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2008年7月の記事

2008年7月27日 (日)

只見線・魚沼田中駅

本日の駅紹介は只見線・魚沼田中駅。

2016年2月24日記、画像を入れ替えました。

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新潟県魚沼市(2004年10月末日までは北魚沼郡広神村)に所在する無人駅で、1951年(昭和26年)10月1日の開業ですが、ウィキペディアによるとその七ヶ月前に仮乗降場として開設されていたとの事です。
出自が仮乗降場で列車交換設備も無い事から、開業当時よりずっと無人駅なのでしょう。

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魚沼田中駅駅舎(待合室)の様子、2004年7月撮影。
建築財産票が見当たらなかったので完成日時は不明ですが、開業時の建物だと思われます。

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魚沼田中駅待合室内部の様子、2013年5月撮影。
簡素な造りで文字通り座って待つだけの機能しかありません。
券売機、乗車証明発行機共になく、トイレもありません。
くず入れが置いてあるのは外来の人間にとって有難いところです。
管理されている方に感謝しなくてはなりますまい。

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ホーム側から見た待合室の様子、2013年5月撮影。

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越後須原駅方至近の踏切から見た魚沼田中駅、2013年5月撮影。
気持ちよくスッと伸びた直線上にあるのが当駅。
軌道の規格が高ければ高速運転できそうな区間であります。

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ホーム端から越後須原駅方を見通す、2013年5月撮影。
小出駅からここまで比較的平坦な道のりの只見線も、この先から勾配区間が増えていきます。

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ホームの越後広瀬駅方から見た魚沼田中駅、2013年5月撮影。
ホームの有効長は2~3両分というところで、少なくとも只見線南部区間の旅客需要は当駅の開業当時からその程度の両数で充分なレベルでしかなかった事を窺わせます。

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ホーム端から越後広瀬駅方を見通す、2013年5月撮影。

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魚沼田中駅に停車中の只見行キハ40系気動車、2013年5月撮影。


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魚沼田中駅駅舎とその周辺の様子、2013年5月撮影。

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俯瞰で見た魚沼田中駅の様子、2004年7月撮影。
このようなローカル線の棒線駅の場合、俯瞰で取れることはほとんど無いのですけれど、例外なのが当駅。
駅正面の宅地が高台にあるので、その生活道路上からこのような画が撮れるのです。

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只見線と並走する国道252号線の、魚沼田中駅入り口付近の様子、2013年5月撮影。
郵便局とスタンドと小さなスーパー、蕎麦屋(南蛮漬けが自慢の一品のようです)、理容店が固まって営業しておりました。
旧広神村の北端に位置し、隣の旧守門村との分水嶺という過疎地的なロケーションですが、実際は想像よりずっと賑やかであると言えます。
家並も越後広瀬駅周辺に比べれば明らかにまばらにはなっているものの、過疎のイメージはあまり抱かせない古き良き田舎の風情なのであります。

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当駅周辺で最も目に付く存在が、駅裏手の山腹にあるスキー場らしきもの、2006年9月撮影。

少し古い地図には「越後アクシオムスキー場」と記されておりましたが、2001年に倒産してしまったとの事。
私は雪国新潟に住んでいながらスキーはまともにやった事のない門外漢なのですが、駅前から眺めてみた限りではリフトの配置などからしてそれなりの高低差もあり、面白そうにも思えますけどねぇ・・・。
前述のブログ様によれば、利用のピークは1996年。それからたった5年で倒産とは小雪の影響があったとはいえ、バブルを経てスキー需要がいかに減少したかを示す、かつての冬レジャーの王様の末路の小典型を見る思いです。
今も残るリフトの支柱はそれを無言のうちに物語る永遠の標というところでしょうか。

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2008年7月26日 (土)

九州島根もウリナラ領土(呆)

昨日特定アジアカテゴリで書いたばかりだというのに・・・。
本日もかの国の火病熱風が止まらないのです。

>島根県の昔の名前が出雲だ。神話で飾られているが、その場所にあった出雲
という国は、大和政権を 立てた今の天皇家に滅亡させられたことになっている。
この出雲大社に祭られている神さまがまさにその滅亡したイズモ国の支配者だ。
それでは出雲に国を建てた民族は誰だろう?
(中略)
もちろんずいぶん前に定着した先住民もいたが、大部分は紀元1世紀以後に韓半
島の慶尚道地方から潮流を利用して命をかけて日本列島に渡った韓半島の
人々だ。
(中略)
はがゆいのは韓国政府だ。韓国政府も気付くだけではなく、李承晩ラインのよ
うな力強い対応策を行使して、歴史的な事実を突き付け、九州も島根県も私た
ちの土地と言って対馬島も私たちの地だと主張してはいけないのか?

韓国の中央日報に「外部寄稿」の形でこの文を書いたのは小説家のピョ・マヌ
ン氏。
この人の名前をぐぐっても出てくるのはこの件だけのようで、いかなる文筆活動
をしているのかはわかりませんが、韓国の大手新聞に寄稿できるからには、あち
らでは相応に有名な小説家なのでしょう。
・・・しかし朝鮮からのゴミが海流によって我が国の日本海沿岸各地に漂着す
る事実からどのような思考を経て

「慶尚道から朝鮮民族が島根に渡りイズモ国を作った」

という結論に帰結するのか全くもって不可解千万です。
確かに物理的には海流に乗ってやって来る事は可能でしょうし、実際そうして漂
着した朝鮮人はいたかもしれません。
しかしそうした可能性をもって「朝鮮民族の手によるイズモ国」の存在に結びつ
け事実であると強弁し、その事実は日本人に神話の形で隠蔽されていて!
そうしてかつて支配していた土地は我々のものだと主張するのは???
九州も我々のものと主張されておられますから、きっと「邪馬台国は海流に
乗って九州島に渡った我が民族が建国したもので、女王卑弥呼は朝鮮の由緒正
しい巫女の出だ!」とかなんとかおっしゃりたいのでしょうね、そしてそれを天皇家
と結びつけて、「日王一族はウリナラ起源ニダ!(だから日本は朝鮮民族が支配
しなければならない!)」というところまでいずれ突っ走りそうな気がします
(鬱・・・)。

本来はまたバカを言っていると一笑にふせばよろしいところなのですが、あの国
の場合、民族の自尊心に響き渡る耳障りの良い妄想はやがて独り歩きを始めて、
やがてあの国限定の「史実」となりかねませんのでねぇ・・・。
自分達の間だけで「史実」(妄想)に恍惚としてホルホルしているのなら別に
それで結構ですが、それを日本人も共有する「史実」として認めろと喚き散ら
しかねないのが誠に困った傾向なんでして・・・。
日韓歴史共有研究会で、連中のトンデモ史実に日本側が反論すると

「韓国に対する愛情はないのかー!」

と向こうの学者先生が火病気味に怒鳴るそうですしね、こういうバカ話も数十年
先には大マジメにその俎上に載せられそうでイヤだなぁ・・・。

さて次は

>宋永武(サン・ヨンム)前海軍軍令部長は、「我が国の海軍力が日本の70~
80%の水準になれば、日本は独島挑発ができない。昨年夏に海軍が合同参謀
本部に建議したイージス艦3隻、5000トン級駆逐艦(KDX-II) 6隻の追加
建造計画が実行に移されなければならない」と語った。

こちらも韓国の大手新聞・朝鮮日報の記事です。
竹島をめぐって日韓で戦闘になった場合、韓国海空軍の戦力では日本海空軍に
太刀打ち出来ないので、戦力を大幅に増強すべきとの主張であります。
先週も韓国海軍の退役提督が、「独島防衛の為に4万トン級原子力空母と原子力
潜水艦を保有しなければならない!」と派手にぶちかましていましたっけ。
これまた「歪んだ同胞愛」に溺れた成れの果てと言えましょう。
韓国にとっての主敵は最早北ではなく日本なのです。
一部のバカ丸出しイケイケ議員が喚いているのではなく、れっきとした軍元高官
がいずれもおっしゃっているのですからね。
冷静かつ合理的な思考が求められる軍人がこれでは最早ナントカにつけるクス
リ無し。
まぁやれるものならやってみなさいというのが実際のところです。
それだけあの国の破産の日が近づくというものです。

・・・と嘲笑いたいところなのですが、残念ながら、対日戦備に狂奔した挙句の
破産の危機となっても迷わず助けるのが我が国政府。自民でも民主でもそれ
は変わらず。
韓国側もそれを完全に見透かしているので舐め放題甘え放題。
助け舟を出すのみならず、

「日韓間の軍事的緊張を和らげる為、ひいては東アジアの緊張緩和を図
るため率先して」

一方的に自衛隊の削減縮減までやりかねないのも我が国政府(民主党政権な
らまず間違いなくやるでしょうね)。
韓国もいい金づるをしっかりゲットして幸せですね、ある意味羨ましいですな。

・・・と、本日はこれで締めようと思いましたが、獅子身中の虫を発見しまし
たのでもう一つだけ。

>日本の代表的な進歩政治である福島瑞穂・社民党党首が、最近の独島波紋
は愛国心を強要する日本社会の右傾化と無関係ではないという立場を表明
しました。

社民党も現在は体面上、表向きは「竹島は日本領土」の立場ですが、薄皮一枚
剥げばほらこの通り。
外国人地方参政権が通ってしまって、地方における党勢拡大に在日の力が
有用だとわかれば、彼らに迎合して「独島は韓国領土」にあっさり宗旨替えする
かもしれませんね。日本人一般の風当たりは強くなるでしょうが、こんな事で
怒るまともな人は最初から社民党などに投票しませんから無問題。
「独島は韓国領土」で在日の支持を確固たるものに出来ればこれまでの一部の
狂信的チキュウシミンとゴケンハンセンヘイワ派のみから支持者純増で党は
安泰ですもんね。
ピエロを演じていると見せかけ案外その辺を見据えての発言だったりして。
そうであるならば福島党首、なかなかどうしてあなどれませんな。

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2008年7月25日 (金)

陛下の御写真焼き捨てて対馬クレクレ(怒)

前回の特定アジアカテゴリエントリーで、独島独島と国を挙げて総ファビョンな
韓国について書きましたが、あれから一週間強、その火病ぶりはますますはずみ
がついております・・・。

7/16
「枯葉剤戦友会」なる退役軍人団体(ベトナム戦争に出征した軍人の団体のよう
です)主催の糾弾団体が天皇陛下の御写真を焼く→http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pfree&nid=368782&tab=five

日本国の象徴である天皇陛下の御写真を焼くという事は、陛下、そして皇室が
体現している日本古来よりの伝統や文化を全否定するに等しい侮辱行為です。
「国を辱められた」
この一言です!

日本統治時代に青年期を送った韓国人は反日のポーズをとるにも、越えては
ならない一線はきちんと理解していて、その行動も抑制がとれていたという話
をよく聞きますが、そうした人たちが第一線を離れまたその行動様式も継承され
る事なく、抑制も歯止めも利かなくなってきています。
これからの反日の担い手は、ポーズとしての反日世代(反日を通じての自己主張
、実利追求)から純粋培養の反日世代(視野狭窄で感情が全てに勝る)に移って
いきますから、こうした一線を越えた行動は激増していくことでしょう。

この件、日本側がおそらく故意にこうした報道を控えている為、ネット以外では
全く騒ぎになっていないのは全くもっておかしな話です。
普通の国であればマスコミが大々的に報道し、駐日韓国大使を呼びつけて、少な
くとも外相が厳重抗議モノだと思うのですがね。
(もっとも、その駐日大使サマが日本の独島妄言とやらに抗議して帰国しちゃっ
てるんですけどね)。
やったのは退役軍人団体、有象無象の親北団体がやったのとは訳が違いますよ。
でもこの件での日本政府としての抗議は行わないんだろうなぁ、総理はあんなだし
、外相も元々親韓で頼りない人だしなぁ(嘆息)。

7/21
韓国CNBニュースの記事。
>ここに金剛山襲撃事件で急冷している南北関係を回復するための案で北韓の
テポドンミサイルを独島に設置するのはどうか提案して見るべき程である。それ
ならば日本が独島強奪を主張しないだろう。→http://www.cnbnews.com/category/read.html?bcode=45352

軍事的に見れば、北朝鮮領内から日本のほぼ全域を射程内に収めるテポドンを
わざわざ竹島に配備しても攻撃に対する脆弱性が増すばかり。また米国を刺激し
日本が本当に危機感を持ち「右傾化」する切欠に成りかねません。北にとっては
軍事的にも国際政治上も無意味どころか著しく有害でさえあるのですが、
「歪んだ同胞愛に溺れる」韓国左派文化人にとっては些細な事に過ぎないよう
です。
将軍サマもこんなバカ話をもちかけられたら持て余して辟易するだろうなぁw。

7/23
中学社会科の新学習指導要領の解説書に竹島(韓国名・独島)の領有問題が初め
て記述されることを受け、韓国の退役軍人ら21人が23日、対馬市役所前で、
日本側に謝罪と撤回を求める抗議行動を展開した。
→http://www.nagasaki-np.co.jp/kiji2/2008072301.shtml

この元軍人連中、前述の団体とは違いますが、百歩譲って竹島の件を抗議した
だけならまだしも、

「対馬も韓国領土だ!」

ですって・・・。
連中の本音はこれですもんね。普段は
「独島は韓国領土♪ 対馬島は日本領土♪」
なんて子供たちに歌わせたりしていますが、酔えば本音が出るのと同様、火病を
起こして理性が薄れればほらこの通り。
本来軍人という人種は案外時局を冷静に見ているものなのですが(いざ有事とな
れば実際に生命のやりとりをするのは自分たちですからね)、退役して生命を張
る必要がなくなるとボケて先祖帰りしてほらこの通り。
所詮はあの国のあのミンジョク。
そしていくらボケさらしても「退役軍人」という肩書は死ぬまでついております
から、韓国内で軍の持つステータスを考えれば同じ事をするにしても、
そこいらのバカ民間団体とは韓国社会に対するメッセージ性が全然違うと思い
ますしね・・・。
去年、向こうの狂信的反日民間団体が8月15日に対馬に来襲して、対馬市役
所だかどこだかに大極旗をおっ立てて、
「対馬島領有宣言」
をするというバカ話がありましたが(結局実行されず)、今年は本当にそういう
バカが大勢来襲するかもしれません。
賢明な日本マスコミ諸氏は、いい時に五輪があってあらうれしや。北京に隠れて
ベタ記事にもならず華麗にスルーなんでしょうけれど。

話は前後しますが7/22
韓総理と智冠僧侶は独島(竹島)問題など懸案につても会話を交わした。智冠
僧侶は「沖繩という島 も私たちのもので、対馬島も太宗以前に私たちが占有
した。独島は言うまでもないが、沖繩と対馬島 も早く取り返えさなければなら
ない」と語り、韓総理はこれに対して「対馬島がひとときうちの領土だった事が
あるが、その話を今することはむしろ…。」と言葉を濁した。
→http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2008/07/22/2008072201447.html

智冠僧侶という人は韓国仏教界のエラい方のようですが、徳の高いお坊様にして
これですか・・・。
韓国はキリスト教系カルトで有名ですが(統一教会や摂理など)、トンデモさに
おいて仏教もその例外ではないんですかね? 
やっぱり民族性なのかなァ・・・。
対馬だけではなく沖縄も韓国のものなんだそうです。そしてこんなバカ話に言葉
を濁す総理も総理。
各方面からファビョった圧力がかかってきて、政府ナンバー2でさえまともな事を
口に出来る雰囲気ではなくなってきているのかもしれません。
煽りや嘲笑抜きで来年辺り、日本に竹島を諦めさせる為の大風呂敷(対馬は諦め
てやるから独島は韓国領だと制式に認めろ!という交渉材料)としてではなく、
本当に日本から対馬を奪い取るつもりで、韓国政府として日本政府に対して公式
に、
「対馬島返還要求」
が突きつけられてもおかしくないように思いますね(伝えられる深刻な経済危機
が現実のものになれば政権に対する不満のガス抜きの為にも。それをやらざる
を得なくなる知日派の現大統領は少々気の毒ですが、国民がああでは致し方
無し)。

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2008年7月21日 (月)

只見線・越後広瀬駅

今回の駅紹介は只見線・越後広瀬駅。
2016年2月27日記、画像入れ替えと加筆修正しました

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新潟県魚沼市に所在する無人駅で、只見線小出-大白川間が開通した1942年(昭和17年)11月1日に開業しました。
開業当時の所在は北魚沼郡広瀬村で、同村の玄関駅でした。
同村は昭和30年(1955年)3月に隣接する藪神村と合併して広神村となり、平成16年11月1日に周辺町村との広域合併で魚沼市の一部になり今日に至ります。
旧広神村の村役場は小出寄り隣駅の薮神駅裏にありますが、人口集積は当駅周辺が最も多く感じられ、実際駅から国道252号線に出る小道はかつて駅前商店街であったような雰囲気を多分に漂わせております(薮神駅前にそのような雰囲気はありません)。

さて越後広瀬駅は、只見線全線開通(1971年8月)からJR化後の昭和63年(1988年)3月まで設定されていた(冬季・12月~3月は全区間運休)気動車急行「奥只見」の停車駅でした。
広神村の実質的玄関駅である事と、当時列車交換設備を備えていた(「奥只見」は列車交換設備を備える駅には全て停車します)からなのでしょう。

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越後広瀬駅駅舎の様子、2012年5月撮影。
建築財産票が見当たらなかったので完成年は不明ですが、おそらく開業当時からの建物と思われます。
出入り口の上屋の形状など、実に昔の昭和風。

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越後広瀬駅駅舎内部の様子、2006年9月撮影。
「広瀬村史」によると、当駅が委託化されたのは昭和52年7月。
無人化時期は不明ですが、急行「奥只見」の停車駅だった間は有人だったのやら。
駅舎内は旧窓口も完全に塞がれて単なる待合室そのものへ姿を変えています。
なお券売機も乗車証明発行機も設置されておらず、トイレもありません。

只見線新潟県区間で列車交換設備を撤去された駅は越後須原駅(旧守門村中心)と入広瀬駅(旧入広瀬村中心)がありますが、両駅とも現在も有人駅で待合室内も綺麗に保たれ、駅や只見線の昔の写真や地元の物産品その他展示コーナーがあって地元の駅を
守る姿勢が強く打ち出されて好感を持てます。
それに引き換え当駅のこの現状はなんとも・・・。
私が当駅を訪問した2004年7月と2006年10月には、いずれも駅舎前後の出入り口の引き戸は開放されていて、虫が入り放題! 
窓には大きなクモが巣を張って獲物を待ち構え、私の住まいの街ではまずお目にかからない虫がそこかしこに。
特に最初の訪問時、待合室内はクロスズメバチがたむろする剣呑な空間と化しておりまして、ここで昼食を摂る予定だった私が助六寿司の蓋を開けるやいなや黒いハチどもが匂いを嗅ぎつけて突進してくる始末・・・。
前年に体験した田子倉駅での恐怖体験がフラッシュバックして肌に粟立つ戦慄!w。
ほうほうの体で待合室を逃げ出し、駅前の路上でもそもそと食する他ない仕儀に至りました。
地元の通行人にはジロジロ見られるし、まぁ情けないやら頭にくるやらで寿司もまるで砂を噛むようでしたね。

旧村の只見線に対する温度差もあるのでしょうし、越後須原、入広瀬両駅が村の中心集落にあり且つ村役場も近くにあって行政の中心でもあったのに比べ、当駅は村の中心村落ではあっても前述のように行政の中心ではないという事情もあります。
この地域の中心であり只見線始発駅でもある旧小出町との距離の遠近も多分に関係があると思いますけれど・・・、
豪雪による国道途絶時のライフラインとしての只見線の恩恵を考えれば。小出から当駅まで5.7km、越後須原まで12.1km、入広瀬まで19.6km。
当駅なら小出まで無理して歩けない距離ではないですが、越後須原、入広瀬になるとそれはまず無理。
国道が通行止めになった場合、頼れるのは只見線だけですからね。
今では国道より只見線が豪雪に対して脆弱になってしまっていますが、駅の無人化云々が議論された二十年以上前は親方日の丸の国鉄の除雪体制は万全でした。
また只見線各駅の乗降を当駅以外にも何度も行い、土曜の夕方、学生の帰宅列車に数回乗車した印象では当駅(及び薮神駅も)での降車客は極めて少なく、村民の税金で有人駅を維持するにはそれによる間接的な効果を考えに入れても割り
が合わないでしょう(越後須原や入広瀬なら距離的に見て通年列車通学の学生がほぼ全てでしょうから、それなりの定期券収入が期待できます)。
従って当駅の無人化は仕方の無い事です。
ただ駅舎内の現状は考え物ですね。
薮神駅の待合室はずっとこじんまりとしていますが、地域の方々の意識が高いのか、あるいは旧村役場至近というメンツで職員が清掃をしているのか小奇麗で、当駅のそれよりずっと快適に列車を待つ事ができます。
以前書いた飯山線・越後岩沢駅のケース同様、行政が然るべき手を打つ事を期待しておりますが、恐らく今後も存続するであろう飯山線に対し、只見線は名うての閑散路線。
JR西日本のように外国人投資家が発言力を持って、

「過疎地域での公共交通の維持? 私企業がそんな事を考える必要はない! 会社は株主投資家の利益追求に働け~! 我々への増益の妨げとなる赤字路線は皆廃止してしまえ!!」

なんて方向にJR東日本が傾いてしまえば、いの一番に廃止対象になる路線ですからね。
将来を見据えての投資となるだけに難しいものがあります・・・。

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駅構内側から見た越後広瀬駅駅舎の様子、2013年10月撮影。
軒先にはツバメの巣があったりするのです。

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駅舎からホームに至る構内通路、2012年5月撮影。

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駅舎側から見た越後広瀬駅構内、2012年5月撮影。
列車交換設備も撤去されて久しいようで、雑草が根を張り半ば自然に還ってしまっています。
昭和55年のダイヤではすでに定期旅客列車の当駅交換は無く、設備が健在だったとしても冬季の除雪待機場ぐらいの位置付けだったのでしょう。

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薮神駅方から見た越後広瀬駅ホームの様子、2012年5月撮影。

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ホーム端から薮神駅方を望む、2012年5月撮影。

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魚沼田中駅方から見た越後広瀬駅ホームの様子、2012年5月撮影。
只見線新潟県内区間のホーム長は皆この程度です。

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ホーム端から魚沼田中駅方を望む、2012年5月撮影。

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薮神方の踏切から見た越後広瀬駅、2012年5月撮影。
駅舎が映り込んでいないので、停留所のように見えます。
この駅にかつて急行列車が停車していたとは信じがたいものがあります。

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越後広瀬駅を出発する只見行キハ40系気動車、2012年5月撮影。

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雨に煙る停車中のキハ40系気動車、2013年10月撮影。。
駅舎が映り込んでいるこのアングルで順光でとなると、午後イチの只見行に乗って下車撮影しか方法が無いのです。
この日は大雨だったので、順光かどうかは大して関係無かったのですけれど。

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越後広瀬駅を通過するキハ58系気動車の「懐かしの急行奥只見号」、2006年9月撮影。

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秋雨に濡れつつ佇む越後広瀬駅の風情、2013年10月撮影。

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越後広瀬駅から国道へのメインルートの様子、2012年5月撮影。

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前述した、かつて駅前通りを形成していたと思われる、駅から国道への二つ目のルート、2012年5月撮影。

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只見線と並行する国道252号線越後広瀬駅付近の様子、2012年5月撮影。
こちら側にはコンビニのセーブオンがあります。
只見線新潟県内区間の諸駅で駅付近にコンビニがあるのは、
ここと薮神駅のみです。

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越後広瀬駅最寄の「広瀬駅前」バス停に接近する、南越後観光バス運行の小出駅前行路線バス、2013年10月撮影。

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2008年7月17日 (木)

越後湯沢駅(上越線/上越新幹線)

本日の駅紹介は上越線/上越新幹線・越後湯沢駅。

2016年7月10日記、画像の画像の貼り替えと加筆修正を実施しました。
2017年4月15日記、画像の再張り替え及び追加を実施しました。

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Echigoyuzawa0520916

新潟県南魚沼郡湯沢町に所在する有人駅で、開業は1925年(大正14年)11月1日。
上越線長岡側の塩沢-当駅間の延長開通によって開業しました。
開業当時の所在は南魚沼郡湯沢村で、同村は昭和30年(1955年)に周辺諸村と合併して町制を施行し、新自治体の湯沢町に生まれ変わって今日に至ります。
なお、平成の大合併の嵐の中で南魚沼郡下の六日町、大和町、塩沢町は合併して南魚沼市になっており、湯沢町だけが郡唯一の自治体として孤高の地位を保っているのです。
ちなみに新潟県では大合併によって町村は大幅に減り、現在、大合併に加わらずに単独で存続している町村は湯沢町の他に岩船郡の関川村と粟島浦村、北蒲原郡の聖篭町、南蒲原郡の田上町、西蒲原郡の弥彦村、三島郡の出雲崎町、刈羽郡の刈羽村、中魚沼郡の津南町の5町4村だけになっています。

ここ湯沢の地は越後と関東を結ぶ三国街道の、越後口における平場最後の宿場町で、
ここから先は上野国に抜けるまでの40km弱の山道を進む事になります。
往時は旅人がこの町の旅籠で、明日からの山越えにそなえて英気を養っていたのでしょう。
戦前から温泉や冬季レジャーの開発が進み、首都圏から上越国境を越えた最初の観光拠点である湯沢村/湯沢町の玄関駅・越後湯沢駅にはかつての上越線全盛時代には多くの優等列車が停車していました。
人口一万人弱の町の駅でありながら、「佐渡」「越路」といった急行列車は電気機関車牽引の客車列車の時代から停車。
特急「とき」も、上越線新潟県内区間の大駅である六日町駅や小出駅に先駆けて、昭和40年3月改正から停車するようになりました。
上越新幹線開業前最後の昭和55年10月改正時点では、特急「とき」9往復、急行「佐渡」「よねやま」が計5往復停車しています。
さらに冬季は季節特急「新雪」と水上止まりの急行「ゆけむり」が当駅まで延長運転。
「とき」は小出駅に5往復、六日町駅と小千谷駅に各4往復停車でしたから、小出町、六日町、小千谷市に比べて人口規模が格段に落ちる湯沢町の玄関駅にそれらの倍の特急が停車するのは、いかに越後湯沢駅の観光面での存在感が圧倒的であったかの表れと言えます。
上越線隆盛時代は当駅以上の存在感であった水上駅と異なり、当駅は上越新幹線の駅になった事でその存在感は更に増して、上越線の優等列車全廃でローカル線の拠点駅に格下げされた感の強い六日町、小出、小千谷駅との差は大きく開いています。
観光に加えて別荘地としての新たな顔も加わり、バブル期にはリゾートマンションが次々に建てられて「東京都湯沢町」などと言われていたのは皆様もご存知の通りです。

JR東日本によると、越後湯沢駅の2015年度一日平均乗車人員は2,905人で同社新潟県内有人67駅中第9位。
上越新幹線と特急「はくたか」の乗り継ぎ客が入っていると思われる前年度が3,108人なので、減少率は7%に過ぎません。
となると、新幹線と「はくたか」の乗り継ぎに関しては乗車人員に含めていないということなのでしょうね。

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越後湯沢駅東口駅舎の様子、上は2008年5月、下は2011年5月撮影。
在来線の駅として元々規模の大きい駅ですが、上越新幹線の高架駅として更にボリュームアップされたことで視覚的には新潟、長岡両駅に次ぐ大駅の風格です。
駅前広場にはタクシーが多数待機、南越後観光バス運行の路線バスのターミナルにもなっています。
ただしバスの運行本数は残念ながらさほどではありません。
鉄道補完関係では上越線の岩原スキー場前、越後中里、土樽(但し本数僅少)方面及び石打、塩沢、六日町方面への二路線と、飯山線の越後田沢津南、森宮野原方面への路線が発着しています。

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駅舎自由通路から俯瞰で見た越後湯沢駅東口駅前広場の様子、2011年5月撮影。

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日曜夕刻の越後湯沢駅東口駅前通りの様子、2008年5月撮影。
人口一万人に満たない町のメインストリートで、人影は無し。
町の人口規模に比べると、アーケードの街並みは大きく見えます。

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越後湯沢駅駅舎西口の様子、2008年5月撮影。
こちら側はどことなく浮ついた感じの東口に比べて落ち着いた印象です。

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越後湯沢駅西口駅前通りの様子、2008年5月撮影。
西口からガーラ湯沢駅への道すがらには昔ながらの温泉旅館や冬季スキー客対象の民宿やロッヂがあって実にノスタルジック。
クルマも人もゆったりと動いているようで非常に好感が持てました。
温泉地のこういう佇まいはホント好きだなぁ~。

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越後湯沢駅駅舎内の様子、上は2008年5月、下は2016年9月撮影。
「はくたか」が去った後も内部は商業施設が入っていて賑やかでした。
駅そのものが集客力を持っているのです。
しかし私的にはこういうノリが好きではないので・・・。
スキー場やリゾート周辺の商店街の延長線上のイメージで、駅らしさは感じられませんからねぇ、駅の立地、乗降客の目的を考えれば仕方の無い事なんですが・・・。

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越後湯沢駅在来線構内の様子、上は2011年5月、下は2016年9月撮影。
上越新幹線と「はくたか」の接続時間帯は人また人の盛況ぶりでしたけれど、「はくたか」が飛び去った後の下の画の時には閑散としていました。

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かつて「はくたか」が発着していた1番線出入り口の様子、2016年9月撮影。
2015年3月改正までは新幹線との乗り継ぎ客で賑やかだったところです。
この撮影時、1番線に定期列車の発着は無くひっそりとしていました。

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「はくたか」が飛び去った後の越後湯沢駅1番線、2016年9月撮影。
かつては日中、常に「はくたか」が停車している感じで、早朝以外はこのような画がなかなか撮れなかったものでした。
今ではいつでも好きなように撮れます。

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越後湯沢駅1番線で折り返し待機中の特急「はくたか」、2014年5月撮影。

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1番ホームの跨線橋出入り口付近から岩原スキー場前駅を見る、2014年5月撮影。
「はくたか」入線直前で、自由席車前には既に行列が出来ています。

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1番ホーム端から石打駅方を見る、2014年5月撮影。
冬季の降雪対策からか、かつて長編成の「とき」や「佐渡」が停車していたホームの上屋が長大なのが越後湯沢駅在来線構内の特徴です。
それゆえに現在の短編成列車撮影の場合は上屋に編成全体が完全にかかってしまうので、明暗のコントラストが大きすぎて画的にはイマイチ。

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ほくほく線乗り入れ列車以外の上越線の定期列車が発着する2番3番の島式ホーム中央部の様子、2004年3月撮影。
画像右の四番線には現在定期列車の発着は無く閉鎖されていますが、この当時は少ないながらも定期列車が出入りしていました。

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島式ホームの岩原スキー場前駅方から見た越後湯沢駅構内、2016年9月撮影。
現在、構内で機能している乗り場は5つ中3つ。
島式ホームの両隣は定期列車の発着がありません。

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島式ホーム端から水上方を見通す、2016年9月撮影。

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越後湯沢駅3番線を出発した115系電車水上行、2014年5月撮影。

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2番ホーム石打駅方から見た、1番で待機中の特急「はくたか」と零番のほくほく線HK100形電車、上は2014年5月、下は2008年5月撮影。

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島式ホームの石打駅方から見た越後湯沢駅構内、2016年9月撮影。
旧型の駅名標が何故かここに健在。

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島式ホーム端から石打駅方を見る、2016年9月撮影。

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越後湯沢駅3番線で客待ち顔の115系電車長岡行、2014年5月撮影。

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越後湯沢駅2番線で出発を待つ115系電車長岡行、2014年5月撮影。
この当時は上下別で特定のホームが指定されてはおらず、融通無碍に振り分けられていました。

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越後湯沢駅2番線に停車中のE129系電車長岡行、2016年9月撮影。
上越線・長岡-水上間の普通列車は2016年3月ダイヤ改正で115系電車からE129系電車にバトンタッチされました。

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現在は閉鎖中の越後湯沢駅4番ホームに停車中の115系電車水上行、2004年3月撮影。

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越後湯沢駅4番ホーム端から岩原スキー場前駅方を見る、2005年6月撮影。
4番ホームに足を踏み入れたのはこの時が最後でしたっけ。

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俯瞰で見た越後湯沢駅水上方構内の様子、2011年5月撮影。

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同じく長岡方構内の様子、2006年9月撮影。

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水上方の踏切から見た越後湯沢駅構内、2016年9月撮影。

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越後湯沢駅の上越新幹線自動改札口、2016年9月撮影。

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上越新幹線・越後湯沢駅構内の様子、上二枚は2008年5月、一番下は2016年9月撮影。
島式二面と通過線付きの大規模な構造です。
新幹線駅構内の常として、造りは画一的で面白味にはすこぶる欠けますが・・・。
2016年3月改正では、東京-新潟間の「とき」上下43本に加えて東京-当駅間の「たにがわ」9往復と当駅-新潟間の「とき」1往復が停車しています。

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上越国境を抜ける全長約22.2kmの大清水トンネルは、越後湯沢駅至近にぽっかりと口を開けています、2008年3月撮影。

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2012年9月に営業運転を終了した、初代MAXのE1系新幹線電車、2008年5月撮影。

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2013年6月に営業運転を終了した200系新幹線電車、2008年5月撮影。

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越後湯沢駅に到着した当駅終着のE2系電車「たにがわ」、2016年9月撮影。
ガラガラで到着し、大丈夫かこれで!?と心配してしまうレベルでした。
まぁ高崎までは満員御礼なのでしょうけれど。

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折り返し待機中の「たにかわ」と停車中の新潟行「とき」、2016年9月撮影。
E2系電車の横並びで構内に花を添えます。

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E2系電車「とき」に続いてE4系電車「MAXとき」新潟行が越後湯沢駅に到着、2016年9月撮影。
先日、E4系電車の引退と後継としてE7系電車の上越新幹線への投入が発表されたのは皆様ご存知の通り。

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越後湯沢駅西口からフラフラ歩いて25分でガーラ湯沢駅に到着、2008年3月撮影。
平成2年(1990年)12月20日に開業した、スキー場「ガーラ湯沢」に隣接した冬季限定の臨時駅です。
新潟県内の鉄道駅で、2016年6月現在私が降り立ったことのない唯一の駅が当駅です。
JR東日本によるとガーラ湯沢駅の2014年度一日平均乗車人員は1,440人で、同社新潟支社新潟県内有人67駅中、浦佐駅と同じく第29位。
四ヶ月強の営業期間でこの数字ですから、斜陽とはいえスキーレジャーの集客力は以前として侮りがたしですな。

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訪れたのは5月中旬ですが、ガーラ湯沢の施設冬季営業はGWまで。
この日は周りに人影は全く無く、まるで廃墟のように静まりかえっいましたなぁ。
夕方の魚沼に吹きわたる風もなにやら侘し気で、そんな寂寥感溢れる情景の中、ひとり写真を撮る我ここにありなのでした。
独り身の影も伸びゆくアスファルトかな。

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2008年7月16日 (水)

竹島とシンポセンセイと情念のファビョーン!

文部科学省は14日、2012年度から実施される中学校の新学習指導要領に
ついて、各教科ごとの解説書を公表した。社会科では、日本の領土である
竹島の領有権問題を新たに明記することを決めた。→http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20080714-OYT1T00394.htm?from=navr

これまで全く関知せずの状態からとりあえず一歩踏み出したという事で、まずは
目出度いと言うべきなのですが、韓国に配慮して竹島が日本固有の領土である
事を明記せず、日韓間での「主張の相違」と記述して先方の言い分にも理が
ありそうな誤解を生じさせかねない、センセイ方や霞ヶ関のお役人サマ方が大好
きな「玉虫色」の表現に留まった事は非常に残念でもありますね。
まぁ、この件で韓国が恫喝まがいの事をいろいろ言ってきた時には、「全方位土
下座外交」と2ちゃんで揶揄されている、「他人の嫌がる事はしません!」
がモットーの我らが宰相の事ゆえ、総理の判断で教科書には竹島のたの字も
入れさせないだろうなと私などは思っておりましたから、それを考えれば御の字
と言えるのかもしれませんが・・・。

また不勉強で恐縮なのですが、「学習指導要領解説書」というものは「学習指導
要領」のいわば下位に属するもので、学習指導要領は法的拘束力があるので
すが解説書は建前上そうではないのだそうです。しかし実際の授業や教科書
編集は解説書に沿ったものになっているそうです。→sankei.jp.msn.com/life/education/080714/edc0807141901003-n1.htm

そうなると今後注目なのが、今回の文科省の決定に不満のある、「シンポセン
セイ」や「ハンセンヘイワゴケンセンセイ」「ジンケンセンセイ」の方々の授業
の進め方。
学習指導要領に明記されていれば従わないわけにはいかないでしょうが、解説書
止まりであれば拘束力は建前上無いのですから、教科書に載っていても華麗に
スルーする事も可能でしょう。高校受験に竹島に関する問題が出題された場合、
困るのはスルーされて教えられなかった生徒ですが、特定のイデオロギーや
特定の民族に対するシンパシー(センセイ御本人の出自がその民族という事も
大いにあり得ますし)を最優先で考えるセンセイ方にとっては、己の信念を貫く
事が教え子の将来を左右するかもしれないスルーの害悪よりも優先されるで
しょうから、4年後の中学校社会科授業現場では、2ちゃんのニュー速を賑わす
話が続々登場しそうな気がします。

さて今回の件で、左右保守革新問わず、国を挙げて燃え上がっているのが韓国。
ぱっと目に付いたのをザッピングしてもこんな感じです。

友好国の立場を考慮しようとしない典型的な自国利己主義だ(朝鮮日報)
日本、「独島紛争化→返還要求」が狙い(中央日報)
今日の分では
歴史的に、国際法的にも厳然たる韓国領土で、韓国が実効的に 支配している
独島を、ロシアが管轄している北方列島のように領有権紛争がある島で、
将来、 日本が返還されるべき所だと青少年たちに教えるというのだ(中央日報)
独島(トクト、日本名竹島)は我々の領土であるだけに対日外交に強硬策を講じよ
(中央日報)

などなど・・・。

竹島の領有権に関しては、、米国の見解は竹島について、日本が朝鮮併合に
よって新たに獲得した島ではなく、それ以前から日本領であった事をはっきり
と述べており、領有権そのものに関しては韓国が避け続けている国際司法
裁判所での審判でも疑いなく日本のものであると判定されるでしょう
ただし韓国による実効支配-侵略ともいう-をずっと見過ごしてきた点が、
日本に不利に働くかもしれませんが・・・。
これは戦後日本という国、また日本国民の抱えてきた、

ハンセンヘイワ>>>>>>>>>>>>領土(最も基本的な国家主権)

という何ともお目出度く救い難い九条信仰のゆえなのですがね。責任はセンセ
イ方やお役人サマだけではなく、我々ひとりひとりにもあります。

日本としては、本来竹島は「日本固有の領土」である事を明記して当然のところ
、韓国の国内事情その他も考慮してあのような「玉虫色」の表現で勘弁してやっ
たので、本来は韓国政府から感謝されてもいいぐらいの話なのですが、それで
もあんな調子ですもんねぇ・・・ホントに呆れてしまいます。

こちらが譲った分、あちらはその譲った分を自分のものだとでかい声で喚き
散らす。
そしてもっとよこせと恫喝する。駄々をこねる。
韓国には、
「泣く子は餅をひとつもらえる」
ということわざがあるそうですが、彼らの行動はまさにそのまま。
日本人は、彼らがあのように大声で喚き正気を失ったように騒ぐからには、きっ
と我々の知らない真実も幾ばくかあるのだろう、我々にも至らない点があるの
かもしれないと思い、妥協できる点はそうしてあげようとお人よしにも考えるの
ですが、相手の立場に立って物事を考えるというのは日本人同士で成立する
美徳なのであって、彼らに対してそんな甘い考えは通用しません。
譲り合いの精神や平等互恵など彼らの頭の中にはハナから存在しないのです。
自己主張が激しいのは欧米も同様ですが、彼らにはその一方でキリスト教の
道徳観や倫理観が深く根付いてもおりますので、それにも一定の歯止めはあり
ギブアンドテイクの話し合いも出来ますが、韓国(及び中国と北朝鮮)には儒教
と中華思想に基づく勝手で押しつけがましい序列関係が基本で、宗教的な道徳
観や倫理観は存在しません。
ゆえに、特に彼らの世界観では一番格下の日本に対する歯止めは一切存在しま
せん。
その結果が国内における「在日朝鮮人の存在」であり、「在日朝鮮人の地方参政
権要求(選挙権だけのはずが、将来は被選挙権も手中にするつもりのようです。
人権擁護法が通ってしまったら、シャベツだなんだと喚きたおして国政選挙・
被選挙権もゲットの算段でしょうね)」であり、外交問題における竹島の件なので
す(向こうの地方レベル、民間レベルでは対馬も我が領土と言い出してますから
ね、竹島の件で火病が極まれば、韓国政府として公式に領有権を主張しかねま
せん。またそうでもしないと火病る国民の怒りの矛先が自分たちに向かってきか
ねませんしねぇ・・・)。

再度の経済危機の兆候が見えてきているのに、米国には牛肉の件で噛み付き
「ローソクデモ」、日本に対しても「宣戦布告も辞せず!」と国を挙げて火病まるで
人間松明のごとし。
燃えろよ燃えろーよ♪ 火病よ燃えろー♪

経済破綻の深淵を前に、理性的に接すれば必ず助けてくれる日米にこれだけの
過激な行動を見せる一方で、金剛山では同胞が射殺されたというのに北に凄ま
れればもうダンマリ。
実利よりも情念を優先し同胞愛に溺れる自称世界最優秀民族の誉れここに極
まれりですな。
もう断交でも宣戦布告でも対日経済制裁wでも、その自尊心が満たされるまで
一度とことんまでやってみてください。好きにしてください。その代わり、その結果
今後何か起こっても絶対に同情しないし助けませんよ。
それが今の私の偽らざる気持ちなのであります。

それにしても・・・
「宣戦布告」というのはかつては北朝鮮の専売特許でしたけれど、ノムヒョン
閣下の就任からというもの、韓国でもよく使われるナイスなフレーズになりました
ね。
左傾化して国民のメンタリティが北のそれに近づいてきた何よりの証左と思われ
ます。

よかったね、もうじきいっしょになれるよ。

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2008年7月11日 (金)

上越線・岩原スキー場前駅

本日の駅紹介は上越線・岩原スキー場前駅。

2016年7月10日記、画像の張替えと加筆修正を実施しました。

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新潟県南魚沼郡湯沢町に所在し、昭和8年(1933年)に仮乗降場として設けられて以来、永らく臨時/仮扱いでしたが、国鉄からJRへ移行した1987年(昭和62年)4月1日に晴れて正規の駅になっております。
駅昇格時の所在は既に湯沢町でした。

当駅は「スキー場前」と命名されてはおりますが、駅東口が即スキー場の入り口という 越後中里駅と異なり、「岩原スキー場」へは駅入り口の県道を横断して歩く事1km弱と、ドアツードアが常識の今日では立地条件はすこぶる宜しくないのです。
く(当駅とスキー場間に送迎バスが運行されるのかもしれませんが、それにしたって・・・)。
スキー客やリゾート客の利用には立地的に?な岩原スキー場前駅ですけれど、かつては駅入り口の県道を越後湯沢方面に歩く事約1kmに県立湯沢高校が所在し、この学校への最寄駅としての学生利用が多いのが部外者にとっては少々意外。
はスキー場前を名乗り周囲にリゾートホテルが建つ文教とは何の関係もないようなこの駅に、朝の上越線登り列車からは多数の学生がゾロゾロと降り立つという、少々不思議な光景が見られたのです。
しかしその湯沢高校も2007年度をもって六日町高校に統合されて廃校になり、当駅に学生が集中する事も無くなってしまいました。

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岩原スキー場前駅駅舎と駅前の様子、上は2013年6月、下は2004年3月撮影。
建築財産票を確認できなかったので゛竣工年月は不明。
上の画像の左側のコンクリート製の建造物はホームへ行き来する地下道の出入り口です。
トイレは駅舎の右奥にあります。

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岩原スキー場前駅駅舎内の様子、2013年6月撮影。
元臨時駅にしては内部は広くて凡百の無人駅を凌ぎます。
冬季限定とは言え賑わったであろう昔日の残照ですなぁ。
自動券売機が一台設置されていますが、2006年9月に訪問した時点では未設置で、置かれたのは比較的最近だと思われます。
券売機が置かれるほどの需要が、果たして今の当駅にあるのやら。
また当駅には窓口がありますけれど、私が2004年3月に初めて当駅を訪れた時には、まだスキーシーズン中だったにも関わらず閉鎖されていました。
ウィキペディアを見ると、窓口が冬季営業していたのは昭和末期までのようです。

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長岡方面乗り場から見た駅舎、2005年6月撮影。
事務空間も広く取ってあるようで、今日の目からは甚だ過剰な設備の建物です。

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水上方面乗り場の越後中里駅方から見た、岩原スキー場前駅構内の様子、2013年6月撮影。
変則配置の二つのホームは右にカーブしていて、ここからの見通しは甚だ悪し。

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同じく越後中里駅方を見る、2013年6月撮影。
ここからは左カーブしていて、後背の関越自動車道も邪魔をして見通しは甚だ悪し。

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水上方面乗り場の端から越後湯沢駅方を見る、2013年6月撮影。
越後中里駅方が全く冴えないのとは対照的に、こちら側は見通しも良く風情もあります。
後背の山々、近くの緑、大変涼やかな景色なのですよ。

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変則配置の上下ホームを連絡する地下道内部、2013年6月撮影。
この連絡地下道は昭和52年12月の完成。
この地下道完成まで、二つのホームはどうやって連絡していたのか?
構内通路があったのか?謎です・・・。
白と緑のツートンカラーは、冬の雪と春夏の盛緑というこの地方の色合いを表しているかのようです。

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長岡方面乗り場の越後中里駅方から見た岩原スキー場前駅構内、2013年6月撮影。
上下のホームは変則配置に加えて千鳥式です。

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同じくホーム端から越後湯沢駅方を見る、2013年6月撮影。
駅の裏手には魚沼南端の田圃が広がり、駅前周辺のリゾート然とした雰囲気とは好対照を成しております。

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同じく越後中里駅方を見る、2013年6月撮影。

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長岡方面乗り場から見た駅構内中央部の様子、2013年6月撮影。
水上方面乗り場のホームの基礎はご覧のように昔風のしっかりした造り。
戦前に仮乗降場として造られた時代のものなのかもしれません。
越後中里方の端以外は同じ構造なので、ホーム長は後から延伸されたものではなく、元々この長さで作られたものではないかと思うのですが。
そうだとすれば、「仮乗降場」としてはかなり力の入ったホームと言えます。
それに対して長岡方面乗り場のそれは鉄骨の支柱多数で支える形式です。
このホームが造られたのは昭和39年9月に越後湯沢-越後中里間が複線化された時だったのか?
はたまた単線時代にこのホームは既に作られていて、当駅が列車交換設備を備えた信号場の役割を果たしていたのか?
その辺が当駅に関する個人的な疑問と関心なのであります。
でも湯沢町史を見ても、そういう裏話って全然載っていないのよね。

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岩原スキー場前駅を出発した115系電車長岡行、2004年3月撮影。
雪景色はこれぐらいがちょうど良いなぁと、個人的には思うところです。

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岩原スキー場前駅に到着する115系電車、確かスキー客向けの臨時の越後中里行だったような記憶があります。
ウィキペディアによると、当駅に定期普通列車が通年停車するようになったのは昭和56年からとの事で、時刻表の昭和57年6月号を見ると当駅の普通列車通年停車は下記の通りです。
下り:725M新潟行13:25、727M長岡行16:03、729M長岡行17:54。
上り:724M上野行08:37、732M上野行18:10。
学生の流れの圧倒的多数は長岡方面からの入り込みですから、朝の通学便、土曜の帰宅の便、平日の帰宅の便としての停車になっていました。

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岩原スキー場前駅に停車中の115系電車長岡行、2013年6月撮影。
この時の訪問では、当駅で下車した際に車掌氏に「ここで降りるんですか?」と声を掛けられましたっけ。
カメラを持った明らかに非地元民のオッサンが、特に珍しい列車が通るわけでもないいたって普通の土曜の朝にこんな地味な小駅に降り立つのは珍しかったようですw
私も新潟県内ではガーラ湯沢駅以外の全ての駅で乗ったで降りたでしてますけど、下車時に「本当にここで降りるのですか!?」な顔の車掌氏に声掛けされたのは、当駅と羽越線の今川駅ぐらいですな。

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岩原スキー場前駅に進入したEH200形電気機関車牽引の貨物列車、2013年6月撮影。
私は貨物列車時刻表を購読していないので、貨物列車の撮影は全て偶然の産物です。
この時もこのホームでウロウロしていたらたまたま入ってきたので一枚。
朝の逆光なのが残念なところです。

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越後湯沢駅方の踏切から見た岩原スキー場前駅構内、2013年6月撮影。
構内は左カープしているので全体を見通すことは残念ながら出来ません。

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同じく越後湯沢方を見る、2013年6月撮影。
こちら側の景色は見通しも効いていて良いのにねぇ。
かつてはこの線路を「とき」が、「佐渡」が駆け抜けていったのですよ。

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ホーム上から遠望した岩原スキー場、2013年6月撮影。

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岩原スキー場前駅から歩くこと数分で、越後湯沢と土樽方面を結ぶ県道に出ます、2013年6月撮影。
上の画像中央を横切っているのは関越自動車道です。
駅周辺にはホテルが多いのですが、リゾート、スキーの両シーズンの狭間にある春と秋に歩いた限りでは、建物の見た目の華やかさと人気の無い寂れた雰囲気が入り混じって
独特の雰囲気を醸し出しておりました。
また付近にスーパーなどは無く、県道に出てすぐにあるリカーショップと廃校になった旧湯沢高校至近にあるコンビニがある程度でした。
なおこの県道には南越後観光バス運行の路線バス越後湯沢-土樽-蓬橋線が運行されており、当駅と越後中里駅へ行く場合の鉄道補完足りえる存在です。

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2008年7月 9日 (水)

弱者は見殺しカトちゃんペッ!

自民党の加藤紘一元幹事長は7日夜、日本BS放送の番組に出演し、2002
年に北朝鮮から一時帰国した曽我ひとみさんら拉致被害者5人に関し、同国
に戻さないとした当時の政府決定について

「国家と国家の約束だから、(戻した方が)よかった。安倍(晋三前首相)さん
を中心に返すべきでないとなったが、その辺が今、日朝の間で打開できない
理由だと思う」

と述べ、官房副長官として永住帰国への方針転換を主導した安倍氏の対応に
問題があったとの認識を示した。
→http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2008070700894

ここのところ、内外共に呆れ果てるニュースが続いている昨今ではございますが
、加藤議員のこの発言はちょっと見過ごせない事なのであります。

拉致された方々の原状回復を図る事、すなわち外国の脅威から自国民の生命
を保護する事は相手が何者であろうと国家の国民に対して成されるべき最初の
誓約であり義務です。
それが国民主権の民主国家として当然の姿です。
民主国家の尖兵たるべき国会議員のあり方もそれと全く同様です。外国からの
脅威から国民の生命を守るべく活動する、それが国会議員が議員たるべき基本
なのであり、自らを選出してくれた有権者(日本国民)に対して果すべき第一の
義務であり誓約であるべきなのです。
しかし加藤議員は「国家と国家の約束」をそれら義務や誓約よりも重いと考えて
おられるようです。しかも相手は最高指導者の指示によりかかる所業を行った、
また拉致以外にも世界を舞台におよそ思いつく限りの国家犯罪に手を染めデフ
ォルトも核開発の横紙破りも平気の平左、非難の石つぶてにも蛙のツラに何と
やらの厚顔無恥な犯罪国家。
そんな連中との約束を拉致被害者の人権よりも優先されるとは、加藤議員は人間
性善説に立脚した現人神のような心性の持ち主なのか、そもそもの人権や犯罪
に対する価値感が倒錯しておられるのか、はたまた御自分が連中と色々あって
(精神的に拉致されて身動きとれない状態ですか?)重度の「ストックホルム症候
群」に罹患されておられるのでしょうか?

ともかくこの方、所詮は拉致被害者の方々を北との国交正常化で美味しい思い
をする為の、もしくはスキャンダラスな恥部に蓋をして墓場まで持っていく為の
道具ぐらいにしか考えていない事がこの発言ではっきりしましたね。
拉致被害者=弱者を無情に見殺し・切り捨て、おそらく日本国内の我々庶民も
弱者と捉え、己の欲望の為には道具として使いあっさりポイ捨てでも構わないと
お考えなのではと、その破廉恥極まる御心中をお察し致しますです。
まぁ、同じ事を考えているセンセイ方は与野党共に大勢おられるようですし、
そういう筋のお歴々の拉致問題に対する世論観察のアドバルーンに体よく利用
された形なのかもしれませんが・・・。
そうであるならば自民党元幹事長にして一時は総理総裁の最有力候補と目され
た政治家の末路としては哀れ極まりですね。

ここまで国民の人権を無視し馬鹿にした発言をオフィシャルな場でおっしゃった
加藤議員、当然それなりの覚悟はされておられるものと思いますが、果たして?
社民党・辻本議員の「私は国家の枠をいかに崩壊させるかっていう役割の“国壊
議員”や」発言や民主党・岡崎議員の「満面の笑みでジュウグンイアンフデモ
に参加」(→www.tamanegiya.com/okazaki.html)でもほとんど
華麗にスルーのマスコミ各社
ゆえ、今回の加藤議員の発言もサミット報道にかこつけてスル~、当の御本人
も知らぬ顔の半兵衛を決め込むおつもりなのでしょうが、心ある有権者はあなた
の今回の御発言をよく覚えておきますよ。

・・・しかし、仮に議員辞職に追い込んだところで、次回総選挙ではみそぎは済
んだと立候補し、圧倒的な票数で当選をされるのでしょうね。
加藤議員の選挙区は何故か民主党が対立候補を立てないんだそうで。
困ったモンだまったく・・・。
まぁ、私の住まいの選挙区も大きな事は言えないんですけどね。
私のところの選挙区は民主党の若手のおなごセンセイが連続当選されており
ますが、そのセンセイが師と仰ぐ大学のセンセイというのが「主体思想研究家」
でして・・・。
(「主体思想研究家」といえばいかなる思想信条の持ち主なのか察してくださ
いませ)
前回の新潟県知事選では現知事(新人)を苦戦させた程の知名度を誇って
おります。
彼の愛弟子のおなごセンセイ御本人も「外国人参政権賛成」「人権擁護法
賛成」。
前回衆院選時の大手新聞(確か産経だと思いますが)のインタビューでは

「拉致問題は選挙の争点ではないから云々」

とおっしゃったとかおっしゃらなかったとか。
拉致問題の象徴である横田めぐみさん拉致が行われた街の国会議員がこんな
調子ですからね・・・。
では自民党の候補はというと、

「私は中央とパイプがあります!」(利権誘導があまりに露骨過ぎてワロスw)

と前々回の総選挙で御本人自らマイクを取ってまくしたてられた(私は直接拝聴
しました、結果は落選)、二昔前、三昔前によくいらっしゃった土建政治家の
系譜に繋がる方で、前回総選挙の郵政民営化に対する「踏み絵」では、一蓮托生
のはずの親分亀井センセイを見捨てて「郵政民営化賛成!!」とでっかい声で
吼えまくった少々アレな方なので、選択肢が無いんです・・・。
私などはもうアタマにきて、ぶっちゃけ共産党の候補に入れましたけどね。自民
・民主両党の候補のトンデモさ加減に対する批判票のつもりで。

こういう現象は今や日本中至るところで見られるようです。
与党も野党もマトモな候補がいない、どちらにしても国内問題に対してはあー
ゴニョゴニョ、売国度も中国人と朝鮮人移民受け入れ・日本国籍付与が一千万人
か三千万人かの違い。拉致問題、領土問題、歴史認識に関しても以下同文。
・・・溜息出ますね。

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