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2008年2月26日 (火)

新潟交通電車線廃線跡探訪その十一・七穂駅跡

新潟交通電車線廃線跡探訪・第十一回は七穂駅跡。
七穂駅は旧・西蒲原郡味方村(現・新潟市南区)に所在していた駅で、列車交換設備を有していました。
東関屋駅から12.3km、板井駅からは2.1kmの地点にあります。
私の手持ちの電鉄線時刻表(廃止一年前)には当駅の電話番号が載っておりましたので、廃止まで有人駅だったとずっと思い込んでおりました。
しかしこのエントリーを書くに当たって調べてみたら、廃止一年前に無人化されていたとの
事です。
よく調べもせずに思い込みだけで書くのは危険ですね、自戒自戒!

さて七穂駅の開業は1937年(昭和12年)11月22日で、電鉄線東関屋-白根間の開業から四年半以上経ってからでした。
電鉄線開業当時、木場駅-白根駅間8.5km間に列車交換可能な駅は存在せず、列車増発に当たってダイヤ作成上のネックになっていたのは充分想像できます。
当該区間の既存の駅(板井、吉江、味方)のいずれか、特にほぼ中間地点の
吉江駅に列車交換設備を増設すれば良いのですが、いずれの駅も中之口川の堤防と集落の間の狭い用地しか確保できなかったようです。
それゆえに、駅用地の確保が過不足無く行えた(駅開設の見返りにと、地区の積極的な土地提供があったのかもしれません。明治~大正時代にはそのような事例が間々あります)当駅を、運転上の要請から新規開業させたのではないか・・・と私は想像を巡らせているのですけれど、本当のところは如何に!?
また当駅の開業当時の駅名は「越後山王」と言い、「七穂」に改名したのは1940年(昭和15年)10月1日の事です。
「越後山王」のほうが風格が感じられて良いと思うのは私だけでしょうか?
七穂駅は地図で見ると、旧味方村の山王地区と大倉地区に跨って設置されていて、その辺の事情から、駅開設前後に地区間でいろいろあった故の改名では?と想像を逞しくしてしまいます。
しかし実際のところは果たしてどうであったのか、非常に興味をそそられます。

ここ七穂駅は両隣の板井、吉江両駅と同じく、中之口川の堤防道路と電車線沿いの集落の間にあります。
木場、板井両駅は至近に上越新幹線の高架が通り、農協や高校、小学校が近くにありましたが、当駅は新幹線の高架も遠く離れ、小学校も中之口川を渡って板井方向に1km近く行ったところにあります。
従って駅訪問のランドマークになるべきものもなく、非常に地味な立地です。

電鉄線廃止後も長らく現役当時の面影を濃く留めていた平島駅味方駅間にあって七穂駅は唯一、早いうちに駅用地の転用が実施されています。
私が当駅を最初に訪問した2004年5月当時には既に駅舎は撤去され、相対式のホームも埋められて、駅用地の一部は道路拡幅と畑へ転用されていました。

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吉江駅方から見た七穂駅跡の様子。
こちら側はレールが残っていました。

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板井駅方から見た七穂駅跡。
前述のように駅用地の大半は転用されています。

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辛うじて残っていた対面式ホームの端部。

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吉江駅方には架線柱に付けられた場内信号機が残っていて、二又のレールと共に、ここ七穂駅が電鉄線の運転上の要衝であった残り香になっていました。

それから三年半後に再訪した七穂駅跡は、レールが撤去されて駅の面影も消え去る寸前でした。

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撤去された枕木が廃路盤沿いにまとめて並べられて搬出の時を待っています。

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架線柱と場内信号機は辛うじて残っていました。

現役当時の画像と比べて見ても、変わっていないのは大きな松の木だけ。
「樅ノ木は残った」ならぬ「松ノ木は残った」といったところです。
松の木は長寿だと聞きますし、百年後、この地区で七穂駅の現役当時を知る方が亡くなられた後も、せめてこの木だけは味方の南の地にかつて駅があった事を後世に伝えるしるべとして生き続けて欲しいと思うところでありました。

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