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2006年12月15日 (金)

帯織駅(信越本線)

2015年11月15日記
大幅加筆修正及び画像入れ替えを実施しました。


本日の駅紹介は、信越本線・帯織駅。

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新潟県三条市に所在する無人駅で、開業は明治31年(1898年)6月16日。
開業当時の所在は南蒲原郡帯織村で、同村の玄関駅でした。
当時の北越鉄道による見附三条間の駅設置にあたって、帯織村長は自ら率先して駅用地を提供、村の有力者の協力も取り付けて帯織駅の誘致に成功したそうです。
「帯織」という地名はなかなかファンタジックに聞こえ、何かふさわしい言われ(鶴の恩返しみたいな民話とか)でもあるのかなぁと子供の頃から思い続けていたのですが、調べてみると「帯を織って税を納める他に手段なし」という当地住民の方々の苦悩をモチーフにしたもののようで・・・。
昔は湿地やら何やらで耕作にあまり期待できない土地だったのでしょう。
そうした報われない土地柄ゆえ、村発展の起爆剤として鉄道に期待していたのかもしれません。

帯織村は帯織駅開業から間もない明治34年(1901年)11月に隣接諸村と合併して大面村になりますが、帯織駅が村内唯一の玄関駅であることに変わりはありません。
大正6年に駅裏の大面地区に油田が出来ると、駅から専用線が引かれるなど石油ブームに湧いたそうです。
しかし昭和の半ばには産油量も減少してしまったとか。
ガスタンクが目立つ駅裏のガス会社は大面油田と関連あるのかなぁ?
そんな大面村も戦後の昭和31年には隣村と合併して栄村に、昭和56年には町制を施行して栄町になります。
部外者から見ると、実に失礼ながら甚だ地味に見えた栄町も、平成の大合併の合唱の下、平成17年(2005年)5月に三条市と合併してその南西部となって今日に至ります。

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帯織駅駅舎の様子、2004年6月撮影。
建築財産票によると平成4年12月の完成です。
奇をてらったところのない、堅実なデザインです。

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帯織駅駅舎内の様子、2012年5月撮影。
画像左側の掲示スペースは窓口跡で、2006年9月訪問時にはシャッターが降りているだけでした。
昭和61年3月に無人化という話ですけれど、「無人化」が単に国鉄直営では無くなったというだけの事であったりするので、その後完全に人がいなくなったのか委託で有人を維持していたのかは、残念ながらはっきりしません。
しかしこの改築駅舎を見ると、窓口込みで建てられている事から考えて、改築後しばらくは委託有人であったのではないかと。
JR東日本のサイトで年度別の一日平均乗車人員表を遡って調べると、2002年時点で無人だったのは確定のようですが。
かように色々と想像を逞しくさせる窓口跡も、今では完全に塞がれてしまって、今後人員配置の見込みは完全に無しということなのでしょうね。
一方、固い座り心地のベンチにはさりげなくお揃いのクッションが置かれていて、部外の訪問者には小粋で心温まる好印象なのです。

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帯織駅駅舎ホーム側の様子、2006年9月撮影。

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下りホーム(新潟方面乗り場)の見附駅方から見た帯織駅構内、2012年5月撮影。
開業から百年以上の歴史を刻んだ駅に相応しい構内の広さです。

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同じく見附駅方を見通す、2012年5月撮影。
撤去された中線跡は寒々しい。

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下りホームの東光寺駅方から見た帯織駅構内、2006年9月撮影。

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同じく東光寺駅方を見通す、2006年9月撮影。
この辺りで9両編成の先端ですけれど、列車の先頭車両がここまで来ることはありません。
2015年現在、新潟地区に逐次投入されて115系電車を淘汰する新鋭E129系電車は、ピーク時でも六両でしょうし。

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かつての貨物用側線跡、2006年9月撮影。
帯織駅の貨物取り扱いは昭和45年10月に廃止されました。
昔は近くの農協から出荷される農産物で賑わったのでしょうね。

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帯織駅跨線橋内の様子、2012年5月撮影。
優等列車停車駅並みの広さです。
信号場上がりの小駅ごときと一緒にするなとアピールしているよう。

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跨線橋上から三条方面を見る、2006年9月撮影。

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同じく長岡方面を見る、2006年9月撮影。

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線路が完全に撤去された中線跡、2012年5月撮影。
昭和55年10月改正ダイヤを見ると、この中線はまだ機能していました。
一日上下3本の普通列車がここ帯織駅で優等退避していて、下り1339Mが特急とき17号と急行赤倉を、同じく1323レが特急雷鳥21号を、上り1322レが特急とき4号を当駅で先行させていたのです。
当時、信越線新潟-長岡間の中間駅でこうした光景が見られたのは、亀田、新津、矢代田、羽生田東三条、三条、見附、押切、そして当駅の実に9駅。
しかし昭和60年3月改正ダイヤでは見附、押切、そして当駅での優等退避は無くなっています。

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上りホーム(長岡方面乗り場)の見附駅方から見た帯織駅構内、2012年5月撮影。
本線の隣が即敷地外の当駅のようなレイアウトは、画的に面白味がありません。

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帯織駅島式ホーム中央部の様子、2004年6月撮影。
上屋はおよそ一両分の長さで、ベンチが数脚。

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旧中線東光寺駅方から見た帯織駅構内、2012年5月撮影。

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同じく東光寺駅方を見通す、2012年5月撮影。
起終点の新潟と長岡の他にも中小の旧市町が並ぶこの界隈で、帯織-三条間は最も人口密度が小さい区間と言えます。

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帯織駅を出発する新潟行115系電車、2014年5月撮影。

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帯織駅に到着する115系電車長岡行、2014年5月撮影。

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帯織駅を駆け抜けて行く485系電車T編成の特急「北越」新潟行、2014年5月撮影。
かつての村、町の玄関口であった帯織駅ですけれど、近隣の押切駅同様に急行準急はもとより快速の停車もなかったようです。

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帯織駅上りホームに進入する485系R編成の特急「北越」金沢行、2014年5月撮影。

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帯織駅下りホームを通過する新潟行583系電車急行「きたぐに」、2006年9月撮影。

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帯織駅前の様子、2006年9月撮影。
この時点ではJA以外に目立つ建物は無し。
当駅へは東三条駅から越後交通運行の路線バスでも来訪出来ます。
しかし撮影当時の毎日四往復から、現在は三往復で土休日は運休に。
特に病院が休みの土休日は全便運休というのが、過疎バス路線
の一般的な運行パターンになってしまっています。
しかしバス路線が維持されているだけ、この地域は恵まれているとも言えます。
バス路線を維持しきれなくなって、予約制のデマンドに移行という事例がそこかしこにありますからね。

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