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2007年6月の記事

2007年6月28日 (木)

宮内駅(信越本線)

本日の駅紹介は信越本線・宮内駅。

2017年2月18日記、記事を全面リニューアルしました。

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新潟県長岡市に所在する有人駅で、明治32年(1899年)12月27日の開業です。
開業時の所在は古志郡宮内村で、同村の玄関駅でした。
宮内村は宮内停車場開業の約二年後の明治34年に周辺諸村と合併して新自治体の上組村になりましたが、新しい村の中核地域は旧宮内村だったようで、宮内駅の村の玄関駅としての顔に変化はありません。
上組村は永らく古志郡下の村として歩んできましたが、昭和23年に町制を施行して宮内町になり、この地域の発展上は頂点を極めます。
しかしそれも僅か6年の命で、昭和29年に隣接する中越地方最大にして新潟県第二の都市・長岡市に編入されて今日に至ります。

この地に鉄路を敷いた当時の北越鉄道の当初計画では、停車場は宮内地区では無く現在の前川駅付近に設置することになっていたそうです。
しかし停車場予定地区の反対運動で計画変更を迫られ、結局停車場の用地提供など積極的な誘致活動を繰り広げた当地区に目出度く設置という次第。
長岡-前川間の営業キロは5.6kmですが、当時の鉄道の駅間距離としては普通です。
当時の蒸気列車の加減速性能ならば、これぐらいの距離が妥当ということだったのでしょうか。
一方長岡-宮内間のそれは3kmで、これは当時の感覚ではかなり短めと申せましょう。
当局が宮内ではなく前川に停車場を置きたかったのも、この辺の事情からではなかったかと推察するところですが果たして?
そしてもし前川停車場が予定通り設置された場合、その後に建設する上越線は果たしてどんなルートを辿ることになったのか?
その場合は現在の越後滝谷駅は設けられずに、信濃川に沿ったルートになって妙見堤の手前あたりで現在線に合流する形になったのか、その場合は六日市地区に停車場が作られたのだろうかと、退屈しのぎに妄想してみたりするのです。

閑話休題、大正9年(1920年)に上越北線が当駅と東小千谷駅(現・小千谷駅)の間に開通し、地方幹線の分岐駅としての歩みを始めて一世紀近く経つ宮内駅ですが、上越新幹線開業前の在来線盛況時代においても定期優等列車の停車は皆無でした。
営業と運転における位置づけが正反対の駅の小典型と言えましょう。
2002年暮れから2015年3月まで運行されていた485系電車使用の快速「くびき野」は全便停車していて、現在(2017年2月)時点ではその残照と言うべき通称「糸魚川快速」が一日1往復停車しておりますけれど、この列車も来る3月改正で廃止が決定しています。
14年と四ヶ月の間、当駅構内に花を添えていた準優等列車が消え去った後は、土休日中心に運行される気動車快速「越乃Shu*Kura」が当駅につかの間の華やぎをもたらす存在になるのでしょう。

JR東日本によると宮内駅の2015年度一日平均乗車人員は924人。
同社新潟県内有人67駅中43位です。
街並みは長岡駅(一日平均乗車人員一万一千人強)から途切れることなく続いていて、駅の周辺人口も相当にあると思われ、また信越本線と上越線が乗り入れることから普通列車の本数もデータイム毎時二本程度が確保されていて利便性は高いのです。
にも関わらずこの数字は少々寂しい気も。
駅構内が巨大で堂々たる大駅の風格ですから、余計にそう感じてしまうのです。

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宮内駅駅舎と駅前広場の様子、2016年9月撮影。
1992年3月に完成した橋上駅舎で、駅構内に負けない立派な建物です。
こちら側は東口で、昔からの駅出入り口です。

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駅舎内部と駅前広場は2015年春に改修整備されており、駅前広場はロータリー化と送迎車の待機場の新設が実施されました。
今までは野ざらしだったバス停も上屋付きになっています、2016年9月撮影。
なお宮内駅前バス停には長岡中心部を循環運転する越後交通運行の「宮内循環線」が発着しており、前述の列車本数も合わせると長岡駅とのアクセスはすこぶる良好です。
この辺りならクルマを持っていなくても生活に不便は感じなさそうですな。
地方都市近郊では珍しい話です。

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駅前広場が整備される前の宮内駅前の様子、2009年7月撮影。
文字通りの「広場」でアクセントが無く秩序立ってもおらず、ひどく茫洋な風情でしたっけ。

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橋上駅舎の自由通路上から見た宮内駅東口の様子、2016年9月撮影。
画像中央の破線の円内が送迎車の待機場です。

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宮内駅駅前通りの様子、2016年9月撮影。
かつては列車の乗換えで、また商用で草鞋を脱ぐ人が多かったのでしょう、東口正面から駅前を通る県道の十字路までの十数mに旅館の看板を四軒程見出せました。

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宮内駅東口からすぐに行き当たる県道の様子、2012年6月。
古い商店が連なり、かつては賑わっていたであろうこの通りも、現在は商業エリアが1km先の地区に移ってしまっています。
そこには大型駐車場を持つスーパー、ホームセンター、蔦屋、中華レストランが。
駅前商店街の閑古鳥の鳴く風景とは正反対の、日曜の午前中で既に駐車場は車で埋められ、家族連れが楽しげに行き交うカジュアルでファニーな光景が展開されておるのです。

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この通りはノスタルジックな店々の佇まいがいい味を出しております。
年季の入った面構えの店の多いこと!
下の画像の「プラッシー」の看板を出しているシブすぎる店構えのお米屋さんや、上の画像のレトロ感溢れる倉庫を見た時は、生活感溢れる古物にゾクゾクする私は路上で小躍りしましたよ、いや、マジな話。


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宮内駅西口の様子、2016年9月撮影。
こちら側は住宅街に面していて、画像左側のゴミ集積所など日常生活そのままの風景です。
ちなみにここから300m程進むと来迎寺、小千谷、十日町方面への路線バスが走る県道に出るので、駅巡りを効率的に行いたい方にはお勧めのルートなのです。

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宮内駅構内から見た西口駅前の様子、2016年9月撮影。
ささやかながらロータリーになっているのがわかります。

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宮内駅駅舎改札口周りの様子。
上は改修後で2016年9月撮影、下は改修前で2012年6月撮影。
宮内駅東口の中心地区で、新潟県最古の蔵元である「吉乃川」も所在する「摂田屋」の街並みをイメージしたデザインに改修されたそうです。
見比べると、改修後の方が断然見栄えが良いのです。

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宮内駅橋上駅舎自由通路と待合室の様子。
上が改修後の2016年9月、下が改修前の2012年6月撮影。
待合室の上部が昔の商家風に変わっています。
この駅舎を設計したのはおそらくバブル真っ盛りの頃で、下の画の待合室のシースルーさがそれを反映していると感じられるところ。
この方が見方によっては「先進的」に映り、また防犯上も良いのでしょうけれど、今日は落ち着きやゆとりを求める時代に変わってきてますからねぇ。
上の画のようにしたくなるのも人情か。

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待合室内部の様子、2016年9月撮影。
内部は駅舎改修後も変化は無い模様。

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構内通路の様子、2012年6月撮影。

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1番ホームの長岡駅方から見た宮内駅構内の様子、2016年9月撮影。
このホームは上り用(水上、直江津方面)で、上越、信越両線の共用です。
上越線上りの大半、信越線上りの全列車が発着していて、宮内駅の五つの乗り場の中では最も活用されているホームです。

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同じく長岡駅方を見る、2016年9月撮影。

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1番ホームの越後滝谷前川駅方から見た宮内駅構内、2016年9月撮影。
画像右側の旧貨物側線らしきところには保線車両がよく停まっています。
なお駅構内のトイレは画像の橋上駅舎直下右下にあります。


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同じく越後滝谷、前川駅を見る、2016年9月撮影。
ハイモの車庫は連装と単装ですが、単装は線路も草生して使われていない感じ。

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1番ホームの駅舎出入り口付近の様子、2016年9月撮影。

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島式ホーム(2、3番線)越後滝谷・前川駅方から見た宮内駅構内、2016年9月撮影。
2番線は上越線の上り列車の一部が発着(撮影時は一日四本)、3番線は信越線直江津方面からの列車のほとんどが発着しています。

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2番線端から上り方面を見る、2016年9月撮影。

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島式ホーム(2、3番線)の上屋周りの様子、2016年9月撮影。
当駅はどのホームにも待合室はありません。

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島式ホーム(2、3番線)の長岡駅方から見た宮内駅構内、2016年9月撮影。
構内は有効長が長く、橋上駅舎の巨躯と相まって実に雄渾であります。
しかし構内は雑草が多く、またこのホームの遊休化したところは荒れるにまかせているので、退廃感漂う独特の雰囲気をも醸し出しているのです。

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使用頻度の少ない2番線長岡駅方面を見る、2016年9月撮影。
ここから先はホームの嵩上げもされていません。

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島式ホーム(4、5番線)の長岡駅方から見た宮内駅構内、2016年9月撮影。
4番線(左側)は当駅ホームの中で最も使用頻度が少なく、この撮影時では一日僅かに2本。
上越新幹線開通による上越線衰退、宮内駅構内余剰化遊休化の象徴のような乗り場であります。
5番線は上越線下り列車が発着していています。
現在の宮内駅でまともに活用されているのは1、3、5番線になります。

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島式ホーム(4、5番線)上屋周りの様子、2016年9月撮影。
駅名標を見ると、四番線は上越、信越下り両線から進入可能な配線になっているようです。

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島式ホーム(4、5番線)の越後滝谷・前川駅方から見た宮内駅構内、2016年9月撮影。
隣の2、3番線ホームと異なり、遊休化した部分も原型をしっかり保っています。
昔風の白線も健在でノスタルジーに浸れますです。

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橋上駅舎の構内通路から俯瞰で見た宮内駅構内、2016年9月撮影。
こちら側は長岡駅方の様子です。

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橋上駅舎の自由通路上から俯瞰で見た宮内駅構内、2016年9月撮影。
こちら側は越後滝谷・前川駅方の様子です。
線路の間の草生した空間も、かつては線路が敷かれていたのでしょうな。

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越後滝谷・前川方の踏切から見た宮内駅構内、2004年9月撮影。
取材目的で初めて当駅に降り立った時に撮った画です。

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前述のように新潟県内最古の酒蔵「吉乃井」の最寄り駅である宮内駅は、日本酒好きにはもう辛抱タマランであろう気動車快速「越乃Shu*Kura」の停車駅になっています、2014年5月撮影。
ちなみに私は酒にかなり強い方ですが、なかなか酔っ払わないのがつまらなくて、付き合い以外では呑まないことにしています。

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宮内駅1番線に到着したE129系電車直江津行、2016年9月撮影。
115系電車時代の三連がこの電車では二連にされてしまっているので、特に上越線は常に混んでいる印象です。
あれだと上越新幹線に逃げ込みたくもなるというもの。

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宮内駅2番線に停車中の115系電車越後湯沢行、2014年5月撮影。
前述したように2番線発着の列車はごく僅かで、それゆえこの画も希少と言えなくもない!?

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宮内駅1番線を出発したキハ110系気動車十日町行、2014年5月撮影。
当駅にこの車両が姿を見せるのは朝の二往復のみです。

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宮内駅5番線に停車中の115系電車長岡行、2013年6月撮影。
この電車は上越線の列車です。

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宮内駅1番線に停車中の115系電車直江津行と、3番線に停車直前の485系電車国鉄特急色の快速「くびき野」新潟行、2014年5月撮影。
土曜朝の風景ですが、三番ホームの人の多さは当時の「くびき野」人気をよく表しています。

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宮内駅1番線に停車中の485系電車国鉄特急色の快速「くびき野」新井行、2013年6月撮影。
新潟行と異なり、当駅からの乗車はごく僅か。

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宮内駅3番線から出発する485系電車R編成の快速新潟行、2016年9月撮影。
かつての「くびき野」同様に当駅からの乗車は多く、特急型電車を使用した快速列車の人気は根強いようです。
しかし前述のように、この列車も2017年3月改正で廃止です。
朝の新潟行快速の常連さんたちは今後どうするんでしょうか、ベンリでカイテキな上越新幹線に移るのかはたまた頻発運行の高速バスにするのか。

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宮内駅1番線を通過する485系電車T編成の特急「北越」金沢行、2014年5月撮影。

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偶然捉えた1番線通過の只見線用キハ40系気動車、2014年5月撮影。
午後の只見行に備えた小出駅への回送列車のようです。
どうせなら客扱いすればいいのにと感じるのは私だけでしょーか。
車掌の仕事が云々ならば、ワンマン扱いで有人駅のみ停車にすればいいでしょう。

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宮内駅4番線に停車中の485系電車改造のジョイフルトレイン「せせらぎ」、2006年9月撮影。
私はこの手の車両は好みではないので、積極的に撮ろうとは思いません。
これも1番線で列車を待っていた時に偶然捉えたものです。

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宮内駅と長岡駅のほぼ中間地点にあるJR貨物の南長岡駅(画像右側)、2005年9月撮影。
この駅の開業に伴い、宮内駅の一般貨物取扱いは昭和41年10月に廃止されました。

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2007年6月11日 (月)

北越急行ほくほく線・美佐島駅

本日の駅紹介は北越急行ほくほく線・美佐島駅。
1997年3月のほくほく線営業開始と同時に開業したトンネル駅で、しんざ駅魚沼丘陵駅間の赤倉トンネル(約10.4km)間にあり、新潟県十日町市に所在する無人駅です。

美佐島駅のホームはほくほく線定番の電車2両対応の短さ。
ホームへの立ち入りは列車停車時以外出来ないようになっておりまして、遠隔操作のドアで仕切られています。

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ゆえにホームの撮影はほぼ一発勝負・・・露出を計る余裕もありませんので、撮った画はこの通りトホホなモノに(泣)。

Misashima01  Misashima02

ホームからドアを通ると地上の駅舎への階段、その脇にはこれまたほくほく線無人駅定番サイズの待合室があります。券売機はありません。

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階段を上がり切れば、そこは小ぎれいな駅舎。
畳敷きにお茶のセルフサービスと、無人駅としては破格の設備を誇るという噂の地上待合室にはシャッターが下ろされ、

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「一部の人の悪質ないたずらにより、待合室内の畳、床が焦がされてしまいました。その他、備品の破損が多いため、しばらくの間待合室の使用を見合わせます」

との張り紙が。
管理しているのは十日町市建設課のようです。
後述する連中のマナーの悪さ一つとっても、有料にでもしない限り地上待合室の使用再開は無理でしょうね。

外から見た美佐島駅駅舎は公民館のような佇まいで、なかなかシブいデザイン
です。
駅前を通る県道を左に少し行くと、立○佼○会の大きな建物があります。
この日は大きな行事があった模様で、バスが数台止まっており、信者が数人、デジカメを構えるこちらを訝しげに見ておりました。
監視されているような少々危険な雰囲気を感じて、わたくし情けなくもそそくさと退散のヘタレっぷり。
それ以外の建築物は東北電力?の鉄塔と施設のみで人家は絶え、流石は秘境駅の一つに数えられる・・・と言いたいところですが、駅設置があの宗教団体の働きかけであり、地元の方々の公共交通の利便性確保という鉄道本来の趣旨ではないせいか、非常に人工的な匂いがして私の好みではないですね・・・。
秘境駅はもっと生活臭がないとグッときませぬ・・・。

Misashima06  Misashima07  Misashima08

あまりゾッとしない周辺の探索は早々に切り上げて、帰りの電車を待ちます。
電車が到着、ドアが開きぶっつけ本番でホームの画を撮り、ワンマン電車の乗車用ドアへ。
ドアの車内側には脂ギッチュなおやぢどもと厚化粧のばばぁどもが固まってます。
まさかなと思う私でしたが、ドアが開くとそのまさか。
乗車専用ドアだというのに、おやぢとばばぁの団体が例外なく奇妙な薄ら笑いを浮かべながら、乗車しようとする私を押しのけてドヤドヤと・・・。
降車用のドアからもドヤドヤ。
行事参加の立○佼○会の信者なのでしょうが、何、あのマナーの悪さは・・・。
もう絶句してしまいましたよ。
あれで宗教を信仰してるんだもんね、開いた口がふさがらねーとはこの事。
あんな連中が地上の待合室を使えば、色々な事が起きるのも当然でしょうね。
まぁ、この信者にしてあの宗教ありってとこでしょうか、お里が知れるぜまったく・・・日本の宗教団体は皆あんなモンだと思うけどさ。
己を律するとか、信仰に向き合う上でのそういう基本的な部分が欠落しているんだよね。
そうじゃなきゃ皆が皆あんなにデブで脂ギッチュなわけがないし。
我が家の近所にも宗教ずーっとやってる人いるけど、摂生という言葉を知らん人だもんね。
ブクブク太って糖尿病で足が悪くて、それでも甘いモノがやめられなくて、病気の快癒は偉大なる教祖サマへの献身でどーたらこーたら・・・。
なんぢゃそりゃあ(呆)。

・・・新興宗教団体の話になると経験上頭に血が上ってしまってどうも遺憾。
このまま続けると暴論連発しそうなのでしばし冷却、今宵はここまでにしとう存じます。

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2007年6月 7日 (木)

FXはF-15かタイフーンか

次世代戦闘機導入を推進中の日本政府が、先端戦闘機であるユーロファイターを
製造する ヨーロッパ最大防衛産業体BAEシステムズと購入協議を始めたと
ファイナンシャルタイ ムズ(FT)が1日、報道しました。

以前のエントリーで書いたように、反米親北にもかかわらず米国最新鋭ステルス
戦闘攻撃機F-35を売ってもらえるつもりでいるウリナラさんたちにとっては

「ウリナラ一流(F-35)♪ チョッパリ三流(タイフーン)♪ ウリナラマシンは
えふさんごー♪(ホルホルホルッ)」(カステラ一番電話は二番♪三時のおやつは文◯
堂~♪のメロディでどーぞ!)

ウリナラ空軍史上初、次期戦闘機競争においてこざかしいチョパーリに初めて完全
勝利を収めた! 美国に見捨てられたチョパーリはステルス性が無く生まれながら
にして旧式なタイフーン、ウリナラは最新鋭世界最先進戦闘機F-35!! 
これは美国がウリナラをいかに重要な頼りになる同盟国と見ている何よりの証!!! 
ウリナラサイコー!!!!ウリナラナンバーワン!!!!!

・・・などとモニターの前で狂喜乱舞する、ウリナラの軍ヲタネチズンの姿が私の
の心眼に見えましてごさりまする・・・。
韓国マスコミでも「日本に勝った!」という意識があるので、日本のマスコミに先駆
けて報じているんでしょうね。
我が国だって、ファントムの退役時期をもう少し遅らせる事が出来ればF-35が
現実的に見て最有力候補になると思いますが、そうもいかないのでタイフーンだ
F-15FXだと言っているわけでして・・・。
ファントムとF-5E/Fが老朽化で墜落事故続発になっても、後継機導入まで
だましだまし使うつもりのウリナラ空軍とはその辺の意識が違います
ので・・・良し悪しは別にして民族性の違いでしょうかね?

さて、この報道が事実ならば、我が国政府もF-22導入は無理と考えていると
見てよいのでしょうか。
そして次善の策としてはF-15FXかタイフーンか。
空自の現場的には教育訓練、保守整備の観点から見て当然F-15FXなので
しょう。
しかしギョーカイとしてはいまさらの感のある、新技術習得にも大して役立たない
イーグルよりは明らかに一世代進んだ設計と技術のタイフーンのほうが旨みが
大きいでしょう。
また技術移転云々の話が出ているからには、タイフーンの導入形態は輸入では
なくライセンス生産。
ファントム後継としてだけ考えるのであれば導入機数は50~60機。
ライセンス生産は100機以上でないと費用対効果が悪いと言われておりますの
で、近代化改修に不適で機体寿命にはまだ余裕があるものの、第一線の戦闘機
としては既に旧式化しつつあるF-15preMSIP型の退役時期を繰り上げて、
タイフーンで代替を図るのでしょうね。
F-15preMSIP型の実戦部隊3個飛行隊所要は予備機込みで70~80機程度
ですので、ファントム後継分と合わせて120~140機。
これを今次防最終年の7機を皮切りに次々々期防最終年度あたり(2025年)
まで予算を付けてライセンス生産が良いのかなぁ、ギョーカイのお仕事的にも
preMSIP型の減価償却その他の面倒なお話的にも。
年平均の予算付けは7.5機~8.75機になりますが、生産時期の恐らく
2/3はF-15MSIP型の近代化改修と重なりますから、ギョーカイのマンパワー
の点から見てこのぐらいの年平均生産機数が妥当でしょうか。

残る問題はアメリカ様の意向と日本国内の政治情勢。
アメリカ様は商売的に見ても日本の軍事航空技術が米国の掌から離れる事を決し
て許さない点から見ても、タイフーン採用には相当の圧力をかけてくるかもしれま
せん。
お宅がF-22を売ってくれないからこうなるんだぞと言ったところでアメリカ様が
ハイそうですかとおとなしく手を引くはずもなく、F-15FXを猛プッシュしてくるで
しょう。
「タイフーン採用は日米同盟に深刻な影響を及ぼす懸念有り」とか何とか「米政府
高官」や「米政府筋」の発言として報道させれば、松岡農水相の疑惑だらけの自殺
や年金問題などの内政要因でアップアップの安倍政権にとっては看過できない話
になります。
外交の基軸である日米同盟関係において米国の不興を買えば政権は四面楚歌、
とても持たないでしょうからね・・・。

政権の維持運営上、どうしてもF-15FXを採用せざるを得ないのであれば、バー
ターとしてF-15preMSIP型の後継機にF-35の空自仕様(要撃戦闘強化型)
ライセンス生産導入、それも大幅な技術移転込みでとアメリカ様に確約させる
ぐらいの事を吹っかけて欲しいのですが、そこまでの度胸が果たして我が国
政府に・・・?

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2007年6月 4日 (月)

トラウマな、海賊野郎だバッカニア

隔月刊の軍用機本「世界の傑作機」、最新号No122は「ブラックバーン・
バッカニア」。
英国海軍空母用ジェット攻撃機として1960年代初めから配備が開始され、新型
攻撃機開発キャンセルその他のゴタゴタで攻撃機難の英国空軍も60年代末
から配備を開始して湾岸戦争にも実戦投入され、1994年にハッピーリタイアの
戦後開発された英国作戦機中、キャンベラ爆撃機、ハンター戦闘機、ハリアー
攻撃機と並び立つ傑作機であります。

私は英国海軍艦及び艦載機にハァハァな人間ですので、今回のバッカニアに
はまさに狂喜乱舞、ロイヤルネイビー独特のエクストラダークシイグレイに身を包
んだバッカニアの空母運用写真なぞは涎を垂らさんばかりの興奮にございます。
バッカニアに限らず戦後開発の英国軍機って、米国機のモダニズムを突き詰めた
機能美とは対照的な、どこか野暮ったい人間臭い味(人によってはゲテモノ臭とも
言う)があっていいんですよね~。
バッカニアにしても、そのコンセプトは世界初、設計段階からの「超低空高速侵入」
という当時世界最先進のモノでしたけど、出来上がった機体は英国人独特の感性
や手法が入った好き嫌いのはっきり分かれそうな、重厚だけどエキセントリックで
どこか野暮ったいフォルム・・・。
だが私にはそこがイイ! 根性曲がりで何かにつけ独自の解釈やアプローチ
を取りたがる私にはああいう独特の信念に基づく英国人気質丸出しの造形
物が見ていて非常に心地良いんですなぁ、類は類を呼ぶってヤツ?

艦艇でも空母アークロイヤルの、英国流の独特な形状をしたレーダー類をそそり立
たせた中世の古城のごときクラシックなアイランドや対潜フリゲートとして大いに名
をなしたリアンダー級の大英帝国華やかなりし頃の植民地警備艦を連想させる佇ま
いなんてぐっときますし、戦車でも機動性能は列国戦車中最悪、反面火力と防御力
は最強という「動きは鈍いが凶悪な」コンセプトのチーフテンやチャレンジャーが
好みです。

さてこのバッカニア、開発の目的は当時伸張著しいソ連海軍に対抗するために
超低空で海上を高速侵入し、核爆弾を敵艦に投げつけるといういささか乱暴な
ものでした。
核爆弾の他にも、射程5.5km(短っ!)の核弾頭付き対艦ミサイル搭載を
想定するなど(このミサイルはキャンセルになりましたが)、現代の我々の目か
ら見れば正気の沙汰とは思えない攻撃パターンを想定しておりました。
洋上超低空を時速約1,000kmで侵入、目標まで約5.5km地点で機体を引き
起こしトス・ボミング、核爆弾投下。
炸裂までの時間的余裕が僅少で(空中爆発ではアフターバーナーの無いバッカ
ニアは安全ゾーンまで逃げ切れない気がしますが・・・。
海面に着水後、波間にしばらくプカプカ浮いてタイマー爆発とかなのかなぁ・・・
それならバッカニアでも逃げ切れそう)、洋上では陸上でのソレのように遮蔽物
(地形)を利用して逃走する事もできません。
かなり危なそうな攻撃パターンではあります。

核爆弾を使用しない場合、今日のような長射程・シースキミングな対艦ミサイルな
ど影も形もない当時では、ロケット弾攻撃が唯一のスタンドオフ攻撃かと思います
がそれにしたって射程は数キロ。
敵艦も今日のような超低空探知能力を持つ対水上レーダーなど持っておりません
から対戦条件はイーブンだとしても、近接信管付きの中口径弾がレーダー管制で
撃ちかけてくる中で予想される損害に引き合う戦果を期待できるのか、成算をど
の程度置いていたのか興味があります。
(当時の原始的な艦対空ミサイルシステムでは低空目標の捕捉は不可能と思わ
れるので無視しても構わないでしょうけれど)

突出した超低空高速侵入能力を持つバッカニアだからこそ期待できる攻撃パタ
ーンなのか、バッカニアほどのそうした飛行性能を持たない当時の米海軍攻撃機
(A-1スカイレイダーやA-4スカイホーク)が、ソ連戦闘艦に対する対艦
攻撃についてどの程度の成算を得ていたのか、シースキマー登場以前の対艦
攻撃の実際について大いに知りたいところであります。

バッカニアに関して私的に欠かす事の出来ないエピソードが、エアフィックス
のプラモデル、そして海外製プラモに対する強烈なトラウマ・・・。
かれこれ十年ほど前でしょうか、地元の模型店に「バッカニアS2B」のプラモ
デルがそっと置かれていたのに脊髄反射した私は勇んで即購入!
S2Bは空軍型だけど誰に見せるもんじゃなし、エクストラダークシーグレイに
塗って適当にロイヤルネイビーのデカール貼って、手持ちのフジミ製ロイヤル
ネイビーファントムFG.1と並べて一人ホルホル♪っと洒落込もうと思った
のですが・・・。
箱にぴっちり貼られたビニールを毟り取って未だおぼこな生娘状態のバッカ
ニアとご対面。
早速パーツの仮組みを始めたところで・・・んっ! なにぃ!!
・・・主翼の上面パーツがない・・・!
・・・もうね、落ち込みましたよ、大ショック・・・。
日本のメーカーなら部品請求すればいい話ですが、バッカニアは海外製。
もうどうしょうもないっす・・・。明らかに相手のミス、不良パッケージングなのに
泣き寝入りの他なし。

エアフィックス1/72「ロッキードF-80C」と「ホーカー・シーホーク」
バッカニアでババを引く以前にゲットした、エアフィックス製ロッキードF-
80Cとホーカー・シーホーク。ここまでは良かったんだけどなぁ・・・。

しかしまぁ、いつまでも落ち込んでいてもせんない事ですし、ここはゲン直しとい
う事で、それから幾らもしないうちにこれまた私が大好きなミラージュ3
(エレール製)をゲットして仮組み・・・
んっ! ナニぃ!!・・・左右分割の胴体の合いがメチャクチャ・・・。
機首に合わせるとエンジン部分で左右のパーツのズレが1cmもある!
パーツの軸線が最初から狂っていて、パテで修正なんて次元の問題ではない
っす・・・。
これ以来海外製プラモは全く信用出来ず、完全にトラウマっす・・・。
ドイツレベル社製のD.H・シービクセンやホーカー・ハンターなどよだれじゅる
じゅるモノのキットを見つけても、バッカニアとミラージュの悪夢が脳裏によぎっ
て手が出せませぬ・・・、¥4,000近く出して買ったらまた不良品でした
じゃあ洒落になりまへん。
そんなこんなで、私の海外製プラモトラウマの元凶なのがこのバッカニア
なのであります。

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2007年6月 2日 (土)

羽越本線・府屋駅

本日の駅紹介は羽越本線・府屋駅。

2016年3月6日記、大幅リニューアルを実施しました。

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新潟県村上市に所在する新潟県最北の駅で、開業は大正13年(1923年)7月31日。
開業当時の所在は岩船郡大川谷村で、同村の玄関駅でした。
大川谷村は昭和30年に周辺諸村と合併して岩船郡山北村となり、府屋駅は新しい村の玄関駅になります。
山北村は発足十年後に町制を施行して山北町になり、県北の町として独特の存在感を発揮していましたけれど、平成の大合併の嵐の中で2008年に
周辺諸町村と共に村上市と合併してその最北地域となり現在に至ります。

ここ府屋の地は陸路不便の地で、岩船地域の中心地で城下町でもある村上へは海岸沿いの道無き道を辿って一日がかり。
それゆえに交通の主力は必然的に船になりますが、この地は港の整備も遅れていて山形県・加茂と新潟県・松ヶ崎を結ぶ定期便は府屋の沖合に停船し、ハシケを使って乗下船していたそうです。
海がちょっと時化ればそんなアクロバティックな手段も取れませんし、当時の地域の方々のご苦労お察しします。
そんな状態が大正後半まで続いたのですら、鉄道が開通し府屋駅を初めとした海沿いの諸駅開業は、まさに革命的な出来事であったのだろうと思います。

自治体の玄関駅として歩んできたこの府屋駅ですが、その立ち居地は準急列車の停車駅止まり。
上越新幹線大宮暫定開業前に当駅に停車していた優等列車は、元準急の気動車急行「羽越」二往復のみ。
特急「白鳥」「いなほ」はもちろんの事、真の意味での急行列車である「きたぐに」「しらゆき」は通過です。
夜行列車の「日本海」「天の川」「鳥海」も全て通過です。
上越新幹線開業に伴うダイヤ改正で、羽越本線の新潟-秋田間の昼行急行が特急に格上げされると、ようやく府屋駅にも特急が停車するようになりました。
しかし特急列車の停車駅としては格に欠けさほどの需要も見込めないと判断されたのか、昭和60年春の上越新幹線上野開業ダイヤ改正でも、特急「白鳥」「いなほ」計七往復中、当駅停車は三往復のみ。
定期の昼行特急が全便停車するようになったのはJR以降後の話で、「白鳥」は廃止されるまで当駅通過では無かったかと思います(あやふやな記憶なので、知っている方ぜひご教示ください)。

府屋駅の2014年度一日平均乗車人員は98人で、JR東日本新潟支社新潟県内有人67駅中最下位です。
JR東日本管内の定期特急停車駅多しと言えども、有人駅としては当駅が最も利用が少ないのではと思われます。
2005年度が184人だったので、約十年で半分近くに減ってもいます。
当駅には最寄の高校が無く、他地域からの入り込みがない為に地域の人口減、学生減がそのまま駅勢の縮小に繋がっているようです。

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府屋駅駅舎の様子、2010年6月撮影。
往年の国鉄標準型というべき横長の建物です。
建築財産票によると完成は昭和40年3月。
経年から見て、近い将来改築の話も話題に上るでしょうけれど、
その時は有人維持か否かを含めた抜本的な発想の転換が必要かもしれません。

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府屋駅駅舎内の様子、2010年6月撮影。
利用状況は残念ながら芳しくない府屋駅ですけれど、待合室の居心地は上々です。
特急停車駅の持つある種の頼もしさを持ちつつ、ひたすらひたすらのんびりしてます。

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府屋駅駅舎の構内側の様子、2013年5月撮影。
当駅のトイレは構内にしかないので、列車がこない時間帯に利用したい場合は駅員氏に一声掛けましょう。

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1番線の鼠ヶ関駅方から見た府屋駅構内、2013年5月撮影。
こちらは新潟方面乗り場です。
構内は二面三線の典型的スタイル。
駅舎及び跨線橋周り以外に構造物が無く、さらに鉄道隆盛時代の産物でホーム有効長が大きいので、構内は実際以上に大きく見えます。

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1番線の勝木駅方から見た府屋駅構内、2013年5月撮影。
右側に見えるのは旧貨物引込み線と貨物用ホーム跡。
当駅の貨物取り扱い終了は比較的遅く、国鉄貨物が拠点式に移行した昭和59年との事です。

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1番ホーム端から勝木駅方面を見通す、2013年5月撮影。

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府屋駅跨線橋内の様子、2014年7月撮影。
天井の形状は国鉄時代の標準的なものですけれど、通路の幅は近隣の諸駅よりも幾分広く、この辺は準急停車駅の格と申せましょうか。

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跨線橋上から勝木駅方面を望む、2013年5月撮影。
皐月の青空とエメラルドグリーンの海と白波。
当駅最大のお勧めが跨線橋上からの眺めの素晴らしさであります。

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同じく鼠ヶ関駅方面を望む。

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島式ホームの鼠ヶ関駅方から見た雨中の府屋駅構内、2014年7月撮影。
こちらは酒田方面乗り場になります。

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島式ホーム端から鼠ヶ関駅方面を見通す、2014年7月撮影。
見通すと言っても、線路は右に大きくカーブしているので視界はすこぶる悪し。
またこのカーブのために、この先にある踏切からの駅構内観察が出来ないのが私にとっては残念無念であります。

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府屋駅島式ホーム上の待合室の様子、上は2013年5月、下は2014年7月撮影。
当駅の利用状況からしてメインは対新潟方面であり、需要のずっと小さい酒田方面乗り場のこの待合室で列車を待つ人はあまりいないでしょうね。
それゆえか室内はこのような状態。

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中線の2番線と駅舎構内側の様子、2014年7月撮影。
府屋駅の2番線は定期旅客列車発着には使われていません。

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島式ホームの勝木駅方から見た府屋駅構内、2014年7月撮影。
長大に見えるとはいえ、どことなく華に欠ける風情は、やはりこの駅のそもそもの位置付けが準急停車駅であることの証と言えるかも。

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かつては何本かあったであろう側線も、現存するのは一本きり。
2005年3月撮影。

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島式ホーム端から勝木駅方を見通す、2005年3月撮影。
手前に見える棒には「10」の数字が。
当駅のホーム有効長は10両のようです。
そうだとすれば、往年の食堂車込み12両フル編成の「白鳥」「いなほ」は停車してもホームからハミ出してしまいます。
当駅に停車するようになった当時の「いなほ」は9両編成だったのでギリギリというところ。
それ以前の気動車急行「羽越」は3~4両編成でした。

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府屋駅1番線に到着したキハ40系普通列車村上行、2013年5月撮影。
18きっぱーのいない平時の土休日は、二連でもガラガラなのが現実。

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日曜日の雨の夕方の府屋駅3番線に到着したキハ40系気動車酒田行普通列車、2014年7月撮影。
下車したのは両手で数えられるほど、乗車はゼロでした。

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府屋駅3番線に停車中の485系電車R編成の特急「いなほ」秋田行、2006年3月撮影。

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府屋駅ですれ違う上下の485系電車T編成の特急「いなほ」、2013年5月撮影。

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雨の府屋駅ですれ違う上下のE653系電車特急「いなほ」、2014年7月撮影。
E653系に乗ったのはこの時が初めてでしたが、日曜の午後で自由席はギッシリ満員。
その状態だと485系よりも窮屈に感じられて、冴えない雨模様の車窓もあって印象はあまり宜しくありませんでした。

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特急並みの速度と車内に指定券で乗れる、お値打ち品の快速「きらきらうえつ」が府屋駅一番線に入線、2014年7月撮影。
撮るには魅力無しでも、移動手段としてはとても良い列車ですな。

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府屋駅前の様子、2013年5月撮影。
駅前には新潟交通観光バス運行の路線バスが乗り入れていて、鉄道関連では勝木駅方面に羽越線以上の便数があります。
県境を越えて鼠ヶ関方面へは、バスが廃止されて十年以上経っており、鉄道以外では歩く他ありません。
私が歩いた記録はこちらをご覧ください
当記事と一部内容や画像がダブっていますけれど、それは当記事のリニューアルゆえの事情なので何とぞご容赦を。
この府屋-鼠ヶ関間は例の「路線バスの旅」でも、台風の迫る中で一行が懸命に歩いていましたっけ。
途中で蛭子さんのパチンガス炸裂の為に、府屋駅前から村上方面への最終バスに乗り遅れて、それが原因で新潟市万代橋のゴールに辿り着けなかったという強烈なオチでしたね。
駅前には特急停車駅に相応しくタクシーが待機中。
画像右側のヤマザキショップは駅至近唯一のちょっとした買い物スポットだったのですが、この時点で既に閉店してしまっていました。
現在はどうなっているのやら。
食事処は駅付近にありますけれど、買い物となると府屋中心部入り口にあるAコープか海岸沿いの国道345号線を東に進んだところにあるスーパーへ
行く他なし。

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路線バス勝木営業所行が府屋駅前を出発、2013年5月撮影。
このバスに最初に乗った2005年頃は新潟交通の標準サイズの古ぼけたバスだったのですけれど、近年はこの中型車に更新されたようです。

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府屋中心部への入り口、2006年11月撮影。
人口七千人を擁する旧山北町の中心部入り口でもあります。
しかしながら銀行とAコープの他は個人商店が散見されるだけの、ひっそりとした佇まいでありました。

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駅前通りから海岸沿いの国道へ行く陸橋上から府屋駅方向を見る、2013年5月撮影。
右手の道路が国道345号線。
羽越線電化以前の蒸機末期の写真に国道がよく映りこんでいますけれど、現在とは比べようも無く貧弱な悪路ですな。
よくもここまで整備したことよと感嘆することしきりなんであります。

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春の日本海の美しい眺め、2013年5月撮影。

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府屋駅周辺の見所といえば外せないのがここ。
旧国道と羽越線の廃トンネルです。2013年5月撮影。
旧県道のトンネルは通行止めになっていました。

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昭和57年に現在線に切り替えられたかつての羽越線の廃トンネルです。
2013年5月撮影。
トンネル内部は資材なのかゴミなのか区別が付かないようなものの置き場になっていました。

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小さな入り江と港と三本のトンネル。2013年5月撮影。
左から旧羽越線、旧国道、現国道です

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自然に還りつつある廃トンネル、2013年5月撮影。

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こちらは架線柱がまだ残っていました、2013年5月撮影。
このまま野に還るには惜しいこの廃線跡、整備して府屋-勝木間の遊歩道にすれば・・・などと考えるのはナントカの浅知恵なんでしょうなぁ。

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E653系いなほ羽越路を往くか!?

山形県と新潟県が共同設置したJR羽越本線の高速化と地域活性化検討委員
会(委員長・家田仁東京大大学院教授)は28日、第4回会合を鶴岡市の東京
第一ホテル鶴岡で開き、最終報告書案をまとめたそうです。最適とした新潟駅
の上越新幹線と羽越本線を同じホームで乗り換えられるようにして、カーブ部分
を緩やかにするなど在来線を改良する方式の総事業費は204億円と試算との
事です
→http://www.yamagata-np.jp/newhp/kiji_2/200705/28/news20070528_0348.php。

北陸新幹線・長野-金沢間開業による対北陸需要の消滅から生じる上越新幹
線県内区間の閑散化・枝線化問題・・・通称「2014年問題」への対策として検
討されてきた、羽越線の高速化による山形県庄内地方へのアクセス強化の方
向性がようやく定まってきましたが、今回の最終報告案、県財政の逼迫を踏ま
えてリアリズムに徹したものになっております。

上越新幹線とのホーム対面乗換えは新潟駅高架化事業(2015年供用開始
予定)に乗っかったものですし、車両は新造ではなく他線区からの転用。
新潟-酒田間には単線区間が63.5km(当該区間延長168.2kmの約
37.8%)残存していますが、その解消は図られずに山形県新潟県境付近
で概成している新トンネルの活用についても先送りだそうです・・・。

羽越線高速化沿線自治体の人口は下記の通り。

新潟市   809,803人  
新発田市  103,610人
胎内市    33,309人
荒川町    11,225人
神林村    10,103人
村上市    30,649人
山北町     7,243人
鶴岡市   143,983人
庄内町    24,495人
酒田市   116,694人

また特急「いなほ」停車駅の一日当たり乗車人員は下記の通り。

新潟駅   (新潟市)  37,050人
豊栄駅   (新潟市)   3,184人
新発田駅  (新発田市)  4,520人
中条駅   (胎内市)   1,368人
坂町駅   (荒川町)     845人
村上駅   (村上市)   1,978人
府屋駅   (山北町)     184人
あつみ温泉駅(鶴岡市)     218人
鶴岡駅   (鶴岡市)   1,449人
余目駅   (庄内町)     647人
酒田駅   (酒田市)   1,793人

人口28万5千人で特急停車三駅の一日当たり乗車人員合計が3,900人強
の山形県庄内地方。決して多いとは言えない地域人口を考えれば今回の最終
報告案も落ち着くところに落ち着いたと言えましょうが・・・。

車両は転用となると、現在営業運転中の交直流型特急電車がその対象になり
ます。
候補は現在常磐線で活躍中の651系とE653系の二車種。
651系は1989年に営業運転を開始していて、羽越高速化の2015年には
車齢26年、仕様が耐寒非雪構造の為に羽越線投入に際しては耐雪化改造
が必要で、残余車齢を考えると費用対効果のバランスが悪いです。
E653系は1997年に営業運転を開始、羽越高速化時の車齢は18年。
他線区への転用を考慮して耐寒耐雪構造になっているとの事で、基本編成短
縮(需要を勘案して現在の7両→6両に変更でしょう)改造のコストも残余
車齢の若さを考えれば吸収できるでしょう。よってこちらが本命かと思います。
北陸新幹線・長野-金沢間開業時のダイヤ改正時、常磐特急に651系と
E653系共通の後継特急電車を新造投入し、651系は波動輸送用に転用し
てE653系は基本編成短縮化改造の上、羽越線に暫定投入。
それにより現在「いなほ」と新潟-金沢間運転の「北越」に運用中の485系
リニューアル編成は新潟-上越間に設定されるであろう新幹線接続快速列車
専用とし、老朽化の目立つ485系未リニューアル編成は廃車というのが想定
される車両関係の筋書きかと考える次第です。

さて、羽越高速化に関連して疑問に思うのは陸羽西線(新庄-余目間)と
羽越線(余目-酒田・鶴岡間)をミニ新幹線化して、対東京以外に山形県内
主要都市連絡用として位置付けて、改めてできなかったものかということです。
高速化と所要予算のバランスを考えれば、高速運転区間の長い上越新幹線と
高速化に際し、既にある程度のインフラが整備されている羽越線の組み合わせ
が妥当なのでしょうけれど、山形県の県土軸整備充実の観点から言えば、県の
主要都市を縦走する山形新幹線酒田延伸のほうが・・・。
(羽越高速化にして欲しくて辛抱たまらん新潟県北地域の事情は横に置いて)

新庄-余目間は電化・標準軌化と列車交換駅の一線スルー化(速度について
は予算上、電車化による向上以上のものを要求しない)、余目-酒田間につい
ては既に複線である事から標準軌と狭軌の並列単線、余目-鶴岡間について
は単線区間の鶴岡-藤島間(6.6km)を複線化した上で並列単線化、ミニ新
幹線列車は余目で分割併合という形で・・・勿論私ごときド素人が考える事な
ど、専門家や識者の方はこのような案を検討した上で却下したものと
思いますけどね。

これを書くに当たり、酒田・鶴岡-山形間の公共交通事情はどうなっているの
だろうと調べてみました。
JRの場合、酒田-新庄間は最速の快速列車で50分強、新庄-山形間がミニ
新幹線「つばさ」で40分台後半。新庄駅で乗換え所要10分として1時間50分
程度で結べるはずなのですが、実際は上り列車の場合、最短で2時間6分、
最長で2時間49分。
新庄での乗換え待ち合わせが平均約30分という、鉄道利用をほとんど考慮
していないようなダイヤになっておりました(ちょっとオドロキ)。
乗車機会は毎日7往復です。
なお運賃と特急料金の合計金額は¥3,550(指定通常期)になっております。

一方高速バスはというと、酒田-山形間に毎日6往復が運行されていて、所要
時間は2時間30分、運賃は片道¥2,650(往復だと¥4,600)です。
新庄での待ち合わせの心理的遅延効果とコストを考えると、高速バスに軍配が
上がります。
これが鶴岡-山形間となると、JRでは余目でも乗換えが必要になり心理的遅
延効果は更に悪化、一方高速バスは同区間を1時間49分で結び、運転本数
も一日10~14往復。
運賃は片道¥2,400(往復だと¥4,200)と完全に勝負あった格好です。

もし酒田・鶴岡-山形間がミニ新幹線で結ばれたなら、その推定所要時間は1
時間30分前後、運賃・料金合計は¥4,180(指定通常期)になります。
鶴岡ではちょっと厳しいかもしれませんが、酒田からなら所要時間とコストのバラ
ンスもまずまずとれていて、JR利用客も増えるのかなぁなんて考えますけど
(往復割引の企画きっぷを設定すればなおの事)。
その辺も踏まえた上での駄目出しなんでしょうけどね・・・。

また山形県は山形盆地と庄内の仲があまりよろしくないなんて話もちらちら聞き
ますけど、
(廃藩置県後のゴタゴタが尾をひいてるのかなぁ、ホントのところはどうなの? 
教えて山形県の人!)
それが事実なら酒田・鶴岡-新庄間のミニ新幹線化ボツに関しての心理的要因
なのかなぁとつまらない邪推をしてみました。

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2007年6月 1日 (金)

ダッソーと、何かあったのウリナラさん?

韓国国防部関係者は「第2次FX(次期戦闘機)事業が終わる2012年から2017年
までの第3次FX事業で、3個大隊を構成できるステルス機60機の導入を決めた」
と語ったそうです→http://www.chosunonline.com/article/20070530000004

つい先日、第2次FX事業への応募が米国ボーイング社(F-15K)一社のみで、
事実上現有F-15Kの追加購入に内定なんて記事が出たばかりですが、早くも
それ以降についての計画をぶち上げてくれました。
記事によると、一機4,800万ドル(58億4千万円)として武器や部隊建設費用
込みで総額最大60億ドル(7,300億円)と見込んでいるそうですが、私の手元
の資料によると米空軍向けF-35Aの価格が約50億円です。
韓国が導入するとなれば、一機100億円もありえますが・・・。
まぁそれ以前に、米国がF-35の対韓販売を認めるかどうか甚だ疑問ですけど・・・。

我が国に米国が果たして売ってくれるかどうかで話題のF-22には明らかにワン
ランク落ちるとはいえ、従来型の戦闘機に比べればケタ違いのステルス性を備え
た戦闘攻撃機です。
あの国の昨今の反米親北ぶりを考えれば、販売には色々問題があるんじゃない
のかなぁ・・・。
また目出度く導入OKになったとしても、F-35はまず開発主体の米英両国向け
が最優先、次いで「お布施」を払って優先購入キップを手にしている国々(イタリア
、オランダ、トルコ、オーストラリア、デンマーク、ノルウェー、カナダ)向け、韓国の
ように「お布施」をしていない国はその後にようやく順番が回ってくるシステムです。
2012年度から予算化といっても、実際に機体が手に入るのはかなり先(2010
年代末頃から?)になるでしょうが、それは当然解っているんでしょうね、かの国
の国防部のエラい方々は・・・。
それまで老朽化したファントムやF-5をひっばるつもりでしょうか?
(ただでさえ保守整備が無茶苦茶なのにプラス深刻な老朽化・・・墜落事故続出
の悪寒)

しかしあれだけ現政権が反米親北でも「ウリナラは米国最重要の同盟国ニダ、
ホルホルホル♪」なノリで、F-35を難なく購入できると信じてやまないその
お目出度さを褒め称えましょう、誠に慶賀に耐えませんが。
もうちょっと自分の立ち位置を考えて、おふらんすの最新鋭戦闘機ラファール
にしとけばよいのに・・・と私は呆韓の立場ながら諫言申し上げたいですけどね。
整備補給に関して従来の米国製機とは別のラインが必要になりますが、あの国
の反米親北、自主防衛路線からすれば、安全保障上、待望の米国離れを象徴
するランドマークに成り得ますよ、ラファール導入は。
そういう政治的メッセージは嫌いじゃないでしょ? ウリナラさんたちは。

おふらんすなら国連制裁指定や米国のテロ支援国家指定、また中国のような深刻
な人権問題を抱えていない限り、反米親北に突っ走ってもあまり煩い事は言わず
に売ってくれます。
ラファールは今のところ国際セールスで全敗、輸出ゼロというトホホな状況ですの
で、韓国が買うと言えば技術移転込みで売ってくれると思います・・・ん?でも
第2次FX事業には応募してこなかったんだよねぇ、ラファール・・・。
第1次FX事業の時はF-15Kと最後まで争い、性能上のアドバンテージは認めら
れたけど米国の圧力で落選させられたんだっけ。
その時にラファールのメーカー・ダッソー社と揉めたのかねぇ、おたくを採用すると
口約束して、足元を見て色々便宜を図らせた後で裏切り、あとは知らぬ顔の半兵
衛を決めこんでダッソー社の恨みを買ったとか・・・。
伝え聞くあの国のミンジョク性を考えると、ついついそういう事も想像してしまうなぁ。

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