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2008年7月21日 (月)

只見線・越後広瀬駅

今回の駅紹介は只見線・越後広瀬駅。
2016年2月27日記、画像入れ替えと加筆修正しました

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新潟県魚沼市に所在する無人駅で、只見線小出-大白川間が開通した1942年(昭和17年)11月1日に開業しました。
開業当時の所在は北魚沼郡広瀬村で、同村の玄関駅でした。
同村は昭和30年(1955年)3月に隣接する藪神村と合併して広神村となり、平成16年11月1日に周辺町村との広域合併で魚沼市の一部になり今日に至ります。
旧広神村の村役場は小出寄り隣駅の薮神駅裏にありますが、人口集積は当駅周辺が最も多く感じられ、実際駅から国道252号線に出る小道はかつて駅前商店街であったような雰囲気を多分に漂わせております(薮神駅前にそのような雰囲気はありません)。

さて越後広瀬駅は、只見線全線開通(1971年8月)からJR化後の昭和63年(1988年)3月まで設定されていた(冬季・12月~3月は全区間運休)気動車急行「奥只見」の停車駅でした。
広神村の実質的玄関駅である事と、当時列車交換設備を備えていた(「奥只見」は列車交換設備を備える駅には全て停車します)からなのでしょう。

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越後広瀬駅駅舎の様子、2012年5月撮影。
建築財産票が見当たらなかったので完成年は不明ですが、おそらく開業当時からの建物と思われます。
出入り口の上屋の形状など、実に昔の昭和風。

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越後広瀬駅駅舎内部の様子、2006年9月撮影。
「広瀬村史」によると、当駅が委託化されたのは昭和52年7月。
無人化時期は不明ですが、急行「奥只見」の停車駅だった間は有人だったのやら。
駅舎内は旧窓口も完全に塞がれて単なる待合室そのものへ姿を変えています。
なお券売機も乗車証明発行機も設置されておらず、トイレもありません。

只見線新潟県区間で列車交換設備を撤去された駅は越後須原駅(旧守門村中心)と入広瀬駅(旧入広瀬村中心)がありますが、両駅とも現在も有人駅で待合室内も綺麗に保たれ、駅や只見線の昔の写真や地元の物産品その他展示コーナーがあって地元の駅を
守る姿勢が強く打ち出されて好感を持てます。
それに引き換え当駅のこの現状はなんとも・・・。
私が当駅を訪問した2004年7月と2006年10月には、いずれも駅舎前後の出入り口の引き戸は開放されていて、虫が入り放題! 
窓には大きなクモが巣を張って獲物を待ち構え、私の住まいの街ではまずお目にかからない虫がそこかしこに。
特に最初の訪問時、待合室内はクロスズメバチがたむろする剣呑な空間と化しておりまして、ここで昼食を摂る予定だった私が助六寿司の蓋を開けるやいなや黒いハチどもが匂いを嗅ぎつけて突進してくる始末・・・。
前年に体験した田子倉駅での恐怖体験がフラッシュバックして肌に粟立つ戦慄!w。
ほうほうの体で待合室を逃げ出し、駅前の路上でもそもそと食する他ない仕儀に至りました。
地元の通行人にはジロジロ見られるし、まぁ情けないやら頭にくるやらで寿司もまるで砂を噛むようでしたね。

旧村の只見線に対する温度差もあるのでしょうし、越後須原、入広瀬両駅が村の中心集落にあり且つ村役場も近くにあって行政の中心でもあったのに比べ、当駅は村の中心村落ではあっても前述のように行政の中心ではないという事情もあります。
この地域の中心であり只見線始発駅でもある旧小出町との距離の遠近も多分に関係があると思いますけれど・・・、
豪雪による国道途絶時のライフラインとしての只見線の恩恵を考えれば。小出から当駅まで5.7km、越後須原まで12.1km、入広瀬まで19.6km。
当駅なら小出まで無理して歩けない距離ではないですが、越後須原、入広瀬になるとそれはまず無理。
国道が通行止めになった場合、頼れるのは只見線だけですからね。
今では国道より只見線が豪雪に対して脆弱になってしまっていますが、駅の無人化云々が議論された二十年以上前は親方日の丸の国鉄の除雪体制は万全でした。
また只見線各駅の乗降を当駅以外にも何度も行い、土曜の夕方、学生の帰宅列車に数回乗車した印象では当駅(及び薮神駅も)での降車客は極めて少なく、村民の税金で有人駅を維持するにはそれによる間接的な効果を考えに入れても割り
が合わないでしょう(越後須原や入広瀬なら距離的に見て通年列車通学の学生がほぼ全てでしょうから、それなりの定期券収入が期待できます)。
従って当駅の無人化は仕方の無い事です。
ただ駅舎内の現状は考え物ですね。
薮神駅の待合室はずっとこじんまりとしていますが、地域の方々の意識が高いのか、あるいは旧村役場至近というメンツで職員が清掃をしているのか小奇麗で、当駅のそれよりずっと快適に列車を待つ事ができます。
以前書いた飯山線・越後岩沢駅のケース同様、行政が然るべき手を打つ事を期待しておりますが、恐らく今後も存続するであろう飯山線に対し、只見線は名うての閑散路線。
JR西日本のように外国人投資家が発言力を持って、

「過疎地域での公共交通の維持? 私企業がそんな事を考える必要はない! 会社は株主投資家の利益追求に働け~! 我々への増益の妨げとなる赤字路線は皆廃止してしまえ!!」

なんて方向にJR東日本が傾いてしまえば、いの一番に廃止対象になる路線ですからね。
将来を見据えての投資となるだけに難しいものがあります・・・。

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駅構内側から見た越後広瀬駅駅舎の様子、2013年10月撮影。
軒先にはツバメの巣があったりするのです。

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駅舎からホームに至る構内通路、2012年5月撮影。

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駅舎側から見た越後広瀬駅構内、2012年5月撮影。
列車交換設備も撤去されて久しいようで、雑草が根を張り半ば自然に還ってしまっています。
昭和55年のダイヤではすでに定期旅客列車の当駅交換は無く、設備が健在だったとしても冬季の除雪待機場ぐらいの位置付けだったのでしょう。

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薮神駅方から見た越後広瀬駅ホームの様子、2012年5月撮影。

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ホーム端から薮神駅方を望む、2012年5月撮影。

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魚沼田中駅方から見た越後広瀬駅ホームの様子、2012年5月撮影。
只見線新潟県内区間のホーム長は皆この程度です。

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ホーム端から魚沼田中駅方を望む、2012年5月撮影。

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薮神方の踏切から見た越後広瀬駅、2012年5月撮影。
駅舎が映り込んでいないので、停留所のように見えます。
この駅にかつて急行列車が停車していたとは信じがたいものがあります。

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越後広瀬駅を出発する只見行キハ40系気動車、2012年5月撮影。

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雨に煙る停車中のキハ40系気動車、2013年10月撮影。。
駅舎が映り込んでいるこのアングルで順光でとなると、午後イチの只見行に乗って下車撮影しか方法が無いのです。
この日は大雨だったので、順光かどうかは大して関係無かったのですけれど。

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越後広瀬駅を通過するキハ58系気動車の「懐かしの急行奥只見号」、2006年9月撮影。

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秋雨に濡れつつ佇む越後広瀬駅の風情、2013年10月撮影。

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越後広瀬駅から国道へのメインルートの様子、2012年5月撮影。

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前述した、かつて駅前通りを形成していたと思われる、駅から国道への二つ目のルート、2012年5月撮影。

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只見線と並行する国道252号線越後広瀬駅付近の様子、2012年5月撮影。
こちら側にはコンビニのセーブオンがあります。
只見線新潟県内区間の諸駅で駅付近にコンビニがあるのは、
ここと薮神駅のみです。

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越後広瀬駅最寄の「広瀬駅前」バス停に接近する、南越後観光バス運行の小出駅前行路線バス、2013年10月撮影。

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