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2008年2月25日 (月)

人が人でなくなる事・マタンゴ

一定以上の年齢層に、「あなたのトラウマ映画はなんですか?」と問いかけると、
決まって名前の挙がるタイトルが一つ。
それが「マタンゴ」。
突然の嵐に遭遇し、名も知らぬ不気味な無人島に漂着した七人の男女を待ち受ける
恐ろしい運命を描いたジャパニーズホラーの古典です。
私はこの映画、未だ未見です。

「生きる為に人でなくなる事を選択せざるを得ない」

人が人でなくなる事。
自分が自分でなくなる事。

肉体的に自分の身体が自分でなくなっていく人を間近で見た、見ざるを得なかった
経験のある私には、この種のテーマは重過ぎるんですよね。

自分がもしそういう境遇に陥ったなら、その時己の身の処し方は如何にすべきだろう
か。日頃から考えているように、自分でいられるうちに「己の身を処す」事が出来る
のか。
それとも自分でなくなってしまう現実を受け入れ、諦観を持って、周りがどう思おうが
生き続ける事に執着してしまうのか。
ぬくぬくと暮らす日常の中では結論が出る事のない、その時になってみなければ
わからない話です。
そしてその時こそ、私の真の「ばけのかわ」が剥がれる時なのでしょう。

・・・とまぁ、当ブログの色にはあまり似合わない前振りをしつつ本日の本題。
書店で定期購読の雑誌をいつものように手に取り、ぶらぶらとレジへ。
その行きすがらで目に止まった、脊髄反射で思わず買ってしまった小説が一冊。
タイトルは

「マタンゴ 最後の逆襲」

前述の「マタンゴ」の後日談、それも製作会社の東宝から正式な許諾を得ての作品で
あります。

富士の樹海をめぐる都市伝説を解明せんと挑んだ七人の男女。その十年後、彼らの
身に起きる怪異。背後で蠢くのは裏の世界の魑魅魍魎・・・。

「マタンゴ」を映画の「人を襲うモンスター」ではなく、「発症してしまうと治療不可
能な奇病」に変えているのは今風の設定。食べずとも運が悪ければキノコのバケモノ
に変身してしまうのはかなり怖い・・・。

身体を覆う色とりどりの腫瘍とか、樹海でひっそり暮らすとか、日野日出志先生の噂
に聞く伝説的作品「蔵六の奇病」の主人公・蔵六のビジュアルや運命を連想してしま
ってうーむ、壮絶の他に言葉無し・・・。
恐らくは人としての自我をずっと保ったまま、その身体は人間の怒りも哀しみも全く意
に介さない(一切の感受性も、いや個としての意思すらも全く持ち合わせていない)
下等なイキモノに、彼らにとっての自然の営みである繁殖行為という形で犯し続けら
れて、永遠にキノコのバケモノとして生き続ける以外にない悲劇。
マタンゴを発症してしまったら、人間らしく「己の身を処す」事は出来なくなります
から。

この作品中でマタンゴを発症した男性陣は比較的諦観を持つのが早いのですが・・・
、人間、実際そこまで出来たイキモノじゃないと思いますけどね。
発症してから短期間でふためと見れぬ姿に変わってしまうので、アレコレ考えるヒマ
があまり無さそうなのがそうさせるのかもしれませんが・・・。
そうだとすればこの話の唯一の「救い」と言えるのかなぁ(自己犠牲も報われないし、
結末はああだし)。

さて私がこの小説で最も恐ろしいと感じた場面は、新進美人女優YUIの肉体に
起きる「変身」の一連。
ほんの一分前までは将来を嘱望され、周囲からその美しさを羨望されていたのに
ね・・・。
その美しさの源がアレの所為だったというのがまたなんとも。
人生で最も輝くときを迎えたその時、彼女は人間ではなくなっていたのですよ。

「女の子が醜い化け物になっちゃうフェチ」「美しいものを思う存分汚してみたい」
の方々には(;´Д`)なシチュエーションなのでしょうけど、人外(になりつつある
モノ)のバケモノに対して何のエロスを感じられない私には恐怖以外の何者でもない
ですな、マジで夢に出てきそうです・・・。

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コメント

「人外の着ぐるみを着て、集団で仲間に引き摺り込むべく襲ってみたいフェチ」です^^;


投稿: TO | 2008年3月 1日 (土) 11時53分

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