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2008年6月の記事

2008年6月29日 (日)

越後中里駅(上越線)

本日の駅紹介は上越線・越後中里駅。

2016年7月10日記、画像の貼り替えと加筆修正を実施しました。
2017年4月15日記、画像の再貼り替え及び及び追加を実施しました。

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新潟県南魚沼郡湯沢町に所在する無人駅で、開業は開業は1931年(昭和6年)9月1日。
清水トンネルが開通して上越線が開通したその日であります。
開業当時の所在は南魚沼郡土樽村で、同村は昭和30年(1955年)に周辺諸村と合併して町制を施行し、新自治体の湯沢町となって今日に至ります。
旧土樽村の中心地区は当駅周辺で、本来なら当駅が「土樽」と命名されるところなのですが、清水トンネル工事の基地として機能していた土樽信号場が上越線全通後も残る事になった事から、当初駅設置を予定していた土樽小学校周辺の地名「中里」と命名されました。
・・・ここで問題なのは、何故「中里駅」とストレートに名乗らせなかったという事。
ウィキペディアで検索しても、「中里」の付く駅は皆当駅よりも国有線として後発ですから、
当駅が「中里駅」を名乗っても何ら問題は無かったと思うのですが・・・。
当時「中里駅」を名乗っていて、その後改名された駅があるのならばそれが真相なのでしょうけれど。

越後中里駅は前述のように当初、現在位置から長岡寄り約1km地点にある土樽小学校の裏手への建設を予定して、実際に測量も実施されたそうです。
しかしそこは勾配が急で列車の停車が難しい為、現位置に変更された経緯があります。
当駅を含む上越線石打-水上間は開業当初より電気運転が行われており、蒸機よりは勾配に対する制限も緩和されていそうなものですが、それでも見送られたほどの急勾配だったのでしょう。
現代の電車の性能をもってすればどうという事もないのでしょうが。
昔の鉄道建設に付き纏う様々な障害や制限を物語る小エピソードではあります。

さて開業からしばらくの間は、幹線の一ローカル駅として地味に存在していた越後中里駅ですが、昭和34年12月に本格的なスキー場(湯沢中里スキー場)が駅裏手に開発されると、冬季はスキー客で賑わうようになり、昭和39年には会社の請願により跨線橋を駅裏手に延長して駅東口を開設しています(スキー場営業期間のみ通行可)。
スキーが冬季の国民的レジャーとして盛んだったふた昔前までは、当駅を含む魚沼地方一帯と東京を結ぶスキー専用列車が多数設定され、新幹線開通前の上越線の名脇役であった急行「佐渡」「よねやま」も臨時停車していました。
今ではレジャーの多様化でスキーの地盤沈下が急速に進み、また輸送手段も格安のバスへ流れた結果、冬季のスキー客輸送列車も越後湯沢で新幹線に接続する臨時の普通列車が設定される程度で、当時の活況と比べるべくもありませんが・・・。

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越後中里駅駅舎の様子、上はまだ冬の装いの2008年4月、下はまだ夏を抜けきっていない2016年9月撮影。
画一的な旧国鉄標準型を脱した、冬季レジャーの拠点駅としてのイメージを全面に押し出したようなモダンなデザインです。
豪雪地帯の建物としては窓も大きく、解放感があって真夏でも暑苦しさを感じさせませんな。
建築財産票によれば竣工は昭和55年(1980年)12月3日、屋根の許容積雪量は実に320cm!
これだけの規模のスキー場があるのですから当然な話なのでありますが、冬季降雪のレベルのとてつもなさがよく理解できます。
幼少の頃にこの地方に住んでいたことがあるのですが、真冬は二階から出入りする状態でしたからね。

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越後中里駅駅前の様子、2016年9月撮影。
スキーのオフシーズン真っ只中で閑散としています。

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越後中里駅駅舎内部の様子、上は2008年4月、下は2016年9月撮影。
上の画を撮影したのは4月中旬で、スキー場は既に営業を終了していました。
カーテンで閉じられた窓口には「本日の営業は終了しました」の表示。
スキーシーズン終了と共に冬季の窓口営業を終了してそのままなのでしょう。
駅舎内は広々として非常に清潔に保たれており、ゴミは全く目に付きません。
自動券売機が一台設置され、飲料の自販機が2台置かれています。
トイレは改札内外にそれぞれあり、スキー場を抱えるレジャー駅とあって両方共水洗でこちらも綺麗です(但しトイレットペーパーは無し)。

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越後中里駅駅舎内部の様子その2、上は2008年4月、下は2016年9月撮影。
ベンチがJR東日本定番型に更新され、ベンチの設置位置が変わったのが八年半で唯一変化のあった内部です。

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1番ホーム(長岡方面乗り場)に面した駅舎部分の様子、上は2008年4月、下f2016年9月撮影。
駅長事務室と精算所を有していて、優等列車の定期停車駅や大きな町の玄関駅に引けを取らない立派な施設です。

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1番ホームの土樽駅方から見た越後中里駅構内、2016年9月撮影。
構内は千鳥配置の2面3線の堂々たるものです。
他ホームとの視覚的比較が働いて、その為に自分の立っているホームが非常に長大に感じられるのは国鉄型駅構内の特徴と言えましょう。

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1番ホームの岩原スキー場前駅方から見た越後中里駅構内、2016年9月撮影。
跨線橋と連結している画像左側の大きな建物は湯沢中里スキー場の「中里スキーセンター」。
前述したように、当駅が幹線の地味なローカル駅から冬季レジャーの拠点駅に発展したのは、このスキー場があっての話なのです。
画像右横はモーターカーの車庫ですが、線路は本線と繋がっているものの車庫周りは草生していました。
秋が深まった時期に見てもそんな感じでしたし、除雪シーズン本番の真冬以外はそんな扱いなんですかね、

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1番ホーム端から岩原スキー場前駅方を見通す、2016年9月撮影。
画像右手に湯沢中里スキー場の休憩施設になっている旧型客車群がチラリと見えます。

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越後中里駅跨線橋内部の様子、2016年9月撮影。
往時はスキーを担いで大勢の老若男女が行き来していたであろう幅広の通路。
画像中央が中里スキーセンターの出入り口ですが、冬季営業終了で閉鎖されています。

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跨線橋上から岩原スキー場前駅方を見る、2016年9月撮影。

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同じく土樽駅方面を見る、2006年11月撮影。
撮影は11月下旬で、上越国境の後背の山々は既に冠雪しています。
画像中央のひときわ大きな建物はホテルの「エンゼルグランディア越後中里」。

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島式ホームの岩原スキー場前駅方から見た越後中里駅構内、2016年9月撮影。

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中越地震発生一週間前の越後中里駅構内の様子、2004年10月撮影。
2番線中央に保線車両が停車中。
この12年間の変化は待合室のベンチが更新された事ぐらいです。
画像右側の1番ホーム延長部の無骨さが個人的には好みなのですよ。

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島式ホーム上の待合室とその内部、2016年9月撮影。
スキーレジャー全盛の頃は、首都圏に帰るスキー客で賑わったのでしょうね。
収容人数を増やしたいからなのか、通路を広く取った千鳥配置のベンチです。

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車中から見た島式ホーム上の待合室と跨線橋出入り口の位置関係、2005年6月撮影。
上屋は跨線橋出入り口と待合室を繋ぐ一両分ほどの短いもの。
駅構内の構えは中々な立派ですが、この辺はやはり当駅が定期優等列車通過駅である事を示していますな。

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島式ホームの三番(水上方面乗り場)土樽駅方から見た、越後中里駅構内と中里スキーセンターに延びる跨線橋、2016年9月撮影。

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島式ホーム端から土樽駅方を見る、2016年9月撮影。
ホーム端から線路が一本中線に延びているのがわかります。
昔は機関車の待機にでも使われていたのでしょうか。

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岩原スキー場前駅方の踏切から見た越後中里駅構内、2016年9月撮影。
この踏切への道が少々入りくんでいて、踏切まで行き着くのに相当の時間を要してしまい汗だくに。
9月も下旬に差し掛かっているのに、真夏のような暑い日でしたっけ。

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越後中里駅1番ホームに停車中の115系電車長岡行、2004年3月撮影。
取材目的で最初に当駅を訪れたのがこの時で、まだ当ブログを始める前。
駅紹介とか出来れば良いなぁぐらいの漠然とした動機であちこちに出没し始めた頃です。
この時は3月中旬でスキー場は営業中でしたけれど、雪は少なくスキー客も少なめ。

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2番線で折り返し待機中の115系電車、2004年3月撮影。

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2番線で折り返し待機中の115系電車と、3番線に停車中の115系電車水上行、2004年3月撮影。

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越後中里駅3番線から出発するE129系電車水上行、2016年9月撮影。
2016年3月ダイヤ改正で、上越線・長岡-水上間の普通列車は全てE129系電車に更新されました。

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越後中里駅2番線に進入するE129系電車長岡行、2016年9月撮影。
当駅は基本的に1番線と3番線を使用しますが、このように当駅折り返し以外でも2番線に入ってくる列車も存在します。

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上越線と並走する県道の様子、2016年9月撮影。
この道を2km進むと岩原スキー場前駅に行き着きます。
鉄道の営業キロでは越後中里-岩原スキー場前間は約4kmありますけれど、上越線は前述したように急勾配を避けるために迂回している為、直線の道路の方が距離は短いのです。
この県道には南越後観光バス運行の越後湯沢-土樽線が運行していて、過疎区間の越後湯沢-越後中里間の鉄道補完として使えます。
最寄バス停は「中里駅角」です。
県道経由だと当駅と越後湯沢駅間は5km強なので、徒歩でも一時間程度で越後湯沢駅に辿り着けます。
メタボな方の運動にはうってつけの区間と言えましょう。
私のように歩く気があるなら、バスは土樽駅へのアクセスにも使えますが、野生動物さんとの不意遭遇に警戒が必要な道のりなのであります。

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前述の踏切を越えると、越後中里スキー場に設置されている旧型客車転用の休憩所に着きます、2016年9月撮影。
シーズンオフで周囲に人影無し。
立ち入り禁止なので路上からしばし見物。
こうして見ると駅に留置中のように見えて、現役時代を彷彿とさせる味わいがあるのです。
ここは冬よりはこの時期の見物がお勧めですな。

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土樽駅方の陸橋上から見た越後中里駅構内、2016年9月撮影。
2008年4月に撮影した時は、曇りで残雪が多く霧も出て残念な結果でした。
今回はしっかり観察できて何より。

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魚野川を渡る橋と、その向こうの上越線の下り線、上は2008年4月、下は2016年9月撮影。
この先が上越線の有名な「松川ループ」になります。
先般発刊された鉄道ピクトリアル・アーカイブセレクション「国鉄幹線の記録 上越・信越線」によると、上越線の清水トンネル完成まで越後湯沢-土樽間で運転されていた軽便線には中間に唯一の停留所として「松川」が置かれていたとの事です。
軽便線は魚野川に架橋しなかったので、越後湯沢駅を出て現在の上越線のルートをそのまま進み、現在の岩原スキー場前駅の手前から上越線のルートを外れて魚野川沿いに進み、画像奥の松川地区にくだんの停留所が置かれていたものと推察されます。
清水トンネルの開通によって上越線が全通したのは昭和6年9月1日。
軽便線はその三ヶ月前から撤去が始まったとの事。
もう85年も前の話です。

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4月も半ばに差し掛かるというのに、モノトーンで荒涼とした魚野川とその岸辺、2008年4月撮影。

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魚野川を渡る早春と晩夏の上越線の下り線、上は2008年4月、下は2016年9月撮影。
昭和39年に越後中里-土樽間複線化に伴い供用を開始した、新松川トンネルと繋がっています。

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頑健な上越線の橋脚、2016年9月撮影。

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2008年6月22日 (日)

土樽駅(上越線)

本日の駅紹介は上越線・土樽駅。

2017年4月15日記、新記事を旧記事に統合しました。

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新潟県南魚沼郡湯沢町に所在する無人駅で、開業は1940年(昭和15年)1月15日。
清水トンネルが完成して上越線が全通(1931年9月1日)した時点では信号場で、晴れて駅に昇格したのはその8年4ヵ月後だったのです。

新幹線の長大トンネルが続々と完成する以前は、著名なトンネルの一つであった清水トンネルを新潟県側に抜けてすぐに到着するのが当駅で、川端康成の小説「雪国の有名な一節「トンネルを抜けると~」のまさにそこがこの土樽駅。

開業当時の所在は南魚沼郡土樽村でしたが、土樽村の中心集落は隣の越後中里駅でしたので看板に偽りありというところでしょうか。
土樽村は昭和30年に周辺諸村と合併して町制を施行、新自治体の湯沢町になって今日に至ります。

さて土樽駅のルーツは、1923年(大正12年)12月に、清水トンネル工事に伴う資材、人員輸送用に敷設された軽便鉄道の信号場がそのルーツです。
トンネル工事の最盛期には、工事関係者とその家族計1,500人がこの付近に居住し、生活物資の購買制度も完備され、また診療所や子供たちの為に分教所も開設されるなど、なかなかの賑わいを見せていたそうです。
現在の駅付近の佇まいからは想像も出来ませんが・・・。

さて新潟市界隈から土樽駅を訪れる場合、問題になるのは列車だと現地滞在時間が極めて短くなってしまうことです。
唯一短時間で折り返し可能な朝の列車だと、駅に留まれるのは僅か10分強。
土樽駅への四回目の訪問になった2011年5月は、構内改装された駅の新しい姿を観察するのが目的なので、そのような短時間では目的は到底果たせません。
やはり地下ホームが改装された土合、駅舎が解体された湯檜曽両駅訪問とのスケジュール調整に無い知恵を絞った結果、南越後観光バスの土樽線で「土樽」バス停まで行き、そこから土樽駅まで2.5km程を歩くしか道無しの結論に。
路線バスの終点「蓬橋」バス停まで行けば駅はすぐそこなのですけれど、そこまで行く本数は少なくて今回の旅程組み込みは断念。
歩く事自体は、二日で70kmを速歩で歩いても筋肉痛とも腰痛とも無縁という歳の割りには異様な脚力を備えておりますのでどうという事も無いのですが、何しろ山深き道を進むゆえ、道中野犬さんや野生動物さんと鉢合わせという事態も想定しなければならず相当に迷った末の結論でした・・・。


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そんなわけで2011年5月の某日、越後湯沢駅前から路線バスに乗って終点の「土樽」バス停で下車。
バス停前の建物は「土樽集落開発センター」。
ここまでは平日一日七往復、土休日一日五往復が走っています。
(2011年現在のダイヤです)

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土樽バス停から越後湯沢方面を見る。
周辺は山間の田圃と土樽地区南端の小集落。

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これから歩く方向を見定める。
思ったより民家はずっと多く人気もあります。

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出発して3分ほどで一枚。
この辺りが集落の終端になります。

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ここから先は人家も絶えた山間の細道、動物さんとの不意遭遇の可能性に気合を入れます。
気合入れの定番は「鉄也のテーマ」、お-とこどきょうだぁ!どーんといけー!

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途中の橋から関越自動車道とその奥の上越線の鉄橋を見る。

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その橋を渡り今来た道を一枚。

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土樽駅に近づくと関越道もまた近づいてきて道に併走。
右隣が関越道です。

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幸い動物さんの影さえ見る事も無く、土樽駅至近の「蓬橋」バス停に到着。
画像中央右寄りに立っているのがバス停です。

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土樽駅へのアブローチになっている坂道からバス停付近を一枚。
道中は行き交う車が予想以上に多いのに驚き。
渓流釣りか何かの人達のようです。

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土樽駅へは関越道の下をくぐって行き着きます。

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こうして実に呆気なく土樽駅に到着。

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人気がまるで無い昼下がりの土樽駅前。

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前回訪問時は雪に埋もれて謎だった高速下の小道でしたが・・・

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これまで歩いてきた県道と駅の近道になっていました。
歩いてきた時には関越道の保守用通路か何かだと思っていました。
ただそれにしては「関係者以外立ち入り禁止」の看板が見当たらないなぁと、少々不思議でしたけれど。
しかしこの近道、雑草が跋扈して通行はヤブコギとあまり変わらない有様。
いかに人が通らないかの表れであります。

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土樽駅駅舎の様子、上は2004年3月、下は2011年5月撮影。
建築財産票が見当たらなかったので、現在の駅舎の完成時期は残念ながら不明だったのですが、ウィキペディアによるとかつては貨物や荷物の取り扱いが行われていた事から、駅員常駐の有人駅であったと思われます。
現駅舎内にも閉鎖された窓口がある事から、この駅舎はその当時からあった(少なくとも貨物の取り扱いが廃止された昭和36年頃には?)と推察しているのですけれど、果たして!?
駅前には車2~3台分の駐車スペースと公衆電話、登山者への注意喚起の看板。
この地域は熊の生息域!なので、私が土樽集落からここまで歩いてくるに当たって心配した野生動物さんとの遭遇はけして杞憂ではないということです。

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土樽駅駅舎内の様子、上は2008年4月、下は2011年5月撮影。
自動券売機、乗車証明書発行機共に未設置です。
飲料の自販機が設置されていて、人跡稀な当駅訪問に当たって心強い存在と言えましょう。
ちなみに上の撮影時には床に大きなミノムシさんが朝八時だというのに二匹転がっておられて、内部の撮影を断念という実に面白くない話でした。


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トイレは非水洗で水は飲めないそうなので要注意です、2008年4月撮影。

さてここからは駅構内改装以前の土樽駅の姿をご紹介。
改装前の駅構内は上下の通過線を挟んだ二面四線の広々としたものでした。

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水上方面乗り場の跨線橋出入り口付近の様子、2004年3月撮影。


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水上方面乗り場の越後中里駅方から見た土樽駅構内、上は2004年3月、下は2004年10月撮影。
今日では不釣合い過ぎるほどに長いホームです。

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水上方面乗り場中央部の様子、2008年4月撮影。

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土樽駅水上方面乗り場の名所案内板、2004年10月撮影。
撮影時点で既に閉鎖された「土樽スキー場」が消されずに残っています。

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水上方面乗り場の土合駅方から見た土樽駅構内、上は2004年3月、下は2004年10月撮影。

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跨線橋上から構内の越後中里駅方を見る、上は2004年3月、下は2004年10月撮影。
ホームは有効長も長く、堂々たる幹線の駅としての風格を今なお残しておりました。

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同じく構内の土合駅方を見る、上は2004年3月、下は2004年10月撮影。
画像左上の関越自動車道が視界を遮ってしまっていて、当駅の魅力もこれで半減しています。

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長岡方面乗り場の土合駅方から見た土樽駅構内、2004年3月撮影。

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長岡方面乗り場の跨線橋出入り口付近の様子、2004年3月撮影。
ベンチは薄汚れていて、いかに当駅の利用が少ないかの表れのようであります。

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長岡方面乗り場の越後中里駅方から見た土樽駅構内、2004年10月撮影。

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長岡方面乗り場から見た土樽駅駅舎、2008年4月撮影。
駅舎正面と異なり、配色も形状も実用本位です。
国鉄時代に建てられた無人駅駅舎の多くの例同様に、今日では遊休化した空間が非常に多くなってしまっています。

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構内改装前の土樽駅を出発する115系電車水上行、2004年3月撮影。
私が土樽駅に降り立っての初撮影がこれでしたなぁ。

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土樽駅に到着した115系電車長岡行、2004年3月撮影。

ではここからは構内改装後の土樽駅をご案内。
画像はいずれも2011年5月撮影です。
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改装後の土樽駅駅舎ホーム側の様子。

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上りホーム土合方から土樽駅構内を見る。
旧ホームに接する副本線を撤去して、通過線を本線化してホームを張り出した経緯は皆様よくご存知のところ。

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上りホーム端から土合駅方を見る。
画像右に見えるホームは廃止された旧下りホーム。

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上りホーム越後中里駅方から土樽駅構内を見る。
ホームの有効長は4両で、前回紹介の土合駅下り地下新ホームのそれよりも短小。
当駅は土合駅のような秘境度も無く観光地至近でも無いので、中編成長の臨時快速等が運転されても停車の要無しなのでしょうね。

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上りホーム端から越後中里駅方を見る。
旧ホームは一部撤去されていました。

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駅舎から旧上りホームを見通す。
こうして見ると施工はシビアというかやっつけ的というか・・・

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土樽駅跨線橋の通路。
跨線橋も昭和44年竣工で結構年季が入っていますし、いっそ跨線橋も改築してしまえばホームもすっきりするのに。
まぁそこまでやるカネも意味も意義も無かったのでしょうか。

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跨線橋上から越後中里駅方を見る。

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同じく土合駅方を見る。

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下りホーム土合駅方から土樽駅構内を見る。

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同じく土合駅方を見る。
こちら側は旧ホームの佇まいをよく見る事が出来ます。

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下りホームの越後中里駅方から駅構内を見る。

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下りホーム端から越後中里駅方を見る。
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構内改良後の土樽駅に到着した115系電車水上行。

2011年5月の訪問時は時間に多少の余裕を見て行ったつもりだったのですけれど、下りホーム後背の土樽山荘などを見る時間が無く・・・と言うより山荘へのアプローチ路がわかりませんでした(泣)。
しかしこの先当駅に降り立つ事はもうないかなぁと・・・。
ホームがこんなで関越道も邪魔で列車の駅撮りにはパッとしないところですしねぇ。
次に来るとすれば駅舎改築後ですかねぇ・・・、しかし万が一上越線が単線化されたら、それに便乗して駅廃止も考えられなくもないところで。
新潟県内ではかつて米坂線の花立駅(及び新潟山形県境の玉川口駅)が「利用者減少につき」廃止されましたけれど、当駅の実態も限りなくそれに近いのではないかと・・・
なにしろ駅から2km半行かないと集落が無いんですから。
スキー場も閉鎖されて久しく土樽山荘も二年前に閉館して、私もその末席に連なる酔狂な駅マニア以外に降り立つ人は果たしてどれほどいるのかと・・・。

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2008年6月14日 (土)

引っ掛かったふりをしてご相伴に(糞)

ども、二ヶ月弱ぶりのご無沙汰です。

このエントリーを廻るやり取りですっかり頭に血が昇り、「拉致問題は解決済み
&無問題&日本人こそ植民地支配を謝罪賠償汁!」の連中が「ふぇち」っている
のがヒジョーにキモく感じられて(あんな無情&夜郎自大な連中と一緒にされ
たくない!)、一時はここを閉めて(ふぇちは廃業して)、改めて別ブログを立て
て日本版ゴーリズムを全面に押し出してブサヨとの徹底的な議論の場にして
やろうとか色々考えましたけど、これだけ長期間更新していないのに(昨年の夏
から初冬にかけてもそうでした)、なおアクセスしてくださる方が多いのですし、
そうした方々をないがしろにしてここを放り出すのもひどく無責任な事だと思い
ますし・・・。

生硬な書生論からスケベふぇちココロ丸出しのおヘンタイな事までオールイン
ワンで血肉を得て出来上がっているのがこのブログでありますので、その辺
の折り合いをうまくつけながら続けてまいりたい・・・

と思っておりましたら、またもや頭に血が昇るニュースが!

>町村信孝官房長官は13日午後の記者会見で、北京で行われた日本と北朝鮮の
公式実務者協議で、北朝鮮が日本人拉致問題に関する再調査の実施や、日航機
「よど号」乗っ取り犯関係者の身柄引き渡しへの協力などを約束したことを
明らかにした。
→http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/economic_sanctions_on_north_korea/

「再調査の実施」「引渡しへの協力」・・・。
具体的な行動に移る確証もなしに、連中の口先三寸に乗っかって制裁を一部解除
の方針のようですが・・・呆れ果てて言うべき言葉もありません。
連中の「やるやる詐欺」に何度引っ掛かったら気が済むのかと・・・。
引っ掛かったふりをしてご相伴に預かりたいエラい人たちが政府与党内には大勢
いらっしゃるのでしょうが。
そしてそのご相伴のツケは拉致被害者の方々を筆頭に、日本の一般国民に回って
くるという寸法です。

以前、NHKで放送された海外ドキュメンタリー「ヒトラー」(全六回)の中で、
ナチ宣伝大臣ゲッペルス氏がユダヤ人に向けて

「覚えておくがいい! 我々(ドイツ人)の忍耐にもやがて限界がきて~」

などと過激なアジ演説をしていたり、
ヒトラー氏が

「昨日まで笑っていた敵(ユダヤ人)も、今日は最早笑えまい!」

などと言っておりましたが・・・。

甚だ不穏当な考えなのは承知の上なのですが、色々と考えてしまいました・・・。

また本日は岩手・宮城で大きな地震がありました。
中越、中越沖と立て続けに大きな地震に見舞われ、その被害の記憶も未だ生々し
い新潟県人として、とても他人事ではありません。
被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
今回の地震は内陸で起こったもので、中越の時同様、山間地域での孤立が最も
懸念されるところです。
もうじき日が暮れてしまいますが、関係各位におかれてはその前に少しでも多く
の被害状況把握と救援に力を尽くして頂きたいですね。

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