前例・・・。
トップ記事の「ホーネットの中古機」がにわかにクローズアップされて
くるわけであります。
歴史は繰り返すといいますし、また昨今は金融危機で、深刻な安全
保障上の脅威に晒されていないスイスのような国が、純減は論外と
しても出来るだけお金を節約したいのは予想も理解もできます。
スイス国防省はああ言ってはおりますが、痛いところを突かれると
ムキになって多弁になるのが人間という生き物の業なのでありま
して、まぁ色々と考えているんじゃないのかなぁと(笑)。
新型機をバーゲン価格及びスイス航空産業に見返りの大きい
好条件でゲットする為のブラフとしての「中古機」検討報道と
その否定を、当局がマッチポンプをしかけているのかもしれま
せんし、ここへきて本当にお金が無くなったのかもしれません。

私のようなミリヲタ野次馬としてネタ的に期待しておるのは、

新型機決定

決定からいくらもたたぬうちにお金ないからと白紙撤回

中古機導入方針、本命は米海軍海兵隊で余剰になったホーネット

調査団が渡米、メーカーのボーイング社が全力で接待攻勢、
中古もいいけどおニューのスパホ今なら出血大サービス! 
既存のホーネットのアップグレード改修も込み込みで
、おいらも男だ二言はねぇぜ、えぇい持ってけドロボー!!

調査団ご満悦で帰国、一度は導入候補から落選した
F/A-18E/Fスーパーホーネットが大どんでん返しで採用決定!
あれだけ真剣に売り込んだのにあの苦労は一体なんだったんだと
泣き、喚き、怒る英、仏、独、伊、西、瑞各国関係者・・・。

とまぁ、こんな流れですかね(笑)。

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2008年12月13日 (土)

田母神ショック! 軍研と諸君!が店頭から消えた!!

田母神前空幕長の論文が問題になった先月から、私の住まいの最寄のツタ屋は
それまでずっと置いていた月刊誌「軍事研究」「諸君!」を置かなくなりました。
私は「軍事研究」をもっぱらあの店で購入し、「諸君!」も年に数回購入していた
ので、手軽に読みにも買いにも行けなくなったのは非常に遺憾です。

「軍事研究」は退役高級自衛官の文章がたびだび載り、田母神氏の寄稿もいずれ
あるかもしれません。
日本の防空体制の実情についてぶっちゃけた話をぜひ聞きたいところです。
(私がこの雑誌を購入し始めの二十年ほど前は、現役自衛官の文章も載せていま
したっけ・・・。
貧弱極まりない装甲しか持たぬくせに無謀にも敵戦車に戦闘を挑む愚を犯させな
い為に、歩兵戦闘車の対戦車ミサイル装備を止めさせるべきとか、一発の被弾で
一個分隊全滅の危険を避けるためにも、歩兵戦闘車にも複合装甲を導入すべき
とか、陸自の現役士官が書いていましたなぁ・・・。)

「諸君!」は中国朝鮮や日本国内のシンポミンシュジンケンセイギ派の方々に
「極右偏向」のレッテルを貼られ、悪名を轟かせている(彼らに批判されるという
ことは、あの雑誌にとっては褒め言葉でしょうけれど)雑誌です。

ツタ屋にこの二誌を置かなくなったのは、片や退役自衛官が寄稿しまた自衛隊
内部でも読まれている半業界誌ともいえるその性格から、片や田母神論文を全力
で擁護しかねない「危険思想」を編集ポリシーとする雑誌だからなのかなぁと
私は思っておりました。
ツタ屋はあのメタボで脂ギッチュな三重アゴの教祖様の息のかかった会社と噂
がありますから、あの宗教(政党も)の親特亜戦後史観擁護の体質を考えると、
会社の指示で母体にとって都合のよろしくない雑誌はカット!なのだろうかと。
しかしその理由を店員に問い質すというのもいささか偏執的であり、なにより
今後あの店に行き難くなるのも困るので(笑)、色々と他地域の情報を探って
みたところ、店によっては逆に置き始めたところもあるそうで、うーむ、どうやら
中央からの業務命令ではないようですね・・・。

ツタ屋はコンビニ同様フランチャイズ制だそうですが、コンビニの品揃えが本部
バイヤーの決定に厳格に従わされるのに比べるとずっと緩いようです。
「潮」などは置く事を義務づけ?されているらしいのですが、その他エロ本以外
の品揃えについては各店の自由裁量で置けるのだとか。
(ちなみに最寄店では「フランス書院文庫」も「マドンナメイト」も一切取り扱っ
ていません。他店舗では新刊に限り置いてあったりしますが・・・)
それが本当ならば、私の最寄の店で「軍事研究」「諸君!」を扱わなくなった
のは、売り上げが極端に悪い(「軍事研究」は月に三~四冊いれて十日ほど
で売り切れてましたから、売り上げが悪いとは全く思えないのですけれど)の
か、あるいは店のオーナーもしくは仕入れ担当の個人的な考えが反映されて
いるかのどちらかになります。

例え数は少なくとも、入れればとりあえず掃けて返本にならないレベルの雑誌を
、もし個人的思想に基づいて切ったとすれば、客商売としては如何なものだろう
と思います。
あの手の本が「思想的に不純偏向」していると考えて、またエロ文庫本同様
「不道徳」と考えて、シンポミンシュジンケンセイギ派のバイブル「世界」あたり
を(流石に「前衛」は置けないでしょうねw)、例え返本だらけであっても断固
として置く姿勢を示せば、あぁここの担当の人はそういう思想の持ち主なのだ
なぁとある意味納得もする(そしてそういう店では金輪際買い物はしない)
のですけれど、流石にそれは商売上美味しくないと判断してかやりません。
そのあたりがなんとも生臭くって嫌~な感じ・・・。

嫌~な感じついでに、もう一つ極めて遺憾なのは「世界の傑作機」まで置かなく
なったこと!
同じ出版社の「航空ファン」は引き続き置いていますから、こちらについては

田母神=空自=飛行機=その手の本は思想的に不純なので置きません!

という単純な図式ではないようですけれど。

ともあれ、お陰で「世界の傑作機」も気軽に読めない買えない本の仲間入り。
先月末発売のリニューアル版「99式艦上爆撃機」にまだ目を通していません。
(脊髄反射即買いな機ではないので、購入するかどうかは目を通してから決
めます。アメ公に魂を売った売国奴みさっちは99式艦爆よりもSBDドーン
トレスが断然かっこいい! 英国のスピットファイアやドイツのハインケル
He111もそうなんですけど、私はどうしてもあの「楕円翼」が好きになれな
い・・・。大抵の機はプラモを作れば好きになってくるのに、99式艦爆は
どーしても・・・)

・・・おっと、愚痴の前フリをごちゃごちゃと並べ立てているうちに、今日の
愚痴真打

「世界の傑作機にモノ申ーす!(仮)」

を書く時間が無くなってしまいました(泣)
それはまた次回のお話にございます・・・。

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2008年12月 7日 (日)

越後線・礼拝駅

本日の駅紹介は越後線・礼拝駅。

2017年3月20日記、画像貼り替えと加筆修正を実施しました。

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新潟県柏崎市に所在する無人駅で、大正2年(1913年)12月16日の開業。
国鉄買収前の越後鉄道の駅としてのそれでした。
開業当時の所在は刈羽郡内郷村で、内郷村はその後昭和34年4月に周辺町村と合併して西山町となり、更に平成17年5月に柏崎市へ編入され今日に至っています。 駅名こそ当駅の地名(内郷村になる前、明治時代の村名でもあります)「礼拝」ですが、旧西山町役場は当駅が最寄(距離約300m)です。
また駅の乗降客も、何度となく観察した限りにおいては両隣の西山、石地両駅よりも当駅の方が明らかに多く、旧西山町の中心地域として成立している様子を窺い知れます。
線路沿いには古い民家が軒を連ねて集落を形成しており、路地の狭さなどから考えてかなり昔からの町並みと推察されます。

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礼拝駅駅舎の様子、2013年6月撮影。
建築財産票によれば平成4年2月5日の竣工、許容積雪量は70cm。
近年のローカル線の小駅改築駅舎としては大きい建物。
隣の西山駅の、構内の広さに似合わないこじんまりとした駅舎とは対照的です。
この辺はやはり利用状況を反映しての事でしょうか。
当駅の駅名板は周辺の諸駅と同じく、2006年訪問当時の立体文字からJR東日本定番の駅名板に変わっています。
駅前にはタクシー乗り場がありますが常駐はしていないようで、必要な場合は案内板に書かれている番号に電話して来てもらうのでしょうな。

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礼拝駅前広場の様子、上は2006年10月、下は2013年6月撮影。
画像右手の線路脇に上屋付の駐輪場があります。
駅の規模に対して異様に広いのですが、かつての列車交換設備と貨物側線跡を広場に転用拡幅した故ではないかと推測するところです。
続西山町誌によると、不要の線路が全て撤去されて駅が現在の形になったのは昭和53年末の事のようです。

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越後線の線路に並行する駅前通りから駅前広場方を見る、2006年10月撮影。
この辺りの様子は2013年6月時点でも変わっていません。
昔はそれなりに人を集めたのではないかと思われる店の立ち並び方ではありますけれど・・・。

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礼拝駅付近の県道の様子、2006年10月撮影。
2013年6月に再訪した際は、他駅訪問の時間調整も兼ねてで滞在は十数分しかなく、駅および駅前の確認しか出来ず、この辺りはこの時に見たきりです。
当時は付近にスーパーもコンビニも無く、元コンビニと思われる店は日曜の早朝とあってか閉まっていて、ないないづくしの秋風に吹かれて実に侘しい気分になったものです。
しかし当駅と西山駅(駅間約2km)の中間辺り、ちょうど国道116号線と合流する辺りにはスーパーとホームセンター、コンビニが集中して出店していて、当地域の商業集積地区になっています。
国道の通行量が多いことも手伝ってなかなか賑やかで、旧西山町は断じて寂れていないという名誉の為に一言申し添えておきますです。
なお国道116号線には、越後交通運行の路線バス長岡柏崎線が経由していて、柏崎から東上して礼拝駅付近でその進路を90度変針して、内陸部の長岡に向かっています。
越後線補完では西山駅西中通駅、柏崎駅の移動に利用できます。
刈羽駅荒浜駅東柏崎駅はバス停から少々距離があるのが難点。
2017年1月時点では平日上下16本、土休日は12本が運行されています。
2006年10月時点では通年で上下18本程の運行で、過疎ダイヤの越後線南部区間の駅廻りに重宝する路線でしたなぁ。
現在、土休日はめっきり本数が減って越後線とさして変わらない利便性になってしまいました。

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礼拝駅駅舎内部の様子、2013年6月撮影。
有人体制を前提としていたようですが、今日では遊休化著しい空間です。
旧西山町誌によると、昭和53年度の当駅年間乗車人員は142,298人で、単純計算すると1日平均約390人でした。
隣の西山駅は1日平均約408人でしたけれど、昭和40年度との比較では西山駅の減少率が65%に対して当駅のそれは42%。
柏崎市統計年鑑によると平成20年度の西山駅1日平均乗車人員は約40人。
減少率の推移に変化がなく、礼拝駅の方がその率は小さいとすると、現在では西山駅よりも当駅の方が乗車人員は多いことになるのです。

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ホーム側から見た礼拝駅駅舎の様子、2013年6月撮影。
トイレは建物の右手のドアがそれで、この時点では男女兼用でまだ未改装でした。
最初から水洗仕様なのは流石平成の建物と申せましょう。

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ホームの西山駅方から見た礼拝駅構内、2013年6月撮影。
現在のホーム有効長を示す黄色の太線はしっかり記されています。

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ホーム端から西山駅方を見る、2013年6月撮影。
線路はこの先カーブしていて見通し悪し。

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ホームの石地駅方から見た礼拝駅構内、2013年6月撮影。
幅広のホームが示すように、当駅はかつて島式ホームで列車交換可能でした。
続西山町誌によると、当駅は昭和48年12月に列車閉塞区間を廃止して信号関係の施設を撤去したそうで、この時に停留所されたと思われます。
その時点では現在も交換設備を持つ西山駅に加えて石地駅の交換設備も健在でしたから、その中間に位置する当駅の棒線化もやむを得ない措置であったのでしょう。

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ホーム端から石地駅方を見通す、2013年6月撮影。
この先、礼拝駅から石地駅、小木ノ城駅を経て出雲崎駅までの区間は、過疎電化路線の越後線南部区間において最も鄙びている地域を走ります。

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旧島式ホームの様子を今に留める辺り、2005年5月撮影。






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礼拝駅を出発する115系電車吉田行、2013年6月撮影。

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2008年12月 6日 (土)

人質で民族教育でつまりおまいら金よこせ!

ちょいと気になる在日の方々に関する話題。

>ヨンデネット大阪(旧日朝日韓民衆連帯会議)の呼びかけで府内の労働・平和・
人権・市民団体と、総連、朝青、留学同、韓統連、韓青など民族団体40余団体が
賛同した「2008日朝日韓民衆連帯行動」が11月26日に行われた。
→http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2008/05/0805j1205-00004.htm

彼らが言うには、
>「日本政府は在日朝鮮人を人質にしている。反朝鮮、反総連の流れを『チェンジ』
するため連帯しよう」

・・・なんだそうです。
例え帰国奨励したって差別だなんだと騒ぎ立て、様々な特典を得ながら日本に
居座り続けるのが目に見えてる連中が「自分たちは人質」なんて言ったって説得力
ないですよね。
大体、ほとんど大半が食い詰め経済難民で、色々と手厚く養ってやっても帰化も
せず、それでもまだ足りぬ謝罪と賠償を要求する!と騒ぎ立てられて・・・。
日本は感謝されこそすれ非難される言われはないと思うんですがね。
欧米ならこんな連中、とうの昔に国外追放処分でしょうよ。

しかしまぁ、こんなアホな事を言わせる指示をしなきゃならないなんて、彼らの祖国は
相当窮しているようですね。
米国からテロ国家指定を解除されて、一時はいくらでも経済支援を受けられると勘違
いしてホルホルしていたようですけど、肝心の金融制裁は絶賛実行中で解除の気配
はありませんし(笑)。
ニセドル刷ってバラ撒くなんて、米国の超大国たる主柱・万能のヤンキードルの信用
を揺るがしかねない事をしでかしたら、なんちゃって核保有したぐらいで米国、特に
あの財務省が不問に付すなんてあり得ないのに(笑)
日本も媚朝のセンセイ方がいくら騒いでも、国民世論が制裁延長賛成とあっては手
の打ちようがないですものね。人権擁護法さえ成立すれば・・・と切歯扼腕されて
いる御仁も多い事でしょう。
もっとも国籍法は改正され外堀は埋まりつつあります。
次期総選挙はどう贔屓目に見ても自民勝利はあり得ないですから、人権擁護法も
政府提出法案として可決成立し、対北制裁も差別だなんだと滅茶苦茶な屁理屈を
こねられた挙句解除なんて事になりはしないかと、心配なんですよね・・・。

北朝鮮がらみではこんな話題も。
>山口朝鮮初中級学校の保護者を中心とする8人が11月25日、下関市議会の
関谷博議長を訪問し、教育助成金に関する陳情書を手渡した。
→http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2008/02/0802j1205-00002.htm

「子供達を民族教育で立派な朝鮮人に育てたいのでおまいら金を出せ!」
という話なんですが、何故そんなモンに市民の税金を投じなければならないのか?
しかもこの大変な御時世に。

自分たちの子供を日本の学校に行かせずに朝鮮学校に行かせるのは自由です
よ、彼らは日本人じゃないんだから。
そして自由には対価が付き物なのですから、自分たちのケツは自分たちで拭いて
もらわないとね、彼らには祖国があるのですから。
花咲く先軍政治で主体勝利の輝かしい隊列を歩み続ける誇らしい祖国に助けて
もらいなさいよ、日本国民はもとより助ける義理などありませんからね。
民族教育と言えば聞こえはいいですが、実際は日本人拉致の最高責任者将軍様
マンセー!共和国マンセー!なんですから。

北と日本、どちらも朝鮮学校を助ける気もなくまたそんな義理はないのですから、
残された道はふたつ。
大人しく日本の学校に子弟を通わせるか、地上の楽園に帰って向こうの学校で正真
正銘の民族教育を受けさせるか。
祖国に帰国した在日同胞の相当数が身ぐるみ剥がされた挙句スパイだなんだと
インネンをつけられて山送りにされ、惨たらしい最後を遂げたなんて言う話はよく
読聞しますけれど、そういうのは間違いなく

「日帝軍国主義者どもの悪辣極まりない反共和国圧殺策動」

に違いないのですからw、子供たちに民族教育を受けさせて立派な朝鮮人になっ
てもらう為にも、彼らは一日も早く祖国に帰国したほうがいいですね。
これこそまさに、あの手の方々が大好きな(子供達にとっての)「人権問題」ですよ。
愛する子供達の将来の為なのですから、在日特権とかなんとかくだらないモノは
かなぐり捨てるべきです。
それが親としての子を思う正道というものです。

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2008年12月 3日 (水)

米坂線・越後大島駅

本日の駅紹介は米坂線・越後大島駅。

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岩船郡関川村に所在する無人駅で、1931年(昭和6年)8月10日に米坂線・坂町-越後下関間が開通したのと同時に開業しました。
開業当時の所在は岩船郡関谷村で、同村は昭和29年に隣の女川村と合併して現在の関川村になり、今日に至ります。

私は越後大島駅には都合3回訪問しましたが、二度目の訪問時(2004年8月)には開業以来の木造で風格ある駅舎が健在でした。
二度目の訪問でとりあえずの取材は果たせたので、この駅に降り立つ事はもうないだろうなぁと感慨を抱きながら、車上の人となったものですが・・・。
それから二年強経った2006年10月、村上から路線バスで越後下関へ行ったその帰路、当駅の風景にびっくり仰天! 
その日のそれ以降の予定は全てキャンセルして再びホーム上の人となった次第。
何故びっくり仰天して脊髄反射的に降り立ったかと言うと・・・、
それは当駅のあのクラシカルな渋い駅舎が完全に撤去され、真新しいモノに変わっていたから・・・。

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越後大島駅旧駅舎の様子、2003年11月撮影。

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越後大島駅の新駅舎全景、2006年10月撮影。

新駅舎はかつては有人だった旧駅舎と異なり、待合室の機能のみの完全なる無人駅スタイル。
建築財産票によれば、竣工は平成18年9月。
私が降り立った時点でまだ一ヶ月程度の出来立てホヤホヤです。
許容積雪量は100cm、当地の降雪状況からみてまずは妥当な線でしょう。

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越後大島駅新駅舎内部の様子、2006年8月撮影。
室内は流石に目立った汚れもなく綺麗でしたが、ベンチは廃物利用とおぼしき無人駅定番の見慣れたモノ。
旧駅舎時代同様、自動券売機も乗車証明発行機も未設置でした。
新しい皮袋に古い酒といった趣、定期客しか望めない立地とあっては止むを得ませんが・・・。

当駅駅舎の改築にあたり、利用者にとって最大の福音はトイレが画期的に綺麗になったという事です、これは本当に素晴らしい!
駅舎構造物内に造り付けのトイレは男女別で水洗、またお年寄りや身体の不自由な方にとって心強い捉まり棒まで付いたバリアフリー仕様です。
タイミング良くもよおしてきましたので、早速バリアフリートイレにて用足し。
綺麗な水洗式ですと、やっぱり気分は良いですなぁ~。
汚くて非水洗のトイレで用足しをした時の、「はやく済ませてここを出ねば!」という切迫感を感じなくて済むのが精神的に非常に宜しい。
旧駅舎時代は駅前広場の坂町側端に、これまた開業当時からのものでありそうな掘っ立て小屋然のトイレが、昔の字体で「便所」の看板もいかめしく屹立していたものです。
切迫感以上のナニかを感じさせずにはおかない禍々しい空気を発散していましたっけ。
内部を見学するには少々勇気のいる風体でしたので未確認に付き歴史の忘却の彼方ですけれど、まず間違いなく「重力自由落下式」であったことでしょう。
余程もよおして切羽詰まった時以外は、断じて利用したくない雰囲気プンプンでしたもんねぇ(笑)。

かつては有人だったその名残からなのか、越後大島駅の駅前広場は広大。
米沢寄りには屋根付きの自転車置き場があります。
駅前正面から自転車置き場横に抜けている道路はこれでも国道で、関川村中心部への路線バスが平日一日三往復走っております
(注:2006年10月現在)。
この国道290号線はこの先線路を越えて、下越地方では著名な観光スポットの胎内(スキー場やキャンプ場を有する)へ向かっています。
なおこの道路(駅前を底としたL字状になっており、場所によっては見通しが悪く突然車が現れたりします)は車がかなりトバしてきたり大型車が入ってきたりしますので、駅舎全景の撮影時はくれぐれもご注意ください。

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国道290号線を胎内方面へ。これでも国道です。

駅前から真っ直ぐ伸びる国道沿いは集落を形成していて民家も多く寂れた印象はあまり抱きませんが、御多分に漏れずスーパーは無し。

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駅前から国道119号方面を望む、2006年10月撮影。

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駅前通りから越後大島駅方向を見る、2006年10月撮影。

駅前通りには第二、第四日曜は休業というヤマザキショップ(コンビニに非ず)と、旅館の看板が一軒(営業しているかどうかは定かではない)があるきりです。
駅から3~400mほど進むと国道113号線(新潟と山形内陸部を結ぶ主要国道で交通量非常に多し!)と合流し、信号を渡るとヤマザキデイリー(こちらはコンビニ)兼酒屋に到着、食料確保を確実に行えます。

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またこちらは駐車場も広く、トラックの休憩所としてだいぶ繁盛しているようです。

駅に戻って構内を見ると、短いホーム一本の典型的ローカル駅の趣。

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旧駅舎時代のホームを坂町駅方から見る、2003年11月撮影。

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同じく越後下関駅方から見る、2003年11月撮影。

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駅舎も駅名標も変わった近年の越後大島駅、2013年6月撮影。

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越後下関方の踏切から見た越後大島駅、2013年6月撮影。

旧駅舎時代はそれでも重厚な造りの駅舎が歴史の重みを加えて、その存在感を大いにアピールしていたものですけれど、改築後はそうしたモノも完全に消え去ってしまい、真新しくも大変こじんまりとした待合室と昔ながらのホームがなんともミスマッチで違和感を拭いきれません。
トイレが綺麗になった事は大変素晴らしい事なので苦言を呈するのも心苦しいのですが、もうちょっとデザインに注意を払って欲しかったなァと感じる次第です。
当駅の御得意である通学生諸君にはそんな事知るか!なんでしょうけどね。

本線の横にはもう一本の線路と短いホーム状の構造物。
今も残る貨物用ホームではさばききれない重量級の貨物(出荷米とか)はここで出し入れしていたのかもしれません。
線路は本線とは完全に切り離されており、かつての鉄路隆盛時代を今に留めるモニュメントのようになっております。

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越後大島駅を出発する坂町行快速「べにばな」、2005年8月撮影。

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越後大島駅を通過するキハ58系「なつかしの急行あさひ」、2005年8月撮影。

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出発するキハ110系気動車を先頭とした坂町行、2013年6月撮影。

さて2006年10月、駅舎改築を目撃して脊髄反射的降車を敢行した私・・・。
列車の本数は少なく、国道119号経由で坂町と越後下関を結ぶバスも当時は土休日はたった2往復の運行で使い物にならず・・・(2016年時点では土休日全便運休)。
このままこの待合室で、次の列車(1805発坂町行)が来るまでよるべなく二時間半もじーっと待っているのもゲイがない。
ならばと思い立ったのが、坂町駅までの道程七キロ半を歩いてみよー!
私の歩行速度だと一時間二十分ってとこですかね。

幸いというかなんというか、当駅と坂町駅の間には、1995年12月まで無人駅の花立駅があったのです。
かねてからその跡地を訪れたいと思いながらも、場所が中途半端でなかなか旅程に組み込めず、後回しにしていたところです。
こんな機会ももうないだろうし、ここはこのヒマヒマな待ち時間を天祐と受け止めて、花立駅跡を見物しつつ坂町駅へ勇躍発進!と相成ったわけです。

道中、国道は荒川を右に見ながら進みます。

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道中にあった警報機付き踏切、2006年10月撮影。
この先民家とか無いようですけど、何故警報機付き?

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史跡「せばの渡し」、2006年10月撮影。
荒川を往く舟の発着場がこの辺りにあったようです。
明治十九年廃止。

約3kmを歩いて念願の花立駅跡に到着。
「花立駅跡」の駅名票が設置されていますが、道路から高台のホームへ上がる階段は埋められたそうで私にはその跡を確認出来ませんでした。

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いずれも2006年10月撮影。

従って廃ホームは確認出来ず・・・米坂線列車乗車の際にはこのあたりに差しかかると目を皿のようにして廃ホームを探すのですが、その手かがりすら発見出来ません。
駅廃止十年以上を経て雑草が生い茂りすっかり朽ち果てて原型を留めていないのか、それとも撤去されてしまったのか・・・。

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俯瞰で花立駅跡と思われる辺りを撮る。うーむやはりワカラン・・・、2006年10月撮影。

花立駅廃止の理由は利用者減少との事で、確かに駅周辺には土地改良区の建物以外何もありませんが、橋向こうを見れば民家も見え国道を坂町方面へ進めば矢張り民家もありますから、全くの無人地帯というわけではありません。
この程度の立地条件なら、ローカル線ではたいして珍しくもないと思いますけれど、それでも廃止に踏み切ったのは何故なんだろうと少々疑問です・・・。

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荒川の越後下関方面を望む。

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同じく坂町方面を望む、いずれもこ2006年10月撮影。
この辺りを境にして川の表情がガラリと変わります。

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2008年12月 2日 (火)

主張結論は明快にって卒論指導で叩き込まれませんでしたかサヨクの方

>自衛隊が2010年度までに、各務原市の航空自衛隊岐阜基地に迎撃ミサイル
、パトリオット3(PAC3)配備のための予算を盛り込んでいることを受けて、
周辺住民や市内の教員らでつくる「岐阜基地にパトリオットミサイルはいらない!
行動実行委員会(海野修治代表)」は29日、配備中止を要望する申し入れ書
を同基地に提出した。
→http://mainichi.jp/area/gifu/news/20081130ddlk21010049000c.htmlソースは

「岐阜基地にパトリオットミサイルはいらない!行動実行委員会」の方々がおっ
しゃるには、PAC3がミサイル迎撃に成功しても、破片が落ちてきて被害が
出るので配備は止めろ!・・・なんだそうで。
この手の方々は大抵、

「九条さえ守っていれば、いかなる国も日本を攻撃することはありません!」
「攻撃される恐れが皆無なのに迎撃ミサイルを配備するのは、日米が一体化して
の中国・朝鮮侵略策動に他ならない!」

とか、

「必要もなく高価なPAC3をアメリカの言いなりになって買うのはただちに
止めて、一刻も早いアジアの国々に対する謝罪と賠償に充てるべきだ!」

とか、

「PAC3は攻撃侵略ミサイル! 配備絶対反対!!」

とおっしゃるのが通り相場だったと記憶しておるところですが、ミサイルが飛来
するのを想定するあたりは危機意識に対する多少の進歩があったのかなぁと、
少々関心しているところでございますが、おっしゃっている事は例えるならば
警官が銃で武装した凶悪犯に発砲した際に流れ弾が飛んできて市民に危険
を及ぼすので警官の銃携帯反対!という感じですかねぇ(ちょっと違うか)。

しかしまぁ、

「岐阜基地がなければわたしたちの街がミサイルに狙われることはありません!
迎撃ミサイルも基地もいらない平和な各務原市を市民の力で取り戻しましょう
!!」

とか言い出さないのは、流石に世間の空気を察しての事なのでしょうか。
サヨクの方々も世間への気遣いが大変な時代になってきましたね・・・。

それはそれとしてミサイル配備反対、それは大いに結構!
では実際にそうなった場合、日本がミサイル防衛から一切手を引いた場合の、
国家安全保障についてどう考えているのか、そういう現実的、具体的な話は
一切しない。
その辺が、私がこの手の方々を信用できない最たる理由です。
もっと自分たちの思い浮かべる理想について、具体的におっしゃるべきだと常々
思っております。

日本を丸裸にして、

「札付きの反動聖徳太子によって絶たれた大中華との絆を復し、大中華の大家族の
末席にその身を置いてその温かな内懐に抱かれて暮らす幸せの追求」
「漢民族とチベット民族が平等互恵に楽しく暮らす西蔵の地こそ、日本のあるべ
き姿である!」

でもよいですし、

「世界も最も優れた朝鮮民族と融和する事により、千年経っても克服できない日本
の侵略殺人根性を正し、導いていただく」

「百戦百勝の鋼鉄の霊将金正日将軍様を征夷大将軍に高く押戴き、夷敵米帝討つ
べし!」

とかでもいいじゃないですか。

先日の「そこまで言って委員会」に出席された新社会党の原センセイのような、

「話し合えばいいぢゃないですかぁ~」

ああいう屁理屈すら語れず相手の質問の意味も理解出来ないお花畑
(あの様子だと、はぐらかしではなく本当に理解できていないっぽい・・・、以前別の
番組で、軍事的抑止力というものの意味が理解出来ずに途方に暮れた顔をしてい
た経済評論家のミニカーセンセイとおんなじ手合いですな、勉強が出来るのと利口
なのは全く別の話であるという典型)
がメディアで幅を利かすので、サヨクは馬鹿にされるのです。
偽善と欺瞞に満ちた詐欺師のような態度をとるのはもうやめにして、自分達の望
むビジョンをはっきり示せば、支持する人もそれなりに増えるかもしれませんよ。
脂ギッチュな教祖のメタボおやぢに金を貢ぐのが三度のメシより好きな方や、
「ウリを信じるかー! イエーーーーー!!」な方が大勢おられる奇奇怪怪な
今時の日本人であればね。

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2008年12月 1日 (月)

「時代の子」永遠の旅路へ

>「夢の超特急」といわれた初代新幹線0系が30日、44年間の営業運転を
終えた。
「団子っ鼻」を思わせる独特の先頭車両で親しまれ、日本の高度経済成長を支
えたが、より速い車両の登場と老朽化で引退が決まった。0系のとまる新大阪
―博多の各駅や車内は、別れを惜しむ鉄道ファンらであふれかえった。
→http://www.asahi.com/national/update/1130/OSK200811300015.html

高度成長時代の只中に生を受け、昭和元禄、オイルショック、バブル景気とその
崩壊、平成不況・・・。
昔ながらの日本からグロスタに染め上げられ無国籍な拝金主義に人も社会も国
の在り方も変転し変質していく時代を見つめながら駆け抜けた、まさに
「時代の子」新幹線0系電車がとうとう引退の日を迎えました。
ただひたすら上を向いて頑張って生きていけば何かしらの夢が叶った、今の世
の中の閉塞感とは対極にあったであろう高度経済成長時代を共に走ったキハ82
系特急型気動車、151/181系特急型電車、151/165系急行型電車、
元祖ブルトレ20系客車、また旅客機ではYS-11も鬼籍に入って久しく、
以前のエントリーでも書きましたが本当に、「昭和は遠くなりにけり」になってしま
いました。
鉄道車両で定期列車として、かつては車内を仕事人たちの熱気でむせ返らせて
いたであろう、高度成長時代の香りを辛うじて今に伝えるのは、583系、485
系、381系の特急型電車とキハ181系特急型気動車、二代目ブルトレ14系
客車ぐらいですね・・・。
その彼らにしても食堂車はトウの昔にはずされ、編成は縮小されてかつての10
連以上に乗客を満載して幹線を突っ走っていた面影はなく・・・。
まだ確定情報ではありませんが、来春のダイヤ改正では東京口からブルトレ撤退
(九州から定期寝台列車が消える事になります)が既定方針との噂がもっぱら
・・・。
我が県では幸いな事に、583系急行「きたぐに」やブルトレ「日本海」
「北陸」、485系運用列車(特急「いなほ」「北越」、快速「くびき野」
など)が未だ健在、暫くはその活躍が見れそうですが、これらの車両群、列車群
も2014年北陸新幹線金沢延伸時には大鉈が振るわれる事確実・・・。
浦本駅のエントリーでも冗談まじりに書きましたが、まだまだ時間はあると思っ
て油断していると、その日はあっという間にやって来ます。
乗るなり記録するなり、日常の平穏な空気が支配している間に各人なりの別れ
を告げておく必要がありますね・・・。

48501_3
485系特急型電車、新潟駅にて

58301
583系特急型電車、長岡駅にて

かようのように0系電車引退は古きよき日本の一時代が完全に終わりを告げた
その象徴として、誠に感慨深いものがあるのですが、個人的な0系との接点と
なると、非常に薄かったというのが正直なところです、まぁ住んでいる街が街な
だけに。
0系に初めて乗ったのは高校の修学旅行で広島へ行った時。
上越新幹線から東海道新幹線への乗り継ぎで、その時広島まで乗車したのが
0系でした。
当時はまだ真新しかった上越新幹線200系電車との比較で、なんとなく冴えな
い車両だなぁ~と、今から考えれば甚だバチ当たりな感想しか持ちませんでした。
実際、車中での出来事や車窓もよく覚えていませんしね、東京-新横浜間で思
った程スピードが乗らない事が意外だったり、はしゃぎ疲れて爆睡する悪友たち
をよそに、トンネルが連続する山陽区間を疲れた頭と目でぼーっと見ていた事
ぐらいしか。

次に乗ったのが大学生の時、小田原-東京間で。
当時私は神奈川県中部の小田急沿線に住んでおりまして、帰省の際にはヲタ心
を満たすべく毎回ヘンな経路を辿って帰っていました。
上野からは平や郡山まで出て磐越東・西線周りだったり山形まで出て米坂線周り
だったり、はたまた長野周り飯山線経由などと色々でしたが、神奈川県人から新潟
県人に戻る為の毎回の儀式にしていたのが、小田急線でまず小田原まで出て、
そこから改めて上野までどう出るか考えるというもの。
小田原という街は観光地としては熱海や箱根に食われて地味、駅前のみやげ物
屋も垢抜けなく、街並みも古びていたのですが、おしゃれなイメージの湘南の一角
に名を連ねているにも関わらず(江ノ島や茅ヶ崎とのイメージの差を考えれば解る
でしょう)、そうした姿を貫き通しているあたりにそのころからエキセントリックな感覚
の持ち主だった私は強く惹かれ、神奈川の真の姿だと自分の中で規定していたこの
街、この駅から新潟県人へのチェンジを始めるんだ!などと思い詰めておった若き
日々だったのであります(笑)。

おっと閑話休題、
小田原から都心に至る選択肢は3つ。
一つ目は小田急のロマンスカーに乗り、シートサービスの紅茶でも啜りつつ新宿
まで。
しかし学生の休みはすなわち繁忙期でもありますので、全席指定のロマンスカー
に乗りはぐれる事も珍しくなく。
二つ目は東海道線の普通電車で東京まで。ただし混みこみの普通車なんぞには
断じて乗らないw。故郷に錦を飾るハレの日なのですから、奮発?して自由席
グリーン車に乗り、空いた車内でリクライニングシートにふんぞり返り、小田原-
平塚間で車窓に見える太平洋を眺めながら気分はつかの間お大尽w。
当時健在だった急行「東海」は時間帯の関係で残念ながら考慮外、特急「踊り
子」は興味ないので眼中になし。
三つ目が東海道新幹線こだま号で東京まで。
当時はこだまといえば100%0系でした。
流石にこの距離や乗車時間でグリーンや指定という選択肢は勿体無く思えたので
自由席で我慢、着席出来ずにデッキで立ちんぼも珍しくなく。
0系が稀少になった時期ならば立ちんぼもいとわず乗ったでしょうけれど、当時
は0系などそれこそ「掃いて捨てるほど」走っていましたから、趣味的にもまる
で魅力を感じていませんでしたからねぇ・・・。

やはり人情としては座っていけるのが一番なので、こだまを選んだのは片手で数
えられほどで圧倒的多数はまず確実に好みの席に座れる東海道グリーン車、
指定が取れた場合はぷちリッチな気分でロマンスカー。
お陰で東海道グリーンは特急や急行から格下げ転用されてきたグリーン車に行き
当たって小躍りしたとか、今は亡きロマンスカーNSEも存分に楽しめたとか美味
しい思いも多々あったのですが、その代償として0系経験は言うなれば素人童貞
レベルのまま終わってしまいました・・・(涙)

何事も時代の先を読むのは至難な話なのでありまして、先々後悔しないように
よくよく時代の流れを読んで行動すべし。
私にとっての「さらば0系」は、そうした人生訓をも考えさせられる、単なる
ヲタ趣味の範疇にとどまらない話でもあるのです。

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