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2007年12月22日 (土)

新潟交通電車線跡探訪その二・平島駅跡

新潟交通電車線跡探訪第二回は平島駅跡です。
東関屋駅跡から1.8km、東青山駅跡から0.8kmの距離に位置し、平成大合併以前の旧新潟市域(現・新潟市西区)に所在していました。
東関屋、東青山両駅跡が消滅してしまった現在、新潟交通電車線廃駅のうち駅の原型を留める最北の地なのがここ平島駅跡です。
平島駅は当時の新潟電鉄・東関屋-白根間が開業した昭和8年(1933年)4月1日に同時開業した、電鉄線最古参の駅の一つで、開業当時から廃駅まで一貫して「停留所」であり、列車交換設備が設けられない棒駅のままその生涯を終えています。

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廃駅から6年二ヶ月後の旧平島駅構内の東関屋駅方を見る、2005年6月撮影。
ホーム上には雑草も少なく、往時の面影を存分に残していました。
駅名標も枠はしっかり残存。

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旧平島駅構内の寺地駅方を見る、2005年6月撮影。
待合室は撤去されていますがその跡はこのように明瞭です。
ホームの白線も色褪せておらずくっきりと残っていました。

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廃駅から8年半後の旧平島駅構内の東関屋駅方を見る、2007年10月撮影。
前回訪問から2年4ヵ月経過していますが、その間急速に荒廃が進んでいました。

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雑草は駅名標の高さにまで成長しています、2007年10月撮影。

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ホーム端から東関屋駅方を見る、2007年10月撮影。

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東関屋駅方から見た旧平島駅構内、2007年10月撮影。
放置され、荒廃にまかせたままというのが、電鉄線廃止以来の周辺からの無視されっぷりを象徴しています。
市と会社の跡地譲渡に関しての話が着いていない以上仕方のない事なんですが、市街地の真ん中にこういう廃墟をいつまでも野晒しにしておくのはちょっとなァ・・・。
田舎の自然に帰りつつある廃駅は、形あるものいずれはすべて野に帰る生者必衰のあわれさが感じられて万感胸に去来しますけれど、この廃駅の周りは皆人工物、野に帰る術もないこのような廃駅は中途半端な防腐処理だけ施されて放置された木乃伊のようで不気味でさえあります。
早く介錯してあげて美しい思い出の中のみで生き続けさせてくださいと心より願う次第です。

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平島駅の廃墟のすぐそばにはこのように立派な道路があるのです、2007年10月撮影。
道路の交通量の多さとそのすぐ横の荒れるに任せた鉄道跡。
地方主要都市の中心部といっても良い地域でこのようなくっきりとした明暗。
色々考えさせられるのですよ。
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新潟交通電車線を偲ぶ遺構として特筆しておきたい、西川にかかる小さな鉄橋、2007年10月撮影。
かつて平島駅を出発したかぼちゃ色の小さな電車は、この橋をゴトゴトと渡って燕方面に向かったのです。

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橋の前後は安全対策から(廃線跡を遊び場にしている小中学生をよく見ました)立ち入れないようにフェンスを張られているのが玉に傷ですが、橋の規模には不釣合いな程に大きなコンクリート製の橋脚とリベット締めの無骨な錆色・・・。
開業当時からある橋なのかどうかは残念ながらわかりませんが、なんとも味のある風情であります。2007年10月撮影。

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