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2008年2月 9日 (土)

新潟交通電車線跡探訪その八・新大野駅跡

新潟交通電車線跡探訪・第八回は新大野駅跡。
新大野駅は東関屋駅から7.0km、黒埼中学前から0.5kmの地点にあり、手元にある平成9年(1997年)3月16日(電車線廃止の2年前)現在の時刻表には駅の電話番号が載っておりますので、この時点では業務委託の有人駅であったと思われます。
(ちなみにこの時刻表に電話番号が載っているのは東関屋、焼鮒越後大野木場七穂味方白根月潟の各駅) さて新大野駅は電車線東関屋-白根間開通の約一年二ヶ月後、昭和9年(1934年)6月15日に開業した停留所で、開業から廃止まで列車交換設備の無い棒駅でした。
駅は旧黒埼町の市街地の外れに位置しており、東関屋駅から続いていた市街地も当駅で一応の区切りとなり、ここから先は急激にローカル色が増して鄙びた情景へと変わってまいります。

新大野駅跡を最初に探索した2004年5月の時点では、駅舎・ホーム・レール・架線柱の四点セットが揃いぶみ。

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新大野駅駅舎の様子。
列車交換駅の焼鮒駅や越後大野駅のそれと比べて小さく簡素な造りの建物です。
内部立ち入り禁止なのは安全上防犯上当然の話ですが、やはり残念。

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木場駅方から見た新大野駅構内の様子。

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電鉄線と並走する路上から見た新大野駅構内。
駅前広場の駐輪場は形だけ残っていましたが既にボロボロ。


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黒埼中学前駅方から見た新大野駅構内。
駅名標の枠も残存していました。

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ホーム上から見た駅舎の様子。

2004年5月の訪問時、新大野駅のような棒駅で駅舎(待合室)が残存していたのは他に吉江駅跡のみ。
吉江駅は待合室のみの機能ですので、当駅のように有人のしかも棒駅が往時そのままに
残っているのは極めて貴重でした。

それから3年半後の新大野駅はこのような状態に成り果てていました。

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駅舎は解体されて跡形もなく、レールも剥がされていました。
また夜来の雨が廃路盤に溜まっているのが強烈に印象に残ります。
廃墟と澱んだ溜水という取り合わせは、廃墟の打ち捨てられたイメージを強調していて見ていて非常にやるせなくまた嫌な気分になります。
廃線なのですから当然の事とは言え、管理する人間も誰もおらず、周りからすっかり見捨てられている事の何よりの証なのですからね。

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廃線を眺めながら、新大野駅から木場駅に向かって歩きました、2004年5月撮影。

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2007年11月の同じ道行きでは線路は完全に撤去されて、架線柱が辛うじて残存という末期的状態。

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