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2008年8月の記事

2008年8月26日 (火)

越後線・小島谷駅

本日の駅紹介は越後線・小島谷駅。

2016年3月6日記、大幅リニューアルを実施しました。

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新潟県長岡市に所在する列車交換設備を持つ無人駅で、2005年12月末日までは三島郡和島村の玄関駅でした。(和島村は2006年元日に長岡市と合併)

さて小島谷駅は大正2年(1913年)4月20日に越後鉄道の駅「与板」として開業しました。
(開業当時は三島郡島田村の所在、島田村は昭和30年3月末日をもって和島村と合併して消滅しました)
与板は島田村からほど近い与板藩二万石の城下で、明治維新後も郡役所が置かれた三島郡一帯の中心地であり、その玄関口とすべく、島田村の所在にも関わらずその地名を駅名としたそうです。(当駅から与板の中心街まで直線距離で約5km)

しかしそんな「捕らぬ狸のなんとやら」も、大正4年に長岡鉄道の「与板」駅(こちらは与板の中心に設置)が開業した事で水泡に帰し、越後鉄道「与板」駅は当地区が島田村と合併する前の村名である「小島谷」に改名されました。
なお、越後鉄道は昭和2年(1927年)10月に国有化され、越後線となり現在に至っております。

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小島谷駅駅舎は建築財産票によれば昭和46年10月の竣工で、内部はローカル駅定番の長ベンチが2脚と自動券売機が1台あるきりの素っ気無い様子。
なおトイレは駅舎の外側(建物の向って右側)にあり、水洗です。
上は2013年10月、下は2006年10月撮影で、2006年当時は早朝だというのにタクシーが一台待機中。
この時に国道116号線へ向う、旧和島村のメインストリートを歩いた際にはタクシー会社の小さな営業所があったのでそこから来ていたのでしょう。
上の撮影時にはタクシーの影は無く、現在の待機体制がどうなっているのか気になるところ。

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小島谷駅駅舎内の様子、2013年10月撮影。
私が小島谷駅を最初に訪問した2004年6月はまだ有人駅で、事務室の奥では初老の職員が暇そうにしておりましたが、
その窓口も今では完全に塞がれ、時刻表とお知らせが貼ってあるだけ・・・。
無人化されたのは2004年11月末との事です。
駅有人の時間帯は朝7~8時頃から夕方の16~17時頃までだったと思いますが、その間当駅に発着する列車は上下合わせて10本ほど。
越後線南部区間(吉田-柏崎間)の旅客形態は通学客の利用がメイン、平日の日中の利用は推して知るべし。
また周辺は完全なクルマ社会で、当駅前後の越後線と並行して競合する路線バスは存在しない状況です。

公共交通が見放されているような地域での有人駅小島谷。
恐らく良寛の里・和島村の玄関駅としての意地と面子としての有人だったのでしょうね。
それも長岡市との合併を目前についに息切れしてしまったという事なのでしょうか・・・。

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小島谷駅前広場の様子、2013年10月撮影。
画像右側のバスは折り返し待機中の長岡駅前行。
当駅と長岡駅間には越後交通のバス路線が設定されています。
2015年度ダイヤでは上下合わせて七本で、全区間の所要時間は一時間強。
私は2005年3月に長岡-小島谷間で、この撮影時には小島谷-長岡間でこの路線を利用しましたが、前者は長岡駅前出発時で両手の指で数えられるほどの乗客の少なさで、途中での乗降も片手で数えられる程。
その数少ない乗客も私以外は与板で全員降りてしまい、与板~小島谷駅間の二十分は私の貸切状態・・・。
その当時と比べても四本も減便されてしまっているのがこの路線の現状です。この撮影時に乗車した際は、出発時の乗客は私一人、与板で乗ってくることも無くガラガラで長岡駅前に到着という状態でした。
いずれも日曜の午後なので、平日はもっと利用があるのだろうと思います。
しかし土休日は全便運休でも文句は言えないのではないかと。
その辺の割り切り方が凄い頸城バスなら問答無用でそうするでしょうなぁ。

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1番線の妙法寺駅方から見た小島谷駅構内の様子、2013年10月撮影。
当駅は列車交換駅ですが、交換の無い場合の列車発着はこのホームになります。

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ホーム端から妙法寺駅方を見通す、2013年10月撮影。

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旧貨物ホーム跡の様子、2013年10月撮影。
当駅の貨物取り扱い廃止は昭和46年との事です。

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構内から見た小島谷駅駅舎の様子、2013年10月撮影。

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桐原駅方から見た小島谷駅構内、2013年10月撮影。
当駅は退屈になりがちな直線上にありますが、ホームの千鳥配置が良いアクセントになって、なかなか面白い画になります。

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小島谷駅跨線橋内の様子、2013年10月撮影。
無人駅の跨線橋内としては綺麗な部類ですな。

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跨線橋上から妙法寺方面を望む、2013年10月撮影。

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同じく桐原方面を望む、2013年10月撮影。

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2番ホーム端から桐原方面を見通す、2013年10月撮影。
元々の出自が田舎の私鉄なので、構内は狭いのです。

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2番ホームの妙法寺駅方から見た小島谷駅構内、2013年10月撮影。
無人化されて久しい当駅ですけれど、越後線南部区間の運転上の要衝として存在感を放っており、2015年春改正ダイヤ時点では一日四回の列車交換が当駅で行われています。
他には西山駅で四回、出雲崎駅と寺泊駅で各一回という状況です。
最初にこのホームを見た時には、狸がちょこちょこ動き回っていたりして、またうす暗い曇天だったこともあってすっかり廃ホームの風情でした。
背後の林ももっと鬱蒼としていたような気がします。
しかしこうして秋晴れの明るい陽の中で改めて見物すると、そんなうらぶれた雰囲気を感じさせないのですから、人間の感覚って周辺の色彩その他に大きく左右されるのだなぁと改めて感じた次第です。

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小島谷駅における列車交換の様子、2013年10月撮影。
上の画像左側の吉田行が先着して待機し、右側の柏崎行の到着を待って出発です。

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桐原方の踏切から見た小島谷駅構内、2013年10月撮影。

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妙法寺方の踏切から見た小島谷駅構内、2013年10月撮影。
こちら側から駅へは少々距離がありますが、手前の小さな鉄橋と後背の小山がアクティブな距離感をを出していて良い感じ。

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さて駅前の越後線と平行する道を新潟方面に少し進むと、旧和島村のメインストリートに出ます、2013年10月撮影。
手前の右手に少し入ったあたりにスーパーが一軒ある以外は、
個人商店が点在する程度で、この撮影の七年前に訪れた時とさしたる変化はありませんでした。
旧和島村役場が図抜けて立派な建物なのには、再訪してもやはり違和感がバリバリでしたけど。
この道を直進して国道116号線に出て、なおに柏崎方面に数百m進むとこの地域の生んだ偉人「良寛さま」に関する観光施設があります。
くだんのタクシー待機もそれを当て込んでなのかもしれませんが、過疎ダイヤの越後線を使って訪れる酔狂な暇人はなかなかいないのではとも思うのですね。

小島谷駅と言えば忘れられないのが、駅前にいた兄弟とおぼしきくろよもぎぬこさんたち。

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2006年10月朝、秋晴れの朝陽を一杯に浴びながらご機嫌でごろんごろん中のぬこさんと、その脇でぼーっと佇むぬこさん。
ごろんごろんのぬこさんは私が近づいても頭を撫でても構わずごろんごろん。
見ているこちらまで自然に笑顔になるご機嫌ぶりでした。
一方彼氏の相棒はというと、こちらを胡散臭そうな目で見やりながら、しゃがんでいる私のすぐ横を通って少し距離を置き、こちらを見るとも見ないでもなくまたぼーっと・・・(笑)。
彼らは体つきもふっくらとして栄養状態はよさそうでした。
首輪はしていませんが人馴れしている事からして近所で飼われているのでしょう。
あれから十年近く経ちますが、おそらくは彼らも天に召されているのでしょう。
小動物のいのちは実に短くはかない。
昔、十年ほど居候の猫と暮らしていた私には、そうした彼らがひたすら愛しい。

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2008年8月24日 (日)

将軍サマに聞き取り調査でもしますか?

昨日の北京五輪野球日本代表が無為無策で惨敗エンドという頭にくるニュースに
追い討ちをかけるような、非常に腹立たしい報道が本日も!

>拉致被害者に関する再調査の実施方法などで合意した先の日朝実務者協議で、
過去にも北朝鮮が行ったとしている再調査内容を白紙に戻すよう日本が求めたの
に対し、北朝鮮が拒否していたことが23日、分かった。→http://www.47news.jp/CN/200808/CN2008082301000827.html

まぁ、こんな事になるのは予想の範囲内でしたけどね。
再調査といったって、拉致が将軍サマの直接の指示で行われたのであるならば、
これ以上どこをどう調査するのだと(苦笑)。将軍サマに聞き取り調査でもしま
すかw
日朝実務者協議も、向こうは将軍サマの意思をこちらに伝えるメッセンジャーで
しかなく、合意に関する権限も無いのですからやるだけ無駄です。

拉致問題を本気で解決させようと思ったら将軍サマを心底困らせて決断させる以
外に方法はなく、それには向こうの仕掛けには一切乗らずに粛々と冷徹さをもっ
て経済制裁の強度を上げていく以外にありません。
現状レベルでまだ音を上げないのであれば将軍サマの金づるであり不法行為のベ
ースキャンプである朝鮮総連やその取り巻きまで手を突っ込むべきですし、少な
くとも向こうの代議員も兼ねている総連幹部は日本への再入国禁止、さらには
向こうで生活基盤を持っている(なにしろ向こうでは国会議員サマなのですから)
事を理由に特別在留資格の剥奪も実施すべきです。

拉致問題と連動して、六カ国協議もあんな茶番に付き合う必要はありません。

「北朝鮮非核化の検証を確実に実施出来ない場合、また北朝鮮の核保有を追認す
るような事態になった場合、我が国は国家の安全と国民の主権生命財産を守る
為、非核三原則を全面的に見直す」

これだけ言って、あとは黙って会議の成り行きを眺めていればいいのです。
必要なら六カ国協議から一方的に離脱してもいいでしょう。
戦前、国際連盟脱退を宣言して会場を後にした松岡代表(のちの外相)のように
、日本代表部は胸を張って堂々と帰国すればいいのです。
北は(おそらく韓国も)日帝が軍国主義の本性を露にしたとか朝鮮再侵略策動
だとか口汚く罵ってブラフをかけてくるでしょうが、そんなのは全部無視して
おけばよろしい。
また米国や中国は慌てて特使を派遣し説得を試みるでしょう、その時こそチャン
ス。
拉致問題をパッケージングして断固として譲らぬ姿勢を示し、米国や中国を利用
して北の外堀を埋めていくのです。とにかく搦め手も使って将軍サマにこれは
ヤバいと実感させなければ、拉致問題は(核問題も)解決しないのは自明なの
です。

・・・しかしまぁ、向こうが再調査を「約束」しただけで制裁緩和を公にする我
が国政府にそんな事が出来るわけもなく。
北との国交正常化に伴う償い金やら経済支援のキックバックをアテにしている
利権政治屋の方々が政府与党の中枢にどっかり陣どっている現状では・・・。
拉致家族会の信頼が厚い中山恭子女史も内閣に取り込まれてしまって自由な発言
が出来ません。安倍前首相もかつての発言力はなく・・・。

うるさ方の口を封じ、頃合を見計らって

「日朝間の将来、ひいては東アジアの緊張緩和を見据えた、総理の高度な政治
判断」

とやらで、拉致被害者を数人新たに帰国させるのと引き換えに拉致問題は幕引き。
(例え政権交代しても筋書きは同じ)
拉致問題がずっと見過ごされていた事についての総括もなく、当時の政府与野党
要人の責任追求も成されないまま(誰も責任をとらないし責任の所在さえ明確に
されない・・・つまり今後国民個々の安全が外国によって脅かされても、日本国家
の体質はこれまでと何ら変わりませんので、恥知らずな棄民政策を繰り返すと
いう事です)、国交正常化そして莫大な額の償い金と経済支援。
そしてそれは、韓国を朝鮮半島唯一の合法政権とした日韓基本条約に抵触します
から、韓国がこの点を全面に押し出して条約の全面改訂を迫ってくれば、我が国
がこれを拒む事は恐らく出来ないでしょう。
この行き着く先は、日本の朝鮮に対する永遠の謝罪と賠償・・・。

本日のこちらの天気のように暗澹として、気温のように寒々とした近未来予測
です。

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2008年8月23日 (土)

お里が知れた日本やきゅう

北京五輪野球三位決定戦は8-4で米国の勝利、日本はメダルに手が届きません
でした。

・・・準決勝の日韓戦での惨敗で、今回はメダル無しだなぁ・・・と直感めいたものを
抱いていた私でしたが、案の定というか何というか・・・。

敗因は病み上がりや調子の落ちている選手を「顔」や「格」で選んでしまう、スモール
ベースボールを掲げながら穴のある大砲を選ぶといったチグハグさ、チーム作りの
一貫性の無さでしょうか。

投手陣はそんな中でもよく踏ん張ったと思いますが、打線は壮行試合から決勝に至
るまでずーっと同じ内容ですからね・・・、ちょっと良い投手が出てくると、ラッキーパン
チの本塁打以外為す術がない。攻め口に工夫が見られず淡々と打席に入って淡々
と凡退、前述のスモールベースボールが全く出来ていない・・・。
打線が毎試合そんな調子なので投手陣は一点もやれないと攻め口に余裕が無く
なり、ボールゾーンをうまく使って遊ぶ事が出来ずにストライクゾーンのみでど真面
目に勝負しなければならなくなるので少し甘く入ると痛打を浴びてしまう
(特に試合後半)・・・
悪循環の見本ですね(涙)。

とにかく日本の打者は(大砲タイプは特に)適応力が足りません、シロウトから見て
も・・・。それではスモールベースボールなど出来るわけがありません。

メジャーへ行った野手もイチロー選手以外は期待される成績を残しておりませんし、
打者の適応力不足は個々の選手云々ではなく日本プロ野球の根本的欠陥なのか
もしれません。
たった6チームのリーグ戦を延々半年もやり、対戦相手は概ね研究済みで毎度変わ
り映えのしない面子、それも少数の白人・黒人外国人選手以外は身体能力に大きな
差のない黄色人種。
他流試合といえば交流戦とアジアシリーズ、日米野球、交流戦はたった一ヶ月間
のみ、アジアシリーズは日本一チームのみの出場、日米野球は選ばれても辞退者
多数、前回は特に酷かった・・・。
これでは適応力も養えませんよねぇ・・・。

とりあえず日本プロ球界がこれから為すべきはまず交流戦の拡大、そしてアジアシリ
ーズ(アジアのクラブチーム決定戦)とは別に、アジア各国の選抜チームによるアジ
アカップ(仮)の定期開催(可能なら毎年やるべき)。
とにかく他流試合を増やして未知の相手にもアジャスト出来る地力を養う事だと思い
ます。
またそれに関連して、日本代表に選ばれる事のステータスを上げる事、モチベーショ
ンを上げる為(名誉だけではなかなかプロは動きません)に年棒査定にも大きく
プラスになる全球団共通の制度導入も必要でしょう。

来年三月には第二回WBCが開催されます。
日本プロ野球は災い転じて福と成し、今回の惨敗で得た教訓を生かしてより適応力
の高いチーム構成で臨んでもらいたいところです。
選手選考も、選手の顔や格だけではなく他流試合での成績や個々の性格も加味
して慎重にやっていただきたい。
問題は監督コーチですが・・・。

「二度とこんな無様な姿は晒しません!」
「北京の借りをアメリカで返すんや!」
「やられっぱなしで終わるような私ではありません!」

・・・とか言って、やっぱり「あの人」が就任するんでしょうねぇ。
各方面に顔が広く、広告代理店や放送局の営業的にも美味しい人材だそうですし。
お友達で無為無策の打撃コーチと守備コーチも一緒になって、

「ネバーネバーギブアップ! ハードプレイハードや!」

・・・あの人らじゃあ、精神論ばかりで独創的な選手選考も臨機応変な指揮戦術も
無理でしょう。
齢既に六十を過ぎ、既に球界で名声を得ている監督コーチが何十年も慣れ親しん
だ(国内ではそれで結果を出している)手法を今更止めるなんて無理です。
結果は今から見えてます、あれじゃあ国の威信と兵役免除の為に眦を決してかか
ってくる韓国や、メジャーリーガー大量参加で本気モードの米国には勝てません。

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2008年8月 9日 (土)

新崎駅(白新線)

本日の駅紹介は白新線・新崎駅。

2017年2月12日追記、大幅リニューアルを実施しました。

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新潟県新潟市に所在する有人駅で、白新線葛塚(現豊栄駅)-沼垂駅(1958年に貨物駅化)が開通した昭和31年(1956)4月15日の開業です。
当駅周辺地域はかつて北蒲原郡濁川村でしたが、同村は新崎駅開業の二年前に新潟市に編入されています。
平成の大合併(2005年3月21日)以前は旧新潟市の東端に位置していて(新潟駅からの距離10km弱)、駅西方至近に流れる阿賀野川によって市域が分断されている為、大合併前から阿賀野川西側の市域とは街の雰囲気や空気が微妙に異なっていました。

JR東日本によると、新崎駅の2015年度一日平均乗車人員は1,385人で、同社新潟支社県内有人67駅中30位です。
白新線内の駅としては豊栄、東新潟両駅に次ぐ第三位で、前述したように当駅は阿賀野川東岸に位置していて、周辺地域から新潟市中心部へ行くには県道やバイパスを橋で渡河せざるを得ず、少ない橋への車の集中で引き起こされる渋滞が道路交通上のネックにもなっています。
それゆえに周辺の人口規模に比べて当駅の利用実績は大きいように見えます。

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新崎駅の橋上駅舎、2016年8月撮影。
こちら側は北口で、旧駅舎もここに建てられていました。
現在の橋上駅舎の供用が始まったのは1995年10月です。
それ以前の新崎駅駅舎は、改築前の信越線・脇野田駅などに似た感じだったとうっすらと記憶しておりますが・・・。
木造で内部は昼だというのに薄暗く、快速停車駅だというのにパッとしない印象が残っています(1980年代後半)。
駅前広場は小さなロータリーになっていて、新潟市北区の区バス「おらってのバス」が乗り入れています。
タクシー常駐はしていないようでした。

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ホームから見た新崎駅北口広場の様子、2015年12月撮影。
画像右下のバス停が区バスのそれ。
豊栄駅と当駅の移動に利用できますが、2017年2月現在平日のみの運行です。

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新崎駅から北側の県道に至る駅前通りの様子、2007年2月撮影。
駅前通りと言っても周りは宅地と農地の混在した長閑な風景。

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新崎駅北口から500m弱で、路線バスの走る県道に出ます、2016年8月撮影。
画像左手の建物は米菓大手の三幸製菓の本社です。
周りにはコンビニが一軒。
画像右下のバス停は新潟交通大形線の「新崎駅前」バス停。
新潟市中心部と新発田を結ぶ路線で、新発田駅-佐々木駅-新崎駅-新潟駅相互の移動に使えます。
白新線内の他の駅は、県道と駅間の距離がかなりある為に相互補完の関係にはありませんので、利用の際はご注意ください。

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新崎駅南口の様子、2016年8月撮影。
こちら側は橋上駅舎化に伴って新しく作られました。
最近の整備だけあって、ロータリーもきっちり完備。
なおこちら側には区バスの発着はありません。

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新崎駅のホームから見た駅南駅前通りの様子、2015年3月撮影。
こちら側は近年造成された新興住宅地で、整然とした家並みが続いています。

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新崎駅南口から約500mの南側県道、2016年8月撮影。
古くからの集落は駅北ですが、今日ではこちらの方が人気があります。
コンビニも二店あり、他にスーパーやドラッグストアもあって利便性は上々。
この県道には、新潟交通の路線バス大形線の新潟豊栄線が運行されていますけれど、本数は北側の新潟新発田線に比べると本数はかなり少ないので、利用の際はご注意を。

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新崎駅橋上駅舎内部の様子、上は2016年8月、下は2013年3月撮影。
自動券売機は二台設置。
待合室もありますけれど駅の利用状況に比べると明らかに手狭。
まぁ、駅利用客の大半は通勤通学買物客であり、且つ日中は新潟駅へ毎時三本の列車本数が確保されておりますので、待合室など使わず真っ直ぐホームへ向かう人が多くこれで充分なのでしょう。
なおトイレは改札内にあるのでご注意ください。

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橋上駅舎の自由通路から見た新崎駅構内の早通駅方、2016年8月撮影。

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橋上駅舎改札内の通路から見た新崎駅構内大形駅方の様子、2016年8月撮影。

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新崎駅一番ホーム(新発田方面乗り場)の大形駅方から見た構内の様子、2013年3月撮影。
まだ色彩に乏しい3月の曇天、橋上駅舎も白色なので色彩の乏しさがさらに際立ってしまっています。
こちらも隣の島式ホームも上屋は短くベンチも僅か。

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一番ホーム端から大形駅方の阿賀野川鉄橋を遠望、2007年9月撮影。
列車の運行頻度は高いにも関わらず、過疎ローカル線なみに雑草の跋扈する線路に注目。

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一番ホームの早通駅方から見た新崎駅構内、2007年9月撮影。

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島式ホームの早通駅方から見た新崎駅構内、2013年3月撮影。
ホームの左側(三番ホーム)が新潟方面乗り場です。
二番ホームは近年まで普通列車の特急退避に使用されていましたが、ダイヤの整理で2016年3月ダイヤ改正では定期旅客列車の発着はありません。
かつては、列車によっては交換と特急退避のダブルパンチで長時間の停車を強いられるケースがあり、運悪く乗り合わせるとイライラする事この上なしでしたっけ。

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島式ホームの端から早通駅方を見通す、2013年3月撮影。
新潟駅から当駅まで複線の白新線も、この先は単線。
列車の運行頻度から言っても、少なくとも豊栄駅までの複線化は妥当な話だと思うのですけれど、何分地方への投資は極力避ける会社だけに、沿線自治体が第三セクターを作って整備費の全額負担と赤字補填でもやらない限り、実現は無理でしょうね。

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島式ホームの大形駅方から見た新崎駅構内、2013年3月撮影。
本線の右隣には草生した側線が残存。
車窓から確認した限りでは、新潟側の分岐器は切られていました。

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新崎駅一番線に停車中の115系電車村上行、2013年3月撮影。

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白新線と羽越本線では過去帳入りのE127系電車豊栄行、2013年3月撮影。

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新鋭E129系電車が新崎駅で行き違い、2015年12月撮影。
普通列車の大半がE129系に置き換えられた今日では、すっかり日常の光景になっています。

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新崎駅一番線を通過する485系電車T編成の特急「いなほ」酒田行、2013年3月撮影。
当駅には優等列車は停車しませんが、JR九州のようなノリであれば「いなほ」の朝晩の停車駅に加えられているのかも。
勿論改札を厳重にして、「いなほもタダで乗れるてがんにね」は許さないという但し書き付きで。

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新崎駅三番線を通過する485系電車R編成の特急「いなほ」新潟行と、同時進入で一番線に到着の115系電車村上行、2013年3月撮影。

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新崎駅一番線を通過する快速「きらきらうえつ」酒田行、2015年12月撮影。
2017年3月ダイヤ改正で485系R編成の運行が終了するので、今後485系電車のサウンドを定期的に聞けるのは改造車のこの電車のみになります。
この電車も先はもう長くないように思えますけれどね。

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新崎駅一番線に進入するEF81形電気機関車牽引の貨物列車、2013年3月撮影。
昔は白新線と羽越本線の電気機関車といったらコレが当たり前だったのに、今ではすっかり姿を見かけなくなりました。
私がこの機関車牽引の列車に最後に乗ったのは、上越新幹線開業前の12系客車急行「きたぐに」だと思います。
もう35年も昔の話、歳を取るわけだよなそりゃ・・・。

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2008年8月 4日 (月)

弱者ノ兵法ヨク健闘ス

夏の全国高校野球第90回大会第2日目第4試合、我が県代表の新潟県央
高校は東兵庫代表・報徳学園と対戦して2-4でサヨナラ負けを喫しました。
ソースはこちら

県央の対戦相手が報徳に決まった時は、
「あぁ、今年は甲子園2日目で夏が終わりか・・・」
と溜息をついたものです。
県央高は確かに最近メキメキと力を付けてきていますが、なにぶん公立校で
甲子園は春夏通じて初出場。
過去の甲子園出場公立校では新潟南(夏2回出場で2勝・ベスト8進出)と
新発田農(夏6回出場で3勝)の健闘が光りますが、それは県レベルで突出し
た好投手の存在に寄るところが大でした。
新潟の場合、長打力は他県、特に強豪県のそれに対して明らかに落ちるので
打ち勝つ野球は望むべくもなく、必然的に時々現れる全国レベルの実力を持つ
大エースを全面に押し立てて守り抜く野球をする以外に勝機を掴めないのです。
記憶に新しいところでは一昨年県勢初のセンバツベスト8を成し遂げた日本文理、
昨年夏2勝の新潟明訓(共に私学)がその好例です。
そうした投手不在で継投によって勝ち上がってきた県央。
初出場、相手は全国にその名を知られる強豪・・・正直なところ期待薄なのでした。

試合が始まる直前は、せめて完封負けとダブルスコアだけは免れてくれと勝つ
事など頭の片隅に無い敗北主義者の典型と成り果てていた私でしたが、
いざ試合が始まってみたらこれまでの県勢では考えられない大胆な攻撃で、
一回表に早くも得点! 
ヒットで出て二盗、進塁打、スクイズ。たとえ長打力が無くとも、しぶとい打撃と
足技が使えれば全国レベルの好投手を捉える事が出来るお手本のような鮮やか
な攻撃。
選手も初出場とは思えない冷静さでプレーにも地に足がついており、回を重ねる
ごとに凡退し「こんなはずでは・・・」と顔をひきつらせながらベンチに帰る報徳の
選手が増えるのを見て、これはひょっとしてひょっとするかもと心中に沸きあがる
狂喜乱舞を感じ始める私なのでありました。
五回表に一死からヒット-バント-タイムリーと教科書通りの攻めで2点目を上げ
た時には、あと1点取れれば確実に勝てる! 
試合前の敗北主義はどこへやら、6回表に先頭打者が死球で出塁した時には
「これで勝った!」
と確信したものでした。
これから当たっている下位打線に回ってきますから、手堅く進塁させて一死二塁
の場面を作れれば下位の誰かに一本出る可能性大です。
・・・ところがその後バント失敗と盗塁失敗、直後二塁打が出たものの後続が続かず
ちぐはぐな形で無得点、嫌な展開・・・。
その裏に今まで一安打に抑えていた石田投手から古村投手への継投、同点ツーラ
ン、サヨララツーラン。
手数とフットワークは明らかに勝っていてこのまま行けば判定勝ちというところで、
たった二発のクリーンヒットにテンプルとチンを捉えられ、マットに沈んだ不運なボク
サーのような結末となってしまいました。
途中まで勝利の手ごたえをビンビンに感じさせてくれた試合だけに、残念!と
いう他言葉がありません。

巷ではあの投手交代の是非について色々語られておりますが、私はあの回まで
は例え失点しても石田投手に任せたほうがと思いますけれどねぇ・・・。
五回まで一安打に抑え、芯に捉えられた打球もほとんどなかった投手を、
四球出したからもう限界(四球はそれまでも多かったのです)と変えるのは少々
勝負を急ぎ過ぎの気がしてなりません。
県央の監督さんは勝つ気マンマンでしたから、焦って勝ち急いじゃったんでしょう
か、継投は県央の勝利の方程式ですからね・・・。
でもそれが時としてうまくいかないのは、また予想外の結果を生み出すのは甲子
園に棲む魔物の仕業。
今回はその魔物に運良く気に入られての好投なのですから、ここは魔物の
気まぐれに悪ノリしちゃっても罰は当たらなかった気がします。

また、あそこで続投して例え同点にされても、ナインは
「あの報徳相手に6回2失点でよく踏ん張った、まかせとけ後はオレたちが・・・」
と納得し気持ちの切り替えが出来たのではないかと思います。
二番手の古村投手もランナーを背負って投げるのと試合仕切り直しの七回頭から
投げるのとでは気分的に全然違うでしょう。
まぁ、全ては結果論。過ぎた事を今更愚痴っても無意味なのはわかっております
がそれでもやはり、ねぇ・・・。

投手交代については色々と物申したい事あれど、初出場とは思えない選手の
落ち着いたプレー、コンパクトに振って好投手をも捉えるしぶとい打撃、足技の
妙に堅守。
これまでの大エースにおんぶにだっこの県勢とは一味も二味も違う戦い方は、
強豪と言われる他のチーム(新潟文理、中越、新潟明訓)もぜひ参考にしていた
だきたい。
公立校にもやり方次第ではあそこまで戦えるのです、諸条件に恵まれた私学校なら
もっとやれるはずです。来年センバツを見据えたこれからの戦いに県央のいわゆる
「弱者の兵法」を取り入れるチームが増えるのを大いに期待しております。

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