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2008年11月30日 (日)

浦本駅(北陸本線)

本日の駅紹介は、北陸本線・浦本駅。

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1950年(昭和25年)1月28日開業の新潟県糸魚川市に所在する無人駅です。
駅開業当時の所在は西頚城郡浦本村で、浦本村は昭和29年6月1日に糸魚川市へ編入され、今日に至ります。

浦本駅が所在する北陸本線・名立-糸魚川間は1912年12月の開通で、両隣の梶屋敷能生両駅もその時同時に開業しています。
しかし当駅は浦本村唯一の玄関駅にも関わらず、戦後まで駅設置は見送られてきました。
能生駅は所在する能生町の人口規模からして駅設置は当然なのですが、梶屋敷駅に対して大きく遅れをとった理由が今ひとつわかりません・・・。
当該区間の開通当時は梶屋敷駅近くの浜で海産物がよく採れ、その積み出しに駅が重宝されたとの話はあったようですが、浦本村にも漁港はありますしね・・・。
当時の村の政治力が弱かったとか、その類の生臭い話なんでしょうか?
この辺はもっとディープに調べる必要がありそうです。

さて浦本駅は戦後、地元の請願駅としてようやく設置の運びになります。
駅設置に当たっては村が当時の金額で500万円!を借金して駅舎を建設し、国鉄に寄贈するという形をとったそうです。
村の総意として是が非でも駅が欲しかったのでしょう。
その借金の返済には漁師の方々が月二回の休漁日を返上して出漁し、その二日分の収入をそっくり当てたとか、会社員は毎月給与一日分相当の金額を出すなど、涙ぐましい話があります・・・。

そんな地元の方々の熱意によって無事船出した浦本駅、しかし国鉄合理化の荒波に直撃されて、1970年(昭和45年)4月に無人化の憂き目にあってしまいます。
前年の10月には糸魚川-直江津間が当駅-有間川駅を含む線路の付け替えを伴う複線電化により、新潟と北陸を結ぶ大動脈として装いも新たに再出発したのですが、そうした華やかさの代償として、不採算駅の合理化(無人化)も断行されたのです。
その犠牲になったのが当駅と梶屋敷駅、有間川駅でした。
当地の方々は前述のように「痛み」を伴ってようやく開業にこぎつけた浦本駅がたった20年で無人化される事に猛反対(特に農協が「米の出荷に支障が出る!」と反対の急先鋒だったそうです)。
地元の代表が当時、自民党幹事長だった田中角栄氏の元にも陳情に行ったものの、駅無人化の方針が覆る事はありませんでした。
無人化対象が当駅だけならば、角栄氏の力で撤回も可能だったかもしれませんけれど、近隣の小駅全て無人化の対象とあっては流石に・・・。
近隣の駅でも合理化反対が叫ばれている中、当駅だけを救済するとなると特定の地域に対する便宜供与と取られかねませんから、豪腕の角栄氏といえどもも如何ともし難かったのでしょうね。

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浦本駅駅舎の様子、2012年6月撮影。
駅舎は出入り口に手が入れられている以外、開業以来の姿を保っています。
トイレは小さな駅前広場の左隅にありましたが、その様子はお察しください・・・。
特に大きい方、私はあそこで用足しする勇気はございませぬ。

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浦本駅駅舎内部の様子、2012年6月撮影。
自動券売機は未設置で、当時の北陸本線新潟県内区間で券売機が無いのは当駅と有間川駅のみ。
従ってこの両駅から乗車した場合は車内精算が必要なのですけれど、車掌氏が回って来ないのです。
結局揺れる車内を移動して車掌氏のもとにこちらから出向かなければならないという、ユーザーフレンドリー?なにソレ美味しいの?というノリでしたな。
おっと閑話休題、駅舎の規模に対して待合空間は小さいのが特徴。
建物の半分以上は事務室その他に取られています。
駅舎の経年から見て近い将来の改築も考えられるところですけれど、その際は小さな待合室に姿を変えてしまいそう。
ちなみに浦本駅の利用実態は、やや古い資料で恐縮ですが糸魚川統計年鑑によると平成19年度の1日平均乗車人員は約19人。
北陸本線の直江津-市振間で、直江津駅を除いた11駅中最下位です。

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浦本駅前の国道8号線、2012年6月撮影。
この辺りの信号は総じて押ボタン式で歩行者は僅少なので、クルマは途切れずに行き交います。
横断歩道以外のところで道路を渡るのはかなりの時間を費やすことになります。
またこの時点ではコンビニや食堂の類は付近に無く、駅を訪問滞在する場合はそれなりの用意が必要です。
国道には糸魚川バス運行の路線バス・能生-糸魚川・青海線が走っていますけれど、本数は少なくて残念ながら鉄道補完として使う機会は限られています。

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梶屋敷駅付近から旧郷津駅付近までは「久比岐自転車道」でウォーキングできます、2012年6月撮影。

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浦本駅から梶屋敷方に自転車道を歩くこと13分で浦本漁港に到達、2012年6月撮影。
前述したように、ここから出漁する漁師の方々の水揚げが、浦本駅開業に大きく貢献したのです。

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さて駅舎から構内へ出ると、乗り場の案内板があります、2012年6月撮影。
階段を上がった先が直江津方面乗り場、地下道をくぐった反対側が糸魚川方面乗り場です。
有間川駅のような構内踏切ではなく地下道連絡なのは撮影に寄与する事大で、列車の接近による身の危険もなく、上下の列車間隔のごくわずかな時間帯(特急「はくたか」通過ではそういう事があるのです)でも己の脚力のみを頼りにして地下道を駆け抜け撮影に臨めました。

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階段を登った先の下りホームから見た浦本駅駅舎、2006年10月撮影。

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一応のバリアフリーというべきなのか、ホームへ至る道は急勾配の階段以外にこのルートもあります、2012年6月撮影。

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下りホームの梶屋敷駅方から見た浦本駅構内、2012年6月撮影。
構内は対面式ホーム2面2線のシンプルなもの。

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ホーム端から梶屋敷駅方を見る、2012年6月撮影。
電車特急が高速で走り回った電化複線の立派な線路も、2015年3月改正以降は長編成の貨物列車と最大2連の気動車が走るだけの過剰設備化です。

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下りホームの能生駅方から見た浦本駅構内、2012年6月撮影。

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下りホーム端から見た能生駅方の浦本トンネル、2012年6月撮影。
浦本トンネルは北陸本線の複線電化用に作られました。

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冬枯れでその跡がはっきりわかる北陸本線の旧線跡、2004年4月撮影。

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上下のホームを連絡する地下道、2012年6月撮影。
コンクリートの劣化具合が程良くて味がありますな。

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上りホームの連絡地下道出入り口周り、2013年10月撮影。

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上りホームの能生駅方から見た雨の浦本駅構内、2013年10月撮影。

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上りホームの待合室内部、2013年10月撮影。
ベンチの数は駅舎よりも多く、広い空間が確保されています。

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上りホームの梶屋敷駅方から見た浦本駅構内、2012年6月撮影。

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浦本駅上りホームに停車中の419系電車富山行、2004年4月撮影。
所謂「食パン」顔は当時あまり好みではなかったのですけれど、今思うともっと気を入れて撮っておけばよかったなぁと少々の後悔があるのですよ。

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浦本駅下りホームに停車中の419系電車直江津行、2009年6月撮影。
当時はとにかくこの面構えに執着して撮っていました。

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浦本駅上りホームに到着した419系電車富山行、2009年6月撮影。
419系電車は2011年3月ダイヤ改正で全車引退しましたが、その当日にあの大震災が起きて東日本の人間はそれどころではありませんでした・・・。

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浦本駅上り線を出発する475系電車富山行、2009年6月撮影。

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浦本駅下り線を出発する475系電車直江津行、2009年6月撮影。

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浦本駅を出発して浦本トンネルに突入する青一色の475系電車直江津行。
この色合いには最後までなじめなかったものです。

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JR時代末期になってようやく直江津口に投入された413系電車直江津行、2013年10月撮影。

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浦本駅を通過する485系電車T編成の金沢行特急「北越」、2012年6月撮影。

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浦本駅を通過する485系電車R編成の新潟行特急「北越」、2012年6月撮影。

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浦本駅を高速通過する越後湯沢行特急「はくたか」、2012年6月撮影。

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