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2007年12月の記事

2007年12月26日 (水)

新潟交通電車線跡探訪その三・寺地駅跡

新潟交通電車線廃線跡・第三回は寺地駅跡。
寺地駅は西蒲原郡黒埼町に所在した(現・新潟市西区)駅で、昭和42年(1967)10月1日の開業。
「停留所」としての開業で、平島駅同様一貫して棒駅として廃止に至っています。
寺地駅は東関屋駅跡から2.8km、平島駅から1.0kmの地点にありました。
信濃川に架かる平成大橋と、国道8号-国道8号新潟バイパス-国道116号の結節点である新潟黒埼ICが至近にあります。 平島駅跡から県道で西川を渡り、かつての踏切跡を通って反対側の比較的新しい住宅街を望みながら廃線跡を進むことしばし、一組だけ残った架線柱をランドマークにした寺地駅跡が見えてきます。

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電鉄線跡と並走する路上から旧寺地駅周辺を見る、2007年10月撮影。

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旧寺地駅ホーム出入り口の様子、2007年10月撮影。

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駅に来た道とは反対側の路上から見た旧寺地駅の様子、2004年5月撮影。

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ときめき駅方から見た旧寺地駅構内、2004年5月撮影。
前述したように当駅は昭和42年の開業で、電鉄線の駅としては後発です。
ホームは基礎から伸びる小柱に支えられた素っ気無い作りのコンクリート製ですが、それが幸いして平島駅跡のような開業時期の古い、作りのしっかりした駅にありがちな雑草の跋扈する、小屋作りの待合室や駅舎の撤去跡も痛々しい荒涼とした感じは無く、隣接するときめき駅跡と共に、現役当時の面影を最も色濃く残しています。

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平島駅方から見た旧寺地駅構内、2004年5月撮影。
駅は宅地の只中にありますが、それにも関わらず赤字を重ね廃止のやむなきに至ったのです。

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前回訪問から3年五ヵ月に再訪した旧寺地駅の様子、2007年10月撮影。
この時点でも前回と大きな変化はありません。

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旧寺地駅の左横には、「寺地駅」が表記された上屋付きの駐輪場が健在でした、2007年10月撮影。
しかし今となっては使う人がいるのかどうか。

隣の平島駅跡は廃墟然として少々不気味な感じですが、ここ寺地駅跡は往時そのままのホームに立って東関屋側を見れば、今にも電車がガタゴトと走ってきそうな好ましいムード。
この駅跡などは市と会社の譲渡の折り合いがついた後でも解体せずに、電車の一両でも置いて地域の子供たちの遊び場並びに電車線のモニュメントにすればいいのに・・・と部外者の無責任な戯言ながら強く思うわけであります。

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2007年12月23日 (日)

恐怖劇場アンバランス「吸血鬼の絶叫」への遥かな道

いささか旧聞な話で恐縮ですが、去る8月下旬にDVD「恐怖劇場アンバラ
ンス」VOL.6がリリースされました。

「恐怖劇場アンバランス」アイキャッチ

「恐怖劇場アンバランス」は円谷プロが「怪奇大作戦」終了後の1968年夏か
ら翌年春までに全13本を製作した一話完結・一時間枠のホラー/ミステリー
シリーズですが、様々な理由から当初企図されたゴールデンタイムでのオン
エアは叶わず、1973年の1~3月の夜11時台にひっそりと放送されたと
いう曰くつきの作品であります。
これまで「通」なマニア以外にはその存在を知られる事もなかった不遇のシリ
ーズでしたが、「デジタルウルトラシリーズ」の隠し玉として全話晴れてDVD化
、その怪奇にして妖美不可思議な世界の全貌を我々の前に知らしめる事と
なった次第です。

さてこの「恐怖劇場アンバランス」ですが、その作品カラーは製作前半と後半で
世界観が全く異なるものになっております。
製作前半(製作第一話~第七話)はオリジナル脚本による、徐々にその色を
薄めつつも、「現代科学では解明できない」現代の怪談を志向した作品に仕上
がっております。
一方製作後半(製作第八話~第十三話)は原作付きの作品で、例えるなら昔の
土曜ワイド劇場の短縮版のようなムードの推理サスペンスに仕上がっておりま
す。
(その内の一本、奇々怪々な製作第十話「木乃伊の恋」は例外ですが)

私がこの作品の存在を知ったのは、特撮情報雑誌「宇宙船」vol.3での
怪奇特集を読んだ時でした。
モノクロの「レインコートを身に纏った白骨死体」のキャプションに
「吸血鬼の絶叫」、「口から血を流して横たわる絶命?した男」のキャプションに
「墓場から呪いの手」。
解説文には、
「ウルトラQは宇宙を志向していた点でホラーではないがアンバランスは・・・」。
もうね、このモノクロ写真とキャプションと解説文・・・これだけで私の幼心は
凄まじい恐怖と、怖いもの見たさの好奇心が渦を巻いて心底震え
上がりましたよ、いやマジな話。
特に「吸血鬼の絶叫」・・・、物心ついた頃から「強制的に化外のモノに変身
させられる」というシチュエーション(自我の崩壊、個の独立の抹消)に底無し
の恐怖心を抱いていた私にとって「血を吸われたら人間でなくなってしまう」
(強制性の象徴)吸血鬼という存在は心中に巣食う拭いきれない恐怖と
不安の具現化した存在なのでありまして、あの特集を読んでからしば
らくの間、恐怖心と不安感に苛まれて落ち着かない日々を過ごしていたのを
よく覚えております。

まぁしかし、自我が確立して現実世界と自分の内面世界にうまく折り合いを
つけられるようになると、吸血鬼、「吸血鬼の絶叫」という存在に対する感じ
方もおのずと違ってまいります(私的幼年期の終わり、もう一つの恐怖
「二度とはずれない仮面」に対しても以下同文)。
断片的に作品の内容を知るにつれ、恐怖と妄想の入り混じった好奇心
が渦を巻いて一人で盛り上がっていた青春時代、ビデオで製作第三話「死体
置場の殺人者」、第五話「死骸を呼ぶ女」そして前述の「木乃伊の恋」を見る
機会に恵まれましたが、お目当ての「吸血鬼の絶叫」を見る事は叶わず
(見た三本が面白くなかった訳では決してなく、「死体置場の殺人者」はテレビ
ホラーとしては私的に最恐作品ですけどね)、未練を引きずりつつトボトボと
歩んで参った今日この頃にございました・・・。

そんなこんなで迎えた今年の春、飛び込んできたビッグニュース!
「恐怖劇場アンバランス」待望のDVD化!!
全六巻のリリースで放映順そのままのカップリング(「アンバランス」は「ウルトラ
Q」同様に製作順と放映順が全く違います)、と言う事は最終巻vol.6は「吸血
鬼の絶叫」を含め未見のホラー作品三本の揃い踏みっ!
これはもう見ずして死ねるかっ! 幼少のみぎりより抱いてきた恐怖と妄想と
辛抱堪らん好奇心の乾きを癒せる日がこようとは・・・、まったくもって感無量
の心持にございました・・・!
そしてそれから数ヶ月、いよいよその日がやって来た! ついに長年の宿願の
叶う瞬間がやってまいりました!


 DVD恐怖劇場アンバランスvol.6のメニュー画面

満を持して再生ボタンオンっ! 
「主人公に杭を打たれて絶叫する吸血鬼」!
(「アンバランス」は本編開始前に、有名なナレーション「心臓の弱い方~」と
共にその回の世界観を端的に示すシーンが流れます)
吸血鬼キタ――――(゚∀゚)――――!! o(゚∇゚*o)(o*゚∇゚)o~♪

杭を打たれて絶叫する吸血鬼アイキャッチ

・・・今回は私の長年の思いの丈をぶち込んだ渾身の「吸血鬼の絶叫」
レビューをする予定だったのですが、暑苦しく語り過ぎた所為で紙面が尽きて
しまったようです。今宵はこれまでにしとう存じます・・・。
過ぎたるは及ばざるが如しってこういう事なのネ。

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2007年12月22日 (土)

新潟交通電車線跡探訪その二・平島駅跡

新潟交通電車線跡探訪第二回は平島駅跡です。
東関屋駅跡から1.8km、東青山駅跡から0.8kmの距離に位置し、平成大合併以前の旧新潟市域(現・新潟市西区)に所在していました。
東関屋、東青山両駅跡が消滅してしまった現在、新潟交通電車線廃駅のうち駅の原型を留める最北の地なのがここ平島駅跡です。
平島駅は当時の新潟電鉄・東関屋-白根間が開業した昭和8年(1933年)4月1日に同時開業した、電鉄線最古参の駅の一つで、開業当時から廃駅まで一貫して「停留所」であり、列車交換設備が設けられない棒駅のままその生涯を終えています。

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廃駅から6年二ヶ月後の旧平島駅構内の東関屋駅方を見る、2005年6月撮影。
ホーム上には雑草も少なく、往時の面影を存分に残していました。
駅名標も枠はしっかり残存。

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旧平島駅構内の寺地駅方を見る、2005年6月撮影。
待合室は撤去されていますがその跡はこのように明瞭です。
ホームの白線も色褪せておらずくっきりと残っていました。

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廃駅から8年半後の旧平島駅構内の東関屋駅方を見る、2007年10月撮影。
前回訪問から2年4ヵ月経過していますが、その間急速に荒廃が進んでいました。

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雑草は駅名標の高さにまで成長しています、2007年10月撮影。

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ホーム端から東関屋駅方を見る、2007年10月撮影。

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東関屋駅方から見た旧平島駅構内、2007年10月撮影。
放置され、荒廃にまかせたままというのが、電鉄線廃止以来の周辺からの無視されっぷりを象徴しています。
市と会社の跡地譲渡に関しての話が着いていない以上仕方のない事なんですが、市街地の真ん中にこういう廃墟をいつまでも野晒しにしておくのはちょっとなァ・・・。
田舎の自然に帰りつつある廃駅は、形あるものいずれはすべて野に帰る生者必衰のあわれさが感じられて万感胸に去来しますけれど、この廃駅の周りは皆人工物、野に帰る術もないこのような廃駅は中途半端な防腐処理だけ施されて放置された木乃伊のようで不気味でさえあります。
早く介錯してあげて美しい思い出の中のみで生き続けさせてくださいと心より願う次第です。

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平島駅の廃墟のすぐそばにはこのように立派な道路があるのです、2007年10月撮影。
道路の交通量の多さとそのすぐ横の荒れるに任せた鉄道跡。
地方主要都市の中心部といっても良い地域でこのようなくっきりとした明暗。
色々考えさせられるのですよ。
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新潟交通電車線を偲ぶ遺構として特筆しておきたい、西川にかかる小さな鉄橋、2007年10月撮影。
かつて平島駅を出発したかぼちゃ色の小さな電車は、この橋をゴトゴトと渡って燕方面に向かったのです。

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橋の前後は安全対策から(廃線跡を遊び場にしている小中学生をよく見ました)立ち入れないようにフェンスを張られているのが玉に傷ですが、橋の規模には不釣合いな程に大きなコンクリート製の橋脚とリベット締めの無骨な錆色・・・。
開業当時からある橋なのかどうかは残念ながらわかりませんが、なんとも味のある風情であります。2007年10月撮影。

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2007年12月 8日 (土)

新潟交通電車線跡探訪その一(東関屋駅跡)

新潟交通電車線跡探訪その一は、東関屋駅界隈です。

まずは起点の旧東関屋駅跡。
東関屋駅は昭和8年(1933年)4月1日に開業した列車交換設備と車庫を併設した、電鉄線の中枢駅の一つでした。
1992年(平成4年)に白山前-東関屋間が廃止され、当駅は電鉄線の起点としてその重要性は更に増したのですが、それから7年後の1999年4月に電車線は全線廃止されました。
やはりここが起点ではあまりにも不便。
路線バスとの乗り継ぎを円滑化するといっても、乗り換えを嫌う層はバスに逃げてしまうので効果が薄いのは素人目にも明らか。
起点の立地は実に重要なのを思い知らされる、そんな駅でした。

東関屋駅跡その一
東関屋駅構内は既に立ち入り禁止でしたので、全て路上からの撮影になりました、2004年5月撮影。

東関屋駅跡その二
東関屋駅跡その三
東関屋駅跡その四
構内の車庫は既に解体されていました、2004年5月撮影。
ホームと架線柱、レールは健在でしたが構内を更地にし始めるまであと僅かです。

東関屋駅跡その五
前回訪問から3年五ヵ月後、駅敷地は売却されて東関屋駅の痕跡は全く残っていません、2007年10月撮影。

東関屋駅跡その六
関屋分水に架かる関屋大橋の歩道、2007年10月撮影。
この歩道はかつての電鉄線の鉄橋を流用したものです。

東関屋駅跡その七
東関屋駅跡その八
関屋分水を越えた先の県道との立体交差部、上は2004年5月、下は2007年10月撮影。
ここから東関屋駅方に少し行った先にあった東青山駅は、2004年5月時点で撤去されていました。
線路敷地については有償譲渡を求める新潟交通側と、無償譲渡を求める新潟市側で廃止から八年以上経っているというのに未だ決着がついていない状態でしたから、この橋を撤去するとなると費用負担の主体は新潟交通だったのでしょう。
赤字に悩む会社としては中々踏み切れないところでしょう。
この後もしばらく放置されていましたが、2014年夏の時点では綺麗に整備されて遊歩道として有効に活用されています。
東関屋駅界隈から平島駅界隈まで、往時を偲びつつ歩いてみるのもまた一興。

東関屋駅跡その九
東関屋駅跡その十
県道との立体交差の後、平島駅跡に向かう線路跡、2007年10月撮影。
それまで色んなしがらみで手付かずだった廃線跡に大きく手が入り始めた時期でしたが、この辺りは線路もまだまだ残っていました。

東関屋駅跡その十一
このような小さな陸橋は全くの手付かず、2007年10月撮影。
すぐ隣を走る県道の交通量の多さと鉄路の廃墟とのこの落差・・・。
この地域にお住まいの方々も、こんな廃墟が近所にあったのでは何かと落ち着かない向きもあるでしょう。
早急に自転車道にでも整備して旧駅跡は公園や休憩所にでもして、有用な再活用の道を採っていだきたいと強く感じながら進む秋の道行きなのでした。

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