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2006年6月20日 (火)

上越線・石打駅

本日の駅紹介は上越線・石打駅。

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2016年7月17日記、リニューアルを実施しました。

石打駅の駅名標

新潟県南魚沼市に所在する有人駅です。
大正14年(1925年)11月に開業し、上越国境越えの運転上の拠点(機関車の増結・解放)として長らく機能してきました。
なお開業当時は南魚沼郡石打村の所在で同村の玄関駅でした。
同村はその後昭和32年に塩沢町に編入されて、平成17年10月に南魚沼市に編入されて同市南端地域として今日に至ります。
現在は電留線として機能しているという側線群、また六日町方面に少し進んだ車窓左手に見える機関車の待機線と思われる(多分?)エンドレールなど、かつての賑わいの面影を今に伝えております。

ここ石打駅には上越新幹線開業前、電車急行「佐渡」「よねやま」計5往復の内2往復が停車しておりました。
またその当時からみどりの窓口も設置されておりまして、塩沢町の本来の表玄関であるべき塩沢駅(町の中心街や官公庁へはこちらの駅が最寄)がみどりの窓口なし、急行列車の停車皆無なのと比べると、傍からは奇異に感じられる程のえこひいき(笑)ぶりでした。
→昭和55年当時の当駅時刻表はこちらへ。
一方で貨物取り扱いは昭和45年12月という、幹線の有人駅としては早い時期に廃止になっており、ここら辺は周辺人口の少なさに相応の扱いのようです。

JR東日本によると、2015年度の石打駅一日平均乗車人員は135人。
同社新潟支社県内有人67駅中64位で、上越線の新潟県内区間有人9駅中最下位です。
「石打郷土誌」(塩沢町教育委員会発行)によると、昭和31年(1956年)8月のそれは413名(スキーはオフシーズン、学生は夏休みと、年間で一番利用客が少ないと思われる月です)。
・・・単純計算ではここ50年で約六割の減少になりますけど、当時はスキー客の列車利用で、当駅の冬季の利用客は相当の数に上ったと思われますので(駅周辺には著名なスキー場がいくつかあります)、年間通じての一日平均となりますと、64%の減少どころの騒ぎではなく、70%台後半、悪くすると80%の減少というのも考えられなくもなしです。

前述の「石打郷土誌」によりますと、昭和31年当時の当駅構内所在機関及び人員数は、

石打駅・・・63名、長岡客貨区石打派出所・・・10名、
長岡車掌区石打派出所・・・3名、水上機関区石打駐泊所・・・9名、
湯沢電力区石打配電分区・・・11名、長岡通信区石打詰所・・・2名、
水上保線区石打線路分区・・・18名の計116名!

当時の鉄道がいかに労働集約システムであったかを偲ばせる数です。
峠越えの拠点駅としての役割を終え、優等列車の停車も無くなった今日の姿とはあまりに隔絶していたのですよ。 

石打駅駅舎
石打駅駅舎の様子、2011年5月撮影。
建築財産票を見つけられたので竣工日は不明ですが、ウィキペディアによると昭和43年築との事。
上越線全盛時代の山越えの運転上の要衝の栄光を今に伝える、二階建ての立派な建物です。
堅牢な造りは流石豪雪地帯のもの。

石打駅駅舎内部その1
石打駅駅舎内部その2
団体用とおぼしき出入り口、2011年5月撮影。
冬のレジャーがスキー一色だった頃は、当駅も続々到着するスキー臨から降り立つスキーヤーでさぞ賑わったことでしょう。
上の画像右側の黄色い板には「特急谷川6号上野行 14:36」の表記が!
かつては冬季に特急谷川号が上越国境を越えて、当駅まで延長運転されていましたなぁ・・・。
特急「谷川」は1997年に「水上」へ改称されておりますから、この板が当駅に掲示されなくなってからこの時点で14年経っています。

石打駅駅舎内部その3
石打駅駅舎内部その4
石打駅駅舎内部その5
駅舎内部の様子、2011年5月撮影。
2005年訪問時は待合室は仕切られておらず吹き抜けでしたが、その6年後はご覧の通り。
この駅舎も相当の経年だと思うのですが、こうして改装をするあたり、改築はまだ俎上に載っていないという事なのでしょう。
同様の事例は上越線・越後堀之内駅や信越線・安田駅などにも見られます。
畳敷きのスペースは健在で何より、こういう一角があるとなんかホッとしますな。

石打駅駅舎内部その6
改札から構内に入り振り返って一枚、2011年5月撮影。
上の通路は、現在使用されていない1番ホームに繋がっております。

構内の連絡地下道その1
ホームへの地下道入り口の様子、2005年9月撮影。

構内の連絡地下道その2
構内の地下道の様子、2011年5月撮影。

石打駅の島式ホームその1
島式ホーム(2、3番線)の長岡方から見た石打駅構内、2011年5月撮影。
画像左の1番ホームには、使用されていないにも関わらず真新しいフェンスが設置。
2005年訪問時の画像にはこのフェンスは無いので、中越地震の被災復旧絡みでもないようですが?

石打駅の島式ホームその2
同じく大沢駅方を見る、2011年5月撮影。
大沢方に伸びる1番ホームは古びた味があって、個人的にはこういう寂れた幹線ホームが好きです。

石打駅の島式ホームその3
石打駅の島式ホームその4
島式ホーム中央部の出入り口の様子、2011年5月撮影。
当駅のホーム出入り口は二箇所あっていずれも幅広、この辺もかつてスキー客で賑わった駅ならではです。

石打駅の島式ホームその6
ホーム出入り口からホームの上屋下を見る、2011年5月撮影。
ホーム上に待合室はありません。

石打駅の島式ホームその7
島式ホームの水上方から見た構内、2004年9月撮影。
かつて急行「佐渡」「よねやま」が目一杯使って停車していた長いホームも、今ではすっかり遊休化。
ホームの白点線がもののあわれを誘います・・・。

島式ホームから見た1番ホームその1
島式ホーム端から水上方を見る、2004年9月撮影。

島式ホームから見た1番ホームその2
島式ホームから見た1番ホームその3
島式ホーム上から見た対面式の1番ホームの様子、2005年9月撮影。
2004年に現地で伺った時には臨時列車用として使用しているという話で、また特急「はくたか」用の電車留置にも活用されていました。
冬季に臨時運行される快速「シーハイル上越」は当駅止まりですけれど、その場合は一番線に入ってくるのかどうか。
もし入ってくるのならば、当駅1番ホーム上を撮影できるチャンスがあるのはその時だけでしょうね。

電留線に停車中の115系電車
電留線に停車中の115系電車二連、2005年9月撮影。

踏切から見た石打駅構内
長岡方踏切から見た構内、2005年9月撮影。
架線柱群の仰々しさが目を惹きます、そして現在の寂しい情景。
このギャップが当駅最大の魅力と言えましょう。
画像右側の車庫には国鉄色の特急型電車がチラリと見えます。

踏切から見た長岡方
踏切から長岡方を見る、2005年9月撮影。
画像左側の機関車の待機線?が、かつては上越国境越えの拠点駅として栄えたこの駅に対するノスタルジーを掻き立てます。

石打駅を出発する115系電車
3番線から出発する115系電車長岡行、2014年5月撮影。

石打駅に到着した115系電車
2番線に到着した115系電車越後湯沢行、2014年5月撮影。

石打駅を通過するHK100形「ゆめぞら号」
2番線を通過するほくほく線直通のHK100形「ゆめぞら号」の越後湯沢行、2014年5月撮影。
ほくほく線直通列車は当駅を通過しますが、駅巡りの身としては過疎ダイヤの上越線ゆえに「この電車が停まってくれたらなぁ・・・」とぼやくのでした。

石打駅を通過する特急「はくたか」
3番線を通過する特急「はくたか」金沢行、2014年5月撮影。
ホーム上での最小の待機時間でいかにして上下の「はくたか」とHK100形を撮れるか、光の加減も考慮して無い知恵を絞った末に実行した時の画がコレ。

石打駅前通りその1
石打駅前通りその2
駅前通りの様子、2011年5月撮影。
駅前のおみやげ店は全て閉店、タクシーの待機もこの時は無し。
何もかもががらーんとしておりました・・・。
なお、路線バスは駅前まで入ってきませんのでご注意ください。

駅前から見た秋の南魚沼
駅前から見た秋の初めの南魚沼、2005年9月撮影。
間もなく稲刈りです。


岡村貢氏の顕彰像
この駅に下車して駅前に出るとすぐに視界に入るのが、上越線の生みの親と言える岡村貢氏の顕彰像、2004年9月撮影。
岡村氏は1836年にこの地で生まれ、明治12~15年まで南魚沼郡長を務め、その後27年には衆議院議員にも当選した郷土の名士ですが、明治10年頃からすでにこの地への鉄道敷設の必要性を熱心に論議していたという、当時まだまだ旧時代の守旧派が幅を利かせ、先取の気風に対する頑迷的世論が多数派だった中で、非常に開明的な人物でありました。
明治17~18年には東京から測量技師を招き、自らも同行して南魚沼の山野を歩き回り、明治29年7月には、自らの手で鉄道建設を実行すべく発起した「上越鉄道」に鉄道敷設の仮免状を獲得させるまでにいたります。
明治33年4月には本免許状が下付され、いよいよ宿願の鉄道建設へ・・・のはずだったのですが、必要な資金が用意できなかった為に翌年4月に本免許状は失効して会社も解散の止む無きに至り、会社株主への弁償で全財産を失うという結果に終わってしまいました・・・。
大企業のバックアップなしに、地方の人間が出来る事としてはここまでが限界だったのでしょうね・・・。
しかし岡村氏の勇気ある行動によって、鉄道建設への機運は高まり、大正6年にはそれまで建設資金の問題で建設を渋り続けていた国も、高崎-長岡間の鉄道敷設を決定、大正14年暮れには越後湯沢まで開通、岡村氏の郷土であるこの地にも駅が置かれ、雪に埋もれた山野に勇壮な蒸機の雄叫びがこだまするようになりました。
岡村氏は郷土に鉄路が到達するのを見る事なく、大正11年1月に亡くなりましたが(享年85)、大正9年11月に宮内-小千谷間が開通した時には、開通式に招かれて祝辞を述べているそうです・・・さぞかし、万感胸に迫るものがあった
事でしょうね。
(参考文献 石打郷土誌 越後の停車場(朝日新聞社刊))

石打駅至近の国道17号線その1
国道17号から駅方面への道のり、2011年5月撮影。

石打駅至近の国道17号線その2
駅前通りから国道17号に出て一枚、2011年5月撮影。
駅から国道へは私の足で五分ほどです。
駅前には何もありませんが、国道まで出ればコンビニやレストランがあります。
当駅周辺からは国道17号及び453号線を経由する、南越後観光バス運行のバス路線がそれぞれ設定されております。
国道17号には越後湯沢-六日町間に運行されていて、上越線の補完として使い勝手も中々良しかと思われます。
国道453号には越後湯沢-森宮野原間に運行されていて、越後田沢津南森宮野原駅に直行したい場合に使い出のある路線ですけれど、本数が少ないのは残念。
この路線には2011年5月に森宮野原駅-石打郵便局前間を乗車しましたけれど、乗客は少なかったですな・・・。
森宮野原駅出発時点で乗客は私一人、途中で乗降はポツポツとあるものの、乗客数が二桁になる事はついに無いまま私は下車。
下車時点での乗客は五人。
途中の山越えの車窓は素晴らしいだけに、もうちょっと目立っても良い路線です。

バスの車内から見た清津峡
バスの車中から一枚、2011年5月撮影。
紅葉の時期は沿線随一の観光スポット・清津峡へのアクセスで乗客はずっと多いのだろうとは思いますけれど。
また一応「急行」バスという事になっておりますが、私が乗車した時はかなりの経年の一般路線用バスでした。
「急行」=古い観光用車使用と思い込んでいたので、これにも少しばかり残念。

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