« 祝CD化!狂劇ジキルとハイド | トップページ | F-15の余命はマジあと何年? »

2008年1月11日 (金)

新潟交通電車線探訪その五・焼鮒駅跡

新潟交通電車線跡探訪・第五回目は焼鮒駅跡。
現役当時は西蒲原郡黒埼町(現・新潟市西区)の所在で電車線東関屋駅-白根駅間開通(1933年4月1日)と同時に開業しました。
東関屋駅から4.2km、ときめき駅から0.6kmのところにあります。
東関屋駅を出発して最初の列車交換駅であり、且つ最初の有人駅でもありました。
駅名の由来は越後七不思議の一つからで、地名からではありません。
この駅は新潟地震(1964年6月発生)の際、電車線の駅の中で最大の被害を受けたとの事で、ホームや線路があまりの揺れに曲がってしまい、改修にそれなりの費用がかかるからか、完全な復旧までは行わずに廃止の日を迎えたようです。
また合理化施策の為か、1961年には請負人配置駅(今で言う業務委託駅の事でしょうか?)になっています。

焼鮒駅跡を初探索したのは2004年5月でした。

yakifunaold05
yakifunaold01
ときめき駅方から見た焼鮒駅構内の様子。
線路の分岐器もしっかり残っています。

yakifunaold02
越後大野駅方から見た焼鮒駅構内。
左側の建物が駅舎です。
東関屋駅跡を出発して初めての、ホーム2面に駅舎、架線柱がセットで残っている「駅」らしい構えや風情におぉ~っと心中どよめきが木霊したののを鮮明に憶えております。
対向式ホーム間を連絡する構内通路も実に良い感じ。

yakifunaold03
廃ホーム上から焼鮒駅駅舎を見る。
駅舎は人並み?に大きいので、ただでさえ短いホームは更に短小に見えてしまうのです。
廃止後五年を経過して流石に建物の劣化は否めないところ。
大地震に見舞われたら倒壊しそうな危うさを感じたものです。

yakifunaold04
駅舎の置かれている本線?側のホームから越後大野駅方を見る。
右隣のホームの待合室も手付かずで残っていました。

焼鮒駅跡を再訪したのは2007年10月でした。

yakifuna01
駅舎と待合室が撤去された焼鮒駅跡。
構内信号機は未だ健在。

yakifuna02
駅構内の原型はまだ辛うじて保っていました。

yakifuna03
左側の駅舎跡は既に整地されていました。
こうやって廃駅は刻々と姿を消していくのです。

yakifuna06
更地になった旧焼鮒駅駅舎跡の様子。

yakifuna04
ホーム端から越後大野駅方を望む。
この辺りはまだ往時の面影が残っています。

yakifuna05
越後大野駅方から見た焼鮒駅跡とその周辺の様子。
当駅至近に小学校があり(画像右側)、駅構内に容易に立ち入れる事から子供達の遊び場にもなっているのでしょうが、彼らの安全上の観点からもそろそろこの廃駅に引導を渡す時だったのでしょう。
ちなみに2007年10月時点の電車線廃駅で、現役時代の面影を留めていた(ホーム
・レール・架線柱の三点セットが残存)のは、記念物として綺麗に整備保存されている終点の月潟駅跡を除けばこの焼鮒駅跡が最後でした。

|

« 祝CD化!狂劇ジキルとハイド | トップページ | F-15の余命はマジあと何年? »

R008 新潟交通電車線廃線跡」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 祝CD化!狂劇ジキルとハイド | トップページ | F-15の余命はマジあと何年? »